OL主婦の小さな幸せ。

日々の出来事や小さな幸せ、お出かけ、身近なエコ、環境問題、フェアトレード、鳥のこと、アロマなどを綴っています。

友人との札幌旅行☆その2札幌市資料館・旧控訴院(2019年11月)

2023年01月31日 | 旅行・小旅行

2019年11月、札幌2日目。
朝食後に大通り公園を歩き、テレビ塔とは逆方向・一番端の西13丁目にある
「札幌市資料館(旧控訴院)」へ向かいました。
(こちらも友人が付き合ってくれた)
ちなみにホテルは友人が予約してくれて、朝食が超豪華でした!


札幌市資料館 旧控訴院(裁判所)は、大正15年(1926年)に建てられ、昭和48年(1973年)まで実際に裁判所として使われていました。
外壁は内側に煉瓦、外側に軟石を積み上げた構造で
札幌の近代を代表する建材である札幌軟石を使った建物としては、大変貴重なものだそうです。

令和2年(2020年)12月23日に国の重要文化財に指定されました。
お~~あのあと1年後に指定されたのか~
というか、もっと前から重文かと思ってました・・!




多彩な加工技術もですが、ステンドグラスや細かい意匠、裏手も素晴らしいので100枚くらい撮影したのですが、アップ用はなんとか49枚にしぼりました^ー^;
(扉とかドアノブにライトも1個1個撮ったけど、キリがないのでそれらは割愛)

















ギリシャ神話の法の女神。女神の目隠しは「私見を挟まない」と言う意味だそう。
「札幌控訴院」のフォントがかわいいーー!
もちろん右書きですね~


「札幌控訴院」を挟むように「天秤」が2つ。 











これなんだろう。




では内部へ~~















とにかく画像をひたすらアップ。
インスタではこんなにアップしてないです^^;

ここから回り階段とステンドグラス。
























とにかく素敵。
国の重文登録にあたっては、
外観はルネサンス風、彫刻や意匠などは随所に大正モダニズム、意匠と構造の両面で建築の近代化を具体的に示していることが評価された、と書いてありました!


復元された法廷の展示。












後ろから全体を撮りたかったのですが、この日は何かのメンテナンスで職員さんが真ん中で作業されていました。
なので画像が前の方だけ・・

そして裏庭も素晴らしかった!














異国へ来たような気分。
もしくはおとぎ話に出てくるような。





紅葉の時季はとっくに過ぎていましたが、そこそこ残っていました。





撮影していて、あの回り階段とステンドグラスの窓だと気付きました^^;







広角で撮ったのでちょっと歪んでますね・・




















バードバスがありました^^

旧控訴院をじっくり見たのはこの時以来→重要文化財*名古屋市市政資料館でしたが、今回改めて調べてみると、そもそも全国8か所(札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、高松、長崎)に建てられた控訴院のうち現存するのは、その旧・名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎(現・名古屋市市政資料館)とこちらの旧・札幌控訴院(現・札幌市資料館)の2ヶ所だけだそうです!
生きてるうちに、どちらも入れてよかった!
どちらも友人に付き合ってもらった、ありがとう。



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友人との札幌旅行☆その1北海道大学の一部(2019年11月)

2023年01月26日 | 旅行・小旅行

2019年11月半ば、とある目的があって高校時代からの友人と、北海道は札幌へ二泊三日で行きました。
友人の育児期間を除いては、ずっと付き合いのある友人ですが一緒に泊りの旅行はウン十年振り!
(日帰り遠征はあり)

目的は2日目の夜にあるため、初日と2日目の夕方まではフリー。
とはいえあまり遠出は出来ないので、札幌の代表的な近代建築巡りに友人が付き合ってくれました。
(友人はポケGOしながら^^;うちの旦那と同じ笑)

まずは着いてから純喫茶オリンピアにてランチして(ここも付き合ってくれた)その後少し暗くなってきたけど北海道大学へ。
暗い画像で申し訳ないです。
※これでも明るさはかなり加工しました。

夕方であまり時間がなかったので、ササっと撮影。
いつも長くなるのであまりごちゃごちゃ書かずにww、とりあえず画像のみアップします。









塔屋がかわいい^^
























窓の細工が素敵!


近代建築は玄関周りの意匠も素晴らしい。











時間が早ければ見学できたのかな??

このあたりから暗くなり始める。










煉瓦の倉庫のような、洋風の蔵のような。こちらも素晴らしい造り。





























農学部の方も行ってみたかったのですがタイムアウト。
いつかまたこちらをメインに再訪したい。


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2019年の滋賀京都旅行・15(京都・旧五条楽園)

2022年08月30日 | 旅行・小旅行

前回から4ヶ月半以上経ってしまいました!
これは初めて。未更新期間を更新してしまうという・・

これはまずい、もうすぐ3年が経ってしまう。
3年分のレトロ建物(旅行含む)・純喫茶・食堂やカフェ画像がたまっています。
撮ったのに解体された建物もあります。
撮った時はそこそこ知られていなかった街中の建物も、
今やインスタのレトロカテゴリーでは有名になっちゃったり^^;
まぁそれはいいけど、とにかく投げずにいこう。

2019年の夫との記念日旅行・滋賀京都は、凝りもせずに続きを書きますね。

五条楽園は、レトロ建築を見て歩いている人々には有名で、とっくにレポしている方もたくさんいらっしゃるので
(この3年でまた増えた笑)詳細はほどほどにします。

最後に立ち寄ったのは、京都「五条楽園」。
今は「五条楽園跡」「旧五条楽園」か。
江戸時代後期から明治にかけて繁栄した遊廓(戦後は赤線へ移行)、その跡地です。









このエリアは元々は五條橋下(五条新地)・六条新地・七条新地という複数の遊郭街があったところでした。
大正時代に合併して七条新地と呼ばれるようになったそうです。
京都の遊郭といえば島原遊郭が有名ですが、島原は武家や富裕層向けの高級遊郭、こちらは合併前から庶民向け遊郭として栄えたんですって。

七条新地は、大正時代には三階建ての妓楼が立ち並ぶまでになったといいます。
大正初期には遊客数において祇園を大きく上回ったとか。












七条新地においては芸妓だけでなく娼妓も混在する色街で、そのためか旅館のような構造の建物も多いそう。
大正期はお茶屋の数の方が断然多く、そのほとんどが娼妓のお茶屋。
お茶屋に遊客が来ると置屋に連絡が行き、娼妓がお茶屋に出向く。

戦後はGHQにより公娼制度廃止→赤線となり、1958年の売春防止法施行後は「七条新地」から「五条楽園」へと名を変え、芸妓一本の花街として再出発したそうです。
その一方で、非合法の売春もひそかに行われていたといいます。
それも2010年京都府警により摘発が行われ、遊廓や花街の歴史に幕を下ろし現在は静かな街となっています。


建物の一部は改装され、他業種でうまく残しています。
お茶屋建築が宿泊施設になったりしているので、コインランドリーはきっとありがたいですね。





玄関がふたつ。右手にも通用口のようなドア。
色街跡でよく見る造りです。いつも思うのですが中はどうなっているのでしょうか。
対角線に壁とかあって、同時に出入りした場合顔を合わせなくていいようになっているのかな?
そもそも、そういう建物だったのかどうかも定かではありませんが^^;





こちらも玄関が複数ありますが断定は出来ません。

とある路地には素敵な壁絵が。









こちらも路地。いいガラスブロックとガラス窓です。詳しい場所はもう覚えていません・・







引きで見ると、、、


看板に「お茶屋」の文字!
路地に歴史を垣間見た気分。






美容室の建物も残っていました。

こちらがスゴイ。
ストビューでは出てこなかったので場所がわからずにいたのですが、有名な建物です。




丸窓とステンドグラス、総豆タイルが象徴的なカフェー建築。








元々は和風建築で戦後改装したのかな?詳細は不明。








こちらは店舗利用されているようでした(2019年時点)。








そして、大きなカフェー建築。これは大きい。


スクラッチタイル、円柱に丸窓、ステンドグラス、角切りのアールが美しいです。



スクラッチタイルも近代建築やカフェー建築に多用されています。

ところで先程も書きましたが、戦後はGHQにより公娼制度廃止→1958年の売防法施行まで赤線となったわけですが
遊廓の妓楼やお茶屋建築はそのまま飲食店(特殊飲食店・特飲とも)になったり、新たに建て替えたりして営業しました。
警察署としては特殊飲食店の営業を黙認、地図上を赤く囲ったことから赤線と呼ばれたのは周知のことですが、赤線にある風俗店はカフェーを装っていたため、モダンな造りになっています。
カラフルなタイル、スクラッチタイル、丸窓、円柱、ステンドグラス、角切りがアール、玄関二つなどなど。。

 

なので七条新地は、五条楽園になってから元々のお茶屋建築・妓楼建築と、建て替えたり装飾を施したカフェー建築が混在しています。


















こちらもほぼ全面豆タイルが貼られたカフェー建築。
画像に波が入ってしまい、撮り直しに行きたい( ;∀;)








静岡・熱海の糸川旧特飲街にもこのような配色のがあったかな。あちらは市松模様だったかな。













こちらのカフェー建築も素敵です!

インスタでは元々有名だったようです。



こちらも、もっと接写すればよかったと悔いが残る(タイル円柱)。








丸窓を意識した造りの窓、チューリップのようなライトもかわいい。



「サウナの梅湯」
ネット情報によると、こちらは一度は廃業したものの若き銭湯活動家により復興したそうです。



五條会館(旧五条楽園歌舞練場)
築100年超の建物だそうです!
芸妓さんたちが、ここでお稽古されていたのですね。






遊郭の特徴を残す建物。数寄屋建築というのかな?
玄関の唐破風や、二階の手摺りなどが残されています。







遊郭建築はとても機能的で、客や遊女の導線を考えた造りになっているのだとか。
複数の通路や玄関、階段、装飾だけでなく細部にまで工夫があるようです。

こちらのカフェー建築は改装中でした(2019年秋)。













改めてストビューを見たら、素敵に改装されていました。
宿泊複合施設として生まれ変わったようです!

 


ここも撮り直したい!両側かわいい豆タイル!



ここもそれっぽい!
丸い電灯は遊里跡でよく見ます。









 






さて、最後になりましたが五条楽園のランドマーク・ボスキャラだった「本家 三友」

お茶屋建築の中でひときわ目を引きました。
五条楽園を代表するかつての大店。
いかにも遊廓!
あえて正面に持ってこない両側の唐破風が素晴らしい!



しかし、なんと2021年末に解体されてしまいました

アップするまでに解体されちゃうケースがほんと多いのですが、ここは最大にショックでした。
維持管理とか厳しい事情がたくさんあるのでしょうが、この歴史的建造物は非常に惜しいと思います。






これまで興味なさげにポケGOしながら付いてきた夫も、
さすがに「こりゃすごい」とゆうてました^^;







どれだけのお部屋があったのだろう・・
レトロ建築好きには、観光地のどんなアトラクションよりもワクワクする。
なんとか残され、耐震工事などうまく改装されて公開されたら、
何十人か集めて見学料一人数千円払ってもいいから見たかった。



軒瓦には「三友楼」と当時の屋号が刻印されています。





在りし日の思い出・・

こうして書いていると、あの建物も急いで見に行きたい、とか色々思い描きます。
仕事もあり、なかなか思うようにいきませんが。


15回にわたる旅行記、これで終わりです!
京都市内は夫の希望の場所もあり、他にもいくつか廻ったのですが割愛します
ここまで読んで下さった方、長々とありがとうございました


2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)
2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)
2019年の滋賀京都旅行・9(ヴォーリズ記念館)
2019年の滋賀京都旅行・10(旧御園村役場から醒井宿へ)
2019年の滋賀京都旅行・11(そして長浜へ・土倉鉱山跡)
2019年の滋賀京都旅行・12(長浜のレトロな街並み)
2019年の滋賀京都旅行・13(京都・南禅寺水路閣と第二期蹴上発電所)
2019年の滋賀京都旅行・14(京都・任天堂旧本社社屋)
2019年の滋賀京都旅行・15(京都・旧五条楽園)

 



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2019年の滋賀京都旅行・14(京都・任天堂旧本社社屋)

2022年04月12日 | 旅行・小旅行

2019年滋賀京都旅行、続きです。
蹴上から清水五条駅へ移動し、旧五条楽園へ。

旧五条楽園は、京都の古い建物が好きな方には有名なエリアなのですが
概要は次回に。


旧五条楽園を南下して鍵屋町へ。
こちらにはかつて任天堂の旧本社がありました。
※リノベーションされ2022年4月にホテル丸福樓としてオープン。
※今回アップするのはリノベ前の、2019年11月時点の建物です。



何年も前からじっくり見たいと思っていました。





1889年(明治22年)、元々は京都平安神宮近くで創業者の山内房次郎氏が、そこにあった空き家を買い取って
「任天堂骨牌 (山内房治郎商店)」を設立したそうです。
当初は花札の製造・販売を始め、明治35年には日本初のトランプ製造に着手。

こちらの旧本社社屋(下京区鍵屋町)は、竣工は1930年、二代目の社屋ということです。
※TVゲームは本社がこの建物時代には出ていません。

戦時中はカードの製造が禁止され、終戦後カード販売を再開するため新たに「株式会社丸福」を設立。
この社屋でカードの製造・保管・商談などがされたそうです。
そしてその株式会社丸福から世界の任天堂株式会社へと!

