風とみどりに戯れて! 

風の訪れる庭、田舎暮らしの記録

東日本大震災から10年

2021-03-11 | 東日本大震災
岩手県から一通の便りが届いた。

東日本大震災から10年、支援への感謝を伝える岩手県知事名の手紙です。

あの時「家族を亡くした子供たちへ」と心ばかりの気持ちを届けただけ、
10年・・・被災地を想うけれど、何処か他人事になってしまっている、
そんな自分が心苦しく思えてしまいました。

復興への歩みを続ける三陸のパンフレットが入っていました。
三陸沿岸道路もあと少しで全線開通となるようです。



岩手県は主人と娘の3人で訪れました。
中尊寺、小岩井牧場、花巻温泉、釜石・・・
「また行きたいね」から15年は経ってしまったでしょうか。

「旅行はもういいや」と行き尽くした感がありましたが、
コロナ禍で1年以上閉じこもっていたらウズウズ・・・
いただいたパンフレットにあった「龍泉洞」行ってみたいですね。

4年前に訪れた福島も気になります。
あの除染物の山はどうなったのでしょうか?
飯館村、浪江町、大熊町・・・懐かしい地名、
道路閉鎖された町「帰還困難区域」の看板の光景が今も浮かんできます。
忘れてはいけないこと、10年を経て今改めて心に刻むこと。

久しぶり我が家の非常持出袋の点検をしました。

ライトや充電器も使ってみないと・・・
いざという時に間に合いませんね。










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東日本大震災から9年

2020-03-11 | 東日本大震災
3月11日、東日本大震災発生から9年、
防災無線から発生時刻の14時46分に合わせて、市長の「黙とう」の声。
庭仕事の手を止め、北の空に向かって静かに目を閉じた。

あの日、車の中で大きな地震の発生を知った。
車載TVの映像は逃げる車に迫る津波・・・
娘たちのアパートに向かい、2歳のMちゃん、2か月のNちゃんを抱いてTVに釘付け。
まるで映画を見ているような、現実とは思えない映像が流れていた・・・

もう9年、被災者の方にとってはまだ9年。
3年前、被災地福島を訪ねた、飯館村から東相馬、第一原子力発電所の大熊町・・・
今も思い出すのは、いたる所に積み上げられた黒い袋の山。

除染により取りのぞいた除去物を積みあげた仮置き場の光景です。

この時期になると、
東日本大震災を忘れないために「福島レポート」ブログを覗きます。
今、あの町はどうなっているんでしょうか?

忘れてはいけない事があります、
今の平穏がある日一瞬にかき消されることがあることを。

お時間がありましたらこのブログのカテゴリー「東日本大震災」を覗いてください。

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さようなら一本松

2017-12-28 | 東日本大震災
何気なく見ていたTVから、「さようなら一本松」、
東日本大震災の津波に耐えた「かしまの一本松」が切り倒されるニュースでした。
今年6月、福島県南相馬市鹿島区を訪れこの一本松を見てきました。

その時もすでに枯れてしまった一本松でしたが、
津波で地区の住民54人が犠牲になり、数万本の松がほとんど流される中、
生き続けてきた一本松は、大きな力、心の支えとなってきたでしょう。
たった一本浜に残り何も語らずとも、
人々を励まし、震災の悲惨を伝えてきた一本松・・・
切り倒されても、人々の心に根を張り続けるでしょう。

さびしいニュースですが、「松の種から育った苗木が、防災林の一角に植えられる」
と言う明日につながる希望が嬉しいです。

伐採された一本松は表札に加工し、地区に住んでいた住民に配るそうです。

この一年いろんな所に出かけましたが、
福島は一番心に刻まれた旅でした。
今、わたしたちは生き残った者として何ができるのか。
「忘れてはいけないこと」震災の教訓をもう一度。

カテゴリー「東日本大震災」覗いて見てください。

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福島レポート(いわきの東日本大震災展)

2017-06-15 | 東日本大震災
小名浜の「いわき・ら・ら・ミュウ」に立ち寄った折、
海を見ようと2階に上がり「いわきの東日本大震災展」に出会った。
そこは、2011年3月11日、あの日何が起こったのか記録されたコーナーだった。
展示のタイトルにもある言葉は深く心に刻まれた。
忘れたくとも「忘れられない」ことを抱かえながら 生きていく人々の姿・・・。
それを支えるのは、多くの人々によって少しずつ灯されていく希望の灯だ。
今、自分たちに、生き残った者として何ができるのか。
そこには「忘れてはいけないこと」がある。
展示はあの日の悪夢の記録、しかし未来への警鐘。

避難所の段ボールで間仕切りしたスペースが再現されている。
そばにいた女性が話してくださったのは、
「うちの娘も避難所にいたけれど、ブルーシート一枚で段ボールすらなかった」と。
床で食べる非常食・・・
今、平和な日々を当たり前と思って生活している私たち、
この東日本大震災の教訓を忘れてはいけないのだと
改めて強く感じました。
この展示は、いわきの人々ではなく、
震災から遠く離れた人々が見るべきだと思います。
震災と津波で壊滅的な被害を受けた町、
この日の小名浜港は、
あの暴れた海と同じなのかと信じられないほど、静かに青かった。

あの日、私は車で震災を知り、すぐ娘のアパートに駆けつけた。
2歳と生まれて2か月の孫たちを抱いて、鳥肌のたつような映像を見ていた。

自分ならどうしただろう?
想いは前に進まず、自分には及ばないだろうと避けている私がいる・・・。

しかし、災害はいつどこで起きても不思議ではないこと。
「忘れてはいけない」このことを心に刻む旅でした。
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福島レポート(富岡町から楢葉町)

2017-06-15 | 東日本大震災
楢葉町と言えばJヴィレッジ、
サッカーのナショナルトレーニングセンターですね。
原発事故の対応拠点に使われたサッカー施設もその役目が終わり、
グラウンドの天然芝の張り替えが行われました。
平成30年夏には一部再開されるようです。

「道の駅ならは」ハッピーロードネット事務局でこんなお宝に出会ってきました。
サッカー日本代表の懐かしいメンバー、
震災前年、2010年10月のものです。
道の駅は双葉警察署臨時庁舎になっていますが、
道の駅として営業再開に動き出しているようです。
放射線量を測る「モニタリングポスト」が設置されています。
数値は0.077マイクロシーベルト。
ここは富岡町あたりの復興住宅でしょうか。
一歩ずつ、前に向かっている福島、頑張れ!
コメント (2)
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