山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

日本の目覚めは世界の夜明け!!??

2024-06-01 21:49:38 | 読書

  書名が気になって本書を注文して読んでみた。長堀優『日本の目覚めは世界の夜明け/今蘇る縄文の心』(でくのぼう出版、2016.11)を読む。1万年以上つづいたという縄文時代の遺跡からは戦火の跡がないという。世界の古代文明は数世紀で戦争や自然破壊で滅亡するのに、縄文の価値がやっと注目されつつある。その縄文の心の片鱗が何とか生き残っていて、それを再評価したいというのが著者の立場だ。

 

 外科の医者でありながら、古代史にも造詣が深い。神話・ネイティブアメリカン・ユダヤ人・古代文字など、オラも関心ある分野を紹介しつつ、総じて、自然と人間との調和を旨としてきた日本人の振る舞いのルーツを縄文の心と読み解くのだった。基本的にはオラの考えとの親和性を感じる。しかし、ところどころに出てくるスピラルチュアルな感性は首肯できない箇所が気になった。

 ときに感じる「霊性」(著者は靈性という言葉にこだわっている)が、やはり事態からの飛躍をたどり、結論への封じ込めの手段になってしまっているのを感じる。日本の歴史は縄文の心を排除してきた歴史でもあった。「征夷大将軍」の官職は縄文人への迫害の歴史の証明でもあったのではないか。その影響は近代では対外戦争へと露出したのではないかと思えてならない。

 

 とはいっても、著者の言う「日本人の遺伝子に組み込まれた<愛と調和、分かち合い>の精神は、物質的にも精神的にも行き詰まった現在のこの世界に、必ず必要とされてくるはず」というくだりは理解できる。その理想主義的な明るさはなるほどと言いたいところだが、現実には北欧やECの先験的見解の先進性が、どうしょうもない現実の世界を牽引している。日本はそうした哲学を棚上げして目先の利害だけの小手先に明け暮れている現在・歴史だったのではないか。

   

 「死」を何度も看取ってきた著者は、「生死一如(ショウジイチニョ)」、つまり、「死を見つめれば現在の生が輝く、生と死はひとつながり、と考える東洋の叡智は…、世界に誇るべき我が国の文化である武士道精神の根幹の一つを成す」との見解には共感するものがある。武士道精神を極端に考えてしまっていたが、他人の幸せのために尽くす「利他の志」とか「現世での名誉や物質欲ではなく、生かされていることのありがたさに気づき、感謝をする、そうすればおのずと謙虚な気持ちが芽生え、行動も変わってくる」ことを提言している。 

 

 こうした見解は、仏教や神道でも伝えられていて新しい考えではない。むしろ、それが日本の民衆史のなかでなんとか消化されてきたことが精神的遺産なのだと思う。これらをつい政治家や経営者らに求めてしまいがちだが、大切なことは、この応用を日々の暮らしの中で反芻し行動していくことに違いない。それが著者の願いでもある。

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「啓蟄」じゃないのに

2024-05-29 23:31:59 | 生き物

 きょうは、蜂らしきものに手の甲を刺され、ヤマビルに血を吸われる直前の日となった。その延長か、このところどういうわけか小さな虫たちに遭遇することが多かった。冬ごもりをしていた昆虫などが地上に這い出るという3月上旬の「啓蟄」(ケイチツ)じゃあるまいし。まずはポピュラーな大型の「ヒゲコメツキムシ」(コメツキムシ科)に遭遇。体に六個の斑紋が見られた。オスの立派な髭がないのでこれはどうもメスのようだ。

  

 さらに、とても小さな「ベッコウバチ」がやってきた。ベッコウバチは狩り蜂で有名だ。以前、大きなクモを捕まえて巣まで運んでいくベッコウバチの光景を見たことがある。今回の蜂は大きさが数センチなので「ヒメベッコウ」かもしれない。捕らえたクモを刺して麻酔液で注入してから脚8本全てを根元から噛み切ってから巣に運ぶ。捕らえられたクモはベッコウバチの卵を産み付けられその幼虫の生きた食料となる。

 

 そのうえ、庭で小さなゾウムシに出会った。こぶ状の体で相手を威嚇しているのだろうか、ロボットのような装甲車を想起させる。象のような長い鼻ではなかった。白っぽくでこぼこしており、 白い皮(鱗片)は だんだんはがれていき黒っぽくなる。おとなしい「ヒメシロコブゾウムシ」のようだ。

