うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

どうだい

2022年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム
あ、とうだいかこれは(意味不明のまえふり)。

どうもいろいろいそがしくて、さいきんにしては珍しくだんだん気持ちが参ってきました。。

こういうときは無理しないで、気持ちを楽に保つようにします(ただ寝てるだけとも言います)。

いやあ、なつもおわりますねえ。
写真は7月末のりょこうのときのもの。

昨夜のニュース見てたらアフガンの少年が家族のために働かざるを得ない状況をレポートしていました。先日は地震も起きたし、じつに。。
パキスタンは洪水で酷いことになっているし、スペインは500年来の干ばつでオリーブ油や色々の作物が不作、フランスやイギリスもひどい暑さだった由。

もちろんウクライナも。
まさに満身創痍ですねせかいは。。

ゴルビーさんが亡くなりました。
東西冷戦を終結に導き、侵攻後膠着していたアフガンからの撤兵を決意した(読売新聞より)ロシア(ソビエト)のリーダーとして、西側の評価が高い人ですが、ロシアではあまり人気がなかったようです。

今月亡くなった森英恵さんの孫(あの、天真爛漫な子)が社交界デビューしたとき、会場に「あの、おでこに地図があるひとがいた」と言っていたのを思い出しますが。。

wikiを見ると、後段に今話題の宗教団体との関係が長々と記載されていますが、さいきん加筆されたんですかね。。

ウクライナ侵攻が膠着している今、ゴルビーの訃報はなにか象徴的な印象を受けます。

仕事前にぼんやり見ていたテレビで、ウクライナから日本に来ている人たちのドキュメンタリーをやっていました。

空手を習っていた少年は、道場のつながりで日本に避難して、声をかけてくれた先生(師範というのかな)のもとでけいこを続けます。来日後はじめての試合で見事優勝し、戦地にいるおとうさんにビデオメッセージを送ります。対戦相手は日本の少年ですが、言葉がわからなくても互いに分かり合える由。

京都に住む女性は、日本で勉強してベンチャービジネスを始めています。もと日本武道(空手だと思うけど忘れた)のウクライナ代表でした。武道の精神はビジネスに役立つのだそうです。「自分でコントロールできることに集中し、コントロールできないことは受け入れる。その精神はビジネスにも応用できる」と。

というわけで、これからすてきな秋になっていくと、いいですね。


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夏を閉じる日 2022

2022年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム
2019年から、命日である8月29日にここで取り上げてきました。
今年は没後50年となります。一応これを節目としたいと思います。

17歳で自分の命が絶たれるとは、どのような思いであったのか、想像はまったくつかないのですが、亡くなる10日ほど前、手記を書けなくなる1日前に書き遺した詩が、心に刺さります。

普段あまり詩を読んで感銘を受けるようなことはないのですが、その意味ではこの詩は、自分の中ではもっとも印象に残っている詩のひとつ、ということになるかと思います。




夏を閉じる日

               鈴木 由里



 夏を閉じる日

 散っていく花びらに 少しの言葉がほしい
 空回りしている詩に 確かな鼓動がほしい



 夏を閉じる日

 ブランコの揺れる あの日に戻りたい
 開かれた白いページに 瞳を埋めていたい



 夏を閉じる日

 心を閉じて 一人でいたい













悲しみのうた
みんな知っている
悲しみのうた
どこの庭にもひとつは育っている


君も僕も ときどきは ブルーな気持ちにとらわれるものだ
だけどそんなときは その悲しみを歌にして
それを歌ってみるんだ
なんども歌ってみるんだ


悲しみのうた
柳のように泣きむせび
悲しみのうた
それを枕にしてねむる


でも面白いだろ 泣きながら歌っていると
いつのまにか いい気分になってる 自分に気がつくんだ
どうしようもなく そうなるんだ


僕も君も ときどきは ブルーな気持ちにとらわれるものだ
だけどそんなときは その悲しみを歌にして
それを歌ってみるんだ






リンクを以下にまとめます
鈴木由里さんの手記「ともしび」 1977年放送分
トラ刈りオヤジのノラないハナシ


夏を閉じる日 - うさぎくん
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CD何枚か

2022年08月28日 | 音楽

休日ですし、2,3用事をしたぐらいで、あとはくったびれたのでごろごろしていました。たぶん、「トップガン」は今月で公開終了なので、見ようかなとちょっと思ってたのですが、ちょっと元気なし。外、あめだったし。

テレビはちら見程度ですが面白かったです。NHK BS Premの、さいきんいつも見てる「芋たこなんきん」は寝坊してほとんど見てないけど、「サグラダ・ファミリア」とか「ポンペイ遺跡」とか、ぼおっと見てる分にはじつに面白くてためになる。ものすごく贅沢な時間の使い方です。

さて、今月のCDですが(そんなシリーズはないですけど)、うさぎ好みの女性ボーカル3枚です。実はもう何枚か、未開封のものがありますが、それはいずれまた。

ローラ・ニーロは5年ほど前に知って、これまでに2枚ほどCDを買いました。
今回だいぶ間が開きましたが、また新しいアルバムを聴いてみようと思いこれを選択。

「ファースト・シングス」は’67年に19歳だったローラ・ニーロが発表したアルバムです。当初は" More Than  a New Discovery”として発表され、1973年に一部変更の上、タイトルも現在のものに改めて再発売されました。

アルバム1曲目が、僕がローラを知るきっかけになったWedding  Bell Bluesです。これは'66年10月にローラ自身がデビューシングルとして発表したものですが、'69年にはフィフス・ディメンションがカヴァーして、全米1位を獲得しています。

日本で言うところの押しかけ女房もの?で、’ビル!わたしいつもあなたの味方でしょ、さあ一緒に来て!!’という、ほほえましい、長閑な感じの歌です。
フィフス・ディメンションのマリリン・マックの歌唱ものびやかで良いのですが、ローラの歌唱も可憐な感じで素敵です。

この曲はほんと大好きで、60年代らしいおおらかな、素朴な感じが何とも言えません。たぶんまあ、ほんとうの’60sはそれなりにワイルドだったのでしょうけどね。。

ローラのアルバムは、この後も折を見てまた増やしていきたいと思います。

次は、先日亡くなったオリビア・ニュートンジョンのアルバム2枚。
ひとつは「そよ風の誘惑」Have You Never Been Mellow.

タイトルロールはオリビアの代表曲の一つとなった有名な曲で、アメリカでは'75年3月に全米1位となっています。このほか’フォロー・ミー’、’プリーズ・MR.・プリーズ'、'愛の告白'など、有名曲が多数収録されています。
手持ちの「ベスト・オブ・オリビア・ニュートンジョン」には、収録20曲中最初の5曲がぜんぶこのアルバムからのもので、充実した曲目が多数含まれている、ということなのでしょう。

ジャケット写真はオリジナルLPからのものだと思いますが、この時代はこんな路線で、やはりカントリー系のファンを意識していたのでしょうか。

SNSでオリビアさんのプライベート・グループのメンバーになりましたが、毎日大量のオリビアさんの画像がTL上に流れてきます。この方本当に美人さんで、若い頃は少し硬い表情のものが多いですが、齢を重ねるごとにどんどん素敵になってきて、晩年の旦那さんと一緒の写真なんか、とてもいい笑顔で泣けてきます。着物を着た姿も残されていますが、本当にきれいですよ。。

STORNGER THAN BEFORE
2005年発表(日本発売は2006年3月)。オリビアさんはちょうど今の僕ぐらいの年配だった頃かな。
輸入盤中古でしたが、未開封でした。発売時にどの程度ヒットしたのか、あいにく当時のことはわからないです。

ジャケット裏に、A Message From Oliviaという一文があります。
へたくそな訳を;

 このCDにまつわる話は、今から13年前にさかのぼります。当時私は乳がんの手術を終え、オーストラリアでリハビリをしていました。母と食事をしに外出したとき、レスト・ルームで知らない女性から声をかけられました。
「まあ、オリビアさんじゃない?素晴らしい、こんなところでお会いできるなんて!あなたにいつかお会いしたら、お伝えしたいと思ってたことがあるのよ。―20年前に乳がんの手術をして、でも今私はとても元気よ!

この時の出会いは、私を大きく変えました。見ず知らずの方でしたが、彼女の思いやり、自信を持って励ましてくれたこと、そしていつも私の事を想ってくれていたこと。いつか、またお会いして、お礼を言いたいものだと時折思っています。

このCDをご紹介するにあたり、私は収録された曲からひらめきや励まし、そしてすべての乳がんに直面している人々、あるいは他の挑戦すべき旅路についている人たちへの思いやり、などを照らすたいまつとなることを、お伝えできれば幸いに思います。

オリビア・ニュートンジョン


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やれやれ

2022年08月27日 | デジタル・インターネット
連日とてもいそがしいので、だんだんのぼせてきて、参ってしまいます。
そこを何とか、クールダウンして日々を過ごしたいのですが。

夜遅く帰るとき、電車でSNS見てたりしますが、ツイッターとかは時々、じゃないか、けっこうどぎついトレンドとか出てきて、あれは身体に悪いですね。見なければいいんですけど。

国葬がどうたらという話も、う~んそうだねえあたしとしては・・、なんてレベルの議論なんかなくて、もうめたくたになっている。オリンピックのときもそうでしたが、あまり好きな言葉じゃないけど、どんびき、という状態になってしまう。物静かな作家の方が、街頭で叫んでいる映像を見ると、正直悲しくなります。

最近では街頭演説している候補者に銃の薬莢を投げつけて、そのうえ犯行宣言のようなものをSNSに投稿した人がいました(理由は不明ですが、なぜか逮捕はされていないようです)。

日本は平和国家という看板が少しずつ、崩れてきている感があります。もっとも、前からずっと思っているのですが、この国の民は昔から口角泡を飛ばして議論するということができなくて、ある程度我慢はするけど、いざとなったら手を挙げる、というほうが伝統のような気がします。

あさま山荘事件はちょうど50年前ですが、その後もしばらくは爆弾テロが都心で起きて、一般市民が犠牲になっています。
三菱重工爆破事件の、舞台となったビルは今もありますが、前は毎日ビル内のスタバに行ってました。過去の事件を調べて、自分のいるところが事件現場だったことに気がついて、びっくりしたことがあります。
所謂過激派も、もとは市民の支持を得ていた時代もあったようですが、一連の事件で完全に社会の敵になり、一掃されました。
その後もサリン事件とか、起きてますし。あれも前の職場にわりと近かったんだよね。。

テロ事件は日本だけのことではありませんが、国を人に例えると、ふだんは大人しくていい人なのに、何かのきっかけで怒ると極端なことをする人、みたいな面があります。
まあ社会のひずみが遠因としてあるのでしょうけど、暴力は絶対にだめですね。。

