うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

若者を投票へ、について(とかいいながらどんどん脱線)

2021年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

20代の若い子たちがあまり投票に行こうとしないと、ニュースなどで繰り返し取り上げられている。グラフを見ると、18~20歳は多少高いのだが、20代前半が最も低く、だんだんと年代と共に投票率が上がっていく。いちばん多いのが70代ぐらいだったかな。

投票を促すという意味では、世間が若者の事を気にかけることは全く正しいし、社会全体としても一定世代の民意が反映されないのは問題だ。

のだが、それはそれとして、自分が若かったころは、世間がどう動いているのか、よくわからないまま生きていた。なので、投票するのもなんだか心許ない感じで、不安だった。

自分の中である程度、政治的な定見ができてきたのはかなり遅くて、それこそ40代ぐらいになってからだと思う。だから、投票率が年代が上がるにしたがって上昇していくのはわかるような気はする。

自分らが若い頃だって、若者が投票しない、ということは社会で問題になっていたような気もする。いつも思うのだが、人間って20年やそこらで成長するのは無理で、何十年たっても勉強しないといけないことはたくさんあるのだ。

とはいえ、世の中自分が標準という訳ではないので、ほかの人がどう考えているのかは知らんけど。

三浦瑠璃さんの山猫総合研究所にある「あなたの価値判断テスト」を受けたら、自分が4象限の分布図の中で、真ん中からそうとう外れたところに位置しているらしいことがわかった。。。

・・自由を基調にものごとを考えており、国家の介入に警戒的です。
・・個々の企業や個人による選択の自由を重視しています。
・多様性や少数派の権利を信じていますが、自発的な選択こそが最適な結果を生むと信じています。
・外交安保はリアリズムです(経済リアリズム、外交安保リアリズム共に指数はかなり高い)。

そうすか・。ぜんぜん自覚はないです。だいたい、ネットできついこと書いている人たちの意見みてると、そりゃあ極端だ、言いすぎだろ、とか思ってるんですけどね。。

ふと、イルカの「夢の人」に収録されている、『背中』という歌の歌詞を思い出してしまった。作詞、作曲共にイルカさんです。

この世の中のしくみは 多数決
人間が考え出した 便利なもの
数が多い方が いつも正しいのかな?
でもボクはいつも 数の少ない方にいるみたい

きれいな物を決めるとき 多数決
何かを認めるときも 多数決
きめられたそのことに うたがう事もなく
ほとんどのひとはぞろぞろ
 ついていってしまうみたい

良い人だときめるのは 多数決
悪い人と決めるのも 多数決
背中に押された スタンプを数えながら
でも自分じゃ見ることは出来ないんだよ
こうしてボクも年とって行くのかな

このアルバムを手にしたのは高校生の頃だったけど、なんとなくこの歌詞、しっくりくるな、と当時思った記憶がある。。

これまた脱線するけど、ダイバーシティ云々と世間が言いだすようになってから、いつのまにか「マイナー志向」という言葉が死語になりましたね。。LGBTなんかと違って純粋な趣味嗜好なので、あれなんですけど。

たとえば、僕はスポーツ詳しくないからなんなのですが、ヤクルトスワローズが好きだとか(ってこれも、今年はちょっと説得力がないですよね)・・。
カラヤンなんか俗っぽくてやだ、やっぱりハンス・クナッパーツブッシュがいいとか(一般的じゃないな)。
昔ならウィンドウズじゃなくてマックだというと、ちょっと変人だったんですけど、今は様変わりしちゃって、これも説得力ない。

なかなか、説明が難しい。。

カメラはやっぱりニコンやキヤノンじゃなくてペンタックスがいいとか。
車はトヨタとかじゃなくて、北欧のへんなくるまがいいとか。
それって、じぶんのことじゃ・。

こういう人たちは、自分が少数派で変なやつだと思われることに価値を見出すところがあるのであって、もっとペンタキシアンの権利を認めよ!など言いたいわけでも、おおペンタックスいいねえ!などと人から言われたいわけでもないんです。

そういう意味で、なんか世の中変わったし、少数派やってくのも(別の意味で)難しくなった感はありますね。。

金曜日は在宅勤務だったので、お昼車ででかけて爆弾ハンバーグ食べました。

今日は用務で旧宅の近くに行って、昔からよく食べている生姜焼きを食べました。
って、おひるしっかり食べるって決めると、お金かかっちゃうね。。
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たべたもの

2021年10月27日 | 食・レシピ

火曜日は所用で帰りが遅くなったが、翌水曜日は早朝に会議があり、7時半に出社した。このため睡眠時間が4時間ほどになり、午後の会議は流石にきつかった。。このほかにも客先外出があり、もうたいへん。

で、まだ終わってなくて、明日もまた早朝に会議があるのよ。

とかいいつつ、こんなことを書いているのだが、今日は客先に出向いた後、同僚たちと非常に久しぶりに一緒にランチを共にした。前回いつだったか思い出せないほど久しぶりだ。

さんま定食をたべた。さんまもひさしぶり。

昨日は日中はまあ静かだったので、昼は一人で少し街を歩いた。てきとうなところで食べようとするのだが、いざとなるとなかなか入れない。それで、ずいぶんと歩いてしまった。

地下にあるとんかつやさんに入ったが、ここは結構おいしかった。
とんかつ定食も、前回いつ食べたか思い出せないほど久しぶりだ。

お菓子がだいすきで、仕事が立て込んでくると下のコンビニに行ってフィナンシェと、げんこつ揚げとかいうあられを買ってきて、よく食べていた。在宅のときも、おせんべい一袋かってきて、気が向いたらすこしかじろうと思っていたら、一日で食べきったりしていた。

