おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

「異化崩壊(catabolic collapse)」になる前に持続可能な形をカーネマンから考える-分断の時代に考える⑩-

2023-10-30 06:44:39 | 日記
「目には目を
という考え方では、
世界中を盲目にしてしまうことになる」
というのは、マハトマ・ガンジーの名言だ、と、私は思う。

ペトリ皿にたっぷりの餌で培養されている数個のバクテリアの運命は間違いなく予測できるであろう。ペトリ皿のなかは、持続可能ではないからだ。

ダニエル・カーネマンは、ノーベル賞を受賞した研究をまとめた『ファスト&スロー』を発表した。

これは、層構造を持った人間の脳が日常的におこなう認知と、それがもたらす結果について論じている。

カーネマンは、フロイトと同様、意思決定の形態を2つに分類している。

システム1は、
素早く、自動的に働き、感情的かつ直観的で、人間に本来備わっている思考形態に近い。

システム1は、使いやすい形に凝縮された古来の知恵に相当する。

これは、当然のように私にもある。
例えば、もし妙な人がナイフを振りかざし近づいてきたら、じっくりと時間をかけて考え込むようなことは、私はしたくないであろうと断言できる。

システム2は、
もっと新皮質の機能に近い。
つまり、その思考は遅く、理性的であり慎重で、エビデンスに基づき、論理的法則に従った科学的なものである。
カーネマンによれば、人間の脳が日常的におこなう認知なので、私にもある「はず」だが、なぜか、しっくりくる具体例が出てこない。
冒頭に挙げたガンジーの深い思考から紡ぎ出されたことばを例にしよう......。要するに、人間の高度な思考形態に相当する。

両システムとも、
それぞれに相応しい場面においては、適切に機能する。

システム1の思考は、
人類が進化の戦いのなかで、
目立たないステージの片隅から、ステージ中央近くの座を得るまでの長きにわたって
生き残るための支えとなった。

だが、今では、自縄自縛というのか、私たちが私たち自身で作り上げた、しかし以前とは大きく変化した新しいステージは、このあと生き残って行く上での、大きな障害となっている。

システム1の思考は、現代の広く知られた新しい問題に対して、迅速かつ柔軟に使うことが出来ない。
自己中心的で、攻撃的、かつ原始的な本能は、賢い新皮質に大きく助けられつつ、数百万人というまばらな人口の世界から、混み合った70億人の世界へと私たちを放り出した。

だが、その70億人が共に平和に、持続可能な形で今の時代をどう生きることが出来るかを考える上で、そうした本能ほど、危険で時代遅れなものである。

システム1の脳を最新の状態にするには、少なくとも数万年という進化の期間が必要なのだが、私たちにはそのような時間的余裕はない。
私たちは今後、あらゆる点で、
最近発達した人間脳のシステム2による理性的思考が、
より原始的なシステム1の脳構造に組み込まれた反射的思考を、どうにかして、なんとかして、うまくコントロール出来るようにする必要がある。

ペトリ皿にたっぷりの餌で培養されている数個のバクテリアの運命は予測できるであろう。

間違いなく、バクテリアのは猛烈に増殖し、とめどなく餌を食い、やがて増殖したバクテリアで皿がいっぱいになり餌はなくなってしまう。そしてコロニーは完全に死滅する。

このペトリ皿のバクテリアが自らを消耗し尽くしてしまうのと同じような現象が人間の世界で起こることを「異化崩壊(catabolic collapsed)」という。

ガンジーのことばはそうなりつつある過程の私たちに訴えかけているように私は、やはり感じる。

私たちは、システム1の思考による良識への攻撃に抵抗し、システム2の思考で対抗しなければならない。
私たちが生き残りたいと願うとき、持続可能性に想いをはせ、理不尽な衝動や欲求実現の幻想を上回る、理性的な心の力を取り戻さなければならない。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。




geneであれ、memeであれ、共有の価値を理会させるように私たちを動かしてくれ-分断の時代に考える⑨-

2023-10-29 06:47:06 | 日記
「1羽のツバメが来ても夏にはならないし、
1日の好日だけでも夏にはならない。
同様に、1日の、あるいはわずかな期間の幸福で人は完全に幸せにはならない。」