ふだんのツイッターはうさぎか鳥の映像(たまに犬)と、鉄道、鉄道模型あたりののスレが中心です。うさぎは癒されます。だから、ツイッターをまったく見ない訳にも行かないのです。。


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あたらしい車一か月

2022年08月21日 | 鉄道、車、のりもの
納車からほぼ1か月が経過した。
今日、ディーラーに行って一か月点検をした。

チェック項目について、問題点はなし。
オイル交換はしなかった。事前打ち合わせのとき、サービスの人が「いまの車は必要ない。本当に車を大事にする人はやるかもしれないが、私ならしない」という、要するにやらんでもいい、という意味のことを言っていたので、まあいいと。
あとはざっと洗車をしておしまい。

今日、走行1500キロを超えた。ので、これまでの印象を軽くまとめてみよう。

外装:
4460mm x 1795mm x 1440mm このスペックは前の車に近い。但し全幅だけはかなり(+75mm)大きくなっている。これがけっこう厄介だ。
前にも書いたが、実家に行く途中の角は切り返ししないと曲がれない。本当に曲がれないのか、警告が鳴るのでおっかなくなって切り返すのか、わからないが、車体の見切りが悪いのも相まって狭い道はちょっと気を使う。
実家の道も、昔は5ナンバーフルサイズ(4700mm x 1700mm)の車を出入りさせていたのだから、大丈夫だとは思うのだが。

カローラセダンが1745mmで、そのくらいなら気にしなかったのにな、と思うが(なぜかカローラスポーツは1790mm)、SUVには全幅1800mm超の車が珍しくない。頑張って慣れていくしかない。

デザインは気に入っています。色は新色でプラチナクォーツメタリックというやつだけど、周りの風景によって銀色に見えたりベージュに見えたりする。地味と言えば地味だが、有機的なボディの曲線が良く映える色だと思う。

内装:
古典的なデザインだが、質感も相まってとてもよい。

ナビの液晶も変形サイズで、おさまりが良い。
いまどきの車、トヨタが特にそうだが、ダッシュボードにタブレットを突き刺したようなデザイン(触って使いやすいということなのでしょう)が増えた。ホンダ、日産はちょっと未来志向で、それはそれでよいとは思うが、自分的にはこっちの方が落ち着くけどな。。

液晶モニタは変形8インチだそうだが、ほぼ手元の丸型のダイヤルとボタンで操作する。ナビの地名を入れるときはスマホ(マツダコネクト)に入力して転送すればよい(ナビが動いていないと受けてくれない)。ので、車で直接地名は入れない。
あと、スマホを接続する(USBケーブル端子がある)と、グーグルの地図、ナビも使えるそうだ。こんどやってみっか。

室内はひじょうに広くはないが、十分な余裕がある。荷室は前の車がステーションワゴンだったので、それに比べればとうぜん狭い。が、ライバル車、VWゴルフ、プジョー308、カローラスポーツ、スバルインプレッサ、ホンダシビックあたりで比較すると、まあまあではないかな。

リアドアの開閉音が安っぽいというレビューを書いている人を見た。実際に開け閉めしてみると、フロント、リアとも、ドア自体が軽いのでそっと閉まる感じで、安っぽくはない。軽いのは設計上の問題だろう(ドアを重くすると、ヒンジに強い負担がかかるので丈夫にする必要があるし、時間が経つと異音が出やすい)。

確かに前の車は、開閉時のヒンジ(の滑り)は滑らかで、車体側のストライカーにどすっとぶつかっていい音がした。昔の小林彰太郎さんじゃないが、自身の重みでコトリと閉まる、という感じだが、その辺は時代の変化なのかもしれない。

動力性能:
1997cc, 直4DOHC、156ps/6000rpn, 20.3kgm/4000rpm ハイブリッドではない。ミッションは6AT。

前の車も2L DOHCターボで、165psとほぼ同スペック。最大トルクは忘れたけど、特徴は1900rpnぐらいで最大トルクが出るところだった。だから、大排気量車のように悠々と走れた。

今回はNAで、踏めば回転はさっと上がるが、静かなのでそれほど騒がしく感じない。といっても今まで3000rpnちょっとぐらいしか回したことはない。
ギアレシオはそれほどクロースしている感じではないようだ。その辺は現代流なのかも。

前の車は古典的な、自分の知っているタイプのATで、ようすうるにトルコンスリップを活用するタイプ。なめらかに走る、あるいは無造作に踏んでもスムーズだが、ダイレクト感に欠ける。
この車は、よくわからないが低いギアでも、すぐに直結させているような節がある。右足の動きに敏感に反応し、低いギアなどで下手に動かすとガクガクしてしまう。

いまの、このクラスの車はほとんどCVTで、あれは設定が悪いとアクセル開度と速度感が一致しなくて、時に不快というか制御が難しい印象を受けることがある。そうするとアクセル操作が雑になり、がばっと踏み込んではブレーキかける、の繰り返しになってしまう。
なので、この車が6ATでアクセル操作に敏感なのは、価値のあることだ。この車を選んだ、理由の一つだ。

なのだが、低速を一定の速度で走らせるためには、MT時代の操作を思い出す必要がある。もうすこし慣れが必要。

ブレーキも、踏力に応じてリニアに反応してくれる。サーボの効きが自然で良い。前の車はなんというか、制動力にとても安心感があったが、そのあたりはまだよくわからない。

操縦性:
自動車評論家的なハンドリングは、そういう走りをしていないので不明だ。回転半径は小さくて、小回りが利く。狭い道だと見切りの悪さで苦労するが、普通サイズの駐車場ではそれほど困らない。

