青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

自由と言う名の列車

2017年06月27日 22時41分24秒 | 東武鉄道

(自由と言う名の列車@東京スカイツリー駅)

安中貨物を撮影した後は北千住から東武回りで帰る事にしたのですが、時間がちょうど合いそうだったので東武の新型特急「リバティ」を見て行く事にしました。あまり天気が良くなかったせいで休日の割には閑散としていた東京スカイツリー駅に進入するけごん32号「リバティ」。このスズメバチ顔、見た目はまんま近鉄の22600系「Ace」だよなあ…。






子供と興味深く新型特急を眺めていると、駅の放送で「特急けごん32号、東京スカイツリーから浅草駅間のみ普通乗車券でご利用いただけます…」というアナウンスが。知らなかったんだけど、東武の特急の特例で上りのスカイツリー→浅草間だけは特急料金がいらないらしい。と言う訳で1駅間だけ新型特急リバティを堪能してみました。梅雨空に聳えるスカイツリーを後に、ゆっくりゆっくりと隅田川の鉄橋を渡って大きく左カーブ。終点の浅草駅に滑り込みます。




東武の浅草名物、すき間埋めの渡り板。戦前規格で拡張もままならない浅草の駅は隅田川橋梁への急カーブまでホームを限界一杯まで伸ばしていて、ホーム先端部は車両とホームの間のすき間が開き過ぎるため、列車が到着するたびに専用の渡り板を係員がセットして乗客の安全に配慮しています。


6050系の快速急行をローカル運用に追いやって、浅草と東武日光・会津田島を結ぶリバティ。6050系同様分割併合を前提として作られているのが大きなポイントで、併結部分は成田エクスプレスのように自動幌が装備されていました。この3+3の編成を活かして、平日夜には春日部から分割してそれぞれ野田線の大宮・運河方面に走る「アーバンパークライナー」なんてーのも走らせているそうだが、どのくらいの利用者がいるのだろうか…(笑)。運河に行くならそれこそ浅草からTXに乗って流山おおたかの森経由の方が絶対早いでしょw



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伝統の貨物列車

2017年06月26日 23時25分38秒 | JR(貨物)

(今日も亜鉛を運びます@5094レ安中貨物)

常磐線方面へ行ったとなれば、お楽しみは小名浜からやって来る亜鉛焼鉱貨物・通称安中貨物。午後3時ごろに、常磐線から新松戸のデルタ線を通って南流山の中線に進入して来ます。えび茶色に塗られたタキ+トキの編成は本日フル編成の18両、以前は田端のEF81やらEF510が牽引していましたが、現在は仙台総合車両部のEH500が牽引しています。南流山のホームの一番いい場所は先客さんに抑えられてしまったので、架線柱が入りますがやや開き気味の角度で構えてみました。


南流山の中線で普通電車を先行させるべく退避中の安中貨物。タキ1200を後ろ側から圧縮して撮ると複雑に突き出た金属のステーがまさに「異形のモノ」と言った趣。荷主様である東邦亜鉛の私有貨車なので、この貨物列車のみでしか見られないレアな車両です。この安中貨物の歴史は古く、昭和44年に「東邦亜鉛号」の名前で走り始め早くも半世紀弱の歴史があります。現在のコンテナ貨物全盛時代に残った数少ない車扱貨物の列車ですから、ファンが多いのも頷けますよね。


以前はこの列車、泉から常磐線を隅田川まで走り貨物線経由で田端から東北線・高崎線を下るルートで安中へ向かっていましたが、現在は北小金から武蔵野線経由南浦和回りに変更となっています。その昔、20世紀の時代は友部から水戸線・両毛線経由で安中に向かっていた事を最近知りましたね。子供に「あの貨車は何を運んでいるの?」と聞かれたのですが、積荷の亜鉛焼鉱は安中の工場で金属亜鉛に精錬され、めっきや合金などの各種用途に用いられているんだね。腐食を防ぐ被膜があるから、カナモノが錆びずに使えるんだよ。んなこと言ったって小学校低学年に分かるかどうかは知らんけどw

南流山で先行する普通列車に乗って、隣の三郷駅で下車。トラスの江戸川橋梁を渡って来るところをもうワンカット。
タキ+トキの編成美に、トラスの造形美を添えて。
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雨上がりの虹

2017年06月25日 22時17分14秒 | JR(貨物)

(梅雨は乗り鉄に限る@馬橋駅)

今日はヨメさんと下の子がちょいと野暮用で出掛けてしまうので、いわゆるデンシャ大好き野郎組はこれを口実に好き勝手してもいいよと言うターンでありました(笑)。とは言え、朝からしっかり梅雨らしくジメジメシトシト系の雨が降っていてどうしたもんかいな、とも思ったのだけどまあ電車乗って駅撮りなら雨降っててもよかんべ!と言う事で久々に常磐線方面へ出張ってみました。いつも新鶴見辺りで見ている東タ~隅田川間のシャトル便、直線距離では25km足らずの距離を武蔵野貨物~武蔵野線回りではるばるやって来ます。


ちょーっとスマホで情報をポチポチ拾っていたら、田端のEF81がホキを牽引して水戸から新小岩に向けて走るというネタが。あまりネタを進んで拾いに行くようなタイプではありませんが、常磐線系統の昼下がりと言えば結構どっかしらかの工臨が新小岩に向けて戻って行く時間。最終的な行き先は新小岩や越中島なので、新金線に入る前のアイドルタイムとしてだいたい金町あたりで見かける事が多いですね。

今日の水戸工臨のカマはレインボー機ことEF8195。ロクゴもいいけど常磐線スジと言えばやっぱり交直流機でしょう!少し色褪せたとはいえさすがに田端のエースの貫禄。颯爽とホキ8車を従えて、雨の止んだ馬橋のストレートを駆け抜けて行きました。
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梶原雨情

2017年06月19日 23時18分14秒 | 都電荒川線

(物憂げな午後@都電梶原電停)

あまり天気予報の良くなかった日曜日、上の子供がどこか連れて行けと言って来たので二人でブラブラと電車に乗った。アテもなく新宿から秋葉原に出て、日暮里から舎人ライナーに乗り、熊野前で降りて都電に乗り換える。子供がおねだりするので梶原の電停で下車。珍しく一眼レフも持って行かなかったのでスマホ撮り。泣き出しそうな空が梅雨らしい。思えば雨のない今年の梅雨である。


思えば去年もこの時期に都電に乗りに来た。飛鳥山の紫陽花が見ごろの時期でもあります。電停から踏切を渡って二軒目、和菓子の「明美」さん。地元飛鳥山の紫陽花をイメージした美しい金平糖や、鮎の形の和菓子が夏らしい。夏の和菓子と言えば私は水まんじゅうとか麩まんじゅうが好きですねえ。笹の葉っぱに包まれたのをツルっと食うのが美味いんだ。


そして子供にねだられたのが、この「明美」さんの最大の名物「都電もなか」。いつから売られているか知りませんけども、確固たる東京名物としての地位を築き上げた下町の一品。パリリと乾いた皮に包まれた粒あんとねっとりとした求肥は、シンプルながら甘いもの好きには堪えられない味わい。都電の新車が出るたびに律儀にパッケージを作っており、最新の改造車7700形までしっかりラインナップに入っているのが丁寧です。


梶原の電停には、「たばこ」の古びたホーロー看板も懐かしい売店と古書店があって、今でも営業を続けている。雑然と積まれた古書とぶっきらぼうに差されたスポーツ新聞の取り合わせが、より物憂げな下町の午後の時間を感じさせる。梶原の街は愛宕地蔵を囲む「梶原銀座」と呼ばれる商店街を中心にした地区で、地蔵の縁日の日はそれなりに賑わうそうですが、私が行く時はいつも案外とひっそりしているイメージがあります。


この電停の隣の古書店は「梶原書店」と言って、創業者のご主人はたいそう競馬好きだったそうな。ある日、新聞に載っていた騎手候補生募集の広告を目にしたご主人。ちょうど頃合いに体が小さかった古本屋の息子は、オヤジのひょんな勧めのままに馬事公苑の騎手課程に進むことになります。下町でベーゴマや缶蹴りに明け暮れていた少年は、落第ばかりの候補生。三度の騎手試験を経てようやっとこ騎手の免許を取り、21歳という遅咲きのデビューを果たします。それが、のちの第54回日本ダービー優勝ジョッキー・根本康広騎手。

この古書店からダービージョッキーが生まれた事を、一体どれだけの人が知っているのだろうか…
とうとう雨が降り出した梶原の電停を、都電がせわしなく行き交います。
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オレンジバーミリオンの系譜

2017年06月15日 23時09分23秒 | 小田急電鉄

(瞳に映るものは@開成駅前)

開成のあじさい祭りに合わせて、開成駅前に保存されているNSEこと小田急3100形ロマンスカーが公開されていました。もう引退してからだいぶ経ちますけど、子供の頃の小田急と言えばロマンスカーはNSEと御殿場に行くSE(3000形)の2形式が主力で、新しいロマンスカーだ!なーんて言ってLSEがようやく出て来たころだったかな。そもそも開成の駅なんてその頃はなかった。新松田の次は栢山だったしね。

 

駅前に建てられた高層マンションの敷地内に、非常にきれいな状態で保存されているNSE。とにかく懐かしいね。軸梁が横に長いミンデンドイツ型の台車が特徴的です。月に2回、第2・第4日曜日が公開日だそうですが、公開していないときはカバーをかけて雨風から守っていたりと非常に丁寧に扱われているようです。

 

展望席と、その上の運転席。古い車両にありがちな独特の機械油のような匂いが運転室にこもっていました。展望室上に作られた運転室は、足を伸ばすスペースも少々窮屈な印象。ロマンスカーの運転士は社内でも結構なエリートしか運転出来ない(今でもそうなのかな)と言う話を聞いた事がありますけど、選ばれしものだけが許された特別な空間なのかもしれません。マスコンは東芝製、主電動機はTDの社紋でお馴染み東洋電機製造製です。


車内のスペースは、展望席以外は椅子を取り払いギャラリーとして使われている様子。それこそ自分が子供の頃の小田急線の風景が展示されていて非常にツボである。2600系の各停を上下線に待たせて千代田線の準急と回送のSE車が走る風景はまさしく自分の知ってる地上時代の東北沢!営団6000系の「S」のマークが眩しいぜ。遠くに代々木上原のシンボルであるトルコ大使館のモスクも見えますね。当時の東北沢は、各停に乗ってると退避時間がとにかく長くて飽き飽きする、京急で言えば南太田のような駅でした。まだ遊園止まりの各停が主で、準急があって、急行は箱根湯本/片瀬江ノ島行きだった時代です。分割案内板はAとB。


これ、何周年の時なんだろ。小田急はよく〇〇周年みたいなアニバーサリーイヤーに海老名の車庫で片っ端からロマンスカー並べて写真撮影をする事があるんだけど、EXEが最新で、VSE前夜と言う事は80周年?。この頃EXEがロマンスカーなのに展望席がないってんでえらい評判悪かった記憶があるなあ。第1回のSE3000形から代々ブルーリボン賞を受賞している小田急のロマンスカーの中で、唯一30000系EXEだけがブルーリボン賞を取ってない事からもその筋からの悪評が強かったことを表わしているような。


SEから続くロマンスカーカラー、オレンジバーミリオンの系譜。現役で唯一この塗装を纏うLSE、後継の70000系にこの色は受け継がれるのでしょうか。来春のデビューであれば、そろそろ日車で先行のモックアップくらいは出来上がっているのでしょうね。
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