僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2024/4/13)今日も散歩、お参り。

2024年04月13日 21時41分40秒 | 日常、仕事、認知症


今日の青空、桜の樹。
明日も良いお天気。観光名所は混雑するであろう。
ここ数日続けて、リハビリ散歩は夫も一緒に歩いてくれる。
夫も腰痛を長年抱えている。仕事を辞めると、身体がどんどん互いに衰えていく。
いつまで続くかわからないが、無理せずに歩きたい。

朝早く、夢を見る。
亡くなった母の顔がくっきりと夢の中に出てくる。
おぼろげな、曖昧な状態ではなく、
毅然とした姿、厳しい姿、かつての母親の表情である。
その母の後ろに、古い冬コートを着た父がいた。
よろけてはいるが、杖無しで立っている。
母(妻)無しではやっぱりやっていけそうにないから、母に付き添われて帰宅した父。
私の心の何の表れなのだろう。自分の頼りなさか。

自分の頭の中身、3割程減少している。そして耳が聞こえない分、更に傍から見たら半分位足りていない会話を
しているように見えるだろう。
私の耳が聞こえない、というのは相手にわかるはずない。近所の奥さんとは違う。
公園などの喧騒の中での若い子たちとの会話は全く成り立たない、というのが今日わかって、少々ショックを受けている。
益々引きこもりそうな自分だ。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(2024/4/10)誕生日お祝いそして命日。

2024年04月10日 20時25分36秒 | 思い出を紐解く

昨日の日記を読み返してみると、「あれ?牛タン食べたことの記入がない。消えている。」と気付いた。
昨日、誕生日気候は、雨、時折激しく降る。
そんな中、久々に牛タンを食べに行こうとなった。
前日、夫と神社にお参りし、公園で桜を観る。
誕生日の予定は特になく、ケーキを買うくらいかなと思っていたら
夫が「牛タンを食べたい。」と言うので、いつもは牛タン弁当を食べるのが主だが
今回はお店でゆったりと食べようとなった。

美味しい,美味しいとニコニコして食べている夫の顔を見ると、
こういう誕生日の祝い方もいいのではないかと
思った。
誕生日を祝われる自分が美味しいと喜ぶのはもちろんだが
相手が美味しそうに食べ、ゴハンをお替わりし顔がほころぶのを見て、こちらが嬉しく幸せな気持ちになる、
というのが私への誕生日プレゼントになっている。

そして今日、
思いがけないプレゼントが届いた。
北海道から。

美味しいお菓子の詰め合わせ。

中学時代、憧れの1つ上の先輩がいたのだが、何十年もの間、互いに結婚してもとぎれとぎれの連絡はしていた。
彼には彼の強烈な人生があって、40代にして亡くなった。
奥さんとは年賀状などで連絡を取り合っていたし、私が脳梗塞で入院したことも知っている。
その奥さんも2年前に亡くなった。
これはこれでショックだった。
いつか北海道に帰ったら、彼のお墓詣りを彼の家族と共にしたいと思っていた。
その二人の絆である子どもさんと交流を持っている。
彼の命日は今日。
そう、私の誕生日の次の日。
この知らせを聞いたときは驚いた、内心。刻み込まれた命日。
奥さんも娘さんもこのことを知っている。
今日、贈られたお菓子を、あどけない15歳の写真の中の彼にお供えする。
それを先ほど、娘さんに知らせる。
「あどけない15歳のパパはどんな感じなんだろう。」と返信あり。
彼や奥さんに、娘さんを見守ってほしい、とお祈りする私である。

「人たらしの」モーさんの写真も載せる。

カワチィ!






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(2024/4/9)山下君、私、お誕生日おめでとう。トモ、18歳。

2024年04月09日 22時08分35秒 | 山P

曇天とまだ満開ではない樹々。
神社(夫の幼稚園があった所ね。)に行き、誕生日前のお参り。
父のことで頭も身体も忙しい私たち。
たまには、こうして緩やか(ゆるやか)に過ごすのもいいものだ。

さて、山Pのファンになって18年。
その年数はうちのトモの年齢でもある。
18歳のネコって、誰でも元気という年齢じゃない。
シンノスケは18歳で亡くなった。その前後で亡くなったうちの歴代のネコたち。
トモはその歴代のネコたちと重なっているし、皆に囲まれて育ったネコ。
東北大震災も経験しているネコです。
子猫の時に拾ってうちに来たクールなネコ。人間に媚びるようなしぐさは一度もない。
モーさんは、私の長靴にまとわりついて、メロメロにさせる「人たらし」のネコだが
トモはゴハン以外にベッタリするというのがない。
そのトモ、食欲旺盛で、何回も催促する。少しずつ小分けにして騙し騙し与えている。
トモが自分のトイレの後にドアをバーン!!と開けて入って来るのがこの数カ月の姿。
ネコ用の出入り口があるのだが、ナナコやケナガが待ち構えているのを知っているので、人間用のドアを
開けて入ってくるのだ。
その力強さが、年老いたトモの身体を丈夫にしてくれるようで嬉しいのである。

丈夫そうな足。
トモ、ナナの22歳を目指せ。

山下君のドラマが楽しみです。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(2024/4/1)アース・アンド・ファイアーEarth & Fire/シーズンSeasons (1970年)

2024年04月01日 15時28分14秒 | 名曲
アース・アンド・ファイアーEarth & Fire/シーズンSeasons (1970年)


今日の名曲。
アースアンドファイアーの「シーズン」。
ショッキング・ブルーに似たグループで、私はこの曲しか知らない。
でもずいぶん流行った気がするのだけれど。
友人もくちずさんでいたし、終盤のメロディーが悲しくて印象に残る曲だね、と話していた。
夫と暮らし始まって
夫のCDコレクションにあった。そしてアルバムが4,5枚持っているとのこと。
希少なコレクターだと思います。

今日から4月。
自分の誕生日もある、春、出発、花が咲く、桜が咲く、そういう季節。
自分もそのように歩いていこう。

父、先月末、老健に移る。
足の様子を見ると、歩くのは困難なのがわかる。
しかし自宅に帰る、という希望を持ってリハビリをする。
明後日、施設の方が実家を視察に来る。

最後に、雪景色の写真を。
夕方に撮ったので暗いが。
3月26日の、今季最後の積雪。3月の末の積雪も珍しくて映像に残したかった。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(2024/1/5)Givin' Herself Away マッギン クラーク ヒルマン

2024年01月05日 21時05分03秒 | 名曲
Givin' Herself Away


今日の名曲。1980年の曲。
といっても、私が知ったのはもっとあとのこと。
夫のコレクションの中にあったアルバムを聴いているうちに好きになった曲。
鳴きのギターが良くて毎日聴いていた。
難聴になって、昨日なんかほとんど右耳きこえなかったのだが
今日耳の状態が良いのか、音が聴きとれた。今のうちにいっぱい聴いておこう。
埋もれている名曲だと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(2023/12/31)あと2時間で2023年が終わります。今年出会った人。

2023年12月31日 23時27分52秒 | 日常、仕事、認知症
何とか、今年中にブログを書こうと思ってきて、今ギリギリの時間に投稿する。
本当に乏しいブログでした。
胸にあるものをゆっくりと吐き出したい、整理したい、書き留めたいと思ってそれを実行できなかった数年。
過去のものにできない2020年。
今、日常の生活に埋もれているけれど、いつもいつもあの年を総括しなければと思ってしまう。

そんな気持ちを持ちながらも結局今年も貧相な生活になってしまった。
来年こそは、という言葉も空しい。

今年の出会いは誰だろう。
敢えて言うなら、「夫」かもしれない。
彼には今年、父の件でお世話になった。
私の為に(それが主ではないが)仕事を辞めた。
そしてずっと一緒の行動。
すると、時折離れた行動を取ると、不安になってくるのである。
お互いに仕事をしていた時はそんな不安を抱くことはなかった。
帰ってくるのが当たり前、それまで自分の用事を片付けよう、と思って帰宅を待った。
今はどうだろう。
ほとんど離れることはないから安心していいのに、
あの病気以来
「いつ、事態の急変があるかわからない、帰ってくるのが当たり前なんて不変のものじゃない。」
などと思ってしまう。

