うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

おだてに

2015年06月29日 | セキセイインコ

きのう、かじり方が良くなったねと、ほめてあげて新品に取り替えたのに・・。

君たち、これはなんなんだ!

ココちゃんなんか、止まり木にとまれなくなって、ご飯のお皿の上に乗っている。

上が前回の止まり木。もっと長いのだが、右の方はかじってなくなっている。

下は昨日取り替えたやつ。真ん中からかじりきってしまった。何がしたかったの・・。

昨日も書いたが、この止まり木は木材を蒸し焼きみたいにしたもので、かじっても衛生的なのだそうだが、鳥たちにもかじり心地がいいのかも知れない。

考えてみると、これって木炭を作るときの製法かもね。ちょっといい香りがする。

かじってもらうために、木で作ったおもちゃも入れておいたのだが、ほとんど使っていないので昨日はずしてしまった。

また新品に取り替えた。1日でダメになるとは思わなかったので、もう在庫がない。今度だめにしたら、天然木の買い置きにするぞ。

曰く とりもおだてりゃ 木をかじる

 

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がくしゅう

2015年06月28日 | セキセイインコ

ケージを掃除したついでに、止まり木を取り替えた。

前回はアル君が中心となって枝の根元をかじりつづけ、ふたりでとまっていると枝がどんどん傾いてくるという、やばい状態になってしまった。

上記の状態の時はまだ大丈夫だったが、翌日、更に細く削られ、僕がケージ近くで掃除をしているときにとうとう・・。

はっと気がついたら、ふたりとも上を下へのおおさわぎをしていた。

良くここまでかじったものだ。この枝は、通常の木材を煮沸消毒したものだそうで、かじっても衛生的なように配慮されたもの。

今月上旬に新しい枝に取り替えたが、彼らも少し懲りたらしい。

前回は特にアルが熱心にかじっていた。

今回はココちゃんもかじるようになった。それでも全体のペースは以前ほど早くはない。

そして、かじり方もこのように、先細となるように改良されている。

だいぶ勉強したようだ・・。

日々、進歩していますね。

 

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たいむましん

2015年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム

車とスマホをBluetoothでペアリングし直した。1月に基板交換して以来、直していなかった。

土曜の午後は面白いラジオがない。スマホに保存した音楽を聴く。

僕が車に乗るとときどきデジャヴュにおそわれるのにはわけがある。20年以上前に、熱心に乗っていた頃があったが、その後またハンドルを握るまでかなり長いブランクがあるからだ。

6月の生暖かく湿った空気のなか、渋滞待ちをしながら、昔よくカセットで聴いていた音楽をかけると、すとんと昔に戻ってしまう。

バック・トゥ・ザ・フューチャーじゃないけど、まるで車がタイム・マシーンのよう・・。

おのれの姿をみてしまうと、たちまち今に戻ってしまうのでそれはNG。

目が覚めて、今こうして自分がここにいることを、あらためて考えてしまうと逃げ場がなくなる。

うまく自分をすり抜けさせる運転テクニックがひつよう。

この時期、雨が多くて気が滅入りがちだが、季節のものはわりと豊富だし、気温も比較的過ごしやすい。

リズミカルに時折晴れてくれれば、あんがい一年の中でも比較的過ごしやすい季節なのかも知れない。

春から夏にかけては、わりとドラマチックな夕焼けにはなりにくいものだが、今日の夕焼けはちょっとしたものだった。

なんとなく松任谷由実の曲が浮かんでくる・・

最後の春に見た夕陽はうろこ雲照らしながら
ボンネットに消えてった

ちょっとくるまがちがよな。

物語はもうすぐ終わり、だけど、まだすべてがまるく収まったわけではない、びみょうな時間帯。

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電子ガジェットやらアプリやら

2015年06月26日 | デジタル・インターネット

電子もの、サービスやらアプリやらにははやり、すたりがある。世間的な流行もあるが、個人的に使わなくなってしまうものもある。

僕の場合、たとえばgoogle driveなどは以前はよく使っていたが、最近はぜんぜんアクセスしなくなってしまった。同様のサービスがMicrosoftにもあるが(one drive)、ちょっと使っただけでこれも休眠している。

googleは整理してまた使おうかとは思っているけど・・。以前は仕事を持ち帰るのに、ドライブに入れて携帯や自宅で見直したりしていたが、オフィスで規則上禁止になったので、(おおっぴらには)使えなくなった。しごと以外でエクセルやワードファイルを使うことは限られているので、自然ドライブを使う機会も減っている。

googleは無料コースで15G容量があるらしいが、書類関係には十分とはいえ、これだけでパソコンのHDデータを丸ごとバックアップできるわけでもない。他のサービスも似たり寄ったりだ。ocnにもマイポケットというサービスがあったが、あろうことかいつの間にかサービスがなくなってしまった(告知はあったと思う)。使っていなかったのだけど。

写真のオンラインストレージ、古くはNikonのサービスをよく使っていた。いまはデジカメを買うと、どこのメーカーでもパンフとかにその会社のオンラインフォトストレージが紹介されている。一応僕もオリンパス、キヤノン、リコーペンタックスのサービスを使っている、というか、使っていた。一定期間アクセスがないと消されてしまうところが多い。リコーペンタックスはいちばん最近まで使っていたが、これに引っかかって画像が消えてしまった。

今は、Flikrを使っている。無料で容量が1Tと大容量なのが決め手だ。

うちのハードドライブに入っている画像をバックアップしていくつもり。古いものから順次アップしている。フォルダごとドラッグしても受け付けてくれないので(うちは日ごとにサブフォルダを作って保存している)、いちいちフォルダを開いてアップ写真を指定しないといけないこと、その際に毎回プライバシー設定をしないといけない(デフォルトでは全体に公開される設定)のが難点。

スケジュールはジョルテを、それなりに使っているが、プライベート用。仕事では未だにシステム手帳を持ち歩いている。

ノートブック代わりというか、Evernoteは利用価値が高い。よくやるのがウェブのクリップ。テキストノートも結構使う。出先で、思いついたこと(このブログの文章とか)をメモしておく、などの用途に便利だ。

あれは何というのかな、Flipboardなど、いろいろな情報をミックスしたやつも、以前はおもしろがって使っていたが、タブレットやスマホが古くなり、重くて困ったのでアンインストールしてしまった。雑多なニュースはFacebookでハフポストなどをフォローしておけばこれに準じて使える。すこししつこく感じられるけど・・。

新聞アプリ、日経電子版はさきごろリニューアルした。

以前よりは改善されている、のだが、朝夕刊の自動取得は相変わらず不安定だ。これは使っているハードにも原因があるのだろうか?出先でスマホから開くと、最初に「記事取得中」になって先に進めなくなる。これが長い。電車に乗っていると優に一駅分近く、取得しているときがある。いいかげんしびれをきらして、スマホでは使わなくなってしまった。

タブレットの方はwi-fi仕様だが、以前よりは朝刊がちゃんと入っていることが多いので、朝はこちらを使う。画像や図は入っていなくて、ページが真っ白な部分が広いが、読めないよりはましだ。タブレットは自宅wi-fiと、オフィスwi-fiに接続するが、なぜかオフィスにいる間に夕刊は取得してくれないみたいだ。オフィスにいる間にアプリを開けば、「記事取得中」となって取り込み始める。

新聞アプリは不満が多い。個人的に一番大事なのは、朝夕刊の自動取得だが、これは何とかならないのか。出先で通信できるなら、ウェブサイトの方が確実なようだ。

 

 

 

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つゆばれ

2015年06月25日 | まち歩き

週間予報では、明日から週末にかけて雨だと言っている。

ので、少し歩くことにした。

昼休みには多くの人を見かけるが、今は静かだ。

鳥たちは賑やかだが、木の枝から降りてくることはしない。

それほどドラマチックな夕焼けが見られるわけではない。

ここのレストラン、いつかは行ってみようと思うのだけど。

こちらの方まで来ると、走っている人が大勢。ちょっと邪魔。

そういうわけでした。

 

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ゆうぐも

2015年06月24日 | 日記・エッセイ・コラム

日が長いのは個人的にはうれしいのだけど、先日今の時期が1年で一番嫌い、と書かれているブログを見た。遅くまで仕事をして、ようやく眠りにつこうとすると、しらじらと夜が明けてしまい、損したような気持ちになると。なるほど。

むかし、こういう雨のない梅雨時が続いた頃のことを思い出した。10数年前の事だ。あの頃はしかし、豪雨はなかったな。

その頃、なぜかドビュッシーばかり聴いていたことを思い出して、CDを出してみた。

今週はなぜか眠くて(いつもそうだろ、と言われそうだが)、外が明るくても暗くても横になれば寝てしまう。

 

 

今日は、ちょっと袋小路なので、腹をくくって早帰り。

帰りの電車で、ドアに鞄を挟まれた女の子を助けた。

ドアが開くときに、戸袋に巻き込まれてしまったのだ。もう一人の男性が、開ききらずになおも開こうとするドアを支え、僕が鞄をつかんで引っ張った。

ばたん、と言う音がして、鞄が抜けた。尻餅をつきそうな勢いだった。

女の子にも御礼を言われたが、助けたもう一人の男性が去り際に僕の方をみて「ナイスですね」と笑顔で言ったのが印象的だった。

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だんす with

2015年06月22日 | 記憶の断片

中学、高校が男子校だったので、大学に入って同じ世代の女の子たちと一緒になったときは結構戸惑った。

 多感な時期に男女別学で過ごすというのは、それなりに人格に影響を及ぼすようだ。男子校って、気楽で楽しいのだが、なんだか子供感覚がずっと抜けないというか、がきんちょの延長でずっと過ごせてしまう、というところがある。そのまま大学に行くと、なんだか自分がひどく子供のような気持ちになって、内心萎縮してしまったりする。

 そうしたのんびり育ったという経験は、大人になってもどこかにその片鱗を残すようだ。社会人になってから出会った人でも、この人男子校出身かな、と思って聞いてみると、けっこうあたってたりして。前一緒に仕事していたた会社の子も、聞けば女子校出身で、なるほどね、と思ったりした。

 ふと思い出すのは、大学に入ったばかりの頃、合宿か何かで、夜みんなでフォークダンスを踊ったことがあった。ちゃんとしたものではなく、もしかしたら偶然誰かが思いついて口三味線か何かでやったのかも知れない。オクラホマミキサとか、マイム・マイムみたいなやつ。小学生の頃以来だから、どうやったのか全然覚えいてないが、すごく照れくさいのととてもわくわくして楽しいのがごちゃ混ぜになりながら、夢中で踊ったのを覚えている。

 昔の社会は、若い男女にそういう機会を与えることで、ソフィスティケートされた社交を身につけさせたのだろうね・・。ダウントン・アビーでも何度か、使用人も参加する舞踏会や、休憩中のダンス練習なんていうシーンがあったな。シーズン3の最後で、アンナが見事なリールを披露するシーンなど、とても素敵だった。

 今、ショパンのマズルカがかかっているけど、これももともと舞曲だ。マズルカやワルツ、スケルツォ、カドリール・・。踊るというのは、人々の心の自然の発露なんだろうな・。

 いにしえの世界の、人々の洗練された社交のことを思うと、現代の我々は果たしてどれだけ幸せなのかな、と思うこともある。自由になった分、辛く思えたり、粗野なやりとりをしなければならなかったりして、心をすり減らしながら、人生とはこんなものだろう、と思ったりしているのかも知れない。

アルも時々踊っている。止まり木の上を、ステップ踏みながら左右に体を揺らしていることがある。

 

 

 

 

 

 

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考える生き方

2015年06月21日 | 本と雑誌

Finalvent著 ダイヤモンド社。 買ったのはAmazonの電子書籍。

Finalvent氏はブロガーとして有名な方で、「極東ブログ」は1日30万PVに達しているらしい。職業はIT関係で自営されているらしいが、僕はそういう方面のことはつ詳しくないので、具体的にどういう業務なのかはわからない。ブログの内容はそうしたIT関係のことではなく、世相全般の評論や、近年では外国語習得の話などが目立つ。

「考える生き方」は、そんなFinalvent氏の「自分語り」を本にしたものだ。日経新聞の「私の履歴書」みたいなものだ。氏に言わせると社会的に功績を挙げた人や著名な人の生涯を語る本は多いが、自分のような「失敗した」人生を語る本があっても良いのではないか、と思って書いた、という趣旨のことを冒頭に書いておられる。