すごいとしか言いようがない。房治郎さんは今頃天国でどう思っているだろう。
家庭用テレビゲーム機発売あたりで、目を丸くしただろうか。
こんなになるとは、当時の山内家は、夢にも思わなかっただろう。

先ほども書きましたが、この任天堂の原点とも言える建物は(厳密には二代目だけど)
かつての屋号から名前をもらった「ホテル丸福樓」として開業しています。









そして、、、





↑↑ 2019年11月当時はこの囲いの中に「泰山タイル」が見えたのです。



鉄の板?が敷いてあって全容は見えなかったのですが。









なんとか部分的に撮影出来ました。

ホテルにリノベされた画像を見ると、ここに植木があるんですよね。
この貴重な泰山タイルはどこかに保管されているのかな。
どうなったのかが気になります・・

ところで泰山タイルとは、、、
私では素晴らしさをうまく説明出来ないので、以下「中川政七商店」さんのサイトより抜粋します。

大正6年に池田泰山により南区・東九条に設立された「泰山製陶所」
明治期から昭和期にかけて最盛期を迎えた洋風建築の需要に伴い、大量生産が可能な工業製品としてのタイルが多く生み出される中で、同所の「泰山タイル」は一枚ずつ表情の異なる建築用装飾タイルの製造技術を追求し、美術工芸品としての地位を確立していきました。

泰山は、単なる建築材料としてのタイルではなく「自然の窯変美」を備えた美術工芸品としてのタイルを追求し、手工芸としてのタイルを生み出したそうです。

高い技術とその美しさで注目を集めた泰山タイルは、秩父宮邸、那須御用邸などの宮内庁の格式高い建築、東京国立博物館や東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)、綿業会館、甲子園ホテルなど、国内を代表する多くの近代建物に用いられています。

私がじかに見られたのは、ここ任天堂旧本社と東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)、熱海の起雲閣。
京都では純喫茶やカフェ、遊廓跡の旅館、花街の建物などで見られるようで、生きているうちに見に来たいと思っています。





窓の面格子に「丸福」^^



横の路地を行くと、ここも社屋の一部だろうかレトロモダンで重厚な建物が続いています。









カッコいいなぁ~~



塀にはスクラッチタイル。


最初に青字で書きましたが、
ホテルに再生された「丸福樓」は、当時の面影や歴史を尊重した造りになっているそうです。
「既存棟」と「新築棟」と分かれているらしい。
しかし私なんかが泊まれる価格じゃなかったです^^;



2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)
2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)
2019年の滋賀京都旅行・9(ヴォーリズ記念館)
2019年の滋賀京都旅行・10(旧御園村役場から醒井宿へ)
2019年の滋賀京都旅行・11(そして長浜へ・土倉鉱山跡)
2019年の滋賀京都旅行・12(長浜のレトロな街並み)
2019年の滋賀京都旅行・13(京都・南禅寺水路閣と第二期蹴上発電所)
2019年の滋賀京都旅行・15(京都・旧五条楽園)



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2019年の滋賀京都旅行・13(京都・南禅寺水路閣と第二期蹴上発電所)

2022年03月24日 | 旅行・小旅行

こんなに更新出来ていなかったのは初めてかもしれません
画像がたまり過ぎて更新出来ず逆にプチストレスなのに、
仕事の休憩時間にはまたレトロ散策しちゃったり、純喫茶行ったり
純喫茶の相次ぐ閉業や、レトロ建築の解体などに焦る気持ちがあり、
ついつい気になるところへ出向いてしまう。そして画像がたまる一方。

でも2019年の夫との記念日旅行・滋賀京都は、凝りもせずに続き書きますね。
やっと京都に入りました。

それにしても京都何度目だろう、修学旅行入れたら7回目いや8回目かな。どっちでもいいか笑
夫とは3回目。
でも、ほとんど桜や紅葉目当てで、京都のレトロ建築や純喫茶は全然行ってないのです。
まだまだレトロ撮影なんてしてない頃だったから。

さて3日目の朝一、車はホテルに預けたまま蹴上駅へ。
(確か13時迄預かってくれた)

蹴上のインクラインは桜の時季に来たことがありますが、その時はこちらを撮らなかったのでリベンジ。

第二期蹴上発電所


撮り方ヘタ(-_-;)
この角度の全体写真がありませんでした。なんでだー


ズーム写真はいっぱいあった笑


こちらは明治45(1912)年2月に完成した第二期蹴上発電所の建物で、
日本で初めての事業用水力発電所だそうです。
重厚な煉瓦建築、近くで見ると圧倒されます。










窓が塞がれている。



違う方角からも。



有名なので今更感ありますが、こんな素敵な煉瓦建築、何故今迄撮ってなかったんだろう。
これもう2年半前だし、撮り直しに行きたい~
見学会もあるらしいですが、今はどうなのだろう。

そしてこのあとは南禅寺の水路閣へ。
ここは今回夫の要望で訪れました。私は3回目?かな。





言わずと知れた、南禅寺の境内を通る煉瓦造りの水路閣。
明治時代の一大事業といわれた、琵琶湖疏水(琵琶湖から京都市内へ水路を引く)の一部です。
古代ローマの水道橋を参考に造られたそうで、南禅寺の境内を通すため、景勝を損なわないようにと設計デザインされたそう。

今も現役で、水路閣の上には水(疎水)が流れています。


何度来てもよいですね~
初回は修学旅行だった気がします。



赤煉瓦と花崗岩のマリアージュ。








このアングル、みんな撮りますよね。






同じような画像いっぱい笑






新緑のように見えますが11月です。






撮る位置を変えるとまた違った味わいに。



裏側からも撮影。






この日は水路閣の上へは立入禁止でした。
以前一度あがりましたがそこの雰囲気もよいんですよね~






苔むした樹木の向こう側に。


木がメインでも、水路閣の存在感のすごさったらない。



ひとしきり撮影して水路閣をあとにしました。
午前中で尚且つ天気が悪かったので人も少なかった。


こちらも有名な「ねじりまんぽ





ねじりがうまく写せなかったけど、
「まんぽ」とはトンネルなど人間が掘った横穴のことだそうで、ここはねじれたトンネル。
蹴上インクラインの下を通っています。
当時はトンネルの上(インクライン)を、舟を積んだ貨車が通ったので、その重さに耐えられるよう煉瓦が螺旋状に捻って積まれているということです。

こちらも明治時代の土木技術の高さを伝える貴重な建造物ですね!

ちょうど10年前(この時からだと7年前)に、元職場の先輩と行っていました。
この時は水路閣の上にもあがっています。
ガラケー画像ですが・・
1day京都☆桜とかいろいろ


2019年滋賀京都旅行の最終日は、まだ始まったばかり。
でも、もうすぐ終わります^^;


2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
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2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
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2019年の滋賀京都旅行・10(旧御園村役場から醒井宿へ)
2019年の滋賀京都旅行・11(そして長浜へ・土倉鉱山跡)
2019年の滋賀京都旅行・12(長浜のレトロな街並み)



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2019年の滋賀京都旅行・12(長浜のレトロな街並み)

2022年01月29日 | 旅行・小旅行

また大分遅くなりましたが、2019年滋賀京都の続きです

2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)
2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)
2019年の滋賀京都旅行・9(ヴォーリズ記念館)
2019年の滋賀京都旅行・10(旧御園村役場から醒井宿へ)
2019年の滋賀京都旅行・11(そして長浜へ・土倉鉱山跡)

この日は2日目。
夕方には次の宿泊地京都へ着きたいと夫が言ったので
醒井宿→土倉鉱山のあとは、どこへも行けないと思っていました。

しかしランチはしたいので、通り道の長浜・黒壁スクエアへ行ってみようということになり
ノープランでとりあえず車を駐車場へ。
そして少し歩いただけで古い建物が次々現れました。

序盤で「なんじゃこりゃー」ってなったのが、



長浜タワービル。

夫が「スペルが違う」と突っ込んでいました笑




この時2019年。この1年後くらいに、レトロ好きには有名であることを知りました。

以降、ランチ場所を探しながら(いっぱいある)とにかく古い建物を撮影して歩きました。
























そして、、、


近江牛のお店へ入ることに。
※長浜ラーメンにも惹かれましたが、それは買って帰ることにした

私は近江牛ハンバーグ、夫は近江牛の牛丼(写真なかった)。
牛丼、少しもらいましたが美味しかったです!
ハンバーグも、もちろん美味しいのですが、牛丼の方がシンプルに近江牛を味わえました。



お店を出て、またしばらく長浜の街並みを楽しみます。
※画像は順不同














なんか文字がすごいことになってる・・



このタイルもいいー♪









高欄(2階の手すり)がかわいいーー






















すんごい大量にハタキ売ってる^^;






洗い出しの壁の、洋館風。





琵琶湖の近くにあるサービスエリアだったかな、
なんとドクターイエローの乗り物が!!

2019年のこの時はまだ本物すら見たことなかった。
(昨年秋に見ました)


後方、ピョンちゃんも気になる笑



かわいいーー
0系のドクターイエローってとこがまたいい。


琵琶湖も撮っておきました。


あと道中、車から不思議な建物も見ました。

すごいところに乗っかってる!

これも車の中から↓

「酢」という地名。


古き良き街並みも堪能し、面白いものも発見出来た長浜でした!
次はやっと京都に入ります。




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2019年の滋賀京都旅行・11(そして長浜へ・土倉鉱山跡)

2022年01月11日 | 旅行・小旅行

年をまたいでしまいましたが、2019年滋賀京都の続きです

2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)
2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)
2019年の滋賀京都旅行・9(ヴォーリズ記念館)
2019年の滋賀京都旅行・10(旧御園村役場から醒井宿へ)

2017年に行った愛媛の別子銅山跡で、すっかり銅山跡とか炭鉱跡とか変電所跡とかにハマりました。
(2017年11月に4回に分けてアップ済)

※2018年には釜石鉱山跡
晩秋の東北旅行~釜石鉱山選鉱所跡1~
晩秋の東北旅行~釜石鉱山選鉱所跡2~
晩秋の東北旅行~旧釜石鉱山事務所(現展示室)~
夫は嫌がりますが・・・^^;

2019年も無理を言って、滋賀長浜の山中にある土倉鉱山跡へ。
山中と言っても舗装された普通の道路を通って普通に行けます。
別子銅山のようにすれ違えない狭い道ではないので、嫌がる夫にそこを説得しました。










~土倉鉱山~

明治40年(1907年)に鉱石の露頭が発見され、1910年(明治43年)に採掘を開始した銅鉱山。
昭和30年頃には最盛期を迎え従業員366人、人口約1,000人を数えたそうです。
多くの鉱山がそうですが、こちらも鉱山事務所、従業員の住宅、小学校の分校、日用品の販売所、共同浴場、診療所、理髪店、映画館まであったそうですよ。

しかし、昭和38年(1963年)銅鉱石の貿易が自由化され、銅価格の低迷などから55年続いた土倉鉱山は昭和40年(1965年)に閉山。

貿易の自由化で海外の安価な鉱石が入ってくるようになり、国内の鉱山が次々と閉山に追い込まれたことは聞いたことがあります。
だからか昭和40年代から50年代初頭の頃の閉山が多いのですね・・
それに資源は掘り続けたらいつかは枯渇するでしょうし。

今、残っているのは選鉱場跡のコンクリートの土台や柱?などだけですが、それでも古代遺跡のような雰囲気はありました。







※立て札があるように立入禁止、(2019年時点)見学は市道からのみです!
万が一、事故が起こればこの市道にすら、一般の立ち入りが出来なくなるかもしれません。
遺構を見ることで、誰もが鉱山の歴史を感じることが出来るよう、決まりごとは守りましょう。









市道から腕を伸ばして撮影しています。









入ってないですよ。
身体をテレ東のナナナのように折り曲げて、片腕をぷるぷるさせながらズーームで撮影しています。
それでもマナーに厳しい主人から「上半身入ってるよ」とツッコミが^^;









同じような画像になってしまいますが、遠景も載せたいしズームでの接写も載せたい。








ここも身体を折り曲げて撮影。










採掘した岩石は選鉱場の一番上に運ばれ、砕かれた後に沈殿分離槽で分離した銅鉱石を取り出して、
残りを下の階の槽へ運んで分離・取り出し作業を繰り返したそうです。





円形の遺構はシックナーかホッパーか・・・
あの橋脚みたいなのはなんだろう。
あれが遺跡感を強くしていますね~











このあたりは今にも崩れそう。



この土管みたいな造りはなんだろう。




記念碑もありました。

樹木の中にもコンクリートが見え隠れしていたので、遺構の一部だと思います。

そして今この「土倉鉱山跡」と呼ばれている場所は正確には「第3選鉱場跡」らしく、
3代目にあたる選鉱場ということです。
もっと奥に行くと坑口があり、2キロほど進むと奥土倉で、2代目の選鉱場の遺構もあるそうですが
主人の機嫌が降下しつつあったので、とてもじゃないけど行けませんでした。
まぁ私も膝が悪いし、ここで満足です。

次回は長浜の街中へ。
ここは予定になかったのでノーマークでしたが、素晴らしい歴史的建物にたくさん出会えました!
更新頑張ります。


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2019年の滋賀京都旅行・10(旧御園村役場から醒井宿へ)

2021年11月28日 | 旅行・小旅行

2019年滋賀京都の続きです

2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)
2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)
2019年の滋賀京都旅行・9(ヴォーリズ記念館)

2日目はまず東近江市林田町にある、かきみその役場(旧御園村役場)へ。
竣工は明治41年(1908年)役場庁舎として建設、設計者は不詳だそうです。


ちょうど改修?中か何かで、工事中でした。

昭和29年の八日市市合併により村役場が廃止されたあとは御園支所、のちに出張所→行政連絡所→旧御園公民館として活用、しっかりした構造であった為、地域の歴史的建造物として明治大正昭和平成の四時代、百年余りの風雪に耐えてきた。
※滋賀の新聞記事より抜粋
※インスタにも同じこと書きました^^;

玄関ポーチは和風、窓の上には洋風の装飾もあって和洋折衷、
外壁は竣工当時のまま?(不明)のような素朴な板張り。
現在は役場の機能はないものの、まちづくりの活動拠点&シンボルとして活用されているということです!


