おざわようこの後遺症と伴走する日々のつぶやき-多剤併用大量処方された向精神薬の山から再生しつつあるひとの視座から-

大学時代の難治性うつ病診断から這い上がり、減薬に取り組み、元気になろうとしつつあるひと(硝子の??30代)のつぶやきです

進化が人間の心理に与える影響を発見したダーウィンの理論の周辺を散歩してみた。

2024-05-30 06:38:51 | 日記
パウロ・コエーリョは、

「幸福とは、私たちの遺伝システムが、その唯一の役割である種の存続を果たすために、私たちに仕掛けるひとつのトリックに過ぎない」
と述べている。

そのことばの根拠となるような、ふたつのことを1838年に、ダーウィンは「大」発見したのである。

つまり、彼は、「進化の仕組みを突き止める」のとほぼ同時に、「進化が人間の心理に与える影響」を発見したのである。

これらは、素晴らしく単純明快な理論であり、また、驚くべきことに、ダーウィンより前に誰ひとりとして、これらをつなぎ合わせた者はいなかったのである。

多様性豊かな生命の姿は、「自然選択」と「性選択」の相互作用によってもたらされるものである。

つまり、人間の存在は、神の介入を受けてすでに予定されていたものでも、目的を持ったものでも、導きを受けたものでもない。

だからこそ、人間の身体と心にもともと備わっている仕組みを理解するためには厳しい自然を息抜き、生命力のある子孫を育てるための戦いに勝つためにどのような利点が身体と心に与えられているのかを理解しなければならないようである。

自然選択が進化を促す仕組みは、今や多くの人に知られている。

ひとつの種に存在する変異体の中で、最も環境に適応したものが最終的に繁殖の競争に勝ち、その子孫が、地球上での小さな居場所受け継ぐ。

彼ら/彼女らが生きられるのは、少なくともさらにうまく環境に適合した変異体に居場所を奪われるまでの間である。

不完全な形態や機能を持つ個体もまた生き残れず、残す子孫の数も少ない。

さらに、環境によく適応した遺伝子は何世代にもわたって増えることが出来る。

また、自然選択では、一様であることが好まれる。

例えば、あるひとつの種に属する鳥はすべて、ほぼ同じ長さの翼を持つ傾向にある。

それは、その鳥の飛び方に丁度合った長さだからである。

また嘴が同じ形をしているのは、その鳥特有の獲物を食べるにあたって最も効率が良いからである。

一方、性選択が、ひとつの種の中で、いかに幅広く変化に富んだ違いを生み出しているかについては、あまり知られていない。

このことを、最も美しく詩的なことばで説明した人は、ダーウィンが初めてではないだろうか。

ダーウィンは
「性選択の原則を認める者は、神経系が身体の既存の機能の多くを整えるだけではなく、さまざまな身体構造と、ある種の精神的気質の漸進的発達に間接的な影響を及ぼしてきたという、注目すべき結論に達するだろう。

勇気、好戦性、忍耐力、体力、体格、あらゆる種類の武器、発声および器楽的な音楽器官、明るい体色、装飾的な付属器はすべて、雌雄のどちらか一方が相手を選ぶことによって、愛情や嫉妬の影響を受けることによって、また、音や色、形の美しさに魅せられることによって、その相手が間接的に獲得することになったものだ。

そして、そうした心の能力は、明らかに脳の発達に依存している」
と述べている。

ダーウィンの洞察の見事な点は、動物の心が進化の産物であるのみならず、進化の最も重要な原動力のひとつであるという点にある。

自然選択では、環境に拠って、勝者と敗者が分かれる。

一方、性選択では、繁殖相手の選択に拠って、次世代に受け継がれる形質が選ばれるのである。

人間の心は、ときにバランスが不安定となる自然選択と性選択によって形成されてきた。

自然選択において、相手の見た目は関係ないと言える。
言い換えれば、その日なんとか生きるのに最も適した生き物を選択する以外の目的はないのである。

一方、性選択では、相手の美しさが問われると言える。
......もちろん美しさの本質は常に見る者次第ではあるのだが......。

通常、雌が、将来の進化の道筋を決めるのに何らかの決定権を持っているとされる。

例えば、雌の孔雀は、長い魅力的な尾を持つ雄の孔雀を好む。

自然選択の観点からすると、そうした尾はエネルギーを消耗する邪魔な存在ではあるが、それを好むのである。
(→雌の孔雀が、扱いにくくとも豪華な尾を持つ雄を好むのは、雄がそうした理屈に合わない、余分なものを持っているからにほかならないだろう......。
)

