OL主婦の小さな幸せ。

日々の出来事や小さな幸せ、お出かけ、身近なエコ、環境問題、フェアトレード、鳥のこと、アロマなどを綴っています。

今日で15周年☆

2021年09月19日 | ご挨拶・お知らせ・転機

2019年滋賀京都の途中ですが・・・

ご訪問ありがとうございます
ブログを始めて今日で丸15年が経ちました!
16年目突入です。

マイペース更新で、続きモノを連続して書けないことしばしばですが
一度も休止することなく続けて来れたのは、ご訪問下さる皆さまのおかげです。
いつもご訪問下さる皆様も、時々チェックして下さる方も、何かの検索で読んで下さった方も、
本当にありがとうございます。


毎回書いていますが、
blogを始めた2006年はまだ社員OLで、その後派遣OLに変わりしばらくは事務職でしたが、
2013年に自然派素材の菓子製造・販売の小さな会社に移り、
blogタイトルが合わなくなりました。
でもこのままでいこうと思います。

10周年の時もやったのですが、
ブログ上での、この15年を極々簡単に振り返ってみたいと思います。
※内容は10周年の時のを短く編集+5年分にしています。


2006年☆

まだ大手カード会社の社員でした。事務職です。
なのでブログ名は「OL主婦の~」なんです。
エコ・環境問題や生き物に関しての話題を広めたくて始めました。
でもまだ知識も浅かったし、最初からそれを前面に出すと興味のある人しか見に来ないと思い、身近な話題を主に書いていました。
しかし今見ると、画像も暗いし絵文字も多くて初々しい。


2007年☆

3月に会社を辞めました。
でも翌月から同じ会社の違う部署で派遣社員として働きます。
この頃の記事には書いてませんが、実は不妊治療のために会社を辞めました。
自転車を買い、近所の川沿いや畑・田んぼ沿い、緑地の多い住宅街などのんびり走って、本当によくもまぁ毎日走った!
地元を満喫していました。地産地消を意識していたので(今もですが)よく農家のお宅の前で売っている地場野菜を買いに行ったり。
バードウォッチングもするので、野鳥友達ともよく出掛けました。
この頃から散策記事に絡み、エコ記事や、外来植物のことなど身近な環境のこともボチボチ書いています。
この年に「OL主婦のごはん日記」という新たなブログも始めています(8ヶ月でやめた^^;)。


2008年☆

この年をザッと読み返してみると、何が本当のエコなのか環境に負荷をかけないのか、常に模索していたのがわかります。
お菓子ひとつにしても、どういうものを買えばゴミが少なくて済むか、またゴミが出るにしても環境負荷が低い素材にしたり、パン屋さんやお惣菜屋さんにタッパー持ちこみを試したり
数あるエコの中でも地産地消と3Rは常に意識していました。
合成洗剤をやめたのもこの年で、石けん・重曹・クエン酸・セスキなどのナチュラル素材で家事をしていましたね~
(今も使い分けています)
そしてハーブ&アロマの教室に通い、特にアロマテラピーにハマった年。
この年の終わりにアロマテラピー検定1級とエコ検定に合格しています。


2009年☆

いよいよ?エコ・環境問題の記事が大半を占めます
普通のお出掛けや旅行記事も、もちろんありますが、
ネットでも会社でもエコ友達が出来ました。
ほぼ月イチで環境イベントに出掛けていました。

とにかく環境問題への知識欲が半端なく、講演会や環境展、小さなカフェでのイベントにも参加してました。
中でも、パームオイル問題のトークイベントや、外来種問題の講演、ほかには枝廣淳子さんの環境講演や野口健さんの環境講演が強く影響を与えています。
しかしなんといってもアースデイ東京2009のボランティアに参加したことが一大イベント
メンバーとは終わった後も交流があり、どれも忘れられない思い出です。
環境に配慮した買い物・フードマイレージ・オーガニック・地産地消・フェアトレード・自然保護・野生動物の現状・排水を汚さない生活など、記事はあげればキリがありません。
2007~2010年くらいまでは、家事と買い物を中心に、可能な範囲で行動の指針がエコでした。
そういえば事務職派遣と並行して、土日と平日も少し自然食品店で働いていました。
自然食やカフェのブログ、ゆるゆる自然食Lifeを始めたのもこの年。
古民家カフェやナチュラルテイストのカフェめぐりも始めました~


2010年☆

家の新築(夫の実家を二世帯住宅に改築)と引っ越しで駆け抜けた1年
家を建てること自体に多大なエネルギーを要することと、予算や二世帯という事情もあり、いろいろなジレンマと戦った年でした。
「環境を考えた新築」シリーズは、エコを最優先にはできないものの、もがいていたのがわかります(笑。
でもナチュラルインテリアなど、自分のやりたいようにやらせてくれた夫には感謝しています。
9月には自然食品店を辞め事務職派遣のみに戻ります。
11月には伊東に住む実父が他界しました。
いまひとつ納得がいかない死に、いろいろな後悔が頭をめぐりましたが友人の言葉で救われました。
そういえば、右肩と右肘を壊し、痛い1年でした(今もですが)。


2011年☆

3月11日14:46、小田急線町田駅のホーム。
ようやくの思いで翌12日午前3時に帰宅するも、自分の帰宅難民なんて被害のうちに入らないと思い知ることに
とにかく絶句、言い表せない衝撃、胸がしめつけられ心が痛い毎日。仕事以外は出掛ける気にもなれない。
4月に入って義母が誘い出してくれ、やっと外に出始める。
自分にできることは「被災地や風評被害にあった地域のものを買う」ことや「大震災を忘れない」ことでした。
それは今も同じです。
この年の富山旅行でたまたま立ち寄った無人駅の、その趣きのある駅舎に惹かれ、無人駅めぐりに目覚める
ナチュラルお掃除の記事も多い。純喫茶にも惹かれ始める。


2012年☆

父の他界後、伊東の母宅へは毎月行っていました。
散策や義父のリサイクルシリーズ、エコ雑貨、引っ越して落ち着いた家の中の様子などの記事も多いです。
冬の旭山動物園、嵐のワクワク学校2012、秋田・青森旅行(秋田の横手で「内蔵」の存在を知る)、宝塚の舞台やTOKIOの武道館ライブへも。


2013年☆

元々歴史あるものや古いものが好きなこともあり、前半は皇居東御苑(江戸城跡)によく行きました。
中でも城門や石垣にハマる。

本郷の井戸ポンプを見付ける散策へもよく行きました。
めまいと頭痛にも悩まされたな~~
しかしなんといっても、この年に長らく従事していた事務職にピリオドを打ちます
派遣で入り、社員になり、また派遣に戻るという3段階でお勤めした仕事も本当にこれで最後!でした。
2010年に自然食品店は辞めてしまったけど(肩や腕を壊し、父の病気のこともあり)、やっぱり自然食材にかかわる仕事がしたいなという気持ちは、ずっとありました。
そんな時、出会いました。
食材はほぼ自然派で、合成添加物とは無縁のおやつ。
自分的には年齢がネックだったけど門を叩き、アルバイト入社を果たします。
福島・宮城の旅では、大内宿に会津鉄道駅巡りや震災の爪痕と仮設商店街をめぐる
嵐のライブへも初めて行きました。


2014年☆

2010年頃からハマりだしたカフェめぐりに加え2012年頃には喫茶店もめぐり始め、この年もよく巡った。
街角レトロ散歩など、とにかくよく出掛けた印象があります。
嵐のワクワク学校2014にも当選。
仕事は入社してから1年は、売場はもちろん本店厨房の片付けや通販の発送作業など、製造以外はなんでもやりました。
1年経ったこの年の半ばくらいから、催事・出張販売に行くようになる(自分からやりたいとアピールした)。
毎回5~7連勤でよく働いたなぁ・・
埼玉にある、減量化リサイクル化総合プラント「石坂産業」さんの工場見学をさせてもらったのもこの年。
嵐のライブはこの年も当選して行ったし、会社の女子にSMAPのライブへ連れてってもらった。
この年の後半から膝のこわばり?違和感に気付く