 というわけで、次々小さな昆虫に出会うが、この続きは来週へ。

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トマトは毒リンゴと言われた

2024-05-27 22:21:58 | 出会い・近隣

 和宮様のご令嬢夫妻が先日お忍びでわが家にやってきた。素晴らしいことにわが家がなかなか手が行き届かない惨状を察していて、ちょっとした援農を二人でやってくれる。これはもちろん私的な行為なので広くオープンにしていない。さっそくやってくれたのは、トマトハウスの建設だった。骨組みだけはオイラがなんとかやっていたものの、バランスが悪くてパイプが浮いてしまい、強度が心配だった。しかし、彼の技術力によって次々解決していく。ありあわせの中古資材をつなげながらあっという間に完成する。

  

 家庭菜園なのでトマトは4本しか植えなかった。うまくいけば、少し大きくなった脇芽で増やしていくという企みでもある。なんだかんだで、かつては自前分くらいのトマトは確保してきた。

 そういえばトマトは、大航海時代の16世紀にスペイン人によって南米アンデス山脈からヨーロッパに伝えられたが、毒草に似ていたとか、裕福な貴族が使用していた食器にはが多く含まれ、トマトの酸味で鉛中毒なったとかで、食用としてはなかなか広まらなかったようだ。そのため当時、トマトは「poison appleリンゴとも言われていた。そんなことから生食より「煮る」のが世界の主流になっているのではないかと思う。そういう経過を経ながら、現在では欧米も日本もトマトはなくてはならない食材になっていく。

 

 トマトハウス完成後は、今では地域が消滅した「京丸」の伝統野菜の大豆の種まきやナスの苗などを植えてもらう。それでも若いカップルは余裕があったようなので、1年前に挿し木で増やした10~20cmくらいの小さな「ツツジ」と「ボケ」群の周りにはびこっている雑草の除去をしてもらう。これがなかなかの曲者で、座り込んで除草をするので腰や足に負担がかかる。オイラがやるとすれば腰を気にしながら三日はかかってしまう。それを1時間くらいで終了となった。

 

 そのうえさらに、除草したところにマルチをやってきょうの終了とする。その材料は、近所にはびこっているススキを草刈り機で刈って、それを運搬して雑草除けのマルチにするというものだ。竹の支柱がある所に小さなツツジやボケなどが植わっているが、どっさり運んできたススキマルチでよく見えない。

 

 ついでに、余ったススキをホウレンソウや水菜・ニンジンなどの畝の両側にもススキマルチを施す。もちろん、これは雑草の繁茂を防止するばかりでなく、数年後の肥料にしていくためのものだ。本当は、枯れたススキをやれるといいのだがそううまくはことは運ばないのが常だ。おかげで随分と援農効果は一週間分以上の作業効率を上げた。

 その日の、ディナーパーティーは焚き火や七輪で、クサヤ・エビ・焼き芋をはじめ餃子・焼きそばが食卓を飾った。しかし、さすがに二人の疲労は極限に達したようで、食後は爆睡の世界へと突入した。申し訳ないほどの労働強制をしてしまったと、後日当局に始末書を提出する。

 

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サポート詐欺か?!

2024-05-25 22:18:03 | できごと・事件

 数日前、パソコンをいじっていたら突然画面がフリーズしてマイクロソフトの警告がでていた。マウスを動かしてもまったくいうことが効かなくなった。ときどき、アメリカ大手ITがサービスの名目で誘導画面を出すことがあるので、またかとしばらくにらめっこする。

  

 画面がまったく止まってしまって消すことも再起動もできなかった。画面の中に、問い合わせの電話番号が出ていたが、ふつう、電話案内はやらないはずだと思い、これは怪しいとスマホで調べてみた。すると最近、パソコンの不具合を口実にサポート詐欺が横行しているというではないか。オラのパソコンは不具合だらけでいつも四苦八苦しているのを見透かされているのかとドキッとしていた。

 

 いつもだと、わからないときは、電源スィッチを押して取り合えずダウンして時間稼ぎしてごまかしていたが、この解消方法をスマホでは「Ctrl+Alt+Del」を同時に押して「タスクマネージャー」を選択し「タスクの終了」をオンするやり方が出ていたので、これをやってみた。すると、スムーズに元に戻ったのだった。

 

 誘導者は閉じるボタンを隠し、ユーザーが操作できないようにした上で、050や010から始まる電話番号にかけさせて、結局のところ、金銭がかかるように誘導していく仕組みだ。こうした画面が表示されてしまった場合、ESCキーを長押しすると、閉じるボタンが押せるようになるという。まったく、文明が「発達」しているというのになんてこったー。ジェノサイドといい詐欺といい、マスコミは情報過多に注意しながら、「本当のこと」をしっかり貫いてほしいと思う。

 

 

 

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上からも下からも

2024-05-22 22:23:21 | できごと・事件

 昨年の桑の実はカビによる病気のため全滅だった。今年は石灰をしっかり撒いて対策としたが効果はあっただろうか。実が赤くなってきたが、部分的に白いのもあるので今年も期待はできないかも。と同時に、実だけの枝があった。そう、葉が食べられていたのだった。ちょうど、シカの食べやすい高さの葉や枝が食べられているのを今年も発見。病気は残念ながら強く伐採する強硬手段しかないかも。

 

 クワノキのすぐ近くの畝にインゲンの種を撒いておいた。貴重なムラサキインゲンの種からほぼ100%の確率で芽が出始めたのが先月末のことだった。それが先週、その三分の二が食べられていた。当局に聞いたら、最近、アナグマが付近を徘徊しているから注意を呼び掛けたばかりだという。たしかに、害獣柵の周りは小さな穴があちこち掘られている。

 

 葉っぱだけ食べられていたので、シカの食害も考えられるが、柵を越えたり破った形跡はない。すると、隙間から侵入したアナグマが犯人らしいことは推測できた。隣の畝はトンネルシートで覆っていたので大根やチンゲン菜は無事だった。たまたまインゲンだけ裸のままだった。オラのわきの甘さがまたもや露呈する。しょうがないので、平さやの「ロマノ」インゲンの種を撒いていく。

 シカやアナグマからの上からのまた下からの食害があり、さらには病気と相成り、なかなか思い通りとはいかない春なのでした。とはいうものの、ほかの畝のほうれん草・水菜・ロメインレタス・パセリ・キャベツなどの野菜は比較的順調に生育しているので、ほぼ毎日、野菜サラダが食卓の必需パートナーとなっているのが素晴らしい。野菜価格高騰のさなか、畑があるのがありがたい。 

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江戸のファッションは役者絵が推進役

2024-05-20 23:12:52 | アート・文化

 前回の役者絵の左端は、女形の初代岩井紫若(シジャク、1804-1845、岩井半四郎/七代目)である。紫若は42歳で病没したが、娘役や若衆など美形の「紫若半四郎」と評判だった。その美しい派手な髪型は現代でも人気が衰えない「島田髷(マゲ)」。その髪型は、江戸後期に流行した「高島田髷」または「つぶし島田」のようだが、オラには髪のそれぞれの名称がぶつかりあって混乱してしまう。

 (イラストは「加納」webから)

 髷を二つ折りした所に「手絡(テガラ)」という「鹿の子絞り」のピンクの布で縛ってある。そのときに、縮緬状の折った紙を差し込んで髷を高くしている。天保の改革(1841-43)のぜいたく禁止令により布の縮緬の利用が止められたので、それにかわり和紙の縮緬紙が使用された。役者絵ではそれをアッピールしたように大きく描かれているのがたくましい。

 また、前髪と髷の間には花模様をあしらった櫛をしっかり描いている。そのうえさらに、「助六」が紫の鉢巻きをしていたのと同じものを紫若もしているが、その意味は分からない。この助六の鉢巻は、病鉢巻とは逆の鉢巻を巻いているので、これは放蕩無頼、異端の傾き者の粋を表現しているパワーの証ということらしい。

  

 着物について、華麗な総柄模様は幕府の贅沢禁止令によって腰から下の「裾模様」へと変化していく。上側は流行していた地味に見える「江戸紫」の単色で粋をあらわし、裾ではカキツバタの優美な花を配置している。また、その内側には、『八百屋お七』を演じた五代目岩井半四郎が着た「麻の葉鹿の子」が堂々と描かれている。それは「半四郎鹿の子」と呼ばれるようになった。

 帯についても、「昼夜帯」という裏表両面が使える帯で、一見地味そうだが光沢のある黒繻子(ジュス)であるのが粋だ。そしてその結び方は、結びめが横になるふつうの結び方でなく、帯の両端上下の縦に出るように結ぶ「堅(タテ・縦)結び」に見える。帯を締める帯留め・紐がないのが江戸後期の特徴らしい。

  こうして、江戸初期は武士中心のファッションだったのが、中期は裕福な町人、後期は庶民へと主役が変わっていく。その原動力は歌舞伎からで、その役者絵はファッション誌でもあった。

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浮世絵は謎解きの絵図

2024-05-17 10:48:49 | アート・文化

 初代歌川豊国の「役者見立ての渡し船の図」の役者絵に注目した。背景は隅田川の桜の土手の春景色だ。大判の錦絵の5枚つづりの右端図だが、全容は分からない。正面手前に2艘の渡し船。三人は右から三代目尾上松助、七代目市川團十郎、初代岩井紫若の役者が、それぞれの当たり役の扮装で乗船している「見立て」絵で、構図が素晴らしい。当時の人は、この絵を見ただけでそれぞれが誰であるかがすぐ分かったようだ。

 

 版元は「出」に似た記号だった。いろいろ調べたが、やっと「今川屋丑蔵(文芳堂)」のようであることをつかめたが、あまり見かけないマークだ。小さな版元なのだろうか。豊国をデビューさせて応援していた版元の和泉屋市兵衛(甘泉堂)ではなさそうだ。ほかにもかなりの版元があるのがわかった。その意味で、浮世絵の多くを手掛けた大手の蔦屋重三郎のマークは圧倒的だ。

 といっても、写楽・歌麿人気を独占的に手中にした蔦屋だったが、豊国人気はそれを凌ぐ影響力を江戸市中にもたらした。豊国の役者絵は江戸ファッションの中心的なけん引役だったことは知られていない。歌麿・写楽が退潮していった原因の一つが豊国プロの役者絵の影響力があった。

 

  右端の三代目尾上松助(マツスケ、1805-1851)。当時の武士の外出は羽織と袴が基本。とくに、廓や料理屋に行くときは、丈を長くした「長羽織」と扇を持つのが流行だった。黒羽織に家紋の「抱き若松」が目立つが、それは尾上家「若松屋」の歌舞伎役者であることを暗示している。この家系から、尾上菊五郎が輩出し市川團十郎と並ぶ中心的名門が形成され、現在の尾上松也・右近、富士純子・寺島しのぶなどにつながっていく。

 なお、髷をみると「若衆髷」なので元服前の若者である。男性のおしゃれは衣服ではなく髷にあり、その頭頂部の月代は狭くなっているが、髪油の発達により丁寧に髪をまとめて「元結」の白い紐できれいに束ねられてきているのも流行の先端であるのが読み取れる。

 

 中央の「七代目市川團十郎」(1791~1859)は、近世後期の江戸歌舞伎を代表する名優。どんな役柄にも卓越した演技力を発揮し、「歌舞伎十八番」を制定したことで知られている。しかし、その派手で華麗な振る舞いが天保改革による風俗取締によって、江戸十里四方追放処分をうける。その渦中にありながら、地方巡業に出演したり、文人として江戸文化人グループの熱烈な支援を受けるなど、飄々としながらも反骨精神旺盛な自由人だった。

 着ている半纏には市川右団次の「替え紋・松皮菱に蔦」の家紋が見られる。菱が重なった形が剥がれた松皮に似ていて、蔦は生い茂るたくましさから繁栄を象徴している。なので、ひょっと初代市川右団次なのかもしれない。

 

 腰から見える「三筋格子模様」の手ぬぐいが見える。鶴屋南北作の与右衛門の役で七代目市川団十郎がこの模様の衣装で出演して以来、これが江戸市中に氾濫するほどになったという。

 なお、カゴの前後の中身がよくわからないが、当時はやりの園芸ブームだった植木の職人ではないかと推測。天秤棒をかついで商品を売る「棒手振り(ボテブリ)」が当時の運搬手段で、古典落語でもしばしば出てくる。 

 残念、続きは次回へ。

 

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そして「ルバーブ」に「あまりん」に

2024-05-15 22:34:58 | 出会い・近隣

 先日、近隣から「ルバーブ」の苗をいただく。以前、栽培したこともあるが失敗している。今回いただいた苗は、根っこが木のようにがっしりしたものだった。これなら失敗はないと安心して、株分けしてすぐ畝に植え付ける。

 ルバーブの和名は食用大黄(ダイオウ)。一度植えれば4~5年間は収穫できるが、収穫は2年目から始まる。利用するのは葉柄部分だが、それでも酸味とえぐみが強いため、砂糖で煮てジャムやお菓子に利用するのが一般的だという。

  

 一本だけ花ができたが花は食用にならないうえ、根株から栄養を奪うので摘み取らなければならない。また、葉にはシュウ酸が多く含まれているので食用にはならない。ルバーブは植物繊維が多いので肉食の多い欧米ではふつうに摂取されているという。さて、レシピは何がいいのか宿題となった。

 

 

 和宮様のご令嬢から母の日プレゼントとして「あまりん」というイチゴが届く。さっそく、ご相伴に招かれうやうやしくいただく。もちろん旨かったのは言うまでもない。それもそのはず、「あまりん」は「かおりん」とともに、埼玉県オリジナルいちご品種として、埼玉県農業技術研究センターで育成され、令和6年2月、日本野菜ソムリエ協会主催の「第2回全国いちご選手権」で、「あまりん」が最高金賞受賞したという。

 しかし、あっという間にイチゴがなくなってしまったのはどういうわけだろうか。このところ、和宮様への献上品は春たけなわとともにラッシュ状態となっている。

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「まやく卵」を進呈する

2024-05-13 21:47:40 | 出会い・近隣

 鶏を飼っている近所から和宮様にたくさんの卵が献上された。数えてみると40個もあった。こんなに大きな卵ケースは見たこともないし、その数も半端ではない。今までときどきいただいていた卵は和宮様じきじきのご手製の「まやく卵」が作られた。今回は卵の数が多かったが、謝意を込めてすべてを「まやく卵」にして近所や関係者に進呈した。

   

「まやく卵」は、刻んだ香味野菜にしょうゆなどの調味料に半熟ゆで卵を漬けたもの。 食べだすと次々に食べてしまうという病みつきの一品。SNSで話題となり爆発的に広まった韓国版味付け卵だ。

  

 半熟卵を漬けるタレがポイントだが、最近では、「麻薬卵のタレ」というのも販売されるというほどの人気だ。たしかに、このタレをご飯にかけるだけでもおかずはいらないくらいだ。また、ちょっとした時間におやつもどきの舌鼓・お茶の友としても味わえる。近所のご厚意が続く春。その春たけなわとともにひたすら深謝するばかりの日々だった。 

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「笑いのない喜劇にしろ」ってか??

2024-05-10 22:41:11 | アート・文化

  以前、「笑の大学」の「舞台版」のDVDを観て、唸るほどの感動があった。その「映画版」があるというので急いで観ることにした。監督はドラマ「古畑任三郎」の「星護」、原作・脚本は三谷幸喜、公開は2004年、制作はフジテレビ・パルコ・東宝、主演は役所広司と稲垣吾郎。

 時代背景は日独伊軍事同盟締結・大政翼賛会が発会した戦時体制の1940年(昭和15年)。情報統制が一段と厳しくなった当時の、警視庁保安課検閲係・役所広司と劇団「笑の大学」の座付き作家・稲垣吾郎との上演許可をめぐる物語である。

 

 これにはモデルがいたようで、エノケンの座付き作家・菊谷(キクヤ)栄への鎮魂が込められている。波乱万丈に生きてきたエノケンのパワーを引き出した菊谷は、菊田一夫を凌いだとも言われていて、のちの井上ひさしにも大きな影響をもたらした。三谷も「こんな脚本家でありたい」とする理想の人物でもあったという。

   

  エノケンの全盛期時代の作品を数多く手掛けた菊谷は喜劇王エノケンの人気を不動にする。しかし、菊谷は1937年(昭和12年)に召集を受けたが、その二か月後中国で戦死。34歳だった。劇作家としての活動期間はわずか6年だった。昭和17年 (1942年) 夏、エノケン劇団が菊谷栄追善公演のため青森に訪れたとき、エノケンは燕尾服とシルクハットの礼装で明誓寺の墓に行き、しばらく伏して泣いていた、という。

   

 さて、三谷の手法だが、取り調べ室という狭い空間だけに場所を特定し、検閲係と座付き作家との二人芝居という限られたキャストに絞った。その限界に対しては三谷の並々ならぬ冒険と自信が見受けられる。25年かけて温めてきた作品だけに三谷の真骨頂がふんだんに仕掛けられている。

 「役所」が「人を笑わせることがそんなに大事なことなのか」という台詞が、本作品の重要な柱・問いでもある。

  

 三谷は同時に、これは「笑いをテーマにした作品ではなくて、ものを作ることに向き合ったあるいはものづくりにおける妥協とは何かという話なんです」と、述懐している。「稲垣」が7回にわたって台本を改作していく過程は、その妥協の産物だが、そこに流れる抵抗精神の本髄が笑いの深化にほかならない。

 検閲官が初期の国家権力の一翼からだんだんと立場が変わっていくところにこの作品の見どころがある。役所は「検閲しているというより、あなたと面白くするために協力しているみたいだ」という台詞があったが、まさにここに「妥協」の真価が内在している。

   

 三谷は、現在は「検閲はないけど制約はある」と語っている。その中での「ボクなりの戦い方」を込めているというわけだ。日本の制約は見えない同調圧力・タブーというものがある。その委縮はジャーナリズムに甚だしい。本当のことを言わない・言えない矛盾はポコポコ事件になるが、その事件はうっぷんであって本当のことに触れないところに特徴がある。

 二人芝居での役所広司の二面的存在感の見事さもさることながら、オラが以前観た西村雅彦(作家は近藤芳正)の検閲官の迫力は「役所」を越えている権力性が見事だった。その見事さは西村が普段出演しているドラマでの平板さとは対照的だ。

 なお、映画ならではという点では、昭和15年前後のポスター・幟旗・衣装など、細かいところまでの気配りが、戦時下でありながら昭和モダンを髣髴とさせてくれている。

 

 

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閉じこもってはいけません

2024-05-08 22:51:16 | 自然観察

 連休中はほとんど自宅や畑から外には出なかった。それほどに農作業に追われていたというと都合はいいが、心と体の気分転換にしようと自宅から300mほどにある郵便ポストへ投函を兼ねて出かける。久しぶりのウォーキングとなる。すると、まぶしい春をいくつか確認できた。

  

 国道沿いに「コウゾリナ」の群落がいくつかあった。花だけを見るとまるでタンポポである。長い柄を触ってみると柔らかい棘のようなものがある。ここから、漢名の「髪剃菜」という名前の由来が出てくる。これとそっくりな外来植物の「ブタナ」というものもあるが、確認しにもう一度同じ場所に舞い戻ったが、やはり「コウゾリナ」に間違いはないようだった。

 

 それに、すぐ近くには「ギンラン」(ラン科)が咲いていた。もっと早くここに来たら、「キンラン」にも会えたはずだが、その痕跡は確認できなかった。それにしても、なんとも贅沢な発見だ。三十数年前、とある里山を何回か歩いてみて「キンラン」は見たものの、「ギンラン」だけはどうしても発見できなかったことがある。それがかくも簡単に自宅からほどなく会えるなんてなんとも豊穣な過疎地にいるものだとありがたく思う。

 

  里山に普通にあったこのキンラン・ギンランが激減していくのは、地価高騰に沸いた1990年代だった。それは便利さと経済成長に浮かれて人間の基本的なものを失っていく過程でもあった。最近の殺人事件や幼稚な事犯の連続といい、政治屋ジジイたちの跋扈する政界を許してきた「タタリ」が、じわじわと日本人の心を崩壊させていく。

 

 そんなこんなの思惑を描きながら歩いていたら、見事な「ダッチアイリス」が何本か路傍に屹立していた。ダッチというから、オランダが改良を重ねてシンプルながら地味なアイリス、つまり和名の「オランダアヤメ」が咲いていた。ハナショウブやカキツバタは湿地に依存するが、こちらは乾燥した環境を選んだ。同じアヤメでも随分と違うものだ。

 こうした発見も、歩いてみないと春を肌で浴びることはできない。ときに、スマホを捨て、ルーチンワークを捨て、自然豊かな田舎を歩いてみると人間と自然とのあり方を再発見できるというものでもあった。都会を終わらせよ。

  

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ムカデ発生注意報発令

2024-05-06 22:58:03 | できごと・事件

 ゴールデンウィークが終わるというのに、この期間中もやはり毎日のように草取りに追われる。外に出るということは畑界隈の外作業をするということを意味する。そのうえ、早朝から聞こえてくる音は新茶を刈る機械音がこだましてくる。その音が止まると、軽トラのエンジンが走り出す。つまり、刈り取った茶葉を茶工場に急いで持ち込むからだ。新鮮な茶葉が勝負なのだ。人間の姿は見えないが、過疎地に生きるひたむきな息遣いが伝わる。