つまり、派手な尾だけを見れば、自然選択の過程で生き残るにはマイナス要因となるが、そうした尾を持つということは、繁殖、採食、寄生動物との戦い、捕食者の回避、その他子孫が生き残れるようにするために必要なことすべてに対する、素晴らしい遺伝子を持っているという証になるはずである。

また、人間の精神的特質のある部分は、環境上の問題に対処する自然選択という戦いを私たちが競えるようになるために進化した。

その他の精神的特質は、繁殖を巡る戦いの方に役立つものであり、確実に個人が生き残れるためと言うよりは、子孫繁栄を促すものである。

人間が、言語や喜劇、音楽、芸術的能力を進化させてきたのは、それらが贅沢な健全さの指標だったからであろう。

そのような遺伝子は、生き残るための良い遺伝子があることを示すため、魅力的に映るのであろう。

今も昔も、多くの人々にとって、ダーウィンの実証論的な心理学を受け入れることは、難しいであろう。

確かに、全生命の受難激励でステージ中央の座を失い、生きることと繁殖に苦労する霊長類の一種としてつまらない役に甘んじることは面白いことではないし、自由意志があるという幻想や行為すべてを意識がコントロールしているという幻想を失うことも不愉快である。

しかし、ダーウィンは、生命の木の言いようのない複雑な進化に万物に宿る神の崇高さを見出してもいたのである。

私は、急速に変化し、さまざまな問題を抱える現代の世界の中で、人間が持っている動物の心を理解することは、人類の生存に今、まさに必要とされるものへと向かうための潜在的な力になる、と、考えている。

進化の驚くべき点は、変化に対する愛情と多様性に対する寛容さである。

驚くべきことだが、何兆回も進化のサイコロを転がした結果、アインシュタインが生まれるとともに、ヒトラーも生まれたことは事実である。(→また「ヒトラー論証」のようになってしまった......)

あるひとつの種の生存期間やその種が避けられない消滅を迎えるタイミングと原因は、予め厳密に決められたものではなく、むしろ極めて多くの変異の間に生じる複数で偶発的な相互作用によって生まれてくるのであろう。

さて、これから人類はどうなるのだろうか、そして、どうするのだろうか。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

明日からまた数日間、不定期更新になります( ^_^)

またよろしくお願い致します(*^^*)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

自分の人生をデザインすることを教えてくれるアリンスキーのコミュニティ組織化の手法

2024-05-29 06:31:01 | 日記
ソウル・アリンスキーは、自らの著書『過激派のルール』について

「マキャベリの『君主論』は、いかに権力を保つかについて、「持てる者」に向けて書かれている。
『過激派のルール』は、いかに「持てる者」の権力を奪うかについて、「持たざる者」に向けて書かれている」

と述べた。

この、後世の遺産となる『過激派のルール』と題された書籍は、1971年、ソウル・アリンスキーが亡くなる直前に出版された。

これはコミュニティを組織する者に向けた10章から成る手引き書であり、彼の30年にわたるコミュニティの組織作りの手法を凝縮したものである。

彼の手法とは、ボトムアップで少しずつ世界を変える方法である。

アリンスキーの非凡さは、
「人々に自分の運命は自分で決める」よう後押ししたこと、にある。
そのために必要な前提条件について、彼は明確で説得力のあるアドバイスをした。

「戦術がいくら独創的であっても、また戦略がどれほど抜け目のないものであっても、人々の信頼と尊敬を勝ち取らなければ、戦いを始める前に負けが決まってしまう。
それらを勝ち取る唯一の方法は、あなた自身が、人々を信頼し、尊敬することである」

コミュニティに力を与えるアリンスキーの取り組みは、暴力は用いなかったものの、極めて対決的な姿勢を採っていて、多くの点においてもうひとりの草の根運動の指導者であるマーティン・ルーサー・キングの取り組みとは正反対だった。

(→例えば、アリンスキーは、集団意識によってコミュニティを団結させ、メンバー間の類似点と敵との大きな違いを協調したのに対して、キングは、敵との共通点を見つけようとした。)

