おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

「愛国心」は取り扱いに慎重さが要求されるもののひとつである-私たちが直面していることについて考えるⅢ⑮-

2024-05-09 07:00:51 | 日記
ナチスの時代を経験したあと、アルベルト・アインシュタインは
「ナショナリズムは子どもの病気である......それは人類のはしかである」
と述べた。

強い国家主義思想を持つことは、今の時代、ますます時代遅れで望まない結果を生むように思う。

自国を愛することが他国への憎しみや恐れに繋がる場合は特にそうである。

しかし、よく考えてみると、世界の大部分において、国民国家はまだ比較的新しく、今でも極めて脆い統治状態にあるのである。

かつて、忠誠の対象は、たいていの場合、今よりずっと範囲が限られていた。

たとえば、狩猟採集民は、自分が属する小さな放浪集団に忠誠心を感じていた。

規模の大きい政治機構が出来るようになったのは、富の蓄えによって、土地と権力の蓄えも可能になった農業革命後のことであった。

そう、ほとんどの時代、ほとんどの場所で、個人の忠誠の対象は、近親者、村、部族、宗教団体であった。

つまり、その対象は、つい最近まで、国家ではなかったのである。

現在の国民国家は、つい昨日生まれたような国家や非常に若い国家を含めて、その歴史はさまざまである。最も新しい国家は、わずか40年ほど前に、ソ連とユーゴスラビア崩壊後の混乱が収まったのちに生まれた国々である。

アフリカ大陸の大部分の国々が生まれたのは6~70年前、「インド」とパキスタンは、ほんの80年ほど前、アイルランドの歴史はやっと100年を越え、「ドイツ」と「イタリア」は建国から150年ほどである。

イギリス、フランス、スペインは、かろうじて500年の歴史がある。

最も古い歴史があるかに見える中国ですら、その歴史のなかで幾多の国々による統治と、それらによる分断と敵対により、長くひとつの国家であったことはなかった。

現在、新たな「国家」の多くは、植民地独立後に植民地の行政官が自分の都合で、人工的な国境線を引き、ぎこちない形に作られたものであるが、その妥当性は、曖昧であり、国家の安定性は未知数であることも多い。

「国家」の境目は日常的に多くの異なる部族や宗教団体が、一緒にいたくもないのにひとまとめにされる一方、まとまるべき人々が人工的な環境で分断されていたのである。

「イラク」「シリア」「ソマリア」「アフガニスタン」「スリランカ」という概念は、その土地に暮らす人々ではなく、実情に疎い政治家たちにとってのみ大きな意味を持っているのである。

私たちの多くは、国を愛するということを、自然で高尚な感情だと、当然のことのように考えている。

しかし、実際、このような感情は、人類の歴史のなかでは、比較的最近発達したものである。

そして、それは、特に自然でもないし、多くは特に高尚でもない。

「愛国心」ということばが生まれたのは、ほんの3世紀前で、宗教的制度を世俗化する啓蒙運動の一環として取り入れられた。

国家に対するロマンチックな愛着は、教会に対する忠誠に取って代わり、よりよいものになるとされた。

しかし、すかさず反発が起きたのである。

それは、1775年、イギリスの批評家サミュエル・ジョンソンの
「愛国心はならず者たちの最後の隠れ家だ」
という過激な言い方にありありと表現されている。

愛国心は、宗教と同様に、価値ある活用法があるだけではなく、危険な形で誤用されることもあるのである。

ところで、今、何かと選挙前でいつも以上に注目を集めているアメリカという国に対する強い愛国心の歴史は、国そのものの歴史の半分ほどの長さしかないようである。

その愛国心は、国を滅ぼしかけるほど苛酷だった南北戦争の結果生まれたものである。

歴史、人口構成、経済システム、商取引の相手、法律、慣習が大きく異なる13のイギリス植民地の合体によりアメリカは造られた。

それぞれの植民地は言語を除けばあまり共通点がなかったものの、共通の敵と戦うなかで同じ目標を見出した。

イギリス国王や議会による専制的状況から自由になるためには長く厳しい戦いを続けてきたあとで、新たな各州政府が、強い中央集権的政府の樹立を怖れたのは当然のことであった。

そのため、アメリカ独立戦争後、初めての契約となった連合規約は、かつての各植民地の自治を最大限に維持し、それぞれの繋がりを出来る限り緩くするように慎重に起草されたのである。

こうして出来上がったアメリカ合衆国は、当初は、名目だけで合衆した統治不能と言える国だった。

もっと完璧な合衆国を求める『ザ・フェデラリスト』に触発されて合衆国憲法制定会議が立ち上がり、国づくりに向けた動きがさらに進んだ。

しかし、合衆国は完璧とはほど遠いものだった。

なぜなら、市民の大多数は、合衆国という抽象的な概念よりも、州政府や地方政府に最大の忠誠心を抱いていた。

州の権利と連邦政府による支配とのあいだに明確な線引きがなかったことが、南北戦争を避けられないものにした。

そして戦争がもたらした厳しい試練のなかでようやく、本当の意味で国がまとまったのである。

戦争が起きる前、「合衆国」ということばは、「these United States」と表現することが多く、ほぼ常にthese United States areと複数扱いであった。

しかし、戦争後、こうした表記は少しずつ単数形the United States isに変わっていった。

表記上の小さな違いに見えるかもしれないが、 意味は大きく違う。

忠誠の対象は、州から国へと少しずつ移っていった。

アメリカ人に広く波及した愛国心は、アメリカ・スペイン戦争や第1次世界大戦によって不動のものとなった。

共通の敵を持つことが、アメリカ国民をしっかりと結束させたのである。

今、一部の国民を団結させるアメリカの共通の敵は、移民だろうか、他国だろうか、ともかくアメリカ以外の何かなのだろうか。

世界規模の問題の解決策をアメリカはまだ考えてくれる国で在り続けてくれるのだろうか。

もちろん、アメリカばかりが選挙だからと、気にしてばかりはいられない。

前世紀には国際協力の壮大な試みとして、3つの組織が発足した、しかし、国際連盟は無残に失敗し、国際連合も失敗の道を辿りつつある。

この2つよりずっと前途有望だと思われたヨーロッパ連合も、急拡大などがたたり、今や首を傾げるようなありさまである。

こうした思わしくない経過を前に、私は普遍的な人間愛が簡単に実現するなどとは考えていない。

人類の歴史を見れば誰でも、それがいかに些細で争いが絶え間なく残念な出来事の連続であるか、解るはずである。

しかし、私たちは間違いなく、私たち自身が招いた、地球規模の環境問題、人口問題、それに伴う戦争や紛争など、共通の危機に直面している。

アリストテレスは
「共通の危機は、最も憎み合う敵同士さえも結束させる」
と言っている。

ピンチはチャンスかもしれない。

しかも、これまでにないことだが、インターネットによって、これまで不可能だった緊密なコミュニケーションが、私たちの世界を結びつけているのである。

私たちは、どこでも同じ音楽を聴き、同じ映画を観て、同じ洋服を身につけ、同じスマートフォンを使っているではないか。

これまでより、世界が目的と行動において足並みをそろえる気運は生まれそうであるし、それは、今なら十分に実現可能なことに、私には思えるのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

なんだか、気が付くとまた暑苦しく長く解りづらく描いてしまいました^_^;

なかなかすっきり描けなくてすみません......こんな文章でも気が向いたら読んでくださると嬉しいです(*^^*)

昨日の昼頃から今朝まで、関東では寒暖差が大きいように感じます。

体調管理に気をつけたいですね( ^_^)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。