そしたら当然だがふとった。
さすがに重たいので、昼はいちおうしっかり食べて、夜は軽くすることにした。ごはんはやめて、かんたんにスープ作ったり、サラダたべたりしている。

前はお昼が適当で、夕食もすごく遅い時間にたべていた。実は遅く食べるのはまだ直っていないが、その辺は少しずつ改善していきたいとおもっている。

こうして時々食生活改善しようと思うんだけど、またダメになっちゃうんだよね。。

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満州 マンチュリアの起源・植民・覇権

2021年10月24日 | 本と雑誌


小峰和夫 講談社学術文庫 2011(文庫として)

小峰氏は社会経済史をを専門とする経済学者で、特に日本の農業、肥料史などついて研究しておられたようだ。満州についての著作も、明治以後日本が大豆などの肥料を、満州から輸入していった経緯について調べたことがきっかけらしい。

このため本書では、19世紀以後の満州における社会経済の実情に関する記述が、やや突出した形で詳述されている。女真族による清朝の成立過程や、日露戦争後の日本と満州の係わりについても、もちろん触れられているが、19世紀前後の、同地域の経済実態への記述にかなりのボリュームが割かれていて、ちょっとバランスが悪い気もする。

20世紀以後、特に満州国成立後の記述はほぼないに等しい。満州国史を知りたい方は、その点に気を付ける必要がある。

しかし、おおむね清国の成立前後から清朝崩壊、満州国成立直前ぐらいまでの通史としては、とても良くまとまった一冊だとも思う。と同時に、満州(と呼んでいる地域)の歴史=清朝なのかな、とも考えてしまう。

この地域が特異なのは、満州=欧米でも一時期マンチュリアと呼ばれてきた言葉が、もともと現在の中国東北部の、地域を称する言葉ではなかった点である。
満州族、もとは女真族と言われていた民族の活動していた地域が、後に満州と呼ばれるようになった。さらに特徴的なのは、その満州族が清国として中国全土を支配したのち、自らは次第に漢民族と同化していき、満州族としてのアイデンティティを溶かして行ったということだ。

清朝においは満州(地域)は、満州族の祖国として、民族的アイデンティティーの精神的、物的な支柱とされた。満州族以外の者が満州に移住することは許されなかった(満州封禁政策)。この政策は清朝の全期を通じて貫かれたが、現実には漢族の移住の流れを止めることができず、末期にはなし崩し状態となった。

つまり、漢民族と満州族は次第に融合し、地域的、文化的な違いもあまりなくなっていった。

他方、19世紀に入ると西欧諸国がアジアに進出を始める。新興のロシアや日本とも、経済的な結びつきが強くなっていく。こうした中で満州は、いわば新開地として多様な民族の共存する場へと変化していく。



ところで、先日SNSを見ていたら、山本一郎氏が(山本太郎ではなくて、ジャーナリスト)どなたかのコメントに反応していた。
曰く、ひとつの中国というけど、中国好きなのでたくさんあったほうが良いです・・。
山本氏「言ってはいけないことを・・」
(言いだした方は政治関連の方ではなかったが、結構反応している人が多かった)。

中国の歴史には詳しくないけど、先日西欧史が専門の歴史学者、増田四郎氏の著作で、中国の王朝と欧州大陸のそれ(ローマ帝国)を比較されたコメントを読んだ。
ともに文明世界は一つであるという考え方(パックスロマーナと中華思想)がその底にあったものの、中国大陸では一つの王朝が滅んでも(一時期国が分裂しても)、また別の王朝が勃興した。

これに対しヨーロッパでは、世界帝国と言う理念はローマ以降はなくなり、代わりに国民国家(今日の近代国家)という形で分裂し、共存するようになった。

この流れで言うと、今日の共産主義体制に至るまで、中国にとっての「国家」という概念は、西欧諸国のそれとはまた異なる概念として生きているのではないかと言う気がする(これは増田氏の意見でも小峰氏の意見でもなく、私見です)。

それで、「満州」にもどると、同書にはこんな記述がみられる。

元来、中国の人民には国家といったものはさほど重要な存在でなく、自分の生命財産を保護してくれるものであれば、なんであれこれを救世主のように歓迎する傾向があった。清朝官憲の統治能力が衰えてくると、一部の満州住民のなかには外国の力でも歓迎する雰囲気が生まれた。日露戦争の前にロシアが満州で影響力を伸ばしたのも、一つにはそうした背景があったからである。

歴代の王朝の圧政や悪政のもとで、人民は国家を信用することなく、もっぱら自治自活の道をさぐり、生き残りのための独自の共同組織を育んだ。いつの時代でも、中国では強大な先生権力のもとで、国民と人民とが分離し、断絶した状態になり、それが伝統化してきた。
(『第四章 変貌 漢族の植民と産業発達』)

今日の近代国家のなりたちについては、以前からときどきここで書いているけど、今の状態が唯一絶対のものということはないと思っている。民主主義ひとつとっても、言葉の上では各国同じでも、その捉え方は国によってずいぶんと違う。
だから、かなり脱線になるけど、かの国の「国家」についても、人々がそれをどう捉えているかは、外からはわかりにくいニュアンスがあるのかな、と思っている。

だいぶ脱線しましたね。
満州国と言えば昔「虹色のトロツキー」を読みかけてたしか、3巻ぐらいで止めちゃったんだよね。あれを再読してみたい。

あと、本書との関連では夏目漱石の「満韓ところどころ」も読んだけど、やはり色々当時の事情を理解していないと、うまくとらえられないところがあるな、という感じだった。中国人の描写とか、ちょっと今見ると難しいところがありますね。。


世間もだいぶ日常を回復しつつあるけど、やっぱり忙しくて。

本当は書評、などおこがましいが、本の感想とかも書きたいのだが、内容乏しいとはいえそれなりに準備が必要で、そこまで頭がまわらない。。
週末など、ただゴロゴロしているだけの、いわゆる昔からいるおやじになってしまっている。

コロナ禍でずっとじっとしていたせいもあるが、色々忙しいのも、心が固まっている理由のひとつかな、と思っているきょうこのごろ。



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再会

2021年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム
街を歩いていても、人々の安堵感が感じられるようになった。
この先、第6波が来ることはあるかもしれない。
それなら、今のうちに。

というわけで、昔の同僚と、おで~としました。

ほんとうは勤め替わってから半年くらいで会えるかな、と思ってたんだけど、もう二年近くたっちゃった。。

2年前もここだったかな、喫茶店で話をしたけど、話が尽きなかった。
今回も、閉店までねばって。。

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企業の安全志向

2021年10月18日 | 社会・経済


まあちょっと固い話ですが、今日聞いたセミナーの備忘録として。
ただしセミナーの詳細には触れず、個人的な見解で語ります。
以下、ちょっとばかり固いおはなしです。

コロナ後の企業業績は今急回復していて、経常利益などは前年比倍近くになっている(どういう統計かは聞きそびれた)。しかし設備投資や労働分配率を見ていると、逆に非常に低い数字にとどまっている。
というわけで、企業部門から家計部門への所得再分配は進んでいない。

その理由として、企業がたまった利益を、預金などの流動性の高い資産で持つ傾向が非常に強いことがあげられる。このことは日銀の資金循環勘定などで確かめることができる。平成10年ごろからはほぼ一貫してこの傾向が続いている。

他方、設備投資(固定資産投資)は抑制する傾向にある。
かつて、1980年代からバブル最盛期頃までは、企業は固定資産投資に非常に意欲的であったが、2000年ごろからは横ばいになり、最近は減少傾向にある。
固定資産と言っても、土地建物、機械装置などの資産や、投資用の金融商品などもあるが、前者に限って言えば、2000年以降急速に減少している。

これをどう捉えるかだが、一つの見方は企業が資産の価値を高めて生産性を向上させて、資産あたりの収益率を高めることに成功した、という面がある。

もう一つは企業がリスクを避けようとする動きだ。生産設備などの固定資産は、一度投資をすると何かあった時にリスクが高い。既存の設備を改良して収益率を上げ、それに成功している以上、冒険的な投資をすることは合理性が低い。
この傾向は人材投資についても同様で、結果として労働分配率は低い状態で安定してしまった。

これを、企業の縮み志向と片づけるのは簡単だが、もう少し分析してみると、近年の景気循環の変動幅が拡大している、という事実に突き当たる。
世界的な景気変動により、前年比売上高が極端に落ち込むような傾向が強まっている。最近ではリーマンショックはかなりの企業にダメージを与えた。今回のコロナ禍もそうだ。企業は、繰り返し起こるこうした変動を乗り切るため、自然と現在の体制を築いてきたのではないか。

講師の方はこうした観点から、近年声高に叫ばれる所得再分配論は慎重に議論すべき、という立場をとる。



ここには様々な論点や検証すべき概念が盛り込まれていて、とてもここで語りきることはできそうにない。
企業が変動に備えて所得分配を抑制すれば、家計が潤わないので家計も消費に慎重になる。設備投資を請け負う建設、機械などの産業も同様だ。
さらに、企業に投資し経営を付託している投資家たちにも、十分な配当がいきわたらないから、結果としてすべての部門で経済が停滞することになる。

ちなみに企業ガバナンスと企業の流動性志向との関係は明確な傾向がないそうだ。物言う株主の多いアメリカの企業は、概して預金等を多く持たない。
他方、金融機関や事業会社等の持ち株比率が高い企業(いわゆる系列企業、持ち合いの多い企業)は、やはり流動性の高い預金をより少なく持つ傾向がある。つまり、いざというときに助けてもらえる安心感があるらしい。


先週自民党の高市政調会長が、私案として企業預金への課税を検討する、という考えを示した。
もともと企業の内部留保(利益を社員にも株主にも還元せず、企業内部に溜め置くこと)に課税する、という考えは、以前から時折議論にのぼっていた(特定要件下で既に法制化)。

両社は同じ概念ではないが、根元の視点は同じように思える。問題は、企業が自衛のため余裕を持つことが、どの程度まで許されるか、ということだ。
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第1939回N響定期公演 

2021年10月17日 | 音楽

東京芸術劇場での公演。指揮はヘルベルト・ブロムシュテット、ヴァイオリンレオニダス・カヴァコス。
曲目はブラームスのヴァイオリン協奏曲と、ニルセン交響曲第5番。

コンサートに行くのは2年ぶりです。最後に行ったのは2019年12月の第九です。
2020年以降、コロナ禍で休演が相次ぎましたが、その後N響も対策を取って公演を再開したことは聞いています。が、なんとなく行く気になれなかった。
感染が怖いというより(それもあるが)あれやこれやの対策を見ているとどうも気が重くなってきそうで・。コンサートだけではなく、美術館にも行っていません。まあ、先生の個展には行ったけど。

今回の公演は、前のように間隔を開けて少人数、ではなくて、ホールがほぼ満席の状態でした。対策としては休憩中の喫茶、CD販売、チケット販売がない、終演後の退室は、フロアごとに少しずつ指示されて、など。細かいところではチケットのもぎりを自分でしてほしい!という。。
まあこの位は仕方ないでしょう。




ブロムシュテットさんの公演も2年ぶりです。同じブロムシュテット指揮、N響の組み合わせで、19年11月にモーツァルトを聴いています。

このときも既に92歳で、当時のインタビューでは明快なやり取りをされているのが印象的でした。
昨年春の公演自粛の時期にも、Eテレでファンにメッセージを送っておられました。

