青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

我慢のウイークと言うけれど

2021年04月28日 17時00分00秒 | 箱根登山鉄道

(函嶺の風薫る・・・@出山の鉄橋)

もうすぐGWともなれば、いつもならば休みの日程と天気予報を見ながらああでもない、こうでもないと旅程を練るのが恒例の時間だと思われますが、昨年に引き続き緊急事態宣言下のGWとなりました。毎日毎日やれ感染者だ変異株だと騒がしいし、実際に罹患した人の病状なり経過なりを聞いたり見たりしていると、やはり怖いなというのはあるのだけど、会社はテレワークも導入されず、学校も休校になんないですからね。ウイルスの蔓延を遮断するのに、強制力を持って社会生活を止めることはしないというのが日本のコンセンサスらしいので、とりあえず我々も感染対策はしつつ過度な自粛は避けつつ、生き延びていくしかないのでしょう。

さすがにウイルスとの闘いも一年が過ぎ、良い意味でも悪い意味でもウイルス慣れして来たのはあります。先日連絡したら、両親もさすがにこもりきりの生活に鬱々としていたらしく、近場の熱海の保養所で2泊3日まったり過ごして来たらしい。世界的な衛生の危機ですが、適度な精神衛生の管理は必要なんだなあと思う次第。二年連続がまんのウイークと言われましても、ね。

 

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小田急の街、海老名の街

2021年04月25日 17時00分00秒 | 小田急電鉄

(The Romance-CAR’s History@小田急ロマンスカーミュージアム)

海老名の小田急ロマンスカーミュージアム。小田急初の本格的な鉄道展示施設として温められ続けていたプロジェクトが、先日4月19日にオープンの運びとなりました。よく見る場所・・・と言うか、普段使いで海老名の街はよく通るので、その建設のスタートから工事の進捗をずーっと見てましたのでね。感慨もひとしおのものが。コロナ禍により、入場は完全予約制でのオープンとなりましたが、子供と「オープンしたら連れて行ってあげる」と約束してましたんで、わざわざ予約を取って昨日訪問して参りました。やはりこの施設の白眉は実車展示、3000SE・SSE、3100NSE、7000LSE、10000HiSE、20000RSEまでの引退車種5形式が一堂に1階のフロアに並べられています。2階のエントランスから1階の展示フロアに至るまでの動線が、狭いところを通ってからドカーンと陳列された3形式の前に出る形になっているので、なかなか「魅せる」展示形式になってますな。

再塗装を施され、綺麗に磨き上げられた形で並ぶ往年の名車たち。去年の秋口くらいですか、大野の工場で保管されてた各形式を夜中に推進運転で海老名に持って来て、アチハのクレーンで吊り上げて、トラックでこのミュージアムの建屋に移送するという工程を各形式で毎回繰り返してたんだけど、そのたんびに撮り鉄が夜中に移送作業を追い掛け回して大騒ぎ・・・という正直閉口モノの狼藉(笑)があったのも記憶に新しいところ。最近のデジタルツールは夜間高感度に強すぎてダメね。僅かな光でも何でも撮れちゃうからみんな撮りに行ってしまうので。閑話休題。NSEなんて目にしたの何年振りだろうか。喜多見で保管されてんのは知ってたけど・・・ヘッドマークも幕じゃなくてデビュー当初のホームベース型。これも嬉しい。

NSEとLSE。私が物心ついた頃の小田急ロマンスカー。最新形式がLSEで、展望車のスタンダードはNSEだった時代。展望席のプラチナシートっぷりは昔も今も変わらないとは思うけど、スマホで検索してパパっと予約が取れる今と違って、当時はわざわざ駅まで行って1ヶ月前の日に予約しないと、夏休みとかの繁忙期はなかなか前展なんて取れんかったからね。昔の方がプラチナ感はあったよね。あの頃の憧れが、その席だったという記憶にタイムスリップしてみる。

初代SEの顔より、私はこのSSEの顔の方が馴染みがある。国鉄連絡急行「あさぎり」専属で入っていた車両ですが、「さがみ」に充当される事も多かったですね。実家から一番近い特急停車駅が「さがみ」の止まる向ヶ丘遊園でしたので、ロマンスカーと言えばSSEに乗る事が多かったように思う(笑)。展望席付きのNSEやLSEは「はこね」「あしがら」に優先して充当されていたので、親に展望車をねだって、NかLに乗る場合はわざわざ新宿まで行って乗ってた思い出。

HiSEになると平成24年まで走ってたんで結構最近のクルマって感じだし、なんなら長野でこないだ現役の1000系に会って来たんでそこまで懐かしいという感じもしないけど、相変わらずカッコいい車ですね。長電レッドの「ゆけむり」塗装に慣れてしまうと、小田急時代のこのワインレッドの塗色を忘れてしまいそうになるのですが、個人的には「ゆけむり」20周年の時は長電でも小田急時代の塗装に塗り戻してリバイバルやって欲しい(笑)。足元の住友FS533B台車、車輪の厚みがほとんどなくて、落ちるギリギリまでよく頑張ったよねって言ってやりたくなるな。

そうそう、運転台横の幕がちゃんと「スーパーはこね」なんだよね。HiSEって「スーパーはこね」のイメージ凄くある車両だよなあ。スッパコ自体はEXEの導入によって始まったんだけど、VSEの登場までロマンスカーのフラッグシップは間違いなくこのクルマだったので。スーパーを冠して足柄平野を突っ走るのがHiSEの風格って感じもしたものだ。

RSE。これもなんなら先日富士急に行った際に河口湖で寝てるのを見た。今は減便でフジサン特急動かないからヒマでヒマでどーしようもなさそうだったが。あんなけったいな富士山のイラストに塗られてヒマこいてるのはかわいそうなので、さっさとパステルカラーのこの色合いに戻して欲しいという原色原理主義者(笑)。ちょっとダルマを思わせるような独特のフォルムと、4軸ボギーに2階建ての車両付きってのが異端児でしたよねえ。基本的にあさぎり充当だけど、新宿から町田までは満席でもそっから先がガラガラとかよくあった。子供に「RSEは沼津まで行ってたんだよ」って言ったら驚いてた。SSE=御殿場、RSE=沼津、MSE=御殿場ですもんね。

この側面のルーバーが他の形式にはないRSEのポイントでしょうか。あさぎりの沼津延伸が平成3年で、そん時にRSEとJR371が同時デビューしてるんだけどまあバブルでしたよね。小田急の西伊豆進出ってのもその頃相当なテコ入れをしていたように記憶している。沼津から東海バスがあさぎりに接続して西伊豆に特急バスを走らせたりねえ。西伊豆は夕陽がきれいだし魚も美味いし温泉もいいし、個人的には好きな地域だけど、いかんせん交通の便が悪すぎるのが今の今まで克服出来てないよな。西伊豆は修善寺から船原峠を越えるのが未だに最短ルートだから、そうなると西伊豆は沼津より修善寺から行った方がアクセスがいい訳で、伊豆箱根鉄道カモンとなってしまうよね。

基本的に小田急沿線に長い事住んでいるんで、一形式一形式を眺めてたらクソほど思い出が蘇ってしまう。ただ、子供は子供で飽きてしまうのか、ひとしきり見れば「お父さん次行こうよ!」とオヤジのノスタルジーには付き合う気もないしでゆっくり見ている時間はあまりなかった。というか、子供との約束だから行って来たけど、まだ開館直後で入館者が多いので、家族連れが野放しになり幼児がフロアを走り回ってる土日は落ち着いて見学したり写真を撮ったりするには辛い環境かなと。

平成30年(3年前)の海老名フェスタの際にブチ上げられたこのプロジェクト。海老名の車庫の片隅にこんな看板が立ってから2年半、小田急がビナウォークや自社のマンション開発と合わせて、総合的な街づくりの一環として作った施設。この施設の完成によって、海老名は名実ともに「小田急の街」になったような気がしますね。つーか、個人的な気持ちとしては、ロマンスカーもいいんだけど、小田急の通勤車も収蔵して総合的な「小田急博物館!」みたいな形でやって欲しかったってのはあるのよ。スペースはキツイのかもしれんけど。2600とか5000とか9000とか並べてウヒョウヒョしたいのよ。海老名の増床が無理なら、開成か足柄の電留線潰して作ってくれませんかね?(笑)。

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桜梅桃李の春でした。

2021年04月22日 17時00分00秒 | 中央東線

(春空に映えて@勝沼甚六桜)

引き上げ線の桜を下から見上げる。ここの引き上げ線は、ブドウ畑の中であたかも古墳のようにこんもりとした丘状の地形を形成していますが、鉄道遺構と言うものも、時代が流れて行けば人の営みの中で作られた歴史的な建造物。何百年も後の人間が見たら、古墳と同じようなものとなるんでしょうね。半世紀を経て、勝沼の風景にすっかりと馴染んだ丘の桜。太陽昇り、すっかり晴れ上がった甲州の春空に今年も満開の花を咲かせています。

大きく大きく桜を入れて。E353は控えめに画角に配してみましたが、これでもピリリと存在感をアピールしてくるのがE353のパープル。たぶんこれをE351でやったら桜の色味に埋もれてしまうかもしれない。ここの桜が大きく育ち、たくさんの花を付けるようになったのはここ15年ほどの事。近くで撮影してたオジサマによると、正直国鉄時代はそう目立った撮影地でもなかったそうな。

私はこの菱山の道路から俯瞰する構図を「HDS(ハッピードリンクショップ)俯瞰」と勝手に呼んでいるのですが、桜だけではなくハナモモなんかも植えられていて、春の彩りには事欠かない撮影地です。あ、ハッピードリンクショップってなんやねんって言う人は勝手にググって下さい(笑)。山梨によく遊びに行く人・・・特にドライブとかツーリングが好きな人はお世話になっているんじゃなかろうかと思います。盆地を囲む碧い山並み、勝沼の春を踊る花々。盆地の底を染めるのは春日居の桃源郷か。桜梅桃李、なんて言葉がありますが、まさに甲州の春を言い表しているのではと思ってしまいますね。

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桜花咲き 紫電と愛でる 和の心

2021年04月20日 17時00分00秒 | 中央東線

(引き上げ線に咲く@勝沼甚六桜)

勝沼ぶどう郷駅には、駅がスイッチバックだった時代に、笹子峠への登りに向かう列車が助走を付けるための引き上げ線の跡地が残されています。駅前の旧ホームを中心として整備された甚六桜公園の他にも、こちらにも桜の木が植えられていて、春には素晴らしい景色を見せてくれます。駅から少し離れた場所にあるためここを訪れる人は少ないのですが、私はこの引き上げ線の桜が特に好き。築堤を覆うように桜が植えられていて、すっかり自然に還ったその廃線然とした佇まいがいい。

勝沼ぶどう郷(当時は勝沼)のスイッチバックが廃止されたのは昭和43年(1968年)の事で、桜が植えられたのは廃止後の事だそうですから、約50年を超える時が流れたことになります。ここが鉄道の敷地であったことを偲ばせる杭が立ち並ぶ引き上げ線の跡。雨に当たって少し散り始めの桜でしたが、回復して来た天候の中で実に美しい姿を今年も披露してくれました。

勝沼の駅は甲府盆地を見下ろす高台にありますが、引き上げ線は本線を見下ろすさらに高い位置にあって、満開の桜越しに盆地の風景と北アルプスが良く見えます。眼下には勝沼のブドウ畑が広がり、遠くの山梨市や春日居町方面は平地部分に桃の花のピンクが春霞の中でうっすらと見えて、甲州に春が来たことを実感させてくれます。

E351のスーパーあずさ、E257の特急かいじ、そして115系の普通列車。中央東線といえば長年そんなイメージではありましたが、平成26年から115系に替わって211系が、そして昨年春から特急列車もすべてE353系に統一され、全列車の指定席化が実施されました。そう言えば特急あずさは「スーパー」の冠もなくなっちゃったんですよね・・・E353、デザインとしても悪くないし全然いいんですけど、E351やE257、臨時で189系や215系なんかがバラエティ豊かに駆け回っていた少し前の東線の風景を知っているだけに、統一感の影で失われた多様性に思いを巡らせてしまうのは撮り鉄の性か。

