OL主婦の小さな幸せ。

日々の出来事や小さな幸せ、お出かけ、身近なエコ、環境問題、フェアトレード、鳥のこと、アロマなどを綴っています。

2019年の滋賀京都旅行・12(長浜のレトロな街並み)

2022年01月29日 | 旅行・小旅行

また大分遅くなりましたが、2019年滋賀京都の続きです

2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)
2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)
2019年の滋賀京都旅行・9(ヴォーリズ記念館)
2019年の滋賀京都旅行・10(旧御園村役場から醒井宿へ)
2019年の滋賀京都旅行・11(そして長浜へ・土倉鉱山跡)

この日は2日目。
夕方には次の宿泊地京都へ着きたいと夫が言ったので
醒井宿→土倉鉱山のあとは、どこへも行けないと思っていました。

しかしランチはしたいので、通り道の長浜・黒壁スクエアへ行ってみようということになり
ノープランでとりあえず車を駐車場へ。
そして少し歩いただけで古い建物が次々現れました。

序盤で「なんじゃこりゃー」ってなったのが、



長浜タワービル。

夫が「スペルが違う」と突っ込んでいました笑




この時2019年。この1年後くらいに、レトロ好きには有名であることを知りました。

以降、ランチ場所を探しながら(いっぱいある)とにかく古い建物を撮影して歩きました。
























そして、、、


近江牛のお店へ入ることに。
※長浜ラーメンにも惹かれましたが、それは買って帰ることにした

私は近江牛ハンバーグ、夫は近江牛の牛丼(写真なかった)。
牛丼、少しもらいましたが美味しかったです!
ハンバーグも、もちろん美味しいのですが、牛丼の方がシンプルに近江牛を味わえました。



お店を出て、またしばらく長浜の街並みを楽しみます。
※画像は順不同














なんか文字がすごいことになってる・・



このタイルもいいー♪









高欄(2階の手すり)がかわいいーー






















すんごい大量にハタキ売ってる^^;






洗い出しの壁の、洋館風。





琵琶湖の近くにあるサービスエリアだったかな、
なんとドクターイエローの乗り物が!!

2019年のこの時はまだ本物すら見たことなかった。
(昨年秋に見ました)


後方、ピョンちゃんも気になる笑



かわいいーー
0系のドクターイエローってとこがまたいい。


琵琶湖も撮っておきました。


あと道中、車から不思議な建物も見ました。

すごいところに乗っかってる!

これも車の中から↓

「酢」という地名。


古き良き街並みも堪能し、面白いものも発見出来た長浜でした!
次はやっと京都に入ります。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2019年の滋賀京都旅行・11(そして長浜へ・土倉鉱山跡)

2022年01月11日 | 旅行・小旅行

年をまたいでしまいましたが、2019年滋賀京都の続きです

2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)
2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)
2019年の滋賀京都旅行・9(ヴォーリズ記念館)
2019年の滋賀京都旅行・10(旧御園村役場から醒井宿へ)

2017年に行った愛媛の別子銅山跡で、すっかり銅山跡とか炭鉱跡とか変電所跡とかにハマりました。
(2017年11月に4回に分けてアップ済)

※2018年には釜石鉱山跡
晩秋の東北旅行~釜石鉱山選鉱所跡1~
晩秋の東北旅行~釜石鉱山選鉱所跡2~
晩秋の東北旅行~旧釜石鉱山事務所(現展示室)~
夫は嫌がりますが・・・^^;

2019年も無理を言って、滋賀長浜の山中にある土倉鉱山跡へ。
山中と言っても舗装された普通の道路を通って普通に行けます。
別子銅山のようにすれ違えない狭い道ではないので、嫌がる夫にそこを説得しました。










~土倉鉱山~

明治40年(1907年)に鉱石の露頭が発見され、1910年(明治43年)に採掘を開始した銅鉱山。
昭和30年頃には最盛期を迎え従業員366人、人口約1,000人を数えたそうです。
多くの鉱山がそうですが、こちらも鉱山事務所、従業員の住宅、小学校の分校、日用品の販売所、共同浴場、診療所、理髪店、映画館まであったそうですよ。

しかし、昭和38年(1963年)銅鉱石の貿易が自由化され、銅価格の低迷などから55年続いた土倉鉱山は昭和40年(1965年)に閉山。

貿易の自由化で海外の安価な鉱石が入ってくるようになり、国内の鉱山が次々と閉山に追い込まれたことは聞いたことがあります。
だからか昭和40年代から50年代初頭の頃の閉山が多いのですね・・
それに資源は掘り続けたらいつかは枯渇するでしょうし。

今、残っているのは選鉱場跡のコンクリートの土台や柱?などだけですが、それでも古代遺跡のような雰囲気はありました。







※立て札があるように立入禁止、(2019年時点)見学は市道からのみです!
万が一、事故が起こればこの市道にすら、一般の立ち入りが出来なくなるかもしれません。
遺構を見ることで、誰もが鉱山の歴史を感じることが出来るよう、決まりごとは守りましょう。









市道から腕を伸ばして撮影しています。









入ってないですよ。
身体をテレ東のナナナのように折り曲げて、片腕をぷるぷるさせながらズーームで撮影しています。
それでもマナーに厳しい主人から「上半身入ってるよ」とツッコミが^^;









同じような画像になってしまいますが、遠景も載せたいしズームでの接写も載せたい。








ここも身体を折り曲げて撮影。










採掘した岩石は選鉱場の一番上に運ばれ、砕かれた後に沈殿分離槽で分離した銅鉱石を取り出して、
残りを下の階の槽へ運んで分離・取り出し作業を繰り返したそうです。





円形の遺構はシックナーかホッパーか・・・
あの橋脚みたいなのはなんだろう。
あれが遺跡感を強くしていますね~











このあたりは今にも崩れそう。



この土管みたいな造りはなんだろう。




記念碑もありました。

樹木の中にもコンクリートが見え隠れしていたので、遺構の一部だと思います。

そして今この「土倉鉱山跡」と呼ばれている場所は正確には「第3選鉱場跡」らしく、
3代目にあたる選鉱場ということです。
もっと奥に行くと坑口があり、2キロほど進むと奥土倉で、2代目の選鉱場の遺構もあるそうですが
主人の機嫌が降下しつつあったので、とてもじゃないけど行けませんでした。
まぁ私も膝が悪いし、ここで満足です。

次回は長浜の街中へ。
ここは予定になかったのでノーマークでしたが、素晴らしい歴史的建物にたくさん出会えました!
更新頑張ります。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2022年☆新年のご挨拶

2022年01月03日 | ご挨拶・お知らせ・転機

新年あけましておめでとうございます
昨年もたくさんの方にご訪問いただき、本当にありがとうございます!

2022年も皆さまが健康で、心穏やかに過ごせますように。
今年も当ブログと「ゆるゆる自然食Life」そしてインスタグラムをよろしくお願いします。


画像は、2008年から3年に1度行っている掛川花鳥園のポポちゃん。
※2020年は行けなかった
昨年、引退が決まったポポちゃんに会いに行きました。その様子はまた後日・・(大分先






コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする