おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

歴史のなかの精神科医(前編)-シャーマンから神官へ-

2024-05-14 06:43:50 | 日記
私たちの祖先が狩猟採集民族だった頃、精神科医の役割を担っていたのはシャーマンだったが、私たちの祖先が農耕民族となると、シャーマンは時代遅れとなり、神官がシャーマンに取って代わった。

過去1万年わたって動植物を飼育、栽培した結果、人間は自然界に対する支配を強め、自らの地位をより高く感じるようになったようである。

原始のアニミズムは完全に姿を消したわけではなかったが、私たちとまったく同じように話したり行動したりする神々が誕生したために、ある程度は取って代わられたのである。

シャーマンと神官の職務は大きく異なるところもあれば、似通っているところもあった。

ジャーマンは霊界との仲介役だったが、神官は人と神々の仲介役となり、シャーマンの神秘的な霊力は維持しながらも、それを神の権威によって強化した。

霊はあまねく存在するとされていたため、シャーマンは身軽で、遊牧している部族がどこに移ろうとも、人々を治療した。

ただ、わりあい裕福だったとはいえ、シャーマンの全財産は背負って運べるほどであった。

これに対して、神官は腰が重く、神々に聖別された聖地に建つきょだいな神殿で仕事をした。

聖地はたいてい、清めの清水が湧き出る泉の近くに在った。

豊かな農耕社会が誇る有り余る富に相応しく、神殿の多くはスパや図書館、ジムや劇場を備えた豪華な施設であった。

しかし、根本では、神官の職務はシャーマンと同じであった。

神官の仕事もまた、神々の機嫌をとり、世界のバランスを保ち、恐ろしい天罰を防ぎ、食べ物をもたらすといったことである。

神官は、病人の世話もしていたのだが、現在ならば、精神疾患のレッテルが貼られる問題を抱えた者が多かった。

神官が精神科医として過ごす時間はおのずと長かったのである。

ギリシャ神話は、狂気に満ちている面が在り、いつの時代も人々が精神疾患に悩まされてきたことの証拠にもなっている。

良いことであれ、悪いことであれ、人間業とは思えないことを人間がすると、決まって神の手が働いたことにされた。

例えば、古い時代、異常な行動はマニアという名前を持つ女神のせいにされていたし、のちにオリンピアの神々(たいていは女神)が加わるが、奇矯な振る舞いには「女神の使嗾」という診断が下されていた。

なぜ、狂気を呼び起こすのは女神なのだろうか。

狩猟と採集が農耕と牧畜に変わったとき、女性の権利は貶められたといえる。

新たな権力と土地の所有関係は家父長と男性神を大きく利した。

復讐心に燃える女神は、男性の
強奪によって抑圧された恐るべき力を象徴しているのかもしれない。

狂気は罰であると同時に、免責手段でもあった。

つまり、当時、神官の診断は逸脱行動を説明するとともに、それを許容するものでもあったのである。

ヘラクレスが凶悪、危険になったのなら、それはヘラがその傲慢と不遜を罰しているに違いないし、大アイアスが家畜を見境なく殺戮したのならば、それはアテナがその妬みと怒りの向かう先を誤らせたに違いない、というようにである。

特別な才能も狂気と結びつけられた。

霊感には代償が伴う。

カサンドラやデルフォイの巫女たちは、未来を見通せるにしても、現在という時制では精神を病んでいるとされた。

ミューズ(詩神)たちも、しばしばその詩に狂気を持ち込み、ディオニュソスの教団はさらに薬物乱用を加えていたようである。

正常とされた人も、仮病で正気を失ったフリをした。

オデュッセウスはトロイア戦争に従軍したくなくて、正気を失ったフリをしたが失敗し、ダビデ王は同じことをして命をながらえたのである。

神々は、嫉妬深く、気まぐれで、えこひいきをし、ルールは不明確で不公正だったため、人々は、神官に教えを請う必要があった。

そこで、神官は、信仰や祈祷や壮大な神殿が与える権威をフル活用することにしたようである。

ちょうどホメロスがトロイア戦争の叙事詩をまとめていた紀元前8世紀に、最初の医療の神殿が、医の神アスクレピオスを崇拝する教団のために建てられた。

アスクレピオスとは、今も医学のシンボルとなっている。(→ヘビの巻き付いた独特な杖の持ち主と言えばわかるかもしれない)

この医療の教団は繁栄した。
間もなくして、古代ギリシャの至るところで、アスクレピオスを祭る神殿が300も奉献されることとなった。

この教団は約1000年にわたって広く人気を博し、驚くほど活躍した。

ローマ人も取り入れて、帝国の勢力圏内に神殿を移したのである。

ギリシャのコス島にあるアスクレピエイオンなどは、神殿、病院、ホテル、ヘルススパ、保養地、娯楽センター、医学校を兼ね備えた多目的施設であったのである。

そのようななかで、神官たちは、精神病の新たな理論と、新たな診断システムと、新たな治療を開発した。

その理論では、精神病は怒りや嫉妬に駆られた神々が与える罰とされており、診断の手順は「孵化(インキュベーション)」と呼ばれていた。

それが終わった患者は、神殿の至聖所にある祭壇の近くで眠ることを許される。

その目的は啓示に満ちた夢や幻を見ることにあった。

神殿では精神分析のイメージを先取りした治療を施した。

神官はローブを纏ってアスクレピオスの杖を持ち、熟練した夢の解釈で助ける役目にあたった。

つまり、患者が夢の意味を見いだせるように助けたのである。

神官は精神療法、良識ある助言、薬草にも通じており、手術も必要に応じて行われた。

加えて、神殿ではジムとスパのサービス、食事療法の助言、知的刺激のための図書館に娯楽に興じる機会のために劇場まで在ったのだ。

高い治癒率も不思議ではない。

ただ、患者は十分な感謝の捧げ物をすることが求められた。

奇跡的な治癒を証明する石版が多数作られ、誇らしげに飾られた。

宣伝は神殿のビジネスに役立ち、癒やしの力があるという名声を高めた。

実は、今日でも、治療の神殿は、3つの異なる形で生き残っている。

それは、信仰による治癒を求めて現代の人々が巡礼する神聖な土地と、運動や食事療法や美容によって健康を増進する世俗のスパと、そして、近代的な医療センターなのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

またまた、長くなってしまいすみません^_^;

気が向いて、時間があるときに読んでいただけると、幸いにおもいます( ^_^)

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。


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