 わが家もいそいそと雑草を刈り取った後に畝立てをし、昨日はカボチャのポット苗を畝に移植し、きょうは少量の枝豆と落花生の種を撒き終えたばかりだ。中山間地は浮世の混雑とは違う世界に住んでいることを実感する。

 そんなとき、ガードレールに一休みする「ホオジロ」を見つけてホッとする。また、留鳥となった侵入外来生物に指定されている「ガビチョウ」の美しい口笛がいつもの風景に刺激を与える。

 

 連休前に、和宮様が風呂場で「ムカデ」を見つけたという。といってもきっと、好きな風呂場に転落して出られなくなって溺死するといういつものパターンに違いない。それにしても、見事な大きさだ。昨日は、掘り炬燵でパソコンの深夜ニュースを見ていたら、かたわらでのそのそと動くものがいた。それは先日のムカデより太くて大きいものだった。

 たまたまポットがそばにあったので、ムカデを熱湯地獄へと招待した。すると、関節がパキパキ縮まっていき三分の一くらいとなった。熱湯処理が一番効果があるからだ。いつもだと、ムカデ用のトングを用意してあってそれを使うのだけど。

  

 そしてきょう、台所の隅で同じような立派な大きさのムカデ第3号が出現した。残念ながらそれは捕り逃がしたが、どうも今年はムカデの当たり年になりそうな予感がする。それを受けて当局はさっそく、「ムカデ発生注意報」を発令し、注意喚起を促した。

 

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男たちの絆と挫折と再生と

2024-05-03 22:06:33 | 読書

 浮世はゴールデンウィークのさなかだが、きょうもわが家は相変わらず草取りに追われている。そんな浮世に抗して、晴耕雨読ならぬ「静耕有読」の時間をなんとか確保したいと思う。そのわずかな時間から、伊集院静『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』(集英社、2014.4)を読む。著者の愛妻を病魔で亡くして以来、酒とギャンブルと絶望に明け暮れていたころを回想した自伝的な物語だ。

  

 以前、著者の『いねむり先生』を読んでえらく感動したものだった。本著書はその姉妹編ともいうべき作品で、内容が重複するような場面もあり、流行作家らしい瀬戸際の自分の限界との葛藤も伝わってくる。『いねむり先生』は、難病のさなかでも自分を失わず爛漫な弱さとギャンブルを武器に作家生活を貫いている「色川武大」(阿佐田哲也)への挽歌と連帯の作品だった。先生に対する愛おしい尊敬と暖かいまなざしは、今回の著書にも同じように溢れている。

 

 そこには、著者を慕う不器用な三人の男たちが登場する。彼らは編集者・芸能プロ・競輪記者と職種はいろいろだがそれぞれ個性的だが、生きる傷を背負いながら生きている。そんな市井の男たちとの交遊のなかににじみ出てくる、彼らと著者との傷の共有物語でもある。結果的には男たちの追い詰められた死が残された。したがって、本書は彼らとその周りへの挽歌・献杯でもある。「愚か者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない」とつぶやきながら、渾身の筆を握る著者の哀切が流れてくる。

 

 この三人を念頭に著者は言う。「まっとうに生きようとすればするほど、社会の枠から外される人々がいる。なぜかわからないが、私は幼い頃からそういう人たちにおそれを抱きながらも目を離すことができなかった。その人たちに執着する自分に気付いた時、私は彼等が好きなのだとわかった。いや好きという表現では足らない。いとおしい、とずっとこころの底で思っているのだ。

 社会から疎外された時に彼等が一瞬見せる、社会が世間が何なのだと全世界を一人で受けて立つような強靭さと、その後にやってくる沈黙に似た哀切に、私はまっとうな人間の姿を見てしまう。」

  

 伊集院静の魅力は、そういう傷を持つ相手の心の襞を掬い取るような感性にあるとかねがね思っていた。全盲の『機関車先生』もそういう視点やまなざしが馥郁としていた。しかも、最後の無頼派作家としてもギャンブルに数十億を使ったともいうし、喧嘩もめっぽう強かったし野球もかなりうまかった。だから、女性のファンも少なくない。いわば、江戸の助六のような伊達男たっぷりの魅力が漂う。

 著者の、「生きるとは、自分のためだけに生きないことだ」「抵抗せよ。すぐに役に立つ人になるな。熱いひとになれー。」「大人にとって生きるとは何か、誰かのために何ができるか、考えること」との珠玉の言葉を残しているところも、流行作家として流されない生きる肝・哲学が基盤にある。

 

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クリノキを大移動したよ

2024-05-01 20:03:39 | バタフライガーデン

 「今やるしかチャンスはない」と思って、クリノキの移動を始める。というのは、このまま放置しておけば、枝が電線に引っかかるし、図体が大きくなれば後ろの植物が日陰になり育たなくなるのは時間の問題だ。前日には、大きく左右に伸び切った枝を剪定し、予定の定住場所の穴掘りをやっておく。それだけで、一日かかってしまった。

  

 根っこを鋸で切っていくのがやはり時間がかかった。そのため、根っこについていた土がほとんど離脱してしまった。このへんが素人のやってしまうヘマでもあるが、本音としては全体の重量を減らす意味もある。オラの体力では土がついていると一人での運搬はかなりきついと予想された。なにしろ、根元の外径は30cmくらいはあったと思う。

 

 大移動といっても10mもないので、上の段から一番下の段へとなんとか転がしながら定植成功。ここなら安心して栗拾いもできる。このクリはどうやら動物がまいたらしい実生の栗だった。となると、来年には早くても実ができるかもしれないが、移動のダメージがあるので期待値はゼロにしておこう。

 

 栗が植わっていた場所はぽっかり穴が開いていたので、土を入れたりしたうえで、ツツジを飢えることにした。挿し木で育てた7~8本のツツジとボタンクサギ1本をその跡地に植える。

 

 さらにその続きに、やはり挿し木で育てたボケを5本植える。うまくいけば、ツツジとボケのハーモニーが来年の春には見られるはずだ。といっても、いつものように妄想は拡大するが現実の壁にいつも打破されてしまうのがオチだ。まずは、大物の栗を移動できたことにホッとする。あとは枯れないよう特に灼熱の夏は水やりを忘れないことだ。 

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ちいさな池に小さなトンボ

2024-04-29 23:37:32 | バタフライガーデン

 友人とともに作った小さなビオトープにハスの苗をいくつか植えてみた。その際、池をよく見たら、青いイトトンボが連結して飛んでいるのを発見。以前、いただいたメダカを放流したがすべてカエルの餌食となった。その後、アメンボ以外には目立った生き物の訪問は確認できなかったが、カエルの次はイトトンボが三番目の登場ということになる。ごそごそ網で掬えば多少の生き物は確認できるだろうが、まずは目測での静観を重視したい。

 

 イトトンボの同定はなかなか難しい。普通の図鑑からではまず確証はできない。それほどに、その仲間の種類は豊富であるのがわかっていたので、今まで深追いしなかった。しかし、せっかく訪問してくれたのだからと、調べてみると、青みが強い「ムスジトンボ」ではないかと思われる。似た糸トンボに、「セスジイトトンボ」「クロイトトンボ」「アオイトトンボ」などがあげられるが、解像度の良いカメラでないと同定できないのがわかった。作業しながらの携帯デジカメはすぐにゴミが詰まって2~3年が限界であり、年金生活者には高価なカメラは持てないのが実態だ。

 

 さて、トンボのオスがメスの首根っこを抑えている連結が不思議だが、ほかのオスに寝取られるのを防ぐためだという。トンボの連結は交尾ではない。トンボの交尾はハート形状態になるが、今回はそこまで確認できていない。オスは、メスの腹部に別のオスの精子が残っていると掻きだして捨ててしまう。つまり、オスは自分の子孫を残すために、交尾後もそのメスが産卵するまでオスは連結を解かないわけだ。人間並みになんともトンボの愛は激しく熾烈なのだ。

 

 池の周りでよく鳴いている「トノサマ」がすぐ近くの畑に視察に来た。意外にトノサマは小さいが、さすが凛としていて品位がある。

 ついでに、交尾器のないカエルは、オスがメスの背中に乗るような体勢をとり、オスは振り落とされないよう、太い前足でしっかりメスに抱きつき、メスの放出した卵子に自分の精子をかけて体外受精を行う。それでカエルの卵塊ができる。トンボと違い、カエルらしい鷹揚なそのゆったりさが微笑ましい。

 

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