うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

固定式

2016年09月30日 | カメラ、写真

ここ1週間ほど、Q-S1に01Standard Primeを装着して持ち歩いている。固定焦点なので(Q-S1との組み合わせで約40mm相当)多少制約を感じるが、換算40mmというのは比較的扱いやすい画角ではある。F1.9という明るさも、夜撮影するには使いやすい(もっとも、Galaxy S6 edgeのカメラもF1.9だけど)。

Q-S1のピントは夜景では合いにくい。合焦表示が出るので、撮れたと安心していると、後で見るとボケボケだったりする。同じところで何枚か撮るようにはしている。ノイズがきついので、ISO1600までにしてマイナス補正も強めに(1 2/3EVくらい)かけるようにしている。

というわけで、当面はこれで行くか、というつもりではいるが、もし今次の機種を考えるとしたら、どれにするか、ふと頭の中を妄想が廻った。

いま、小型のレンズ交換式カメラは減少傾向にある。Qは終わってしまったし、ニコン1シリーズもちょっとどうなるかわからない。レンズ交換式って、ある程度シリーズが長続きしないと無駄にものが増えて困るね。。レンズ固定式の高級コンパクトが多く出ているのは、そのせいもあるのかな。

量販店のカメラ売り場も様変わりしいて、いまは真っ黒でいかめしそうなカメラが目立つところに並んでいる。レンズ交換式のコーナーはわりと頻繁にチェックするけど、コンパクト機の動向には疎い。ちょっとひやかしてみると;

ソニーのこれ(RX100)はこの分野では定評があるらしい。らしいというのは、よく訪れるクリエーター系の方(よくおしゃべりする鳥を飼っていた方)のブログで時折紹介されていたからだ。作品の撮影をして、ウェブにアップする程度なら一眼レフ並みに撮れると。

写真のプロではないが、一定レベルの写真を仕事で使う必要がある方に、このカメラは使われているということがうかがえる。

店頭で見ると、同じような型のモデルが7-8個並んでいる。古いモデルも継続販売しているらしい。比較表も店頭に展示されてたが、事情の分からないものには「??なんでこんなにあるの?」という感じが。。買うわけでもないので、店員さんにも聞けなかったが。

GRもクリエーター系の方によく指名買いされてるみたいですね。いや、自分がクリエーターなわけではないし、商品撮影もしないのですが、なんとなく「プロ仕様」みたいなものに格好良さを感じたりはします。まあ、こちらは自由の身なのであれですが、本当に業界の人になったら、人目も考えてGRにしとこう、みたいな流れになっているのかもしれない。。それはともかく、GRはデジタルになってからもう10年以上、この分野のトップを走ってきたブランドです。

なので、やはり選んで損はないかもしれない。

もう7年くらい前、これの姉妹版であるGX200を持っていました。

EVFがつき、ズーム(24-72mmぐらいだったかな)できるものでしたが、いろいろと違和感があって早々に手放してしまった。GRとは微妙に寸法がちがうボディは持ちにくいというより、持った時の重量バランスが悪く、どうもしっくりこない。また変に華奢というのか、実際になよなよはしていないがソリッド感にも欠ける。操作体系は非常に悪いわけではないが、ややマニアックで、なんとなく使い手が試されているような印象。画質はそのままだと赤っぽい(マゼンタ寄り、というやつかな)で、微調整できるものの、最後まで好みの色合いにはできなかった。

1年で売って(思ったより高く売れた)、オリンパスのE-PL1を買った・。大きくてちょっと不細工な初心者向けモデルだが、気軽に扱えるし画質もかなり良かった。E-P3の登場で引退したが、マニア向けでないものは売っても二束三文なので、仕方なくまだ持っている。

まあそんなわけで、そのうち懐に余裕でもできたら、どっちかを買ってみようか。。

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ジェンダー

2016年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

日経ビジネスON LINEに連載中の小田嶋隆氏のコラム入院した中年男性がおしなべて不機嫌な理由」を読んで、本誌上にちょこっとコメントを書いたりした。

小田嶋氏の記事の趣旨は、中高年男性は病院などでの対人マナーなどに問題のある人が多い。その理由はおそらく、そうした場では彼らがいつもビジネス社会の中で機能しているプロトコルが通用しないからだろう、というものだ。もっと単純に言ってしまうと、男は仕事場以外では無礼で不愉快なやつになってしまう、ということだ。氏によると、女性は年齢にかかわらずそれなりの対応をするし、若い男もそんなに態度の悪い者は見ないという。

読者の反応は様々だ。小田嶋氏の文章は、そう言っては何だがそれほど上手だとは僕は思わないのだが、その着眼点には人々を刺激するものがあるようで、毎回多くのコメントが寄せられている。この文章の趣旨である、いわゆる「老害」について触れたものが当然もっともおおいが、「若い男性の態度が良い」に反応した人も多い。僕と同様、女性のことに触れた人も、少数ながらいる。

ちなみにコメントでは大略こんな風に書いた。「女性が陰口を言っているのを聞くとかなり強烈だ。人間の業に男女差はないと思うが、失礼をまき散らす男性は比べると不利かもしれない。女性にはウラがあって時に陰湿。 男女にかかわらず、多少失礼でもユーモアで中和できる人がいいのかも。)。

このコラム、本当は女性のことなどに言及しないほうがよりわかりやすかったのではないかと思う。

男というのは基本的に戦闘要員なのであって、特定の場面では活躍するが、それ以外の場では身を持て余し、不器用で、時に非常に滑稽な存在になる。ソフィスティケートする努力は必要だし、それが紳士としての伝統にもなっている。だが他方、だらしなかったり、どこかで崩れてしまっている男は昔からよくいたみたいだし、たぶん昔はそうして身を持ち崩し、自然に消えていったのだろう。

女は・・。少し前に、「ヨコハマ買い出し紀行」のエピソード解説をするサイトでこんな話を読んだ。物語では、人型のロボット(人類に極めて近い)が多数作られたが、男性ロボットは「弱い」らしく、ほとんどが早いうちに「死んで」しまった。サイトの解説者は言う。「生物の基本は女性であり、(社会の衰退等で)所定の目的を失った男性は、先に消えていった、ということなのだろう」と。

実を言うと、この解釈を読んだときは、はけっこう心にしみた。たしかに、女性のほうが適応能力は高いし、生活力もある。歴史的には男性中心社会が長かったが、これは人類全体がフロンティアに接している時期が長かったからだろう。そのころは男性の価値観、スケールで物事が語られていた。

時代が落ち着いてくると、女性が本来の力を示すことができるようになる。女性が社会の中心になり、女性の価値観、スケールで物事が測られる。今がそうなのだろう。今年は世界中で女性リーダーが登場したが、そのことを裏付けているのかもしれない。

地球上にもうフロンティアはなくなってきた。用済みになったおっさんは、「ただ消えゆくのみ」ということもできず、弱った体で「老害だ」と言われ続けることに甘んじるしかない。いろいろ無念の思いもあるだろうが、まあそれも世の常だ。

 

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間が

2016年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

少し間が空いてしまいました。

週末は少し忙しくて、移動したり待ったり。

友人のコンサートにも、ぎりぎりで会場に駆けつける始末。出口から7分と地図にはあったのだけど、そもそも出口までの通路が数百メールあって・・。もちろん走りましたとも。。

そのコンサート、初めて聞いたのですが、素晴らしかったです。モーツァルトの宗教曲からいくつかと、シューベルトのミサ曲。前者のいくつかは多少聞きかじったことはあるが、後者の曲を聴くのは初めて。

ソリストも立派でしたが、100人編成程度の合唱も見事なもので、けっこう聞き入ってしまいました。プロの合唱団でも、なんだか世間ずれしたような演奏をされると興ざめするときがありますが、アマチュアなりに音楽への愛情を魅せる演奏というのもあるようです。。

 

もともと僕は、クラシックに関しては、おおむねミドル・オブ・ザ・ロードをうろうろしていて、日常は古典派からロマン派初期の交響曲やら鍵盤楽器あたりのCDを漫然と聞いていることが多い。声楽では独唱はそこそこ、あとはオペラが中心。なので、宗教曲あたりはすっぽり抜けていて、大変に不勉強であります。

というわけで、当日演奏された曲のCDを、帰りがけに買ってみました。

当日は帰宅してから、疲れがどっと出て轟沈。

心は至福だったわけですが、目が覚めると月曜日、仕事。

職場にて。

もともと意見がかみ合わないので、会議などではこれまでやや遠巻きに意見を述べる、みたいにしていたのですが、ちょっと思うところもあったので、やや踏み込んでものを言ってみた。そうすると意見がぶつかる。押し加減は調整はしたが、一度踏み込むと、自分の中がだんだんと辛いことになってくる。

前線の軍隊同士が不測の衝突を起こすと、事態収拾が難しくなって戦争になってしまう、ということにも似ているかもしれまい。

話し合いの席を離れ、一人になってからも、いろんな気持ちがむくむくと上がってくる。まあ、腹を立てているわけだ。

 

残念ながらというか、いままでいろんな経験を積んできた自分の理性は、そんな自分に賛同しようとしない。

心情としては怒りに身を任せたいところだが、そうすればするほど、解決とは逆の結果になりそうな気がする。事態の拡大は避けたい。

情けない気もするが、ほかの人だって別のことでうまく行かない思いをしているのだろうから、やはり同情はできない。

これでも幸せなほうだ。と思っているにも関わらず、ときおりまた収まらない気持ちがむくむくわいてきて。。

 

結局、やれやれである。もし踏み込んで言わなくてもやれやれ、と思ったかもしれないが、言えば言ったで余計しんどいわ・。

本来、意見を交換し合うことはもっと前向きなことのはずなんだが、なんでこうなってしまうのか、考えてみてもわからない。。

週末出かけたときは、食べに行ったわけではないから当然かもしれないが、どうも食には恵まれず、うまいもの食いたい感が強くなってきた。

同僚と久しぶりにお昼。これは一口アジのなんとかイタリア風、だそう。基本タニタ系健康料理の路線らしい。

お味噌汁がカレー風味なのはちょっと驚いたけど、まあうまかった。

というか、実は話に夢中になっていて、なんとなく食べてしまった。

出先で、時間がだいぶあったので、なんとなくココネさんを描いてみたりしました。。

というわけでした、って、どういう・・?

 

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雨降って

2016年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

雨降って・降って・降って・降って・・

どこまで降り続くのかと思ったが、今日の夕方になってようやく降りやんだ。ただし、明日の予報も雨らしい。

今週は台風もきて、台風一過の晴れ間を拝むこともできず、それからずっと降り続けた。

シルバァウィークなんて浮いた感じじゃなくて、休んだりまた仕事したりで変な感じ。

明日は用務で出かける。出先で東京藝大の本を読みたいと思ったが、丸善にもAmazonにも在庫がない由。

人気があるのかな。

美大とか、美術専攻の人たちが、どんな青春時代を送っているものなのか、実際には知る由もないが(芸術家を職業として、社会で活躍されている方々は多少知己があるが、彼らは自営業者としての社会性をしっかりと身に着けた方々である)、つい自分なりに理想化してしまいたくなる。

本当に自分の心の核に忠実に生きることができたら、その人の作り出すものや、その人自身はいったいどのようなことになっていくのだろう。または、外から見てどのように映るものであろうか。

変な言い方だけど、行くところまで行ってしまった人は、やっぱり、相当にかっこいいかもしれません。

Twitterで誰かが書いていたけど、昔はなんとかき○○いとか言っていたものが、やがて「おたく」と呼ばれるようになる。おたくも最初はどちらかというとネガティブなイメージの存在だったのが、次第に「をたく」と変じてきてむしろ選ばれた民にちかい感覚で語られるときがある。

考えてみれば、天才というのはおたくのひとつの変形なのかもしれない。

いずれにしても、僕は若いころに何かを追求しつくし、心の核に迫ることもしなかったし、オタク的なこだわりをすることも、結局できなかった。なにかをしていると自分で作ったリミッターが見えてきて、そこでやめておこう、と思うことが多かったし、今でもそうだ。 なんとも中途半端だ。

若いころに、もっと限界まで自分を突き詰めてみたかった気はする。

でもだぶん、いろいろな環境や、生活条件などの関係で、それは無理なことだったんだろうな。

まあ、その一方で、社会人としては何度も崖っぷちに立ち、溝に落っこちては這い上がりながらここまで来たんですけどね。。

道具としてのカメラは好きだけど、写真家志望ではないので、重い機材はあまり好きではない。

使っていると相性のいい道具というのはあるもので、このG3などは、後継のG6を持っているのに、いまだにいつも手元にあって使っている。

先日G8が発表になったので、もう4代もまえのモデルなんだけどね。

今のカメラは昭和レトロ風が主流になってしまい、あまりこういう傾向のデザインは出てこない。

もうひとつの普段使いはこれだけど、さいきんはスマホにその座を脅かされている。もうちょっとシャキッと取れてくれればなあ。。

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入り口みつかる

2016年09月22日 | セキセイインコ

それにしてもよく降る雨です。。

今日は先日案内状の来ていた、横浜のグループ展に行くはずだったのに、朝から土砂降りの雨で、とても出かけられない。

あそこは結構な坂を上っていかなければいけないのに、この雨ではとてもその気になれず。

ので、家に引きこもり、鳥さんも外にだして(部屋の中ね)遊ばせます。

アルの体重は40.5g、先週と変わらず。彼にしては頑張ったほう。ココちゃんは34gぐらいだが、途中でアルが一緒に乗ってきちゃったので正確には計測できず。先週は36.7gと、ややぽっちゃり気味だったので、これまた頑張って戻してくれた。

鳥たちは二人の世界で夢中になっているので、その間主人は鉄道模型のレイアウト(ジオラマ)を出して遊んだりしている。

・・そういや、今朝寝坊しているときに夢見たな。大きな会場にいて、どういうわけか子犬を2匹もらった。生まれてすぐくらいの、スリッパぐらいの大きさのこげ茶の子犬。仰向けになっていて、ぐにゃぐにゃという感じだった。黄色いルチノーの小鳥ももらったが、ケージもなにもなくてそのままもらったので困ったことになったと思っていた。そのあとは仕事のモードになっていて、オフィス(現実世界では知らない場所だが、自分のオフィス)からボストン?かどこかに電話して、指示をあおいだ。「リンドンズオフィスに送ってくれ」と言われる。リンドンってLBJ? 住所も知らないから、確かめようとまた電話したが、もう通じなかった。

・・あれだね、こうしてストロボ焚くと、川の水が濁った泥水みたいに見えるんだね。。ふだんは灰青色なのですが。。

このあと、ココちゃんは久しぶりに飛び立って(さいきん飛ぶのが下手になっている。ちょっと気にしている)、久しぶりにレイアウトに降り立ってしまった。

列車は運行停止。ココちゃんを救助して、いったんおうちに帰す。

おうちですみっこ暮らししているココちゃん。扉は開けておく。

アルは気になっているようだが。

・・気が付いたら、ふたり一緒にいた。

これまで、入り口付近をうろうろしながらも、どうしても中に入ろうとしなかった(そこが入り口だとわからなかった?)アルたちだが、ついに入り口を見つけたらしい。

ココちゃんに会いたいのはもちろんだが、腹が減ったという事情もあるようだ。。小松菜に足をかけながら・。。

うおっ・・。

ぬっと出た。

・・おまえは何やっとるんだ。

遊んでいる場合か!

 

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おじさん

2016年09月21日 | アニメ・コミック・ゲーム

自分のことじゃなくて・・って、いや別に呼ばれたらもちろん否定はしませんけど。。そういや、うまれてはじめておじさん、って言われたのは29のとき、ちょうど母親とマンションのモデルルームを見にいったときだったな。そこに来ていた、どこかの子供が急に話しかけてきて「おじさ~ん、みてえ、ほら、カエル!」と言ってくる。ほんとだ、カエルだねえ、と答えたら、その子はつい、とどこかに行ってしまった。なんだったのだろう、あれは。

なんとなく読んでいる本に飽きてきて、久しぶりに「ヨコハマ~」を読みかえしてみたのでした。

おじさんがアルファさんを泣かしちゃう場面ですね。。

この物語では、アルファさんは非常にセンチメンタルなのですが、おじさんや小海石先生も、それに通じるものを持っていて、それがこの物語を親密でしっとりとした印象にしているところがある。おじさんはアルファさんの気持ちが、時に痛いほどわかるんだけど、二人でいるときは人生の先輩らしく、あまりそういう面を見せないですよね。。(一人を語るにはまだ若すぎる」なんて言うエピソードもありました)。

おじさんは先生には多少弱みを見せます。若いころは子分みたいな存在だったみたいだし。何十年という付き合いなのでしょうね。その間に彼らや、彼らの周りの人たちや、世界は何を経験したことやら。

海に行くアルファさんとココネさんに車を貸して、おじさんは留守番。昔をおもいだして、なんか懐かしい感じ、と思うんだけど・。

という、この気持が、しみじみとわかる年代に、僕もなったわけですね。。

ほんとうに、時のながれるのははやいものです。

 

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人生ベストテン

2016年09月19日 | 本と雑誌

角田光代 単行本発売は2005年。僕が買ったのは講談社文庫 2008年。 

角田さんは名前だけしか知らなかったし、今も代表作が何かすら知らない。書店で平積みされているのを見て、タイトルに惹かれて買った。

想像通りというか、全体に重くて湿度が高くて、暑くも寒くもないが動くと汗かいてと、今の天気みたいな雰囲気が全編に漂っている。

先日読んだ「コンビニ人間」のように、導入部を軽いテンポで誘うようなこともなく、最初から重いのだ。読みづらいというほどではないが、読者はすこしずつ、この小説の重さに身体を慣らしながら読み進むことになる。

 

日常と非日常、という対比がテーマなのかな、と思った。

日常、それも救いがたいほど中途半端で、先行きが見えず、疲労と倦怠の中、どこかに光明を見出したいと考えている主人公たち。

彼らは、その光明を、ある時は旅に求めたり、1日だけのデートクラブに求めたりする。非日常の世界だ。あるいは、新居を買って引っ越して、心機一転を図ろうとする。

この短編集では、主人公たちの多くが、そうした日常からの脱却に失敗している。それはそうかもしれない。非日常は求めれば確かに得ることはできるが、そのことが日常を直接変えてくれるわけではない。彼らは、現実を変えたいと思いながら、それを直接解決することをせず、そもそも現実をきちんと見ようともしていないのだ。

「飛行機と水族館」の主人公はそのひとつの例だ。非日常をそのまま日常に持ち込んで、ストーカーまがいの行為に及んでしまう。

「観光旅行」の主人公は、日本人のいない全く違う世界で、自分を見つめなおそうと思っていたのに、レストランで偶然出会った日本人親子の痴話げんかにまこきこまれてしまう。

「テラスでお茶を」の安藤は、恋人とのこじれた関係、仕事上のトラブルなどを抱える日常を離れ、マンションを買って引っ越すことに希望を見出そうとする。しかし、案内された物件にはまだ人が住んでおり、彼らの日常がこびりついた部屋をいくつも見ているうちに、最初の興奮は失せ、次第に幻滅を感じはじめる。そして、案内をしてくれる若くて生真面目そうな不動産屋の佐藤に、逆恨みに近い気持ちを抱く。

日常と非日常を象徴的に表しているのが、「飛行機と水族館」の山下深雪の発言だ。

『ひとりで部屋でCDかけるでしょ。そうすると終わったときにしん、となるでしょ。私はあの感じが大嫌いなのね。』

 

なにも旅に出たり家を買ったりしなくても、日常のなかに非日常を見出すこともある。

仕事や用務などで一緒になった人が、自分となにか特別な関係であるかのように想う。そこにはなにか、今の自分とは違う、まったく別の自分がいるような気がしてくる。

この短編集ではそれが、頻繁に出てくる。「床下の日常」の岡田などは、客先の詮索をするのがが大好きで、プロ意識が足りないといつも怒られている。彼の場合は、自分の実人生自体が日常とは言えないものになっている。彼は自分の生活がまるで長い旅行のように思えている(思うだけで、どこかに行きつけるとは考えていない。その点、ここのほかの主人公たちとは異なる)。

『だって、たとえばここがイスタンブールでもかわりがないじゃないか。あるいはメルボルンでもリスボンでも台北でも、・・。そんなのもなんかいいな、と思うが、もちろん現実の僕らはどこにも行きつかない。どこにも向かおうなんてしてやしないんだから。』

内装屋見習いの岡田は、客先の不愛想な女に昼食を作ってもらい、テーブルをはさんで向き合いながら、思う。

『ふいに、目の前の女のことを何もかも知っているような錯覚を味わう。どういうことをすると彼女が怒るのか、とか、彼女が何を大事にして暮らしているのか、とか。彼女が過ごしてきた日々の細部をも、知っている気になる。嫌なのにそういえずピアノ教室に通った幼いころや、靴下を土埃に染めて走っていた、中学の部活の日々。シャツの下のどこにほくろがあって、下着の中のどの部分をどんなふうに触ると感じるのか、そんなことまで、逐一知っているような。毎晩、とめどない言葉を交わしながらこうして向き合って食事をしているような、言えと言われたら昨日交わした会話だって口にできそうだ。けれど、泣いている彼女を何と言ってなぐさめたらいいのか、それだけが思い当たらない。』

「テラスでお茶を」の安藤も、物件を案内してくれる佐藤に反感を覚えながらも、いつしか自分は彼と恋人同士であり、 一緒に暮らす家を探している、という錯覚に何度も襲われる。

それはもちろん他愛のない遊びのようなものだ。道路の白線を、谷川に渡された丸木になぞらえて落ちないように歩く、ようなものかもしれない。

だが、もしかしたら、現実の恋人や夫婦との会話などよりも、よりいっそう、自分の感覚の求める恋人や夫婦の会話に、純粋に近いのではないか、と思えたりもする。

「人生ベストテン」の仁川は、(偽)岸田に語り掛ける。

『例えばの話、隣に座った二歳年上の男性社員が、何気なくコーヒー入れてくれたりさ、私の落としたものをさっと拾ってくれたりするとね、ああ、なんか中学生のときみたい、って思うんだよね。中学生のときって、そんなことで人を好きになったりしたじゃない。
(中略)だからみんな、あんなふうに中年っていうぬいぐるみをかぶったみたいに見えるんだと思うのね。私は何もやっていないということを自覚していきたい。結婚したら、そういうことがわかんなくなるのがこわい。』

その瞬間、瞬間のひととのつながりこそが真実であり、たぶん、それが生活という根を持った瞬間に、様々なことがそこにぶら下がってきて、いろいろなことが見えなくなるという。。

ここの主人公たちは、そこで出会ったその場限りの相手を通じて、なにかを、整理しきれぬほどに絡み合った日常からは見えなくなったなにかを見ようとする。 

安藤は佐藤の生真面目さや、紋切り型の会話に時に苛立ちながらも、そんな彼との会話から自分自身が投影されているのを見つける。

『佐藤紀幸の模範的回答は私に気づかせる。私がたったいま語ったことなど全て嘘だということを。現実の佐藤則之が献身的聖人ではないのと同じように、私もまた、しゃかり気にがんばる敵の多いキャリア女ではなく、ただ流されるように日々をやり過ごしてきた怠慢な人間に過ぎない』

 

最初に、主人公たちの多くが、非日常に救いを求めようとして失敗している、と書いた。しかし、彼らはいずれも、最後にはそこから何かをつかみ、新たな一歩を踏み出そうとする。ストーカーまがいの行動をとって、あれは警察沙汰になったのかな、森本も、さいごには自分を取り戻したようだ。「観光旅行」の主人公も、ハシヅメ君に連絡する気になり、嫌だと思っていた親子と顔を見合わせて笑う。