今月はカレンダーに書き留めたスケジュールがいっぱいだ。
毎週父の件で実家や病院に3,4日取られている。
郊外の病院、実家なので距離的にも往復掛かる。父はしょっちゅう私宛の手紙、託けをよこす。その都度病院から
連絡があり、その手紙の受け取り、用件の為の実家、実家付近の公共の場所に足を運ぶ。
夫がいなければ、私は行動できない。
病院や銀行での複雑な連絡事項、交渉、耳のよく聞こえない私は何度か聞き返し相手を不快にさせているかもしれない。
曖昧な返答を不審に思っているかもしれない。
夫はそれらをカバーしてくれた。
今後も続く。
こんなに長くかかると思わなかった。
3月、5月の父の家の中での2回の転倒骨折入院。5月のは外傷性クモ膜下出血である。一時は人事不省に陥り、これ以上
意識は戻らないだろうという前提で「看取り」の病院に転院する。
しかし父は奇跡的に意識を取り戻し、今ではリハビリ担当者がびっくりするほどに頭、上半身の健康な状態になっている。
そのため、父は早く退院して帰宅したい旨を訴えるのだが、
足元が覚束ず、また転倒の虞がある、一人暮らしは無理であろう、と先日の病院側との話し合い。
私は現在施設を模索中。
その資料も夫が取りに行ってくれている。

夫に感謝しつつ年が暮れる。
(昨日、喧嘩したけれど)

我が家の猫たち4匹、二階の居間、和室で過ごすようになった。
一階にいたケナガ、ナナコが二階に自由に上がってくるようになった。
冬は二階が良い。
暖かい。
夏、ケナガが肺炎を起こして危険だったけれど、今は元気。

来年もよろしくお願いします。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(2023/11/15)久々の投稿、父の笑顔。

2023年11月15日 15時12分19秒 | 日常、仕事、認知症


今日のうちのバラ。一輪咲いていた。


植え替えて、ダメかなと思っていたが、生き返った。




あちこちにいつのまにか散らばって咲いていた菊たち。

一昨日、父の友人と夫と3人で父の見舞いに。たった10分間であるが、久々の顔。笑顔が良かった。
私は毎週何かと、病院に行っては父の用事を足している。父には会わないが、相談員に手渡したり話したり。
先日の笑顔が良かったので、今日、ブログに書いてみようと思った。
ラインで、その笑顔の写真を北海道の父の友人たちに送ろうと思う。
父の年齢は92歳。
この間頼まれて、年賀ハガキ100枚、筆、墨を届ける。まだ足りない、と20枚追加される。
元気で、「退院」を目指して自転車マシンを漕いでいるそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(2023/9/6)実家のハチの巣

2023年09月07日 17時19分51秒 | 日常、仕事、認知症


今日、実家に10日ぶりに行き、空気の入れ替えをした。
何回か家を出入りしてふと玄関横を見るととっくりのようなハチの巣があった。
この間来訪したときは気付かなかった。掌(てのひら)くらいの大きさなので、物珍しさの方が勝って
恐怖感がなかった。このままにしていたら大きくなっていくので駆除の電話をした方がいいね。
でもいつになるだろう。蜂君たちいるのかしら。やはり人の気配がないと、何かと伸びたり増えたり。
家をぐるりと回って他にハチの巣がないか見る。アマガエルが裏にいたなあ。水辺がないのに。
とにかく、実家にしても、自分の家にしても、こう暑いと作業ができない、しない。うちの庭も相変わらずボウボウと
している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(2023/8/19)慌てて更新する。

2023年08月19日 10時59分38秒 | 日常、仕事、認知症
更新せず、もう2カ月だ。停滞、停滞の私の生活。


父の意識が戻った。
すると、この病院にいることの意味がなくなる。
施設を考えるか、別の病院に移るか、まだまだ暑すぎて、行動も思考もできない。
立っていることさえも苦しいときがある。
毎日30℃を超える日。
こんなにエアコンを一日も消さず続けて使用するのは初めて。
ネコたちもエアコンを避けて廊下に寝たり、トイレの便器の上にいたり、暑さとエアコンの寒さのはざまで
移動している。
早く涼しくなれ。
昨日の夕方の風は良かったが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(2023/6/18)父、意識戻らず転院の予定。

2023年06月18日 20時07分29秒 | 両親のこと、入院のこと


父の入院、転院等毎日外出している。
自分の身体や頭が思うように動かず、相手を苛つかせているのがわかる。
夫に付いてきてもらうが、夫も私に苛ついている。
父は意識が戻らず、そのまま別な病院に転院する。
そして今色々と揉めている所である。
書くに、どこから書いていいのかがわからない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(2023/6/7)名曲はBon Jovi の It's My Life (Official Music Video)

2023年06月07日 13時44分31秒 | 名曲
Bon Jovi - It's My Life (Official Music Video)


5月末から耳鼻科に通っている。
長年の課題だった難聴。検査の結果、標準よりかなり下。
そこは補聴器専門の耳鼻科で、難聴の原因云々より、とにかく人との会話をスムーズにすることが先決だった。
一週間補聴器を試着し、その効果感想を昨日述べてきた。
うちの中だけで生活していれば我慢できると思ったが、夫との会話も儘ならない、突然入ってきた音にびっくりする、
音の区別がつかない、どこから鳴っているのかわからない、好きな音楽も聴けない、などなど、そして夫にもストレスを加えている。
最近は父のことで病院での説明会話、電話、実家の近所の方との会話、自分の地域の町内会の仕事など、家の中に閉じこもっていられない状況になった。
父にとって身内は私しかいないので、あらゆる病院に関連する用事は私にかかってくる。
それまで、父の又甥の奥さんや、隣の奥さん、父の友人(故人)の子供(50代)などに助けてもらった。
しかし、やはり最終的な責任者は私、という結論(なんのことかわからないかもしれないが、割愛)になってから
覚悟して、あれこれやってきた。
試着とはいえ、補聴器の恩恵を受けている。
これが今の時期、自分の耳だけで病院等の対応をするのは、自分を人間失格のような気持ちに陥る可能性がある。
この暑さだけには気を付けて一歩一歩進めていこう。
来週は別のメーカーの試着である。

耳鼻科の医師に言った。
壁掛け時計の秒針のチクタク音が聞こえ、うちの時計がそういうものだったとは、と改めて発見した。
ネコのモーさんの「ゴロゴロ」の音が聞こえた。これは嬉しかった。
ずっと何十年も猫たちが傍にいながら、いつのまにかゴロゴロが聞こえなくなりその存在を忘れていた。
他、外の騒音、夫との会話等の感想。

そして今日、音楽を聴いてみようと思った。
何がいいかな、あれかな、今流行っているのは「アイドル」なんだって、どれどれと聴いてみる。
ああ、メロディーがわかる。
そうか、じゃ、封印していた自分の好きな曲を聴いてみよう、と何時間も聴いてしまった。
これから頻繁に順に選曲していけばいい。
で、選んだのはこのボンジョヴィのこの曲。
前にも選んだなあ。でも好きだからなあ、やっぱりリビィンオンアプレイヤーかな、などと
思ってイッツマイライフのPVを観ると、あれ?この青年、
ブルーブラッド(海外ドラマ)のジェィミー役の人ではないかと検索した。あまりに若い時代だから
間違いかもしれずと思い。やはりそうだった。
というわけでこの曲を選択する。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(2023/6/6)父の再入院。

2023年06月06日 16時16分35秒 | 両親のこと、入院のこと

これは約一カ月前に撮影。
新緑のプラタナス。私以外にも、太い幹にタッチしていく方が多数。
つい、タッチしたり抱擁したり、そんな思いにさせる大きな存在。

また一カ月くらい空けてしまうブログ。
父が3月末に入院したことを書いた。
そして4月22日に退院した。
肋骨を骨折し、肺に溜まった血を除去する手術をし、経過良好、元気に退院した。
その退院の記述がない。

退院してから、父は民生委員の方と今後の取り決めをする。
頭もクリアー、身体も足元が覚束ないがなんでも一人でやる父。
骨折の原因となったお風呂には、週2回、ヘルパーさんが訪問する時に入ることになった。
寝室は二階のベッドであるが、階段が危険なので、一階の和室に介護用ベッドをリースして置くことになった。
退院日に搬入した。
翌日、実家に行く父を乗せ買い物に。買い物にもこだわりがある父には口出しはしない。
牛タン弁当を食べて、さあ私たち夫婦の用事を足そうと帰宅の準備をすると、父が服を脱ぎだした。
これから風呂に入る、といきなり言う。
はあっ?いつ風呂洗いしたの?いつ沸かしたの?
「オレは、朝から風呂洗いをして水を溜め、沸かして今から入るから!」

もう初めから民生委員との約束を破っている。
私たちはここで帰るわけにいかない。
「何分、入る予定?」
「40分。」
早く言えよ、帰る間際になって素っ裸になるなんて。
一事が万事、こんな調子の父である。
人のことは考えない、人に一言、声を掛けない、自分の頭の中の時計で動く。
結局、入っている間、夫と待ち、風呂から上がれば、「タオル!」と横柄に叫ぶ。
不快な気持ちで実家を去る。

それが4月23日のことだった。
亡き母の命日(6月12日)は今年7回忌なので父はイベント的にやりたいが、身体が軽く動かないので
田舎のお寺に供養を頼んでいた。
11日が日曜なので、近所の方々のお焼香を目論んでいた。
平穏にそして慌ただしくその日を迎えるのだろうと思っていた。

5月18日、確かこのプラタナスを撮影した日。
私のスマホに早口の男の人の声。
救急隊の方だった。
父、転倒して頭を打つ、前回入院した病院に運ぶ、付き添いは隣人の方。
という内容だった。
またあの病院に駆けつける。

また続きは後で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(2023/5/15)町内の方の死。

2023年05月15日 10時53分15秒 | 日常、仕事、認知症

いつもの公園のプラタナスと桜の樹。

今日の空は曇ったり、雨になったり。

町内会の件で隣の奥さんが来訪。
引継ぎのことで。
話の途中、角の家の方が亡くなったことを聞かされた。
2年ほどになるそうだ。
私は何も知らなかった。
会話はしたことはないけれど、ゴミ出しの時など会えば挨拶をしていた。
自分が入院、退院してその間、コロナ禍もあり、葬式の形態も変わった。
私自身家に閉じこもって世間から遠ざかっており、どこかの家が取り壊されたのを見て初めて
知るようなものが多かった。
今回聞いたことは、聞くまで、ずっと健在だと思っていた。
夕方には玄関の電灯が着く。だから居るものとばかり。
センサーで着くようになっているのではと隣の奥さん。
カエルがたまにこの家の塀の隙間から出てくるのでいつもチェックしていた。
それが2年も、私は気付かなかったんだ。
もう、あの夫婦はいない。
しかし、家はそのまま立派に、植木もバラも咲いている。
さっきまで居るものと思っていたのに。
訃報の回覧も回ってなかった。
これは知らせるべきではないか。
以前は知らされていたような気がする。

近くの家は取り壊され、空き地になっている所多数。
家はあっても、門扉は入られないように置き石があるのも、不在、空き家の印のような所多数。
この町は老人たちが作ってきた町だ。
子孫が後を継がず、郊外に家を建て、この町の実家を空き地にして売っていくのが多い。
マンションだらけになっていく。
それをしみじみと感じていたこの2年。
自分が年を取っていくということは
周りの年配の方もそうだということを忘れがちな愚かな私。
死ぬことは日常。
それにしても、死は寂しい。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(2023/5/12)愛しのリリーちゃんと再会。リハビリ散歩。

2023年05月12日 15時24分36秒 | ワンコ

数カ月ぶりにリリーちゃんに会う。
早朝。

私のことを覚えていてくれた。
私の姿を見つけた喜びを身体いっぱい表現してくれる。因って写真が上手く撮れない。
愛しいリリーちゃん、私はずっとリハビリ散歩をサボっていました。
すみません。

いつもの神社のつつじとシラン。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(2023/4/11)'Once Upon a Time in the West' Dire Straits

2023年04月11日 07時59分28秒 | 名曲
'Once Upon a Time in the West' Dire Straits


久しぶりに好きな曲を紹介。

大好きだったダイアーストレイツの「ワンス アポン ア タイム イン ザ ウエスト」
カタカナで書いてみた。

さっき、中古のマンションの間取り図を見ていたら、築1984年という数字を見て、ああ、その頃の自分は・・・
と、懐かしく胸が締め付けられるようだった。
結婚して、仕事に夢中で、髪は短くて、娯楽は夫とコンサートに行ったり、音楽を聴いたり、二人の共通の宝物だった
ことを思い出した。
もし、自分の耳がまだ正常に音をきちんと把握できたなら、夫と共に一階のオーディオルームで音楽を聴いていたはずだ。しかし、私の耳はもう正確に音を聴き取れない。
頭の記憶の中にある歌い手の声を頼りに音楽を聴くだけだ。
すっかり音楽とは遠ざかった。
が、しかし、大好きだった曲はたくさんあるのだ、記憶の音、声を頼りにまた聴くと良い。

そして、この曲を選んだ。
70年代末の曲だが、独身時代、毎朝この曲を目覚ましにセットして、起きて仕事に行ったんだ。
そして、80年代になって結婚したあとに
夫と東京の日本青年館という所に彼らのコンサートに行ったんだ。
まだ日本ではあまり有名ではなかったけれど、2日続けてコンサートがあり浅草のホテルに泊まり
2日間通った。
そして、ダイアーストレイツはbigになり、存在が大きくなりすぎた。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする