青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

おくのほそ道、細いホームと名刹と。

2024年06月09日 12時00分00秒 | 福島交通

(ハナミズキの咲く道を@花水坂~医王寺前間)

飯坂の温泉街を背に、小川の鉄橋を渡って行く「いい電」リバイバル。小川というのは抽象的な名称ではなく、川の名前が「小川」という川で、摺上川の支流に当たります。この小川と摺上川の間に湧いているのが飯坂温泉。上流の穴原温泉と並んで、奥州三名湯に数えられる東北屈指の古湯です。飯坂と言えば、昭和の時代はいわゆるお色気的歓楽要素が強く、大勢の芸者衆がお座敷にかかった温泉場。北陸の加賀・山城もそうですけど、いわゆる「男の甲斐性」的な会社の慰安旅行なんかで賑わいを見せた温泉場ってのは、団体客やツアー客狙いの大型の観光ホテルを中心にした宿泊施設が多く、そういったものが時の趨勢により段々に衰退して行きました。大箱のホテルは廃業するか中国資本に買われ、あるいは伊東園ホテルズみたいな再生屋に買われ、バイキング&大衆路線に転換して行きました。芸者遊びは「スーパーコンパニオン」という名前に形を変え、今でもそれなりに濃度の高いお遊びをすることも出来るのだそうですが、現在は個人客を中心に、昔ながらのレトロ旅館と温泉街を楽しむような「映える」楽しみ方をするのが人気があるようですね。「温泉むすめ」みたいなのも流行っているようですし・・・福島交通を始めとする地方ローカル私鉄も「鉄道むすめ」みたいなものを取り入れてますが、令和の時代らしい「萌え」と「推し」みたいなコンテンツビジネスはどのジャンルでも花盛り。ちょっと乱立し過ぎて食傷気味ではあるのですが。

花水坂から医王寺前まで歩く。医王寺はこの駅から北へ歩いて10分くらいの場所にあり、空海が開山したとされる古くからの名刹。松尾芭蕉の「おくのほそ道」にも、この医王寺で詠まれた句があるそうな。医王寺と言われると私なんかは秋の福島競馬の「医王寺特別(芝2,000m)」というイメージなのですが(笑)。2000年代からは春の福島開催の芝の1,200mになってるみたいですね。相変わらず知識がアップデートされていない。というか、福島周辺を歩いているとそこらじゅうの地名が福島競馬の特別戦なのでいちいち思い出を反芻してしまう。保原駅とかどうしてもアラブのオープン特別だった「保原ステークス」を思い出してしまうしな・・・そして、医王寺前の駅は島式ホームながらかなりホームが狭い。飯坂温泉側の最後の交換駅なので、朝夕はここでも交換をするようなのだが。ちなみに、今までで一番ホームが狭いな!と思った交換駅は、有名なところでは名古屋鉄道の西枇杷島駅ですけど、個人的にはえちぜん鉄道の越前島橋駅ですね。なんか、ホームというよりは平均台に近い狭さだった。

飯坂温泉へ向かう街道沿いの線路に駅舎を作る余地はなく、駅裏は住宅街。どこに駅舎を置くか?と考えた結果、島式ホームの福島側の頂点の位置に作る事になったようだ。駅舎の横幅よりも時刻表の方が横幅が長いというとんでもないコンパクトなシロモノである。線路を歩いて裏から回らないとこの小部屋には入れないようで、ボケっと部屋から外に出てしまうと電車接近時は危険かもしれない。狭いながらも駅のホームには自動券売機があり、ICカードのカードリーダーがあればもう出札業務はいらないと思われるのだが、それでも朝夕は駅員が配置されるようだ。カードリーダーを入れたら最近は信用乗車制に舵を切る鉄道会社が多いんですけどね。

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花水坂、春の熱湯コマーシャル。

2024年06月04日 21時00分00秒 | 福島交通

(終着駅の一つ前@花水坂駅)

福島駅から走り出した飯坂電車。東北本線を乗り越し、福島市の郊外を北へ。左側に走る県道に沿って伸びる住宅街と、ロードサイドの店舗を眺めながら走る風景はちょっと退屈。その分、それなりに乗客は多く、各車両に立ち客を乗せながら短い区間で設置された駅にこまめに停車して行く。車庫のある桜水で運転士が交替。福島交通飯坂線、この規模の私鉄では珍しくツーマン運行。駅に停車するたびに乗客からキップを回収するために車掌がホームに降りて行く。一応「NORUCA(ノルカ)」という福島交通限定の鉄道・バス共通のICカードも導入されているんですが、Suicaのように全国共通のICカードではないのでそこまで普及はしていない様子。先日熊本市交通局では「全国共通ICカードからの脱退」の方針を打ち出し、クレジットカードによるタッチ決済へ舵を切ることを発表していますけども、地方私鉄にとって「全国共通ICカード」ってのは、機器導入のイニシャルコストに加え、ランニングコストとしての決済手数料負担ってのがバカにできないほど高いんだそうで・・・