彼らに幸多かれ、と祈りたくなるが、おそらく作者の同様の思いで筆をおいたのだろう。。

 

すいません、感想文にしては長ったらしかったですね。つい。。

外は台風の影響で雨。

音楽は、最初が松任谷由実、つぎがジャニス・イアンで、今はS&G。さいきんS&Gよく聞くな。

そういえば、松任谷由実の最後の曲はSeptember Blue Moonだったね。今の季節の曲だな。

 

 

 

 

 

 

 

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ジャック&サリーねこ病院

2016年09月18日 | まち歩き

相変わらずゴジラ関連の記事になってしまうが、今回は聖地巡礼ということで、蒲田駅付近を歩いてみました。

その前に、前回引用した日経ビジネスの記事ですが、こちらのサイトの作者の方が、これはいわゆるパクリではないか、と問題提起されています。

このブロマガさんの記事は、僕が最初に映画を見たあと、ウェブで検索したときに最初に参照した記事でした。ので、日経ビジネスの記事を読んだとき、なんとなく似ているなあ、と思ってはいたのですが、きっとこのブロマガさんの説がが定説となりつつあるのだろう、と理解していました。そうですか。ふむふむ。。

ただ、ブロマガさんの記事には西新橋から東京駅に達するまでの記述がなく、松本氏の記事と僕が漠然と考えていた見解が一致したことで、我が意を得たり、みたいに思っていたのですが。まさか頭の中をのぞかれたかな?

いずれにしてもこういうのは単なる遊びですし(それもその付近の地理に明るくないと面白くない)、正解というのはありませんから。考察をしていくうちに、製作者の思考過程が分かってきて改めて感心する、という楽しみ方なわけで。。

 

閑話休題。

土曜日は習い事に行くつもりだったのですが、あろうことか「菜食」の記事を朝書いているうちについ遅くなってしまい、出かけはしたもののこんな時間に登校するなんて先生に失礼だ、と思い直して、その足で蒲田に行ってしまったのでした。何やってんだか。

JR蒲田駅前から出発します。

JR蒲田はずっと昔、東急線側にあった会計の学校に、カリキュラムの関係で数回通ったことがありましたが、こちら側に降りたことはなかったな。

この日は警察のパレードをやっていました(実は帰りがけに撮ったので、時間的には前後していますが)。

この付近でロケが行われたようです。

まっすぐ歩くと、商店街を経て京急蒲田駅に着きます。この駅は数回利用したことがあり、直近では5月に来ています。ので、もう知っていますが、改装工事で昔とはすっかり面目を一新していますね。

ここに大田区の観光案内所があります。

地元でロケが行われたので、やはり商店街としても応援したくなるところでしょう。

ここを訪ねたのは、これが見たかったから。

ウェブなどでよく紹介されている、職員の方が作成されたという「未知の巨大生物の移動ルート」。

配布はしていないが、写真撮影はOK、というのは記事で読みましたが、ここにきてその意味が分かりました。コピーを配ってはいないけど、スマホなどで撮影して各自利用してくださいという意図のようでした。

あやめ橋付近から上陸し、JR蒲田駅近くの交差点を右折したとあります。

最初に掲げたブロマガさんや、日経の記事では、あやめ橋からすぐに右折し、東邦医大方面に向かったという説をとっています。

駅前の道は狭いのですが、こちらは2車線にしては歩道もあってかなり幅の広い通りです。

少し品川方面に歩いてみたのですが、環七に出るまでもかなり距離があり、きりがないので途中まで歩いて引き返しました。

一応今回の目的地を、「ねこ病院」としました。

京急が呑川を超えるところ。ゴジラに破壊された後、突貫工事で修復して、今は周辺を仕上げているようです(違うってば)。

呑川は幅25~30mくらいでしょうか。僕は内陸育ちなので、ボートが留めてあるのが物珍しい。

産業道路を超えると、お目当ての建物が見えてきます。

映画とはアスペクト比が違いますが、ここからゴジラが遡上してくるシーンがありました。

パンフレットより。ゴジラ(第二形態。通称蒲田君)がボートを蹴散らし、橋を壊しながら遡上しています。

これは怖い。本当にこんなシーンに出会ったら、腰が抜けそうですね。

この看板が印象的です。スクリーンでも目立つので、本当にねこ専門の病院があるのかと思ったりしました。

実際にはここはクリーニング屋さんです。

これもネット上では有名ですが、ジャックとサリーは庵野監督のペットの名前らしいです。

ちなみに、建物手前の駐車スペースに留めてあるワゴン車や軽自動車は、映画でもほぼそのままの配置で映っています。右手前の銀色の車もそうですね。

非常に細かいことですが、映画では右手前の電柱に看板があり、「(株)神田鉄工所 →この先」とあるのですが、現実にはありません。ロケより後で撤去されたのか、それとも初めからなくて、映像を加工してそうしたのか。おそらく後者ではないかと思いますが、だとするとずいぶん芸が細かいですね。。

9/19追記:鉄工所自体は近くに実在するようです。ので、看板は撮影時にはあって、のちに外されたか、または見逃したのかもしれません。。

 

蒲田付近、同じように聖地巡礼をしている人たちがたくさんいるのかな、と思っていましたが、駅前にはいなかった(観光案内所には同好の方が何組かいました)。でもここでは、若い夫婦らしき人たちが、やはり看板に向かってスマホを向けていました。。

この後環八方面まで歩いて、京急線で戻りました。この日はかなり暑くて、ちょっとくたびれてしまい、予定していた北品川付近の探索は中止して帰りました。。

というわけでした。

 

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菜食

2016年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム

春ごろ、知人つてだと思うが、SNSにつながり申請をかけてきた人がいた。面識はないが、おそらく鳥好き、動物好きつながりらしく、挨拶メッセージもくれたので、承認した。

菜食主義者らしい。どうやら、動物を殺したくない、という気持ちがあるようで、虐待反対みたいなTLをよく載せていた。大豆やらなにやらで、ミートソース系の料理を作ってみたりと、興味深い記事もあった。自分はヴィーガンではないという書き込みもあったが、そういうことに詳しくないので、区別はわからない。

身近に菜食主義者のひとはいないので、結構新しい知識が得られる気がして、面白かった。

ただ、菜食の人は穏やかで攻撃的ではない、というのは僕の先入観だった、ということもだんだんわかってきた。

この人、自分の意見と合わない人はコメントでかなりどたばたとやりあう癖があった。興味深かったのは、肉料理がテーブルいっぱいに広がった写真を掲げたTLをシェアして、その人をこき下ろしていたことだ。どうやら肉料理の写真は、この人の琴線に触れるらしい。

別に気にしなくてもいいとは思うのだが、このことが気になって、親しい友人が「今日は肉三昧」なんてTLを載せていても、「いいね!」を押すのをためらったりしていた。

大手ハンバーガーチェーンを貶したり、毛皮や、化粧品の動物実験など、いろいろ攻撃をしていたが、まあこの辺はわかる。ただ、そのうち奇妙な経済評論とか、政治批判(世界はなんとかの陰謀でみたいな)というTLがやたら載るようになり、流石についていけなくなった。夏以後はお知らせオフにして、時折料理関係のTLに反応する程度にしておいた。

事情は不明だが、先日、向こうからフォローを外したらしい。勝手に来て勝手に去っていった。なんだこいつ、という気もするが、正直楽しんでたところもあるので、良しとするか。。

職場の同僚も、肉が嫌いで食べられないが、彼女の場合は主義とかではなく、体質的、嗜好的なものだ。むかし、インド系の人が職場にいたこともあったが、あの人たちも肉、食べなかったな。これは嗜好ではないが、宗教的なものだ。まあ、習慣的なものといってもいいかもしれない。

逆に肉が好きというか、炭水化物も野菜も嫌いで、主に肉ばかり食べる、という人も身近にいる。この人のばあい、先の人と似ていて、自己主張系だ。炭水化物ダイエットみたいなのも一時期もてはやされたが、そういう思想信条?の人たちも、ある程度いるのだろう(香港の人たちは皆肉ばかり食べて野菜は高いから食べないが、皆元気で長寿なのだそう)。

印象としては菜食主義者と肉食主義者はよく似ている。左翼と右翼みたいだというと、語弊があるかもしれないけど。。

村上春樹氏は、普段は魚や煮物などを食べているが、時折体が肉を欲するときがあって、そういう時は我慢しないでステーキを思い切り食べる、と書かれていた。まあからだに聞いてみろと。たぶんそれが一番いいんだろうけど、世の中グルメ情報があふれかえっていて、非常に難しいことになっていますからね。

 

 

 

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キヤノンEOS M5

2016年09月15日 | カメラ、写真

キヤノンのミラーレス、EOS Mシリーズは2012年の発売、そのころここでもちょこっと記事を書いている。

ミラーレスはすでに大手メーカーのほとんどから何らかの形で発売され、キヤノンはかなり遅いスタートだった。実際に使ったことがないから、ネット上の話しか知らないが、初期の頃ははあまりマニアたちの期待に応えられなかったようで、厳しい意見を時折耳にした。一時期はちょっと出してひっこめるのかな、と思っていたが、昨年発売のM3あたりはかなり改善されたらしく、安定した人気を保っているようだ。

今回発表になったのは、一眼レフ風の外観を持つモデルだ。

最近はこういう記事、ぜんぜん書かなくなったね。。もとより僕が何を書いても、人の参考になるようなことは書けないのだが、昔はニュースを見ると飛びついて記事を眺めて、何らかの感想を書いたりしていたけど。。

で、この新機種、けっこうかっちょよい・。どちらかというとクラシカルで90年代風ではあるが、よくまとまっている。ガンメタ風の塗装も悪くない。

これがDSLRになると、いろいろと収めているうちに丸々としたデザインになってしまうんでしょうね。。

キヤノンのミラーレスは、最初はさんざんだったのに、結局生き残ったね。なんとなくトヨタ自動車のような執念を感じます。。

ミラーレスはニコンのほうが早くて、当初は結構話題を呼んでいたし、製品展開も派手だったが、どうやら終息の方向らしい。。ちょっと早い気もしますが、深追いは避けたのかもしれない。

うちは既にQとMFTがあるからミラーレスはおなかいっぱい。むしろDSLRの適当なやつがほしいと思っている。入門用の軽いやつは、いま買わないとさきがないかもしれないし。。

 

おまけ

いま窓から撮った月。Lumix G3 45-200mm F4.0-5.6  トリミング G3はさいきんいつも、机のうえに置きっぱなしになっている。普段はこれで十分になんでも撮れるので、新しいカメラに興味がわかない。。 

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けいろ

2016年09月14日 | 日記・エッセイ・コラム

「・・」

相手の反応がないのを見てはっとした。「しまった、またしゃべっちゃった」 

会社の子にゴジラの話をするのははた迷惑だから、やめようと思っていたはずなのに。。

 

最初に映画のことを書いたとき、疑問として掲げた都心でのゴジラの移動経路、ようやくその点に触れた記事が出ました。

1回目の上陸については比較的詳細に描写されているので、ほかの方の記事でも同様に追跡されている方がいますが、2回目は移動経路が長く、カメラも部分的にしか追っていないので、わかりにくいのです。

こういうのは現場の地理に詳しいかどうかで、楽しめるかどうかが変わってきます。僕も由比ガ浜あたりはともかく、横浜近辺の地理には詳しくないので、あまりピンと来ないのですが。。

武蔵小杉で自衛隊を撃破したのち、ゴジラはおおむね東横線沿いに北上し、代官山の北から渋谷の南を経て、広尾方面に抜けたようです。渋谷には以前お世話になった会計士事務所がありますが、ひょっとしたら被災されたかもしれません。。

首都高3号線よりはやや南側を東進しているらしいのですが、ひとつ気が付いたことを。おそらく、広尾、麻布付近の各国大使館のあるあたりを、上手に避けて通ろうとすると、こういうルートになるのかな、と。國學院大學とか、日赤病院とかのあたりですね。中国大使館も被害はなさそう。飯倉のロシア大使館よりはやや北方を歩いているみたいです。オランダ大使館も大丈夫。そして神谷町の駅前の交差点に達する。愛宕の山を左手に見て、西新橋に至り、そこで米軍の攻撃を受けます。やはり大使館踏んじゃうと、いろいろ差しさわりがあるのかも。

記事にあるように、ここでいわゆる内閣総辞職ビームを発し、霞が関、浜松町、新橋、銀座の街に被害をもたらします。この付近は住宅や小規模のビルも多く、住民の避難は困難を極めたものと思われます。御成門から神谷町、虎ノ門、新橋あたりまではもう火の海でしょうな、これは。

お気づきの方も多いと思いますが、渋谷から愛宕に至るまでのこのルート、地形的にはかなり起伏に富んでいますよね。。東京の地形はなんとなくフラットなように思えますが、実際にはかなり山あり谷ありです。渋谷は文字通り谷間だし、麻布の税務署あたりもかなり低い。愛宕山は最初の放送局ができたことでわかるように、結構な丘です。そんなところをゴジラが歩いたというのは、なにか目標でもあったのかな。

この先東京駅までが謎なのは、具体的な描写がなかったからです。次のシーンが東京八重洲口付近になっていたはず。パンフレットや、映像の記憶をたどる限り、グラントウキョウサウスタワー、向かいのヤンマーのビルなどは健在の模様。また、八重洲通りはタンクローリーなどが利用できていました。他方、ベルサールとかのあるほうが大きく破壊されているように見えます。ので、銀座から京橋を抜けて、日本橋のコレドの交差点あたりから左折、鉄鋼ビルあたりをさらに左折して(なんでそんな行動をとるのか謎ですが)、駅正面に出たのかな、と思っていました。

記事でもそれを裏付ける推定をしていました。推論の根拠としてはやはり、八重洲口南方の被災状況、新幹線爆弾が東海道方面からだった(東北、上越方面は破壊がひどくて使えなかった)点を掲げています。

SNSで「うちのマンションが壊されてる」という書き込みも実際見ましたが、移動経路一つとってもいろいろ検討を重ねたのでしょうね。。

急に涼しくなった。やや体が重い。

気分的にも、なにか違うところに急に放り込まれたような感じがする。

いろいろと感じたり、考えたりすることも多くなった。

まあ、季節的なことも影響しているのだろう。

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鳥獣戯画ふたたび

2016年09月12日 | 通販・買い物

週末がおわり、現実の世界にもどる。週末だって現実世界だし、まあいろいろ感じたりしながらその場を過ごしているのだが・・。

9月は気持ちが振れやすい。まあ、いつでもそうっちゃそうだけど。

久しく見かけなかった鳥獣戯画のガシャポン、先日特急の到着を待つため、地下街をうろついていたら偶然見つけた。

前回とは多少キャラクターが変わっているようだ。

相撲をとりながら雄叫びをあげるカエルがほしいのだが、出てきたのはコップのふちこさん風ウサギだった。

写真を撮るとき、手元にコップがなかったので、レンズにつかまってもらった。

 

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小松菜

2016年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム

土曜日は所用(私用)で日帰り出張(というのだろうか)、日曜は別の打ち合わせ、のち家の用事と動き回る。

流石に用務や打ち合わせの前は予習したり、気持ちを整えたりしているのだが、終わって少し時間ができると、スマホを開いてシンゴジ関連の記事を漁り始める。。これがまた膨大な情報量で・・。制御不能の廃人になりそうで怖い。。それに、人と会ったり、用務に取り掛かるときには、現世に戻れるように周波数を調整しなければならないし、現世に戻ってからも、なにかおかしなことを言い出さないか不安になる(突然「第二形態が・・」「巨災対の・・」とか、無意識に言ってないだろうか??)。。

 

さて、話は全く飛ぶ。

小松菜はうちのインコたちの大好物のひとつだ。

豆苗はもっと好きらしいが、豆苗はあまりたくさんあげると、発情を促すので調整してください、とお医者さんに言われている。

ので、日々のごはんは基本小松菜、豆苗はあげたりあげなかったり、小松菜のないときはチンゲン菜をあげている。以前はミニチンゲン菜というのが売られていたが、最近は入手できないようだ。

写真はこれからあげるときのものではなく、朝取り換えるためにケージから取り出してきた状態。この日はなぜか、あまり手を付けていない。豆苗は食べたらしい。。

日によっては完全にバラバラになっているときもある。全部食べたわけではなく、たぶんおもちゃ代わりにかじっては落として遊んでいるのだ。

食性は時折変わるようだ。最近の傾向として、ココちゃんはペレットがお気に入りになったらしい。以前はほとんど手を付けていなかった。ペレット(ハリソン)は、以前はスーパーファインという、一番目の細かいものをあげていたが、前回補充するとき入手できず、やむを得ず一段目の粗いもの(ファイン)にした。そしたら、こっちのほうがインコたちにはいいらしくて、よく食べるようになった。

アル君はカルシウムボレーにほとんど興味を示さず、いつも残していたが、ここ2日ほどは完食している。栄養補助のためのものなので、様子を見て適量をあげないとな。

カメラを気にして、お食事の邪魔をしてしまうので、これ以上近づかないように。。

今日は打ち合わせのあとで、こちらにいってペレットを入手。

友人と話していて話題いなった、子供のころからある古~い商業ビル。

というような週末でした。。

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シン・ゴジラ再び

2016年09月09日 | 映画

金曜日、多少積み残しが出ているのですが、今片づけなければならない仕事を終えると、映画館へ。

生まれて初めて、同じ映画を2度見ます。

 

今週は毎日、ゴジラがどうした、蒲田くんがどうのとかいう話ばかりして、うなづいている会社の子から冷ややかな視線を浴びたりしていまいた。本屋でムック本を探したり、おもちゃ売り場でフィギュアを探したりしましたが、いずれもピンとくるものがなく、いささか消化不良。。

ムック本にピンと来なかったのは、どうやら自分が特撮とか、そういうものに感応したわけではないらしい、ということが、自分でもだんだんとわかってくる。

ネットで感想とかを探しては読んでいましたが、特に面白かったのは日経ビジネスで「シンゴジラ、私はこう読む」という、特集。各界の専門家や評論家の人たちが、様々な角度からこの映画を論評しています。ゴジラ出現に際して防衛出動はできないだろうと言って、自らのブログを炎上させた石破茂元防衛庁長官、東日本震災の時に内閣官房長官として、未曽有の災害対応を指揮した枝野幸男議員などのインタビューは圧巻です。

こちら(’16年9月4日の発言。時間がたつとリンク切れすると思います)では、「怪獣オタのみならず、SF、軍事、政治オタすべてが打ち震える傑作」という、知人の方のコメントが掲げられ、これは3/11に対する日本文化の一つの答えだろう、映画が描くのはゴジラではなく日本政府なのだ、とされています。

たしかに、川を遡上するゴジラとか、日ごろ見慣れた街がゴジラに壊されて惨憺たる様子になるところ、それが遠くから俯瞰したアングルで描かれるところなど、我々があのときに(多くの人はテレビなどで。実体験された方ももちろん多くいらっしゃるとは思いますが)体験した恐怖を見事に再現している。日本政府も、錯綜する情報に即応できず、初期には事態の進行を見通せない。

ただ、映画では日本人は最後には結束し、踏ん張りを示します。

 

会議ばかり開いている映画なのに、退屈するどころかどんどん引き込まれるのは、この、人物描写が見事だからでしょうね。。

ある種の「お仕事ドラマ」で、自分が入り込みやすいんです。イケメン男子が活躍しても、ぜんぜん他人事ですが、ここではおじさんがかっこいい。こういう映画は近頃あまり見かけない。

(以下はかなりのネタバレとなる内容が含まれます)。

 

印象に残った台詞(記憶を頼りに書いているので、違っているかもしれません);

 首相「いま、ここで決めるのか?聞いていないぞ!」

 当初、事態を把握しきれていなかった首相は、かなり戸惑いを示します。相応のリーダーシップはとっているのもの、冴えない印象です。しかし、状況が進展するにつれ肝が据わってきて、表情にも決然とした様子が見られるようになる。

 自衛隊による最初の攻撃のとき、避難終了していたはずの地域に人影が見える。報告を受けた首相;

「攻撃を中止する。国民に銃を向けるわけにはいかない」

見事な臨機の判断だと思います。。

 次の攻撃の時には、もうかなりしっかりと指揮を執っている。ここでの花森防衛大臣もかなりかっこいいですが、傍らにいる財前統合幕僚長の、冷静で物腰柔らかな補佐ぶりがとても印象的。

 財前幕僚長は後半、ヤシオリ作戦の説明を受け礼を言う矢口対策部長にも「礼はいりません。仕事ですから」と穏やかに答える。すごく、しびれます。。

 自衛隊がらみで言うと、タバ作戦が中止になった後の指揮所で、「攻撃ばかりが華じゃない。国民を守るのが究極の使命だ」というセリフがあったり、危険な任務は入隊の時から覚悟している、という趣旨の会話など、あの辺は現場の人たちの心情を拾って再現したのかな、と思ったりしました。。

9/11追記こちらで同じ台詞を取り上げておられらます。「気落ちは不要、国民を守るのが我々の仕事だ。攻撃だけが華じゃない。住民の避難を急がせろ」というのが正確なようです。

 泉政調副会長が、「立身出世は男子の本懐だ」「政治家にとって大事なのは知恵と強運だ(だったかな?)」これが怪獣映画のセリフとは・・。

泉副会長は非常に魅力的なキャラクターですね。モデルがいるという話もありましたが。

 赤坂補佐官の冷静な大人ぶりもよかったですが、里見祐介臨時首相代理が、無理押しする米国に対し「こんなことで歴史に名を残したくなかったなあ」という台詞。なんでもない言葉ですが、心にしみますね。。

小学生のお子さんにはちょっと難しいかもしれませんが、中高生たちが見ても楽しめるというか、むしろ積極的に見てほしいと思います。たぶん、相当に感じるところが出てくると思う。もちろん、大人たちにも、最後には希望を与えてくれるんじゃないかと思う。

 

ちなみに、蒲田くんはネットで見ていると、ファンによってどんどんかわいくされて、手のリサイズになったりしている。これならいいんですけど・・映画で見ると、やっぱり怖い。

追記:そういえば、エンディングも近くなったころ、地震がおきたんだった。なんとなく体が揺れる感じがしたので、「!!」と思ったが、すぐに収まった。まさか、外に出てみたら。。。どど~~ん。。

映画鑑賞中に地震に遭うのも、うまれて初めてでした。

 

 

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ハヤシの日

2016年09月08日 | 食・レシピ

きょうはハヤシの日なのだそうです。

なんで9月8日?違和感がありますよね。語呂合わせなら8月4日とかでしょうに・・。

と思ったら、丸善の説明によると、この日は丸善の創業者にしてハヤシライスの考案者である早矢仕有的の誕生日なのだそう。

丸善のメールマガジンで偶々それを知ったので、たまには良いだろうと思って昼休みにオアゾへ。

オアゾまでちょっと距離があります。復興なった東京駅前の広場では、ゴジラの撤去跡の修復工事がたけなわです(違)。

4階にある喫茶店。たまに利用しますが、お昼にここに来ることはめったにない。

案外すいていました。

ご飯もハヤシも、それなりにおいしくて上品な感じですが、くりかえし食べたくなるほど、強い印象はないな。。この店はこれが売りだから、たしかにこの5年ほどで数回は食べているけど。

単体で880円ですが、コーヒーも頼んだので+400円です。まあ安くはないですね。。

コーヒーはおいしかったし、窓越しの展望も素敵で(色とりどりの新幹線が見えます)、気持ちの良いお店でした。

 

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