そして今、94歳になられた指揮者は、約2時間の公演をしっかりとこなされています(10月後半にはいくつもプログラムが組まれています)。

いや、ものすごいことですね。。

割とすっきりとした、スマートな演奏が特徴で、今回のブラもそんな感じでした。うちにはムター/カラヤンの盤があるだけです(だと思う)が、あの方がねちっぽいですね。
カヴァコスさんは、アンコールで無伴奏のヴァイオリンソロを披露してくれましたが、曲名がわかりません。バッハではなさそうに思えました。。

ニルセンの交響曲は、実は寡聞にして初めて聴きます。
この曲は作曲からほぼ100年(ウィキによると完成は1922年1月)とのことです。作曲家苦難の時代の作品で、第一次世界大戦の影響が色濃く残る問題作、ということらしいです。

じっさい、聴いてみると単調な小太鼓のリズムや、不穏な印象の絃の響きなど、どうしても戦争の傷跡を想起せざるを得ない印象があります。

考えてみると、20世紀以降の作曲家ってー19世紀もそうですけどー自分の頭の中では作曲家別に作品名は浮かんできても、時系列に見て何年になにが作曲されたとか、そういうのって全然わからないですね。
機会があれば、もう一度勉強しなおしてみたいです。。

雨で外が全く見えない。。
よく見ると、先日閉店した丸井が見えます。。


これはコロナの影響なのか、指揮者の都合なのかよくわかりませんが、演奏家たちの入場の仕方が少し変わっていました。。

以前ならよく、開演前に何人かの管楽器奏者が音出ししていて、一度引っ込む。開演になると拍手とともに楽隊が入ってきて、オーボエがAを出して音を合わせる。やがて再び拍手とともにソリストと指揮者が入ってくる。
てな感じでした。

ところが今回は、管の人はそのまま先に座っていて、開演で指揮者もソリストも絃とかの人も、ぞろぞろと一緒に入ってきた。最初は様子がわからなくて、何が起きたのかと思っていました。

終演後も、確かに指揮者、ソリストは何度も舞台に呼び戻されるけど、楽隊はてんでに帰って行った。交響曲の後は、何故かティンパニの人が最後まで残っていました。
そこへ、何度目かの呼び出しで出てきたブロムシュテットさんが手で奏者のほうを示したのですが、奏者は下向いてて気がつかなかった。。

楽器配置も少し変わっていました。
色々な配置の仕方があると思いますが、おおまかにいって普通と逆の配置でした。cb(コントラバス)が一番下手側にいて、上手にはチェレスタや小太鼓、トライアングルなどの打楽器が配置されていました。チェロは指揮者のほぼ正面、ヴィオラは上手側でした。

オーケストラに造詣が深いわけではないので、これが良くあることなのかどうか、わかりません。今回打楽器の人、小太鼓はニルセンのとき、1楽章の終わりの方で舞台袖に移動して、舞台袖で演奏していました。そういう、演奏上の都合もあったのでしょうか。。



東京芸術劇場は、実は行くのは初めてです。
もともと、そんなにしょっちゅうコンサートに行ってるわけではないけど、前宅からも今の家からも近いはずなのに、意外と来たことがなかったのですね。。

さて、次の公演は何を聴こうかしら。。
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with なんたら

2021年10月16日 | 日記・エッセイ・コラム
ここに来てオーストラリア、シンガポールなどではコロナウィルス拡大に伴い実施してきた、厳しいロックダウン措置を緩和したり、あるいは厳しい措置を取らない選択をするなど、従来とは異なる戦略に移行しつつある。

以前は徹底した対策を取る、ゼロコロナ政策を目指していたが、ワクチン接種が普及してきたこと、ロックダウンに伴う経済的損失が大きいこと、あるいはロックダウンによっても完全な感染拡大防止には結びつかない現実など、諸事情を考慮したものと思われる。

半年ほど前はアフターコロナ=ワクチン接種が普及して集団免疫が確立されること、という認識だった。ちょうどスペイン風邪が終息した1920年代から、アメリカで狂騒の時代が始まったように、今年後半以降は一気に景気拡大が進むという、エコノミストの予想もあった。

その芽はまだ完全につまれたわけではないし、事実海外のビジネス意欲がたいへんに旺盛だということは、仕事で多少実感はしている。

のだが、やはりニュースとしては半導体不足、コンテナ不足、人出も不足で、原油も銅もどうも高いという、困った状況が次々報じられている。

当面は引き続き各自の感染対策を継続しながら、可能な範囲で経済をまわしていくという、with コロナ政策でいくしかない。



んだけど、じつはそういうことをいいたいんじゃなくて・。

僕自身が、懸案を完全には解決できずに、つき合い続けることを余儀なくされている諸々のことについて語ります。

とはいえ、アルちゃんのことは、ちょっと重たい話になるから、これは置いておきましょう。。

相変わらず忙しいですが、まあ退屈でしょうがないよりはいいです。お付き合いします。

あと、相変わらずでぶなのは、何とかしたいです。時間がないと運動もできないので、悪循環です。

・・しかし、そういうはなしでもない。

日曜日に、今乗っている車の、メーカー系正規ディーラーに行きました。

夕方の時間を予約したら、ものすごい渋滞ですっかり遅くなってしまった。
工場でメーターの様子を見てもらい、交換修理の見積もりを取りました。

たぶんECUから状況をチェックしてくれたのだと思いますが、メーター自体に故障の認識はされなかったとのこと。これは、これまでやってきた修理確認状況と同じです。

ミッションの速度センサーは交換したし、そこから車内メーターまでの通信も問題ないのです。だから、問題は計器表示部分に絞られるのです。それもほとんどの時間はふつうに動いている。だから車検も通るのです。ただ、故障再現を防ぐには丸ごと交換するしかない。

