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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

田植えのころ

2024-05-18 23:30:22 | 地域から学ぶ

駒ヶ根市火山(令和6年5月18日)

 

 定年を機に、本を発行したことについて触れている。きっかけは『伊那路』に連載している「図説上伊那の民俗」を1冊にまとめたいとかねがね思っていたからだが、たまたま西天竜土地改良区の百周年記念式典用にパンフレットを印刷する際に、わが社に内容構成から印刷まで依頼があり、『伊那路』を印刷されている会社の担当の方が携わってくれたことで、その際に「いつかまとめたい」と漏らしていたもの。したがって『伊那路』を印刷されているプリンティアナカヤマさんにそのままお願いするつもりだった。『伊那路』は伊那毎日新聞社が長く印刷していたが、平成4年の1月号からプリンティアナカヤマさんに変わった。当時は中山印刷と称していて、会社の沿革を記したホームページによると、平成6年から現在の社名になったよう。実はプリンティアナカヤマさんが『伊那路』を印刷するようになった最初の平成4年1月号に、わたしは寄稿している。「道祖神の祭りと嫁祝い・婿祝い」という題名のものだったが、印刷なのか、あるいは校正の失敗なのかわからないが、わたしのぺージ、ちょっと変なのである。ページ中に空白ができてしまっていて、どう見てもおかしかった。それでいてこの寄稿、わたしにとって『伊那路』への最初の投稿だった。印刷会社が変わったばかりで、編集と印刷会社の間でやり取りがうまくいかないまま印刷された、という印象で、わたしの心象は良くなかった。

 それ以来何度か投稿し、地元のことを記した記事は『伊那路』へ、と思いかかわりを持ってきたが、平成29年の4月号から冒頭の連載を受けて7年。そのうちに飽きられてそう長くは続かないだろう、と思っていた連載は今もって続いている。本来なら連載終了後にまとめられれば良かったが、定年を機に、と思っていたから、連載途中ではあるが、これまでの78編をまとめて発行したというわけである。78編の内訳を見てみると、伊那市関係の記事が最も多く、31編ある。ちょうど4割が伊那市ということで、伊那市へ傾向しているわけではないが、意外と多い。そのうち旧高遠町が5編、長谷村が1編である。次いで多いのが飯島町で18編ある。2割強と傾向しすぎている理由は、もちろんわたしの出身地だからだ。加えてコロナ禍においてなかなか記事のネタに困った際に浮かぶのは地元のことだったため、割合が高まってしまった。情報源としても地元の声がよく聞こえるから当たり前に出身地の記事が多くなった。あとは駒ヶ根市8編、辰野町と箕輪町が7編、あとの町村は2から3編程度と少ない。加えて旧上伊那郡だった、現在の下伊那郡松川町上片桐に関するものも2編掲載している。長く続けているうちに、この割合を気にするようになっていた。一昨年までの5年間には宮田村に関する記事が1編もなく、あえて宮田村のことを書かなくては、という意識を持っていて、ようやく昨年宮田村のものを2編投稿できた。

 地域バランスを考慮したいという気持ちはあるものの、やはり行動範囲にかかわるエリアに傾向してしまうのは仕方ないこと。気にはしているのだが…。ということで、行事があまりなく、加えてこれまで触れてきていないものを、と思うと「何を書こうか」と悩むことに。今日はそういう意味で今の季節にしか撮れないものをと思い、天気が良くて「もったいない」日であったが、暇そうに外出をした(我が家の草刈がたくさんあるのに)。やはり天候が悪いと、外出している人がおらず、らしい写真が撮れないこともあり、「天気の良い日」が良いことは言うまでもない。


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