OL主婦の小さな幸せ。

日々の出来事や小さな幸せ、お出かけ、身近なエコ、環境問題、フェアトレード、鳥のこと、アロマなどを綴っています。

本郷散歩・鐙坂の消えた和風建築と蔵

2020年08月12日 | 本郷散歩(東京・文京区)

前回の記事と同じ日、昨年9月のこと。

昨年6月にインスタで知ったのですが、
本郷鐙坂(あぶみざか)の角地にあった広大な敷地の和風建築が解体されると知り、9月にあわてて撮りに行きました。
ここは毎晩通っていた、今は無き菊水湯のはす向かいにあります。
帰る方向とは反対側ですが、まだレトロな建物に関心がない頃でもさすがに目に留まってはいました。

もう壊されてしまっただろうか。。ちょっと気になったので。

とは言っても、ブロック塀でほとんど見えないのですが・・
それぞれ、解体前と解体後の対比で載せておきます。


解体前(2019年6月)


解体後(2019年9月)
やっぱり更地になっていました。

↓↓解体前は鐙坂の説明板もあり、家屋は見えなくても坂道に風情がありました。




解体後↓↓


解体前↓↓




解体後↓↓



敷地内には大きな蔵もあり、目を惹きました。
蔵があることは菊水湯通いの頃は知らず、引っ越して散策に来るようになって知りました^^;

解体前↓↓



この相生荘がどの建物か、いまだにわかりません。



解体後↓↓(上の画像と同じ位置)


相生荘のプレートはまだ残っていました(昨年9月の段階では)



この奥の建物が相生荘かな??


解体前↓↓(まだ蔵があります)





何かを撮影する友人(昨年6月)

解体後↓↓

右側にあった蔵が消滅しています。

解体前の鐙坂↓↓(昨年6月)


大きな蔵まである邸宅なので管理も大変だし色々事情があったのでしょうけど、
文化遺産レベルだったと思うので、とても残念に思いました。

そうそう。
その和風建築があった目の前から、菊水湯とbarberみながわがあった方向を今見るとこう。

みながわさんの写真は本郷散歩~路地裏迷宮案内~と、本郷散歩~変わりゆく風景・その2~にて。
この2枚しかありません。
なんでもっと撮っとかなかったんだー!
こんなことばっかり・・



その他いろいろ本郷散歩記事はコチラ
☆ 本郷散歩(東京・文京区)


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本郷散歩・右京山の震災復興住宅

2020年08月10日 | 本郷散歩(東京・文京区)

昨年の街歩き記録に戻ります。
2019年9月。
同じフォルダに桃のサンドウィッチの画像があるので、それを食べに行った帰りだと思われます^^;


昔、本郷の元実家にはお風呂かなくて、
いつも行く菊水湯が休みの金曜日だけ、白山通りにあった「日成湯」という銭湯に通っていました。
※今はありません。

その時、よく前を通った清和公園





7年前の記事「本郷散歩~緑たっぷり~」にも書きましたが、
樋口一葉旧居跡の近くで、一葉も妹と虫の声を聞きにここをよく訪れていたようで、日記にそのことが書かれているそうです。
台地の斜面に沿って作られているため、二段になっています。

昭和初期、この公園の真ん前に建てられた「清和寮」(平成7年取り壊し・現在は本郷四丁目アパート2)という独身寮があったため、清和公園と名付けられたということです。

「清和寮」があった頃、本郷に住んでいましたが学生だったし覚えてない・・

ここらへんはかつて右京山と呼ばれていました。(今でも通称として呼ぶ)
江戸時代に高崎藩主・松平右京亮(うきょうのすけ)の中屋敷があったからだそう。

明治維新後は放置され原っぱになりましたが、大正から昭和16年くらいまでは軍の本郷連隊司令部があったらしいです。

その右京山に、大正時代に開発された旧東京市真砂町住宅がありました。
東京市が関東大震災後の大正12〜14年にこの地の右京山を開発して46棟75戸の住宅を建設したものだとのこと。

画像2軒のギャンブレル屋根の住宅は、第2期の大正12年7月の完成。
このような洋風の一戸建て住宅は、道路を挟んで東側に3戸、西側に5戸が建てられたそうです

現存するのは、そのうちの2戸のみ。


とても状態がよく、知らなければ大正時代に建てられたとは思いもよりません。
大事にお住まいのようです。それにしてもオシャレな玄関。



白のストライプでオレンジの妻面がかわいい。





もう1軒は少し下った向かい側に。




赤いギャンブレル屋根が素敵な住宅。妻面のハーフティンバー風が異国の意匠っぽい。


持ち送りが大小あってかわいい。
玄関の屋根は、はかま腰屋根というそうです。


塀にある木戸もいいですね~

丘の上にも第3期(大正14年)の素敵な住宅がありましたが、いつのまにかなくなっていました。
1枚だけ撮影し、どこかに画像があるはすですが見付かりません><



ちなみに、このような腰折れ屋根はマンサード屋根とかギャンブレル屋根とか言われますが厳密には
マンサード屋根→勾配が寄棟屋根のように四方向に伸びている腰折れ屋根。
ギャンブレル屋根→勾配が外側に向かって二段階になっている腰折れ屋根。

屋根的に、マンサードが寄棟構造でギャンブレルが切妻構造、と思えばよいようです。

マンサード屋根


ギャンブレル屋根


※画像はコチラからお借りしました。勉強になります!