2015年☆

とにかく忙しく、更新頻度は低い1年。※今よりはあったな^^;
でも暇を見付けてはよく出掛けていました。鉄道博物館のハシゴもした。
お出掛け記事とウチのナチュラルインテリア・雑貨が多い気がする。それしか書く時間がなかったような・・
9月には会社で2号店(自由が丘)がオープン、その運営をなんとなく任されるようになり、催事販売と二足のわらじ。
しかし忙しい中、V6の20周年記念ライブに連れてってもらった。
この年は嵐ライブは落選だったけど、なんだかんだで毎年ジャニコンに行けていた(笑。
レトロ建築巡りもやたらと行っていたと思う。


2016年☆

休みはあるけどとにかく多忙。
途中から正式に自由が丘店の責任者になり、店舗運営はもちろん家でやる仕事が増え、気の休まることがない。
LINEで指示や伝達、シフト作成に、毎日ツイッターや時々スタッフブログ、たまに食ベログの編集・・
なんだかんだ楽しんでいる自分がいた。頑張って頑張ってやっと掴んだ自分の居場所。
しかし膝も痛いし、右肘も痛い。
しかも夫がGISTという年間に10万人に対して1人から2人くらいとされる、まれな希少がん(腫瘍)で入院
いろいろなことと戦う毎日です。
この年の12月に純喫茶・初の遠征、大阪純喫茶巡り


2017年☆

1月に箱根の老舗旅館でイヤな思いをしたのも今や思い出。
掛川花鳥園へも行った(3年ごとに行っている)
長引く膝の痛みは半月板損傷と判明する→3年近くに及ぶ膝の痛みは
ちなみに現在半月板水平断裂に悪化しています。
任されていた2号店の自由が丘店が閉店、朝からたくさんの常連さん、午後は行列になり華々しく閉店日を迎えました。
そしてこの年の記念日旅行は四国!と大阪。
生きているうちに行けないと思っていた「別子銅山」の遺構や、ホビートレイン目当ての宇和島駅その他へ連れてってもらえた。
ここから炭鉱跡や銅山跡に興味が深くなる。


2018年

1月は夫と長野・松本旅行へ。このあたりの2~3年は記念日旅行以外にもプチ旅行へ行っていた。
4月は初の名古屋純喫茶り巡り。5月にはキャンベルタウン野鳥の森(埼玉)へ。
8月にインスタグラムを始める。
記念日旅行は岩手宮城。釜石鉱山跡や宮城県の化女沼レジャーランド跡にも行けた。
12月には嵐のアニバーサリーツアー「5×20」東京ドーム!!
レトロ散策はやたらと台東区と文京区を歩いていたような。
遊廓跡や花街跡を意識しだしたのもこの頃。


2019年

この年も仕事は忙しかったけど、レトロ建築めぐりに相当行っていました。
5月には熱海の純喫茶・レトロ建築めぐり。熱海は伊東の母宅へ行く際によく立ち寄るけど、ガッツリ2日間巡った。
7月には、高校生の頃半年間一緒に暮らしたこともある伯母が他界し、急遽鳥取へ。
何十年振りに会う従姉弟やその子供たち。
記事にも書きましたが、最終日は従姉夫婦が倉吉のレトロスポットへ連れて行ってくれました。
記念日旅行は滋賀・京都へ(只今更新中)
そして11月には嵐のライブ「5×10」札幌ドーム(友人が当選・私は東京落選)。


2020年

来ました2020年。1月前半はまだまだ普通に過ごしていましたね。
1月半ばに新型コロナウィルスの感染者が確認され、1月後半にはマスクが品薄になり、
仕事先の店舗で「さっきマスク入ったからどうぞ」と1枚分けて頂けたことは忘れません。
でもまだ2月は友人や同僚と何回も出かけていました。
2月の名古屋純喫茶巡りもマスクはしつつ決行。
3月、伊東の母宅へ行って帰宅後、東京の感染者が急に2ケタに増えたのを覚えています。
4月に入って初めての緊急事態宣言が出され、仕事と生活の買い物以外はどこへも行けなくなりました。
これ以降、伊東母宅へは行けていませんが
秋に少し感染者が減った頃、急遽予約して記念日旅行は行きました(記事アップは相当先になります・・)。


2021年

2020年夏くらいには、我ら一般人にもコロナ対応が色々わかってきて、
引き続きマスク・ソーシャルディスタンス・黙食・換気・密を避けるなど感染防止対策はしつつ、
ごくたまに友人と出かけたり、夫と映画も観に行ったり。
友人とも現地集合・現地解散。一緒に電車乗るとどうしてもしゃべっちゃうから。
それも4月以降はしていない。お酒を飲みにはこの1年半皆無です。
あ、でも仕事ですが宇都宮へ出張は行きました。休業前の人の少ない旅館へも。
今でも仕事の休憩時間にはレトロ建築探しをしています。
今の趣味が、密でない純喫茶や人のいないようなところを歩く趣味で良かった。

いつかコロナ禍のことはまとめて書きたいな・・と思ってはいます。


別ブログ・ゆるゆる自然食Lifeは、12周年を迎えました!
当初は自然食カフェや古民家カフェ、オーガニック・無添加食材などを綴っていましたが
2011年頃から純喫茶へも行くようになり、今でも可能な範囲で自然食材を使った生活はしていますが、記事は純喫茶濃い目になっています^^;
こちらもよろしくお願い致します!




2019年11月、札幌へ行った時の写真です。
今の滋賀京都が終わって、ノスタルジック東京シリーズを少しアップしたらとりかかろうと思います。








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2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)

2021年09月08日 | 旅行・小旅行

いつものように間が空いてしまいましたが、まだまだ続く2019年の滋賀京都。

2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)

最初に書きましたが毎年恒例、主人との秋の記念日旅行。
(実際の結婚記念日は11月末だけど仕事状況により毎年10月か11月半ば)

記念日旅行の宿泊地は夫が決めます。
彼はゆっくりしたく、「温泉と食事」に重きを置くのでレトロや風情だけでは選んでもらえません。
でも2019年は「滋賀に行く」と言ったので、ひそかに「わぁ~い」と思いました笑

別に亭主関白とかそういうのではなく、行けば結局はどこでも付き合ってくれるのです。
(炭鉱跡や鉱山跡は道が悪い・狭いから嫌がるけど)

さて、彦根では前回記事の「花しょうぶ通り」を歩いて、彦根城へ行く時間はなかったので、同じエリアの
袋町遊廓跡を急いで撮り歩きました。本当に急いでいた。

なので撮り方が画一的で申し訳ないです。



袋町遊廓。袋町という地名は今は無く、現在の河原二丁目の一角になります。
持っている「全国遊廓案内」によると、彦根町遊郭として記載がありました。
明治9年創立、貸座敷65軒、娼妓約85名、なぜか福岡、佐賀、埼玉の女が多い、とあります。

現在は小料理屋・スナック街になっています。


当時の屋号もかかげたままです。
こうしてスナックなどに転用されていると入ってみたくなる。

横長の木造建築・大和塀や弁柄格子・手すりの透かし彫りなど
色街風情というのか、花街のような雰囲気もあります。混在していたのかな。
どちらにしても、やっぱり城下町に遊里あり。川もあり。

















植木がいっぱい。
路地に弁柄格子に店先の園芸。
過去と現在の境目のような錯覚に・・・浸っている暇はなく^^;




こちらもすごく風情があります。
お住まいのようでした。


2階の大和塀が素晴らしい料亭。
うわーー入ってみたいなぁ!




左側の透かし彫りとか、もっと接写してくればよかった。






こちらはもう営業してなさそう、斜め入口の元スナック?
いい雰囲気だから建物このまま活用されるといいな。

全体的に空き家は少なく、転業スナックや普通にお住まいだったり、寂れた感はありませんでした。
いや2年前だから今はわからないけど・・
中には昭和中期か後期かに建て替えたっぽい小さなビルもありますが、それも時を経て味が出ています。
しかしながら、木造の遺構の存在感が印象に残りました。

後から色々調べたら見逃しているものが多かったので、いつか再訪したい本気で。

次は醒ヶ井のヴォーリズ建築や、そのあとは鉱山跡へ!



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