うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

もどれない

2017年10月30日 | カメラ、写真

今朝の日経新聞で、ニコンが中国にあるカメラ工場を閉鎖し、コンパクトデジタルカメラも外部調達に移行する、という記事が載っていた。記事にはデジタルカメラの出荷台数という統計が出ていたが、これを見て驚いた。2012年以降の減り方が半端ないのである。各年の数字が示されていないので、正確にはわからないが、レンズ交換式、固定式合わせた出荷台数が2012年ごろから1億台を割り込み、昨年あたりは3千万台ぐらいまで落ち込んでいる。

まあ、スマホだね。いまさら何を、と言われるかもしれないが、こうして数字で見ると、急な変わり具合に驚く。ほんの少し前、コンデジはそれこそ1年に2,3回モデルチェンジして、分厚いカタログが数種類配布されていたこともあった。テレビCMはもちろん、電車の車内や駅の看板にまで広告が出されていた。残念ながら、そんな時代はもう戻ってきそうにない。保守的で、できれば写真はカメラで撮りたいと思っている僕でさえ、日常の撮影はスマホを使うことが多くなった。

そういえばこのブログでも、昔はカメラのことをよく書いていた時期があったが、それもすっかりなくなってしまった。6月にPentax KPを買ったとき、ちょっとだけGRに関心を持ったこともあったが、手はだしていない。GR2とてもう発売から2年だ。買えるうちに買うべきなのかもしれない。。

ここ数年でコンデジを探した記憶としては、2年前に家族向けにキヤノンのカメラを買ったことがある。この頃既に選択肢が狭くなってきたなあ、と感じていた。

高価なモデルは結構売れていたようだが、年配者には機能、重量ともに相応しくない。あまりお上品ないい方ではないが、「カメ爺」さんは別として、ごく普通の、悠々自適でよく知人たちと旅を楽しむような人たちには不自由な時代が来たな、と思ったものだ。

そういう、製品のライフサイクルというか、時代の流れみたいなものは、適価で使い勝手の良い中級品をまず消していき、高機能だがコスパの悪い高額品と、激安品が残る。高いものは第一にまず買えないが、昔を知っている身にはどうもオーラが足りない気がして魅力に欠け、安いものは値段の割にまともではあるものの、昔普通にあった機能が省かれていたり、外観が愛用に堪えない安っぽいものだったりして、これまた魅力に欠ける。

こうした傾向は様々な製品ジャンルで見られる。レコードプレーヤー、カセットステレオ、セダン型自動車なんか、そんな感じだ。

もっとも、一度廃れかけてもレコードなどは一定の需要があるみたいだし、チボリオーディオなど、新興のメーカーが新しいブランドを立ち上げて、しっかりした製品を作る、というケースも出てきたりする。

というわけで、メーカーさんには機能と作りのしっかりした製品を、末永く供給してほしいものだ。などと、なんだか固い話になってしまった。。

この週末は所属している音楽サークルのイベントで、写真撮影を担当した。お陰様で、雨にもかかわらず、たくさんの方にご来訪いただいて、大変盛況だった。

撮影担当はここ15年ほど、だいたいやっているが、昔に比べれば確かに楽になった。昔はフィルム一眼レフと、補助でクールピクス4300にテレコンつけて撮ったりしていた。ネガがISO800,デジカメはISO400でしかなかったが、今思うほどには大変ではなかった。とはいえ、今は随分と便利になったな。今回からKPでの撮影になったが、手持ちでも撮れるし、小さくて軽い。隔世の感があるねえ。

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アメリカ外交50年

2017年10月29日 | 本と雑誌

 第二次大戦後アメリカ国務省を中心に活躍した、ジョージ・ケナンの講演、論文集である。

後にアメリカの対ソ連政策に大きな影響を与えた、いわゆるX論文も所蔵されている。

なにぶん専門外で近代アメリカ史のことなど、知らないといって良いし(米西戦争だって、名前ぐらいしか知らなかった)、本来は僕などがかじっても消化不良になるだけかな、と思ったが、それなりに興味深く読むことができた。翻訳が難解である、という評もあるが、文学作品ではないので、それはあたらないと思う。

アメリカの国際社会への登場は、世界の外交史にとって大きな転換期をもたらした(岡崎久彦氏)といわれる。本書の連続公演では、アメリカの今世紀初頭からの外交史を概観することで、徐々に明らかにしていく。

まあ、あまり詳しいことを論じる力もないのだが、第3章「アメリカと東洋」で、中国、および日本について触れていた部分は特に興味深かった。(以下とても乱暴かもしれないが)

アメリカという国は、諸侯が入り乱れ戦乱の絶えなかった欧州大陸から隔絶した「新大陸」であり、いろいろなしがらみから解放されていたはずであった。それが、次第に自らも帝国主義的な行動に手を染めかけたり、自分たちのもつ倫理観、正義感を基準として、海外の政治、紛争に介入するようになる。二つの大戦も当初は対岸の火事であり、初期には戦いを避ける手段があったにもかかわらず、結局は深くかかわりを持ち、以後対外紛争にはむしろ積極的にかかわるようになる。

もっとくだけていえば、年中ケンカの絶えない悪友たちとは別れて、おれたちは新しい生き方を選ぶぜ、と言っていたのに、いつの間にかまたもとの仲間のところに戻って口出ししたり、知らない奴らにちょっかい出したりするようになる。そのうちに引っ込みがつかなくなり、みんなからボス呼ばわりされて仲裁役を頼まれるようになってしまった。古巣の仲間とはまだうまくやれるが、いい気になって知らない人相手に口を出すと、お前、何にも知らないのに余計なこと言うな、と言われてはふくれっ面をして、挙句には相手に殴りかかったりする。

そんなことをしながらそろそろ100年を超えて、もう疲れた、とか言い出すようになった・・という感じかな。

20世紀初頭の中国は、国とか国境の概念も、アメリカや西欧社会のそれとは違っていた。それを理解しようとせず、自分たちの定義に当てはめて怪しからんと怒り、国内世論もそれを支持した。ケナン氏はその後の対日政策についても、別の方法があったはずだと語る。三国干渉、朝鮮半島、満州国そして中国大陸・・。

アメリカという国が、ある種の理念による国家であるがゆえに、その政策判断も時に特異なものになりがちであることはわかる。中国もそうだし、フランスもそういう面がある。しかし時代が変わり、その国を構成する人たちも、周りの国の情勢も違ってきているのに、国家体制を通して見る世界観が、昔も今も似通っているというのは、興味をそそられる。

 

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陽ざし

2017年10月26日 | 日記・エッセイ・コラム

夏に比べると、陽ざしが直接部屋に入るようになってきた。


台風一過の晴れ間はほんのつかの間、また雨が降って、それがやんで、今日は朝から晴れ。

そして、週末にはまた別の台風が来るという慌ただしさだ。

自分の日常も、それと歩調を合わせるかのように慌ただしい。今日は家の用事で休暇。夜は友人たちと知人のコンサートへ。

昨夜は鉄道の大きな事故で帰宅が大変だった。

用務を済ませた帰り、地下鉄に乗ろうとしたら電車は来ているがさっぱり動かない。あきらめて夜道を適当に歩き、JR線の駅から電車に乗る。

家についたのは11時半。途中、駅で待つのはやめて、サイゼリヤでワインとか飲んでいたら、帰りの混雑した車内で酔いが回ってきて、これには困った。。

 

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シャーデンフロイデ

2017年10月23日 | 社会・経済

午後8時、投票締め切りになる。テレビでは次々と開票結果が映し出される。今回は合間に台風情報も報じなければならないのだから、一層緊迫している。

明暗ははっきりと出る。選挙前はみんな意気軒高だったが、選挙結果の前にうなだれている人もいる。任期中に色々あった方々、もう話題が「枯れて」助かった方もいれば、そうじゃない方もいて。。首尾よく当選した人よりも、どうしても負けた方々の映像が印象に残ってしまうのは、仕方のないことなのでしょうか。。

勝つ時もあれば負けるときもある、というのが民主主義ですから、不運を呪っても、この時期に解散した政権側を恨んでも仕方がないこと。ではありますが、本人にしてみれば辛いし悔しいでしょうね。。ましてや、彼(彼女)たちは、自らを恃むところが強い方々ですから。。

色々な事情で色々な立場に立った方々、とりわけ、必ずしも順調な結果とはいえない立場の、一部の方々に関心があるのは、なにも「他人の不幸は蜜の味」という理由で関心があるというわけではありません。。この先、これをどう跳ね返していくのかな、ということに興味があるからです。結果が良かったから正義だとか、言えないのがこの世界ですし、この先チャンスは来るのかもしれないが、もう来ないのかもしれない。うまく跳ね返してくれると、おお、人生も捨てたものではないなと、思うこともあるかも、です。

