乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

奈良市杉岡華邨書道美術館 【企画展】 源氏礼讃・高木厚人展 杉岡華邨作品(伊勢物語関係あり)

2024-06-02 | 美術・文様・展示物

 

 奈良市杉岡華邨書道美術館

【企画展】 源氏礼讃・高木厚人展である 2024年4月20日(土)~7月15日(祝・月)

 2階 杉岡華邨作品(伊勢物語関係、あり)

 

 奈良市杉岡華邨書道美術館を楽しむ。

 一階は高木厚人館長の源氏物語を軸とした企画展。

 二階は、杉岡華邨作品の数々。わたくしの好きな伊勢物語関係もあった。

 

 一階には人が多く、ゆっくりと読みむことはできなかったが、二階の杉岡華邨氏の作品にはひとがいらっしゃらず、ゆっくりと読むことができた。

 読みやすい文字で、空間が美しいと感じた。

 

  源氏礼讃・高木厚人展には源氏物語の軸などの対策もあり、火を改めてゆっくりと味わいに行こうと感じた。

 只今早稲田大学のデジタルライブラリーからお借りした『桐壺』を読んでいるので、この企画展はしっかりと見てきたいと感じた。

 

 (伊勢物語関係、あり)

 

以下は、奈良市杉岡華邨書道美術館公式HPより

    ▼

 奈良市杉岡華邨書道美術館は、当時文化功労者で、2000年秋に文化勲章を受章された杉岡華邨氏より、奈良市が作品の寄贈を受けたのを機に、氏の功績を称え、貴重な作品を永く後世に伝えるとともに、書道の発展に寄与するため、2000年8月4日に開館した書道専門の美術館です。

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美術ドキュメンタリー映画「京都 やまと絵師物語」 4.1★/5

2024-06-02 | 映画

 

美術ドキュメンタリー映画「京都 やまと絵師物語」 4.1★/5

 

 

 

 美術ドキュメンタリー映画「京都 やまと絵師物語」を見る。

 完全なるどきゅメンタルスタイルの栄華だが、構図の取り方が美しい・

 やまと絵の認識が深まり、ありがたい映画だった。

 

『伴大納言絵巻』も出てきて、早稲田大学の方が絵巻を広げてくださったその絵巻の広げととじ方が美しかった。

 好きな絵巻物の一つだったので、手に取り広げられた姿を見て、大変うらやましく感じた。

 

 この映画には北斎や絵金といった画家も出てきた。

 映画を見て、北斎は天才、絵金は芝居のディフルメの瞬間を躍動的に誇張するのが上手い歌舞伎を深く知った画家だと感じた。

 

 またこの映画は、京都国立博物館などではなく、奈良県立博物館を筆頭に大阪歴博なども協力しているところに面白みを感じた。

 

 今回も見たという簡単な記録だけで失礼いたします。

 

(上の写真は絵金:大阪 あべのハルカス美術館にて)

 

 幕末から明治初期にかけての京都「やまと絵師」の知られざる物語を 描く美術ドキュメンタリー映画。

 雅で華麗な「やまと絵」の背後には 名もなき絵師の熱き思いがあった。

 千年以上もの間、人々の心を潤してきた日本伝統の絵画様式は、「永遠の都」京都も輝かせてきた。

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ドラマ『だから殺せなかった』3.5★/5 2022年 原作 ⼀本⽊透 監督 権野元 脚本 前川洋一   玉木宏 萩原聖人 古田新太 高岡早紀 渡部篤郎

2024-06-02 | ドラマ

ドラマ『だから殺せなかった』3.5★/5 2022年 原作 ⼀本⽊透 監督 権野元 脚本 前川洋一    玉木宏 萩原聖人 古田新太  高岡早紀  渡部篤郎

 

 

 ドラマ『だから殺せなかった』を見た。

 まぁまぁ面白かった。

 

 見たのは三週間ほど前であったが、見たことすら忘れていた。

 まぁ、こういったこともある。

 記録で来てない美術館や博物館や、芝居や能楽、寺や神社、旅行や読書。

 どれをとっても、記録が半分にも満たない。

 旅行などは写真がたまってはいるが、おそらく1/10にも満たない記録の少なさで、自分で言うのもなんだが、乱鳥は忙しい余裕のない人物だなと客観的にとらえても思う。

 あははあはは、、、である。

2022年

 

原作 ⼀本⽊透

監督 権野元

脚本 前川洋一

 

出演者 玉木宏 萩原聖人 古田新太  高岡早紀  渡部篤郎

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奈良大学博物館「太田古朴が見た山里の文化財-高野山麓・細川八坂神社の仮面群-」 2024年5月27日(月)~2024年7月27日(土

2024-05-30 | 美術・文様・展示物

 

 「太田古朴が見た山里の文化財-高野山麓・細川八坂神社の仮面群-」(奈良大学博物館) 2024年5月27日(月)~2024年7月27日(土)

 

 初めて、ここに博物館に行く。

 東大寺学園の近くなので、ここに奈良大学があることは知ってはいたが、ご縁がなかった。

 今回は奈良大学博物館の「太田古朴が見た山里の文化財-高野山麓・細川八坂神社の仮面群-」を楽しませていただく。

 修理の様子に加え、多少なりとも伝統芸能に興味のある私は、仮面の部分に興味を持った。

 室町時代の翁面に加え 貴重な大変珍しい【延命冠者の父】である【父尉(ちちのじょう)】の面も加わり、全部で四面見られたことに対して、感謝した。

 

 そういえば毎年正月に京都の八坂神社で『翁』が演じられる。

 次回正月は行こうかな^^

 

 以下は奈良大学公式HP

      ▼

 

【入館無料】

 奈良大学博物館の令和6年度企画展。

 奈良・吉野出身の仏教研究家・太田古朴(おおたこぼく)の仏像修理の実績と研究の事例を紹介

 

 奈良県吉野町生まれの太田古朴(1914-2000)

 奈良美術院で仏像修理を学んだ後、大学や行政機関に属さず、在野の独立した立場で各地の仏像や石造物を調査し、修理や研究、仏像の魅力を発信。

 地域の埋もれた文化財に関心を向け、その価値を所蔵者や愛好家に伝えることで、文化財の継承に貢献した仏像研究家。

 昭和20~30年代にかけて行われた古朴の仏像修理の資料は、調査ノート、図面、拓本、スナップ写真などがあり、学術的に高く評価されている。

  特に図面は、現在のX線CTスキャンで像内を撮影し、像内の品々の画像を読み取る手法を思わせる方法で、調査記録の先取りともいえる。

 

     今回の企画展では、古朴の仏像修理や研究の代表的な事例資料と、昭和50~52年に調査と仏像修理を行った和歌山県高野町の文化財が紹介されている。

  古朴の仏像研究と修理の様子がわかる展示内容となっており、なかでも令和5年に発見された細川八坂神社の仮面群8面は、室町時代前期の翁系面4面など重要な面が含まれ、今回が初公開

 

 

【展示内容】

 太田古朴の代表的な仏像修理と研究の事例/資料25点  太田古朴が依頼を受けて調査と修理を行った高野山麓細川地区の文化財/資料6点、仮面9点、面箱1点、仏像1点 

 

「太田古朴が見た山里の文化財-高野山麓・細川八坂神社の仮面群-」(奈良大学博物館)

開催場所  奈良大学博物館 〒631-0803 奈良県奈良市山陵町1500     

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【遊女】 一般的に考えられる「遊女」「遊君」と、「仏」としての存在であると考えられていた「遊女」(あそび)や「白拍子」は違う

2024-05-29 | 民俗考・伝承・講演

【遊女】 一般的に考えられる「遊女」「遊君」と、「仏」としての存在であると考えられていた「遊女」(あそび)や「白拍子」は違う

 【遊女】 一般的に考えられる「遊女」「遊君」と、「仏」としての存在であると考えられていた「遊女」(あそび)や「白拍子」は違う

 

 以前に民俗学マイブームであったころがあった。

 その時に読んだ遊女や遊女(あそびめ)や白拍子や傀儡や、本当かどうかは知らないが卑弥呼説などを読んだことを覚えている。また、湯女(ゆな)や街道沿いの宿屋の飯盛女も有名で、複数の民俗学者は多くを語っている。

 今回は新たな説を聞いたので、記録しておきたい。

 

【遊女】あそびは、遊女(あそびめ)とは違うというと云う・

 確かに、平安時代の遊女(あそび)は、存在したのであろう。

 そのことが、ウィキペディアにも出てきた。

 

【遊女】(ゆうじょ、あそびめ)

 遊女(ゆうじょ、あそびめ)は、遊廓や宿場で男性に性的サービスをする女性のことで、娼婦、売春婦の古い呼称。

「客を遊ばせる女」と言う意味が一般的である。  

 呼称 「遊女」という呼称は古くからあり、元来は芸能に従事する女性一般を指したものであり、とりたてて売春専業者を意味するものではなかった。

 

  古代中国の遊女 古代中国では遊女のことを妓女と呼ぶが、遊女という言葉は『詩経』周南・漢広編に「漢に遊女有り、求むべからず」とある。

 この詩経での用例は、川(漢水)べりでという意味、もしくは川の女神という意味である。

 

 齋藤茂は日本語での遊女は、この詩経での「出歩き遊ぶ女」から派生したようだとしている

 

 ここで注目したいのは、川(漢水)べりでという意味という部分。

【遊女】と書いて、【あそび】と云う説を唱えた学者様も、また、白拍子について記述されていた別の学者さんも、水に関係するという論に達せ田れていた。

 

【遊女】(ゆうじょ、あそびめ)を続けたい。

 

 ウィキペディアによれば、日本の遊女の別称である「女郎」は、古代中国では「若い女性」の意味である。

   夜鷹。江戸職人歌合. 石原正明著 (片野東四郎, 1900) 日本における遊女の呼称 日本では古来より数多くの呼称があり、古く『万葉集』には、

 遊行女婦(うかれめ)の名で書かれており、平安時代になるとこれに代わって遊女(あそび)がでてくる。

「遊(あそび)」は、『源氏物語』みをつくしの巻に「あそび共の集いまいれるも」、『栄花物語』に「江口という所なりて、あそびども笠に月をいだし」、『散木集』に「あそびども数多もうで来て」、『更級日記』に「あそび三人」などがあり、歌舞を主にし、「あそびめ」「あそびもの」とも言った[5]。中世には、傀儡女(くぐつめ)や白拍子(しらびょうし)、傾城(けいせい)、上臈(じょうろう)などと呼ばれていた。 

 

 近世になると、女郎(じょろう)、遊君(ゆうくん)、娼妓(しょうぎ)といった呼称もあらわれる。遊廓の遊女には位があり、最高位の遊女を太夫という。江戸の吉原遊廓では太夫が消滅した宝暦以降は高級遊女を花魁(おいらん)といった。  

 大衆的な遊女には湯屋で性的労働を行う湯女(ゆな)、旅籠で性的労働を行う飯盛女(めしもりおんな)がある。

 そのほか街角で買春客を待つ京都の辻君(つじぎみ)、大坂の惣嫁・総嫁(そうか)、江戸の夜鷹(よたか)な江戸の夜鷹(よたか)などもある。ただし一般的には、「遊女」「遊君」と言った場合はこうした大衆的な娼婦より上位の女を指す。

 

 一般的に考えられる「遊女」「遊君」と、「仏」としての存在であると考えられていた「遊女」(あそび)や「白拍子」は違うことが分かる。

 上の内容がこう簡単にウィキペディアで出てくるとは思わなかった。

 ウィキペディアも良いが時間を見つけて柳田國男の論を読んでみたいと思う。

 民俗学は、これだから面白い。

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『岸辺露伴は動かない』シ ーズン①②③④ 4.7★ /『岸辺露伴ルーブルへ行く』4.7★ Bon Jovi - It's My Life

2024-05-28 | ドラマ

Bon Jovi - It's My Life (Official Music Video)

 

『岸辺露伴は動かない』シーズン①②③④ 4.7★ /『岸辺露伴ルーブルへ行く』4.7★  実写版 高橋一生 飯豊まりえ

 

 

 先日から見ていた『岸辺露伴は動かない』シーズン①②③④ 4.7★『岸辺露伴ルーブルへ行く』を見終えた。

 シーズン①に関しては3回も見ていた。

 これだけ長いドラマや映画を見ると、満足感が行く。

 漫画の構想も素晴らしいなと改めて感じた。

 ブラボー!

 

 、、、と、まぁ、今回も見たという簡単な記録のみにて失礼いたしまする。

 おっと、高橋一生 飯豊まりえのご両人は印象的でよかった。

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【京の着倒れ】【大阪の食い倒れ】【奈良の寝倒れ】  Pink Floyd - Wish You Were Here

2024-05-28 | 外メシ、うまし。家メシ、うまし。昼弁当は、尚も良し。

 

 

Pink Floyd - Wish You Were Here (PULSE Restored & Re-Edited)

 家族が度々お菓子を買ってきてくれる。

 和菓子が大半だが、立て続けにケーキ。

 今回はMAHOROWAのチーズケーキ^^

 奈良だ。MAHOROBAではなく、MAHOROWAというところがみそ。

 

 台風1号が近づいている。

 昨日と今日は強めの雨が台風といった大げささはない。

 また、風はあらず。

 

 奈良のメイン通りの食堂やレストランの多くが閉まっている。

 午後2時過ぎにすでに閉まっている。

 5時前ともなると、さらにクローズした店は増える。

 

 最近知った言葉の【奈良の寝倒れ】

【京の着倒れ】【大阪の食い倒れ】に対しての【奈良の寝倒れ】だそうだ。

 多少の台風の影響でここまで店が閉まっているのは、私には新鮮だ。

 

 大型台風の影響で、沖縄の商店街がすべて閉まっていたことがあった。

 仕方なくえいがでもいこうかと思ったが映画館も閉まっていた。

 私の学生の頃の話である。

 

 

 

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天理参考館  第95回企画展「器にみるアンデス世界―ペルー南部地域編」 【贋作】【部分的贋作】も多く、贋作である理由が説明されていた。

2024-05-27 | 美術・文様・展示物

 

天理参考館  第95回企画展「器にみるアンデス世界―ペルー南部地域編」 【贋作】【部分的贋作】も多く、贋作である理由が説明されていた。

 

 

 天理参考館に行き、「器にみるアンデス世界―ペルー南部地域編」を見る。

 天理参考館に行くにあたり、私自身が失敗したことが二つある。

 ひとつは、25日と26日は天理教の信者の方々が集われる日で、自然に参考館にも法被を羽織った方々がお見えになる。信仰と楽しみも相まって、おのずと心は高揚され、大声で話される。天理参考館はこじんまりとしており、音響効果抜群に館内には話し声が響き渡る。博物館というよりは、レジャーランドに早変わり。展示品を静かに見たいのであれば、25日と26日は避けるべし。

 

 もう一つは、アンデスに魅かれ、【器にみる】を見逃していたこと。これまでに京都文化博物館などで見た『ペルー展』のようにこめかみに穴をあけ医療を施し頭蓋骨や、呪術的に興味深い絵柄の皿などを想像していただけに、多少肩透かしを食わされた館は否めない。

 また、ペルーもイランのように復興技術が高いようで、復興岸の写真も具体的に展示されていた。

 しかし、【贋作】と潔く表示された展示物や、【部分的贋作】などのいわゆるオリジナル品でないものが多く展示されていて、驚いた。

 確かに展示としては、例えば【中の土色が鮮やかすぎるので贋作(要約)】とか【まつ毛が三本全て上を向いているので贋作(要約)】などと説明されており、そういった観点から見ればそれはそれで面白くも感じたのだが、、、

 

 とりあえずアンデスの部屋だけで1時間半ほどは見たので、説明も丹念に読むことができたことが良かった。

 後は別室でペルシャのガラスやラスター文様などを小一時間は見入っていた。

 ほんと、イランに行きたいやい!!

 もしくは、東京へ!!!

 

 

 以下は東博にて

   ▼

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興福寺薪御能 「歌占」「融」「東北」「鉄輪」 2024.05/17~18

2024-05-26 | 能楽・狂言

 

 興福寺薪御能 「歌占」「融」「東北」「鉄輪」 2024.05/17~18

 

 今年は興福寺の薪御能(二日間)を楽しませていただきました。

 コロナ、そして昨年のバタバタした状態で参加できなかった興福寺の薪御能ですが、今年は念願がかない、連夜楽しみました。

 演目は「歌占」「融」「東北」「鉄輪」

 四曲とも少なくとも数回以上は楽しんだことのある曲です。

 特に「融」「東北」は、二けたは見ていると思いますが、毎回感じ方が違うので、興味深いです。

 

 能楽を見たころは「鉄輪」のようなわかりやすくて動きの激しい曲が好きしたが、ここ二十年は落ち着いたじっくりと味わうことのできる曲も好きになりました。

 

 今回はどう訳かなじみの「融」に感情移入し、また、「東北」にも感動しました。

「東北」の軒端などといった美しい日本語には、うっとり致します。

 シテの詞の中に【貫之】という詞が出てきます。

 また間狂言の中にも【藤原朝臣】や【貫之】の名を出し、実際にわたくしの好きな業平さまや貫之さまの軒端に関する和歌を狂言師が話します。

 

 「歌占」「融」「東北」「鉄輪」の中で【貫之】の名が二回、【藤原朝臣】の名が一回、和歌がそれぞれ一回織り込まれ、至福のひと時を過ごすことができました。

 そして改めて感じるのでした。

 薪の火に揺らぐ能楽は美しい。

 そして興福寺の薪御能の意義を。

 能楽を多少なりとも好きな私にとっては、素晴らしい二日間を過ごすことができました。

 

2024.5/17

2024.5/17

2024.5/18 昼

2024.5/18 昼

2024.5/18

2024.5/18

2024.5/18

 

 

17日(金)薪御能 17:30~興福寺南大門跡 

 「歌占」観世喜正(観世) 

 「融」金剛永謹(金剛)

18日(土)薪御能 17:30~興福寺南大門後 

 「東北」金春安明 

 「鉄輪」辰巳満次郎(宝生)

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本日、晴天なり。今日もすこぶる、気分が良い。   『源氏物語』「きりつほ」

2024-05-21 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 

 本日、晴天なり。今日もすこぶる、気分が良い。   『源氏物語』「きりつほ」

 

 今日は講義を一コマに絞り、早々に帰宅。

 まずは、犬の散歩。晴れているせいか、モモは軽快な足取りである。

 本日の夕食の下ごしらえ、うんうん、今日もバランスが良い食事だ。

 

 寝不足が続いていたせいか小半時間うたたねをした。

 のちに、自分の部屋を徹底的に整理し、丹念に磨き、布団を取り入れる。

 本日、晴天なり。

 

 その後、ユーチューブで音楽を聴き、台所の掃除をそそくさと澄ます。

 なおざりにしていた源氏物語を再開。

 読書や文字起こしといった行為は、わたしにとっては ヨーガの呼吸法にも勝る。

 

 風呂が沸いたようだ。

 携帯電話といれたてのコーヒーを持って、これから湯につかる。

 今日もすこぶる気分が良い。

 

 

 2010。 天神祭り  帝国ホテル前  船能

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松竹座 七月大歌舞伎 夜の部では、仁左衛門丈の『すし屋』(いがみの権太)  発売日6月7日

2024-05-20 | 舞台・音楽 雑感メモ

 松竹座 七月大歌舞伎 夜の部では、仁左衛門丈の『すし屋』(いがみの権太)を見ることができる。発売日6月7日

 松竹座 七月大歌舞伎 夜の部では、仁左衛門丈の『すし屋』(いがみの権太)を見ることができる。

 しかも今回のすし屋、周りの役者さんたちもお上手な方ばかり^^

 これは何度か通わねばなるまいて、、、

 

 昼の部も歌六さん、鴈治郎さん、扇雀さん、彌十郎さん、吉弥さんなど好きな役者さんたちが出ていらっしゃるので、今から楽しみです^^

 

関西・歌舞伎を愛する会 結成四十五周年記念

七月大歌舞伎

6月7日(金)チケット発売予定

2024年7月3日(水)~26日(金)

昼の部 午前11時~
夜の部 午後4時~
【休演】10日(水)、18日(木)

劇場:大阪松竹座

昼の部

大森痴雪 作

戸部銀作 補綴

一、小さん金五郎(こさんきんごろう)
  金屋橋の金五郎
芸妓額の小さん
芸妓大村屋のお糸
太鼓持六ツ八実は木津屋六三郎
広瀬屋新十郎
女髪結お鶴
    鴈治郎
    孝太郎
    壱太郎
    
    彌十郎
    
  藤娘(ふじむすめ)
二、俄獅子(にわかじし)
〈藤娘〉


〈俄獅子〉

藤の精


芸者
鳶頭
鳶頭

    菊之助


梅枝改め
    
    萬太郎

初代中村萬壽 襲名披露狂言

三、恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)

重の井
五代目中村梅枝 初舞台

  乳人重の井
自然薯の三吉
近習文吾左
近習源吾左
局雲の井
侍女若菜
本田弥三左衛門
時蔵改め
 初舞台
    
    
    
    
    

夜の部

一、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)

木の実
小金吾討死
すし屋

  いがみの権太
弥助実は三位中将維盛
若葉の内侍
主馬小金吾
お里
権太女房小せん
梶原平三景時
鮓屋弥左衛門
    仁左衛門
時蔵改め
    孝太郎
    
    壱太郎
    
    彌十郎
    
二、汐汲(しおくみ)
  蜑女苅藻
此兵衛
    
    萬太郎

六代目中村時蔵 襲名披露狂言

近松門左衛門 作

三、八重桐廓噺(やえぎりくるわばなし)

嫗山姥

  荻野屋八重桐
煙草屋源七実は坂田蔵人時行
腰元お歌
沢瀉姫
白菊
太田十郎
梅枝改め
    菊之助
    萬太郎
    壱太郎
    孝太郎
    鴈治郎
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大和文華館  富岡鉄斎 ―知の巨人の足跡― 特別企画展 没後100年   2024.05

2024-05-19 | 美術・文様・展示物

 大和文華館  富岡鉄斎 ―知の巨人の足跡― 特別企画展 没後100年   2024.05

 

 大和文華館に行く。

 富岡鉄斎の作品は、大和文華館でたびたび紹介されているが、手紙の軸などの初公開の展示品もあった。

 富岡鉄斎は筆のマメな方で、お礼の手紙などををこめてかかれていたようだ。

 またタケノコがおいしいだのとほほえましいエピソードも具体的に記されている。

 今回の展覧会で富岡鉄斎というお人柄がよく、愛妻家であったのではないかとも受け取られる作品や写真が多く掲げられていた。

 

 富岡鉄斎の絵も力強いが、字も力強い。

 そのくせ空間や行間がしっかりととられ、バランスが美しい。

 大きな屏風などは、左に文字が書かれているかと思えば、右に枝がシューッと伸び、動きがある。その屏風は、右から見れば文字のバランスが絵にはまり、左から見れば、左の文字と右端に出た枝が対称の構図を取って描かれ、見事であった。

 

 墨の色が美しく青墨の赤墨も絵に合わせて使われている。

 あまりの美しさに見とれた。そして奈良の墨屋で自分用にと、昭和47年制の古墨を購入した。

 

 さすがの鉄斎といった感じで、今回の展覧会でも朱の鍾馗さまのお軸がかかっていた。

 しかし逆さの朱鍾馗ではなく、頭が上の立像であったことを付け加えておきたい。

 

 富岡鉄斎は私としてはこれまではさほど意識してなかった。

 しかし会場を回り、改めて構図の重要性と余白大切さに気づかされた。

 

 

 

 5月17日の大和文華館の花

 

 

特別企画展 没後100年 富岡鉄斎 ―知の巨人の足跡― 

 2024年4月12日(金)~ 5月19日(日)  

 本年は、近代日本を代表する文人画家・富岡鉄斎(1836~ 1924)の没後100年にあたります。

 当館の鉄斎コレクションを中心に、豊かな学識と幅広い交友のもとに生まれた鉄斎芸術の世界をご覧いただきます。

 

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壬生狂言「炮烙割」と奈良の夜市での ほうらく灸

2024-05-19 | 神社仏閣・祭り

  壬生狂言「炮烙割」と奈良の夜市での ほうらく灸

 

 壬生狂言「炮烙割」

 薪御能の帰り、奈良の夜市があるとのことで、こにしさくら通りともちいどの通りにたちよる。

 なんだかおもしろい景色が見られたので、気になったのが、下の写真。

 

 頭に焙烙を乗せ、急を据えていらっしゃる。

 試していらっしゃったのは、いずれさまも若人であった^^

 

 そういえば今年の京都の葵祭の斎王は、壬生寺のお嬢様だという。

 

 焙烙といえば、子供の頃に慣れ親しんだ壬生狂言。

 中でも炮烙割は二階から下に落とし、下からあれを子どもが見ていると大迫力であった。

 今はそういった鑑賞の仕方はできず、対面から見るにとどまるのかもしれないが、、、

 子どもたちはみな、【どんがらがっちゃん】と呼んでいたことを思い出す。

 

 

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法然 5  死後・嘉禄の法難

2024-05-19 | ことのは

 

 法然 5  死後・嘉禄の法難

 アサヒクラブで法然について読んでいる。

 隙間時間を利用してのことだが、1/4は読めたような気がする。

 

 わたくしにも言えることだが、人間は自分中心に物事をとらえる。

 そこまでならば良いが、自己中心で物事が動くかの如く考えら場合、感情を爆発させることは度々みられる。

 

 集合体によっては多数が個に爆発をさせる場合があるが、例年では普通の行いに対して、白い牙を向ける場合がある。

 古参(私)と言ってしまえば聞こえが悪いし印象も悪い。が、逆に新参者が古参を脅かし,心無い言葉を投げかけてくる場合がある。

 別に気にしない風を装って気づかないふりをしてはいるが、心穏やかではない。

 集合体によって、好きな能楽が心から味わえなかったり、気分が阻害される場合があるが、集中して楽しもうと努力する。

 努力

 集中する努力。それこそが重要。

 上のような場合、何事においても気づかない風を装い、なおかつ集中する努力が不可欠なのである。

 

 日本人は傾向として宗教を持たない民族だといわれることが多い。

 その実私もいい加減なもので、かろうじて仏教、、、両親と先祖の墓は仏教だったな、、程度であった。

 その仏教知らずが、最近 仏像や仏教を学ぶ機会に恵まれている。

 理論こそあやふやなものだが、ここにきて一つ身についたことがあるので、ここで記しておこう。

 

   何事もほどほどに、そして許す心

 これは講義で教えられてないが、講義の要約の軸となることを要約し鑑みると、私が思うに宗教において大切なことは、細かな知識を身に付けることよりも、

   何事もほどほどに、そして許す心

が かなり重要であり、生きていく上で 生きやすさを感じるのではないかということである。

 聖徳太子の云う、いわゆる

   和を以て尊し

に通じるのではないかと考える。

 

 途中何度も挫折はしていたが、ブログを始めて6600日がたった。

 本日も吉日。乱鳥 健在也。

 

法然 1  京博のために、法然上人を下調べしてみる。

法然 2  生い立ちと出家・授戒

法然 3  長浄土宗の開宗 念仏すれば誰でも極楽浄土へ往生できることを知った聴衆たちは大変喜び、三日三晩、断えることなく念仏を唱え続けた。

法然 4  讃岐配流と晩年 

法然 5  死後・嘉禄の法難

 

死後・嘉禄の法難(ウィキペディア)

 法然の死後15年目の嘉禄3年(1227年)、天台宗の圧力によって隆寛、幸西、空阿が流罪にされ、僧兵に廟所を破壊される事件が発生した。

 そのため、信空と覚阿が中心となって蓮生(れんじょう、宇都宮頼綱)、信生、法阿、道弁らと六波羅探題の武士たちが護衛して法然の遺骸を嵯峨の二尊院に移送した。

 更に証空によって円空がいた太秦の広隆寺境内の来迎院に、更に西山の粟生にいる幸阿の念仏三昧院に運び込んだ。

 そして、法然の十七回忌でもある安貞2年(1228年)1月25日に信空、証空、覚阿、幸阿、円空らが見守る中で火葬して荼毘に付し、遺骨は知恩院などに分骨された。

 

天台宗 ここでは、延暦寺

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菅原天満宮 奈良  (日本最古の天満宮 菅原神社の公式HPによる)  (6景)筆塚あり

2024-05-18 | 菅原道眞

  菅原天満宮 奈良(日本最古の天満宮 菅原神社の公式HPによる)  (6景)筆塚あり

 

 大和文華館に行く途中のこと。菅原天満宮を見つけた。

 道真さまの好きな私は、天満宮に吸い込まれるようにお参りする。

 境内は、わたくし一人。

 静かだ。

 

 歌人の和歌が天井にかかっていたり、中には着物がかかっていたり。

 存在感を感じる大きなまん丸の鏡神々しく、こちらを向いている。

 狛犬の近くには、道真さまゆかり位の、牛の狛犬(?)の数々。

 写真撮影したが、センサーがあったのか、携帯電話がナビの最中の為だったせいか。

 菅原天満宮そのものがパワーが強いのか、、、

 あるいは、道真さまの戒めなのか、上の写真は全て撮影写真のファイルには残ってなかった。

 偶然ならばいいのだが、、、

 ずいぶん、不思議な、初めての怪奇現象である。

 

 菅原神社の公式HPによれば、日本最古の天満宮だということだ。

 素晴らしい。

 

 鏡や牛の写真は残ってなかったが、不思議なことに夕刻の薪御能の『融』私の好きな貫之さまと業平さまの名と歌が出てきた。

 前シテで貫之さまの歌という言葉が出てきて、その後、間狂言で、在原朝臣、貫之さまの順で歌が出てきた。

 この日、わたくしの好きな道真さま、業平さま、貫之さまのお三方が現れたことになる。

 これも何気に、道真さまの御力ではないかといった阿呆なことを考えている。

 私はどこまでも、幸せな人でございまする。

 この牛は、鏡からずいぶん離れた場所のもの。

 流石の道真さま。筆塚があった^^

 

菅原の地  (菅原天満宮公式HP引用)

 現代の菅原は、奈良市の一町名にすぎませんが、平城遷都以前から存在していた古代地名です。

 その範囲は、かなり広域に及んでいました。『日本書紀』によれば、「推古天皇十五年に菅原の池を作る」とありますが、この大池は西方の蛙股池と考えられます。

 また垂仁天皇の御陵は「菅原伏見東御陵」と定められ、安康天皇の御陵は「菅原伏見西御陵」と記されています。

 元明天皇は、平城遷都前の和銅元年9月14日に藤原宮から「菅原」の地に行幸され、21日までこの地にご滞在になり、平城宮予定地をご視察になっています。

 その後、11月7日に菅原の地の民家90軒を移転し、負郭を給わっています。おそらく平城遷都前は、佐紀の地に接するところまで菅原が延びていて、その辺りの民家が移されたものと考えられます。  

 こうしたことから考えると、往昔の菅原は春日、佐保、率川、添などとともに、重要な土地柄であったことがわかります。

〒631-0842 奈良県奈良市菅原東1-15-1 (旧住所:奈良市菅原町518番地)

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