内部公開してもらえたらなぁ。また行きたい。


そして、このあとは米原市醒井(さめがい)へ!
JR醒ヶ井駅前パーキングに車を止めて、私一人で見に行きました。
(主人は車で寝てる・・と^^;)

まず荘厳な唐破風のある和風建築が目に入ります。
玄関脇には「明治時代の醒井小学校の玄関」の案内板が。

醒井尋常高等小学校玄関と、後方の建物は「旧醒井楼」
竣工:玄関は明治26年(1893)・醒井楼は大正2年(1913)

玄関→昭和36年名神高速道路敷設に伴い醒井小学校が鉄筋コンクリートの建物に改築される際に、この貴重な建造物を後世に残したいとこの玄関を移築されたご住職がいらしたそうです。

旧醒井楼→玄関に付属している後方の建物。大正2年に建てられた料理旅館「醒井楼」。
こちらは終戦後の昭和27年、誰もいなくなったこの建物を、そのご住職が寺政所(まんどころ)として活用されたということです。
その時保存してくれたから今、私達が拝めるのですね~


むくり屋根の唐破風に竜の鬼瓦。
懸魚も細工がこまかい。




路地の先にもレトロ建築。





さて、醒井宿へ来た目的はというと、


ヴォーリズ建築!
米原市醒井宿資料館(旧醒井郵便局局舎)です。
竣工は大正4年(1915)・昭和9年(1934)改修とのこと。
ヴォーリズ建築事務所設計。



大正4年に建てらた当初は、木造下見板張りの洋館風の建物だったそうです。
昭和9年の改装で現在の姿に。木造2階建てで、外壁はモルタル造りの「擬洋風建築」です。
玄関の両脇と角部分にアーカンサスの柱頭飾があります。
1階が郵便・電信業務や応接室、2階は電話交換室や交換手の宿直室兼休憩室として昭和48年まで使われましたが、
現在は米原市醒井宿資料館として資料の展示や休憩室として再活用されています。
(米原市のサイトより)


戦前に改修されたので右書きですね!







丸ポストが似合う。



扉には斜め取っ手(斜めバー)が♪
扉閉じたところを撮りたかったな^^;
でも開いていた方が観光客が入りやすいのかも・・
※今見ていると換気の為かと思いますが、2019年なのでコロナ禍前です






主人が車で待っていたので、ゆっくり見れませんでした。




お隣も大和塀が立派な和風建築。



せっかくなので、予定外でしたが醒井宿も少し歩きました。
(どうせ旦那寝てるし)




後日調べたのですが、
醒井宿は中山道61番目の宿場町で、湖北八景にも選ばれているそうです。
地名の由来である「居醒(いさめ)の清水」を源流とする地蔵川に沿って、今も宿場町の風情ある町並みが続いています。


あ!豊郷町でも見た「水」の文字がある屋根。
(妻壁や破風に水文字があるのは、火災から家屋を守るおまじないだそう)








おたふく窓がかわいい。





雨戸の戸袋のデザインが素敵。




こちらの地蔵川は「居醒(いさめ)の清水」などから湧き出る清水によってできた川で、
大変珍しい水中花「梅花藻(バイカモ)」で有名だそうです。
水温は年間を通じて14度程度と安定しており、貴重な淡水魚である「ハリヨ」も生息しています。
また「居醒の清水」は、2008年「平成の名水百選」(環境省)にも選ばれています。
※情報サイトより抜粋






タイル使いのショーケース跡らしきものが。元商店かな。

もっと奥まで行きたかったけど、このあたりでUターン。
駅の方へ戻ると脇道に、、

YAMAHAの古い看板建築と、


コカ・コーラのベンチ。
こういうのも東京ではなかなか見られない、残っているエリアもあるにはあるけど。

急ぎ足でしたが車に戻って、お次は長浜市へ向かいます。
行きたかった鉱山跡へ!



 

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2019年の滋賀京都旅行・9(ヴォーリズ記念館)

2021年11月12日 | 旅行・小旅行

2019年の滋賀京都旅行、まだまだ続きます(まだ滋賀^^;)。

☆今迄の記事☆
2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)
2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)


ヴォーリズ記念病院を出て、こちらへ着いたのは17時をとっくに過ぎていました。


ヴォーリズ記念館(一柳記念館)
旧ヴォーリズ夫妻邸 
1931年(昭和4年)竣工
滋賀県指定文化財

ヴォーリズ夫妻が後半生を過ごした邸宅。
内部見学は予約制だそうです。
何時に行けるかもわからなかったので、この時は外観のみ撮影。


門柱や門扉も素敵だし、下見板張りに白っぽい煙突がかわいい建物。
内部見学した人の話によると、
「建築の風格は人間の人格と同じく、その外観よりもむしろ内容にある」というヴォーリズの精神で、使う人や住む人の目線になった設計そして温もりのある空間だそうですよ。

ヴォーリズ建築は亡くなってから57年が経った現在も多くの建築ファンから愛され、建物によっては大切に使われています。










今度滋賀訪問の際は、こちらの見学予約も入れたいし、
アンドリュース記念館、ウォーターハウス記念館、池田町洋館街、旧八幡郵便局など
まだまだ見に行きたい建築がいっぱいです。



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2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)

2021年10月29日 | 旅行・小旅行

2019年の滋賀京都旅行、前回に続き、ヴォーリズ記念病院です。

☆今迄の記事☆
2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)

滋賀へ来たからにはここも絶対見たいと思っていました。
しかし・・ツッカーハウスを見た後、敷地内で迷ってしまい・・
mapに場所は出るもののストビューには出ないので、少々時間がかかってしまいました。

日暮れも近付き、いよいよ焦ってきた頃。



静かに現れました・・!!
森の中に静かに佇む、というのがピッタリなこの歴史的建造物は、
「旧近江療養院希望館(五葉館)」
1918年・大正7年築。

間取りが楓の葉の形をしていることから五葉館、または五葉分館と呼ばれたのだそう。







個室型の結核療養施設で、真ん中の社交室(ラウンジルーム)から5つの病室が放射線状に配置された建物です。
プライバシーも守りつつ、コミュニケーションもとれるよう配慮されたそう。

文化遺産オンラインによると、各病室の3面に窓を開いて通風と採光を確保、窓に鎧戸をたてて
ラウンジの屋根頂部には換気塔。国の登録有形文化財に指定されています。


ドイツ壁が素敵ですね。
換気塔かわいい。
床下からの自然換気で気持ちよさそう。


入院患者にやさしい設計は、
ヴォーリズさんの入居する人・使う人に対する思いが詰まっているように思います。



滋賀へ来たからにはツッカーハウスとこの五葉館が見たかったーー


そして、中は入らなかったけど「礼拝堂」も。



ヴォーリズ記念病院礼拝堂(旧近江療養院チャペル)
1937年・昭和12年築。
国の登録有形文化財





木立に生える白いチャペル。
時間がなかったのですが、のぼって窓から覗いてみたかったな~
(文化遺産オンラインに画像あります)

さて、かなり時間がおしてしまいました。
この時点で17時をとうに過ぎていますが、画像の撮影日・撮影時間を見ると、このあと2ヵ所に行っていました^^;
続く・・



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2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)

2021年10月23日 | 旅行・小旅行

15周年や閉店の投稿で中断しておりましたが、2019年の記念日旅行・滋賀京都の続きです

☆今迄の記事☆
2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)


夫が行き先を決める記念日旅行ですが、滋賀県に行くと聞いた時、まず頭に浮かんだのは
「滋賀へ行くからには少しでも多くのヴォーリズ建築が見たい」ということでした。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズは
「建物の風格は人間と同じくその外見よりもむしろその内容にある」という信念で、全国約1,600もの建築設計に関わったそうです。

住む人や使う人々のことを思いやったその建物に、レトロ建築に興味を持ち始めた頃から憧れていました。

国登録有形文化財のウォーターハウス記念館、アンドリュース記念館、ヴォーリズ記念館、旧八幡郵便局、池田町洋館街などなど
見たいもの行きたい建物は果てしなくありましたが、この時は車でないとちょっと行きづらい場所を優先しました。
(いつか一人で電車で行けそうな建物は見送った)

それが、当時不治の病として恐れられた結核治療を目的とした「近江療養院」(現・ヴォーリズ記念病院)です。



ヴォーリズ記念病院ツッカーハウス
旧近江療養院(サナトリウム)本館 
1918(大正7年)年築
国の登録有形文化財
滋賀県近江八幡市

樹木で大分見えないのですが・・・
(老朽化の為、建物周辺へは立ち入り禁止。坂道から撮影)


左右にあるベイウィンドウ部は日光浴室。
(左側しか撮れなかった)


木々の間からですが、採光に注意をはらったという大きな窓が、かろうじて見えます。

建物そのものが日光消毒されるよう、そして患者にとっても太陽光が治療の一助となるよう建てられているそう。

受け入りの知識ですが、
日照の方角や時間を計算し、冬至期でも最大の熱量が得られるよう
窓の形状や間隔、建物内の配置など効果的に建てられたということです。
人への思いが伝わる建物です。


現代では結核は治療できる病気。でも当時は不治の病として恐れられ、しかも患者は社会から排除されるような時代だったようで・・
しかしヴォーリズはかねてより、結核の療養院建設を志していたそうです。

記念病院の敷地内から裏側へ回ってみました。
通りすがりの職員さん?に撮影してもよいか聞くと、旧本館敷地に入らなければいい、ということでした。







かなり老朽化しており、心配になります。
立入禁止なのも充分にわかる。




こちらは通用門かな。




ツッカーハウスは、日本で先駆的な私設の結核療養施設の本館として使われたのち、
ヴォーリズ記念病院旧本館として地域医療に貢献したそうです。





ところで建物の名称のツッカーハウスとは、
結核により亡くなる人の命を救いたいとのヴォーリズの思いに共感した米国のメアリー・ツッカー女史の多額の寄付金により、創設されたことからその名で呼ばれているということです。

画像は2019年なので、今回記事を書くにあたり検索してみると、なんと2021年9月各情報サイトに
「ツッカーハウスの保存活用へ」という記事を何件か見付けました。

15年位前に解体も発表され、取り壊しが決まりましたが
市民グループの活動によって改修されながら保存されてきたそうです。
一般公開するために耐震工事を予定しており、その資金の一部としてクラウドファンディングも実施されたそう。

工事スケジュール(案)も掲載されており、
2021年年内:工事着手
2022年8月:諸工事完了
2022年10月:建物使用開始
ということです!

滋賀県はまだまだあと何回も行きたいので、ツッカーハウスの一般公開を待とうと思います。


次回の記事もまだまだヴォーリズ建築です


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2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)

2021年09月08日 | 旅行・小旅行

いつものように間が空いてしまいましたが、まだまだ続く2019年の滋賀京都。

2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)

最初に書きましたが毎年恒例、主人との秋の記念日旅行。
(実際の結婚記念日は11月末だけど仕事状況により毎年10月か11月半ば)

記念日旅行の宿泊地は夫が決めます。
彼はゆっくりしたく、「温泉と食事」に重きを置くのでレトロや風情だけでは選んでもらえません。
でも2019年は「滋賀に行く」と言ったので、ひそかに「わぁ~い」と思いました笑

別に亭主関白とかそういうのではなく、行けば結局はどこでも付き合ってくれるのです。
(炭鉱跡や鉱山跡は道が悪い・狭いから嫌がるけど)

さて、彦根では前回記事の「花しょうぶ通り」を歩いて、彦根城へ行く時間はなかったので、同じエリアの
袋町遊廓跡を急いで撮り歩きました。本当に急いでいた。

なので撮り方が画一的で申し訳ないです。



袋町遊廓。袋町という地名は今は無く、現在の河原二丁目の一角になります。
持っている「全国遊廓案内」によると、彦根町遊郭として記載がありました。
明治9年創立、貸座敷65軒、娼妓約85名、なぜか福岡、佐賀、埼玉の女が多い、とあります。

現在は小料理屋・スナック街になっています。


当時の屋号もかかげたままです。
こうしてスナックなどに転用されていると入ってみたくなる。

横長の木造建築・大和塀や弁柄格子・手すりの透かし彫りなど
色街風情というのか、花街のような雰囲気もあります。混在していたのかな。
どちらにしても、やっぱり城下町に遊里あり。川もあり。

















植木がいっぱい。
路地に弁柄格子に店先の園芸。
過去と現在の境目のような錯覚に・・・浸っている暇はなく^^;




こちらもすごく風情があります。
お住まいのようでした。


2階の大和塀が素晴らしい料亭。
うわーー入ってみたいなぁ!




左側の透かし彫りとか、もっと接写してくればよかった。






こちらはもう営業してなさそう、斜め入口の元スナック?
いい雰囲気だから建物このまま活用されるといいな。

全体的に空き家は少なく、転業スナックや普通にお住まいだったり、寂れた感はありませんでした。
いや2年前だから今はわからないけど・・
中には昭和中期か後期かに建て替えたっぽい小さなビルもありますが、それも時を経て味が出ています。
しかしながら、木造の遺構の存在感が印象に残りました。

後から色々調べたら見逃しているものが多かったので、いつか再訪したい本気で。

次は醒ヶ井のヴォーリズ建築や、そのあとは鉱山跡へ!



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2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)

2021年08月19日 | 旅行・小旅行

2019年秋の滋賀京都、1日目豊郷町を出た後は彦根へ向かいました。


これまでの記事☆

2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
※最後にも貼ってあります

彦根にはヴォーリズ建築や彦根城近辺にも見たい建物がたくさんありました。
でも、いつも特に見たいものがない主人が、今回の旅行では珍しくいくつか訪問希望を言ってきたので(そのひとつが豊郷小学校旧校舎群)、
時間的な折り合いをつけなければなりません。
いつもいつも私の行きたいところ付き合ってくれますし。


彦根に着いて最初に歩いたのが「花しょうぶ通り」
その入口(出口?)に建つのが、

大正7年築の滋賀中央信用金庫銀座支店
(旧明治銀行彦根支店)登録有形文化財









和風建築の理容室。



「くるパー看板」は新しい。
これ見付けると嬉しいです。


風情ある和風建築や近代建築も並びます。








午後の日差しと影のツートンになってしまったけど、看板建築が素敵な「宇水理髪館」
登録有形文化財。
インスタの投稿で何度か目にして、滋賀へ行くなら是非見たいと思っていました。


タイルとか斜め取っ手とか、窓ガラスもドアの感じもバランス良くて素敵です。


上部のアーチの装飾はバリカンのオブジェだそうです。
グリーンの部分もオシャレ、緑青になった銅板にも見えるけど実際はタイルかな?



柱の装飾には看板建築やモダン建築でよく見る、アカンサスの葉。



いい風景。

こちらも見たかった旧川原町郵便局舎、現在は「逓信舎」



夕方だったので、午前中に撮影してみたい。




レトロな薬局にはピョンちゃん。
浅草で見たことのある体育座りのピョンちゃんも。



もう少し奥へ歩いていくと、かわいい美容室!!

美容室ですが、
レトロ理容室特集☆その1にも載せました。
※この特集は画像あり過ぎてまだまだ続きます^^;


いや~感動しました。ノーマークだったから。
円柱っぽいデザイン、スモークガラスのドアに四角い取っ手、右側の格子や模様もかわいい。


くるパー看板も秀逸。フォントも良き。


もっと進むと、斜め取っ手にタイル使いの理容室!

レトロ理容室特集☆その2に掲載済。


タイルをもっとちゃんと撮りたかった!
なんなら販売品をなんか買うので、中を見せてもらいたい笑←※時間なし

こちらの和風建築はガラスも素敵でした。







どんだけ撮るんだ^^;










あとで知ったのですが、2016年に
この花しょうぶ通り商店街から芹町にかけたエリアが、彦根市内では初めての
重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に選定されたそうです。

江戸時代は城下町の南東部に形成された町人街で、城下町と中山道を結ぶ町だったそう。
江戸時代から昭和の戦前期に建てられた町家風の建物が88軒残っており(2016年の情報では)、
そのうち国の登録有形文化財が5軒。
路地にもいい雰囲気の家屋が点在していましたが、あまりゆっくり出来なかったのでいつか再訪したい。


次回も急ぎ足で撮影、袋町遊郭跡です。


2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)
2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)
2019年の滋賀京都旅行・9(ヴォーリズ記念館)
2019年の滋賀京都旅行・10(旧御園村役場から醒井宿へ)
2019年の滋賀京都旅行・11(そして長浜へ・土倉鉱山跡)
2019年の滋賀京都旅行・12(長浜のレトロな街並み)
2019年の滋賀京都旅行・13(京都・南禅寺水路閣と第二期蹴上発電所)
2019年の滋賀京都旅行・14(京都・任天堂旧本社社屋)
2019年の滋賀京都旅行・15(京都・旧五条楽園)

 



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2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)

2021年08月13日 | 旅行・小旅行

2019年秋の滋賀京都、続きです

これまでの記事☆
2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
※最後にも貼ってあります

豊郷小学校旧校舎群の周辺も見て廻りました。

日立の旧ロゴがある古い看板。

日立とか東芝とかナショナルの旧ロゴがある看板、好きです。
しかし倒れたままの冷蔵庫が物悲しい。



板塀がある和風建築も点在。




タイルを多用した日本家屋もわりとありました。



ちょっとした路地を進むと、




ベンチがありますね~
ご商売されていたのかな。


こちらもタイル使いの和風建築です。
煙草屋さんの跡もあります。




住居部分の玄関はこちらかな、なかなか存在感のあるお宅です。



「水」の文字がある和風建築。
妻壁や破風に水文字があるのは、火災から家屋を守るおまじないだそうです。
比較的関西圏に多いのだとか。


こちらにも煙草店。シャッター狭っ!!
でもかわいい。



こちらの、ドアだけ残してある壁が謎。
奥に廃屋があったような。おぼろげな記憶。

そういえば、豊郷小学校旧校舎のウサギとカメにちなんで?
あちこちにウサギとカメがいました^^




ここには東芝の旧ロゴ!



豊郷駅にも行ってみました。






そうえいばここ数年ガッツリな無人駅巡りしてないなぁ。
秩父鉄道以降してないかな、それもほんの一部だった。
目的地のついでに寄ったりとかはあったけど。下灘駅とか真土駅とか・・


レトロ建築巡りをメインでするようになってから、無人駅巡りが出来なくなったような気がします。(時間的に)


なんか古そうなショッピングセンターもありました。



トヨサトショッピングセンターとあります。
ドアが開いているので入ってみたかったけど、あまり時間も無かったので断念。

このあと彦根に向かいます。




2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)
2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)
2019年の滋賀京都旅行・9(ヴォーリズ記念館)
2019年の滋賀京都旅行・10(旧御園村役場から醒井宿へ)
2019年の滋賀京都旅行・11(そして長浜へ・土倉鉱山跡)
2019年の滋賀京都旅行・12(長浜のレトロな街並み)
2019年の滋賀京都旅行・13(京都・南禅寺水路閣と第二期蹴上発電所)
2019年の滋賀京都旅行・14(京都・任天堂旧本社社屋)
2019年の滋賀京都旅行・15(京都・旧五条楽園)

 

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2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)

2021年07月31日 | 旅行・小旅行

間が空き過ぎで申し訳ないです
豊郷小学校旧校舎群、前回はウサギとカメに特化して階段のみでしたが、最後は校内の様子です。

これまでの記事☆
2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
※最後にも貼ってあります。

毎回触れていますが設計したのは、
キリスト教伝道のために青年英語教師としてはるばるアメリカから来日した、
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
近江八幡に根を下ろして学校教育・医療・出版など社会事業に尽くし、建築家として日本全国に名建築を残しています。
すぐに思い浮かべる建物は豊郷小学校もですが、東京の山の上ホテル(旧 佐藤新興生活館)・大阪の大丸心斎橋店・京都の東華菜館・兵庫の神戸女学院などなど・・ 
滋賀県では一般宅も含めたら数えきれないです。

日本で戦前までに1000以上の建築、
戦後も含めると現役時代に2700余りの建築物を手がけた記録が残るそう。
多くの教育機関の建築を手掛けたヴォーリズさんですが、小学校は日本でここだけということです。

そして多くの方が、ヴォーリス建築を「暖かい建築」「住む人・使う人の気持ちに寄り添った建築」というような
表現をします。ヴォーリズ建築の魅力を「内部空間の豊かさ」と評する方もいらっしゃいました。




ぬくもりを感じる木材がふんだんに使われている校内。


中央1階の正面玄関から左右に伸びた廊下の長さは、なんと全長100m。















窓も大きく、廊下や教室はとても明るい。



教室の右の壁に配置された3列3段の窓。
下の2段は廊下を歩く生徒にぶつからないよう、あえて内側へ開くつくりになっているんだとか。


そして、有名音楽アニメ「けいおん!」に登場する学校のモデルとなっており、けいおん!ファンの聖地巡礼コースとなっています。
豊郷小学校を訪れた多くのファンから楽器やグッズなどを寄贈、シーン再現などがされています。


以下、全国町村会サイトにあった滋賀県豊郷町による町おこしレポートを参考に抜粋・転載させていただきました。
※一部文言を変えている箇所もあります

竣工以来、町のシンボルとして町民に愛された豊郷小学校旧校舎。
最初の記事に書きましたが、町を二分する議論や騒動・紆余曲折を経て校舎は別の場所に新築し旧校舎は保存することとなり、
教育委員会、 町立図書館、子育て支援センターなどの入居する複合施設として再出発することになりました。 

それに合わせて改修工事が行われ、2009(平成21)年5月30日、旧校舎72回目の竣工記念日にリニューアルオープンの式典が挙行されたそうです。 
ところがその場に、あまり見慣れない集団が・・。
DVDと見比べながら校舎の写真を撮る人、大きな荷物を持った明らかに 遠方から来たと思われる人たち。。 

実は竣工式の前月4月に放送が始まったアニメ「けいおん!」に、豊郷小学校の旧校舎が登場していたのである。
アニメ「けいおん!」は、女子高の軽音楽部を舞台に高校生の青春を描いたアニメだが、主人公たちの通う高校として描かれた校舎の外観や内装が 旧校舎そっくりだった。
これに気付いたファンが、旧校舎内部の見学が可能になる竣工式典の日に駆けつけたのである。  

そして町の担当者の友人が、聖地巡礼に詳しかったことから町おこしは大きく展開する。  

さっそくほかの町の町おこしを扱った報道や研究論文を調べあげ、レポートを作成。
商工会や観光協会など関係各所に 「豊郷でもこんなにすごいことが起ころうとしている。ぜひ取り組んだ方がいい」と持ち込んだ。
レポートは町長にも見せに行った。町長も乗り気になった。
役場、商工会、 観光協会等から有志10人程が集い、後に「けいおんでまちおこし実行委員会」と名づけられるグループを結成することとなった。

 

ある日あるグループが、アニメのオープニング映像の再現をしたいと来た。
キャラクター そっくりの扮装をして旧校舎の内外で同じアングルでビデオ撮影したいのだという。
旧校舎を管理する教育委員会は、初めは「いったい何の話や?」 と驚いた様子だったが、「別に何も壊したりせえへんならまぁ使いいなぁ」と大らかに対応。
その後、完成した再現映像がインターネット上で 公開されると話題を呼び、アニメの舞台としての豊郷小学校旧校舎がさらに注目を浴びることとなり、ついにはアニメファンの「聖地」として 認知されるようになった。
町の担当者は「何にも邪魔にならないということもあり、別にいいかという感覚だった」と。 

では、町民のファンに対する反応はどうだったか。
「いい年をした大人がカメラをぶら下げて駅からぞろぞろと歩いている。 何事かと町民は驚いただろう」

しかし、ファンが大勢詰めかけたからといって何も事件は起こらなかったし、
そのうちファンの存在が気にならなくなり始めたという。
それどころか「文句つけるところがないほど、ファンのマナーは実にいい」ということだった。

旧校舎には子育て支援センターも入居しており、支援センターのスタッフや子供を連れてくる保護者も、廊下ですれ違うたびに挨拶を欠かさないファンに、安全だという認識が広まったという。

旧校舎の掃除にやってくるファンもいる。
バケツや雑巾を持って「掃除させてもらっていいですか」とやって来たときには、 教育委員会も驚いたというが、現在では旧校舎内の廊下のワックスがけまでファンがやってくれるそうだ。

喫茶コーナー脇のアニメグッズのコレクションもすべてファンからの寄贈
キャラクターグッズなど小物から等身大のパネル、
劇中で主人公が使っているものと同じ楽器まで軽く1000点は超えているという。

旧校舎外でのファンと地元商店との交流も徐々に広がりつつある。
旧中山道沿いに古くからあるうどん店。一見ふつうのうどん店だが、違うのは壁の至るところにアニメキャラクターのポスターが 貼られていること。
ご主人がファンの求めに応じてポスターを貼らせたところ、ファンから「聖地」として認知され、「巡礼」の対象となったようだ。
夕方、旧校舎が閉館した後のファンの集いの場にもなっており、
ご主人の誕生会をファンが開くなど、心あたたまるエピソードも生まれている。

こうしたファンの「巡礼」は、少なからざる経済効果も生んでいる。


酬徳記念館にあるこれらもすべてファンによる寄贈。
ごくごく一部です。




町の担当者は、3階の音楽室の黒板なら落書きをしても良いが、他には書かないように、とルール化することにした。
そして、 黒板の落書きを毎日撮影し、「今日はこんな落書きがあった」とインターネットのブログを通じて紹介することも始めた。 

実はここに戦略が隠れていた。「自分が書いた落書きがブログに紹介され、ファンにとっては旧校舎を訪れた記念になる。 そして黒板に落書きをすること、他のファンの書いた落書きを見に来ることそのものが、繰り返し旧校舎を訪れる動機になる」と。

ちなみに施設側では黒板の管理はしていない。
「誰かが来てチョークを補充していって、汚いと思ったら誰かが消していく。 まったくの自治」。
黒板下に落ちたチョークの粉も、いつの間にか雑巾がけされているそうだ。


一般的な傾向として、アニメファンに対してとかく偏見の目を向けがちだが、
豊郷町の対応はそのような偏見とはまったく 無縁であり、むしろファンを信頼した。
「コスプレ」による撮影、指定した場所での落書きの容認など。
それはポスターを貼らせたりキャラクターグッズを置かせた町内の店舗にも言える。

こうした行政側の懐の深さとファンへの信頼が、ファンによる自治や地元との交流につながったのだろう。
※全国町村会サイトにあった滋賀県豊郷町による町おこしレポートより





劇中に出てくるティーセットもファンからの寄贈。




オルガンも!?すごい。。。

ドラムも・・?ファン、すご過ぎる!






私は「けいおん!」を観ていないのですが、
実は主人が観ており、熱烈なファンというわけではないのですが、ここへは来てみたかったそうです。
私は滋賀のヴォーリズ建築を見たかったので、珍しくお互いの希望が合致しました笑









小学校としての当時の名残も楽しみながら。。






2019年の倉吉市の円形校舎・旧明倫小学校を思い出します。

最初の記事に書きましたが、壮絶な事態となり紆余曲折あって解体は免れ保存された旧校舎。
外部の人間からしても本当によかったと思います。頭が下がります。


どこの教室からだったかな。
現・豊郷小学校も見えました。

そして結局は当時の町長により、建設された新校舎。
これはこれで良さそうには見えますが、当時の町民の方はどう思われているのか・・


次回は、豊郷小学校付近のレトロ建築巡りです!
気長にお待ちいただければ幸いです


2019年の滋賀京都旅行・1(滋賀・豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・2(滋賀・豊郷小学校旧校舎のウサギとカメ)
2019年の滋賀京都旅行・3(滋賀・町おこしの主役☆豊郷小学校旧校舎群)
2019年の滋賀京都旅行・4(豊郷町のレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・5(彦根☆花しょうぶ通りのレトロ建築)
2019年の滋賀京都旅行・6(袋町遊廓跡を歩く)
2019年の滋賀京都旅行・7(ヴォーリズ記念病院・ツッカーハウス)
2019年の滋賀京都旅行・8(ヴォーリズ記念病院・希望館【五葉館】と礼拝堂)
2019年の滋賀京都旅行・9(ヴォーリズ記念館)
2019年の滋賀京都旅行・10(旧御園村役場から醒井宿へ)
2019年の滋賀京都旅行・11(そして長浜へ・土倉鉱山跡)
2019年の滋賀京都旅行・12(長浜のレトロな街並み)
2019年の滋賀京都旅行・13(京都・南禅寺水路閣と第二期蹴上発電所)
2019年の滋賀京都旅行・14(京都・任天堂旧本社社屋)
2019年の滋賀京都旅行・15(京都・旧五条楽園)

 

コメント (4)
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