goo

西日本に梅を訪ねて index

2020-08-26 04:17:52 | 西日本に梅を訪ねて

西日本に梅を訪ねて index

 

 1 旅への想い (今回の「花の旅」のいきさつ)

 

 2 霜白き梅林 紅梅に染まる渓 (赤目長坂梅林、月ケ瀬梅林)

 

 3 奈良盆地西部の梅林 

  (大和文華館、追分梅林、みんぱく梅林、馬見丘陵公園)

 

 4 「令和」の時代の梅の花 (万葉の森、広橋梅林)

 

 5 大日川梅林 賀名生梅林 (大日川梅林、賀名生梅林)

 

 6 広島から岩国へ (観音寺の椿、吉香公園)

 

 7 山口県光市の梅林(冠梅園)など (山口フラワーランド、冠梅園)

 

 8 周防と山口の梅、そして五色八重散椿 

  (防府天満宮、両足寺椿、古熊神社)

 

 9 山口の梅と大内文化 (龍福寺、香山公園)

 

10 萩の梅と椿と山茶花 (萩往還、虎ヶ崎園地の椿、指月山サザンカ)

 

11 日本で最も美しい、死ぬまでに行きたい絶景

  (元乃隅神社、角島大橋、鯖釣山椿)

 

12 下関で至福の時を味わう (妙青寺梅園、下関のフグ)

 

13 下関の覚苑寺と老の山公園 (覚苑寺、老の山公園)

 

14 下関市園芸センター (下関園芸センターの梅と椿)  

 

15 東行庵の梅と椿 (東行庵の梅と椿)

 

16 宇部市常磐公園、余田臥龍梅 (常磐公園梅林、余田臥龍梅)

 

17 広島の梅林 

  (広島市植物公園、三篠川堤、三原市浄水場、満汐梅林)

 

18 春の雪 (神崎梅林、津山市梅の里公園)

 

19 岡山の梅林 (RSKバラ園、半田山植物園、岡山後楽園、山麓窯梅園)

 

20 閑谷学校の梅林と椿林 (旧閑谷学校)

 

21 いなべの梅林公園 (いなべ市梅林公園「農業公園」)

 

22 奥三河の梅林 (川売梅園、木下梅園、名号梅林)

 

 

全ての「花の旅」はこちら → 「花の旅」 総合目次

全国の梅のガイド → 梅の名所

筆者のホームページ 「PAPYRUS

 

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

奥三河の梅林

2020-08-25 17:21:13 | 西日本に梅を訪ねて

 

 いなべ梅林公園(農業公園)の景色を堪能し、次に愛知県新城市の川売(かおれ)梅園を目指しました。


 2010年2月に、愛知県と静岡県の梅林を訪ねましたが、川売梅園は山深い場所で、開花期が他所とズレる為、花を見ることができなかったのです。


 今回逃がすと、ジグソーパズルの絵に欠けたワンピースを見ているような気分が続きます。

 

 今日こそ穴を埋めるぞと、期待が胸に広がりました。


 いなべ梅林でナビに川売梅園の住所をインプットし、一般道経由を選択すると、走行距離136㎞と表示されました。


 車は桑名で国道1号に入り、そのまま名古屋を抜け、豊田市の山間部へと入ってゆきます。


 交通量の少ない田舎道を走っていると足助町と標示される場所に出ました。


 足助には、有名なカタクリの群生地があります。


 足助支所の駐車場に車を入れて、「足助総合案内図」を眺めつつ、カタクリの群生地を確認しました。


 足助のカタクリも、なるべく早い時期に訪ね来たいものです。

 

 
 川売の目的地に近づくと、車は農道のような細い道を進んで行きます。

 


 すると突然、五平餅の幟を掲げた店が現れたので、道路脇の駐車スペースに車を停めました。

 


 見回せば、濃い緑に縁どられた山村が、淡く優しい梅の花に染まっていました。

 


 売店の背に小川が流れ、道路は川を渡った後、山村の中へ蛇行しながら上ってゆきます。


 この先の道へ車で入ると、Uターンするのが難しそうです。


 何よりも、村の方達に迷惑を掛けそうなので、売店の周囲で梅を楽しむことにしました。

 

 
 村人らしき老夫婦が、休耕田で花見を楽しんでおられました。

 


  この光景に空腹感を覚え、五平餅を食べようと思ったのですが、竹串に3個連なる餅が、私には多すぎたので、味噌田楽で腹をなだめました。


 しかし、薬味が利いた甘めの味噌を纏ったコンニャクがぷりっぷりで、何時も食べるコンニャクとは一味違う食感が楽しめ、川売の味噌田楽、なかなかの一品でした。

 


 川売で絵本のような山里の雰囲気を満喫し、次の新城市名号(みょうごう)地区へ向かいました。


 名号地区も梅の開花が遅く、当初から川売と一緒に訪ねる予定だったのです。


 川売を出て、農道より少し広めの道を走っていると、

 

 
 予定外の場所で、華やかに枝垂れ梅が咲く景色を目にしました。

 

 
 すぐに駐車場に車を入れて、梅園に向かって歩いて行くと、

 

 「この梅園は、高齢夫婦が業者に剪定作業を依頼し維持しており、協力金をお願いしたい」旨の掲示と募金箱が置かれていました。


 ポケットに手を入れると、先ほどの味噌田楽のお釣りが手に触れたので、そのまま集金箱に投じました。

 

 


 園に居られた持ち主の木村正雄さんにお話を伺うと、梅の剪定作業時に足を骨折されて以降、梅園の作業は業者に委託しているそうです。


 これ程の梅を、毎年花を咲かせ、無償で解放し続けるのは容易ではないはずです。


 木下さんの善意による木下梅園、何時までも花を咲かせ続けて頂きたいと願わずにはいられません。

 


 木下梅園を出て30分後、ナビが「目的地に着きました」と告げた場所は、静岡県との県境に近い、新城市名号地区、うめの湯の前でした。


 うめの湯で遅めの昼食を摂って、壁に貼られた「梅花&史跡探訪MAP」を眺めますと、村全体に梅林が広がることが分りました。


 そこで、村の中央に位置する石雲寺へ足を運ぶことにしました。

 


 石雲寺で「町ごと屋根のない博物館」と題する掲示を目にしました。


 「節分草・1月下旬~3月上旬 石灰岩質の場所に自生します。

 梅・2月下旬~3月下旬 昭和3年、寺畑に200本の梅を植えました。

 放下・8月14日夜、笛鉦太鼓に合わせ、大団扇を背負って踊るお盆行事」

 と記されていました。
 

 


 寺の裏山の斜面を登りますと、斜面を覆う白い梅花の先に、猫の額ほどの狭間に、黒い屋根瓦を載せた民家が並ぶ、古き良き日本へタイムスリップしたような、懐かしい気分が味わえました。

 

 

 思い返せば、2月23日に東京を出て、長崎まで車を走らせ、長崎から五島へ船で渡り、再度長崎に戻って延々と車を走らせ、今愛知の山郷で梅の花に包まれています。


 そんな私の梅と椿を愛でる旅も、とうとう此処が最終目的地となりました。


 今回の旅から帰えった後は、日本全体がコロナウイルスに犯され、旅もままならぬ日々が続いています。


 しかし、帰路に見た富士山が、冬に雪を被り、春に雪を解かすように、雪も花もコロナも、良きことも悪しきことも、全てが流転する一時のことです。

 

 どんな時も、今を精一杯に生き、楽しまなければ勿体ない。


 どうぞ皆様も用心深く、健やかな毎日をお過ごしください。


 またお会いする日まで、どうぞお元気で、さようなら。

 

 

西日本に梅を訪ねて index

 

全ての「花の旅」はこちら → 「花の旅」 総合目次

全国の梅のガイド → 梅の名所

梅の話題 → ウメカテゴリー

筆者のホームページ 「PAPYRUS

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

いなべの梅林公園

2020-08-20 17:47:10 | 西日本に梅を訪ねて

 

 3月6日金曜日の朝、私は滋賀県彦根市街の周辺に位置する庄堺公園の駐車場で目を覚ましました。


 昨日は岡山県旧閑谷学校で、中国地方の梅巡りを終えた後、中部東海地方の、未訪問の梅園を訪ねながら、帰京の途に付きました。


 年金生活なので、時間には余裕がありますから、高速道路を走るようなことはしません。


 ナビに、三重県いなべ市梅林公園をインプットし、一般道経由のルートを設定し、ナビに任せて車を走らせました。


 ナビは六甲山裏側の三田市から川西に進み、摂丹街道を経て、京都の嵐山辺りから京都市内に入り、その後1号線を進むルートを選択しました。


 私にとってこのルートは、初めて走る道ばかりだったので、緑の丘陵地を縫って走る車窓から、関西地方の長閑な風景を存分に楽しませてもらいました。


 彦根で右折し国道306号を抜け、いなべへと向かう予定でしたが、彦根に着いた頃は既に20時を過ぎていましたから、閉店前のスーパーで夕食の弁当を購入し、彦根市周辺で、人家から離れた場所を探して、後部座席を倒して寝袋に潜り込んだのです。


 こんな風な車中泊の旅を、かれこれ20年以上も続けてきました。

 

 慣れない頃は心細くて、人家の灯りが見える場所に車を停めましたが、夜分になって、民家近くに他府県ナンバーの車が泊まれば、住民が不安がることに気づき、最近は人家から離れた場所を探すことにしています。

 

 翌朝は、空が明るくなり始めた頃に目が覚めて、国道306号をいなべへと向かったのですが、ナビが途中からあらぬ方向に車を導き始めました。


 不審に思って全ルートを確認すると、ナビは米原から関ヶ原を抜けて国道365号に入り、いなべ市へと至るルートを選択していたのです。

 

 どうやら、鈴鹿山脈の尾根を越える国道306号に通行規制が掛かったようです。


 かなり遠回りですが致し方ありません。


 そして、朝8時を過ぎた頃になって、国道365号を走っていると、正面に見えてきた山が雪で覆われていました。

 

 この時、ナビが迂回路を選択した理由を理解しました。

 


 更に小一時間ほども走ると、目の前に、雪を被った鈴鹿が、心洗うような清しさを見せてくれました。


 しかし、それにしても、夏タイヤであの尾根を越える道に進んでいたらと考えれば、背筋が凍ります。

 

 

 しかし、20㎞以上も遠回りして、走り来た甲斐は十二分でした。

 

 ご覧下さい、この見事な景色。


 今まで見てきた、どの梅園の景色も此処に優るものはないと思うのです。


 白い雪を被った鈴鹿山系を借景とし、朱とピンクと白に染まった梅林の美しさは、まさに桃源郷そのものです。

 


 広い園内を移動しながら、様々な表情を見せる梅林をカメラに納めました。

 

 

 それに付けても悔いのない、本当にいい人生だったな~ って、ん?!

 

 私はまだまだ、この世に別れを告げるつもりはないのですが、

 

 そんな風に、我が人生を思わせる、いなべ市の梅林公園でした

 

 人生の晩年に出会った絶景は、「ああ全て世はこともなし」と思わせてくれます。

 

 いなべ市の梅林公園、此処は、絶対に一度は見ておくべき場所だと思います。

 

西日本に梅を訪ねて index

 

全ての「花の旅」はこちら → 「花の旅」 総合目次

全国の梅のガイド → 梅の名所

梅の話題 → ウメカテゴリー

筆者のホームページ 「PAPYRUS

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

閑谷学校の梅林と椿林

2020-08-19 16:03:12 | 西日本に梅を訪ねて

 

 山麓窯梅園を後に、2号線を旧閑谷(しずたに)学校へ向かいました。


 旧閑谷学校は、岡山藩主池田光政が寛文10年(1670)に創設した、日本初の(もしかすると世界初?)「庶民のための学校」です。


 私が始めて旧閑谷学校の名を知ったのは、小石川植物園で目にした楷の木(カイノキ)を調べる際、「旧閑谷学校に有名な楷の木がある」の一文に出会ったからです。


 それ以来、一度は訪ねたいと願っていましたが、旧閑谷学校には梅園椿林があることを知り、今回の旅では絶対に外せない施設の一つになりました。


 旧閑谷学校は国道2号線から、備前の谷の奥へ進んだ静かな環境の中にあります。

 


 駐車場に車を停めると、すぐ傍で白い花を咲かせた梅林を目にしました。


 梅の木は全部で20本程ですので、規模はそれ程ではありませんが、この梅林の価値は数で判断すべきものではありません。

 


 入場料200円(65歳以上)を払って旧閑谷学校の構内へ進むと、孔子を祀る聖廟の前に2本の楷の木(カイノキ)が並んでいました。


 楷の木は東南アジアに自生するウルシ科の植物で、大正4年(1915)に林学博士の白沢保美氏が中国孔子墓の楷の実を持ち帰り、育苗した内の2本だそうで、樹齢は100年を超えています。

 


 先ほど訪ねた岡山後楽園のクロガネモチと同様に雌雄異株なので、受付で2本は雌雄ですかと尋ねると、「2本ともにメンタ(雌)です」という答えでした。


 聖廟の前の広場の先に、国宝の講堂が丹精な姿を見せていました。

 

 
 講堂の内部を拝見すると、木の床が鏡のように輝いていました。

 

 こんな光景に接すると、無意識に背筋が伸びるのは何故なのでしょうか。
 

 

 長押(なげし)の上に「克明徳」の3文額が掲げられていました。


 それを説明する掲示物に、「克」は力を尽くして事を成し遂げ、「明」は物を正しく見る力、「徳」は善や正義をわきまえる高潔な品性と解釈する、と記されていました。

 

 


 この講堂では、小・中・高校生だけでなく一般・高齢者も事前に予約すれば、以下の「あいうえお論語」を教材とした学習が体験できるそうです。


「子曰く(し、のたまわく)  巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」などの講義を、この講堂で聴講してみたいものです。

 


 講堂の横の、敷地の奥へ通じる道を辿ってみました。

 


 校地外との境に設えた石塀は、美しいかまぼこ形に組み合わされ、石塀の地下には、深さ2m以上もの基礎が築かれているそうです。


 庶民の教育の為に、これ程の労力を費やした岡山藩主池田光政の情熱に頭下がる思いがします。

 

 

 石塀に沿って進むと、その先に古い校舎のような建物が見えてきました。

 


 この建物は、弘化4年(1847)に火災で焼失した学房後に建設された、私立閑谷中学校の校舎で、その後昭和39年まで閑谷高等学校に活用され、現在は資料館となっています。


 中に入ると、昔の学舎の懐かしい雰囲気が、そのまま保存されていました。

 


 資料館の壁には、閑谷学校のみならず、水戸の弘道館、栃木の足利学校、大分の咸宜園を紹介するポスターが掲示されていました。


 現在この4施設は「近世の教育遺産」としての世界遺産登録を目指しているそうです。
   

 

 

 

 ところで、椿林は何処かと、受付でもらったパンフレットを見直すと、閑谷学校に併設された池田光政の髪や歯などを納めた供養塚(御納所)が椿山であることが分りました。


 一旦外へ出て供養塔へ向かうと、さっき見た講堂の板の間のように掃き清められた土の道が、椿林の中に続いていました。

 

 
 私は今まで数多くの椿林を見てきましたが、これほどまでに手入れが行き届いた椿林を目にするのは初めてです。

 

 
 丁度、竹ぼうきで清掃されていた方に「綺麗な林ですね」と声を掛けると、「猪が荒らすので、手入れが大変です」とのお話でした。


 綺麗なまま保つ為に、手抜きのない労力が注ぎ続けられているようです。


 閑谷学校は何もかもが、楷の木のイメージ通りの、背筋がシャキッとするような、ストイックな雰囲気を湛える、教育の場そのものでした。
 

 

西日本に梅を訪ねて index

 

全ての「花の旅」はこちら → 「花の旅」 総合目次

全国の梅のガイド → 梅の名所

梅の話題 → ウメカテゴリー

筆者のホームページ 「PAPYRUS

 

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

岡山の梅林

2020-08-18 14:23:14 | 西日本に梅を訪ねて

 

 津山から国道429号を岡山市内へはしり、RSKバラ園の駐車場で開園を待って小ぶりな梅園を確認しました。

 

 

 RSKバラ園で梅園の確認を済ませた後、次の半田山植物園を目指しました。

 

 半田山植物園は一度訪ね来たことがあります。

 

 昔の画像を探すと2006年11月に撮影したツワブキの写真が出てきました。


 スライド用のフィルムで撮影していますが、ツワブキがいつもと異なる印象で撮影されていました。


 多分ツワブキしか咲いていなかったのでしょう。


 岡山駅から津山線に乗り、法界院駅から線路沿いを歩いた記憶が蘇りました。


 あの頃は金曜日に仕事を終えると、貴重な休日を、帰宅するだけに浪費しないよう、出張先の植物園などを訪ね歩いていました。

 

 
 今回の目的は梅と椿ですが、それ以外にも園内をくまなく見て歩きました。

 

 「長寿のソメイヨシノ」は、この場所に給水所が設けられた明治38年(1905)には、すでに植えられていたそうです。

 

 樹齢100年を超えるソメイヨシノは全国的に珍しいとの説明が付されていました。

 


 ジダレエンジュは中国原産で、中国で竜爪樹と呼ばれ、「出世の樹木」として珍重されるそうです。

 

 昭和9年(1934)に最初に日本に導入され、このような大樹は希少だそうです。


 オブジェのような樹形に興味をそそられました。

 


 園内の丘の頂きの一本松古墳は全長65メートルの前方後円墳で、西暦5世紀頃のものと推定され、出土された鉄槍や冑などの副葬品は東京国立博物館で保管されているそうです。
 

 

 日当たりの良い斜面にトサミズキやダンコウバイなどが仄かな花を咲かせ、

 

 

   
 梅林は明るい陽射しに包まれていました。

 


 南向きの斜面で、枝いっぱいにピンクの花を纏った見事なツバキカンザクラが春を告げていました。

 

 

   
 今朝、津山市の駐車場で、雪景色の中で目を覚ましたことが嘘のように思えます。


 しだれ梅が園路に並び、シナマンサクが趣深い花を咲かせていました。
 

 

 

 次に訪ねた岡山後楽園も二度目の訪問のはずですが、池で鯉を見た記憶しかありません。


 園内に入って、大きな茶畑が広がる光景に驚きました。


 庭園の中に茶畑を作らせた岡山藩主 池田綱政の質実合理な発想が窺えます。

 


 今回の訪問目的の梅林も、花を見る為だけのものではないのでしょう。

 


 園内を一通り巡って出口へ向かうと、正門横の鶴鳴館の前に、見事に剪定された二本の木に気付きました。

 

 

 

 しかし周囲に柵が巡らされて近づくことができません。


 気になったので、正門受付の女性に「あの木は何ですか」とお尋ねすると、分厚いファイルをめくって調べてくれて、クロガネモチであることが分りました。


 クロガネモチは雌雄異株なので、雌雄で植えられているのでしょう。


 クロガネモチは庭に植えると「苦労がねえ(なくて)金持ちになる」と云われますので、茶畑も含め、見た目だけではない作庭の意図や趣向を理解することができました。

 

 

 

 岡山後楽園を出て、国道2号線を東へ向かいました。
 
 車中で昼食のコッペパンをかじりながら1時間以上も走り続けると偶然、国道沿いに山麓窯の看板を目にしました。


 以前記したように、今回の旅に出る前に用意した旅程表を、五島のレンタカー会社に忘れてきたので、博多のネットカフェで旅程表メモを作り直しましたが、山麓窯の住所まで調べきれなかったのです。


 山麓窯梅園が気になっていたので、本当に幸運でした。

 

ネットカフェで作成した旅程表メモ

 
 駐車場へ車を入れて、建物に近づくと、梅まつりのポスターの下に「コロナウイルスの影響で中止」のお知らせが添えられていました。

 


 しかし、梅園には紅白の梅が咲き揃い、春の陽射しの中で、数人の方が静かに梅の香を楽しむ姿を見かけました。


 今日は3月5日木曜日の平日ですから、それほど人出は多くないのも当然ですが、陶芸品を展示するギャラリーも閉じられたままで、コロナウイルスの影響が、少しずつ全国に及び始めていました。

 

 

西日本に梅を訪ねて index

 

全ての「花の旅」はこちら → 「花の旅」 総合目次

全国の梅のガイド → 梅の名所

梅の話題 → ウメカテゴリー

筆者のホームページ 「PAPYRUS

 

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

春の雪

2020-08-17 10:55:02 | 西日本に梅を訪ねて

 広島県を出て岡山県に入りました。


 今回は行けませんでしたが、近いうちに必ず訪ねたい四国の梅ルートを想定し、そこへ繋げる山陽側の見どころを、どのように残すべきかを考えます。

 

 しかし直ぐに「少しぐらいミスったって何とかなる」と思い直します。


 旅の効率を考えすぎ、無理して事故でも起こせば全てゲームセットです。

 

 先を急ぐ車には道を譲り、見知らぬ街の景色を楽しみながらドライブを続けました。

 

 時々遊びであることを忘れて、ムキになるのが私の悪い癖です。


 三原市の満汐梅林から2時間ほど車を走らせ、17時過ぎに岡山市の神崎梅林に到着しました。


 もう既に、周囲は薄暗くなり始めていましたが、小雨が頬を濡らす梅園を歩きながら、梅の花を写真に納めました。

 


 この神崎梅林を含め、岡山市周辺では7ヶ所の梅園を訪ねるつもりです。


 そして今日はこれから、岡山市から北へ70㎞程離れた、津山市梅の里公園へ走ります。


 日が暮れた後は、移動に充てるのが私の何時もの旅のやり方です。


 夜のうちに次の目的地に移動し、夜明けとともに花を見て、朝世間が動き出す前に次へ移動すれば、飛躍的に訪問効率が高まります。


 どうすれば、そのようなルート設定になるかを考えるのも腕の見せ所です。


 この日も、移動途中で目にした田舎町のスーパーでお弁当と寝酒を買い、梅の里公園の駐車場に車を停めて、夕食の弁当を食べながら夜を過ごしました。

 


 翌朝、し~んと静まり返った不思議な気配の中で、車の窓ガラスを指でなぞると、外に雪景色が広がっていました。


 予想もしない事態に驚き、まず最初に頭をかすめたのは、「早くここから抜け出さなくては」でした。


 車は夏タイヤを履いていて、チェーンの用意ないのです。


 しかし一旦車外へ出ると、西の空に薄いベール状の雲が漂うだけで、東の空は明るく、天候は明らかに回復に向かいつつあるように思えました。

 

 此処に閉じ込められる心配はあまりなさそうです。


 それでも、長居をする気にはなれないので、園内を急いで巡ることにしました。

 


 小さな丘に梅林が広がっていました。


 そして梅林は冬と春が同居した、不思議な世界を見せてくれます。

 

 

 簡易舗装された道が、黒く光りながら丘を昇って行きます。

 


 梅園を見下ろす場所で麓を見下ろすと、田園風景が丘陵地の狭間に広がっていました。

 


 めったに、こんな光景に巡り会えるものではありません。


 千載一遇のチャンスと思うと、シャッター回数も増えます。

 


 梅林の中を横切る道は雪を被り、その道へ足を運ぶと、ズック靴に雪がまとわりついて、靴が濡れ始めました。


 去りがたい景色ですが、もし天候が急変すれば、身動きが取れなくなります。

 


 急いで丘を下ると車に戻り、次の目的地を目指し、国道429号線に車を進めました。


 車の進む先に見える峰は、中腹から上が白く化粧を施され、頂付近は霙交じりの雲に包まれていました。
 

 

西日本に梅を訪ねて index

 

全ての「花の旅」はこちら → 「花の旅」 総合目次

全国の梅のガイド → 梅の名所

梅の話題 → ウメカテゴリー

筆者のホームページ 「PAPYRUS

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )