青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

並んだ、並んだ、赤・青・黄色

2014年05月25日 22時56分54秒 | 京浜急行

(定番丼とは何ぞや@京急ファインテック久里浜事業所)

えー、すっかり更新から遠ざかってしまいご無沙汰しておりました。GWを過ぎてから書くネタに乏しかっただけで別にフツーに暮らしておりますが、このまま5月更新ナシで流しちゃっても良かったんだけどそれもナニですので今日はネタ拾い。今日は毎年恒例の京急久里浜工場の開放日、「京急ファミリーフェスタ」に参戦して参りました。関東の鉄系イベントの中でも群を抜く動員力と言っても差支えない京急のフェスタ、混んでるって言葉が何より嫌いなアタクシですが、このネタに関しては子供からも「行きたい!」と言う明確な意思を頂戴していましたのでねえ…毎日「けいきゅうのおまつり、いつやるんだっけ?」って聞かれてたし。


京急の久里浜工場は北久里浜~京急久里浜の中間点にありますんで、どっちの駅から行っても歩くにゃちょっと、な距離。てな事で京急久里浜の駅前からシャトルバスをガンガン出してのピストン輸送となる訳ですが、まあのっけから大混雑で行く先が案じられる状況。工場の前の通りって普段仕事で通るんで良く知ってるんだけど、マジでアイビーヒルズ(工場の裏手にあるマンション群)の連中が怒り出しかねねーなと思わずにいられない大渋滞に陥っておりましたw


まずはこの手のフェスタの基本中の基本、車両展示へ行ってみる。今年の展示は左から2000形2001編成(リバイバル)、1500形1707編成・1501編成(大師御開帳カラー)、1000形1057編成(イエローハッピートレイン)、600形606-1編成(ブルスカ)、2100形2101編成(トップナンバー)、800形811-1編成となっておりました。枠外にデト11もおりましたですがね。しかし子供に見せてやろうにもなかなか人垣をかき分ける事が難しく…(笑)。府中のG1でパドック見に行く体で図々しくも前列へw

  

さすがに全部の車両を最前列でガッツリっちゅー訳にもいかず、とりあえず子供のオーダーに応えカラフルな3編成の前まで。どの車両にも親子ともども乗車済みではありますが、この並びは分かりやすいいかにもなイベントっぽい絵面ですなあ(笑)。並んだ、並んだ、赤・青・黄色に子供も大興奮。基本的に曇りベースだったけど、晴れてたら逆光でどーもならんかったから却って良かったよ。1500形ってのは京急の中では一番人気ない車両だと思うけど、今回川崎大師の御開帳に合わせ大師線用の4連が赤一色に塗装変更されてにわかに注目される存在になりました。今んとこ何にもないダルマ800形にもそろそろ何かの仕込みがあってもいい頃かな、と個人的に思っているのですが。

 

場内の片隅に置かれている外された椅子。「あれは何?」と言うヨメ。たぶん午前中のオークションで落とされたブツである事を告げると「あんなもん買ってどうするの?」と言う至極まっとうなお答えが(笑)。奥のブースでは車両部品の販売展示が行われていて、「KHK時代のプレートとかそそるよなあ~!」とか言ってると係員のオジサマが「これは800の更新かかったり廃車になったやつから順次抜いてるんだよ!」と言う合いの手。そして机の上に置かれた品物の値段にビビるヨメ、ついに「なんでこんなモノがこんなに高いんですかっ!?」と言うNGワードを口走ってしまったヨメに、「これは800がデビュー当時の3連の時代に付けてた車内の銘板ですからねえ!もう絶対手に入らないし、相当にレア度高いですよ!」と言うガチな答えで応戦するオジサマのドヤ顔。うん、すごく良く分かるんだけど、ヨメにとってはサンスクリット語にしか聞こえないっすよ、オジサマw


今日は2つの工場部分も開放。車両の展示もいいけど、こーいう鉄道の舞台裏的な場所に入れるのもイベントならではですね。「(息)あっ、何だかこのしゃりょうピカピカ!」「(俺)これは5月に甲種で来た編成でないの?」「(息)とうかいどうせんできたの?」「(俺)うん、神戸の川重からだと思う」「(嫁)ねえねえ、甲種って何よ?」「(息)でんしゃつくってるこうじょうから、はこばれてきたんだよ!」「(嫁)ねえ、意味合ってるの?」「(俺)うん、だいたい」…嫁、呆れるw

  

車両展示に比べたら人は少なかったけど、特修工場では塗装中の車両なんかも見れたりして…仮台車に乗っけられて下塗りだけの車両の姿は何だか滑稽。つーか塗り途中の2100は見ようによっちゃあ名鉄の3500系みたいに見えると言う事が判明したのは収穫w

  

主工場の所狭しと並べられた機械類、工具類、そしてほんのり漂うケミカル臭。無数の無骨な配管や骨組み。ここは京急のメカニックたちが日ごと汗を流して検修に勤しむ心臓部。全然違う職業を選んではいるけど、こんな職人の技術をメインにしたストイックな世界には憧れを感じますね。そして感心したのは工場内で熱心に接客する現業の駅長さんたち。矢継ぎ早な子供の質問にも応じたり写真撮影に応じたりしてるんだが、イベントごときで駅長呼んじゃって仕事はどーしたよと言われちゃうのかもしれんけど、なんつーか社員の対応も「イベントごとき」にしていない本物の鉄道の魅力で勝負してるイベントって感じがするね。さっきの物販のオジサマもそうだけど、会社の気質がそうなのかね。


ちょっとでも混雑を避けるために遅れて14時ごろの入場だったし、事前に参加募集が締め切られてるイベントも多かったんでサラッと駆け足でのイベント見学でしたが、子供の大満足は当然として意外なのはヨメの好評価(笑)。何だか社会科見学みたいで面白かったそうで…まあ混んでるとかなんとか言わずに行ってはみるものですねえ。

最後には息子の憧れの人(?)にも会えたし、家族サービスとしてはかなりの高得点を叩き出した模様w
だから、今度は一人で福井(ry
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皐月遠州緑風記 その4

2014年05月10日 23時28分02秒 | ローカル私鉄

(ミス浜松2014@浜松まつり)

浜松駅周辺で絶賛開催されていた浜松まつり。浜松界隈では年間を通して一番大きいイベントと言う事で、駅周辺は大変な賑わい。歴史としては450年を数える祭りで、昼間は中田島砂丘を使った遠州名物の凧揚げ大会と、夜が駅周辺を浜松市内各町内の山車が練り歩く「御殿屋台引き回し」の二本立てで行われるそうな。そんなこんなで一大イベントですからミスコンなんかも当然絡んで来る訳ですが、駅前の広場ではどうやら前日に選ばれたらしい「ミス浜松2014」のお披露目式が行われていた。静岡県で一番人口の多い浜松市のミスな訳で、ある意味静岡県で一番かわいい(orキレイ)なお姉ちゃんが選ばれていると言う事になるのだろうな(笑)。ちなみにアタクシはこの3人の中なら右ですw

 

駅周辺に並ぶ各町内会の山車。この夜の屋台引き回しで、浜松まつりの盛り上がりはクライマックスを迎えるらしい。何でも参加町内数は170有余を数えるんだって。そりゃあ遠鉄電車の車内に法被姿が多い訳ですなあ。各町内でそれぞれこんな規模で山車を用意しているともなれば、町内会費が結構高いんじゃないかと言う無駄な心配をしてしまうのでありますがw


駅周辺の道路は夜になると屋台引き回しのため通行止めになる模様で、既に見物のための場所取りが道路脇で始まっている。ゴールデンウィークと言う事と、祭りのあいまったワサワサ感に包まれた浜松市街中心部をぶらりと歩いて新浜松から一つ目の駅・第一通り駅に。新浜松から500m、1985年の第一次遠鉄高架化に伴って新設された駅です。


第一通り駅に到着する2000形トップナンバー2001編成。高架化される前、遠鉄電車は西鹿島方面から南進して浜松市街中心部に到達する直前大きく東にカーブを取り、遠州馬込駅でスイッチバックしてから浜松駅に到達すると言う何だか無駄なルートを通っておりました。元々遠鉄は浜松駅を現在の新浜松駅から少し離れた北側(現在の遠州病院駅付近)に置いていて、やっぱ不便だよねってんで旧の浜松駅から先に伸びていた鉄道(濱松鉄道)の駅の途中(遠州馬込駅)から逆向きに線路を作って国鉄の浜松駅に接続させたのだが→遠州馬込から先の鉄道が廃線になってしまい→スイッチバックの形で遠州馬込駅が残った→「(乗客)さっさと浜松駅に行きたいのに何で浜松駅の手前でわざわざスイッチバックしてるん?(怒)」→「(浜松市)せやせや、駅周辺の再開発もあるしカネ出すから高架化してまえ」→「(遠鉄)じゃあ浜松市さんが噛んでくれるならやりましょか」→助信駅手前から一気に高架化、旧浜松駅(遠州病院駅)からは別ルートとし浜松駅前にダイレクトアクセス、第一通り駅と新浜松駅を開設。とこうなった訳です。長いなw


現在はさらに高架区間は伸び、新浜松駅から自動車学校前駅間の約5kmの高架化が完了。路線北部の遠州芝本駅~遠州小林駅間も高架化されており、浜松市とタッグを組んだ立体交差化で実に高規格な線路を手に入れた遠州鉄道であります。もちろん行政の支援もあるんだろうけど、やっぱ地方私鉄としては優秀な経営体力があるからこそなんでしょうなあ。


正直申し上げて地方私鉄らしい風情とは無縁な雰囲気の中、とりあえず途中下車してみたい駅もなく西鹿島駅に戻って来てしまいました(笑)。さっき新浜松の駅で知ったんだが、通常2連で朝のラッシュ時にのみ4連運行になる遠鉄電車が、今日は浜松まつりのメインイベントである夜の屋台引き回しに対応して夕方も4連運行やるってんで見て行こうと言う事に。16時00分西鹿島発の新浜松行きから4連運行がスタートするようで、到着した電車へは増結作業対応の係員の方が乗車しております。

 

増結作業を見学したかったんだけど、西鹿島駅は列車到着後は乗客を出してホームを一旦締め切ってしまうのと、どうやら増結はホーム奥の引き上げ線でやるようなので沿線に出て撮りに徹する事に。全線に亘って高架と住宅密集地と言うおよそ撮り鉄さんには地獄のような遠鉄沿線ですが(笑)、西鹿島から遠州岩水寺駅に向かって線路に並行して走る道路がちょっと開けている場所があったんで座を構える。傾きかけた日差しを浴びて1000形&2000形の4連運行、まあ平日の朝にわざわざ遠鉄電車を撮りには来ないだろうから、おそらくこれが最初で最後の遠鉄4連撮影でしょうw

 

4連運行ともなれば、西鹿島で寝ている車両を増結用に出して行く訳で、当然車両が足りなくなるのでしょうから予備の旧型が動くのではないか?と思うのは当然の流れ。何本か4連をやり過ごして待っていると、予想通りに旧型4連が浜松まつり増結祭りに参戦!(笑)。惜しむらくは順光側のクハ51顔面陥没エセ湘南銀ネズ目玉顔ですが…フツーに土日に来たら旧型車が動いてるトコなんか見れない訳ですし、サイドの2扉&端正な連続二段窓が晩春の夕日に輝く姿は、やはり地方私鉄の自社発注車萌え+日車標準型愛好者にとってはたまらないものです(笑)。

純正湘南フェイスのご尊顔は陰ったお顔となりましたが、いやいや拝めただけで満足です。
遠州鉄道、これにて無事に履修完了。
旧車が動くところを見れたと言う事で、単位判定は「優」でいいっしょ!
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皐月遠州緑風記 その3

2014年05月07日 05時42分05秒 | ローカル私鉄

(今年で創業107年@遠州鉄道社章)

遠州鉄道の前身である濱松鉄道は明治40年に設立され、明治42年には現在の路線とほぼ同じとなる濱松~鹿島間を軽便鉄道の規格で開通させました。現在の私鉄の根拠法となる「私設鉄道法」が公布されたのが明治33年、そして地方の鉄道敷設を促進させるため簡易規格での鉄道建設を認めた「軽便鉄道法」が公布されたのが明治43年ですから、いわゆる「地方私鉄」のくくりに入る路線としては開業が相当に早い。鉄道黎明期からの相当長い歴史を持つ鉄道会社って事なんですねえ。今や交通を中心とした遠州のコングロマリット企業として発展した遠州鉄道グループですが、ある意味「何でもやってやろう」と言う意味の遠州っ子気質である進取気鋭の「やらまいか精神」のスピリットが生み出した鉄道会社なのかもしれません。

  

遠江一宮から約30分、西鹿島駅で下車。構内の地下道を通って天浜線から遠鉄にお乗り換え。西鹿島の駅は遠鉄の管理下にある駅で、天浜線は一番駅舎から離れた遠いホームを間借りするのみの存在ですが、遠鉄側には西鹿島工場と車庫があって、赤い電車が狭い構内に隙間なくぎっちりと留置されております。ほどなくやって来た折り返しの新浜松行きは1000系1005編成。1983年に旧型の従来形式から一新されたデザインでデビューし、現在は遠鉄の主力車両。大きなパノラミックウインドウにデカ目の角型ライト、ライト下のアンチクライマーがなんとゆーか一昔前のロボット風w

  
 
最近はどこの地方私鉄も大手私鉄(東急だの西武だの京王だの)の譲渡車輛を使って体質改善を図るのが常でもありますが、遠州鉄道は現在も一貫して自社発注の車両のみで運行を継続していると言う事は特筆すべきでしょう。車庫に憩う遠鉄中興の祖・30形は、前面の湘南窓と特にサイドビューがいかにもビバ日車標準型って感じでたまらない逸品(笑)。嫌でも長電2000や地鉄10020を思い出します。
現在モハ30形+クハ80形のコンビは3編成残存しており、そのうちの2編成は何と吊り掛け車なんだそーな。ぜひ動くところを見てみたいが、主な出番は平日朝ラッシュの4連運行時のみの様子…加えてモハ27+クハ89に至っては赤が褪色して干からびたサツマイモのよーな色になって車庫の奥に押し込まれておりまして、側面を見ると検切れ。どうやら運用離脱のようです(涙)。それにしてもモハ側とクハ側で何でこんなにカオが違うんでしょうね。端正な湘南窓のクハ側に比べ、モハ側の顔面陥没エセ湘南窓に銀ネズのデカ目玉と言ったら…(笑)。

 

西鹿島の車庫をひとしきり眺めた後、電車に乗って遠州西ヶ崎駅にやって来た。島式ホーム1面2線、ホームの端に改札口を配し、改札口からはスロープで東西に走る踏切通路へ繋がっている。遠鉄の駅ではポピュラーなスタイルで、いかにも郊外電車の駅と言った佇まい。西鹿島は車両基地としての機能を持つ駅ですが、ここ遠州西ヶ崎には乗務員の詰所がありまして、車掌&運転士の交代風景を見る事が出来ます。進入して来た新浜松行き2000形、ほぼ見た目は1000形と変わりませんが、駆動装置がカルダン駆動からVVVFに変わっております。


駅の裏には遠州鉄道が開発したであろう遠鉄西ヶ崎マンション。早朝深夜を除いて西鹿島基準で00・12・24・36・48分発の完全な12分間隔のネットダイヤ、こっから新浜松までは20分弱と浜松までの通勤も楽々。遠鉄不動産で価格を見たら2DKで家賃5万円台だそうで、いかがなもんざんしょ(笑)。なーんてくだらない事を駄弁っておりますが、マンションの下の側線に止まっている青い車両…あれはなんですか?

 

この機関車こそ遠鉄の輝けるオールドスター・ED28型2号機。何と1925年(大正14年)にイギリスのイングリッシュエレクトリック社という所で作られた御年89歳の古典電機。新製当時は現在の飯田線の前身である豊川鉄道の電機として導入されまして、豊川鉄道が国鉄に買収されて飯田線になった後、昭和34年に遠州鉄道に入って来ました。カニの目玉のような尾灯、大きな台枠にちょこんと乗った凸型ボディがかわいらしいこの電機、この手の凸型電機では上信電鉄のデキ1なんかの1年後輩に当たります。今なお現役でお供のホキを引いては夜な夜な保線工事に充当されているそうで、無理だと思うけど動くところを見てみたいもんですなあ。目の覚めるようなライトブルーに塗られたボディは下回りの塗装もきっちり入っていて、大事にされているんだなあと感じます。

 

西ヶ崎から再び電車に乗って新浜松方面へ。車窓は何を言う事もないような、普通の浜松市郊外の住宅地の風景ですが、2両編成の車両は吊り革の8割方が埋まる混雑ぶり。さすがGWなのだが、今日は浜松でお祭りをやるらしく法被姿の乗客も目立つ。上島からは高架線に上がり、いよいよもって地方私鉄とは言えないようなハイスペックな景色になって来た(笑)。これで地方私鉄って言うなら東武野田線(アーバンパークライン)の末端区間とかどうなのよ…曳馬駅を出る新浜松行き、左にそびえる建物は浜松のシンボル・アクトシティ浜松です。

  

西鹿島から真っ直ぐ来れば32分、終点・新浜松に到着。ホームは遠鉄百貨店に隣接したビルの3階、改札口は2階にある。相対式ホームですが普段の乗り降りは手前の1番線のみの利用となっており、2番線は使われていない様子。かように近代化された遠鉄ですが、自動改札は導入されておらずICカードも全国共通のものは未対応。「ナイスパス」という独自の非接触ICを簡易改札で使っている、と言った塩梅。


午前中に見ていた風景が嘘のような、大都会・浜松の光景(笑)。事前には全く知らんかったんだが、GWは「浜松まつり」と言う全国的にも有名な祭りが開催されるようで、駅周辺どころか街中がお祭りムード一色の賑わいを見せている。祭りの賑わいを引き立てるような、鮮烈な赤の車体を午後の日差しに光らせて、遠鉄電車が新浜松の駅に進入して来る。電車が着くたびに吐き出される祭りの見物客が、駅前の賑わいをさらに加速させていくようで…

祭りの日 赤い法被に帯締めて 走る電車は 賑わい運ぶ
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皐月遠州緑風記 その2

2014年05月06日 05時19分13秒 | ローカル私鉄

(森を抜けて@細谷~原谷間)

天浜線の線路は遠州平野北部の街をなぞりながら敷設されておりますが、その主要駅は遠州森(太田川)天竜二俣(天竜川)金指・気賀(都田川)とどこも山から流れ出た川が遠州平野に達する場所に発達した街にあります。街と街の間では、支流も含めそれぞれの川が刻む小さな丘をいくつも越えて行くため、大きな峠はないものの比較的細かなアップダウンが続く。そんな路線の特徴を表すような小さな名もなきサミットを、TH2100がエンジン音も軽やかに登って行きます。


天竜川橋梁の撮影を終え、列車もそろそろ毎時上下一本のまったりペースになって来ました。特にアテもなくぷらぷらと宮口駅。駅周辺は住宅地で、ここまでは天竜二俣方面からの区間列車もあったりする。旧浜北市の外れに位置する駅ですが、思い出したけど初めて天浜線に乗りに来た時にここで降りたことがあるよ。一昔前ならどこにでもありそうな赤銅色の瓦屋根、平屋建ての物件はこれも登録有形文化財。そこそこ、え~?これがぁ?とか言っちゃあいけないよw

  

これを何の変哲もない…と終わらせてしまうのは簡単かもしれないですが、駅の本屋よりも掛川方面のホームにある木造の待合室に実に惹かれます。なんすかこのキング・オブ・田舎の駅の待合室って佇まいは(笑)。国鉄時代そのままのフォントで、タテのホーローの駅名票が取り付けられている風合いも良し。そして三方原の台地に向かって緩やかに伸びて行く線路を眺めていると、静岡と言うよりは指宿枕崎線とか日南線みたいな南国のローカル線?的雰囲気があるように思えるな。


上り掛川行きが到着する時間に、親子三代の家族連れが現れた。列車に乗るのかな?と思って見ていたら、どうやら近所から孫と列車を見に来ただけの様子。そんな微笑ましい光景を横目に、小さな応援団の声援を受けて掛川行きTHが宮口駅を出て行きます。


午後は遠鉄に乗る予定なのであまり西下する気もないのだが、またふらふらとフルーツパーク駅先の都田川橋梁。宮口駅からフルーツパーク駅にかけてが天浜線の一番のサミットで、天竜川と都田川の分水嶺を越えた下り列車は浜名湖北岸に向けての下り勾配に入ります。段丘状に三方原台地を削る都田川の谷は、まさに今が全力で新緑を謳歌しているかのような。こんもりとした森の向こうから、THが鉄橋の上に躍り出て来ました。


フルーツパーク駅の裏側にある新東名浜松SAのスマートICから一気に進路を巻き戻し掛川方面へ。やって来たのは原谷駅。原谷と書いて「はらのや」と読みます。隣の細谷駅はほそのやでなくて「ほそや」なのだが。駅前に申し訳程度に吊るされた鯉のぼりが目に付く程度の静かな駅。但しこれも登録有形文化財(笑)。ほらほら、そこそこ、え~?これがぁ?とか言っちゃあいけないよ(二回目)


ここからは徒歩で原野谷川橋梁へ。途中のコンビニでおにぎりとお茶を買って、ぷらっと散歩がてら歩くこと駅から10分。到着してみると、川面を渡る鯉のぼりの群れが迎えてくれました。可睡(かすい)丘陵の谷戸を潤して流れる原野谷川の河原で、列車を待ちながら木陰で握り飯を食うひと時。気付けば向こう岸でも弁当を広げる老夫婦の姿が見えたりして…天浜線の魅力は、こーゆーまったりとした空気感にあるのかねえ。


モグモグと握り飯を食い、陽射しはだんだんとトップライト。持って来たお茶はぬるくなり、そして側面に光が回らずに撮るのが難しくなって来ます。本当であれば下流側から原野谷川橋梁を渡るシーン(辛うじて順光側)を収めるはずだったんだが、この鯉のぼりを見てしまっては季節モンだけに無理クソでも絡めに持って行きたいトコ。残念ながら鯉のぼりが掛かっているのは橋の北側で、手前に鯉のぼりを配して撮るには逆光ベース。そして鯉のぼり相手で一番問題なのは風!当たり前だが風になびかずダラッと下がった鯉のぼりなんか、腰越の商店街で下がってるメザシじゃねーんだからって感じでw(それはそれで情緒があるんですけど)構図と露出を検討して逡巡する事暫し…出した結果はこれですが、どうでしょ?


さて、時間も少々押し気味となっておりますので、これからはパークアンドライド。遠江一宮の駅に車をデポし、一路天浜線の乗客となるのであります。午前中天竜二俣の駅で仕込んだ「天浜線・遠鉄共通フリーきっぷ」の東ルート版。天浜線は掛川~西鹿島、遠鉄線は西鹿島~新浜松間の全線が乗り放題で1,450円。有人駅じゃないと手に入れられないんでお気を付けくださいw
天竜二俣方面の列車にはちょっと時間があるので、遠江一宮駅を遠景で。大きくカーブしたホームに到着する掛川行き、下りホームの大きな銀杏の木が印象的。駅舎は、昭和15年に二俣線が全通した当時のものらしいですな。正直、走ってる車両は新潟トランシス製の軽快気動車だし、車両ににさほど魅力がある訳でもない(笑)。それでも天浜線に惹かれるのは、そこかしこに漂う昭和の香りと風景、由緒ゆかりあるストラクチャーの数々なんでしょう。

これでいすみ鉄道みたいに旧型国鉄キハとか走らせたら、物凄く人気出るんじゃないか?と思わなくもないけど、そこらへんのヲタの理屈はともかく、もっと人気が出てもいい路線なんでないかね。全長たっぷり70km弱と乗りごたえあるし、各駅の沿線グルメを愉しみながら鉄道の歴史に触れ、のんびりした里山の風景に癒される。そんな一日を過ごすにはちょうどいいと思いますよ、天浜線。
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皐月遠州緑風記 その1

2014年05月05日 06時38分17秒 | ローカル私鉄

(てんはま×あかでんフリーきっぷ)

今年のGWは日巡りが悪いんで、なかなか旅行の日程などは入れにくく。3日の初日は子供にせがまれてこんなモノを横浜まで見に行ったりしてしまったのだが、電車の到着が近付くにつれてワラワラと集まり出した夥しい数のガキ…もといオコサマテツがデジカメ持ってホームを走り回るわアングルに割り込むわでとてもまともな画像を残せる状態になく(苦笑)。次の検査くらいまではそのままの塗装で走るんだろうからいずれその姿はゆっくりと鑑賞したいとは思いますが、側面だけ見ると「えっ、西武の新車って18m3扉なの?」と思わず言ってしまいそうな電車だなあれはw
閑話休題。そんなGWですが「一日くらいお暇を戴いてもいいんじゃね?」と言う事で昨日は終日フリーに。勢いで言ってしまったのでどこ行くか全然決めてなかったんだけど、最寄りICからとりあえず東名に乗ってしまったんでそういや未履修だった遠州鉄道の単位を取得する事に致しました。信州方面もちょっと考えたんだけど、それは圏央道が6月に高尾山まで繋がってからでもいいでしょう。遠鉄だけじゃ時間を持て余してしまいそうだったので、午前中は天竜浜名湖鉄道、午後は遠州鉄道のプランで回ってみます。

  

遠州森町PAのスマートICを出て到着したのは遠江一宮駅。朝の6時半ですからもちろん人っ子一人いません。無人駅ですが、「百々や(ももや)」と言う蕎麦屋さんが併設されていて駅を守っています。天浜線の得意技である「駅テナント化」ですな。駅のスタイルは天浜線によくある上下のホームが互い違いになっていて、その間を構内通路が繋ぐタイプ。互いの運転台を揃えるタブレット交換時代の名残でしょう。春の霞んだ空気の中、朝日がホームのベンチを染める光景を眺めていると何となく落ち着きますね。駅の時刻表で確かめると、7~8時台は30分間隔程度で列車が走る様子なので、沿線で展開してみましょう。

 

駅から車で線路沿いを走っていると、小高い丘の斜面に茶畑が広がる一角を見つける。♪夏も近付く八十八夜の「八十八夜」ってなあ5月の2日の事らしく、季節はまさに新茶のシーズン。新茶の風景と言えばお隣の大井川鐡道が知られてますけど、どっこい天浜線沿線も掛川茶の産地としてつとに有名。掛川茶の特徴は普通の茶葉より時間をかけてじっくりと蒸した深蒸しなんだそうですが、そんな新茶の絨毯の上を、滑るように天浜線の主力気動車TH2100型が走り抜けて行きます。


遠くで新茶の刈り取り作業が始まっている。農作業も写真も朝早くが勝負だ。今度の列車は天竜二俣行きで、光の加減は半逆光。逆光だとアンダーで撮る事が多いのだけど、朝の光に輝く茶畑の柔らかな新芽の色を活かしたいのであえて絞り開放で。どうせ空も白っちゃけてるから逆手に取ってみようってのもあるんだが…こんな雰囲気を露出オーバーと見るかどうかはお任せ致しますが、何となく春霞のフワッとした感じが出たような気がしないでもなくないっすか?(笑)。

 

朝のダイヤが過ぎると列車本数も落ち着くので、天竜二俣方面へ。天竜二俣駅にほど近い製材工場の脇を行くTH。南アルプスで切り出された材木は、天竜川を筏で流されてここ天竜に集められました。現在は浜松市に編入されてしまったけど、旧天竜市は製材の街。そして、旧国鉄二俣線時代から沿線最大の街であり、機関区が置かれていた鉄道の街。今も現役で残る扇形機関庫(登録有形文化財)は前回見て来ましたので割愛しますが、この日も結構な数の観光客が見学ツアーの申し込みをしてましたなあ。富岡製糸場が世界遺産に登録される事になってからゾロゾロ行くような手合いは好きじゃないけど(笑)、まあ産業遺産的な文化財に注目が集まっているとしたら喜ばしい事です。


二俣本町~西鹿島間の天竜川橋梁を行くTH。橋梁の長さ403mはもちろん線内最長、3連のワーレントラスとプレートガーターで「暴れ天竜」の名を持つ遠州の大河・天竜川を渡る。東海道本線の浜名湖橋梁が艦砲射撃で狙われた際の裏ルートとして命を受けた路線ですから、設備面ではそれなりの投資をもって建設された路線ではあるようです。C58が客貨を引いて走っていた往時から比べれば、大鉄橋に単行気動車はあまりに軽い荷物かもしれません。


そんな天竜川橋梁を俯瞰する鳥羽山と言う山に登ってみる。さっきの写真の後ろに見える山なのだが、徳川家康が1575年に武田方の二俣城を攻めんとする際に築かれた山城だそうです。チョメチョメ。二俣城は鳥羽山のさらに北側にある城山って山にあんだけど、1572年に家康さんは城山で信玄に負けてまして(二俣城の戦い)、鳥羽山城はそのリベンジマッチを挑むために築かれたものらしい。大きな歴史イベントでは三方原の戦いと長篠の戦いの間の2~3年間程度、二つの山城を巡って両軍がやったりやられたりを続けたそうな。そんな山城に登って眺めれば、なるほど鳥羽山は天竜川のほとりにそびえる天然の要塞。霞む三方原を一望の下に収める事が出来ます。

 

眼下に眺める天竜の流れを、トコトコと単行のTHが渡って行く。山城を吹き抜ける風に乗って、トラスを鳴らすジョイント音が聞こえて来る。正直単行では列車はどこにあるでしょうかクイズになってしまうのですが、新緑の眺めは美しいからやむを得ない事と割り切ってシャッターを切ります(笑)。天浜線の天竜川橋梁に並走するのは国道152+362号(重複)の鹿島橋で、これもカンチレバートラスと言う珍しい形のトラス橋。ツノのように見えるのが吊橋で言う所の主塔でして、これがトラスを両側から支える構造となっております。ええ、最近橋マニアですw

先ほどの曇天はウソのように、霞みながらもしっかり晴れた皐月の遠州路。
車内の汗ばむ陽気にクーラーを入れながら、次の撮影地に向かうと致しましょう。
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