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本郷の井戸ポンプ現存確認(2019年~2020年1月)

2020年05月09日 | 本郷散歩(東京・文京区)

年に何度か訪れる本郷ですが、
2019年~2020年1月迄に現存確認した本郷井戸ポンプを載せておこうと思います。

※前回の現存確認記事→本郷散歩☆井戸ポンプの存在確認
※もっと前の井戸ポンプ記事→本郷散歩~それぞれの井戸ポンプ~


本郷4丁目清和公園横にある井戸ポンプ


実は、本郷の井戸ポンプは概ね知っていると思っていたものの、こちらは昨年夏に
初めて発見したもの。
清和公園の脇は一時期よく通っていたのに、ここまで来なかったから気付きませんでした。


本郷4丁目樋口一葉菊坂旧居跡にある井戸ポンプ


本郷散策コースでは有名な井戸ポンプ。
2013年・2014年に見た時は錆びた緑青色のような色でしたが、鮮やかな青に化粧直しされています。


本郷4丁目路地にある井戸ポンプ




本郷4丁目路地にある井戸ポンプその2




本郷4丁目路地にある井戸ポンプその3






本郷5丁目路地にある井戸ポンプ


ここは木造長屋が連なる路地で、この井戸がとてもシックリくる風景でした。
こちらの記事でその風景と井戸の変遷が見られます→→本郷散歩☆井戸ポンプの存在確認
長屋が無くなり更地になり、そしてマンションが建ちました。

本郷4丁目路地のドン突きにある井戸ポンプ


2013年の「本郷散歩~それぞれの井戸ポンプ~」の最後にも載せましたが
本郷に行くと必ず確認したい哀愁漂う井戸ポンプ。

ひっそり感が半端なくてなんだか泣ける^^;

最寄り駅としては都営三田線春日駅です。


この時は後ろからも撮ってみた。
かなり長らく、白山通りの時代による変遷を見つめています。


あと2ヵ所、更に確認・発見してあるのですが、住宅街の公園内にあるため日中だと人も多くて
なかなか撮りづらく、まだ撮影出来ておりません。
外出自粛要請が解除され、少しして落ち着いたら撮影に行こうと思います。




☆本郷散歩過去記事☆

かつて住んだ街、文京区本郷
本郷散歩~本郷館の変貌~
本郷散歩~明治・大正・昭和の建物~
本郷散歩~路地裏迷宮案内~
本郷散歩~緑たっぷり~
本郷散歩~歴史ある純和風旅館~
本郷散歩~それぞれの井戸ポンプ~
本郷散歩~変わりゆく風景~
本郷散歩~変わりゆく風景・その2~
東大の総合図書館が・・
ノスタルジック東京19~東大本郷キャンパス~
本郷「菊水湯」の名残り
本郷散歩☆井戸ポンプの存在確認
東大総合図書館の改装が終わってました。
求道会館の一般公開~外観編~
求道会館の一般公開~内部編~
樋口一葉が通った伊勢屋質店の内部一般公開

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樋口一葉が通った伊勢屋質店の内部一般公開

2019年10月31日 | 本郷散歩(東京・文京区)

求道会館の内部一般公開へ行った日は、
菊坂にある、樋口一葉が通った伊勢屋質店の内部一般公開にも立ち寄りました。

ここは本郷在住の頃、菊水湯へ通っていた時に通りかかっていたし、
本郷を離れてからも何度も何度も来ていましたが・・



なんと平成27年に学校法人跡見学園が取得!
平成28年3月には文京区指定有形文化財に指定されました。(元々平成15年には国の登録有形文化財)
菊坂跡見塾として活用、週末には広く一般公開を行っています。

所有者の方が
維持・管理が困難になり土地や建物を売りに出した為
存続が危ぶまれていましたが、跡見学園が名乗りを上げ
紆余曲折あったものの
文京区
が大学の購入費の一部を補助することで、交渉がまとまったらしい。



跡見学園も文京区も素晴らしい!区民有志のご尽力もあったとか。
歴史的建造物に理解のない自治体が多い中、本当にありがたい。



私が毎日(毎晩)のように見ていた頃は
もっとくすんだ、街中のモルタル住宅のような色でした(薄茶っぽい)。
いつのまにか真っ白にお色直しされてた。





見事な出桁造り。所々銅板も。
明治40年4月の上棟だそうです。



室内は撮影禁止でした。

学園の方?が案内してくださいます。蔵の内部や店の接客間・お茶の間など。
そんなに時間はかかりません。

案内が終わって裏庭にも出てみました。



2階の「おたふく窓」がいい雰囲気です。



ちょっとしか見えませんが質蔵の裏側は「黒漆喰」でした。


路地からもちょっとしか見えない^^;
裏側だけ黒漆喰なのは何故だろう?


そしてこれまた何度も訪れている一葉旧居跡と一葉が使ったという井戸。



井戸ポンプも2014年頃はサビたような緑色でしたが、塗り替えられています。
本郷散歩☆井戸ポンプの存在確認





旧居跡から、何度歩いても癒されるので路地裏散歩も楽しませてもらいました

下見板張りの住宅には緑と路地裏が似合う。








文京区には、まだまだこのレトロな木製の牛乳箱が残っています。
使われているかどうかは定かではありませんが。。

この近辺には8つの井戸ポンプがあります。
別の日にその現存確認、新しく発見もしたので(古いけど)、後日アップしたいと思います。


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求道会館の一般公開~内部編~

2019年10月16日 | 本郷散歩(東京・文京区)

更新が遅くなりましたが、

前回の求道会館の一般公開~外観編~に続き、内部です。
※求道会館については前回の内容をご参照下さいね。


内部は吹き抜けの構造で、入場してすぐ目に入るのが祭壇ではなく、阿弥陀如来を安置した六角堂
奥半分が壁に埋まっている造りになっています。


純日本式のヒノキの白木造り、銅板葺き屋根だそうです。
※銅板は帰宅後に知った。



1階は木製の長椅子、2階席は元々はゴザ敷きだったそうですが現在は3ステップの木製床のギャラリーです。
説法のため常観が入ってくると、人でいっぱいになった会堂内に歓声があがったそう。




前回も触れましたが、この日たくさんの興味深いエピソードやお話を聞かせて下さったのは、
求道会館を創設した
近角常観のお孫さんで求道会館・求道学舎の所有者であると同時に
修復工事の際の設計者でもある建築家の近角真一さんでした。
設計事務所の代表で、東京建築士会の会長でいらっしゃいます。
(あとで書きますが、大正時代に建てられた求道学舎を残すために尽力されています)



天井の造りは、詳しいことはわからないのですが、ハンマービーム形式のトラスだそうです。
今ではPCなどで簡単にできる時代ですが、当時このような高度なトラスをしっかり設計できたことは
ものすごいらしいです。
(サイトより抜粋)




寺院によく見られる格天井でなく、教会のような天井にしたのは、近代化と共に仏教も変わらなければいけないという
思いの表れだったのでは、というお話でした。


2階の手摺は鉄製のフラットバーを使用、卍をかたどっていますが
羽ばたいている鳥をイメージしてあるそうです。鳥が説法を聞きに集まっているイメージだそう。


上から見た様子。



六角堂の後ろにある半円状の浮き彫りはお釈迦様の後光です。
金色ではなく黄色で、後光の内側はピンク色(慈悲の色)だそう。外側はクリーム色の漆喰壁。

ところで、
現在こちらではコンサート等も行なわれるということですが
とあるバイ
オリニストさんが、音がきちんと戻ってくることに感動したそうです。
教会建築と同じ様式で建てられているから、共鳴効果というのかな、音響効果に優れているのでしょうね~。



外から見えた半円窓の内側にはステンドグラス。


菩提樹をかたどった模様で、小鳥も説法を聞きに来ているのが表現されています。


2階にある小会堂も案内して下さいました。
こちらは畳敷で純日本式の床の間が。
照明も、現存していたものから型をとり復原したそうです。

資料に残っている近角常観と武田五一の、設計・施工に関するやりとりやエピソード、
お二人の
建物への思いなど貴重なお話を聞くことが出来ました。


ちょっとボケちゃった。






2階から求道学舎がちょっと見えました。


最後にお孫さんで改修の施主・建築家の近角真一さんから聞いた求道学舎のお話を。

求道学舎は前回も書きましたが、仏教を学ぶ若者の下宿として近角常観がモダニズム建築家の武田五一に依頼し、大正15年に建てられました。

常観は学生たちと寝起きを共にしたそうです。

しかし昭和平成と老朽化が進み、紆余曲折ありながらも「定期借地権のコーポラティブ方式」を採用した集合住宅へと再生し、2004年~2006年の改修で日本で最も古いリノベーションマンションとして生まれ変わったということです。

改修設計はもちろんお孫さんの近角真一さん。

外観はほとんど変えることはなく、かつての求道会館の趣と歴史をつないだままの改修を実現。

現在一般の方々が住まわれています。

一時期は取り壊してマンション建設の案も出たようです。※情報サイトより

なんとか、建物を活かした運営ができないものかと悩まれたようです。

室内はおろか外からもわずかしか見えないけれど、ひとつの歴史的建造物がそれを建てた末裔の方が守ってくれた。

常観さんも武田五一さんも喜んでいらっしゃることと思います。

 

 



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求道会館の一般公開~外観編~

2019年10月08日 | 本郷散歩(東京・文京区)

6月半ば、東京・本郷の裏道にある「求道会館」の内部一般公開に行って来ました。
※6年前にこの記事でさらりと紹介しています→本郷散歩~明治・大正・昭和の建物~

10年ほど住んでいた本郷の、よく通っていた裏道にあり、その頃は草もボーボーで廃墟状態でした
古い建物にまだ関心がなかった10代20代、通っても「ここなんだろう?」と思うだけだった。

今はもちろん修復されており、普段は入れませんが毎月第四土曜日のみ公開されます。

そして今回内部公開へ参加して、なぜ廃墟だったか判明するとは思いもしませんでした。



道会館は、いわば仏教の教会堂です。
仏教界の刷新を志し欧州の宗教を視察・体験してきた浄土真宗の僧侶・近角常観(ちかずみじょうかんという方が、
新進気鋭の建築家・
武田五一(後に日本のモダニズム建築家京都帝大建築学科の創設者となる)に設計を依頼し、
12年の歳月をかけて煉瓦造り(一部鉄筋コンクリート)の重厚な建物を大正4年に完成させました。
隣接して仏教を学ぶ若者の下宿として、大正15年に建てられた求道学舎があります。
常観は求道学舎にて青年学生と起居を共にし、自らの信仰体験を語り継ぐ場としたそうです。

昭和16年に常観が没したあとは弟の近角常音がその活動を受け継ぎましたが、
常音が昭和28年に亡くなったあと会館は長く閉鎖されることになりました。
その後平成6年に東京都の有形文化財に指定され、平成8年~14年に掛けて修復工事が行なわれたそうです。
※サイトから抜粋

受け継いだ弟さんが亡くなられた昭和28年から修復が始まる平成8年、随分と長い年月放置されていたのですね。
修復が終わったのが平成14年ですから、50年も閉鎖されていたことになります。

ちょうど昭和の終わり~平成初期10年程はすぐ近くに住んでいたので、草ボーボーの廃墟状態に納得がいきました



改修工事が行われて、寺院と教会建築の融合である往時の姿を取り戻し、大正モダンの素晴らしさを今に伝えています。

そして大正4年の竣工時は、このように西洋の教会建築様式を取り入れたものですが、
実は竣工後に関東大震災に襲われ、修復した時にはもっとシンプルな外観に改変されていたとのことです。
規模は違えど東京駅の事情と似ています。
(東京駅は戦災後の復元ではドーム部分と3階が再現されなかった)

復原にあたり近角常観のお孫さんの建築家・近角真一さんが資料を方々から集め、耐震補強を兼ねて外観を竣工時に戻したとのことです。

さて、その近角真一さん。
今回、内部見学にあたってかなり興味深く面白く、解説して下さいました。

入場
してからものの2,3分で「それではお集まり下さい」と、優しげな紳士から呼びかけがあり着席。
お話の途中で
、その紳士が近角常観のお孫さんで求道会館・求道学者の所有者であると同時に
修復工事の際の設計者でもある建築家の近角真一さんであることを知ることになります。
しかも設計事務所の代表、東京建築士会の会長でいらっしゃいます(これは帰宅後に知った)。

すごい方からお話を聞いたのでした。




この半円窓の裏側(内部側)はステンドグラスになっています!




玄関前の列柱は少し楕円。よく見る近代建築の列柱は円柱が多いから珍しい~


この赤?エンジ色?がなんとも素敵。


細かいところまで細工がきいてる。


持ち手がレトロで手にもやさしい。

そして建物左手には、



求道学舎への門があります。クリーム色の建物が求道学舎です。
正確には旧・求道学舎かな。
現在は集合住宅になっており、一般の方が住まわれているので入れません。






ズーーム。
アーチ状の素敵な窓が見えます。

求道学舎は、仏教を学ぶ若者の下宿として大正15年に建てられました。
創設時の設計はもちろん武田五一。

当時日本に導入されはじめたばかりの鉄筋コンクリート造で建てられ、アーチ状の窓をもつ西洋風の外観は
まるでホテルのような白亜の建物だったそうです。
「3階建ての建物の中には、6畳1間の部屋が30室以上並び、共有スペースには食堂や書庫もあり、近角常観をはじめ一族も暮らしていました。ひとつの大きな家族のようで、常観の子供達も中学生になると寮室に入り、成人して結婚すると寮室を2つ連結して新居にするという具合です。
私の叔父などは、幼い頃廊下を三輪車で走りながら寮室にいる学生に郵便物を配って遊んでいたそうです」(近角真一さんのお話より・ネット記事からも抜粋)


しかしながら、昭和平成と時を経てツタがからまり度重なる漏水で建物は廃墟化し、求道会館・求道学舎とも閉鎖を余儀なくされました。

常観亡きあと「求道学舎」は近角真一さんの叔母さま夫婦が舎監を務め、平成に入っても学生を受け入れてきたといいます。
「改修直前の頃には雨漏りにより3階、2階は全滅、かろうじて1階に叔母とわずかな学生が残る状態。平成11年(1999年)に叔母が亡くなったこともあり、求道学舎の在り方を見直すことになったのです」(近角真一さんのお話より・ネット記事からも抜粋)

ここから、近角真一さんの「取り壊しではなく再生を決断したその想い」が始まります。
平成16年から平成18年まで、リノベーションが行われました。
この話はまた次回に。



右書きが古さを物語っていますね~


日本の近代化か進むにつれて、心の拠り所として多くの知識人や学生に慕われた近角常観。
常観が入ってくると、館内にわぁーーっと歓声があがったそう。
求道会館には連日常観の“説法”に人々が集まり、求道学舎では東大の学生が常観の共に暮らし、次世代へとつなぐエリートを輩出した。
常観の“人材育成”の拠点として存在したのが、この「求道会館」であり「求道学舎」であったそうです。



求道学舎の再生の話と、求道会館内部の様子は次の記事にて!



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東大総合図書館の改装が終わってました。

2018年12月27日 | 本郷散歩(東京・文京区)

長らく改修工事をしていた東大本郷キャンパスの総合図書館。
久しぶりに見ることが出来ました。

工事中の画像はコチラ。
過去記事☆東大の総合図書館が・・(約3年前)
過去記事☆ノスタルジック東京19~東大本郷キャンパス~(1年前)



逆光でごめんなさい。
本棚に並んだ本の背表紙をモチーフとした外観はそのままですが、キレイになっています。
歴史を重ねたものしか出せない風合いはなくなってしまったけど、入口の何連にもなったアーチ状のところは古さを残してくれている気がする。
どちらにしても素晴らしいデザインです!

木々が色づいた頃だったので銀杏の木も。








今まであまりちゃんと撮ったことなかった赤門も。



正式名称「旧加賀屋敷御守殿門」。
本郷キャンパス内に現存する、関東大震災前の建造物で、江戸時代に将軍徳川家斉の娘が加賀藩主前田斉泰に嫁入りする際に建てられたそう。
赤門という名前の由来は、当時大名諸侯が将軍家から奥方を迎え入れる時に朱塗りの門を建てるのが慣例になっていたため。
昔は赤門がたくさんあったそうです。
※情報サイトより

こんなに赤門のこと調べたの初めて笑
かつて近くに住んでいたから、この風景は当たり前過ぎた。





ちなみに正門ではありません。

あまりゆっくり出来なかったから、
今度は1日かけて1人で歩こうと思う。
逆光じゃない図書館も撮りたい。



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本郷散歩☆井戸ポンプの存在確認

2018年02月28日 | 本郷散歩(東京・文京区)

昨年11月、職場の後輩と東大本郷キャンパスを写真撮りながら散策したあと、
本郷の裏道を案内がてら、ちょっと付き合ってもらいました。

年に1回か2回ですが、懐かしの井戸ポンプがまだ残っているか確認・記録したくて。
そしたら、ちゃんとそこにあるはあるのですが、化粧直しされている井戸ポンプもありました。
過去の画像と比べながら記録したいと思います。


ミントグリーンがかわいい井戸ポンプ。
こちらはかなりの変化がありました。
2013年の画像


これも2013年。反対側から見た風景


2014年の画像。奥の平屋住宅がすっかり無くなっていました・・


2016年の画像。周囲の平屋住宅跡に、一軒家が建っていました。


でも井戸ポンプは変色するも健在!


そして2017年。。。

井戸ポンプ自体が、すっかりリニューアルされてます^^;
交換したのかな?色も前のヤツに上から塗った感じではないし、そもそも水が出る方の向きが違う。
板も新しいし、セメントの水受けはまたセメントで埋められている。
信じられないようだけどこれ、前の5枚の画像と全く同じ場所なんです。
でも井戸ポンプ自体があってよかった。

正面から。



そして、菊坂と並行した下道の、また路地裏にある
樋口一葉旧居跡付近にある井戸ポンプ。
2013年にも撮っていますが、これは2014年の画像


これが、、、

すっかりお化粧直しされていました!
ちょっときついブルーだなぁ^^;
樋口一葉が使っていたという井戸ポンプだけど、ちょっと想像が難しい笑。
でもこれもまた、年月がたてば風情が出てくるのでしょう。


こちらの井戸ポンプは・・(2013年の画像)


2017年、ほぼ変わってない。

風景も、ほぼほぼ一緒!!


ちょっとサビが増えたかな。
もうこの路地にぴったりの趣き。


↑の近くにあるカッコイイ井戸ポンプ。
これも2013年画像


2017年。変わってない^^



少し色あせたかな?



こちらの井戸ポンプも健在でした。
2013年画像


2017年、変わっていません。



後ろからのフォルムもいい。


あともう1ヶ所、その存在が気になる井戸ポンプもあったのですが、時間がおしていたので
次回はそこから見ようと思います。
日本のレトロ遺産、ひとつでも多く残っていますように・・


☆本郷散歩過去記事☆

かつて住んだ街、文京区本郷
本郷散歩~本郷館の変貌~
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本郷「菊水湯」の名残り


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本郷「菊水湯」の名残り

2017年12月16日 | 本郷散歩(東京・文京区)

以前、本郷散歩~変わりゆく風景~の中に載せた、
かつて通っていた本郷の銭湯「菊水湯」。

廃業・解体され、今はマンションになっていますが、
先月通った際にふと見ると、、、


銭湯入口の、唐破風(からはふ)造りの上部の、
鬼瓦がマンションの前に飾られていました!

※4年半前の写真。


かつてここに、100年以上続いた銭湯・菊水湯があったという証し・・
毎日(金曜定休日は別の銭湯)、母と通った思い出の場所。
無くなったのは悲しいけど、なんだか救われた気持ちになりました。

ほかにも歴史的建物が無くなってしまった場所が、本郷にはたくさんあります。
どこかに名残りがあるかもしれない。
今度ちょっとそれを探す散策に出てみよう。



☆本郷散歩関連記事☆

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東大の総合図書館が・・

2016年02月28日 | 本郷散歩(東京・文京区)

今月半ばに本郷散歩した時、久し振りに東大の中も歩きました。
かつて、あまりにも近くに住んでいたため、あまり写真を撮ったことがなかったのですが、
ふと思い出してあの素敵な総合図書館を撮ろうと、正門から入って向かうと、、、


なんと工事中。。。



かなり前から工事中の模様。
本郷に来ても、東大にはあまり来なかったからな~(というか来るの忘れていた・レトロの宝庫なのに)


反対側からも垣間見れました。

工事中というのも、ある意味レアな画像だけど、
あの、本棚に整然と並ぶ本の背表紙のような建物を、古いまま撮影したかった。

今度改めて、東大散歩しに来よう。。。


せっかくなので、いろいろ画像を。










真冬の三四郎池(しかも雨)。


また、天気の良い時に廻りたいと思います☆



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本郷散歩~変わりゆく風景・その2~

2016年02月20日 | 本郷散歩(東京・文京区)

かつて住んだ街・文京区本郷の街並をカメラに収めるべく(喫茶店めぐりも兼ねて)、2011年頃から時々歩いています。
もうかなりの枚数になりますが、変わりゆく風景を目の当たりにする度に、もっと残しておけばよかった・・と毎回後悔します。

今回も、そんなやりきれない記録ですが残しておこうと思います。
※在りし日の姿は2011年6月~2013年・2014年頃の画像です。


実家のあった場所から徒歩4分くらいの場所にあって、よく通った坂道にある、石川啄木・縁の宿「太栄館」。


こちらの旅館がなんと、、、



きれいに無くなってました。。。

ショック。。。
ご近所喫茶のママは「経営者がお年だから仕方ないわよ~」と言ってました。
そうですね・・


そしてこちらは、何年か通った銭湯「菊水湯」。



こちらもまさかの、、、


消滅。。。


そういえば、閉店のことをテレビで取り上げていて「奥さんが泣いていた」と姉から聞いていました。






これ、傘入れだったかな?
靴箱は横にありました。下足札、思い出に欲しかったな・・
いつも、閉店ギリギリで迷惑かけました。


この煙突も、もうありません。
撮っておいてよかった・・


目の前の、風情のある昔ながらの散髪屋さんは、



建て替え中でした。残念そうに見守る同僚。
しかし、住む人にとっては新しい方がいいに決まってますよね。


あと、気になって向かったのが、こちらの井戸。



↓ ↓

きれいなお家が建って、すっかり平成の街並に。
(同じ場所とは思えない)


でも井戸が健在でよかった!!以前の画像(多分2013年)より大分、変色してるけど・・


反対側から見ると周囲は、こんな感じの昭和な佇まいでした。


記録している今も、気がせいてなりません。
時代の流れでやむをえないことだけど、確かにそこにあった、ということをこれからも残しておこう。



鳳明館台町別館の梅。




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本郷散歩~変わりゆく風景~

2014年04月24日 | 本郷散歩(東京・文京区)

姉が、私たちの実家のあった本郷界隈を歩いてみたいと言ったので(散歩番組で見たらしく)
1ヶ月前から休みを合わせて先週行ってきました。私は約1年振り。

その日の日中はコートを脱ぎたくなるような陽気で、お散歩日和。
古い木造の一軒家がいくつか残る雰囲気の良い鐙坂(あぶみざか)、樋口一葉が使っていたとされる井戸の付近や質屋蔵、明治に下宿屋として建てられ今は旅館として残る鳳明館の通りなどを歩きました。

姉を案内しながら、私もいろいろ確認。特に井戸はいくつか確認しました。
その中のひとつ、とある路地のあの井戸まだあるかな?と入っていくと、井戸はあったのですが、、、