そりゃもちろん、ざまみろ、いい気になりやがって、という気持ちにだってなりますけどね。

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あめ

2017年10月23日 | 日記・エッセイ・コラム

雨の日そのものは嫌いじゃなくて、それなりに風情は感じますが、それにしてもよく降りますね。。

昼間、古い映画(「めぐり逢えたら」)を見ていたら、シアトルは1年のうち9月は雨の降る街だ、というセリフがありました。実際雨のシーンが結構出てきますが、あれ見ていると雨も悪くないな、と思うのですけど。。

先週も行ったけど、今日もまた選挙の帰りにモスバーガーに行ってしまった。

ご当地バーガーとのことで、秩父わらじカツバーガーとか。西武線に乗ると観光案内としてよく画像(車内モニター)で紹介しているわらじカツは、かなり大きくて両足ぶんあるようなのですが、こちらはおさまりが良い大きさで一枚もの。ソースはねぎ味噌だそうで、たしかに甘みがあってバーガーらしからぬ旨味があります。。

ぬれ鳩。なりふり構わずという感じで、一生懸命なにかをついばんでいた。

生きていくのは大変だ。。

な、アル、ココ。。

 

 

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LP、カセット、ラジオ・・

2017年10月22日 | 家電

理論的なことはわからないのだが、前宅から持ってきたオーディオセット(どちらも大したものではない。一つはいわゆるミニコン)は、どちらも前宅にいたころより良い音を鳴らしているようだ。部屋のアコースティックが関係しているのだろうけど、一般的には木造家屋は音を吸収して(逃げてしまう)しまうのでデッド、鉄筋コンクリートの家は反射が問題となるので対策が難しい、とされている。

集合住宅は隣宅との音漏れが問題となる。心配していたが、うちの場合、写真のスピーカーの先は自転車置き場であり、建物自体、駅前の大通り沿いにあるということで防音対策がしっかりしており(以前はピアノも許可されていた)、そう神経を使わなくてもよさそうだ。1階なので、階下の振動も心配はない。

このスピーカーは22年の間に3つの家を経験していることになるが、今が一番伸び伸びと鳴っている気がする。

繰り返し言い訳するけど(^^;、安物の機械を使っているので、そんなに大した音はしていないはずだ。レコードプレーヤーなんか、1万円もしないおもちゃみたいなやつで、40年前持っていたシスコンよりしょぼいが、ごらんのとおり置き場所が限られるので、深追いはしないようにしている。アンプも古いが、古いゆえにPHONO入力があるところがミソだ。。

ディアゴスティーニのビートルズLPシリーズは、先々週ホワイトアルバムが出た。ここまでのところ毎回出るたびに買っている。2枚組は4千円、1枚ものは2,800円だが、今日買える新品レコードとしてはこれはとても安い、と思う。先日キャロル・キング「つづれおり」がLPで復刻発売されたのを店頭で見たが,4、500円だったかな。安いつったって、うちではGoogle Play musicでビートルズ全曲がいつでも聞けるはずだし、リマスターしたCDのほうが取り扱い、音質共にいいのでしょうけど。。

ミニコンも更新しそびれて、これは買って11年になる。当時でもビクターやケンウッドなど、音質とコストに優れたモデルはあったが、本機がマニアや評論家たちに注目された、という話は聞いたことがない。以前にも何度か書いたが、前宅では本棚の上に括り付けて(3.11を乗り切った)、部屋の上のほうから音が降るようにしていた。現宅ではONKYOのスピーカー台(本来INTECシリーズ用で、昔のオーディオ雑誌推奨のモデル。以前はサブシステム用に使っていた)に載せている。音場がきっちりとまとまり、昔より明らかにfレンジが伸びていい音になった。手持ちの機械が良い音になると、ちょっとうれしい。

MDつきだが、これを代替してしまうとMD(LPで録音したもの)が聞けなくなる。CDのほうだが、先日は音飛びがひどくなり、慌ててクリーナーディスクで掃除をした。レガシー・メディアを色々抱えておくのも苦労が多い。

カセットデッキ、DATデッキとも所有はしているが、普段はつなげていない。カセットは別途、ラジカセで一応ならせるようにはなっている。確か、転居のときに結構捨てたはずだが、全部は捨てられなかったんだよね。。
もっとも、転居してから1,2本箱から出しはしたが、それ以外のテープは引っ越しのときにいくつかの箱に詰めたまま、開封していない。

古いメディアを使えるようにしておく、というのは、どうも自分の性癖が関係しているようで、転居という機会がありながら、完全には吹っ切れいていないのだ。。

 

ラジオは、以前は寝る前や寝ざめにずっと聞いていたり、書斎でもFMをかけていたりして、かなりなじみ深いものだった。現宅の地域では電波事情がだいぶ変わり、その辺に無造作にラジオを置いて受信するというのが、あんがい難しくなってしまった。まあコンクリートの家はそういう傾向はあるのだが、時代はネットラジオでしょうかねえ。。ただ、アンテナとかを色々いじって、いい音で聴けるようにするというのはむかしからの習い性というか、ついそうしたくなってしまうのだ。このラジカセは、キッチンで調理中にAMラジオが聞きたくて、ここに持ってきた。受信状態は正直厳しいが、小音量で聞けば何とか。

いま、台風が来ていますが、災害時にはラジオ、必要なこともあるでしょうからね。。これは電池でも動くが(単2 6本)、買っておいた方がいいかな。。

 

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ふた

2017年10月20日 | 鉄道、車、のりもの

土曜日、急激に冷えた週末の朝、出かけるのが億劫になり、一つ用事をスキップする。前からやらなきゃと思っていた、車のホイールバランス調整をしにいこうとするが、ぐずぐずしていて遅くなってしまう。

昼過ぎにようやく出かける。店の子に来意を告げると、ピットが混んでいるので時間がかかる由。2時間ぐらいかかるそう。レースじゃないから、一分何十秒などというわけにはいかないのだ。

午後用事があるので、明日の予約だけする。

帰りがけ、思い立ってコイン洗車場へ。足回りを見てもらうのだから、少しきれいにしておこうと思って。。

週末の午後だが、自家用らしいトラックを洗っている人しかいなかった。小雨がぱらついているときに、洗車をするような人はいない。ぞうきんで車体を拭きながら、屋根の真ん中付近だけ水滴が平らになっていることに気がついた。前回ワックスをかけたとき、手が届かなかったみたいだ。脚立でも買おうかしら。鉄道写真撮るときにも便利だし。

自宅の中と、車にいるときは気がつかなかったが、電車に乗って吊革につかまると、前に座っている人がみんなコートやセーターを着こんでいることに気がついた。自分はシャツ一枚。案の定、出先からの帰りは寒くて弱った。。

翌日。やはり雨。

10時の予約だが、またしても出遅れてしまう。しかも、駅前に近づくと通りがお祭りとかで封鎖され、う回路を通るように指示される。20分延着のため、順番にお呼びしますということに。

ピットの人に聞かれて「う~ん、こないだ高速乗ったら、110キロくらいからハンドルがガタガタってなって・・どうも120キロぐらいでまた収まるらしい。それ以上試してないけど。。100キロだと何ともないんですけど。」という。「そりゃ、絶対バランス、くるってますね」となった。まあ、あのとき一瞬だけスピード出したらガタガタとなったので、それ以来高速でも90キロぐらいで走るようにしていたし、直してもそんなに飛ばさないとは思うが、バランスが狂っているのはよくはないでしょうからね。。

整備完了の知らせを聞いて車へ。「やっぱりくるってました。4輪ともかなり・・。」はぁ~、買うときに車検通したのだけど、そういう整備は項目外なのかな。。

さて、ちょっと高速乗って、試してみようか。。その前に給油を。それと、自分にも。

家の近所のスタンドへ。ガソリンはここのところかなり上がっていて、レギュラー129円、ハイオク140円になっていた。ので、ちょっと迷ったが、ハイオクを入れる。買って以来初めてだ。レギュラーでも特におかしな挙動を見せることはなかったが、燃費その他、どうなのか試してみたくて。

給油が終わると、料金の画面にスロットゲームみたいのが出てきて、当たりです、バッテリーチェック無料券などと言っている。早く料金が知りたいのにと、ちょっとイライラする。40リットル弱で5千円台。

近くにあるが入ったことのなかった、モスバーガーのドライブスルーを試してみる。結構繁盛していて、時々渋滞したりしていますが、この日は大丈夫。 無事購入して、自宅についてバックしようとしたら・「おおおっ!ふゅえーるりっどがひらいている!!」しまった、ふたを閉め忘れた・・。慌ててスタンドに引き返す。店員に話すと、笑いながら持ってきてくれた。。