ぼんやりと車窓を眺めながら電車は医王寺前を過ぎ、緩やかに摺上川の支流の谷へ降りて、電車は水の乏しい川を鉄橋で渡って行く。このまま乗っても終点の飯坂温泉へ行ってしまうだけなので、一つ手前の花水坂の駅で降りる。飯坂温泉の温泉街の入口に、小さな1面1線のホームがあるだけの簡素な駅。駅前の坂を上ると飯坂温泉のようだが、この坂が花水坂なのだろうか。終点の飯坂温泉の駅は目と鼻の先、飯坂温泉の駅も1面1線で折り返しの時間をあまり持てないため、私が乗って来たリバイバル電車はすぐに折り返してきた。「花水坂」の名前の通り、ハナミズキの並木が続く道を横目に福島行きの電車が折り返していく。GWの飯坂温泉の予約状況はどうだったのだろう。

福島へ折り返していくリバイバルカラーを見送った後、せっかく飯坂温泉まで来たからにはどっかで一湯浸かって帰りたいな・・・なんて思ってしまうのは温泉好きの性。ちょうど花水坂駅の裏路地に、「十綱の湯」という共同浴場があったので立ち寄って行くことに。温泉街からはやや離れてますのでジモ専的雰囲気の共同浴場、湯銭200円を払って浸かるのだが・・・飯坂温泉ってのは、有名な共同浴場の「鯖湖湯」に代表されるようにとにかく熱い湯が特徴なんですけども、いやー、久々に熱湯コマーシャルやってしまいましたね。ビリビリ熱湯46℃。もう掛け湯の時点で我慢ならんくらい熱い。この温度を常連は特に難しい顔もせずに浸かっておるのだけど、熱さに関する感覚がマヒしてんのよね。

熱さに苦労して足を入れたり出したりするうちに、ジモのオッサンが「遠慮なくやんなよ!」ってにこやかにホースで水を出してくれた。それはありがとうなんだけど、それなりに湯慣れた人間と自負してはおりますのでちと悔しい部分もある(笑)。しかしまあお湯の温度も45℃を超えてくると、まず体感が「痛い」から始まりますねえ。この日の福島、フェーン現象で最高気温が32℃くらいあったので、湯上がりもヘロヘロ。浴場の前の長椅子に座って汗をダラダラ流しながら飲むミネラルウォーターの美味いこと(笑)。

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Good Train いい電車。

2024年06月02日 10時00分00秒 | 福島交通

(シティトレイン8100@保原駅)

福島交通軌道線・掛田駅の訪問を終え、阿武急の保原駅へ。福島行きの8100形に乗って、街へ出よう。GWの中日、電車の中は、市内に向かう高校生や若いカップル、そしてGWでも商用に勤しむ背広組などの様々な人種が席を埋めていた。阿武隈急行、福島県内区間は学生の利用によってそれなりの乗客数が確保できてはいるものの、やはり少子高齢化と過疎化による乗客減の波には抗えてはいません。単純な地方の少子高齢化による過疎化に加え、2011年の東日本大震災と、その後の福島第一原発事故では沿線住民の転出を招きましたし、以降も2019年の台風19号による福島~宮城県内における大規模な阿武隈川の氾濫、2022年の福島県沖地震と度重なる災害で、その都度長期の運休と10億円を超える規模の災害復旧費用を支出しており、災害対策費用の累積も県の財政に大きく影を落としています。

座席のモケットは新しいながら、手すりのついたクロスシートに二段の上昇窓。サッシの下のねじ穴は、灰皿が取り付けられていた跡だろうか。電車は朝に撮影した向瀬上の駅を出て、阿武隈川を渡って行く。窓辺に流れる景色を見ていると、なんかこうひと昔前の18きっぷの旅のようでもある。そうですね、いわきの駅から乗り換えた仙台行きの457系とか。それこそ早朝に東京を出て来てちょうど昼時、いわきの「ウニ飯弁当」か原ノ町の「ホッキ飯弁当」でも買い込んで、ポンと靴を脱いで足を投げ出したくなるような、そういう雰囲気。東北地方の普通列車も、すっかり701系とかE721系のロングシート車が中心ですからね・・・阿武隈急行の駅は駅弁売ってませんけど、それこそ福島やら仙台ならいっくらだって売ってますし。

