うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

どうもね

2022年03月30日 | まち歩き

今週月曜日はまた夜9時からのミーティング。火曜日は所用で帰宅が遅くなる(といっても10時過ぎぐらい)。

今日は在宅勤務。すこしペースの調整。

今月はあまり実家で仕事していない。

庭師さんに剪定をお願いしていたり、なんやかやとあってしばらくは自宅で仕事していた(といっても週1回ペースだけど)。
今日は久しぶりに午後実家に行って仕事。

どうも・ニュースも重い話が多いし、いささか気が重くて活字を読む気になれない。。

まあ、すっかり春めいてきたのは助かる。

朝は晴れていたんですよ。
またお天気は下り坂らしいけど。

あとは無言でお花の写真掲げます。。

今週はあと二日、出社ですな・・。




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つぎ

2022年03月28日 | 社会・経済
戦争も大変ですが、通貨安もそうとうやゔぁいですね。。
日銀はそれ(国債の指値買いオペレーション)をしたらどうなるのか、当然判っているはずです。うさぎなんかよりもね。弊害を承知のうえで、守るべきものがあったということです。

わかっててやってんのかというと、たぶんあれだとおもいます。

世間ではワクチンのことを、ちゃんと治験おわってないとか、騒いでいましたけど、金融政策なんて治験ないです。いやな人は打たなくていい、という訳にもいかない。
昔は準備預金率と窓口指導やればなんとかなったんですけど、もうどうにも歯止めが利かない。
マイナス金利とか、資金移動業とか、暗号資産とかで銀行ダメにしてますから、もうじじょうじばくってやつです。

どうすればよいかというと、もう寝ないと明日がつらいですよねとりあえず。

まあ、なんとかなります。
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しょうわレトロ

2022年03月27日 | 音楽

先週は遅い時間に仕事の予定が入ったり、その前も休みの日が続いたりして、全体に生活が夜型になった。それと同じなのか別なのかわからないが、どこか疲れがちで家事などはのろのろとしか進まない。

3度目の接種のときも延々眠っていたが、今日もどうも眠くて。。昨夜は10時半ぐらいに横になってそのあと1,2度目が覚めたが結局12時間寝ていた。
参るのは夢の世界でも仕事をしていることだ。これが実に多い。
そして、夢の中の仕事は、あれやらなきゃ、と思いながらなかなか進まないことが多いのだ。。

そういえばぶろぐの記事書くのも、先週は書き終わったら夜2時とか数回やったな。目が冴えちゃうので、やらないようにしているんですけどね。何しろ世相が悪くて、考えただけでも疲れてしまう。。

てなわけで、ちょっとたいちょうふりょう。
せいかつを、なんとかします。


というわけで、現実逃避のためにふるい音楽を聴くことがあります。
もっとも、古いというのは相対的な概念でして、そうでもないかもしれないです。
しばしば、17世紀から19世紀ぐらいの音楽も聞いてますからね。それに比べるとあたらしい。

しかし、以前同い年のみんなとカラオケに行ったら、みんなから「(選曲が)先生(の世代)みたいだ」と言われました。。

友達と飲んだ時、こういうの聴いていると昔、親の運転する車のなかでラジオから聞こえてきたときのことを思い出すんだよ、と語ったことがあります。
でも、友達にはそういう経験はないのだそうです。

結構記憶に残っているんですよね。。ロイ・ジェームズさんのDJとか。

南沙織さんはファンも多いし、今聴いても歌唱力はそうとうのものです。
初期の曲が有名だけど、歌唱の完成度でいったら比較的なじみの薄い、後年の曲のほうが優れています。個人的には『街角のラブソング』(1977.7.21リリース)が好きです。こういうタイプのコケットさというのは、たぶん今では絶滅していますね。なぜなのかはわかりません。

歌手としての実力はこれから、というところで引退し、90年代に復帰後も声に衰えは感じられない見事な歌いぶりでしたが、往年のムーブメントは戻りませんでした。
アイドル歌手としてのアイコンが強すぎて、ある意味でそれが制約になってしまったのかもしれません。別の言い方をすると、24歳で引退したのは、本人の人生を考えると見事な決断だったのかもしれないです。

知人の若い子('80年代半ばの生まれ)は沙織さんでしたが、自分の名前の説明をするときに、年配の人には「南沙織の沙織です」というのだそうです。それだけ多くの人々に知れ渡った人だったわけです。


子供の頃から「いま」の音楽と同時に、少し昔の音楽にも興味津々で、よくラジオを録音して「勉強」していました。

昔から鉄ちゃんだったので、鉄道雑誌を開くと少し昔のSLとか、失われたローカル線とかの写真が掲げられていて、そういう時代(戦前から1970年代初め頃)にある種のあこがれを持っていた、みたいな面もあります。
それと、大人の世界にたいするあこがれもあった。

もっとも、ハイファイセットはその意味では「いま」の音楽でした。
『フィーリング』が流行したのはリアルタイムで知っていますから。ちょうど今ぐらいから初夏にかけて流行ったかな。
ひじょうに大人っぽい世界ですし、山本潤子さんの歌唱も、今聴いても素晴らしいです。。当時から外国の歌のカバーだとは知っていましたが、今調べたらブラジルの音楽だったんですね。フランスかと思ってた。。

「卒業写真」も、今の季節にちょうどいいですね。これは、ユーミンには悪いけど、歌の実力がすごくものを言っている感じがあるな。。

「冷たい雨」は歌唱もさることながら、荒井由実の作詞と曲が心に刺さります。救いがないんですよね。主人公が自分の置かれた状況に全然納得していない。


もうそういう経験なんて自分には関係ないけど、歌の時代感から言ったら主人公たちの生きた時代と、自分がそういう経験をしてきた時代は比較的近い。
今の若い子たちも同じような思いをして、それを歌にしているのだろうけど、それは彼らの世界であって、自分とはシンクロしない。。たぶん。

とはいえ。

たまに聴いて、ちょっと懐かしく思うぐらいがちょうどいいですね。
あまり毎日聴いていると、どこにも行かない思いが心にたまってきて、それはそれでしんどいです。


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The days in a life

2022年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム
ロシアが天然ガスの取引をすべてルーブル建てにする、という発表があったが、契約上の問題とか色々あることは確かだが、考え方としてはありなのかな、とふと思ってしまった。。
既に中央銀行の資産がかなり凍結されており、金準備も相当額が凍結されている。手続き的にはかなり粗削りな部分はあるらしいが、逆に言うと、それだけせっぱつまってのアイデアなのかもしれない。
天然ガスや石油の供給を止めることはなく、価格を引き上げることもしないと言っている。

一部の人が指摘しているように、ロシアは軍事面ではかなり醜態をさらしているが、経済面では正気を保っている。国債の利払いも滞っていないし、証券取引所も慎重に取引を再開している。

西側の経済制裁はロシアにとって痛手だが、とりわけ影響を被るのは一般市民と思われる。原油や天然ガスの供給は止まっていないし、その支払い決済をつかさどる銀行も、海外と取引ができる。一方、ルノーの工場やユニクロで働いている人たちは、職場を失いつつある。

ロシア産石油や天然ガスを全く止めてしまうと、今度はヨーロッパや日本の庶民が困る。今でも少し困っているのだが、そこはある程度「加減」がされている。

ルーブル/円レートを見ていると相場があるので、一応取引はできる、のかな。政策金利が20%なので、ポジション持っているだけで金利差分儲かる。取引は細いらしいから、かなり値動きは荒いと思うけど。
ロシア関連の投資信託も、価格下落に苦労はしているようだが、買うことはできる。

1年以上ぶりに「ねぎし」に行ってみた。
写真ではご飯に隠れてしまっているが、牛タンがものすごくちっちゃくなって、それをまた半分に切ったりしている。
メニューを見たとき、どれを選べばよいのかしばらく迷った。。

店内の告知を見ると、希少部位である牛タンが品薄になり、価格が3倍になってしまったそうだ。止むを得ず値上げをした由。それだけでは足りなくて、サイズが縮んだらしい。

おねだん1200円。20年ほど前もそのくらいで、牛タンが4~5枚あったかな。
今は鳥とか豚の生姜焼きみたいのがセットになっている。

ロシアの揚陸艦が港で大爆発を起こして沈没した。
ニュースでは「ウクライナ政府がロシア艦を撃沈したと発表」という報じ方をしている。
これはロシア側がそれを認めていないことと、沈んだのは攻撃によってではなく、何らかの事故で沈んだ可能性がある、という異説もあるかららしい。
戦艦陸奥みたいな感じで、工作員がなにかを働いたのか、単にポカやって自爆してしまった(「人」さんによると仕事猫案件かも、という)のか、世をはかなんだロシア水兵が皆を道連れにしたのか、それはわからない。



スーパーでレモン(包装とかがついてないやつ)を籠に入れてレジに行ったら、若い店員さん(高校生のバイトかしら)が「・・・?」という。
「?アメリカ産レモン」
「・・オレンジですか?」
今度は聞こえた。ので、「れ・も・ん」というと、はにかんだような顔をしてレジを操作した。

なんかかわいい。
精算は機械でやるようになっても、お会計は店員さんにいてほしい。


国連非難決議等でも、いわゆるBRICS諸国は反対こそしないが、棄権をしてロシアに一定の配慮を示している。

ブラジルもその一国だが、あるとき副大統領が記者のインタビューに対し、「ブラジルはロシアの侵攻に反対だ」と答えた。

それを聞いたボルソナロ大統領は激怒した。
曰く、俺が大統領だ。そういう質問に答えるのは俺だ。と。
その時のテレビ映像では、大統領の右側に手話通訳の人が座っている。

日本だと令和おじさんの発表みたいに、手話の人が画面はめ込みで表示されたりするが、ブラジルでは隣に座るらしい。

で、その方の手ぶりを見ていたら・・
笑いが止まらなくなってしまった。



なんか、手だけじゃなくて表情も非常に豊かに熱演されているのです。
なので、不謹慎だとは思うのですが。。



大統領も表現豊かな方で、手ぶりも混じる。
二人で手を動かしていると、手話の読み取りに差し支えたりしないのかしら。。

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いつのまに

2022年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム
今朝もおっそ~くに出社。
オフィスに向かう道すがら、ふと角を曲がったら、河津桜が満開だった。

毎日通っているし、昨夜も通っているはずだが、ぜんぜん気がつかなかった。
昨日は雨でしたけどね。

左端にヒヨドリさんらしき姿が見えます。


そういえば、昨日のゼレンスキー演説の話で書きそびれたことがある。

演説中に「ロシアは面積では最大の国だが道徳は最小の国だ」、と語っていたことが印象に残った*。

そしてふと、F.D.ルーズベルト大統領が急死した際、鈴木貫太郎首相が米国民に哀悼の意を示す談話を発表し、それを知ったトーマス・マンが(大統領を罵倒する声明を出したヒトラーと比べ)、東洋には今なお騎士道が存在する、といたく感動した、というエピソードを思い出した。

これに関連して、早稲田大学の中澤達哉教授が自身のツイッターで、やはり「道徳」に言及したことに対し、感想を書かれている。

氏によると「道徳」への言及は、歴史上の東欧諸国の政治家による演説や声明に共通するものを感じるのだという。例えばチェコの故ハベル大統領はしばしば、倫理観、道徳観は強大な悪に立ち向かう力になりうる、と語っていたそうだ。

氏は続けて、東欧諸国には近世に入りしばしば分割、消滅の危機にさらされた歴史があり、そうした中で他国に蹂躙されても道徳だけは失ってはならないという教訓が受け継がれているのではないか、という意味の事を書かれていた。

ただ、他国では触れたことがないのになぜ日本での演説で「道徳」がでてきたのか、そこは西洋史学を超えた考察が必要なのだろう、と結んでいる。

西ヨーロッパの諸国にとって外交とは利害の調整であり、アメリカにあっては「正義」である。では東洋においては「道徳」かというと、なかなかそうは言えないものがあるけれど。。

あるいは、ゼレンスキー氏個人の目から見た日本は「道徳と調和の国」という印象があるのかもしれない。

*ちなみにこの部分は例えばNHKのニュースサイトや、産経新聞24日朝刊などに掲載されている演説全文では省略されている。理由は不明。
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ゼレンスキー演説

2022年03月23日 | 社会・経済


今日は夜の9時に会議でした。
家帰って参加してもいいけど、部下の子に付き添う?必要もあるかと思い、夜まで社にいました。

朝から仕事したらたいへんすぎてしまうので、午前中もったりして、昼前ぐらいに出社した。

ついたらすぐ昼飯時になって、今飯食うのもあれかなあと思ったが、遅いと弁当売り切れちゃうから下降りて買ってきて、とりあえず取っといてあとで食うかと思ってたのを忘れて、オフィスに着いたらすぐに電子レンジかけて食ってしまった。

1時半からも別の会議があったのですよね。。

そんな話だらだらしてても仕方ないのですが、やがて夕方になって、演説が始まったのでスマホでNHKプラスを付けて見てました。
ただ、同時通訳の人が(ウクライナ語の同通なんて、できる人少ないのでしょうね)ちょっとわかりにくくて、家帰って録画したニュースとか見て把握しました。。


これまでイギリス、アメリカ、ドイツ、イタリア、イスラエルと各国でそれぞれの国民感情に訴えるような言葉をうまく取り込んで演説をしてきたゼレンスキー大統領。日本ではどういう演説をするか、ネット上ではかなり話題となっていた。僕も友人とのSNSで、日本海海戦か北方領土、広島、長崎、福島あたりかな?などと言ったりしていたが。。

終わった後もネットではかなり盛り上がっていた。僕も再び友人と、こいつやっぱり大した男だな、などと書き込んだりした。

戦闘への協力を求めるというよりは世界の調和や秩序作りの先頭に立ってほしい、という内容で、広く日本人の感情に訴えかけようとしているのは上手い。
他方、生物化学兵器や核の使用への懸念など、非常に切迫した訴えも入っている。

戦中にこのような演説を各国で行うなどということ自体、昔なら考えられなかったことだ。
しかし、今日の戦争はこのような武器を使わない『非線形』の戦い方も大切なのだ。

他方、全体に少しレトリックが過ぎるのではないか、という意見も見られた。個々の演説自体は非常に雄弁なものでもないのだが、やはり国ごとに手を変え品を変えという訴え方が、ちょっと鼻につくという人はいるようだ。それは、わからなくもない。故国の戦況は依然非常に厳しく、いつ何が起きてもおかしくない状況であることは確かだ。
個人的にはトータルではOKだが、米議会で真珠湾に言及したのは流石に気にはなる。

前にFB上で西側のニュースとは違う見解を述べている人がいる、ということを書いたが、この人が演説をどう捉えいているのか気になって見てみた。
特に言及はない。この方、福島原発の事故のときは非常に鋭い見解を書いていたのだが、ウクライナに関してはどうも切れ味が悪い。異論は大切だが、説得力がないと聞きづらいことも確かだ。それこそゼレンスキー氏並みの創意工夫が必要になってくる。


今朝はかなり冷え込んだらしく、前夜の雨が車の屋根の上で玉状になったまま、凍り付いていた。
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ザ・シンフォニエッタみよし 第9回特別演奏会

2022年03月21日 | 音楽
咲き始めました。

掲題のザ・シンフォニエッタみよしは、日本センチュリー交響楽団と名古屋フィルの首席客演コンサートマスターを務め、東京音楽大学教授でもある荒井英治氏を中心としたオーケストラで、メンバーは国内オケの首席奏者やソリストたちで構成されているようです。指揮者はおらず、コンマスの荒井さんが弾き振りという形で演奏しています。

どういういきさつでこのオケが作られたのか、寡聞にしてしらないのですが、国内の精鋭が集まったオーケストラのように見受けます。今回開演されたホール(コピスみよし)は音響的に優れているという評判らしく、時折レコーディングにも使われているそうなので、その関係もあるのでしょうか。

今回の演奏会は地元のFM放送で知りました。もとは2年前に開かれるはずが、コロナの影響で直前10日前に中止。今回ようやく日の目を見たのだそうです。
ベートーヴェン生誕250年を記念したオールベートーヴェンプログラムです。

プロメテウスの創造物序曲作品43
ヴァイオリンと管弦楽のロマンス第2番作品50
ピアノと管楽の五重奏曲作品16
交響曲第5番
(アンコール:バッハ 無伴奏ヴァイオリン組曲から弦楽合奏編曲版)

チケット予約したとき(先月上旬)、かなり席が埋まっていたのですが、会場はほぼ満席でした。昨年のN響公演も満席でしたが、このところクラシック人気、高いですね。。?

ホールに着くまでの車中、NHKで「クラシックリクエスト」をやっていたのですが、工藤アナウンサーが「以前はコンサートで楽章の間に咳ばらいをするひとが多かった。ところがコロナ以後はだれもしなくなった。そういうところに時代を感じます。。」と言っていましたが、本当ですね。だれも咳とかしてなかったです。

コピスみよしは音響が良いと書きましたが、残響がきれいというよりは割とデッドで、15列目ぐらいでも楽器の音がかなりストレートに聞こえてきます。その辺は好みがわかれるところかもしれません。

第五は10型ぐらいの小さな編成なので、見通しがよくすっきりした演奏で気持ちよく聴けました。冒頭の休符をどうするのかと思いましたが、荒井さんが弓を高く掲げて合図していました。そのあとは自然に演奏が流れていきました。よく合うものですね。。

まんぼうも今日で終わり。引き続き注意は必要ですが、少しずつコンサートなども以前のように盛んに行われるようになることを期待します。海外からのアーチストの行き来がまだ不自由かもしれませんし、世相的にもちょっとあれですが、芸術は世界の心をつなげるものですからね。。


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しじょう

2022年03月20日 | 鉄道、車、のりもの


といえば阪急線の終点ですね。

・・という話ではありませんで、そういえばもう旅行も久しく行ってないし、まだなんだか色々面倒くさいし、まったく困った時代になったものです。

四条ではなくて試乗の話です。
ふらっとディーラーさんを訪れては、お話聞かせてください、というのですが、こういうやり方が名案なのかどうかわかりません。たぶん良くないような気がします。

なぜなら、今まで4つのお店を訪ねましたが、その場で試乗するまで行ったのは1社だけだからです。たいていはカタログみながらざっとお話をしますが、それで終わりです。事前にアポとか、入れた方が良いのかもしれません。

とにかく、今日は近くのトヨタと日産に行ってみました。

トヨタは実車を見ることはできました。カローラはワゴン(カローラツーリング)がなくて、カローラスポーツという、ハッチバックボディのほうですが、違うのは後ろ側だけなので。カローラはともだちがセダンに乗っています。
わりと良いのですが、後席ドアのサイドシル(しきい)の幅が広くて、ドアがあまり広く開かないのが残念ですね。。

シエンタはもうすぐ〈夏頃〉モデルチェンジするのだそうです。ただ受注はまだしていて、納車も2か月ぐらいだそう。
これはちょっと気になっていた車で、中を見させてもらいましたが、確かに使い勝手はよさそうです。ドアはスライド式ですが、カローラと違いとても乗り降りしやすそう。7人乗りで、再後端のシートは中列のシートの下に格納できると。たくさん人を乗せたり、荷物を積んだり、いろいろできる。
ミニバンはどうも苦手ですが、これくらいの大きさならいいかもですね。

ヘッドライトのところに独特の装飾が入っていますが、これがワカケホンセイインコを連想する、と言った人がいます。
残念ながらカラーバリエーションの中に黄緑色はないみたいです。
でも、昨日も書いたけど、ベージュ色はなかなか可愛い・。

話は違いますが、クラウンはもう受注終了だそうです。そのさきどうなるか、情報が入っていない由。



日産ノートは、今回自分の中でノミネートした中では最左翼に位置づけられます。全長で言うと約4.1mぐらいで、他の車種より多少短い。

ガソリンを入れてエンジンを回しますが、エンジンは専ら発電をして、タイヤを回すのは常時モーターです。プリウスなどのハイブリッド車はモーターとエンジン駆動を切り替えながら走りますが、日産はその点すこし方式が違います。

ガソリンエンジンは1200ccですが、走りに影響するのはモーターで、その最大トルクは300N.m (ノート・オーラ)だそうで、これはガソリン3200ccの車に匹敵するそうです。最高出力は100kwです。

この辺でもう、ふつうの自動車の知識は通用しなくなってきます。
鉄ヲタなので、モーター出力というと電車を思い浮かべますが、さいきんの通勤電車のモーター出力は200kwぐらい(が1両に4つ〉です。が、あれは1時間定格出力だし、それを比べたところでどうなるものでもない。

で、とにかく乗ってみてくださいと言われ、試乗してみました。
スマートキーはわかりますが、パーキングブレーキが電動式(画面左側のスイッチ〉で、セレクターが角っぽいマウスみたいな形をしています。これを前後に動かすことで前後進したり、パーキングにしたりすると。

このボードのようなものが助手席との間にあるのですが、これは机みたいなもので、この下が空洞になっていて、ちょっとした小物が置けます。

この下の収納部分をみたときは思わずおおお!っと叫んでしまいました。
横にいた営業さんは「・・・」という感じでしたが。
昔の(今でも)後輪駆動のくるまなら、この真下にトランスミッションがあって、そこからシフトレバーが生えていました。なので・。まあ、コラムシフトっていうのもあったけど。

「これ、飲み物とかどこに置くんですか?」と聞いたら、「ドリンクホルダーでしたらここ(ダッシュボードのエアコン吹き出し口の前)にあります」と言われました。下のトレイにはおけないもんね。
机がダッシュパネルに潜り込むあたりに、スマホのワイヤレス充電スポットがあります。


それはともかく、運転してみました。
いつもならハンドブレーキ外してブレーキ踏みながらシフトセレクターをDに移動して、おもむろにアクセル踏むのですが、ちがうんだそうです。ブレーキは踏まなくてもよくて、アクセル踏むと自動的に解除される。

話にはちらと聞いていたけど、アクセルペダルを加減するだけで加速と減速が同時にできます。色々制御されているらしいのですが、ガソリン車のATみたいに、惰行状態にはならなくて、ペダルを戻すと減速する。タイヤの回転力を電気エネルギーに変えて(回生制動)、発生した電気をバッテリーに蓄える。
但し、60km/h以上出ているときはこの機能はないので、ブレーキペダルで減速する必要があります。

慣れが必要ですが、しばらく走っているうちに加減はわかってきました。
あとでこれと同じ機能を持つ車に乗っている友人に聞いたら、この方式に慣れると、ふつうの車運転するときにどうしてもブレーキ踏むタイミングが遅れる、のだそうです。

メーターパネルは液晶で色んなこと言ってくるし、バックミラーは鏡とカメラモニターを切り替えられるし、サイドミラーは後ろの車を検知して光ったりするとか、覚えきらないほどいろんな機能があります。

日産ノートは国内でも売れ筋ですから、この新しさを日常味わっている人は、決して少数派ではないのですね。なので、これは決してSF的にとんがった新しさではないようです。

実はそういう色んな機能やら、テラテラ光るメーターとかが嫌で、5年前に今の車を買ったんですけどね。。昔ながらの車の操作性が良いと。

しかし、時代には勝てないというのもあるし、いちおうネオクラシックもしばらく堪能したし、この辺で令和時代を知っておくのも、今を生きる者には必要かな、という気持ちもあります。

最初に書いたように、この車は今の車種選択においては、ちょっと荷室が狭い。ただ、後席のドアは大きく開いて、乗り降りはしやすそうです。荷物をたくさん積むのも、年に1,2回なので、まあこれも候補に残しておいていいのかもしれません。

・・ただ、4か所ほど回ってたら、だんだん疲れてきました。。
カタログ見てるのは楽しいけど、あまりにも決めないといけないことが多すぎて、つかれる。

たとえばパソコンも、その時その時の流行があって、選ぶべき項目が変わって来たりします。昔は磁気/光学ドライブ必須だったけど、今はいらないとか、接続端子も時代ごとに変化しているとか。車もそうですね。

新車はその辺がめんどくさい。中古ならとりあえず走りに問題がないところは、あまりこだわっても仕方ないので割り切る。機関の調子とか、車体のゆがみとか、最低限必要な要素だけ注意すればよい。それより古今のいろんな車を選ぶ楽しさがある。乗ってできる少々の傷も、新車だと気になるけど中古ならあきらめがつく。値段が安い。。その方が楽かな。。



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自動車の色

2022年03月19日 | 鉄道、車、のりもの

時折きれいな色の車を見かけると、その色だけで欲しいなと思うことがある。

僕が車の雑誌を毎日眺めていたのは平成の初め頃ぐらいまでで、その頃日本の車の色は白か銀ばかりだ、と言われていた。今も大筋で事情は変わってないかな。だいたい運転していてまわりを見渡すと、周りの車は白黒銀灰、時々赤青たまに茶系という感じだ。まあ、うちのくるまも青だ。

昔と違うのは時々ヘンな色というか、ちょっと変わった色のモデルがあることだ。ピンクのメタリックあたりは普通で、蛍光イエローもよく見かける。軽自動車はわりかし自由だが、ひところピンクのクラウンなんてのも話題になりましたよね。。

ただ、クラウンもふつうのモデルはそれほどたくさんのカラーバリエーションがあるわけではない。シックなグリーン系や、ブラウン系も選べるといいのだが。

そういった、伝統系の色合いの車はむしろ小型車に使われていることがある。よく見かけるホンダフリードの、ミストグリーン(少し濃い灰緑のメタリック)とかは、フォーマルセダンとかに良く似合う色だと思う。
ほかにも、軽自動車やミニバンとかで、シックな色合いの車を見かけると、良い色だなあと思う反面、でもボディスタイルがなあ、と思うことがある。。

外で見るのとちょっとちがうかな。。

総合的に見ると、車の色は昔よりは自由になってきていると思う。ただ、全ての車が良い色を選択できるわけではないのが残念。。

時折走っているのを見て、ちょっと気になるのはシエンタのベージュ色。この車は、カタログでも派手な黄色とか、青色とか、原色系のイメージが強いのだが、地味な色も似合うのが意外。妙な連想だけど、女性がベージュのワンピースとかを上手く着こなしているようなイメージがある。。

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きゅうか

2022年03月17日 | まち歩き
水、木と休暇をとった。
水曜日午前中は人間ドックに行ったが、それ以外は特に何もしなかった。
ちと、疲れたので。

数年前までは健診受けても悪い所はなかったのだが、コロナ禍以後は少々厳しい。ので、気が重いのだけど。

上記2枚の写真は、ドック終了後の昼食。
去年は中華料理屋を選べたが、今年は閉店してしまい、選べるのは喫茶の軽食かここになった。
あえもの2点とお蕎麦という、とてもお上品なメニュー。


クリニックはこの奥の方にあります。

帝国も再開発がされるとのことで、長年見慣れたこの風景も、見られなくなる日が近くなりました。

自分にとってはこれこそがインペリアルなのですが、他方フランク・ロイド・ライトの旧館の写真見てると、例えば二二六事件とか、宮城事件のとき、ここはこんなだったんだろうなみたいな想像が働いて、妙に興味深いです。

少し散歩しました。

この界隈は社会人として最初に職場となった場所に近く、とても馴染み深いところです。
ミッドタウン日比谷は、昔の三井銀行本店ですね。下のお店とかはほとんど行ってません。オフィス棟には用があって一度行ったことがあります。

短命だった長銀本店の跡地に、新しいビルが建っています。
30年前にここが駐車場だったことを覚えています。プレスセンターの歯医者に行ってて、窓から見えた。

ここは本当に変わってないですね。

都立日比谷図書館だった時代は良く行きました。
地下に食堂があり、超安いチャーハンとかがあって、たまに食べてた。
あの雰囲気はもう見られなくなりました。今はプロントとか、入ってるみたいです。
ここに昔の職場が入ってました。
今はもう引っ越しちゃっています。。まあ、ずいぶんと月日がながれましたねえ。。

これは昔の第一勧業銀行本店です。みずほになってから(もう20年は経ってますね)も、東京営業部として残ってましたが、昨年10月に移転し、今は解体待ちの状態です。

正面入り口と、右手の階段を下りたところにATMコーナーがあり、しょっちゅう使っていました。

これがなくなると、自分の中の東京風景もずいぶん変わりますね。。

DKBと丸の内の三菱本店はだいたい同じ時期(1980年ごろ)の竣工です。三菱も確か建て替えと聞きます。

銀行でくくって言えば、大手町の古めかしい住友東京営業部、その近くの東銀ビル(本店は日本橋)、その先の興銀本店、永代通りを渡って富士本店(今のみずほ本店)、みんななくなりました。

協和銀行本店(マルハニチロビル)、三和東京営業部がなくなったのも、もう10年ぐらい前かな。三和はいかにも銀行らしい、厳めしい感じの建物でしたね。隣の物産本社も重厚な感じで。

前書いたことあるけど、こういうビジネス街の風景を写真に撮っておくことは、なんとなく不謹慎というか、暇人ぽい眼で見られそうな気がして、ほとんどやっていません。今思うと、撮っときゃ良かったね。

東京のビル風景は、50年単位ぐらいで変わりますね。。

休暇の、残りの時間はほとんど何もしていないのですが、2件ほど、自動車のディーラーさんを訪ねて話を聞きました。

どちらも試乗まではできなかった。新車を買う話をするのは、30年以上ぶりですね。。

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皆様ご無事ですか

2022年03月16日 | 社会・経済
おおきな地震でびっくりしました。
皆様ご無事でしょうか。どうかお大事になさってください。

うちのあたりは震度4とのことです。地盤が固いのと低層階なため、震度3程度ではほとんど揺れを感じないのですが、今日はカーテンとかも揺れていました。
停電もこの辺りは大丈夫です。停電は、だいぶ広範囲で起きているようですね。。

ココがすこし慌ててしまったので、大丈夫大丈夫と、なだめて寝かせました。

別のことを書くべく準備していましたが、今日は予定を変更してお送りいたしました。皆さまどうかご無事でありますように。

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どうしよ

2022年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
日々のニュースを追うことは、ふだんでも結構メンタル的に負担に感じることがありますが、今年2月からの世界情勢は格別です。よくできたパニック映画でもここまで緊迫したシナリオは描けないんじゃないか。。

