おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

梶井基次郎の『檸檬』と「檸檬」と檸檬、そして社会から「Lemon」と評されるひと-修士論文から立ち直る理由②-

2024-01-13 07:37:50 | 日記
梶井基次郎の『檸檬』の主人公は、現代社会においては、
「健康」にも「裕福」にも、そして「正常」にも分類されないであろう。
貧乏学生で、借金持ち、友人の自宅を泊まり歩いている。

さらに、神経症で肺病とされており、かつアルコール中毒的な描写も在る。

しかし、主人公は、その状況を改善しようと躍起になっておらず、少しも気にしていないようにみえる。
たとえ「憂鬱」で「苦しい」と外部に規定されるような日々を送っているとしても、
彼自身は自分の生を「悪い」もの、または「否定的な」ものと思っていないから、絶望していないのであろう。

私には、むしろ彼が非常に堂々と日々を送っているように見える。

現代では(当時でも)
「多くの問題を抱えて未来もない駄目な男」
のレッテルを貼られるであろう彼は、どのように自己を肯定しているのだろうか。

私の解釈では、その理由として彼は、
外的(≒社会的)な評価よりも、自己の裡に強固な内面世界を持っているからではないであろか。

さらに、着目したいのは、彼が、彼自身の「美しいもの≒芸術」と一貫して関わることで、外的評価にとらわれない自己を完成させている。

彼の意識が、その美しさに耽溺することで、彼は、外的な社会的規範から離脱し、「純粋経験」をしているようにすらみえる。

『檸檬』が発表されたのは、1924年である。
人もモノも情報も容易に海を越えることが出来なかった時代だ。

「彼」にとっては、丸善の棚に並ぶ、舶来品の数々は、便利、高品質といった日常的な意味を超えて、非日常的で非現実的な、もしかしたら、「神聖な」輝きを放っていたかもしれない。

しかし彼は、それらを無批判に受け入れ、賛美するのではなく、「自己が満足する美」を模索し、手に入れる。

模索の過程で、幼少期の想い出、お祭りの夜の出店のような「身近に在って安っぽくて愛おしい、色、光、興奮」に「自分が満足する美」を感じる。

彼が最後に手に入れた「自己が満足する美」は舶来品に比べては「劣る」と外的な評価を受けかねない。
ある日散歩の途中、主人公は檸檬を買う。
食べるためではなく、檸檬自体の色や形や重さを味わうため、「美しさを感じるため」に手に取ったのだ。
確かに、主人公は、外的(社会的概念的)な世界内での時間を暗く重い気持ちで過ごしている描写もある。
しかし、内的な自己の時間では、主人公は対象との美に出会い、対象を内的な描写もある。
しかし、内的な自己の時間では、主人公は対象としての美に出会い、対象を内的な世界で昇華し美しい時間を生きている。

そのとき、自分が生きている外的(社会概念的な)世界は相対化され、遠く退いていくような不思議な意識状態を経験する。

彼は、この美的体験に、単なるおもしろさ楽しさではなく、それ以上の価値を見出している。

この体験によって、彼は、生と世界を肯定するのである。
(→次回に→→続く→→→)


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4 コメント

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Unknown (ikenaijoni)
2024-01-13 10:45:30
おはようございます😃

レモン🍋檸檬>なんでこんな難しい字にするんでしょうかね?(^O^)
「木編に丁寧な蒙驁将軍」これで暗記しました!
『薔薇』なんて、いまだに覚えてるつもりでも、暫くすると自信がなくなります!(#^.^#)
Unknown (ピエリナ)
2024-01-13 20:44:19
こんばんは🤗

高校時代でしたかに、檸檬という漢字に惹かれて読みましたが、すっかり内容を忘れていました。

懐かしく思い出させて頂きました。
Unknown (yoko-2-1)
2024-01-17 15:04:50
@ikenaijoni さん
コメントありがとうございます( ^_^)
お返事遅れてしまいました。
数日間体調を崩していました。
寒い日が続きますが、ikenaijoniさんも体調にはお気をつけてくださいね( ^_^)
Unknown (yoko-2-1)
2024-01-17 15:07:55
ピエリナさん
こんにちは。
コメントありがとうございます( ^_^)
お返事遅れてしまいました。
数日間体調を崩していました。
寒い日が続きますが、ピエリナさんも体調にはお気をつけてくださいね( ^_^)