事前に読んだ世評では、このひと、失敗したと自分でいってる割には、結構充実した人生なんじゃない?という言い方が目立った。

難しいものだが、確かに少してらった書き方をしすぎたと受け取られても仕方ない気もする。結構プライドの高い方のようで、ブログを読んでも確かに文章の切れ味は非常に鋭いのだが、氏が若い頃自分に期待したような人生は送れなかったということなのだろう。

だが、成功したとか、しなかったというのはある程度は主観の問題だ。なんとなく1Q84の天吾の父が思い出されてしまうが、彼は満州から体一つで引き揚げ、NHKの職員になれたことを唯一の誇りとし、それを息子に繰り返し語り聞かせた。天吾の父にとって、それは大変なサクセス・ストーリーだったのだが・・。

それはそれとして、氏の20代、30代の頃の経験談は、それなりに波瀾万丈の世界で面白い。また、沖縄に移住されてからの話は更に興味深い。氏はそうした経歴が、こうして本にして語るに値すると思われたからこそ(そして出版の機会を与えられたからこそ)これを書いたのだろう。その辺が透けて見えるからこそ、冒頭で自分の人生をからっぽだった、と書かれたことに、みんな違和感を覚えるのだと思う。

明日は夏至。

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かげ

2015年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

時折、先の大戦のドキュメンタリーや記録を見聞して思うことは、集団の力の怖さだ。

日本では軍部が人々の思想を圧迫し、強制的に戦争へと突き進ませたという見方が一般的だ。確かに戦争が本格化してからは思想統制も厳しくなったが、現実にはずっと以前から、マスコミや世論の一部に好戦的な風潮があったことも事実であるようだ。

そして、ある種の考え方の風潮が生まれると、何かに感染するようにその風潮が人々の間に広がってしまい、だんだんとそれに抗うことが難しくなってくる。別に日本だけの話ではない。それを最大限に利用したのがナチスドイツだし、アメリカも非常に巧みに世論を誘導して、反戦気分を覆した。

もう一つ思うことは、一定の流れができると、現場での合理的判断がとても難しくなることだ。ゴルゴ13のような辣腕のスナイパーなら(ほんとのことは知らないけど)、相手を消す必要があるときは無駄撃ちなどはせず、最小の行動で確実に打撃を与えるだろうし、状況が許さなければ無理な行動はしないだろう。

実際の戦争では(これも実体験はないけど)、徴兵された兵がめちゃくちゃなことをして、無駄な殺戮を繰り返す、と言うことも、よくあっただろうと思う。

そんなことがトラウマとなって、どうも集団で何かをするのが苦手になってしまった。

とはいえ、チームワークは大事だし、何かの利害が一致したとき、共に行動するというのは好きだ。

少人数の組織で言えば、ルパン三世みたいなプロ集団など、ある種の理想だが、下手するとうだつの上がらない泥棒のボスと間抜けな子分になってしまうと、これもダメだ。あんがい大きな組織の方が、個人と組織の隙間が広くて楽だったりする。

村上春樹「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」では、主人公「僕」から切り離された「影」がこういう。

「心というのは、それ自体が行動原理を持っている。それがすなわち自己さ。自分の力を信じるんだ。そうしないと君は外部の力にひっぱられてわけのわからない場所につれていかれることになる。」

「影」は、行動原理を持った心、すなわちここで言う「自己」を信じろという。この街は、人々の心を失わしめることで、平安と秩序を保とうとしている。それはどこかが間違っていると、「影」は主張しているのだ。

小説では最後に「僕」は影と袂を分かち、街にとどまる判断をする。心を失うことで、自分をも失うことになったのだろうか?

心がそれ自体の行動原理を持っていたとしても、それが何かに染まってしまえば、その染まった力に基づいて行動することもあり得るのではないか。

むづかしいはなしになってきましたね。

近所の大きな農家。数年前から盛んに敷地の木々を切っている。

以前話したとき、手入れや掃除(道路に落ちる小枝や枯れ葉)が大変で枝が落ちて通行人が怪我する恐れもあるので、と語っておられた。

その事情はわかるが、鳥たちが賑やかに集っていた木々が切られてしまうことに、心中心穏やかではない。

すべてがうまくまわりますように。

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古都カマクラ2

2015年06月19日 | 旅行記

先月に続き、鎌倉散歩です。

今回はあじさいが主役。

さいきんはもたもたしてなかなか家を出られない。今回も駅に着いたら結構な時間になっていて。

ふと思いついて、頻繁に運行されている空港特急に乗ってみた。大船までだけど、少しは早く着くかな、と。

結論。全然ダメ。設備は快適だが、停車駅も比較的多くて、全然速くない。後から乗り換え案内で検索したら、別ルートで普通列車に乗っても同じだった。空港特急はその目的どおりにつかうべし。

とにかく、北鎌倉について明月院に向かいます。

以下、写真がかなり多いです。

前日の雨はあがり、薄曇りの空。

花や木々はみずみずしく、暑くもなく寒くもない。

この季節としては最上のコンディション。

観光客は確かに多いが、この時期土日になればこんなものでは済まないはず。

地元の高校生たちも目立つ。

外国人もとても多い。中国語も良く聞こえてくる。

彼らの目に、鎌倉はどう映るのだろう・。

そう言っては何だが、ここなどは完全に観光施設と化していて、その点抵抗を感じる人がいるかも知れない。自分が観光に来ているのに、何か言える立場でもないけど。

ここが都だった頃は、陰謀と怨念の渦巻く町だったはず。その暗さが、今もこの町にある種の陰りを与えているのだと思う。

次は建長寺に行きます。

広い敷地ですね。

駅に戻り、一駅乗って鎌倉から江ノ電に乗ります。

そろそろ夕方。

あじさいの季節が終わったら、塗り替えるのかな?

今はラッピングをぺりぺりはがせばいいのでしょうけどね。

これだと飛べないですね・・。

江の島。

江の島の猫。

島の中の店は、6時になると閉店になるところが多い。何か食べようかと思い、目星をつけながら歩いていたが、戻る頃にはみんな店を閉めてしまった。飲食店が6時に閉まるというのは妙なものだ。3時、4時なら遅い昼食という人もいるだろうけど、6時頃なら早めの夕食を食べたい人がいると思うのに、目の前で店を閉めるとは。。

やっているお店を探して食べた。店内には僕一人で、ちょっと寂しい感じ。

なぜか、帰宅時の鳥たちが外で賑やかに鳴いているのが良く聞こえていた。

いつもの時間の特急で帰る。こんなに明るいのは初めてかも。夏至は来週の月曜日(22日)だ。

写真はE-P3で撮ったが、今回久し振りに17mm F2.8を使った。さいきんはあまり持ち出さないが、せっかく持っているんだし。

あまり評価されないレンズだが、普通に写るし、さっと取り出して気軽に撮影できる。これからはもう少し使ってやろうか。

 

 

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Very Short Introductions

2015年06月18日 | 本と雑誌

「ダウントン・アビー」を見ていたら、だんだんイギリスにというかイギリスの歴史に興味が出てきた。

数年前、「マリア・ストゥアルダ」というオペラを見たとき、これは16世紀のスコットランド王室の歴史をもとにしたストーリーなのだけど、史実をもっと知ってれば楽しめるのかな、と思ったことがあった。ので、文庫本で「イギリスの歴史が2時間でわかる本」というのを買ってすこし勉強しようとした。のだが、生来あほなので著者がせっかく工夫して書いているのに、さっぱり頭に残っていない。今本棚を探したが、見つからない。いい加減自分の頭の悪さを悟るべきなのに、その能力すらないようだ。

もしかしたら英米の、小学生が勉強する歴史の教科書みたいのがあれば、楽しく読めるのではないかと思った。紀伊國屋の洋書コーナーを訪れるのはずいぶん久し振りだ。歴史コーナーで、日本の新書サイズくらいにまとまった本を見つけたが、値札をみると4千円くらいする・・。そんなものかも知れないが、ちょっと高いかな。

店内を歩いているうちに、オクスフォードのコーナーで写真のようなシリーズを見つけた。日本向けの無料カタログみたいのも置いていある。

一つのテーマについて、専門家が新しい視点を盛り込みながら概観を提供するシリーズだそうだ。1冊が100ページぐらいにまとまっていて、おおきさはだいたい日本の新書ぐらい。1995年にシリーズが始まったというから、どこかでみたことがあるのかも知れないが、目に入らなかったらしい。カタログを見ていると、「フラクタル」「数学の歴史」「無神論」など、わりとアカデミックで興味深い話題がたくさん並んでいる。

まあ、日本の新書と成り立ちは似ているが、いまの新書は玉石混淆で、老舗の岩波も中公も、書店でタイトルをみただけでおなかいっぱいになってしまう・・。

とにかく、ちょっと興味が出て、第二次大戦という本を買ってみた。イギリス史は時代別に何冊か出ているようだが、店頭にはなかったので。

ああ、1冊千円くらいだから、何冊分か買ったら、値段もページ数も最初に書いた本と同じくらいになっちゃうね。

 

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おつかれ

2015年06月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 

ん~っ、

まだ月曜だぞ。



月曜と言えば、Rainy Days and Monday Always Get Me Down(雨の日と月曜の朝は).. と歌いたくなる。

これ、あれですね。歌詞をググってみると、

Talkin' to myself and feelin' old

Sometimes I'd like to quit, nothin' ever seems to fit

Hangin' around, nothin' to do but frown

このあとの歌詞で自分で言ってるけど、なかなか・・ブルーな感じですね。


とくにnothin' ever seems to fitてのは、心に触れるものを感じたりします・・。


まあしかし、泣こうがさわごうが、7日に一度は月曜なのだし。
 
もう今まで何回、月曜を迎えたことだろう。
幸いというか、今日は雨ではなかったけど。

話はどんどん変わります。
 
先日、DVDレコーダの記録を整理しながら、「ダウントン・アビー」のシーズン1を見返してみたのですが、最初の頃はヴァイオレット様の声のトーンがぜんぜん違うのですね。
低くて落ち着いた感じで、聞き方によってはちょっと怖くも感じます。吹き替えの声優はずっと一城みゆ希さんで変わらないのですが。
だんだんと人気が出てきて、視聴者もつぎは何を言い出すのか、期待するようになってきたころから、トーンが1オクターブぐらい上がって来たようです。
 
最初の頃だって結構面白いこと言ってるんですけどね。監督だったかな、この台詞をTシャツにしたいと言っていた名言、

「週末って何?」

は第2回に出てきますし。


モールズリーさんの湿疹のことで、イザベルに一泡吹かせた時の楽しそうな様子なんか、何度見てもうれしくなっちゃいます・・。


音楽は変わって、吉田拓郎「ローリング30」です。
松本隆さんが歌詞を書いていますが、この歌詞、すごいですね・。後に行くほど深い内容の歌詞が出てきます。
それを完全に自分の音楽にしている吉田拓郎も、さすがです。

とにかく、心を自由にたもちながら、泳ぎ切りましょう。
苦しくても 息切れても 泳ぐしかない(虹の魚)

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キース・ジャレット・トリオ スタンダーズ vol.2

2015年06月14日 | 音楽

日中は相変わらずの梅雨空だが、時折薄日が差し、雨の降る心配はなさそうだ。

夕方になると適度な湿気とひんやりした風が心地よい。

個人的な季節感だが、こんな夜はジャズが良く似合う気がする。

ので、久し振りにこれを聞いてみることにした。

80年代のキースを代表するスタンダード・トリオの1枚。一番好きなのがこれかな。

キース・ジャレットは、50年代のジャズ全盛期の演奏を聞き込んできたベテランの方々にはあまり受けが良くないらしい。

村上春樹さんも、けっこうはっきりと好きではない、と言明しておられる。

ハービー・ハンコックなんか世代的に近いと思うけど、彼の方が受けがいいようだ。その辺の感覚は僕にはよくわからない。

まあ、おまえはジャズというものがわかってないんだよ、と言われれば、そうですけど、それが何か?と答えるしかないですけどね・・。

とにかくこのアルバムの、闇夜に沈んでいくようなリリシズムが何とも形容のしがたい心地よさを感じさせてくれる・・。

スタンダードと言っても、僕が知っているような有名な曲は全然入っていない。けっこうひねりのきいた選曲なのだそうだが、まあそんなことは気にしないでも楽しめる。

一番好きなのは2曲目の Moon and Sand だ。解説にはかつてケニー・バレルが取り上げたとあるが・・・。

ん、なんだか外が騒がしいぞ。

猫:「ふおおおおお、うぎゃああああああ」

ばかもの、ひとがリリシズムに浸っているというのに、なにをさわがしい・。

猫:「ふううううう!!」

窓を開けたら、やはりうちの庭でケンカしておった。

ふつうこういうときはさっさと逃げてしまうものだが、興奮が冷めないのか、こっちをにらんでいる・・。

・・さて、ねるか。あしたも早いものね。

 

 

 

 

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みみ、その他雑記

2015年06月13日 | 健康・病気

先日受けた健康診断で、気になったことがふたつあった。

一つは体重が史上最重量級になっていたことだ。胴回りはあまり変わっていない。ということは、内臓脂肪が増えた?

