青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

萌黄色に山笑う。

2023年05月09日 17時00分00秒 | 小田急電鉄

(四十八瀬の新緑@新松田~渋沢間)

もはや掲載する時期を逸した感もありますが、桜が終われば新緑。新緑と言えば小田急線の四十八瀬川界隈。もうこれは毎年のルーティーンみたいなものなのだけど、家から一時間もしないで行けるお手軽撮影地だからね。新東名の新秦野ICを出たらそこがもう菖蒲なので。久し振りに渋沢5号とか行ってしまった。四十八瀬で午前中に新緑を写し込むなら、光線的にはここが一番色が出しやすいように思う。朝イチの上りで新宿へ向かう更新EXE。コロナ禍以降、ロマンスカーも6連が増えてしまったのだけど、更新と言えどもフル編成はいいね。

渋沢5号から渋沢7号へ。渋沢5号の内側の田んぼは近年米作りを放棄して久しく、下草が伸び放題で殺風景なことこの上ないのだが、ここ渋沢7号も踏切横の農家さんがどうも農業の規模をかなり縮小してしまったようで、手の付けられていない耕作地が目立ちます。以前は踏切を挟んで両サイドに小さいながらも果樹園があって、梨の花が咲く時期なんかきれいで良かったんだけどなあ。イノシシ避けの電気柵に注意しながら新宿行きの快速急行5000系。渋沢7号も時と共に風景が変わって行くけれど、四十八瀬の流れと、この時期のライムグリーンの新緑だけは変わらないね。

光に透ける萌黄色の新緑。みやこ食堂が臨時休業だったので、蛇塚の交差点にあるセブンイレブンで調達したおにぎりを木陰で食べる。そんな事だけでそれなりの癒しになる、新緑の四十八瀬。もう何回撮影したか分からん構図で。せせらぎの音で列車の通過が分かりづらいんだよな、川のほとりって。

 

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盆休みなう。

2022年08月16日 09時00分00秒 | 小田急電鉄

 (フェルメールブルー、夏を行く@渋沢~新松田間)

関東は異常に熱かったり、その反動で北陸~北海道の日本海側では断続的に豪雨が続いていたりという8月ですが、人並みながら私にも「お盆休暇」というものが来ました。ちょっと天気が悪くて動きにくいのだけど、そこはそれ。折角頂いた休みなのでどう使おうかは思案中ではあります。まだ何にも細かくは考えてないけど、久々に只見線とか行ってみようかなあとか急に思っている。10月の運転再開に向けてシテンも始まったと聞くし・・・まあ直前になって全く反対の方向に切り替えちゃうかもしらん。全ては天気と気分。せっかくどっかに行くのなら、やっぱり夏らしい景色が撮りたいんだわさ。

川音川の流れに足を浸して、涼を取りながら撮影するのも夏らしさ。VSEが消えた今、こういうバキッとした夏光線に合うのはMSEのフェルメールブルーの強い色味。ペットボトルの麦茶を流れの緩やかなワンドに放り込んで、思いっ切り水飛沫を浴びながらシャッターを切った。

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小田急の街、海老名の街

2021年04月25日 17時00分00秒 | 小田急電鉄

(The Romance-CAR’s History@小田急ロマンスカーミュージアム)

海老名の小田急ロマンスカーミュージアム。小田急初の本格的な鉄道展示施設として温められ続けていたプロジェクトが、先日4月19日にオープンの運びとなりました。よく見る場所・・・と言うか、普段使いで海老名の街はよく通るので、その建設のスタートから工事の進捗をずーっと見てましたのでね。感慨もひとしおのものが。コロナ禍により、入場は完全予約制でのオープンとなりましたが、子供と「オープンしたら連れて行ってあげる」と約束してましたんで、わざわざ予約を取って昨日訪問して参りました。やはりこの施設の白眉は実車展示、3000SE・SSE、3100NSE、7000LSE、10000HiSE、20000RSEまでの引退車種5形式が一堂に1階のフロアに並べられています。2階のエントランスから1階の展示フロアに至るまでの動線が、狭いところを通ってからドカーンと陳列された3形式の前に出る形になっているので、なかなか「魅せる」展示形式になってますな。

再塗装を施され、綺麗に磨き上げられた形で並ぶ往年の名車たち。去年の秋口くらいですか、大野の工場で保管されてた各形式を夜中に推進運転で海老名に持って来て、アチハのクレーンで吊り上げて、トラックでこのミュージアムの建屋に移送するという工程を各形式で毎回繰り返してたんだけど、そのたんびに撮り鉄が夜中に移送作業を追い掛け回して大騒ぎ・・・という正直閉口モノの狼藉(笑)があったのも記憶に新しいところ。最近のデジタルツールは夜間高感度に強すぎてダメね。僅かな光でも何でも撮れちゃうからみんな撮りに行ってしまうので。閑話休題。NSEなんて目にしたの何年振りだろうか。喜多見で保管されてんのは知ってたけど・・・ヘッドマークも幕じゃなくてデビュー当初のホームベース型。これも嬉しい。

NSEとLSE。私が物心ついた頃の小田急ロマンスカー。最新形式がLSEで、展望車のスタンダードはNSEだった時代。展望席のプラチナシートっぷりは昔も今も変わらないとは思うけど、スマホで検索してパパっと予約が取れる今と違って、当時はわざわざ駅まで行って1ヶ月前の日に予約しないと、夏休みとかの繁忙期はなかなか前展なんて取れんかったからね。昔の方がプラチナ感はあったよね。あの頃の憧れが、その席だったという記憶にタイムスリップしてみる。

初代SEの顔より、私はこのSSEの顔の方が馴染みがある。国鉄連絡急行「あさぎり」専属で入っていた車両ですが、「さがみ」に充当される事も多かったですね。実家から一番近い特急停車駅が「さがみ」の止まる向ヶ丘遊園でしたので、ロマンスカーと言えばSSEに乗る事が多かったように思う(笑)。展望席付きのNSEやLSEは「はこね」「あしがら」に優先して充当されていたので、親に展望車をねだって、NかLに乗る場合はわざわざ新宿まで行って乗ってた思い出。

HiSEになると平成24年まで走ってたんで結構最近のクルマって感じだし、なんなら長野でこないだ現役の1000系に会って来たんでそこまで懐かしいという感じもしないけど、相変わらずカッコいい車ですね。長電レッドの「ゆけむり」塗装に慣れてしまうと、小田急時代のこのワインレッドの塗色を忘れてしまいそうになるのですが、個人的には「ゆけむり」20周年の時は長電でも小田急時代の塗装に塗り戻してリバイバルやって欲しい(笑)。足元の住友FS533B台車、車輪の厚みがほとんどなくて、落ちるギリギリまでよく頑張ったよねって言ってやりたくなるな。

そうそう、運転台横の幕がちゃんと「スーパーはこね」なんだよね。HiSEって「スーパーはこね」のイメージ凄くある車両だよなあ。スッパコ自体はEXEの導入によって始まったんだけど、VSEの登場までロマンスカーのフラッグシップは間違いなくこのクルマだったので。スーパーを冠して足柄平野を突っ走るのがHiSEの風格って感じもしたものだ。

RSE。これもなんなら先日富士急に行った際に河口湖で寝てるのを見た。今は減便でフジサン特急動かないからヒマでヒマでどーしようもなさそうだったが。あんなけったいな富士山のイラストに塗られてヒマこいてるのはかわいそうなので、さっさとパステルカラーのこの色合いに戻して欲しいという原色原理主義者(笑)。ちょっとダルマを思わせるような独特のフォルムと、4軸ボギーに2階建ての車両付きってのが異端児でしたよねえ。基本的にあさぎり充当だけど、新宿から町田までは満席でもそっから先がガラガラとかよくあった。子供に「RSEは沼津まで行ってたんだよ」って言ったら驚いてた。SSE=御殿場、RSE=沼津、MSE=御殿場ですもんね。

この側面のルーバーが他の形式にはないRSEのポイントでしょうか。あさぎりの沼津延伸が平成3年で、そん時にRSEとJR371が同時デビューしてるんだけどまあバブルでしたよね。小田急の西伊豆進出ってのもその頃相当なテコ入れをしていたように記憶している。沼津から東海バスがあさぎりに接続して西伊豆に特急バスを走らせたりねえ。西伊豆は夕陽がきれいだし魚も美味いし温泉もいいし、個人的には好きな地域だけど、いかんせん交通の便が悪すぎるのが今の今まで克服出来てないよな。西伊豆は修善寺から船原峠を越えるのが未だに最短ルートだから、そうなると西伊豆は沼津より修善寺から行った方がアクセスがいい訳で、伊豆箱根鉄道カモンとなってしまうよね。

基本的に小田急沿線に長い事住んでいるんで、一形式一形式を眺めてたらクソほど思い出が蘇ってしまう。ただ、子供は子供で飽きてしまうのか、ひとしきり見れば「お父さん次行こうよ!」とオヤジのノスタルジーには付き合う気もないしでゆっくり見ている時間はあまりなかった。というか、子供との約束だから行って来たけど、まだ開館直後で入館者が多いので、家族連れが野放しになり幼児がフロアを走り回ってる土日は落ち着いて見学したり写真を撮ったりするには辛い環境かなと。

平成30年(3年前)の海老名フェスタの際にブチ上げられたこのプロジェクト。海老名の車庫の片隅にこんな看板が立ってから2年半、小田急がビナウォークや自社のマンション開発と合わせて、総合的な街づくりの一環として作った施設。この施設の完成によって、海老名は名実ともに「小田急の街」になったような気がしますね。つーか、個人的な気持ちとしては、ロマンスカーもいいんだけど、小田急の通勤車も収蔵して総合的な「小田急博物館!」みたいな形でやって欲しかったってのはあるのよ。スペースはキツイのかもしれんけど。2600とか5000とか9000とか並べてウヒョウヒョしたいのよ。海老名の増床が無理なら、開成か足柄の電留線潰して作ってくれませんかね?(笑)。

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四十八瀬春絵巻

2021年04月15日 23時00分00秒 | 小田急電鉄

(渋7の春はパステル@新松田~渋沢間)

4月になって年度も替わり、最近はちょっと多忙な毎日。世の中では再び三たび、いや四たびのコロナウイルスの蔓延が再開していて、それがまた変異型と言うからタチが悪い。人間の頼るよすがはワクチンという事なのだが、これも日本国内では生産出来ずで輸入頼み。モノづくり、科学先進国の我が国日本と言う幻想は昭和の話で、すっかり将来に向けての投資を「リストラ」の四文字で切り捨てた我が国に、そんな余力も技術も残っておらず。僅かな輸入ワクチンを、やれ医療従事者だやれ高齢者だと打ち分けては戦力分散の毎日。お上は夏のオリンピックだけを見据えて、感染拡大局面に至れど緊急事態宣言などを打ち出すことはせず、それ故学校も会社も特に休みにもならず、気休め程度のマスクをして通勤通学に励む亡国の毎日は続く。

そんな倦むような毎日の中でも季節は移ろい、あっという間の桜が過ぎて、早くも新緑の季節。晴れた日曜日の朝、小田急線は四十八瀬に新緑を愛でに出掛ける。このご時世、撮り鉄活動も感染対策が重要。絶対に密にならない渋沢7号踏切、ウグイスの囀りをBGMに列車を待っていると、パステルカラーの里山をバックに、VSEが走り抜けて行きました。

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相武台 窓辺の桜 春告げて

2021年04月10日 17時00分00秒 | 小田急電鉄

(アオハル。@相武台前~座間間)

桜と菜の花の築堤を疾走するMSE。独特のフェルメールブルーの車体が春を切り裂く。以前は座間桜のお立ち台として、県道51号沿いの擁壁の上から撮影するのが定番アングルだったのですが、擁壁上での撮影が危険と判断されたのでしょう。高い金網によってお立ち台そのものが消滅してしまいました。現在の座間桜は裏側の明王の住宅街からしか撮れなくなってしまったのだけど、こちら側は築堤の下から見上げるアングルなのでなかなか構図決めが難しいですね・・・

春の空気の中を流れる4000系。カメラを握って十年以上、実は流し撮りと言うものがめちゃくちゃヘタクソな私。そもそもほとんどやらなかったのもあるのだけど。ですが、最近ここへきて撮影の幅を広げようと果敢に流し撮りに挑戦しております(笑)。四十の手習いじゃ。昼間にSS下げるの、絞りをキツくすると絵がざらざら荒れちゃうので、もうちょっとふわっと流せるようにフィルターでも買おうかな。

相武台前から座間にかけては、「相武台」という台地から相模川の氾濫原に向かってなだらかに坂道が続きます。谷戸山公園のひょろげん坂から、芽吹きの座間の里山と座間桜を見下ろす。桜並木と座間の里山を愛でながら相武台へ登って行く新5000系。小田急の最新鋭通勤型車両。私のように古い人間は5000系ってーと未だにあの小田急顔を思い浮かべてしまう。まだ先代の5000系が引退してから10年も経ってないからね・・・京王の5000系にも同じことが言えるかなと思うのだが。

相武台から座間まで、一駅の間をそぞろ歩く。まだ所々に里山の農村風景が混じっているのがこの辺り。木の板塀の続く大きな農家の裏、小さな踏切の向こうのヤマザクラ。どこか一昔前の風景の中、ヤマザクラとその白さを競うように、貴婦人が駆け抜けていきます。

歩いて座間駅に至り、駅前の中華屋で一人「黙食」でラーメンを啜る。本当であればビールでも飲みたいところであるが、そうだ、この日は相武台にクルマを置いてきていたのであった。どのみち今年も花見に飲酒はご法度、来年こそは大っぴらに酒飲んで花見がしたいところですなあ。座間から相武台まで戻るのは登り坂なので、ここは座間の駅から一駅分電車に乗り、今度は車窓に流れる桜を愛でてみる。先ほど通り抜けた桜並木は、電車で通ってしまえばあっという間。桜ひらひら舞い降りて落ちて、今年も小田急線の窓に桜が映ります。

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