とアリストテレスは、
幸福になること≒善の実践に捧げる生涯
を表現した。
......。
......アリストテレスが生きていたら、朝のニュース番組を見て愕然とするだろう。

そして同時に、
理性的な思考と大人の責任を犠牲にして、つかの間の快感に走る私たちの社会の傾向にも絶望するに違いない。

アリストテレスは人間の幸福について、初めての、そして最良の哲学的分析を示した。

彼は
「人間が存在する究極の目的は何か」
と問いかけ、
「幸福こそ人生の意味および目的で、人間が存在する1番の狙いであり、究極の目標である」と答えた。

アリストテレスの幸福(eudaimonia)の定義には、つかの間の快感も含まれてはいるが、
幸福とはそれらをはるかに超越するものだという。

アリストテレスは、世界の至る所に目的を見出し、
人間が生まれながらに持つ目的は、
精一杯道徳的に生きることだとしている。

確かに、人間の本性について皮肉的な見方をすれば、
私たちは、自分本位の受け手である。
これは、私たち全員に時々当てはまり、一部の人間にはいつも当てはまることが、これもまた私たちの経験から裏付けられている。

しかしながら、社会的行為や満足感に大きな影響を与える愛他心の遺伝子も、私たちの裡に生まれたときから確りと組み込まれている。

この際、それはgeneの働きであれ、memeの働きであれどちらでもよい、として考える。
(さらに、この際、V・E・フランクルの考えや論も後に回すとしよう。)

共有することが生存にもたらす価値をめぐっては、さまざまな議論があるが、

「善良な多くの人が何故進化の競争で敗れて皆無になったり、最下位になったりしなかったのか」
ということに焦点を当てるとき、
あまり有名でないが、私が好きな進化理論のひとつに、
「愛他心が集団レベルで生き残っていた」
と、いうものがある。
仲間内の協力をとても上手に進めてきた部族は、そうでない部族はよりも繁栄する確率が高かった。
愛他心の遺伝子はおそらく、
個人の向上と集団の生き残りの両方
を通じて生き残ってきたのであろう。
いずれにせよ、そうした遺伝子の存在を認識することは、私たちをもっと善良な人間にすると同時に、人類の大きなきぼうとなるはずだ。

その遺伝子がgeneの意味であれ、memeの意味であれ、はたまた、どちらを内包しているのであれ、どちらも内包しているのであれ、いい。
アリストテレスが現代に生きていても、そんな生き残りの姿に目を遣れば、少しはホッとしてくれるかもしれない。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
後回しにしたものはまた近々の回で描くことが出来たらなあ、と思います。
今日は久々に冷たい雨が降ったようです。
雨音を聴きながら描いていましたが、今、見たら雨があがって、雲は暗い色ですが、光が差してきていました。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。

「イラク」「シリア」「ソマリア」「アフガニスタン」「スリランカ」という概念-分断の時代に考える⑧-

2023-10-28 05:59:37 | 日記
アルバート・アインシュタインは、ナチスの時代を経験したあと、
「ナショナリズムは子どもの病気である......それは人類のはしかである」
と言った。

強い国家主義思想を持つことは、今の時代、ますます望まない結果を生むことが多くなったようだ。
自国を愛することが、他国への憎しみや怖れに繋がる場合は、特にそうである。

歴史を俯瞰すると、世界の大部分において、国民国家は比較的新しく、今でも極めて脆い統治状態にある。

例えば、忠誠の対象は、かつては今よりずっと範囲が限られていた。
狩猟採集民ならば、自分が所属する小さな放浪集団に忠誠心を感じていた。
規模の大きい政治機構が出来るようになったのは、
富の蓄えによって、土地と権力の蓄えも可能になった農業革命後のことである。

