ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★「万兵エ茶屋」(大仙市花館)について

2022年05月28日 | 折々のメモ

 先日、私のブログ:「大仙市花館の川を渡る梵天」(2020.4.14から掲載)の記事に登場した「万兵エ茶屋」についてコメントをいただきました。そこで手元にある資料にこの茶屋のことが出ていないか調べてみました。昔のことを振り返りながら、その結果について少し綴ってみたいと思います。

 「万兵エ茶屋」は、かつて、「玉川」の左岸(南側)、「玉川橋」(大仙市花館(旧大曲花館))のたもとにあって、地域の人たちに親しまれた料理屋さんでした。「玉川」と「雄物川」が合流するこの辺りは古くから鮭漁が盛んで、鮭が獲れる時期は特に賑わったと聞いております。私が若い頃、「玉川橋」を渡る度にその姿を眺めた(入ったことはありません)ことを記憶しております。

 手元にある「写真に見る花館の歴史」(花館財産区、S59年発刊)を開くと、「ありし日の万兵エ茶屋」と題して次の写真が掲載されております。


 左側の「玉川橋」に接するように建っており、なかなか大きくて立派な建物です。いつ頃の写真かわかりませんが、左端に写っている橋上の人が蓑をまとっているように見えますので、かなり古い写真と思われます。

 また、茶屋は低い川原に建っているにもかかわらず、橋とほぼ同じ高さになるよう、高い土台の上に建てられていることがわかります。出入りの利便性と洪水を考えてのことと思います。

 なお、右側の離れのような建物の窓からのぞいているのは、人の頭のように見えるのですが・・・・?。

 また、「花館の歴史」には次の写真も掲載されています。


 S8年頃の「大戸川」の鮭漁の写真とあります。奥に「玉川橋」と「西山」が写っていることから、橋のそばに写っている建物は「万兵エ茶屋」で、茶屋はすで営業していたことがわかります。ただ、この写真の建物は、屋根が連なっている前掲写真の建物とは明らかに異なっております。

 次に、昔の航空写真で「玉川橋」の辺りを見てみたいと思います。まずはS23年の写真です。


 「玉川橋」のたもとに写るのが「万兵エ茶屋」と思われます。拡大すると屋根ひとつの建物のように見えますので、「ありし日の万兵エ茶屋」の建物とは明らかに異なるようです。

 「大戸川」は茶屋のすぐ北側の川原を流れる小さな川です。前掲写真は「大戸川」の「⇓」を記入した辺りから西(左手)に向けて撮ったもののようです。

 ところで、写真の「玉川橋」はそれまでの木造の橋に代えてS7年に完成したコンクリート橋(従って、S8年頃と記されている鮭漁写真の橋もこの橋)で、ここを通る道筋は旧「羽州街道」です。

 次に、「川を渡る梵天」にも掲載したS51年の写真です。


 当時は、旧道(旧「羽州街道」)に代えて新しい「国道13号線」が開通しており、それに伴って新しい「玉川橋」も架けられております。古い橋のたもとに見える赤と黒の屋根の建物が「万兵エ茶屋」です。屋根が連なっているところは冒頭の「ありし日の万兵エ茶屋」の建物に似ており、横長の赤い屋根は離れのようにも見えますが、かなり年月を経ておりますので、同じ建物なのかどうかはわかりません。

 この茶屋の姿が見えなくなったのではいつ頃でしょうか。S59年の航空写真があるので見てみましたが、それには明らかに写っておりません。S52年から58年の間に解体されたと思われます。

 ところで、寄せられたコメントには「川の氾濫で流されたと記憶しておりますが」とありました。

 茶屋は「玉川」と「雄物川」の合流点の近くで、しかも川原にありますので、たびたび洪水に見舞われたことと思います。「花館の歴史」には、S22年に空前の大水害が発生し、「玉川橋」の橋桁近くまで増水した写真が掲載されており、これでは茶屋の建物はとても持たなかったと考えられます。S23年の航空写真に見えるのは、建て替えた建物かもしれません。

 コメントにある「流された」のはこの時の洪水のことか、あるいは別の時期の洪水のことかはよく分かりませんでした。申し訳ありません。

 最後に余談ですが、現在の地図をご覧いただきます。

 
 「万兵エ茶屋」があった場所はピンクの◇です。

 現在、「玉川橋」の北側は「神宮寺バイパス」が、南側は「大曲バイパス」開通しており、「国道13号」は地図の赤線になっております。この開通に合わせて「玉川橋」も上流側に新たな橋梁が加えられ、地図にあるように上下各2車線、計4車線の橋になっております。・・・が、地図をよく見ると、下流側にS7年に架けられた古い「玉川橋」も描かれております。

 実はこの古い橋は、S51年の写真に写る新「玉川橋」が開通(S47年)した後もそのまま残され、歩行者の専用橋として使われておりました。しかし、老朽化が進んだためH19年に解体されて、現在はありません。「花館」の歴史を伝える茶屋と橋が無くなってしまったのは残念です。なお、無い橋が地図に描かれているのは、何か変な感じです。

 「万兵エ」、「茶屋」という言葉から、「万兵エ茶屋」はかなり昔に建てられたと想像されますが、それがいつなのか、そして、いつまであったのか、ご存知の方はコメントをいただけないでしょうか。

(終わり


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとうございます。 (おさるさん)
2022-06-20 00:51:58
本件返信が遅れ申し訳ございません。
万兵エ茶屋の情報を確認・掲載いただき本当にありがとうございます。
私の記憶では「橋のたもとにある建物」までの情報でしたが、情報を拝見し詳しく確認できました。
秋田市に車で行く際時々祖母が顔を出していた記憶がありますが、小さい頃の記憶でいつ無くなったかは曖昧です。
もう40年も前なるのですね。

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