隣の住宅がなくなっていました・・・。

   ↓ 昨年の画像
  
失われつつある路地裏の風景。この通りのお宅の周りには植物も多く、温かみのある空間だったのですが。。。
住宅は事情があることですから仕方ないにしても、
勝手な言い分は重々承知ですが、井戸は昭和の遺産だと思うので残してもらいたいものです。



別の場所では、こちらの木造のお宅がマンションになっていました。

画像は昨年撮影のもの。この時は個人宅のため載せませんでしたが、もうマンションになって
しまっているので今回アップしました。

いろいろな事情があるでしょうけど残念です。この付近もどんどんアパートやマンションが建っています。





そして一軒家の生野菜ジュース専門店(喫茶店)のユーミン。
特許取得済の繊維を壊さないジューサーで100%天然素材のジュースを作ってくれるお店でした。
3年前の訪問記事はこちら
   
店主がご高齢なので、時々ネットで調べていましたがついこの間閉店との書き込みを見たので
確認に立ち寄ったら、、、

  
やはり閉店されていました。創業75年!こんな長きにわたって営業していた喫茶店をほかに知りません。
お疲れ様でした、と言いたいです。本郷在住の頃も含めて3~4度ほどしか入店できませんでしたが、
美味しい健康ジュースをありがとうございました。




ちなみにこの日のお昼ご飯はこちらで。

「ひさし」が以前は確か黄色でしたが、新しくなっていました。


ハンバーグとカニクリームコロッケの定食。
ごはんは半分です。どちらもまいう~!特にハンバーグがお肉のうまみたっぷりで美味しい^^


お茶はこちら。元実家のすぐ近くです。亡き父もたまに珈琲を飲みに来ていました。



住んでいた頃私は入店したことがなかったので、帰る時○○のとこの娘です、と屋号を話したら覚えていて
くれました。


馴染みのある風景が変わってゆくのはさみしいことですが、今残っている場所をなるべく多く記録しておこうと思います。
あとで後悔しないように、もっともっと訪ねよう。




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本郷散歩~それぞれの井戸ポンプ~

2013年06月23日 | 本郷散歩(東京・文京区)

本郷菊坂周辺には、古いポンプ式の井戸がいくつか残っています。

本郷に住んでいた頃はまだ若かったので、井戸の話を聞いても多分それほど興味がなく、長いこと忘れていました。
でも教えられて、路地裏で井戸らしきものを見たことがあります。

あまりよく覚えていないのですが、今回の散策で見付けてみようと思いました。

事前にネットで井戸があるらしいという場所だけ調べて、あとは土地勘だけが頼り。

結果、6つの井戸ポンプに出会えました。
都心のかなり狭いエリアに、こんなにあるなんてビックリです。



まずはコチラ。ミントグリーンが可愛らしい井戸ポンプです^^
  

  
古いけど手入れされている感じ。周囲が片付けられているのでまだ現役かな?



こちらは本郷散歩~路地裏迷宮案内~にも
アップしましたが、樋口一葉旧居跡にある井戸ポンプ。
  



サビサビがまたいい感じの井戸ポンプ。こちらも現役でしょうか。
  

  
主に防災用なんですね~



ちょっとかっこいい井戸ポンプ。柄の部分がめっちゃ長い^^
  

  
反対側からも。パっと見、井戸に見えません。古いのに新しい井戸って感じ。



路地に溶け込んでいる井戸。使っていなさそうでした。
現役の頃は、キレイなエメラルドグリーンだったんだろうなぁ・・
  



そして、、、
  
とある路地のドン突きに、大通りを見つめるかのように鎮座する井戸ポンプ。

  
元々はミントグリーンだったのでしょうか。サビ加減に哀愁が漂います。
私を忘れないで~と聴こえてくるようでした。


これらのポンプ式井戸は、大正~昭和30年代後半、水道が普及するまで日本中のどこの家でも見られたそうです。
1軒にひとつというわけではなく、何軒かで共同だったということだから、これらの井戸ポンプの周りでも、井戸端会議は行われていたのでしょうか^^

それぞれに個性があり、それぞれに違う人々の暮らしを支えてきた井戸ポンプ達。


宝探しのような気分が味わえた井戸探しでした。
見付けた時は、心の中で「あったーーー」と叫び、若干手が震えます^-^;
きっと本郷だけでなく、都内のあちこちにまだ生き残っているんだろうな。
いつか別の場所も探してみたいです。


※路地に入る時は静かに歩き、もし住民の方に出会ったら「井戸の写真を撮ってもいいですか」と話しかけるようにしています。十中八九、にこやかにどうぞと言っていただけますが、それでも1~2枚撮影したら、ささっと退場します。



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本郷散歩~歴史ある純和風旅館~

2013年06月21日 | 本郷散歩(東京・文京区)

東大本郷キャンパスの敷地に江戸時代、加賀前田藩の上屋敷があったことは有名ですが
(水戸藩や他の藩も)本郷5・6丁目界隈も、広大な武家屋敷だったそうです。
それが明治の終わり頃からは下宿屋や旅館に変わり、本郷は旅館街となりました。
最盛期の昭和初期には120軒を超えたそうです。
昭和35年頃も、本郷界隈には約60軒もの旅館があり、町は修学旅行や東京見物の宿泊客で賑わっていたとか。

私が住んでいた頃も、まだ本郷通りには観光バスがよく停まっていました。
姉の結婚式の際には、父や母が親戚のために近所の旅館を予約したりも。

今回ぶらりするまで忘れていましたが、今思えば私のアルバイト先(カフェテラス)の友達やお客さんも、何人か下宿屋に住んでいたりしました。

時代の移り変わりとともに、下宿屋や旅館は今、ほとんどがマンションや駐車場になっています。

江戸から平成の間に、武家屋敷→下宿屋→旅館→マンションor駐車場、と変遷しているわけですね。


そんな中、下宿屋をルーツとした5軒の日本旅館が、今も営業を続けています。


鳳明館本館です。



正面玄関


鳳明館本館は平成12年に登録有形文化財に指定されています。この指定を受けた建物で営業している宿泊施設は都内では唯一だそう。



こちらは道を挟んで、すぐ隣りにある鳳明館台町別館です。

手前にある離れのような建物はお風呂だそう。
余談ですが一時期、銭湯通いで毎晩ここを通ってたので
こんなお風呂入れたらいいなぁ~と思ってました^^;

正面玄関です。




鳳明館森川別館です。本館や台町別館とは少し離れた場所にあります。



鳳明館本館は明治30年代に下宿屋として建てられ、昭和初期に下宿屋兼旅館に改築し、昭和20年に全面的に旅館になったと思われる、と何かに書いてありました。



大栄館です。



石川啄木が、同郷の金田一京介に助けられ、一時的に住んだ「蓋平館」の跡地だそうです。


かなり急な「新坂」という坂に沿って建っています。


この坂、一時期毎日チャリで通ってました。キツイですが登り切ると嬉しかったな~
またも余談でした、すみません。


朝陽館本家です。



こちらは本郷一丁目。東京ドームの近くです。
創業は明治37年!下宿屋と兼業だったそうで、戦後旅館になったということです。

医師免許を持つ漫画家の、故手塚治虫先生も仕事で泊まったことがあるそうで(いわゆるカンヅメ)そのお部屋も今は宿泊用として使われているそう。


関東大震災や戦時中の空襲でも生き残ったものの、今では昔の建物を修理できる職人さんがいないのだとか。
歴史ある建物を残す大変さは、経済的な事情と共に技術的な面が大きいのかもしれません。



以上、私が知る限りで今も本郷に残っている下宿屋をルーツとした純和風旅館は、この5軒です。
鳳明館を1軒とするなら3軒・・

本郷以外では、文京区向丘に「更新館」というこちらも風情ある旅館があります。

どれも歴史の記憶を伝える、貴重な建物。

記憶と言えば、
今、本郷にある「〇〇館」というマンションや駐車場は、前身は旅館や下宿屋であったりします。
せめて名前だけでも受け継がれているのが救われます。

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本郷散歩~緑たっぷり~

2013年06月15日 | 本郷散歩(東京・文京区)

本郷散歩、まだ歴史と伝統の純日本旅館やらポンプ式古井戸やら、いろいろあります。
ですが、読んでくださる方々がノスタルジー画像ばかりで飽きてしまうと思うので、
小休止?してここで緑たっぷりな画像を。


本郷通りは東大に沿って、クスノキやイチョウがそびえたちそれは圧巻なのですが、、、




この日は枝打ちされていました。。。

画像右方向、モコモコですよね~
切らない方が午前中は涼しいのに・・(午後は西日がきつい)
本郷に住んでいた当時、この並木道の下を、母が毎晩飼っていた犬を散歩させてました。
夜は静かなので・・


   
住宅街の一角に「もじゃハウス」。電線まで・・^^;これはひげじぃもビックリしますな。



ところ変わって、本郷4丁目のとある公園。ここもよく通った懐かしい場所。
春は桜の花が盛大に咲きます。



上の画像の続き。横に長い公園です。紫陽花が、ちらほら咲き始めた頃でした。

樋口一葉も、妹と虫の声を聞きにここをよく訪れていたようで、日記にそのことが書かれているそうです。

台地の斜面に沿って作られているため、二段になっている珍しいタイプのこの公園、
清和公園といいます。
昭和初期、この公園の真ん前に建てられた「清和寮」(平成7年取り壊し・現在は本郷四丁目アパート2)という独身寮があったため、清和公園と名付けられたということです。

かつては右京山と呼ばれていました。(今でも通称として呼ぶ)
江戸時代に高崎藩主・松平右京亮(うきょうのすけ)の中屋敷があったからだそう。

明治維新後は放置され原っぱになり、大正から昭和16年くらいまでは軍の本郷連隊司令部があったんだって。

土地にも名称にも激動の歴史あり、ですね~

コメント (4)
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