うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

2ドアセダン

2017年02月26日 | 鉄道、車、のりもの

久しぶりにミニカーを買います。

今回のテーマ(そんなものあるのか、という気もしますが)は2ドアセダンです。

男前ですね。

今見てもすっきりした、いいデザインです。

510の2ドアセダンは、実車はあまり見かけなかった気はしますね。

これの一つ前の、410のほうは近所の方が乗っていました。色は青でした。あの頃近所で車に乗る人といったら、となりの家が仕事用のバンを持っているくらいだったかな。

昔見た、ハルバースタム「覇者のおごり」に基づくNHKのドキュメンタリーでは、日産アメリカの片山豊氏が、BMWに対抗できる車としてこの510をOHC(当時としては斬新)、4輪独立懸架(これも新しい)という仕様に仕立て、北米での販売を成功させた、というまとめ方をしていました。ボクシーなセダンでの成功ははのちの日産車に繰り返し影響を与え続けます。

カローラもブルと同じころのものですが、カローラは少し格下の1100CCで、ボディサイズも少し小さかったはず。

ミニカーで見るとほぼ同じに見えます。どっちかがおかしいのかな。

これもすっきりとして嫌みのない、いいデザインですよね。約50年ほど前、これは魅力的に映ったことでしょうねえ。

一度乗ってみたい気がしますが、カローラの古い中古ってあまりないんですよね。取っておくようなものではないと思われたのか。コロナ/プレミオとか、例えばローレルみたいな車だと、1オーナーで大事に乗られた車が残っていたりしますが。

 

 

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コンパクト シティ

2017年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム

ちょっとタモリの番組のようなな話になるが、長年親しんできた町から、別の環境に触れてみて、改めて実感したことがある。それは、徒歩(と鉄道など公共交通機関の利用)を中心とした街と、自動車を中心とした街との、街の「スケール感」の違いだ。

自動車を中心に考えられた街を歩くと、なんだか飽きてくるし、いくら歩いても変化が少なくて、歩くことが苦痛に思えてくる。徒歩を前提とした街というと、駅前の商店街とか、昔からの街ということになるが、ここを車で移動するのもまた楽なことではない。それぞれ、移動手段に適応した街づくりになっているのだ。

それと、人が良く歩いていると、細かいところに目が行くので、街がよりきれいに整備されている感じがする。大きな街道の歩道などは、どうしても埃っぽくて掃除が行き届かない感じになりがちだ。車で通っている分には特に目立たないのだが、ゆっくり歩くと嫌でも目につくのだ。徒歩の街だと、街の人たちがこまめに手入れをして、美観を保ちたいという気になりやすいのだろう。建物などもそうだが、庭や公園などの施設などもきれいに保たれやすい。街全体がちいさくて、整備しやすいのだ。

とはいえ、街がちいさければ店などの品ぞろえも十分ではないし、観光地でなければ人もたくさんは集まらない。車中心の街なら、多くの集客が望めるし、店舗の規模も大きくしやすい。都心の中心部の住宅が、必ずしも買い物などの生活環境に恵まれているとは限らず、むしろ郊外の町に住む人のほうが近くに安くてなんでもそろう店に恵まれている、ということは、なんとなく想像がつく。

どちらが良いのか、という質問に答えられるだけの見識はないが、とりあえず僕は歩くのが好きなので、歩いて楽しい町のほうが良いとは思う。

今回生活環境が変わるにあたり、改めて今まで住んできた街が、コンパクトできれいにまとまった街であることに気づかされた。それが当たり前のように思い、なんとも思っていなかった町の風景だが、そうだったのだね。

というわけで、小さき良き町から、あたらしいまちにうつることになりました。

郷に入れば郷に従え。じぶんの車、買おうかしら。

 

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2000

2017年02月25日 | 鉄道、車、のりもの

すみません、番号だけ残しました。。

斜め後ろにいたときは、マツダロードスターかな、と思っていたのですが、よく見たらトヨタ2000GTでした。

そのうち前に出て来ました。

大きさは、マツダよりも少し小さい気がします。

50年近く経過しても、古くなっていないボディデザインは驚嘆すべきですね。

会社の子に見せて話をしたら、こういうのを見ていると、自分でも免許を取って運転したくなる、のだそうです。彼女はレースカー好きです。

僕は時々、古い車の中古車情報を見てはため息ついてます。スポーツセダン系も、今のはムキムキみたいのが多くてどうも。。ああ、昔はよかったとつい言いたくなっちゃうな。。

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ビデオテープ

2017年02月23日 | 家電

そうなることはわかっていたはずですが。。

探し物をしていて、戸棚を開けると、大量のテープが出現。

この際、本当に必要なものだけ残して捨てようかと。

思って、何年振りかでデッキにテープを入れたら。。

案に相違してちゃんと動くことに感激。

そろそろVHSにも秋風が目立つようになっていた、2002年に、あえて買ったデッキですが、15年を経て健在な模様。

もっくん。むちゃくちゃになつかしいです。

全大河ドラマ中、個人的に一番好きなシリーズです。

ちょうど、ここに越してきたときにやっていたんですよねえ。。

整理するつもりが、つい見いっちゃう、ていう落ちですよね。

まさに昼間、会社の子とそんな話をしていてたその日に。。

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その先にはおおきな沼が広がっている

2017年02月20日 | カメラ、写真

ここ数年、CP+には毎年行っていたような気がするが、今年はちょっと無理みたいだ。

特に見たいものもないが、さいきん出た製品でひとつ興味があるものを聞かれたら、Pentax KPになるだろう。

発売は23日だが、もう展示品が量販店においてあった。ので、横浜に行かずとも触ることができた。

小さいですね。。

展示品にはDA20-40mm F2.8-4.0 Limitedが組み合わせられていた。近くにいたリコーの販売員さんによると、予約ではこの組み合わせが一番多いのだという。

こちらにはほとんど予備知識がなく(レンズキットの設定がないことも知らなかった。もちろん発売日も)、Qシリーズのユーザーであること、一眼レフは10年以上前のニコンで止まっていることを伝えて、話をした。Qの操作メニューは実につかいやすかったので、興味はあると。Kマウントのレンズはないので、1からとなるが、というと、それなら最初は18-135mmでしょうね、ボディと合わせて17万いくらかです。レンズは別なので、ポイント使ってレンズも買えますよ、という話に。たしかに、それだとだいぶハードルが低くなりますなあ…。

今は使う機会もないので、半年ぐらいしたら。。そのころにはだいぶ下がっているのでは、と聞くと、価格の問題はメーカーでも悩みでして、今回これは、最初から価格を低く抑えているんです。だから、半年たっても変わらないと思います。去年出たK-1も、1年間変わってません。なるほど。

まあとにかく、気に入った。

ここ1,2年、こういうものには投資を抑制しているので、もう少ししたら、何か考えることになるかと思う。とか言って、いつでも「検討」はしていたりするんだけどね。去年PEN-FやGX8が出たときも、考えたことはあったが、1年たった今となるとね・・。昨日はNikon D5600(出たことを知らなかった)を店頭で見かけた。先輩いわく、ニコンは選んでいるうちに、どんどん上位機がほしくなってしまう、そういう製品構成になっているという。確かにそうかもしれない。D5000系列はちょっと小さくなりすぎではないだろうか。MFTと見まごうほど小さいが、レンズはそれほどは小さくできないから、ちょっとした望遠ズームでもボディとレンズがアンバランスになりそう。

むかし、さんざん悩んでフィルム一眼レフNikon F80Dを買ったとき、組み合わせたのはTamronのA03(28-200mmの高倍率レンズ)だった(当時ちょっとした流行のように、よく売れていた)。今回販売員さんが推奨の18-135mmと同じ用途のレンズだ。これがあればとりあえず万能で使えるかな、と思っていたが、その後数か月で単焦点50mm, 広角17-35mを揃えてしまった。

MFTのときもそうだ。最初はそもそも市販のレンズラインナップ自体少なくていいなあ、と思ってたが、気が付くと。。なので、マウントを新しくしたら、その先がどうなるのかも、考えておいた方がよい。

ペンタックスのカタログを見ると、豊富な単焦点DAレンズ群が嫌でも目に入る。

その先にはおおきな沼が広がっている、と考えた方がよさそうだ。

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休日朝の電車にて

2017年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム

少し間が空いてしまいましたね。1週間空けたのは初めてかな。

 

週末の朝、9時半ごろ。都心に向かう電車の中。

今朝は昨日より少し冷え込んだが、外から明るい朝日の入り込む車内は適度に温かい。

 

向かいの席には若い女の子の二人連れが座っている。

よそいきの服装だが、比較的地味目で、アクセサリーもあまりつけていない。

向かって左側の子は髪をきっちりとまとめている。白いブラウス姿で、上着は脇にまとめてある。目のくりくりとした、利発そうな子だ。

隣の子に向かって、ほとんど横座りのような状態で座っている。電車は空いており、周りの障害になるようなこともなさそうだ。

 

右側の子はすこし唇のぽっちゃりとした子。髪の色はやや明るい栗色だ。髪型に問題があるのか、隣の子から盛んに助言を求めていた。

隣の子はその子の髪を整えながら、スマホで写真を撮って見せてくれたりしている。

 

左側の子はお祝い袋を取り出して書き始めた。手には筆ペンを持っている。揺れる電車の中で、器用なことだ。

内側の袋の、住所などは既に書いてあるふうなので、隣の子と打ち合わせて、何かを書き足そうとしていたのかもしれない。

 

やがて二人は、大きな紙を取り出して眺めはじめる。座席表らしい。左肩のところに、「鳳凰の間」と書かれていることが、こちらからも確認できる。

二人はしばらくそれを眺めていた。二人で受付を頼まれている、ということなのかもしれない。

 

彼女たちのそばに、親子連れが立っていた。男の子ばかり3人、上の子たちは少し離れて、兄弟でなにか話している。お父さんは一番下の子を相手に話をしたり、抱き上げたりしている。2歳ぐらいだろうか。

下の子は落ち着かない様子でその辺を歩き回り始めた。

ふと、隣の子と話していた、目のくりくりしたほうの女の子と目があった。

女の子は反射的に、一瞬にこっとすると、すぐまた隣の子との会話に戻った。

ヨコハマ買い出し紀行第4巻 第25話「遠い夏休み」より

 

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久しぶりに

2017年02月12日 | 日記・エッセイ・コラム

知り合いの方のコンサートにお誘いがあり、行ってきました。フランスを中心とした、19世紀後半の音楽、といういい方でいいのかな、ちょっと普段聞かないタイプの音楽で、堪能させていただきました。

というか、昔は結構聞いていたんだけどね。クラシック系の音楽を聞きこんできて、だんだんとモーツァルトとかよりは、という感じになってきて、少し気取った感じで聞いていた頃。

どちらかというと、季節的には夏至の頃が似合うような気もしますが・・どうも音楽を季節感で考える癖があるな、僕は。

久しぶりに聴いてみようかな。

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宇宙飛行士さんのお話を聞きに行った

2017年02月11日 | 鉄道、車、のりもの

行ってきたのは1月25日、仕事でお世話になっている監査法人系のグループ主催のセミナーで、テーマは「働き方改革と企業経営」というものだった。副題として人材と働き方の多様性を企業の成長に結びつけるには、とある。講演されたのは増田寛也元総務大臣、元宇宙飛行士の山崎直子氏、元警察庁長官、スイス大使で、今は移民労働者などの問題に取り組んでおられる國松孝次氏と多彩な顔触れだった。

主催者にご迷惑にならない範囲で、少し感想を。講演のときに取ったノートを、昼休みに少しずつまとめていたのだけど、折からとても忙しく、お伝えしているように夜は仮住まいとの往復で全く時間が取れない。そうこうするうち時間がどんどん過ぎてしまい、タイミングを逸してしまった。。ので、簡単な感想にとどめることにします。

働き方改革、今ニュースなどで政府の取り組みが紹介されたりしていますね。安倍政権が掲げる経済成長のためには労働力の確保が欠かせない。労働人口はすでに年々減少しつつある。こうした中、女性、高齢者、障碍者そして外国人労働者など、多様な働き手を確保し、従来の枠にとらわれない労働形態を取り入れながら、企業成長を目指していくには、どのような施策が必要かと。

雇用をめぐっては昨年大きな話題になった長時間労働の問題とかもあり、世間的な注目度も高いですよね。長時間労働については、大企業のほうがより深刻だという資料があり、意外な気がしました。労働生産性の話にもつながりますが、日本人の場合はダラダラ働いて残業するというパターンが多くて、自分の職場でもかなり辟易させられたのですが、最近はうちに関してはさっさと帰るパターンが定着しているようです。

非正規雇用の問題も日本ではなかなか労働の価値をきちんと測ることが難しい(つまり同一労働同一賃金)ところがあるのですが、パートタイムでも人によっては高給な人がいる世の中に、たぶん次第に変わっていくことになるのでしょうね。

國松氏の講演は、これを受けて外国人労働者の問題に焦点を当てたものでした。この問題は昨年も増田氏が取り上げていましたし、欧州、最近話題の北米など、外国での様子もよく伝えられてきますが、日本の場合は今でも結構な数の外国人労働力が流入してきるのに、制度として整備されておらず、職業訓練とか、留学生(とは名ばかりの)のバイトという形で入ってきている。昨年以前に比べると、講演などでの論調や、世間での風潮も、外国人労働者を受け入れる方向に傾きつつある印象があります。労働人口が急速に減少している現状を数字で見るにつけ、もはや現実を受け入れざるをえないということなのでしょう。

山崎直子氏がこうしたお二方の間にあって、ダイバーシティの公演をされるというのは文字通り異色の組み合わせでした。要は国際宇宙ステーションでの仕事というのは、国籍や専門などが多岐にわたる、文字通り多様性を絵にかいたような世界だよ、というお話です。加えて山崎氏自身が、そのキャリアの途中で結婚、出産そして子育て(さらに親の介護)という経験をしており、初志を貫徹するのに相当苦労されたという(苦労した、とは全く言ってなかったですけど)、お話でした。

山崎氏は非常にクレバーな方なので、ざっくばらんに話されているようで要所要所を多様性という言葉で結びつけるような話され方をしていたのですが、聞く方はどうしても珍しい経験をされた方、という視点で話を聞いてしまいます。

ただ、話の一貫した流れとしては、多様な人たちと仕事をしていくにはコミュニケーションが極めて重要ということ、そして、自分の置かれた環境のもとで、初志を貫徹するためには、無理に肩ひじ張らずに、時には助けを求めることも、セルフコントロールの一環として重要、ということを強調されていたように思います。

助けを求めることが必要、というのは、後半繰り返し語っておられたので、余程ご自身で痛感されたことなのでしょうね。そういうことは、僕のようにすぐ顎を出して、もうダメホンマにあじゃぱーなどと言っている人の口からはなかなか出てこないのです。。

仮住まいにネット環境はないので、スマホのテザリングを使っているとは以前に話しましたが、現下、通信環境には色々神経を使います。

写真の取り扱いも、以前なら家のPCでSDカードからHDDに移して、それをリサイズの上アップすればよかったのですが、今使っているPCはストレージ容量が少ないので、主にドロップボックスを使ってアップしています。Q-S1で撮影したデータですが、Q-S1にはFlash Airが入っているので、カメラ⇒フラッシュエアでスマホへ保存⇒ドロップボックスへ(直接送ってもよいが、通信接続を切り替える必要がある)⇒2 in 1のPCでリサイズ加工し、gooへアップロード、という経路で送っています。

今までは月のデータ通信量はせいぜい1Gくらいだったのが、今は3ギガくらい(上限は5G)まで増えています。モバイルルータも検討していますが、色々あって現在は保留中。ので、画像の通信もできれば抑えたくて、できるだけ家のネット環境にいるときに仕込もうと思っているのですが。。。

Q-S1ですが、こういうのは苦手(というか、AFそのものがとても苦手)なので、こういう写真をAFで撮ろうとするとまずもって中抜けしてしまいます。これはMFで撮影。

桜より梅のほうが好きです。前書いたとおもうけど。

この子はなんていうんだろう。シロハラでいいのかしら。

 

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2017年02月09日 | 日記・エッセイ・コラム

仮住まい生活になってから、平日では初めての本格的な雨/雪。 例によって家のある内陸部ではうっすらと白く積もっていたが、都心部であるオフィス付近に雪の姿はない。

時間がないといいながら、結構脱力していて物事が先に進まない。こりゃ悪循環だな。。

今年の建国記念の日は土曜日で、3連休にはならないが、この時期の連休は何かと思い出がある。

今はなぜか、10年前のことを思い出している。

10年前の今頃、オフィスのリノベーションがあって、業者の作業に立ち会うため、泊りがけでオフィスに詰めてほしい、という依頼があった。

身の回りのものを持って、午後遅くに前の担当者と交代、荷物の隙間に居場所を作って、テレビが使えたのでそれを見ていた(らしい。記憶はないが、写真が残っている)。

外には出られないので、カレーのデリバリーを頼んで食べた。1200円ぐらいする、お弁当としては高級なものだった。

結局、夜半までに作業が終わったので、夜遅く、終電近くの電車で帰宅した。仕事としては変化のある、面白いものだったな。

同じころ、ケーブルテレビに加入して、デジタルレコーダーを買った。

当時はまだ八重洲のさくらや(家電量販店)があって、そこでDVD-RAM(殻付き)を買ったのを覚えてる。

レコーダーを買う前は、VHSだったのだから、なんだか隔世の感がある。

さくらやはこのあとすぐ撤退してしまった。コンパクトで色々なものがおいてあるので、使いやすい店だったが。

店といえば、まだ銀座INZにはHMVがあった時代だ。たしかノーラ・ジョーンズの新譜が出たばかりで、目立つところに並べてあった。

つい昨日のことのようでもあり、同時にずいぶん前のことのようにも思えるな。。

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トランプのアメリカ

2017年02月07日 | 社会・経済

こんな話題はそもそも僕には手に負いかねるのですが、逆に期待されない分、気楽に言いたいことをつぶやけたりもします・・。

米国政治に詳しい吉崎達彦氏(かんべえ氏)によると、トランプ氏はオバマ氏の「影」のような存在なのだと、的確な指摘をされています。

オバマ大統領はその任期中、多くの人が心に描く「アメリカ大統領」としての課題を、正面から取り組んでいった。ある意味「正攻法」の大統領だったわけですが、格差拡大をはじめとする人々の不満を解決することはできなかった。その「影」の部分が、今日のトランプ政権という形で正面に出てきているのだ、という。

吉崎氏自身、今日のような事態を予測していたわけではなかったと思います。「溜池通信」を見ていると、彼がこの現状を現実として認めつつも、心のどこかでアメリカに幻滅しているような様子が垣間見えるような気がする。思い過ごしであればよいと思うが、しかし一方、親米保守派の人たちの多くが同じように感じているのではないか、という気もしてくる。

故岡崎久彦大使の著書によれば、英国の例を引き合いに、たとえ今アメリカ衰退論が論じられているとしても、その変化(特に経済覇権移動)には非常に長い時間がかかるだろう、結論としては19世紀のイギリスと現代のアメリカとは状況が異なる、と結論付けている。

一つの国、それも歴史的にも地政学的にも極めて大きな力を持った国が、そう滅多なことで傾くことは考えにくいかもしれない。しかし、何十年かしたときに、ああそういえば、あの頃がきっかけだったのかな、と振り返る日が来ないとは言い切れないでしょうね。。

 

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くらし

2017年02月04日 | 日記・エッセイ・コラム

今年から使いはじめている通勤経路で、朝の電車から車窓を流れる街を眺めている。

通勤路としては新しい、というより久しぶりであって、昔も同じ風景を毎日見ていたはずだが、久しぶりに眺める風景は新しさと懐かしさが入り混じって、新鮮だ。

それに、今は住まうところを探している身であるので、ひと様のお宅の様子がいやでも目についてしまう。。

ありふれた宅地風景、ずらりと並んだマンションの窓から見えるカーテン、そんなものを眺めていると、この窓一つ一つの奥に、それぞれの違った人生があるのだなあ、などと改めて考えてしまったりする。

思い出すのは昨年の初夏のことだ。

 

用事があってオフィスを早くに出て、要件を済ませたのだが、季節柄まだ日没からそれほど時間がたっていなかった。

折しも、日中に大きな鉄道事故(人的な被害はなし)があって、某路線は部分的に運休が続いていた。

別路線を使って全く回避することもできたのだが、少々時間もあったせいもあり、あまり褒められた話ではないが野次馬根性がわいてきて、事故現場を見がてら移動することにした。

今、印象に残っているのは事故の様子ではなく、電車が動いている区間まで歩いて行った、その経路のほうだ。

鉄道は住宅地を縫って走る。そこには明かりをつけた一戸建て、マンション、アパートが立ち並び、通りにおいしそうなにおいを漂わせている飲食店、入り口からにぎやかな声が聞こえてくる飲み屋さん、まぶしいくらいの明かりが漏れてくるコンビニなどがならんでいる。

そこに住んでいる人たちにとって、それはごく当たり前の風景だ。たぶん普段は目には映っていても、3分もたてば全く忘れ去ってしまうような日常の風景だろう。

ただし同時に、日中の勤務を終えて家路へと急ぐ人たちにとって、そうした風景はもうすぐ昼間の緊張から解放されて心地よい眠りにつくことのできる、我が家へと導いてくれる通路のように見えているのかもしれない。

それは、よそ者である僕にもなんとなく伝わってくる。むしろ、そこに"home"がない分、家路を急ぐ人たちのことが余計に心の中をよぎるようになる。

今日の彼らは、昼頃ネットで伝わってきたニュースを見て、あるいは駅の案内板を見て愕然とする。今日の帰宅はどうしようかと考え、代替手段を模索する。近くを並行する地下鉄から歩いて行けそうだと考え、スマホで経路を検索したり、同じ方向の同僚に、今日は一緒に帰りましょうと声をかけたりする。

僕が覚えているのは、電車の動いている駅に向かう道すがら、僕の後ろをずっと一緒に歩いていた人たちだ。同じ職場の同僚の方々らしかった。会話の様子から、どうやらどこかの学校の先生型であるように思えた。行き先が同じなので、ずっと会話が聞こえてくるのだ。彼らのほうがわずかに足が速いようで、声が段々近づいてくるのがどうにも気になった。確かやがて僕を追い越して行ったはずだ。

 

その時もそうだったが、住まいを探す、などという環境にないときには、こんなつまらないことに意識がいくこともないだろう。

その時も、ただ事故の様子を撮影した写真のうち、どれをSNSに載せようかなどと考えていたと思う。

それが、今頃になって街の様子が心に浮かびあがってくるのだから、不思議だ。

 

 

 

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小確幸

2017年02月01日 | 日記・エッセイ・コラム

小確幸、小さいけれど確かな幸せ、は村上春樹氏の造語として、ネット上で解説されている。辞書には載っていないと思う。

もとは村上氏のエッセイで使われはじめた言葉で、ファンの間で定着していったものだ。

 

昨年からいろいろ、自分では御しきることのできない様々なことに翻弄され、天を仰ぎたくなるようなときもあった。もちろん悪いことばかり起きているわけではない。自分でも驚くような展開を見せた出来事もあるが、それとて世間上のいろいろな挨拶その他を伴うもので、そう気が休まるようなこと、というわけでもない。そして、明日、来月、半年後、思い煩うつもりもないが、さりとて昔話のように「いつまでも幸せに暮らしました」となっているはずもなかろう。。

小確幸、小さいけれど確かな幸せ、というのは、そういう派手なことではない。例えばお昼、いつものお店で、なじみの店員さんに「おつかれさまで~す」などとあいさつしながら、ちょっと古めのAORっぽい曲が静かに流れる店内に落ち着く。本とPCを広げて、まずはメールとSNSをチェックする。

こんなひと時こそが、一日で一番幸せな時間に思える。

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