それゆえか、アリンスキーの『過激派のルール』は、マキャベリの説に似た雰囲気もあるが、そのアドバイスは、君主ではなく、一般市民のためになるように書かれたものであった。

彼の忠告をまとめると、以下の10個になるだろう。

1.あなたは、実際に持っている力だけでなく、敵が想定するだけの力を持っている。

2.人々は金の力と戦える。

3.あなたは得意分野で敵と戦え、敵の得意分野で敵を戦わせるな。

4.嘲りによって敵を小さくすることが出来る

5.楽しんで実行できる戦術なら皆が従い、うまくいく可能性が高い。

6.敵に圧力をかけ続けろ。

7.敵は防御の方法を変え、戦略を変えて来るので、敵より一歩先を行け。

8.敵の暴力によってあなたには友人ができる

9.ターゲットを選び、孤立させて戦いを挑め。

10.人は組織よりも速く倒れる。

アリンスキーは、力のない者が、力を持つものからの略奪から身を守れるようにするという正義に人生を捧げた。

力を持つ者が力のない者に対する支配をさらに強めるために彼の手法を組織的に採用してきたのは、実に悲しい皮肉である。

確かに、味方にとって頼りになる武器は、敵が手に取っても、有効になるのだが......。

アリンスキーは、人の力で金の力と戦いたいと願っていた。

彼の手法が、彼の心を挫くような歪んだかたちで、ある意味キングよりもアメリカの現在の政界に広範囲かつ大きな影響を及ぼすことになってしまった。

アリンスキーによるコミュニティ組織化の素晴らしい手法は、弱者が強者から公平な扱いを受けられるように考えられたものだったが、実際は強者によって弱者の位置を現状のまま留めておくために取り入れられたのである。

しかし、アリンスキーが亡くなったあとも彼のコミュニティ組織化の手法をアリンスキーが願った形で活かそうとする人々がいることも事実である。

アリンスキーの信条に基づいたコミュニティの精神保健プログラムにおける活動にアリンスキーが亡くなった年(1972年)から参加した医師のひとりは、彼の手法が正しい理由で正しい人々に用いられたとき、いかに効果的であるか、身をもって体験したという。

少なくとも私は、その医師の考え方や姿勢からアリンスキーの考え方の素晴らしさを学んだように思う。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

蒸し暑い日々が続きますね^_^;

体調管理に気をつけたいですね( ^_^)

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

心理学理論(精神分析学、行動主義、社会心理学)を広告という金貨に変えたエドワード・バーネイズとジョン・ワトソン

2024-05-28 06:56:09 | 日記
「原爆の父」として知られているJ・ロバート・オッペンハイマーは、原爆を作ったあとに後悔の念を
「物理学者たちは罪を知ってしまった。このことは消し去ることの出来ない知識である」
と表現した。

「PR(パブリック・リレーションズ、広報活動)の父」として知られているエドワード・バーネイズは、ヒトラーの代弁者であったヨーゼフ・ゲッベルスが自らの著書を根拠としながら、ナチスのプロパガンダを行っていたことを知ったとき
「ゲッベルスは、私の著書『世論の結晶化』(Crystallizing Public Opinion)を根拠として活用し、ドイツにいるユダヤ人に対して破壊的な運動を行った。それを知って私は衝撃を受けた」
と嘆いた。

物理学が罪を知ったとするならば、心理学もまた罪を知ってしまったのかもしれないと、私は最近よく思う。

心理学もまた、民主主義をひどく残酷に貶める政治プロパガンダのための有用な武器を作ることに、手を貸しているからである。

そもそも、広告とは、人々を騙して、もともとは欲しくもなく、必要のないものを買わせる技法である。

政治広告は、国民に考えを売り込み、国民のことをいちばんに思っていない政治家を支持するように仕向ける技法である。

また、広告は心理学の応用である。

扁桃体が司る無意識の感情を操作するために、大脳皮質による意識的で理性のある思考プロセスを回避することによって広告は機能する。

19世紀後半、心理学理論(精神分析学、行動主義、社会心理学)の急増が、そうした理論の消費財売り込みへの活用に繋がった。

さらに、この数十年、心理学は政治のでたらめを売り込むことに誤用されてきたのである。

エドワード・バーネイズは、先に述べたように「PR(広報活動)」の父として知られている。

彼が「PR」という言葉を作ったのは、それまで使われていた言葉であり(実体もそうであったのだが......)「プロパガンダ」よりも、ずっと洗練された響きがあったからである。