E353のパープルは、先代のE351の淡いラベンダーのような色合いに比べて色味がハッキリとしていて、菖蒲のように鮮やかな印象を受けるのですが、これが「和」な感じを一層引き立てていて、日本の「和」を代表する桜の花と相性抜群。うっとりとするような春の甲州を、新鋭特急電車が駆け抜けていきます。

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少し寂しい春でした。

2021年04月17日 17時00分00秒 | 中央東線

(早過ぎた桜舞って@勝沼ぶどう郷駅)

いつもなら4月の1~2週目が見頃となるはずの勝沼の甚六桜、今年の春の桜前線の異様な速さで、ご多分に漏れず4月を待たずに満開となってしまいました。個人的に、ここの桜は関東甲信越で鉄道と合わせるには一番いい桜かなと。駅からのアクセスだったり、本数だったり、花付き、花色、アングル、どれを取っても平均値が高い。桜の時期、どこで撮ろうか・・・なんて皆さん色々迷うと思うのですけど、とりあえず迷うくらいなら甚六桜に来ちゃいなよって思ってる(笑)。今年もお酒はご法度ながら、変わらず咲き誇るは甲州の桜。駅前の公園に鎮座する、EF64の18号機とともに。かつては中央本線で客貨を問わずエース機関車として君臨していた国鉄世代の生粋の山男。前夜の雨に濡れ落ちた花弁の中で。

雨上がりの朝、公園の水溜まりにその姿を写すロクヨン。引退してここ勝沼にやって来たのが平成18年ですから、早くも15年の時が流れました。保存された当時は藍色がかった国鉄直流色を纏っていたものの、今となっては塗装も外板も傷みが目立ちます。部分的には修理もされているのでしょうけど、そのせいでガワがパッチワークになってしまっているのが気掛かり。なかなか屋根がない場所での鉄道車両の保存は難しいものがあるのでしょうが、現在クラウドファンディングが募られていて、再整備に向けての動きもあるそうです。

ちなみにこちらは、平成20年頃の甚六桜公園。13年前か。EF64も移設1年半程度で、まだまだピッカピカでした。確かこの時は新線の建設に伴って付け替えられた旧大日影トンネルが遊歩道として整備されたと聞いて、そこを歩きに行ったんだっけかな・・・大日影トンネルの遊歩道も、その後は漏水による劣化が著しく危険という事で通行止めになってしまって、そっから何の進展もないんだよなあ。それこそ碓氷峠旧線のような明治の廃隧道を散策出来るロマン溢れる遊歩道だっただけに、再開を期待しているのだけども・・・

あれから時は流れ。国鉄機らしく、側面に並ぶ通風用のルーバー。羽根の一つ一つがピンと魚の鱗のように逆立っていて、昭和の工業製品らしい造形美を醸し出しています。昭和から平成になると、工業製品のデザインってのはこのような突起物はなるべく避けて、表面は平滑に平滑にするのが良しとされる時代になって行ったように思う。ステンレス車のコルゲートなんかも、昭和の時代のクルマの方がゴツゴツして彫りが深く、それが得も言われぬ風合いを生み出していて好き。結局昭和贔屓。新しいものに馴染めない悪癖のなせる技か。

この18号機、新製配置から甲府機関区なのだそうで、そこから、立川・八王子・篠ノ井・JR貨物に移って篠ノ井・最後は塩尻で引退と一貫して中央本線、篠ノ井線系統に殉じたサラブレッド。身なりは褪せてもそこかしこから滲み出る山男の貫禄があります。ここに桜を見に来るたびに、あいさつ代わりに写真を撮って行くのだけど、本当ならこの時期はロクヨンの周りにもたくさんの花見客がいたはずなんだよなあ。余生を送るロクヨンに会いに来る人も少なく、今年は寂しい春だったかもしれませんな。

さくら祭りのぼんぼりだけが風に揺れていた、甚六桜公園。
お色直しをしたロクヨンゼロが、来年は満開の桜の下で見られますよう願ってやみません。

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