乗り心地:
固めだ。納車されてすぐの頃に、数百キロ高速に乗ったが、高速になるとフラットになる、という印象はあまりなかった。その後は街中ばかり走っているが、最近思うに踏切などの段差を超えると、サスペンションがしっかり動いているな、という感じがする。ので、ある程度慣らしが進むとまた印象が変わるのかもしれない。

燃費:
ハイブリッド車等ではないので、昔の車の延長線上にある。たぶん街中では10km/Lを切っている。高速でおそらく15km+/Lぐらいではないか。高速、街中半々で走って、13-14Km/Lといったところだ。

前の車はハイオクだったが今回はレギュラーで助かる。タンク容量は51L(前は65L)だが、給油回数はかなり減っている。

自動化、各種安全装備:
正直覚えきれていない。まずライトが自動ってのがすごい。前はトンネル入ったり出たり、それで切るの忘れたり、いろいろしたものだが。照射角も自動で変わる。フロントのフォグランプはなくても良くなったのだそうだ。

ワイパーも自動だ。が、任せっぱなしにしているとどうも足りない気がしたりして、完ぺきではない。先週ガラコ塗ったけど、塗る前は妙にガラスの親水性がよくて、見えにくかった。

近接警報、360°モニターについては先日書いた通り。警報音の音量は変えられるが、センサーの調整はそんなにはできないそうだ。繰り返しだが、慣れていくしかない。バックモニターは昔、親の軽にもついてたくらいだから、珍しくもなんともないが、使ってみると便利ね。

オーディオは、前の車は後年安価な機器に替えられて、スピーカーの一部も壊れていた。それから比べるとすごく良くなった。なぜかラジオの聞こえがひじょうに良くなった(前は良くなかったのだと、今気が付いた)。
CDとか、車で聞いてみると、ふと曲の魅力に改めて気が付くことが増えた。

と、なんだか自動車雑誌のテストレポートみたいになってしまった。。
またしばらく走って気が付くことがあったら、かきます。


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だいぶつかれた

2022年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム
車のミラーに乗っていた、カマキリの、たぶんこども。まだぷにぷにしていて、全体に頭身がちいさい。


起きてぼんやりしていたら知人から電話が来た。おもわず寝ぼけ声で応対してしまう。時計見たら11時だ。。

電話の終わる頃には呼び鈴が鳴って、書留郵便が来たりする。急に色々動き始めた感じがして、あたふた。

さっきまで、親戚やら旧友やらいろいろ集まった会場?にいて、入院している友人のお見舞いに行こうと、場所を聞いたりする、夢を見ていたのだ。。

とにかく、まず鳥にごはんあげなきゃ。
ケージ掃除して、ご飯のトレイのせるとき「すみません・」と言ってしまう。
鳥にすみませんと言ってどうするんだ。。。

ちょっとだけ秋めいてきたけど、なんか疲れたなあ。
どたばたしていたからね。。
いちにち、あまり色々せずに過ごす。



先日SNSでペンタックスQの話をちょっとして、急に使ってみたくなった。
手許にある3台のうち、初代Qはもとからついていたストラップが劣化して、合成皮革の表面が破れたり、糸がほつれたりしてボロボロになっていた。

ので、うちでは定番のAki-Asahiさんのストラップを注文した。
たぶん、5年ぶりぐらいかな、買うのは。
相変わらずしっかりした作りで素敵なのだけど、Qに着けるには少し幅が広すぎる。金属リングをかませてつける(これは以前に交換したQ-S1で経験済み)。

ところが、Q-S1のストラップ取り付け部はメッキの金属板なのに対し、初代Qはボディと一体のダイカスト鋳造なのだ。このため、金属リングの取り付けにかなり手こずった。時計用ドライバをつかい、取付部に模型用潤滑油を付けて傷がつかないように配慮したが、ちょっと傷はついてしまったみたい。

交換後はカメラ全体がしっかりしたような感じになり、リフレッシュした。傷もほとんど目だたない。

Q、つかうと面白いですよ。
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またまたのたのた

2022年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム
・わらっちゃうほど忙しい。
いや、絶対的には先月末から今月にかけての方があれか。
お盆は終わったらしいけど、電車に乗るとキャリーバッグ引きずっている人を縫って歩いたりするからね。
落差が。。
とはいえ、先月休んでるからあれか。

・仕事用のPCをwin10から11にアップグレードした。先月の休暇中のことだ。
5時間かかった。
ときどき、下のタスクバーが真っ黒になって出てこない。IT担当に解決法を聞いたが、それをやってもダメみたい。再起動するとなおる。
あと、ICカードリーダードライバがエラーになる。ICカードリーダーが使えるか、まだ試していない。

全体的には反応が早くなったなど、悪くはないのだけど。

・自分用の新しいPCだが、修理から戻って以来、Chromeが突然終了する。
ずっと電源を切らずに、スリープにさせてそのままにしているのだが、画面を開いてみるとChromeが消えている。
起動させると、Chromeは正常に終了しませんでした、というメッセージが出る。

仕事ではEdgeを使っているので、このさい自家用もEdgeにするかと、ちょっと整理してみた。Chromeにはトレンドマイクロの「パスワードマネージャ」が入っているので、これをEdgeにもインストールすればよいはず。
なのだが、うまくいかない。やり方がよくわからん。
仕方ないので、いろんなサイトを開いてパスワードを入れて、Edgeに覚えさせた。

ふと、思いついて、ずっと立ち上げっぱなしにしていたPCを再起動してみた。
それからかと思うが、どうもChromeの突然終了癖は治ったような気がする。

・新しいPCを修理に出した時、代役として前のPCを出してきた。
写真収納用のポータブルHDDもそちらにつないだ。
以来、今でも書斎の机に置いてある。前にも書いたように、ふるいPCでは昔から使っている画像ソフトがフルに使えて便利なのだ。
このまま来年1月まで(win 8.1のサポート終了)生き延びるのかもしれない。。

・あたらしい車にはセンサーがついていて、障害物にぶつかりそうになるとぴいぴいと警報が鳴る。今どきの車はみなそうらしい。
狭いところ、家の駐車場などで動かす時も、どうしても鳴ってしまう。実家に行くとき、ちょっと細い角を曲がるのだが、そこはかなりぴいぴいと鳴く。前よりも幅が広くなっているので、実際に通りにくくなってはいるようだ。
ただ、あまりぴいぴい鳴くものだから、なんかおっかなくなってしまい、自然に動かせば曲がれるものを、変な風に動かして切り返しをしないといけなくなったりする。なんか、気が重くなって困っている。
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こわい

2022年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

こわい話は昔っからきらいなのでしません。
でも好きなひといますね。。

小学生の時、同じ班の女の子がそうでしたね。話し方がとても上手で、ぞおおっと、話がハイライトにさしかかる前に、きゃあっと叫んでしまって、まだなにも言ってないでしょ!と怒られたことがあります。

もし、あなたが一番怖いものは何ですか・と聞かれたら。。

やはりあれですね。おまんじゅうと答えるでしょうね。。

ところで、今日帰りに乗った電車は、目的地に近づいたところでゆっくりととまり、そのあと急に停電してしまいました。。

エアコンと照明の大部分が消えて、ドアの案内表示も消えました。
もっとも真っ暗ではなくて、一部の予備灯はついてたのであれですが。。

10分以上止まってましたが、急に復帰して、またおもむろに走り始めました。車掌は遅れたお詫びはしましたが、原因は言いませんでした。なんだったのでしょうね。。

終戦記念日ですね。
昨日はこの機会にと思い「日本のいちばん長い日」(2015年版。役所広司が阿南大臣)を見返しました。

長い映画ですが、途中からしんどくなってきて、さいごまで集中してみることはできませんでした。。

ここに出てくる閣僚や将軍たちは、日本の良き時代、明治末から大正にかけて青年時代を過ごし、自分たちが指揮を執る頃には時代が傾いています。

畑中や井田など、暴れる青年将校たちは、世間がひじょうに苦しい時代に入ってからの世代です。うまくいっていた時代を知らない。
無理やり図式化すると、そんな対立構図になっています。

そういうのを見てると、それって今じゃねえか、という気がしてしまうのですね。。

それもあるけど、この年になると(っても、もしウクライナ国民だったらまだ国外移動が禁止ですが)若者を戦場に行かせるようなことは、言いたくないですよね。。

こわい時代です。

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なんかかった

2022年08月14日 | 家電

・・まあ、お買い物の記録です。

さいしょはこれ。イヤホンは今まで安物をつかってました(たしかシンガポールあたりのブランド)。左右を連結したやつで、手袋と同じ理屈でこっちの方がなくさないで良いや、ぐらいに思っていたのですが。
ある日急に、気が変わりました。

これでも、ちっとも高くないという人は多いと思います。コンポだって、ハイエンドだと千万単位、下手すると部屋ごと作っちゃう話になったりしますが、いちおう、一市民と言うか、いちうさぎなので。

こないだからね、SNSに広告が出ていて、応募するともれなくPerfumeのケースカバーだったかな、をもらえる、みたいなキャンペーンやってるみたいなんです。ので、まんまと引っかかっているわけです。

ふつうの量販店で買いましたが、いつもつくはずのポイント10%がつかないみたいです。なんか特殊な販売形態なのでしょうか。。

ケースがワイングラスか何かみたいに、やたらと立派なのはアップル辺りから来たのかしら、今は普通でぜんぜん驚かないのですが、この製品はそうした中ではちょっとメッセージ的に熱い感じですね。

取説も熱いです。

ブランドがテクニクスだからでしょうか。。

個人的にはパナを含めて、このメーカーの音響製品は結構使ってますね昔から。。カセットはウォークマンだったけど、MDはシャープとパナだったな。。今もラジオと薄型ステレオはパナですね。

ケースに入れて充電するのですね。手にして初めて知りました。
あと、側面に触って音量調節とか、色々できることも。

さっそく使ってみました。
オーバーヘッド式だと、うさぎには難しいのですが、その点これはいいですね。

今はまだ、家の中で数分聞いただけですが、明日から外に持ち出してみます。
ちょっとおっかない気もするな。。なくさないように気を付けないと。

アプリの設定と、キャンペーンの申し込みも、やらないとですね。。




・これは何かと言うと、超音波式の洗浄器です。
あれです。昔眼鏡屋の店頭に置いてあって、自由にお使いくださいとか書いてあったやつ。今はコロナ禍もあって、見られなくなりましたけど。

昔ジュエリー制作をやっていた頃、教室にこういうのが置いてあって、時々使っていました。綺麗にはなるんだけど、けっこう時間がかかった気がします。

今回のはそれよりはずっと安くて、性能はあまり期待できないタイプ。。
で、使ってみたらやはり(期待できないという期待)どおりでした。
眼鏡の、鼻あてのところが気になるんですよね。そのくらいはなんとか・かな。

時計の場合は、専用ホルダーを使ってこんなふうにやります。
まあ、気休め程度ですかねえ。。

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ちょっともや

2022年08月13日 | 日記・エッセイ・コラム
久しぶりにPentax Q10を使ったら、ちょっと不思議な絵を出した。

今日は台風ですね。。皆さまおきをつけを。

今年は戦後77年ですが、明治維新からアジア太平洋戦争終結までの期間もちょうど77年ということで、2022年はひとつの節目となる年である、という議論があります。ちょうど米下院議長が訪台し、中国が反発し、というニュースに、日経ウェブ版のコメントとしてどなたかがこれを紹介していました。
曰く、日本でも今年は一つの節目となる年になるのではないかと。

明治~昭和の大日本帝国、昭和~令和のいわゆる戦後日本を、それぞれひとつのレジームとして捉える・。
似たような議論は半藤一利さんが生前よく、40年周期説として語っておられました。
これは、明治維新後、近代日本として国際社会に進出し、1905年の日露戦争勝利を一つの頂点と捉える。
その後日本は、アジアの寵児として、また軍国日本としての評価が定着するのですが、徐々に暗雲が立ち込め、40年後の1945年には存亡の危機に立たされます。

戦後は平和外交と経済復興に努力邁進し、40年後の1985年ごろには一定の成果が見えてきます。ちょうどプラザ合意があった年に当たりますが、豊かな国日本というイメージは、この頃定着しました。
その先のことはご存知の通りです。

戦前において軍は非常に専横的であり、市民の言論は上から強く制限されてきた、という見方が今日大勢ですが、そうしたイメージはおそらく1930年代後半の状況がステレオタイプ化されて定着したものと思われます。

丁寧に歴史を手繰っていけば、市民が政治よりも軍に期待し、また市民自身もかなり政治的に自由に活動していた様子がうかがえます。

他方、戦中の過酷な状況の中でも、市民が国家、軍に対し強い批判精神を持っていたことも、残された当時の日記などから知ることができます。

戦前には華族制度や小作農の存在など、厳しい身分制が社会の中に組み込まれていたのですが、特に華族制度は日本ではあまり社会的に影響のあるものではなかったのかもしれません。。
実質的な身分差別の問題は諸外国でも長期にわたり存在し続け、今でも解決していないことはご存知の通りです。

こうしたことは、確かに戦争前と戦争後で体制は大きく変わってはいるのですが、市民レベルでは―人々の意識や行動は基本的に変わっていないのではないか、という事を思わせます。
楽しかったり、悲しかったり、腹が立つようなことは昔も今もそう大きくは変わっていないのではないか。時代特有の、様々な枠組みを外していくと、生身の人間はいつでも同じような人間であると。

ただ、戦争末期から戦後の混乱期、これは間違いなく大きな分水嶺であり、これによって影響を受けなかった人は一人もいないのでしょうね。



昨日NHKで「あちこちのすずさん」を、今年もやっていましたが、この番組のコンセプトは戦争時代に子供や若者であった方々の逸話を、今の高校生たちが自分の身に引き寄せて体感し、今身近に、かつてと同じようなことが起きたらどう思うか、考えさせるというものであるように思います。

その結語として浮かび上がってくるものは、やはり戦争はいけない、あの時代に戻ってはいけない、というものであるかと思います。

当然そのことに、異論をはさむことなど全くないのですが、今年に入り、ロシアが隣国に対し、非道な暴虐を行う、という事態が生じました。ロシアはそう言っていませんが、これは普通の人の感覚では戦争そのものです。

今年は去年までと違い、戦争はよくないね、でもあれはずっと昔のことで、いまは違うからね、という感覚でもなくなってきているように思えます。

もともとそれは、認識としては素朴でありすぎたものだったのでしょう。パレスチナやチェチェン、ジョージア、シリア、今世紀に入ってからも戦闘行為は世界のどこかで行われていたわけですし、昨年だけ取り上げてもミャンマーやアルメニアなどで、何らかの戦いが行われています。

日露戦争を勝利した後の日本が、その後の政策運営や軍隊がとった行動について、今日ではあまり高い評価を聞くことがありません。まったく劣っていたわけではなく、むしろ世界的に見ても一目置かれるような実力を備えていたはずなのですが。

今日の日本が、将来歴史家が振り返った時にどういう位置づけをされるのかは、わかりません。
ただ、このさき道を誤って、困ったことにもなりうるでしょうし、既に始まっているのかもしれませんが、願わくば平らかであってほしいと思います。

昔も今も、その時代の人たちはその時代なりに、社会の事を憂えていた気がしますが、どうしても今の方が情勢厳しいように思えてしまいますね。。


上と全然関係ない余談。

車でCD聴く人は、もしかしたら今少ないのかしら。
うちは時折聴くけど、ケースのまま持っていくと入れ替えが面倒だし、運転しながらだと危ない。
ので、100円ショップでこんなケースを買い、不織布のフォルダに入れ替えたCDを入れておくようにした。聴き終わったCDは取り出して別のフォルダに入れる。
という方針で、ちょっと試してみたけど、それなりに使える気がする。

近頃はみんな配信で聞くんだろうけど、特にクラシックとかは聞きにくいんだよね。。

もひとつ。

新しい車になって、なぜか(外が暑いせいもあるが)手のひらに汗をかくのが気になってきたので、ドライビンググラブスを買ってみた。ホムセで見たけどなくて、結局アマゾンで買った。安いものだけど悪くない。ただ、外すのがちょっとめんどくさい。それと、繰り返し汗かいてるとすぐ悪くなっちゃいそう。



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オリビア・ニュートンジョン

2022年08月09日 | 音楽


26.9.1948 - 8.8.2022
R.I.P.


早朝車を出そうとしていたら、ラジオから衝撃的なニュースが。。

最初にオリビアさんのことを知ったのは「カントリー・ロード(故郷へ帰りたい)」を、夕方のラジオで聞いたときだ。TBSラジオで若山源蔵さんのDJで、その時間帯にはちょっと珍しい洋楽をよくかけていた。

オリビアさんは歌手デビューしてから下積みが長かったらしいが、70年代の半ばごろには主にカントリー系の曲を歌う歌手という印象が強かった。

ただ、後に変身することからわかるように、色々な顔を持つ方で、濃い目のカントリーを歌う一方、同じころに可愛くて爽やかな、ちょっとアイドルっぽい曲もヒットさせている(「そよ風の誘惑」など)。

1978年に映画「グリース」が大ヒットし、それまでとは違った、華やかなスターという存在になる。その後はポップな路線が強くなり、ザナドゥ、フィジカルなどのヒット曲を量産する。

1992年に乳がんを患い、その前後から社会活動などに力を入れ始める。

いつからかは忘れたが、FBでオリビアさんの公式ページをフォローしている。もちろんスタッフが構成しているのだろうけど、いつも若々しい姿でにこやかにされている写真が掲げられていて、元気にされているのだろうな、と思っていた。。


今日に至るまで、一番好きな音楽ジャンルは洋楽女性ボーカルなのだけど、そのきっかけはオリビアさんだ。

もっとも実は、ポップ色の強くなった78年以後の曲は、それなりには聴いてはいるが、好きなのはそれ以前の曲だ。

写真のベストアルバムは、’98年にCDとして初めて買ったもの。割と新しい曲も入っているが、版権の関係なのか、グリース関係の曲などは入っていない。

この辺は10年ほど前に、CDで集めだした70年代半ばのアルバム。
今日SNSで訃報のことを話題にしたら、このジャケット絵と「ジョリーン」のことが話題になった。

’76年リリースの、邦題「たそがれの恋」。
爽やか系とカントリー系が両方入り混じっている。
カントリー系は当時の流行だから、今日の目で見る(聴く)よりも、もっとポピュラーな聞かれ方をていたのだと思う。

'77年夏に出た「きらめく光のように」Making a Good Thing Better。
当時のラジオで襟川クロさんが「さわやかな、さわやかな歌声・・」と紹介していたのをよく覚えている。

ジャケットが華やかですごくかわいいので、オリビアさんを聞きたくなったらつい手が出る。

同じ年に出たベストアルバム。邦題は「詩小説」。

これは、生まれて初めて買った30cmLPなのだ。。
上で書いたように、最初にオリビアさんに興味を持ったのが、「カントリー・ロード」だったので、それが入っているアルバム、かつ当時の最新のLPを買ったのは自然な流れだった。。

ちなみに「カントリー・ロード」は、今でも英語で暗記していて、カラオケとかで歌えたりする(と思う)。
むかしのLPレコードは高かったけど、ジャケットはまことに豪華であった。

いまなんか配信とかで、あれだもんね。

これはふわっとしてかわいいでしょ。

当時オリビアさんは20代なのだけど、中学生の少年から見たらすごい大人なわけで、恋い焦がれるという感じではなかった。

ただ、ちょうどこの頃、土曜日の午後、父親と家にいて偶々テレビをつけたら、オリビアさんがアメリカ?のテレビ番組に出演してるのが放送されていた。オリビアさんはなぜか、不思議の国のアリスみたいなステージ衣装で歌っていた。・・と思って今画像検索したら、ちょっと違うかな。。要するにふわっとした感じの、少女のようなドレス。

オリビアさんをテレビで見られるなんて、今までなかったから見たいのだが、父がとなりにいるとなんか恥ずかしい気がして、どうも居心地が悪かった。

コンサートに行ったわけでもないし、継続してずっと聴いていたというわけでもない。でも、人生の3/4ぐらいはずっと聞き続けていたし、なんとなく自分の原点のような感じする方だったので、正直今、とっても悲しい。。
有名人が亡くなられて、こんなに悲しく思うのは初めてかもしれない。。

ご冥福をお祈りします。。

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第3村

2022年08月07日 | 旅行記


当地の今日はうす曇り、気温は30℃ぐらいだと思いますが、午後エアコン切って昼寝して、一瞬軽い熱中症ぽくなりました。どうぞお気を付けください。。

さて、掲題の第3村は、上のニュースの通り昨年公開されたシン・エヴァンゲリオンに出てくる架空の地名です。撮影には(これはアニメ作品ですが)ミニチュアを作成して作画の参考にしたらしいです。

この駅と機関区らしき建物にはモデルがあります。
7月の旅行では、そこに行ってみました。

現地で買ったクリアフォルダー。包装を外してないので、光っちゃってますが。

天竜浜名湖鉄道の、天竜二俣駅です。



国鉄二俣線として昭和18年に開業し、昭和62年に3セク化されました。
戦時中、東海道線が不通になった場合のバイパス線として企画され、実際にその目的で使われたこともあったようです。

しかし、平時には利用者も多くなくて、近代化も進まなかったようです。
それが逆に幸いし、古い施設が今日まで温存される形になりました。

とりわけ、この天竜二俣駅にある、転車台と扇形機関庫は希少なものです。
転車台は有形文化財として登録されているそうです。
これね。

蒸気機関車の時代は、これで機関車の向きを変えることが必要だったので、全国各地に設置されていました。
今も保存運転を行っている路線では、改めて新設するケースなどもあるようですが、ここのように昔から周辺の線路を含めて残っているのは少ないと思います。

鉄のひとにはわかると思いますが(さいきんの人はあれかな)、昭和18年と言うと、蒸気鉄道としては比較的遅い部類に入ります。ので、このターンテーブルも、国鉄の標準から言うと新しめの、*8.8.'22訂正下路式というタイプです。

このことは重要で、この路線の設備が今日まで残ったのは、旧様式の蒸気鉄道を比較的新しい時代に作ったため、施設全体が状態の良いまま、令和まで引き継がれた、という面もあるようです。

もちろん、既に79年が経過しているわけですが。

木造の駅付属設備。

乗務員の基地になっていたので、それなりの規模の建物が整っています。

一部は現役で使われています。

象徴的な意味合いを持つ、給水塔。
蒸気機関車は大量の水を必要とするので(お湯焚いて走りますから)、その水をここで賄っていました。6tの水を溜めていたそうです。

今は実際には使われていません。

ツアーでは実際に転車台に車両を乗せて、転回実演もしてくれました。
そこら辺のことは鉄道部のブログに書くつもりです。

車両は今日の標準的な気動車ですが、色々なカラーのラッピングを施した車両がほとんどのようです。

これはエヴァンゲリオンバージョンですね。

ちょうどクリアフォルダーになっていました。

ツアーは午前、午後の2回でしたが、午後の部に間に合うために高速飛ばして(慣らし中なのでスピードは控えめに、代わりに途中休憩しなかった)来ました。30分ぐらい前に着いたけど、ちょっと膀胱きつかったな。。


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ひといき

2022年08月06日 | 日記・エッセイ・コラム
7月の最終週、休暇明けだったが部下の子がご家庭の件で色々あり、先週末は出社してこれに対処した。ほぼ同時期に知人の方に不幸があった。8月に入ってから、別の子二人に、それぞれの事情が生じた。

などと、色々やっていたので、すこしたいへんだった。。
まだ全部終わってないし、月曜日もスケジュールがぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅっとつまっている。いわゆる閑散期は、閑散期だからいろいろスケジュールをいれていいだろう、という人たちが予定入れるので、ぜんぜん閑散期にならないのだ。。

ただまあ、先週は緊急事態感がつよかったのが、ちょっと日常(のおおいそがし)に変わりつつあるので、気持ち的にはらくだ。。


水曜まで暑かった。地元でも最高気温40℃に達した由。

モールに昼食に行ったが、ふだんなら駐車場で案内をしている人たちがいない。きっと暑すぎて執務は危険と判断されたのだろう。

暑いせいか、火曜日は札入れ、水曜日は小銭入れをわすれてきた。お金、つつまないといけないから、カードとかじゃ用が済まない。暑い中銀行まで行って下ろしてきた。銀行減ったから歩くのよ結構。。

あと、オフィスにいると夕方ごろには、もうだめだ状態に陥り、しかたないから下に降りて大福とかバウムクーヘンとか買ってきて食ったりした。

体重がふえるのはよくないが、時局柄やむを得ない。。
四の五の言っている場合ではないのだ。。。


木曜になったら、急に涼しくなった。
よかったといえばたしかによかったが、なんか疲れが出ますね。。

まあしかし、あれこれありながらも、なんとか生きてるからね。。

ニュースを見てると世界中暑いし、あちこちでみんないろんなことで怒っているし、それどころかいつ殺されるかわからない人もたくさんいるみたいだし。。


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なんしー

2022年08月02日 | うんちく・小ネタ
ぺろし(もちろん英語の発音はこうは聞こえないが)って名前を見ると子供の頃を思い出す。
むかし友達に宏君という人がいて、よくふざけてぺろしくんと呼んでいた。意味はべつにないけど。。あと宏なのでウナム君とか呼んでた(わかるかな?)。

あと、小笠原君という子がいたけど、ときどきおがわらさくんとか、おらがわさくんとか呼んで遊んでいた。
ゼミの後輩に三田日奈子(仮称)という子がいたけど、名前で遊べるなとかいいながらよく、ひみたなことか、ひなみたこ(仮称なのであまり面白さがつたわらないね・)とか呼んでいた。

ペロシもプーチンも、なんとなく日本語だとかわいい感じがしなくもないんですけどね。。

海外の要人といえば、むかしイロイロ大統領という方がいましたね。。
今世紀の初め頃、中東の首脳陣と言うと、ありえる・しゃろんとか、やせる・あらふぁととか、(いずれも発音やアクセントは多少日本語つづりとはちがう)いたので、覚えやすかった。

というわけで・。
やはり疲れてるかもしれませんね。。

名前で笑うとかって、アメリカのドラマだとたまに出てきますね。。そういうのはむきになって怒らない文化なのかしら。。



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