ほとんどの時代にほとんどの場所では、個人の忠誠心の対象は、近親者、村、部族、宗教団体であった。つまり、国家ではなかったのである。

現在の国民国家の歴史はさまざまだが、
最も新しい部類でいうと、わずか35年ほど前(なんだか私には親近感を感じる年齢だ)に、ソ連とユーゴスラビア崩壊後の混乱が収まったのちに生まれた国々があり、アフリカ大陸の大部分の国家が生まれたのが50~70年前、「インド」とパキスタンは75年ほど前で、「アイルランド」の歴史も100年ほどとなる。

「ドイツ」と「イタリア」建国から150年ほどで、イギリス、フランス、スペインは、かろうじて500年の歴史がある。
古い国家が在った中国大陸でもその歴史の中ではたびたび分断と敵対を繰り返していた。

新たな「国家」の多くは、植民地独立後に植民地の行政官が自分の都合で人工的な国境線を引き、作られたが、その妥当性は曖昧で、国家の安定性は未知数であることも多い。

「国家」の境界では日常的に、
多くの異なる部族や宗教団体がひとまとめにされる一方、
まとまるべき人々が人工的な境界で分断されていた。

そのようにして
「イラク」「シリア」「ソマリア」「アフガニスタン」「スリランカ」という概念は、
その土地に暮らす人々ではなく、実情に疎い政治家たちにとって大きな意味を持っているのである。

私たちは、国を愛することを、多く人類が持つ、自然かつ高尚な感情だと、なぜか捉えがちである。しかも、当然のように。

しかし、実際、こうした感情は人類の歴史の中では比較的最近発達したもので、それは特に自然でもないし、哀しいことに多くの場合特に高尚でもない。

愛国心ということばが生まれたのは、ほんの3世紀前で、宗教的制度を世俗化する啓蒙運動の一環として取り入れられた。
愛国心は宗教と同様に、よりよい未来のためのツールや価値の在る活用法があるものであるだけではなく、浅い歴史ゆえに、危険な形で誤用されることがある。
そして、それは、その浅い歴史がまた証明していることでもある。皮肉なことに。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
分断の時代に考える⑧にさせていただきました。
さて、まだ、日本とアメリカの名前が出てきていませんね。なぜでしょう?と考えていただいたところで、今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。

ピネルが「精神医学の父」と呼ばれた理由を考察しながら

2023-10-27 06:05:00 | 日記
「幸福がもたらされるには太陽が必要だと考える人は、
雨の中で踊ってみたことがない人である。」(作者不詳)

フィリップ・ピネルは、
それぞれの患者の身の上話に、深い興味を持っていた。

ピネルが知りたかったことは、患者が人生で味わった苦難が、病気とどう関係しているか、であった。

いまの人格を形成しているものを、ピネルは、各自の希望、恐怖、動機、環境に求めた。

それをよく示すように、ピネルの第1の秘書役、助言役、そして教師役となったのは、かつては患者であり、のちに優れた臨床医であり管理者となった人物であった。
この2人が開発したものに、教育、認知療法、現実検討、作業、運動、セラピー活動、支援を組み合わせた、現代へと続く、精神病の「心理学的」治療がある。

ピネルは、脳の生理学的損傷、心理的あるいは社会的ストレス、
そして当時、患者が受けがちであった、おぞましい治療と呼ばれたものたちこそが組み合わさり、精神病の原因になり得る
、と、考えた。

そして、瀉血、下剤、鞭打ち、回転椅子、といった野蛮かつ強引な治療をもはや不要なものとし、
自然な回復を促進しようとした。

ピネルは自身の治療の力を過信することなく、患者に宿る強靱な回復力を信じていたし、
拘束衣による肉体的な拘束やアヘンによる化学的な拘束は、
最も暴力的でどんな治療にも反応が見られない患者に限って行われた。

現代において、いまだに、日本の一部の医療施設や精神病院で過剰かつ乱暴な拘束や薬物投与などを強行している人々や、
精神病院などで拘束の上で心身に暴力を振るい逮捕された人々には、
ピネルの姿勢を学び直してほしいものである。

ピネルは近代精神医学を創始し、その暗黒時代に終止符を打った。

19世紀の精神医学の発展は、精神疾患の分類を、人道的な理由からも知的な理由からも、刺激に富んだ試みにした。

なぜなら、明らかな臨床目的で使う以外にも、精神疾患を明確に記述、区分すれば、その原因についてのもっと優れた理論に繋がるという認識があったからだ。

確かに、分類したのは臨床医だが、彼ら/彼女らは同時に、観察科学者であり、リンネが動植物で行ったことを、精神科の診断で行おうとしていたのである。

ピネル(やその周囲)が人間としても科学者としても素晴らしかったので、ピネルの登場を待って、やっと精神医学にルネサンスと啓蒙が訪れたと言うのも、言い過ぎではないように、私は、思う。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
作者不詳なのですが、冒頭に挙げた、
「幸福がもたらされるには太陽が必要だと考える人は、雨の中で踊ってみたことがない人である」ということばが、うまく説明出来ませんが、私は、好きです。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。





ナポレオンを拒んだピネルの勇気-ピネルが目指した、鎖からの解放の意味 -

2023-10-26 06:02:55 | 日記
パリのサルペリエール病院で、いまも使われている精神科病棟の構内には古い建物があり、その壁には、鎖の留めてあった跡が残っている。

フィリップ・ピネルは、これらの鎖から、精神障がい者を解放したことであまりに有名だ。

ピネルが活動するころ、精神障がい者の生活環境は悲惨になる一方だった。

産業革命、人口の増加、都市化により、
家族と村と聖職者が、大部分の責任を担っていた古い社会管理体制は崩壊した。

それに伴い、新たな重圧にさらされた労働者階級の家々は以前ほど寛容ではなくなり、精神的に障がいのある家族を支えられなくなった。

そしてはるかに遠くにあることが多かった施設へと送り出す決断をすることが増えていった。

精神障がい者は、孤児、犯罪者、不治の病とされていた病にかかっていた人々と一緒にされ、そして監禁された。

施設は営利目的で運営されている場合が多かったし、治療や科学をつとめとはしていなかった。

施設の収容者は悪人だと見なされ、その症状は堕落によるものと決めつけられて、医学の対象になることは少なかった。

精神医学の専門職はなかったし、診断や分類に繋がる臨床研究もなかった。

ピネルは放置された人々を救うべく、西洋世界で精神医学の専門職を創始した。

ピネルは、患者の抱える問題を考察、研究する際には、患者を然るべき尊厳を備えた人間として扱うように教えた。

その延長線上にピネルが精神障がい者を鎖から解放したことで有名になった事実がある。

さらに、ピネルは、悪魔つきであるから、と、怖れられ、中傷され、無視され、さらには火あぶりにされるべきだとした中世の迷信という鎖からも、精神障がい者を解放した。

ピネルのおかげで、
精神病は内科の病気と同じく完全に自然の原因から生じるのだと、(ほぼ)誰もが納得した。

非人道的な施設に代わり、快適、安全な環境で、敬意を持って治療するという「精神科病院」のケアの新たなモデルをピネルは打ち立て、
やがて同じ理念の下、ヨーロッパやアメリカの各地にも「精神科病院」が次々と生まれた。

現代の特に日本の「精神科病院」は、どうであろうか......。

ピネルは患者を人間として敬い、まさしく人間として治療した。

ピネルは侍医としてナポレオンに随行するか、患者のもとに留まるかの選択を迫られたとき、権力者ナポレオンを拒んだ。

(そのピネルとピネルの元患者かつ第1助手の闘いの歴史は次回に描くことにしている。)

ピネルが現代の医療を見たら、どのように、思うのだろう、と私は時折、考える。
人間の扱いは、また、退化した、と、嘆くのではないだろうか。

ここまで、読んでくださり、ありがとうございます。
おかげさまでだいぶ回復しましたが本調子ではないため、ちゃんと描くために文章の半分は次回にしました。
今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。