L-20lonesomelife

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

4月28日

2021-04-28 23:14:43 | 日記



もうすぐ、いやもう既にゴールデンウィーク突入である。

娘は3週間だけ隔日出勤だったが、また以前のようにリモートワークになった。

良い御身分だなぁと思う。

今朝、リモートワークになったと聞いたのだけれど、夕方にネットニュースを見ると福岡のコロナ感染者が440人と、過去最多を更新したらしい。

今朝、出勤前に奥様に
「他県を参照して予測したら今日の福岡は昨日の2倍くらいになる見込みなんだけどなぁ」と言って出勤した。

案の定、予想通りである。

でもなぁ、娘のような若者がリモートかよ。

こっちは毎日ショッピングセンターで人と対峙する。

高齢者予備軍の接客業は休業命令を出してほしいと思う。

ただの愚痴だな。

と言いつつも、明日からゴールデンウィークである。

お客さんはかなり多い見込みである。

こういうお店はお休み期間は放っておいたら嫌ほど人が集まる。

どうせ、遠くに遊びに行くと非難されるから近くで買い物をする人が増える。

近隣の人間が集中する。

少なくとも行政が指示を出さないと、とことん集まるのである。

しかし、指示を出しても今日の明日では人の流れはなかなか変わらないだろうねぇ。

昨年から1年間、こっちはまだコロナに感染していない。

どうしてかからないんだろうと、疑問を感じると、なんだか、どうせならかかってみようじゃないか、などど奇妙な気持ちが出てくる。

でも、かからない。

未だにかかってないからねぇ。

しかし今回はかなり強力な感染力だと聞いた。

そろそろかかりそうな気もする。

こんなに人がうじゃうじゃいる場所だからきっとかかる。

そう思いながら仕事をしてる。

でも、かからない。

というか、昨年の1月頃、感染が広まる前に先にかかってる気もするのではあるが。

ならば、自分たちには既に耐性があるやもしれん。

じゃあ、かかりたくても向こうが避ける。

かかるもかからないも、あまり意識しないで過ごしている毎日でもあるけれど。

理由は、感染の検査と言っても正確に測れている割合が70%程度だと聞いたから。

じゃあ、かかってても見逃されてる人が10人のうち3人もいるではないか。

人口10万人検査をしたら3万人の感染者は放置されてる。

みんな感染者。

きっと私も感染者。

じゃあどうでもいいか。

問題は自分が重篤になる体質かそうでないか、だろ。

いろんな病気持ちの高齢予備軍だからなぁ。

むしろ病気とお友達。

やれやれ。

そんなことよりも、今日は帰り道は雨。

電車と雨で群れて体を冷やして、風邪をひかないように気をつけないと。

風邪は万病のもとだからなぁ。。。

(職場で帰宅前に記載)
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今朝の花

2021-04-26 08:03:20 | 日常


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書くことが億劫になっています

2021-04-20 20:48:23 | 日記
最近 書くことが億劫になっています。
直筆の日記帳には1ヶ月ほど記入がありません。
想えば小学校5年生の頃からずうっと描き続けていた日記です。
それがそろそろ面倒になったということはいい加減終わりが来てるのかもしれません。
終わりというか飽きたというか。

日常を暮らすこともなんだか面倒です。
だから仕事はさらに面倒です。
まぁ食事を摂ることは面倒では無い感じなのでもう少しは生きてて良いかもしれまあせんな。

朝、目覚めて行動を起こすところまではイイ。
硬い体をほぐしたり痺れる足に医療用の加圧ソックスを履いたりして仕事に出かけるか、またはウォーキングに出かけたりするまでは。
小一時間もしたら疲れてるんです。

それからが困りものでどおうにも順調にいかない。
仕事ならば怠さが先に立ってるし、細かい作業があっちゃこっちゃにぶつかりながら進んでいきます。
ウォーキングならば、1時間で、もう帰りたい症候群発症。

体力低下。
元気が出ない。
確かにそろそろ高齢者予備軍ですからある意味自然でしょうな。

しかし、環境が許さない。

今はスピード重視の時代。
ぐずぐずしてたら時代に置いてけぼりです。

そういえば歩くスピードもなかなかの遅さです。
たいていの人に追い越されますな。
ホント。
病気じゃないかしらん、と思う。
生まれつきの「馬鹿」という病気はありますが。

それと奇特な人という病気もあります。
子供の頃からのことを想いかえしたら、今更ながらちょっと、いや随分奇妙な行動をとってた子供でした。
普通はしないだろう、ということをやってました。
内容は流石に恥ずかしくて書けません。
人前で叫ぶ様なことは平気でしたし。

今でも、指摘されるのがブツブツと独り言が多いらしいということ。
意味のわからないことをずうっと喋ってると言われます。
本人は認識できてません。
でもきっと意味はあります。
いつもの日常ですから。
自分は静かなものです。

ところで
今朝のテレビで幼児用ハーネスのことをやってました。
「老人になったら自分にはあれをつけといてほしい。どこに行くか分からないから」
と奥様に言ったら
「じゃあ先に口につけといてあげる」
と言われました。

それはそれで名案(妙案)かもしれませんな。。。



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体調変化

2021-04-16 09:43:54 | 日常
だからと言って特にこれといった題材はない。

ただ記しておきたいだけである。

雇用の問題はいろいろ考える。

数年前まで、自分は雇用する側であった。

今は雇用される側になっている。

立場が変われば見方や考え方も変わる。

ある意味当然だろう。

それにプラスして年齢的な衰えが加わり性格も短気になっている。

短期になるのと同時に腹が出てきている。

これも年齢的なものなのだろうか?

我慢できないのだ。

腹減るとすぐに食べる。

それとイライラ、カリカリするから待つと言うことができないし気があせる。

ガムを噛んで気を紛らわせようとするのだけれどそれでも焦りには効果がない。

仕事中でも、である。

困る。。。。



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最近あまり元気がない

2021-04-07 22:29:48 | メンタル
とても足がだるく日常の生活でとても疲れる

年齢のせいなんだろうけれども体が動かしづらくなっている

今の仕事のように俊敏に体を動かさないといけないような労働は大変きつい

かといって今の自分のように何の資格も技術も取り柄もない人間には転職をしようにもなかなかまともな仕事は見つかりそうにない

それでも年齢がもう少し若ければ資格がなくてもできそうな事はあるのだろうけれどもうすぐ63歳ともなると今の会社でももういらない存在になってきているのは明白である

むしろ多くの企業や中小企業もそういった高齢者からリストラをどんどん進めているような情報をネットで見にする

自分が逆の立場ならおそらく同様の手順を進めていたに違いない

高齢者たちは何をしたら良いのだろう

さっさと死んでしまうかのらくらやれる仕事をするのがいいのじゃないかと思う

あと3ヶ月くらいで「特別支給の老齢厚生年金」がもらえる年代になった

しかしそれでも今のパートの給料では生活を維持していくにはあまりにも少なすぎる

今までひと月100,000円ちょっとのパートで生活をしていっているのだけれど2倍ほどの生活費がかさんでいる

2倍で済めばいい

実態は約3倍ほどかかっている

なので退職金やら今までの貯金やらをどんどん食いつぶして行っている

「特別支給の老齢厚生年金」をもらえるようになっても赤字生活は止められない

貯金を増やそうと思っているわけではないがせめて生活費トントン位の所得が欲しいものである

しかし体がこういうことを聞かないようになってくると仕事に対する意欲もほとんど消えかかっている

生活を根本的に変えたいと思うのだけれどもそういうことを嫁さんに言うとひどく落ち込んで死にそうな顔をする

こっちもとても落ち込んでしまいふさぎ込んでしまい病気になってしまいそうな状態になる

かといって避けて通れないものなのだけれどもそんなことを言い出そうにも(そんなことを言うな)と一蹴されるのである

どうにかしろと言われてもどうにもならないからそれを伝えると そんなことは聞く耳を持たないと言う感じなのである

こんなブラック企業家庭は終わりにしたいとも感じる

誰にも何も言わずに人生終わりの旅に出たいなぁと日々思いながら生きている状態である

そこまでくると何かとんでもない不祥事を起こして一生刑務所にでも放り込んでくれると楽なのになぁとか、この世から消えてしまいれば楽なのになぁとか感じるようになる

いつまでも桜が咲いているわけではないのにその桜をずっと追い求めていていつまでも桜が咲いていてほしいと願い それが当たり前だと信じ込むようになってしまう生活はおかしいと思わないのだろうか

今の日本人の生活そのものが根本的におかしいと感じる

日本人だけではなく世界中の現在の文化がとても危険で、戦時中の様な昔の文化になっている

もういい加減終わりにしてほしいとすら感じるのが正しい感覚なのではないだろうか

イジメや仕事で自殺をする人の人数がコロナ禍の中で少し減ったといわれるが それ以外の原因、例えばお金、孤独での自殺者はたくさんいる

コロナが引き金にはなったとは言え生活費不足であろう 

現代社会の生活についていけないで自殺する人がすごく増えているのではないだろうか

いっそ世界中で核戦争が起こって10000年ほど人類が住めなくなる世界になった方が地球上の環境は良くなるのではないかと感じてしまう

なんとなくそういう感覚は多くの人が感じ取っているのではないだろうか

私自身は自分が異常だと思っていて生きているけれども本当は自分が1番正常ではないんだろうか

ーーーーーーーーーーーーー

最近鉛筆やボールペンで文字を書くことができない

それではとパソコンに文字を打ち込むと思ってもそれもなかなかできなくなっている
2~3行ですぐに疲れてもういいやとなってしまう

なので最近はiPhoneのSiriに言葉でぶつぶつしゃべりながらこれを登録している

便利な時代になったなぁと感じるけれど異常な時代になったなぁとも同時に感じてしまう

今の世の中の変革期、私はどうして生きていけばいいんだろう

若い時もどうやって生きていけばいいのか色々と悩んでいた

きっと死ぬまでこの悩みは尽きないのだろう

お釈迦様はこれを煩悩といった

だからそんな事は何も考えず目の前の何かにただ単に没頭することだけを考えるといった

座禅を組んで頭の中を無にしろと言う

まさしくそれは植物になると言う事と同じだな

屋久島に生息する縄文杉はまさにそれなのだろう

本来なら大自然にのみ命を委ねてそれに従うそういう生き方が植物の生き方なのであろう

それを破壊し自然に挑戦し続けるのが人間なのだろう

人間も含めて植物も動物も自然から作られた自然の肉体、自然のカラダで生命を宿す

それを否定するとどこに向かうのだろうかと考えてみる

結局人間は消滅して情報だけを身にまとったメカニックな生き物とは呼べない、そういったプログラムだけが残ることになる

それが宇宙空間や未来や過去をタイムスリップしてこの宇宙をどんどん破壊する新しい生命とは言えない生命体となるのかもしれない

そういった生命の常識を超えたカンブリア爆発が起こりつつあるのが現代社会なのではないだろうか

機械と情報とプログラムだけが残る未来の副産物

それはイエスでもノーもない

結局は自然から発生したがん細胞的な奇妙な副産物なのであろう

通勤のため駅に向かう道すがらiPhoneに向かってブツブツとしゃべりながらこれを登録している

まさに時代の副産物

奇妙な存在は他人事ではなく私自身そのものなのだろうけれど




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