種類がいくつかあるので、型番を確認したらまたお知らせします、と。
修理品が届けば交換はすぐできます。交換修理全般で、おおよそ12万円ぐらいでしょう、とのこと。

ではお待ちしてます、と言って数日。

電話が来ました。

メーカーに確認したら、既に部品供給を終了していました。申し訳ございません、とのこと。
念のため、メーター外して見てもらえないかと言ったら、外してもだめだとむげに断られてしまう。

ぴえん。

というわけで、だんだんと扉が閉じてきています。

あとは、このメーカーの修理を専門にしている、街の業者にあたること。
うちが今お願いしている工場は、個人でやっているところで、各種の外車が雑多に出入りしています。
一般的にはそれでいいのですが、専門家にはまた別のノウハウがあるのかもしれない。。
聞いてみる価値はあるとは思う。

が、実際のところ、メーターが止まっても数分で動くので、もうこれに付き合うしかないのかもしれない、と思い始めてもいます。
だんだん疲れても来たし。。

with とまるメーター。

あとは少し大変だけど、やっぱり新しいくるまにしましょうかねえ。。
エンジン車、買えるうちに買っておくのもいいかも。



少し前に、マンションの管理会社に手を焼いている、という事を書きました。

あれからすぐに、担当者とは別の人に多少苦情めいたメールを出したのです。すぐにお詫びの返事が来て、担当者とこの件について話す、と書いてきました。

ただ、それだけで、その後は特にこうしました、とかの連絡はない。

まあたぶん向こうも、すみませんという以上の何もできないのだろう。
従って、この件もwith いまいちな管理業者で、日々を過ごして行くしかなさそうだ。

というわけで、ちょっとまだ憂鬱さの出口は見つからず。。

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良い時代とは2

2021年10月15日 | 記憶の断片

*ちなみにろくに調べもせずに適当書いてます。

前回同じタイトルで平成元年ごろの事を少し思い出してみました。

平成時代がなつかしいって、それほど強く思ってるわけでもないけど、時代のふんいきは確かに変わってきた感じはありますね。。ただ、今の令和になった直後は、これからの時代への期待が強くて、あまり振り返る気がしない、と自分が言っております。。

平成のはじめ頃は冷戦が終結し、色々問題はあっても、ぜんたいとしては世界が明るい方向に向かっていく、という機運はありました。
日本については、引き続き戦争に巻き込まれることはなく、また30年間ずっと、世界の中で一定の地位を保ち続けてきました。

令和に入る頃には近隣の国との交流も進み、日本は清潔できれいな自然やおいしいものがたくさんあって、人々は礼儀正しくて親切で、いっぽうハイテク産業も盛んで、外国に色々投資もしている国、みたいなイメージで、引き続きいくのかな、と思われていたのですが。

出典は忘れましたが、先日ビジネス誌(ウェブ版)に、一人当たりGDPで日本が韓国に抜かれた、という記事がありました。記事の名では、想定為替レートの差異が影響、と言及がされていました。為替相場、主にドル円ですが、名目レート上はここ5年ほど、それほど大きな変動はありません。
まあ遺憾ながら(韓国云々ではなく)全体として日本は、次第にその地位をおとしてきているのでしょう。

自分のうろ覚えの記憶では、昭和の終わりごろ、あまりにも急速に円高が進んだため、日本の大手銀行の総資産(ドル建て)が急に大きくなって、いきなり世界有数の大銀行になってしまった、のを思い出します。当時の米銀はメキシコ向け債務の焦げ付きとかで苦しくて、精彩がない時期だったのですね。。

自分は後者の側にいた(ものすごくはしっこだけど)んですけど、なんか、わりきれないような・あの人たち一流銀行なのに外為の知識ないし・・なんて思っていました。。

円高は95年ごろいったんピークをつけますが、そのあと外資(香港系)の会社にいた頃、向こうのCFOから「日本の人件費は高すぎる」と散々言われました。サービス業でしたが、こちらの金銭感覚から言うと、むしろ安すぎるぐらいに思ってたんですけどね。。
自分が日本の人件費について、萎縮感覚をもつようになったのはこの頃からです。
今はもう、タダ働き蔓延の世の中になってしまって、全員が感覚マヒしてるみたいな感じですけどね。。

このさきどうなるか、は、自分には荷の重すぎるテーマですから、言及を避けますが、ごくごく荒っぽく言ってしまえば、日本はいったん仕切り直ししていくしかないような気もします。そうなると、安くておいしいコンビニランチみたいなのは、昔話になっていくのかもしれません。

こないだの記事ではSwitchの表紙を掲げていなかったので、ここにのせますね。
メリル・ストリープはこの頃40歳ぐらいなのか。。きゅんきゅんしちゃいますね。「恋に落ちて」が好きでした。「ソフィーの選択」「マディソン郡の橋」も良かった。「ジュリア」がデビュー作なのは知っていたけど、観たらほんとうの端役なのにびっくりしたり。


Switchと言ったら、今は任天堂なのですね。雑誌のSwitchは健在で、むしろ独自の存在感をより強くしています。
書棚を探したら、2012年の同誌が出てきました。
Pentax Q10の特集です。
この頃のペンタは、ちょっと不思議な路線を歩んでいましたね。ぺんたというより、デジカメで色々できた時代だったのかな。

荒木氏は今もファンが多いと思いますが、カメラ雑誌がなくなってしまったので、本屋とかで見かける機会も少なくなりました。

うちのQ10は事実上隠居していますが、今でもふつうに使えます。
さっき電源入れたら、いちばんさいきん写したのがココの写真で、今年の4月でした。

ちなみに冒頭の写真と上の写真は、9年前の東急渋谷駅です。
東横線は高架で山手線の横に張り付いて、互いの改札もすぐとなりでした。
階段降りると目の前が広場で、右に歩道橋、左は東急デパート。

今は渋谷、めったに通らないから、どうなってるのかわかりません。
新宿も変わっちゃうんだよね。前からずっと変わり続けてるけど。
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こんせき

2021年10月14日 | まち歩き
仕事を3時半で切り上げ、インフルエンザの予防接種に行きました。
会場は以前の職場に近いところです。
合わせて、別の用務先にも久しぶりに行きました。

ここのところの状況を反映してか、道行く人たちの表情も心なしか和らいできる感じがします。

ちょうどこの道の真下、行幸通路を使った大規模接種会場は、今日はお休みだったようです。

観光バスも少しずつ動き始めているのかな。

一方で、時代の痕跡を感じさせるように、あちこちで変化が生じているのも見ました。
ここには小さな本屋があったのですが、5月で閉店していたようです。
一般向けの書籍販売は終了し、今は注文取り寄せ、配送を主にやっているのだと。

同じフロアにある、写真屋。
どうも20年ぐらい前から歴史が止まってしまっている感じです。
左下のカメラはネクシアとあるから、APSカメラ。フィルムも見えます。

そういえば飯田橋にあった、フィルム模様の通路はどうなってるかな。

ちょっとピントがあれですが。
コンパクトカセット、VHS、CD-Rなどが並んでいる。

だいたい1990年代末~2000年代に入るぐらいの感じかな。
まさに、平成レトロ。

ニコンFはこの店の象徴みたいなかんじで、いつも通りかかるとぱっと目に入りました。一番左のシルヴィ―は2000年代初期の、最終期のコンパクトフィルムカメラですね。
前は写ルンですが入り口に置いてあったけど、どうも主人は中にいないみたいでした。

ところ変わってここは丸ビル一階の丸の内カフェ。

9月末で閉店してしまったのですね。びっくり。。。
何度も打ち合わせとかで使ったことがある。ランチミーティングとか、そういう用途にちょうどいい場所なんですよね。。

朝はやくからやっていて、ここで仕事している人をよく見かけた。

ほかにも今日は、高田馬場地下にあったブティックとかが閉店してるのを見た。
こうした界隈を歩くのは久しぶりだけど、とうぜんとはいえ、少しずつ変わってきていますね。。



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お迎え7年

2021年10月12日 | セキセイインコ

10月12日はアル、ココをお迎えしてから7年になります。

先日ここで書きましたように、アルのことを考えるとつらいのですが、でもとにかく7年、こうして一緒に迎えられて、うれしいです。

7年というのは一つの節目と考えられていて、これより長く生きている子たちは、かなり長く生きてくれると。
せっかちな子は7年を待たず、早く飛びたってしまう・。ペン殿はそうでした。

なので、心のどこかであともう少しで7年だ、7年を超えさえすれば・・みたいな目標として、思ってたところがありました。


アルちゃんは、放鳥すると飛ぶのが難しくなってるとか、いろいろ感じるところはあるのですが、とにかく日々を彼なりに頑張って生きていてくれています。

趣味の吐き戻しも、最近始めた止まり木かじりも、やってます。
上の写真でわかると思いますが、また付け根のところを齧り始めています。。

また折れちゃうよ・。
新しいの、買っとかないとな。。

ココはお羽根が固くて、飛ぶのは難しいけど元気。よくおしゃべりします(人間語ではない。さえずりっぽいこともする。さいしょはアルかと思ってた)。

こないだの通院のときも、ちょっと思ったのですが、ご覧のように、蝋幕の青が復活しつつあります。。

ひさしぶりだぜよ。。
これが、吉兆になってくれると、いいんだけどなあ。。。

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良い時代とは

2021年10月10日 | 記憶の断片
*ちなみにろくに調べもせずに適当書いてます。

国の栄枯盛衰というのはいろいろな要素があるから、いちがいには言えないが、やはりバブル盛期であった1980年代後半の日本は勢いがあった。
現在株価はその頃の数字に近づいているが、それは「戻った」というだけだ。ダウ平均はこの30年で10倍ぐらいになっている(と思う。以下省略)。

いろいろな指標、たとえば日本国債の格付けなんかも、昔は世界でも最も高い部類だった。今は中進国の、韓国とかと同じかやや低めの格付けでしかない(債務額が大きいからね)。

この前ニュースでやっていたが、先進国の賃金はこの30年で3割かそのぐらい上昇している。この間日本は横ばいか、むしろ低いぐらいの水準で推移した。
このためにグローバルな商品であるiPhoneとか、自動車などが消費者にとって相対的に非常に高いものになってしまった。

労働集約的な産業であるサービス業、飲食店やホテルなどの料金は低く据え置かれ、その結果、外国人旅行者にとって日本は非常に魅力的な旅行先となった。
これが数年前までの、訪日観光客の爆発的な増加に結びついた。
(しかし、これが戻るのは結構大変そうだね)。

昔、バブルの頃はこれ以外にも、日本企業の世界的な活躍など、日本という国が世界で高く評価される要素は多かった。もちろん批判を受けることも色々あったし、政府や国民が自らその状況に戸惑う姿勢も見られた。
かの浜田省吾も「頼りなく豊かなこの国で~」とか、歌っていた。

バブルの恩恵を受けた人たちはぜったいに、たくさんいると思うし、今でも現役で活躍している人は多いと思う。僕などはまったくと言っていいほど恩恵を受けてはいないが、当時日本がこの先今のような姿になるとは、まったく想像はしていなかった。