ネットの言論空間はだいぶ変わりました。今般の戦争に関しては余り激論みたいにはならず、ウクライナ擁護、継戦推進という方向で固まり、異論は排除される傾向が強いようです。戦うのをやめよう、無駄死には避けよ、という人は強く批判される。これには色々考えさせられます。

日本の、ある世代(まで?)の人には、先の大戦では無謀な戦いを続けた結果、戦況を悪化させ市民の犠牲を無駄に増やした、という意識が強い。民間人の被害は昭和19年末以降、飛躍的に増えましたから。最後は竹槍で立ち向かうような話にもなったので、余計印象が強いのでしょう。

今回のウクライナは、もちろんそれとは事情が違う。また、かつてのハンガリーやチェコスロバキアのときとも違う。正直僕も侵攻直後は戦力差があり過ぎて、勝負にならないと思っていましたが・・事実はご存知の通りです。

我々は戦争、という状況について、より広い視野で捉えていかなければならないのかもしれない。

とはいえ、先の見通しは非常に悪いシナリオを想定せざるを得ない状況です。中露の結束により現状を強引に決着させる、あるいはポーランド、バルト諸国に戦線を拡大し、西側の結束を乱す、場合によっては限定核攻撃、という辺りは、素人にも思いつくところです。もちろん、それよりももっと望ましい形で事が収まる事を、強く願います。

そして、どういう形であれ、国際社会はもう、我々が過去30年間見慣れていた状況とは違うものになっていくのでしょう。見慣れた、と言っても1990年から2020年の間に世の中随分変わったし、その前の30年間(’60-’90)もそのまた前(’30-’60)もものすごく変わっています。変わらないと思うこと自体、不自然なのです。



とかなんとか、スマホでニュース追いながら深刻な顔をして、ふと目をあげると、電車の中は見慣れた平和な世界が。。
コロナ初期のように深刻なムードはなく、若い子たちが楽しそうに笑っていたりする。相変わらず電車の窓は薄く開けられ、人々はマスクをしているけど、もうそんなことは日常になっていて、あまり気にならない。

なので、色々物価も上がったり、悩ましいことは相変わらずたくさんあるけど、それでも人々は、例の件上司にどう説明しようかとか、冷蔵庫のイチゴ早く食べなきゃとか、日々の暮らしに気を取られながら生きていくのでしょうね。


そういえば車も本気で替えなきゃと思って、去年はムック本とか買ったりしたけど、どうしよう。色々不具合もでるけど、今の車が元気で動いてくれればそれが一番だとも思うし、今買わないとますます値段が高くなるかもしれないとか、今後ますますつまらない車ばかりになっちゃうとか、いろいろ考えたりする。

昔親が、12年ぶりに車買い替えた時の写真が出てきた。
この車モデルチェンジ末期で、そんなにグレード高いモデルじゃなかったんだけど、VTECエンジンだったんですね。。たしかに良く走ったな。
これが、20年前の話とはねえ。。
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じかんがい

2022年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

なんとかの白袴じゃありゃませんが、ようやく重い腰を上げて確定申告作って、時間外ポストに入れました。
e-Taxって、しごとでみるときもどうもにがてなのですが、自分でしんこくするとなると、よけいめんどくさい。紙でだして、ふうとうにいれて持って行った。

そもそもやるのがやで、宿題やりたくない子供みたいに、机に向かってはウェブ眺めてうだうだしていた。
ふつうは郵送しますが、もう終わりにしたいので。

出掛けたついでに、ふだんあまり行かないスーパーに寄ってみた。
数年前親の入院見舞いの帰り、よく行ったところで、かつ前宅の近くで毎日のように利用していたチェーンスーパーです。この界隈にはあまりないのですよね。

ところが、近くまで来ると様子が変。
看板を見たら、地元に多いチェーンスーパーに変わっている。
建物は同じですが、経営が変わったみたいです。

調べてみたら1年前に閉店して、改装の上秋から再オープンした由。
そんなに長く行ってなかったかな、とまたびっくり。

頭の中では、売り場内のどこに何が置いてあるかとか、よく覚えているんですけどね。

時折流れる広告?(ポイントカードの案内とか)、なぜか「かなしくてやりきれない」のメロディだった、惣菜コーナー付近のなにかの宣伝歌とかも、耳に残っている。。

ポイントカードはまだ維持できているので、どこかで買い物したいんだけどな(10000たまると1万円くれる)。
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またこの日が

2022年03月11日 | まち歩き

3.11から11年が過ぎました。
この日には、当日父と親戚の家まで歩いて避難した足跡をたどる「個人的イベント」、毎年やっています。
去年がちょうど10年だったので、今年はどうしようかという気持ちもあったのですが、やはりやることにしました。
やはり記憶を風化させたくないし。

当日オフィスにいたところまで、いったん電車で行って、そこから歩くのです。昔のオフィス周辺が懐かしいです。

昔の職場もけっこう変わったらしいけど、街のたたずまいは10年大きくは変わっていないな。まあ、毎年そう思っているのですが。

変わったのはやはり人間の方で、この距離歩くのに覚悟が要ります(東京丸の内から新宿)。

今年はあのときと曜日の並びが同じ。
金曜のせいか、街は賑やか。まんぼうは続いていますが、人々はさりげなく日常に戻りつつあるようです。

とはいえ、次の試練が来てしまっていますが。。
あのときに感じた、日を重ねるごとに心に重いものが溜まっていく気持ち、平穏な日常の儚さ、人々の連帯感、そうしたものを思い出しながら、これから経験する試練生かしていくことができれば。

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小泉悠 現代ロシアの軍事戦略 

2022年03月10日 | 本と雑誌
すこしずつ訪れる春の息吹を眺めていると、じぶんがこうして平和な世界にいきていることが、つくづく尊いものに思えてきます。

これは決して当たり前のことではないのです。


イズムイコこと、あるいは丸の内OLとか人とか色々言うらしいですが、小泉悠氏はたぶん、テレビのニュースを日々見ていたら必ずどこかで彼のコメントを見聞きしているかと思います。その方の最新著作です。
ちくま新書 2021
脱稿されたのがちょうど1年ほど前なので、今回の開戦状況は当然盛り込まれていませんが、ソ連崩壊から今日に至るまで、ロシア軍がどのような状況にあり、なにを目指しているかがまとめられています。

このような時世でなければたぶん手にしなかったでしょうし、小泉氏の事も知らなかったでしょう。そのような非軍事人間にむけて、本書でははじめに「戦争とは何か」を問うています。

小泉氏はアメリカの安全保障問題担当補佐官を務めたマクマスター中将の「戦争は人間同士の意思のせめぎ合い」という言葉を引用しています。

古典的な意味での戦争は、武器を駆使して相手を屈服させ、自らの意思を-国家間においては自国の国益を達成させることですが、こうした戦争は、核兵器の登場により既に不可能となっています(ルパート・スミスNAT欧州連合軍副最高司令官)。

しかし、軍事力に意味がなくなったわけではない。今日の戦争は、時空を超越して様々な形で行われるようになった(ハイブリッド戦争)のだと。

これを我々にはっきり認識させたのが、2014年のクリミア半島併合だといいます。

ロシアの軍事力は、古典的な基準で測った場合必ずしも大きなものではない。動員数(公称101万、実質90万程度)や国防費(650億ドル程度)で見ても、アメリカや中国、あるいはNATOの兵力に比べると小さい。テクノロジー的にも、例えば人工衛星技術力などは、総合的には日本よりも劣るぐらいだという。

ロシア軍にはそうした自覚はあり、それを補うような体制を整える議論が盛んにおこなわれている。その表れの一つがクリミア併合で使われた手法だと。しかし一方、東部2州独立の際は意図通りには行かず、不手際が目立つ結果となった。

21世紀の初めごろ、冷戦終結後の世界は、国家対非国家の戦い(テロ)に焦点が向けられるようになった。これはアメリカもNATOもそうだがロシアにおいてもそうで、一時期は軍の体制の再編が行われた。
しかし2010年代に入り、ロシアは再び従来の大規模戦争を想定した軍組織体制に戻りつつある。手段として非軍事的な手法も取り入れるようになったロシア軍だが、本質的な認識としてはそれらは補助手段として捉えられており、根幹の思想はむかしから変わっていない。

ロシアには西側が軍事的手段だけではなく、経済や情報など様々な手段に訴えて、自国の自律性を抑え込もうとしている、という観念がある。これに対抗しようという動きが、東西の緊張関係を生んでいる。
これには終わりがない。戦闘行為に終わりはあるが、普段の生活を通じて『非線形』の戦いを挑まれているのだから、その間ずっと(自国民や周辺諸国の抑え込みという形で)戦争を続けなければならない。

要約としてはへたくそですが(自分が印象に残ったところをまとめただけで、本書の内容はもっとてんこ盛りです)、こんな感じかしら。たぶん非常に頭の切れる方ですね。文章の切れ味が半端ないです。

本書を離れて、さらに膠着している現状もちょっと離れて、世界が再びテンポラリーな均衡状態にもどったとして、この先世界は、この異質な隣人とどう付き合っていったらよいのか、もう一度考えてみたいと思います。

今の西側諸国には「自分たちの市民社会のほうが上」という意識があることは確かですし、ロシア(の指導層)は被害者意識が強い。中国はまたちがう。
彼ら(中露)がいう「世界の多様化」の意義は、ある線に沿って考えれば、わからなくもないのです(もちろん彼ら自身自己矛盾しているのですが)。

とはいえ、長期で見ていけば(ともかく均衡が保てたとして)、ロシアの影響力はますます失われていくことに間違いはない気がします。


モールにて。
こういうのを「二郎系」というのかしら。蕎麦みたいな太めの麺です。
作法がわからくて、前の人がおわんにお酢をどばっといれていたのを見て、真似しました。それで、麺をとってはつけ麺みたいにお椀にひたして、また戻して食べてみたけど、酸味がわるくない感じだった。が、その前の人がそうしていたかどうかは不明。
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