福島駅のかつての国鉄1番線ホームに到着した8100形。折り返しの準備を整えた車内に、女子高生の笑顔が揺れる。阿武隈急行は、福島駅から仙台方4.6kmの位置にある矢野目信号場までの区間はJRの東北本線の線路の上を走ります。そのため、次の卸町駅までの距離は5.6kmと非常に長い。卸町駅との間に駅の一つでもあれば多少なりとて乗客のニーズも拾えるのではないかと思うのだが、そこはJR東北本線の領分なので、なかなか新駅設置という訳にもいかないのでしょうね。まあ、作ったところでJRの収益になってしまうし、あまり阿武隈急行の利にはならなさそうですが。

そんな東北本線&阿武隈急行が拾いきれない福島駅から5km圏内の近距離ニーズをカバーするのが、福島駅のお隣0番ホームから発着する福島交通飯坂線。通称「飯坂電車」。最近はさらに短縮して「いい電」なんてキャッチコピーで売り出しています。次の曽根田と2つ目の駅である美術館図書館前までは東北本線&阿武隈急行と併走し、その先で東北本線を乗り越して飯坂方面へ向かって行きます。福島都市圏の生活路線ということで、日中でも20分ヘッド。平日の朝夕は15分に運転間隔を詰めての頻繁運転を実施しており、昭和50年代に自社発注車から初代東急5000系に切り替えた後は、一貫してオール東急車の車両構成を貫いています。現在は、東横線の日比谷線直通車だった1000系の中間電動車を改造したものを使用しておるのですが、上田とか一畑にいる妻面に後付けの運転台をくっつけたタイプなので原形の面影はありません。

飯坂線は今年100周年を迎える記念の年。そこで、記念カラーとしてデハ1107編成の1編成を昇圧(600V→1500V)まで纏っていたベージュと赤の伝統の福島交通カラーに戻しています。お目当てがその「リバイバル編成」だったんだけど、いきなり登場したので前置き感も探すワクワク感もなかった(笑)。平日は朝夕に3連運用の混じる飯坂線、土休日は3運用でオール2連の運用ですから、2連のリバイバル編成を捕まえるのであれば土休日の方がやりやすいかもしれません。切妻ののっぺりした顔つきに「みんなつながる Good Train(いい電)」のヘッドマークを掲げたその姿、尾灯でもあればかつて同線で活躍していた初代の5000形(5300形)あたりを髣髴とさせます。

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馬面の 信夫文知摺 永久に。

2024年05月31日 17時00分00秒 | 福島交通

(バスなのに、駅?@福島交通掛田駅)

さて、春の阿武急&福島交通探訪ツアー、阿武急の線路際を少し離れて、伊達郡の旧霊山町市街にやって来ました。現在は伊達市に組み込まれていますが、古くから「修験者の山」として信仰の対象となっていた霊山(りょうぜん)の麓の街。その町の中心地がこの掛田(かけだ)という地区なのですが、大通りに面した福島交通のバスターミナルとなっている営業所の事務所兼待合室は、木造の鉄道駅舎のような構え。よくよく見ると、建物の入口に掲げられた看板には「掛田驛」の文字が読めます。ここは、かつての福島交通軌道線の終着駅・掛田駅でした。福島交通の開業90周年記念事業として、鉄道が通っていた頃の姿に復元。建物の内部を「軌道線ミュージアム」とし、当時の鉄道備品や写真を展示。その記録を後世に残す取り組みが進められました。

福島交通軌道線。日本鉄道が明治20年に福島へ鉄道を開通させたのち、鉄道が通らなかった現在の保原、梁川方面への路線として明治40年に開設された「信達軌道」が前身となります。開業当初は蒸気機関の軽便線でしたが、大正年間に後の富山鉄道の創始者である佐伯宗義の尽力によって狭軌への改軌と電化をおこない、「福島電気軌道」として再スタート。福島駅前から当時の国道4号線(現在の県道国見福島線)を通り、途中の長岡分岐点(現在の福島信金伊達支店前)から伊達駅前・湯野町方面へのルート、国道399号線に沿って保原から梁川に向かうルート、そして保原からここ掛田へのルート、総称して「飯坂東線」と呼ばれる3つの路線が信達平野の町や村を結んでいました。信夫山の東から阿武隈川の右岸へ、鉄道が通らなかった信達平野のインターアーバンとして、昭和46年(1971年)まで走り続けたのですが、廃止に至るには、お決まりの「モータリゼーションへの変化により渋滞の元凶となったため」という文言が添えられています。福島駅前から長岡分岐点までの約10kmがずっと併用軌道で、クルマの数が増えれば何かと軌道線は目の敵にされ・・・という流れ。ちょうど昭和40年代は日本中で路面電車が廃止されるムーブメントの真っただ中。バイパスが出来る前の国道4号線は未改良で道幅が狭く、車両が大型化出来なかったのも痛かったようです。昭和46年の軌道線廃止以降、伊達・保原地区に鉄道が走るのは、昭和63年の阿武隈急行の開通まで、約17年のブランクを数えることになります。

そんな掛田駅のバス営業所の片隅に、かつて福島交通軌道線で走っていた1115号車が保存されています。福島交通の90周年事業として、軌道線の廃止以降同じ霊山町内の遊戯施設に保存されたものの、雨ざらしで十分なメンテナンスもおこなわれず朽ち果てようとしていた車両を徹底的にレストアして移設したものです。明るい空色のボディと、窓回りを少し赤みの差したベージュでまとめたカラーリング。何となく箱根登山鉄道の軌道部門だった小田原市内線の車両とカラーリングが似ていますね。おへその一灯ライトと、華奢で細身の体が特徴。

先ほど「国道4号線が狭くて車体が大型化出来なかった」と書きましたが、真正面から見ると確かに車体の細さが際立つ。薄さで言えばおかんが切るカステラのようでもある(笑)。名鉄の岐阜市内線とかも、美濃町線方面は道路が狭くて車体の横幅が増やせず、細身の電車が多かったように思う。岐阜市内も道が狭くて、仕方なく警察が軌道内に車両の通行を許可していたんですけど、常時自動車の右折渋滞に巻き込まれ市内線が定時性を喪失。要因は他にもあるんですけど、結果的に路面電車衰退の後押しの一因ともなってしまいました。排障器の前に鎖で吊るされた救助網は、歩行者保護のため常時このスタイルで走っていたようです。それで、よく見ると連結器が朝顔形なんですね。貨客混合列車なども牽引していたのでしょう。保原や梁川の農産物を運んで、福島駅から国鉄に積み替えていた。そんな感じでしょうか。

開放されている車内に入ってみる。外から見る以上に横幅が狭いので、椅子を千鳥状に配置して立ち客のスペースを確保する形になっている。吊り革はあったのだろうか?網棚に握り棒のようなものが付いているので、そこにひょっとして吊り革をぶら下げていたのかもしれない。脂の染みた木製の床から漂ってくる匂いが、古い車両にありがちなそれ。あの匂いって何なんだろうね。古本屋で買った日焼けした本をめくった時のような独特の匂いがする。車両の中で、座席というよりは長椅子のようなシートに座ると、今にも絣やモンペ姿の農家のおばちゃんが、背中にねんねこを巻いた子供を背負ってステップから乗り込んで来そうだ。

福島交通の1115号車は、昭和28年に日本車輛で製造されたものです。そう考えると、実働20年も経たないうちに路線が廃止されてしまったのは不運としか言いようがなく、そしてその頃は他の都市も軒並み路面電車を廃止していた時期でもあり、特に貰い手も現れずということになりました。まあ、この狭さではなかなか他の都市に行っても使いようがなかったかもしれませんが・・黒光りするブリルの台車、おそらくツリカケのいい音がしてたんでしょうね。掛田駅は、福島駅東口から福島交通バス掛田線で50分と便のいい場所ではありませんが、阿武急の保原駅からならバスで10分程度。本数もそこそこあるので、公共交通を利用しての訪問も可能なのが嬉しいところ。保原から掛田までの峠越えはかつて未舗装の山道で、路面電車が砂利飛ぶ道を土煙を上げて走ってたのだそうで。

この1115号車の旧・掛田駅への保存に関しては、福島交通の特設サイトにその詳細が掲載されています。
当時の貴重な福島の街の写真とともに、ご一読いただきたいところ。

一つの時代を支え続けてくれたチンチン電車をなんとか後世に残し、語り継いでもらいたい。
そんな想いを胸に福島交通は再度、1115号車を引き取り改修工事を行ない、懐かしい運行当時の姿に復旧させました。
そして令和5年、同じく改修工事を行い、当時の姿を取り戻した福島交通掛田駅敷地内に、1115号車は再び戻ってきました。
かつて、大勢の人々を乗せ、地域に賑わいを与えてくれた1115号車は、これまでの歴史を振り返りつつ、
地域の新しいシンボルとして想いのレールを未来に繋いでいくことでしょう。
(福島交通HPより:原文ママ)
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