とにかく、これには自覚症状がある。食事をするとどうも腹が苦しい。

毎日明日からダイエット、などと冗談を言っていた頃もあったが、要改善点が判明したなら、なにはともあれ行動しなければならない。

とりあえず、手っ取り早い手段として昼飯を抜くことにした。朝食と夕食は従来通り。

いや、それが必ずしも得策ではないことはわかっている。ずっと前に、そんなことを自分で書いている。栄養補給の間が開きすぎて、体が栄養をため込もうとしてしまうと。

しかし、日常生活を余り変えずに、速効で答えを出そうとしたら、とりあえず摂取カロリーを下げるしかない。今回は四の五の言わずに強制評価減をしなければならないのだ。

で、やってみると確かに腹は減るが、水分とかでごまかしたりするとなんとかなる。というか、むしろなんだか調子が良いような気がする。もっと言えば、いままで日中食事した後、なんとなく体がだるい感じがずっとしていたことに改めて気がついた。例年冬から春は忙しくて、ストレスもたまるし生活も不規則になる。無理が続いて、少しずつ体調が悪くなっていたようだ。

肝心の減量は、すぐに1kg位下がってからは横ばいだ・・。長い戦いになりそう?

スケールも買って来ました。

最近のはずいぶん小さいですね。電源が電池ではなく、USB充電というのが目新しい。水気のあるところでもトラブルが少ないのだそうだ。

夜は適当に食事している。あれこれ神経質になるのは苦手なので。できるだけ肉とかたんぱく質をとるようにはしているけど。

これじゃダメですかねえ。

健康診断で気になった、もう一つは耳だ。左耳の聴力が標準よりもよくない。

日常生活で特に意識したことはなかったが、そういえば左耳は高音の耳鳴りのようなものが聞こえる。

改めて専門医を訪ねてみたが、特に病気ではないと言うこと。年齢とともに落ちて

いくものだが、僕の場合それがすこし早めだという。

治療するものではないと言うことだ。

普段聞こえなくて困るわけではないし、気に病んでも仕方ないのだが、すこし気が沈んだこともたしかだ。

これも今まで、ヘッドフォンなどで無造作に耳を酷使していた報いかも知れない。

通勤の時はよく、ウォークマンを聴いていた。あれは音楽が聴きたいとというよりは、周りの世界から逃げたいという気持ちで聞いていたといっていいかもしれない。

耳の場合は別にできることはないが、とりあえずウォークマンを聴くことをやめた。

これまで、外見や性能は劣るが故障知らずで燃費も良い、という自己認識だったのだが、どうやら経年により燃費も悪化、軽微な不具合も目立つようになってきたらしい。

まあ、遅かれ早かれ誰もそうなるのだ。潔く現状を認め、それに見合った生活をおくることにしようか・・。

 

 

 

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Pentax Q10について

2015年06月13日 | Q10

最近でこそあまり聞かなくなったが、一時はPentax Q(とQ10)が小さなセンサーを積んでいることから、その画質について疑問に思うとか、存在意義を問うような発言がネット上で盛んに流れたことがあった。Q7になってからすこしセンサーが大きくなったが、画質が大幅に向上したという話はあまり聞かない。

当節話題のミラーレス、それもとても小さくてちょっとしゃれた感じで、時期によっては旧モデルがかなり安値で売られているというところから、それほど詳しくない人たちが飛びついて買い、あとからこれ画質が悪い、と文句をいうような話は、依然ネット上で見かけるようだ。レンズ交換式のコンデジだ、という貶され方もする。

MFTだってセンサーサイズは小さい方なのだが、さすがにコンデジ・サイズのセンサーとは画質面で一線を画す。MFTのLumix GMシリーズは、このQシリーズとはサイズ的にどっこいどっこいだし、現行Q-S1を含め歴代のQシリーズは、一丁前のレンズ交換式カメラの外観をしていて、立派だ。初心者の勉強不足を責めるのも酷な気もする。