ネットで調べると、締め忘れるひとは結構いるみたいだし、SNSでは友人が、セルフでなく友人のスタンドで忘れられた、という話をしてくれた。いずれにしても危険ですよね。。何かの拍子に、スパークとかたばこの火の粉とか入ったら。。まあこの日は雨だったのであれですが、タンクに水が入るのも、それはそれでよくないでしょうし。。

深く反省。

このあと、調整の具合を見るため高速に乗ったが、プラシーボ効果もあるかもしれないが、やはり全体に調子は良い。スピードは出せないが、その範囲でも落ち着いた印象がある。燃費は(メーター読みで)14.3km/l くらいになった。前回12km/lだったので、やはりハイオクのほうがいいのかな。もちろん条件等は全然違うが。

ちなみにこの車、燃費の表示がkm/lではなくて、l/100kmで表示される。つまり、表示が10.0なら、100キロ走るのに10リットルガソリンが要る、ということ。5.0は 20km/l、逆に20.0なら100キロ走るのに20lガソリンが必要、すなわち5km/l 。ちょっとややこしいですね。。

 

 

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ローラ・ニーロ New York Tendaberry 、イーライと13番目の懺悔

2017年10月14日 | 音楽

今月初めに相次いで入手し、連休中に聞き始めた。きっかけを思い出してみたら、あれだ、「ウェディングベル・ブルーズ」が急に頭に鳴り響いたことだ。聞いたのはフィフス・ディメンジョンなのに、そこから流れて作曲したローラ・ニーロに流れ着き、しかも買ったアルバムに同曲は入っていないという。。

ただ、ローラ・ニーロはこれまでちゃんと聞いたことはなかったし、これらのアルバムは彼女の代表作とされているようなので、入門としては妥当な選択かもしれない。。

家に到着して最初に聞いたのが休日の朝、あるいは晴天下の車の中だったけど、どちらかというともうすこし違う環境で聞いた方が似つかわしいかもしれない。例えば時間を気にしないで良い週末の夜、小さめのシステムで鳴らすとか。ローラの声がかなりオンマイク気味に録音されているし、ダイナミックレンジがかなり広いので、あまりアウトドアでヘッドフォンで聞くのには向いてない気がする。

キャロル・キングとか、バーブラ・ストライサンドとか、あるいはカーペンターズがそろそろ活動を始めた時代の作品ですが、随分大人びているというか、都会的で洗練されている印象が強いです。古さというか、時代性はほとんど感じられない。

こういうアルバムは、繰り返し聴いても飽きることがないのだと思います。

tendaberry って、何のことなのか、辞書で調べても出てきませんでしたが、ライナーを見ると tender berryなのだそうです。

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じゃぐ

2017年10月12日 | 鉄道、車、のりもの

先日、駐車場で隣り合わせた車で留守番をしていたジャガー。

車はもちろんジャグワァです。なんかわかりやすいというか。。

ちなみにうちのくるまは、生まれ故郷(オランダの工場)にちなんで、ホランドロップさんにいてもらっています。

 

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吉祥寺追想

2017年10月09日 | まち歩き

近くに用があったので、久しぶりに吉祥寺で買い物をした。

吉祥寺の街そのものに住んだことはないが、以前はこの街の商圏となる周辺に30年近く住んでいた(その間数回引っ越しているが、いずれも吉祥寺は近比較的近かった)。

ただ、その間ずっと吉祥寺に通い詰めていたわけではない。電車やバスで行くのだけど、新宿とかに出てもアクセス時間はそう変わりがない。自転車で、それもどこかに行ったついでに行くことが多かったが、最期の頃はそれがだんだん億劫になってきて(としのせい?(><;)、あまり行かなくなっていた。

今回街に降りたったら、懐かしくなって少し歩き回ってしまった。昔は何とも思ってなかったが、街を歩くのが貴重に感じられるというのも、なんだか田舎者っぽいというかなんなんですが。。

そういや昔、残業で最寄りの私鉄が終電を過ぎたとき、オフィス近くからタクシーに乗らずに、吉祥寺まで来て乗ろうとしたことがあった。そしたらこれが全然来なくて、2時間以上待ったことがあった。郊外の街なのだから、流しのタクシーはそうは来ないのだ。あれには参ったな。。

 

一番よく行っていたのは、京王のビルにユザワヤが入ってから5,6年の間だ。自宅(=駅前)からバスで、早ければ20分弱ぐらいで行けたので、休日の夕方ちょっと出かけて買い物をして、食事して帰るとか、よくやっていた。

ユザワヤは一時期、地下から8階(だっけ?)ぐらいまで、ほぼ全館が売り場となっていた時期があって、あれはすごかった。手芸品から趣味関係、家庭用品、日曜大工、オーダースーツ、おもちゃまでみんな揃っているのだ。さすがに手芸関係はあまり縁がなかったが(舞台小道具のため、買い物したことはある)、キッチン用品(今も使っているセラミック包丁を買った)、文具、工作用品、そして画材、更に鉄道模型。。この模型の品ぞろえは、素人の客である僕ですら心配になるほど(在庫管理どうするの?)凄まじいものだったが、本稿ではその話題は軽く流すことにしよう。画材は、そのころ油絵の教室に通っていたので、毎週のように何かしら買っていた。ユザワヤがあったからこそ、毎週吉祥寺通いをしていた、といっても過言ではない。 

一度、B1のパネル(1mx70センチぐらい)2枚をユザワヤで買って、自転車で持って帰ったことがある。でかいし風で舞い上がりそうになるし、大変だったけど。。

もう一つ、吉祥寺でよく買っていたものは、音楽ソフト、録音メディアと本だ。

CDはここディスクユニオン、山野楽器、新星堂で買うことができた。

ディスクユニオンは昔のまま今も盛業中の様子。ここ、割と最近来た記憶があるけど、あれはいつだっけな。。

新星堂は駅の高架下のどこだったかにあった。店舗は別だったが、AVソフトも扱っていて、初期のDVDを買っていた話は先日書いた。

新星堂と山野は、楽器のほうは盛業中だが、ソフトは止めたみたいだ。上の写真はもと山野楽器のあったビル。階段上がって通りに面したほうにクラシック系売り場があった。

お隣がルーエという本屋で、ここもよく立ち寄った。今日行ってみたら、1,2階で営業してるようだ。以前は地下にも専門書売り場があったように記憶している。

こうして色々思い出してみると、自分が売り場を探していたときの記憶が強烈によみがえってきて、時空が捻じ曲がるような奇妙な感覚がわいてくる。。

家電量販店としては、ラオックスが、いわゆる白物からパソコンまでいろいろそろっていた。ここでフィリップスのアイロンとか、カシオのラベルライターを買って、今でも持っている。

2階がパソコン系で、当時としては随分たくさんの商品が並んでいた。デジカメもたくさんあって、長いことあれこれ手に取って悩んでいたのも懐かしい。

ラオックスはヨドバシができたころ、入れ替わりに撤退していったと思う。

ヨドバシ吉祥寺は、以前の近鉄百貨店だ。デパートは近鉄、東急、伊勢丹が店を出していた時代があって、そのころの印象が強い。近鉄のあと三越(と大塚家具)が入ったようだが、そのころの記憶はない。

ヨドバシが吉祥寺に来るということで、近所の仲間たちの間で話題になったが、当初の開店予定日になってもしばらくオープンせず、あれ?と思ったことがあった。

ヨドバシ開店後は、自分の中ではずいぶんと新しい時代、という印象が強い。ここではウォークマンを買ったことがある。その他、デジカメのポーチとか、そいういう小物は結構買っている。

いわゆる家電量販店は、今はヤマダ電機とかも進出しているが、結構栄枯盛衰がある。駅前にはさくらや(新宿を中心に展開ていたカメラ系の店で、吉祥寺では眼鏡うりばとして進出していた)、写真のところにはたしかカメラのドイがあった。カメラのドイはもう四半世紀ぐらい前に撤退してしまったが、たしかここでシチズンの電卓を買った記憶がある。マレーシア製で大きくて丈夫だったが、先日の引っ越しのときに捨ててしまった。

吉祥寺サンロード。渋谷も新宿も苦手だが(それより池袋のほうが苦手かも)、ここの人込みは少しはゆるせるかもしれない。

ただ、周辺の道路は自転車でも通りにくいほどで、車でなんかとても来る気になれない。

伊勢丹の入っていたビルは回送されて盛業中の様子。伊勢丹と、専門店街も自分にしてはけっこう使っていた方だと思う。

下のほうに傘屋さんがあって、傘を買うときはそこを使っていた。ふつうの人は傘をどこで買うのか、傘屋というのがここ以外見当たらないのでわからない。自分は今はネットで買ってしまっているけど。。

東急は昔ながらの百貨店という感じ。もっとも、日本橋三越も店内はどこか懐かしい雰囲気が漂っているけど。

ここもお客さんは多い。地下食品売り場、何度か行ったけど、あれはいつだったかねえ。

多奈可亭は西荻店は喫茶、ケーキともによく使っていた。こちらが本店ですね。

公営自転車駐輪場。平日のほうが満車になることが多い。

VICという店だが、ここもよく使った。以前はソニーの専売店みたいになっていて、ソニーのAV製品を中心に売っていた。

それと各種メディア、ビデオテープ、カセット、MDなどがたくさん置かれていた。ビデオとMDは本当によく買ったものだ。VHS10本入りとかね。

MDも黎明期(20年ほど前)にはよくここで買っていた。最初600円ぐらいしていたのが、だんだん下がっていくんですね。450円とか、400円とか。変わり種の、花王のMDとか、TDKの高級MDとかにも手を出したりした。。

今はもう、メディアの音の違いを楽しむ、なんていう話は過去のものになってしまいましたね。。

まあ、そんな時代を過ごした吉祥寺だったわけです。

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あめあがり

2017年10月08日 | 日記・エッセイ・コラム

*昨夜書き上げたのですが、アップしたつもりが朝見たらできておらず、あれ、記事が消失したか、なんかの拍子に日付を違えて(2016/10/7とかに)アップしてしまったかとあちこち探してました。。gooの自動保存に残っていたのを見つけて再度投稿します。。

ちなみに今朝も10時間ぐらい寝ていました。見た夢は恐ろしいことに首都圏が大地震に見舞われるというもの。丘のようなところから市街地を見ていると、建物があちこちで崩れていく。時刻は日没直後で、電線にスパークが走って地域ごとに停電していくというのがやけにリアルでした(シン・ゴジラ見すぎ)。親族は親を含め無事だったのですが、なぜか自分に兄弟が5-6人いるという奇妙な設定になっていたのが印象的でした。。

 

何をそんなに疲れているのか、よくわからないのだが、食後に横になったらそのまま寝てしまい、地震などにはまったく煩わされず12時間以上寝ていた。

なんでそんなに寝ていられるんだろうか。。。

昨夜かなり強く降っていた、雨はやんでいた。

 

 

夢を見ていた。

アルとココのケージに、なぜかフェレット?と、ハムスターがいる。アル・ココはケージの天井に、ひっくりかえっちょになってとまっている。

怖いのだろう。

これは困った、別のケージを用意しようと、その場は(なぜか)会社の子に任せて、ケージを取りに行く。

ケージは、これもよくわからないが実家近くの通りを移動している車に乗せられている(車というより、荷車かリアカーか、ピックアップトラックのようなものだったかもしれない)。

ケージをとって戻ると、もう一匹増えている。今度は先の二匹よりはずっと大きい。用意したケージには収まらないかもしれない。

手足の短いナマケモノのような感じもするが、今思うと先日興味を持ったリチャードソンジリスなのかもしれない。

とにかく妙に人馴れしたやつで、初対面なのに愛想がいい。

そこまで見て目が覚めたわけですが、アル・ココはご飯を待っているのでして・・。

ごめん、お待たせしました。。

出かける用事もあったのだが、ちょっと今日中に終わらなくなってしまった。。

日暮れ時も早くなった。

転居前は見晴らしの良いところが近くになかったが、その点こちらはいいですね。180度以上にわたるきれいな夕焼け空が堪能できます。

運転中だったので、その写真は撮れませんでしたが、網膜には焼き付けました。

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カズオ・イシグロ

2017年10月06日 | 社会・経済

いやあ、びっくりしました。

カズオ・イシグロ氏を知ったのはいつだったのか、覚えていませんが、少なくとも9年前に「浮世の画家」(英語版ペーパーバック)を読んでいて、ちょうどそのころニュースで最新作「ノクターン」が刊行されニュースでインタビューを受けていたことは覚えています。

今のところ、上の2作を英語版で読み、「浮世の画家」は邦訳でも読んでいます。邦訳を読んで初めて作品の意図のようなものがわかり、英文読解力に自信がなくなったのも苦い思い出です。。

うれしい半面、これで日本のマスコミがこぞって取り上げて大騒ぎになるのは、ちょっと嬉しくないなという複雑な気持ち。

 

それにしても、歴代のノーベル文学賞受賞者って(特にここ20年ぐらい)ほとんど知らない人ばかりですね。。

科学者だって受賞して初めて知る人ばかりですけど。。

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Wedding Bell Blues

2017年10月04日 | 音楽

「村上ラジオ3」で村上春樹氏が「歳をとって楽になったと思えることのひとつに「傷つきにくくなった」というのがある」と、書いておられる。長年にわたり色々な目にあうので、若い頃のように思い悩んで寝られなくなるということがなくなったと(「昼寝の達人」)。

その点僕はまだ若いせいか?先日数日間、夜寝られなくなった。正確に言うと、早い時間にちょっと寝落ちをしたのだが、目が覚めてから夜中中眼が冴えてしまい、弱った。いや、年取って眠りが浅くなったんじゃないってば。おもわず考え込んでしまって。

それと、年を重ねると傷つくのに慣れる、というのは確かにあるのですが、他方ずっと我慢し続けていることが蓄積して、以前ならぶち切れたりしないように心を抑えられていたものが、もううんざりしきっちゃって、という状況もまたあったりする。。

さらに言えば、若い頃なら気軽に落ち込んだ、などと格好をつけられるが?、いい年になってそうそう落ち込んでもいられない、というのもある。

つくづく、困ったものである。

 

 

とはいえ、昔に比べれば回復の知恵は多少ついているので、その点ちょっとは進歩している。

 

今日、昼は同僚と一緒に。家族の話やらなにやらで盛り上がる。

夕方、姦しいオフィスのすみっこで、部下の子と料理の話をする。みそ汁の具の話とか。。

 

まあそうやって「リセット」するわけだ。

 

音楽を聞くのもいいですね。ふしぎなもので、心が回復してくると、自然と好きな音楽が心から湧き上がってくるものです。

今朝はなぜか、「ウェディング・ベル・ブルース」が頭の中を流れていた。

ローラ・ニーロの曲だが、僕が知っているのは5th Dimensionのカバー。これ、リアルタイムではもちろん知らないのだが、高校生のとき、FMでオールディズを特集していたものをエアチェックして、その中にこの曲が入っていた。それを繰り返し聴いていた。

歌詞とかは当時、きちんと聞き取れはしていないのだが、タイトルから想像はつくし、曲の調子がなんともおおらかな感じで好きだった。

歌のシーンは中西部あたりの時代がかったダイナーかなにかで、テーブルに差し向いになってる二人の会話。女の子はさばさばした感じの、声のちょっと低い子、じゃないかと思う。

なんか歌詞が、とてもストレートで須直でいいよね。。実体験としてはないのに、とても懐かしい感じがする。

上のビデオは完全なコメディ調で、なんだかコシ・ファン・トゥッテという感じですが、これもいいです。かわいい。

聞いているうちに、心がのびのびしてくる感じがします。

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やり残したこと

2017年10月02日 | 日記・エッセイ・コラム

なにかの拍子に時間が空くと、そういえばリビングの網戸張替えしてなかったなとか、ふすまの破れたところを補修しよう、天気が良ければ外壁の塗装も直せるな、などと思いつくことがある。

前宅はもうこの世にはないのだから、それらは不可能なわけだが、やっとかなきゃ、という思いだけは取り残されてしまった。

床を歩くときの足裏の感触とか、畳のしなり具合とか、そういう身体的な感覚は、まだ体に蓄積されている。

転居のとき、自分の性格を考え、とても神経を使ったことがある。

転居後に妙な「里心」がついて、もとの家に帰りたい、などと思い出すのではないかと。

馬鹿げたセンチメンタリズムだとは思うが、時には自分でもどうしようもなくなるときがある。

自分だってわかっているのに、そう思えてしまうのだ。

全く、感情というのは厄介ごとばかりしか生まない。。

もちろん、そうならないような工夫は自分なりにしてきたつもりだ。

退去のとき、空き家になった姿を目に焼き付け、その後更地になった状態も心に留め置くように努めた。

転居後はそもそも生活も変わってきたが、それなりに快適に暮らせる条件を整えて、旧宅時代を忘れられるように努めた。

ただ、やり残しのことは、頭になかったな。。

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