そんな時代、追憶の1989年・。


雑誌SWITCH '89年6月号。
この記事は高橋源一郎さんのフォト日記。当時はスマホでもデジカメでもなく、ポラロイド写真。

手元に遺してある(一般)雑誌のなかでは古い方。価格は700円(税込。消費税は施行されたばかり)。
メインの特集はメリル・ストリープのインタビュー。

本誌にバブル時代を思わせるような記事や広告はあまり見つけられない。

ただ「日本は衣食足りて豊かになったのだから、これからは感性や文化を大切にした社会作りをしていこう」というムーブメントは、この時代の一面でたしかにあった。
その結実がコンサートホールや美術館の建設など、箱物が目立ったていどだったとしても、そういう雰囲気は確かに世の中にあった。

そういう意味では、本誌の文化的な誌面のムードはこの時代を現している気がしないでもない。


この雑誌、広告は酒とたばこの宣伝が大部分を占めている。
たばこの宣伝は昔は多かったし、けっこうかっこいいCMとか、ありましたね。。
これはJTが後援するビッグバンド・ジャズのコンサートですが、そっちの方が詳しくないので、マイケル・ブレッカーぐらいしか名前知らないや。

ちょっと光っちゃった。。

オリンパスはけっこう積極的に一般紙に広告出していた印象が。
ただ、キヤノンは既にEOSの時代、ミノルタは勢いがあり、ニコンも1/8000の、犬がフリスビーをくわえるCM(F801)とか出していた頃なので、オリンパスはそろそろまにあっくな存在になりつつあったのかと。。

日本の自動車産業はこの時期一つのピークにさしかかってましたね。。
マツダのロードスターとか、ホンダのNS-X、レクサスも登場直前でした。

三菱のこの広告はしっとりとした、どこかイギリス調のアレンジに思えますが、車自体もやや地味な感じ。ミラージュはこの時期、ひじょうに売れた車とは言いがたいですね。。マツダがファミリアを刷新し、カローラやシビックもそれなりに売れていましたが、時代はより上級の6気筒車に光が当たっていました。R32スカイラインがちょうど出た頃です。


昭和のことは「懐かしい」という言葉と繋がっていて、「昭和レトロ」などという言葉を良く目にする。

しかし、平成はまだ記憶が生々しいのか、「レトロ」の冠をつけて語られることはない。

昭和は62年間+αあったが、そのうち半分近くはかなり暗い時代で、その後も日々の暮らしはかなり厳しい想いをしている人が多かったはずだ。平成も、細かく見れば色々問題はあったが、総じて穏やかな時代ではあった。

タイムマシンがあって、昭和36年に移動できたとする。そこで暮らしていくのは相当骨が折れるんじゃないかと思う。

でも、平成元年ぐらいなら、今と同じ感覚で生活できるんじゃないかな。
当時はなくて少し戸惑うのは、携帯とネット通販ぐらいじゃないか。

でも、サブスクなくても、都内に大型CDショップあるし、コンビニはもうふつうにあったし、ファミレスは今と違って24時間やってるし。

飯食っても写真撮らなくていいし、位置情報盗まれることもない。撮りたきゃ上の高橋源一郎さんみたいにポラロイドあるし、写ルンですもある。

平成元年は好景気だから、良くて当たり前、というなら平成3年ぐらいでもいい。
ちょうど30年前だ。当時だって世界は騒然としていたが、日本はまだバブル以前の体制が壊れていない時期だ。おそらく陰で四苦八苦していた人は多かったとは思う。

いまあるものがなくて困ることはほとんどない。今あるからこそ困ることに悩む必要もない。

そうすると、やはり時代はわるくなっているということかねえ。。

*冒頭の写真は平成1年11月、皇居チャリティマラソン。平成の庶民生活つったって、そんなの写真には撮ってなくて、これくらいしか出てこなかった。
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アルの健診

2021年10月09日 | セキセイインコ

9月初旬に、気温の変化でアルが体調崩した時、お医者さんの触診でお腹のふくらみを指摘された。

定期的にレントゲンは撮っているが、前回撮ったのは1年前だ。その時は大きな変化はなく、その後の毎月の健診でも特に問題は指摘されていなかった。

今回のレントゲンでは精巣部分が白くなり、胃その他が圧迫されている様子が見えた。

アルの性巣腫瘍への疑惑は、もう5年ほど前からあった。前宅時代、まだ別のお医者さん(こちらの方はいまかかっている病院の出身の方だった。それでカルテと言うか、情報の連携がある)時代からだ。オスのインコには比較的よくみられるらしい。

セキセイのオスは鼻のところ(蝋幕)が綺麗なスカイブルーなのがふつう。メスはベージュまたは茶色だ。アルはもともとくすんだ色をしていて、時に茶色くなりかかるときがあった。

前にも書いたが、現宅に越して、一時期ひじょうにきれいな青になっていた時期があった。2017年の暮れごろから茶色になることが多くなり、その後もきれいになったりまた戻ったりを繰り返していた。この頃は代謝の問題も関係あるかもしれない、とお医者さんは言っていた。

19年後半からは茶色いまま、青く戻らなくなった。20年2月のレントゲンで、骨の白化(=メス化。メスは卵を産むため、骨にカルシウムを貯める)が確認される。その後はずっとホルモン調整の薬を処方してもらい、現在に至る。


9月の体調不良は克服して、うんちなどにも問題はない。くちばしや羽根その他、とりあえず良好だ。本人(鳥)もケロッとしている。

さいきんの趣味は止まり木齧りと、これは前からだが吐き戻しだ。吐き戻しも昔はしなかった。ここ数年だと思う。

毎日見ているからわからないところもあるが、昔に比べて変わったと思うのはあまり鳴かなくなったことと、ケージの中でホバリング(羽ばたき)しなくなったことだ。昔はしょっちゅうやっていた。
鳴くのも、昔はごにょごにょとさえずりをしていたものだが、今はむしろココのほうがやっている。ココは昔は大人しかったのが、今のほうがにぎやかになった。

今後のことはわからないが、腹水が溜まる、呼吸が苦しくなる、食が細くなるなどのことが考えられるとのこと。体重管理をしながら、様子を見てほしいと。

ネット上には色々な事例が載っている。
手術はできる場所が限られるが、摘出をすれば完治するという記事がある。しかし難易度がかなり高いらしい。

一般的にはアルが受けているような内科療法で、完治はしないが長生きする子もいるらしい。薬や餌の工夫とかの話も聞くが、やれる範囲で考えてみよう。

とにかく、いまはいまなりに元気だ。


いきものを飼う人は誰もがこの試練をとおりますよね。
飼わない系の人はそれが嫌だといいますが、でも、共に過ごすことで感じる幸せのほうがずっとおおきいから。。

追記です:インコさんはほんとうにほんとうに可愛いです。

コメント (2)
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ゆれたかな

2021年10月07日 | 日記・エッセイ・コラム
そのときはちょうど山手線に乗っていました。

友達とラインで消費税の話で盛り上がって(なにそれ?)いたのですが、電車が目白駅を発車してすぐ、突然車内がぴいぴいという、携帯のアラート音で満たされたんですね。画面に千葉で地震、という表示が。

電車はたしかにぐにゅっと、揺れたような気もしたけど、地震のせいかどうかはわからなかった。らっきぃだったのは、駅までは普通に走って降りられたこと。そのあとしばらく、運転見合わせしてたみたいです。

すぐに気になったのは、家にいる鳥たちのことでした。
電車はすぐ運転再開したけど、速度を落として運行とかで結構時間がかかった。。

帰宅して、部屋の様子をみたけど、棚から者が落ちた様子はなかった。
鳥たちも無事。びっくりはしたと思うけど。

この辺は地盤が強いし、低層階だから揺れの影響がすくないことは確か。
しかし、本とか多いから、気を付けないとね。。

ってのは、前回3.11のときもこの細長いCD棚が盛大にひっくり返って、えらいことになっています。

だから、アマゾンで突っ張り棒を買って取り付けようと思っているんだが。
買ったのが春頃で、まだつけていない。
なんとかせんと。

皆様、どうかご無事でありますように。
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ひる

2021年10月06日 | 食・レシピ
さいきんは一日10時間くらい働くのはふつうになってきている。

長い時で13.5時間ぐらいかな。残業代はつかない(管理業務)が、ならせば月50時間ぐらいになるか。過労死ラインまではまだあるけどね。

とはいえ、休暇はふつうに取っているし、在宅勤務もあるし、それほど大変でもない。

出社のときはけっこうお昼がシャビィになる。階下の喫茶店でサンドイッチかお弁当、近くのサンマルクカフェでもちもちサンドとか。ときどきサイゼリヤで500円ランチとか。お店は探し歩けばあると思うが、昨今そういう気になれず。。

在宅でもコンビニで適当に買うとか、近くのパン屋とかだけど、ちょっと車で出てファミレスとかも結構やっている。

近くのショッピングモールも何度か行ってる。モールのフードコートは、平日はわりかし空いているので、「密」感がない。だから緊急事態の頃も時折使っていた。

モールはわりかし若い人が多い気がする。平日でも家族連れがけっこういる。平日がお休みの人も多いのだろう。

ひるどきの、自宅周辺ってなんか面白い。週末とはまた表情がちがっていて。
郊外のコンビニの駐車場が、お昼食べる人でいっぱいになるってのも、ちょっとびっくりした。



それでね・。

今日はファミリー向けのステーキレストランに行った。かなり久しぶりな気がしたので。。

ここは休日とか、週末の夜行くと家族連れがすごい。子供たちがうじゃうじゃいて、サラダバーとかあさっている。食べ盛りの高校生とかもちらほらいたりする。すごいにぎやか。

だが、平日の今日行ったら、お客も少なくてとっても平和。
なにより、お客さんがおじいさん、おばあさんばっかりなのだ。

がっつり系のメニューばかりなのだが、お年寄りってけっこう健啖家おおいからね。
昔の、名経営者みたいな人たちは引退すると都心に事務所とか構えて、お昼になると毎日うな重とか食べる人がいた(らしい)。

ああいう感じなんですかねえ。

つっても、僕はおろしハンバーグランチとドリンクバーで988円なもんだから、やっぱりシャビィだよね。。もっといいメニュー食ってんのか、おじいちゃんたちは。
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非分散

2021年10月03日 | まち歩き
時々訪れるこの神社、お賽銭箱が3つ並んでいる。一つの箱に横に二人、同時に立って柏手を打つような形だ。つまり同時に最大6人並ぶことができる。

なのだが、しばしば両脇の箱には人が並ばず、真ん中の箱だけ長い列ができている。ときには2列で10m以上行列になる。両脇は全く人がいない。


銀行のATMなら、近頃はどこでも一列に並んで、先頭の人が開いているATMを使う、みたいな方法になっている。
この神社の場合、そうはなっていない。使うのは真ん中だけだ。

とはいえ、たまには両脇の箱を使う人はいる(僕もそうした)。誰も(両脇の箱について)わかっていないという訳ではないのだ。

おそらく真相は、みんなまんなかに並んでいるのだから、(空いている)両脇を使うのはなんか失礼かもしれない、とか、やっぱり両脇より真ん中のほうがオーセンティックなのかもしれない、みたいな、不思議な神がかった気持ちに、自然になっているのかもしれない。


はっきり覚えていないが、しばらく前まではどこかに「行列を作らないで参拝してほしい」旨の注意書きがどこかに書いてあった。その頃はもう少し人も分散していたように思う。

神社の側もアフターコロナを意識しているのだろうか。。
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