Qシリーズの大先輩、AUTO110がそうだったように、このQシリーズも本来は「小ささを愛でる」のが主眼であり、画質をとことん追求しようとしたわけではない。成り立ちとしてはレンズ交換式コンパクトデジカメ、でコンセプト通りなのだ。

AUTO110が現役の当時のことは知らない(生まれてたけどカメラには興味がなかった)けど、AUTO110も一眼レフだからといって、MEの代わりに買う、というひとはあまりいなかったと思う。

メーカーとしては、製品化の意図と違った売れ方をしても売れれば文句はないはずだ。ただ、リコー(Pentax)の立場としては、下手をすると画質を期待してQシリーズを買った一部の新規顧客をがっかりさせて、Pentaxのブランドイメージを落とすことになりかねない。その辺はマーケティング的に気を遣うべきところかも知れない。

もっとも、僕自身Q10を買ったときはもう少し画質に期待していたところもある・。センサーが小さくても、レンズはふつうの沈胴式レンズのコンデジよりはだいぶ大きくて、設計にも余裕がありそうだし。

実際、ちゃんと撮れれば画質は気になるほど悪い訳ではない。むしろ、01スタンダードプライム(標準単焦点レンズ)や、06(望遠ズーム)などはとてもいいレンズで、良く写る。標準ズームも悪くない。

Q10で一番困るのは、時々へんな写りをすることだ。特に自動露出が変、それも何でもないところでものすごく変な制御をする。

例。

日没直後の駅構内なので薄暗いのだが、まっちろけだ。背後の空の暗さに引っ張られたのか?あまり見やすくないモニターで見ても、明らかにおかしい・。

ちなみに絞りF3.5, 1/25, ISO1600. AutoかAvか忘れたけど、普段はそのどちらかで撮っている。

-0.7補正を入れたら落ち着いた。実景もこんなかんじだった。F3.5 1/80 -0.7補正 ISO640 ISO感度が下がっている。デジタルになって、ISO感度も自由に動くようになったので色々と制御が難しくなったのかな。

最初のショットはカメラが周りを把握しきれず、2度目で落ち着いたのかとか、ISOオートをやめて固定にすれば良くなるか、とか思うが、残念ながらそれぞれに反例がある。2枚目で変に外したり、ISOが同じまま露出が動いたり。

F3.2 1/100 ISO200 補正0 ヘッドライトと目が合った、ということもなさそうですが。

だいたいは露出オーバーになるが、先日掲載したガスタンクなどは、ちょっとアンダー気味のようだ。何かへんな設定をしちゃったのかな、とも思い、色々いじっているが、今のところ原因不明だ。そういうものなのかも知れない。

AFは、センサーが小さいので救われているが、近接撮影するとちょっと不正確かな、と思うときがある。あってないのに合焦、と言われることも多い。模型などはMFで拡大しながら撮る方が効率的。合いさえすればシャープできれいな画像だ。だいたいコンデジでMFはすごくやりにくいので、これはおおきな長所だ。模型の場合センサーが小さい方が全体がくっきり見えるので(トイフォトと逆の効果)、扱いやすい。

色合いは記憶色系というか、こってりしたかんじで、結構変だな、と思ったりもするし、各種エフェクトは極端だな、と思うときもあるが、なんとなく愛嬌、という範囲だ。ネガフィルムっぽいかな。

なんだかとりとめもなく、延々と文句たれてしまった。コンデジのIXYなどは、何もしないでもきれいに撮れる優等生だが、Q10はオートでは心許なく、あれこれ考えながらいじる必要がある。

ので、気むずかしい反面、愛着もわくようです。

先日は望遠レンズをつけてE-P3とペアで運用したが、結構いいコンビだった。06レンズはF2.8通しだし、画質も、悪くないです。

2年前の購入時、最新のQ7と迷ったが、予算の関係もあってQ10ダブルズームにした。いずれ中古でQ7も買えばいいと。ただ、販売台数が少ないのかQ7の中古は目下あまり出回っていないようだ。Q-S1も良いが、もうすこしQ10+Qで使い続けたい。

 

コメント
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