ジークムント・フロイトの甥であるバーネイズは、精神分析学、行動主義、集団心理学に由来するテクニックを組み合わせ、企業の経営状態を改善して大成功を収めた。

彼の基本的な着眼点は
「集団心理のメカニズムと動機を理解すれば、大衆に気づかれずに、私たちの意志に従って大衆を管理し、統制することが出来るのではないか」というものである。

これが独自の専門技術に繋がった。

つまり「同意の操縦」によって、消費者の行動に働きかけるのである。

バーネイズは、ファッション、食品、石けん、タバコ、書籍など数多くの消費財の大衆消費者向けのマーケティングのパイオニアであった。
(→例えば、彼の巧みな演出のもと、公共の場で女性がタバコを吸う姿は、不品行ではなくかえってファッショナブルに道徳的な正しく、適度にセクシーにすら見えた。それは、タバコのパッケージを毎年の流行色に合わせて作るように提案したことと、1929年のニューヨークのイースターパレードでラッキーストライクを持った美しいモデルを披露するように演出することだけで実現した)

また、バーネイズバーネイズは、有名人やオピニオンリーダーによる製品の推奨というコンセプトを考案した。

バーネイズは、
「意識的な協力の有無にかかわらず、リーダーたちに影響を与えることが出来れば、彼ら/彼女らが感化する集団にもおのずと影響を及ぼすことが出来る」
と述べている。

バーネイズと、ほぼ、同じ頃、ジョン・ワトソンも心理学理論を広告という金貨に変え、思わぬ大成功を収めた。

彼の立身出世の物語は、アメリカだからこそ実現した。

貧しいながらも、大きな希望を持った少年は、優れた教育を受け、アメリカで最も有名な心理学者にまで上り詰めたが、その後突然、すべてを投げ打ち、新たに急成長を遂げる広告業界に入り会長として富を築いたのである。

ワトソンは、パブロフの研究である犬の条件づけを人間に拡大して解釈し、自覚した意識を人間に拡大して解釈し、自覚した意識を回避して潜在的意識に働きかける手法によって、人間の行動に大きな影響を及ぼすことができることに気づいた。

彼は、この手法を「行動主義」と呼んだ。

それは、行動主義が意識の複雑さや人間の心に「関心を向けない」、または、「評価しない」からである。

そして人間も犬も同じように操ることが、可能だというのである。

ワトソンは、行動をコントロールする自分の手法を用いて、人々に商品の購入を促した。

(→例えば、コーヒーブレイクというものを考案して、マックスウェル・ハウスのコーヒーを売り込んだ。)

ワトソンは行動心理学と現代広告の両方の父として、驚くべきふたつの顔を持っていた。

そして、彼は、大量消費主義に科学的な方法を取り入れることにも、見事に、成功したのである。

消費者向けの広告用に開発された手法は、政治プロパガンダという、もっと汚れた世界でも、きわめて大きな成果を発揮した。

冒頭に述べた、ゲッベルスのように心を操る武器は政治闘争に利用されていったのである。

ゲッベルスは述べている。
「四角いものが実は丸であると証明するのは、不可能なことではない。
関係する人々の心理を理解し、そうであることを十分に繰り返し言い聞かせればよいのだ。
それは単なる言葉であり、言葉は偽りの概念をまとうように形作ることができる」
と。
そして、
「多くの一般市民にとって、議論は単純明快で説得力があり、知性ではなく、感情や本能に訴えかけるものでなければならない。
真実は重要ではなく、駆け引きと心理作戦に完全に従属している」
と。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございました。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

*いつものことながら、見出し画像は今、手元にある関心のある本で、内容と「直接」の関わりはありません( ^_^)

グテーレスが妻から学んだように、政治家が精神療法家に学べること

2024-05-26 05:59:03 | 日記
精神療法において、精神療法家と患者との協調に必要なことは、政治家と私たちとの効果的な協調に必用なことでもあるようである。

以下は、精神療法での基本的ルールであるのだが、ルールの中の、「精神療法家」を「政治家」に、
「患者」を「有権者」(または、選挙に応じて「区民」、「国民」など)に置き換えてみてほしい。

・精神療法家は誠実であること、また患者にも誠実であるように促すこと。
・患者との強い絆を築かなければ、患者を助けることは出来ない。
・患者の言葉づかいで話をする。
・患者の話をよく聞き、患者が精神療法家から学ぶのと同じくらい多くのことを患者から学ぶようにする。
・精神療法家の努力すべてが患者本人に向けて行われていることを、患者にわかってもらう。
・共感と信頼が治療にもっとも必要な要素である。
・痛みや恐怖、怒り、落胆を自由に表現するように患者を励ます。
・患者のニーズと、患者がそれをどのように満たして欲しいと感じているかを確認する。
・現実的な目標と期待について話し合う。
・性急な判断をしない。
・徐々に希望を持たせる。
・事実や数字を示すよりも、比喩やイメージ、例え話を用いる方が効果的である。
・精神療法家が自分の感情を意識し、それを効果的に活用する。
・治療中の何もかもが同じ重みを持つわけではない。
(精神療法で語られた内容の10%に満たないことが、患者の変化の90%以上に貢献することもある。
患者が潜在的に持つ変化への転換点に常に注意し、変化を起こすために出来ることは、何でもする)

どうだろうか。
驚くほど、
「精神療法家」を「政治家」に、
「患者」を「有権者」に置き換えてもしっくりくるのではないだろうか。(→私は、はじめて当てはめたときは、あまりにしっくりきすぎて驚いたのだが......。)

その理由は、精神療法は、単に働きかける行為なのではなく、それを行う人そのものであり、政治もまた、同様だからだ、と私は、思う。

また、精神療法家と政治家には多くの共通点が在り、影響を及ぼす範囲は違っていても、目標や手法はきわめてよく似ている。

両者とも、明言されることも、隠されることもある動機を理解し、それらに訴えかけることによって、相手の態度や行動を変えようとする。

精神療法家が、1度にひとりの患者に働きかけるのに対して、政治家は、何百万という人々に影響を与えるが、両者が持つスキルはよく似ている。

精神療法家が、最初に行うべき最も重要なことは、患者の立場に身を置いて考えることである。

つまり、
「自分がこの人の状況にいたら、私もこの人のように行動し、考え、感じるかもしれない」
という前提に立つことから始めるのである。

それは、政治家も同じではないだろうか。

私たちは、細かい部分に違いがあるとはいえ、大まかなところでは基本的に皆同じ人間なのだから、似たようなニーズや不安、欲求不満を抱え、似たような形で人生の危機に対処している。

今後の生活を滅茶苦茶にされたり、政治家に無視され、誤解され、嘘をつかれたりしたとき、政府がニーズや不安に何も対応してくれないとき、自分ならどう感じるかを、想像することは、難しいことではないはずである。

政治家こそ、精神療法家の手法を学び、有権者との日々の取り組みに生かすことによって、よりよい政治家になれるのかもしれない。

国連事務総長のアントニオ・グテーレスは、精神分析学者の妻から、心理学の知識が持つ政治的な価値を学んだようである。

グテーレスは、
「妻は、私の政治的活動のすべてにおいてきわめて有益なことを教えてくれた。
2人の人間が一緒にいるとき、そこにいるのは、2人ではなく、6人である。
人間に当てはまることは、国や組織にも当てはまる。
それぞれのシナリオにおいて、鍵となるさまざまな関係者と関わる際、事務総長が果たす役割のひとつは、こうした6人を2人にすることである。
すなわち、誤解と間違った認識が消えるようにすることだ。
認識は政治において核心を成している。
政治においては、6人を2人にするということにとどまらない。
難題に対処するために一丸となって取り組むことが出来るように、何百という人々を取りまとめる仕事が多いのである」

未来において決定的に重要な政治家の仕事は、人々が国の問題を解決するためにひとつになって活動出来るように、各国内で人々を協調させることであり、また、世界中の国々が世界の問題を解決するために、ひとつになって活動出来るように国々を協調させることだ、と、私は、思うのである。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

最近の日本国内の政治関連のニュースを見ていて、今日の日記を描くにいたりました^_^;

なんだかなあ......😓

関東は明日から天気が崩れる予定なので洗濯物は今日、なのですが、今日は、日曜なので、母とスーパーの安売りにも参戦したく、なんだか朝から、そこそこに気合いが入ります( ^_^)

今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。

バーンスタインのふたつの精神

2024-05-25 06:09:19 | 日記
旧約聖書は、過酷な運命を課せられたユダヤ民族が、その悲惨極まる運命こそが、神の恩寵の証であると読み換えた、人類思想史上の一大冒険の記録とも言える。

特に、神への讃歌がまとめられた「詩篇」は、この世で苦しみを味わえば味わうほどますます神への感謝と敬愛が強まるという、後のキリスト教の原形とも言える、重大な思想転換が示されている。

レナード・バーンスタイン(1918~1990年)はアメリカ生まれ、アメリカ育ちのスター的な指揮者であり、作曲家でもあった。

作曲家バーンスタインの名声が世界に広くとどろいたのは、彼が、1957年に、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』の物語を当時のアメリカ社会に移植したミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』によってである。

モンタギュー家とキャピュレット家の争いは、白人青年とプエルトリコ移民の娘の道ならぬ恋に読みかえられ、このミュージカルは、移民国家が宿命的に抱えざるを得ない社会的問題を鋭く描き出した......のであるが、アメリカは分断されるどころか、その音楽があまりにも素晴らしかったためひとつになって熱狂したほどである。

どれほど、全米が熱狂していたかというと、当時、アメリカに留学していた小澤征爾氏が自伝に、
「タクシーに乗ると、いつも『ウエスト・サイド』の『トゥナイト』が流れていて、アメリカ中が本当に熱狂していた」
と、記しているほどであった。

『ウエスト・サイド・ストーリー』の成功は、伝統的クラシック音楽の作曲技法と、ジャズ、ロック、マンボのリズムなど南米由来の民族音楽を化合して、誰もが聞いたことがなかった音楽空間を切り拓いたことにある。

バーンスタイン本人は、
「うん、あそこの旋律はバレないように、チャイコフスキーの『ロミオとジュリエット』をパクったんだよ」
などと磊落に笑って語っているのだが、磊落と繊細とはほとんど同じかもしれない。

人は、自らの繊細さを恥じるからこそ、それを隠すために不必要に磊落を演じるのであろう。

バーンスタインの磊落な笑いの後ろにはいつもそのような羞恥があるように思う。

アメリカ生まれ、アメリカ育ち、アメリカ的にジャズとロックとクラシックを化合させて、とにかく売れる曲を作る作曲家バーンスタイン、それもひとつの精神であろう。

しかし、バーンスタインには、もうひとつの精神があった。

「~スタイン」という名前からも解るように、ユダヤ人としてのバーンスタインの精神である。

バーンスタインは、アメリカという国家で生まれ育ったからこそ、自分の出自、自分の祖先に対して、思いを馳せずにはいられないのである。

そして、バーンスタインは、歴史も国体も在るようには感じられない「アメリカ」から離れ、ユダヤ人である自分、あるいは、ユダヤ人が、本当の意味で未だ持たざる国家の国体を見つめる。

そして、それは『詩篇』にすべて書かれているはずだ、と思い至る。

「なにゆえに、国々は騒ぎ立ち、人々はむなしく声を上げるのか。
なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して主に逆らい、主の油が注がれた方に逆らうのか」(詩篇第2章)

『ウエスト・サイド・ストーリー』や『キャンディード』といった商業的なミュージカルの作曲経験を活かし、バーンスタインはついに、積極的にイディッシュ語(≒ユダヤ語、古ヘブライ語)を用いた、ユダヤ教をモチーフとする音楽を作曲するようになる。

そして、成立したのが、旧約聖書の予言者エレミアを名に冠した交響曲第3番『エレミア』であり、イギリスのチチェスター聖堂から委嘱された、『チチェスター詩篇』である。

『詩篇』は、「人生は苦しみの連続であり、人は何故生まれて、何故苦しまねばならないのか」という問いに対して、「その苦しみこそ、神の恩寵のあらわれではないか」と思想転換を行う。

その思想転換の過程をバーンスタインは、音楽を用いて語るのである。

『詩篇』の中心人物は少年ダビデだが、バーンスタインはダビデの言葉に、繊細にして美の極みの音楽をつける。

人生は苦しみの連続かもしれないが、ふと出会う、美というもの、そのようなものに出会うと、「にもかかわらず」生きたい、と、やはり思わざるを得なくなるものである。

バーンスタインが示すのは、そのような心の動きなのかもしれない。

ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。

今日も、頑張りすぎず、頑張りたいですね。

では、また、次回。