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氷見に椿古木を訪ねる index

2017-09-18 21:29:24 | 氷見に椿古木を訪ねる

「花の旅」 総合目次 


氷見に椿古木を訪ねる index

 

1 氷見に椿の古木を訪ねる(富山県氷見市に椿の古木を訪ねます)

 

 富山市

2 富山県中央植物園でユキツバキを見る(富山中央植物園でユキツバキを観察しました)

 

3 日本古来の文化財である椿を誰が守るのか(旧家の庭の椿が消滅し続けています)

 

 高岡市

4 高岡古城公園のツバキ高岡古城公園を散策し、椿を確認しました

 

5 椿の花に包まれる勝興寺(勝興寺の椿の道は落ち椿で紅色に染まっていました)

 

 氷見市

6 氷見市内へ(氷見市内へ入り、手向神社や高木家墓地を訪ねました

 

7 氷見市薮田のヤブツバキ国道160号を北上し、本格的な椿観察の旅がスタート

 

8 万葉の里 ひみ椿物語氷見ツバキ愛好会の調査を基に、市が観光用パンフを作成

 

9 氷見海岸のミカン畑(富山湾に面した丘の斜面にミカン畑を見て、驚愕)

 

10 長坂棚田と石動山大宮坊日本の棚田百選 長坂棚田と石動山を観光しました

 

11 長寿を迎える椿の条件(あの長坂の不動つばきが数年前に枯死していました)

 

12 地すべりと共生する里山(能登半島の基部の宝達丘陵の東側は地すべり地区です

 

13 中山家熊野権現のツバキ(胡桃地区の中山家熊野権現椿に感動

 

14 氷見市余川のツバキ(風格ある、民家の墓守り椿に出合いました)

 

15 氷見市内を散策(氷見市内の上日寺などを訪ね、マンホールの蓋のブリの絵に納得

 

16 大友家持ゆかりの地(氷見と高岡は万葉集を編纂した大伴家持ゆかりの地です)

 

17 日本原産ヤブツバキ古木の希少性(原産地の日本だけにヤブツバキの古木が存在)

 

18 氷見 くまなし千本椿(氷見ツバキ愛好会が見出した、くまなし千本椿を訪ねます)

 

19 氷見 熊無のツバキなど(熊無、論田地区で椿の花を楽しみます)

 

20 神秘の諏訪の森(人の手が入らない神秘の森に巡り合うことができました)

 

21 氷見市郊外のツバキ(山里の集落に、風格を備えた椿が花を咲かせます

 

22 老谷の大つばきは傾斜地に育つ(椿の古木の殆どは傾斜地に育ちます)

 

23 悠久の時を刻み続けるツバキ坪池の巻家墓地のツバキが見事でした

 

24 蒲田のツバキ蒲田の大ツバキは氷見市の天然記念物に指定されています

 

25 仏生寺脇之谷内のツバキ仏生寺脇之谷内は三千坊山山麓の門前町でした

 

26 仏生寺細越地区のツバキ細越地区特産品のハトムギ茶が美味しかった

 

27 氷見市赤毛地区のツバキ(雪が消え残る集落にユキバタツバキの花が咲きます)

 

28 「氷見に椿古木を訪ねる」掲載ツバキ一覧(当ブログで紹介した椿一覧)

 

 

 

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「氷見に椿古木を訪ねる」掲載ツバキ一覧

2017-09-18 20:29:22 | 氷見に椿古木を訪ねる

「氷見に椿古木を訪ねる」 掲載ツバキ一覧

 

 訪問順

 項目は 地域 椿名(ページへリンク) 所在地 幹周り の順に記載

 

 富山市 内山邸ツバキ 「富山市宮尾903」
 高岡市 高岡古城公園 国際児童年記念植樹 「高岡市古城1番9号」
 高岡市 勝興寺 椿の道 「高岡市伏木古国府17番1号」

以下氷見市
 柳田  手向神社ツバキ 「氷見市柳田2995」 根元 140㎝
 園   高木家墓地ツバキ 「氷見市園334」 根元 220㎝ 
 薮田  穴倉家墓地ツバキ 「氷見市薮田 121-5」 根元 167㎝
 泊   共同墓地ツバキ 「氷見市泊」 根元 128㎝
 小境  朝日社叢ツバキ 「氷見市小境」 目通し 128㎝
 小境  髪塚ツバキ 「氷見市小境(旧灘浦中学校裏)」
 大境  慈光寺ツバキ 「氷見市大境 463」 根元 135㎝
 姿   白山神社ツバキ 「氷見市姿 963」 目通し 150㎝
 脇   北島家椿林ツバキ 「氷見市脇 1729」 根元 170㎝
 中田  山口家ツバキ 「氷見市中田(谷口) 2625」 目通し 200㎝
 長坂  長坂の大つばき 枯死 「氷見市長坂 279」 
 戸津宮 大石ツバキ 「氷見市戸津宮 798」 目通し 240㎝
 白川  共同墓地ツバキ 「氷見市白川 3470」 目通し 180㎝
 白川  八幡社ツバキ 「氷見市白川 1857」  目通し 138㎝
 白川  高嶋家ツバキ  「氷見市白川 3097」 目通し 130㎝
 五十谷 菖池家墓地ツバキ 「氷見市五十谷 77」 根元 178㎝
 磯部  永徳寺ツバキ 「氷見市磯辺 1578」 目通し 175㎝
 磯部  磯部神社社叢ツバキ 「氷見市磯部 1045」
 針木  長家ツバキ 「氷見市針木 158」 根元 150㎝
 胡桃  火神社ツバキ 「氷見市胡桃 792」
 胡桃  中山家熊野権現ツバキ 「氷見市胡桃 1100」 根元 212㎝
 北八代 松沢家ツバキ 「氷見市北八代 2683」  目通し 140cm
 余川  興聖寺ツバキ 「氷見市余川(古戸) 5909」 根元 175㎝
 余川  杉谷家ツバキ 「氷見市余川(杉谷) 5112」 目通し 128㎝
 鞍川  ふれあいの森 つばき園 「氷見市鞍川 3」 
 朝日丘 八幡神社ツバキ 「氷見市朝日丘 15」  目通し 80㎝
 下久津呂 八幡宮ツバキ 「氷見市下久津呂 2159」 目通し 130㎝
 布施  布勢の円山 「氷見市布施 1826」 
 加納  宝光寺ツバキ 「氷見市加納 1385」 
 味川  山本家ツバキ 「氷見市味川 243」 目通し 105㎝
 味川  阿努神社ツバキ 「氷見市味川 2687」  目通し 128㎝
 懸札  中尾家ツバキ 「氷見市懸札 316」 根元 100㎝
 懸札  山市家ツバキ 「氷見市懸札 1028」 根元 100㎝
 熊無  くまなし千本椿 「氷見市熊無」 根元 162
 熊無  源蔵の大つばき 「氷見市熊無 1089」 根元 132㎝
 熊無  長四朗ツバキ 「氷見市熊無 843」 根元 103㎝
 熊無  池渕家ツバキ  「氷見市熊無 767」 根元 150㎝
 論田  松田家ツバキ 「氷見市論田 949」 根元 120㎝
 柿谷  諏訪の森 「氷見市柿谷」 目通し 164㎝
 中村  西田家ツバキ 「氷見市中村 1980」 根元 120㎝
 小窪  岡田家ツバキ 「氷見市小窪 514」 根元 110㎝
 日名田 京田家ツバキ 「氷見市日名田 1160」 目通し 116㎝ 
 三尾  堀田家ツバキ 「氷見市三尾 669」 目通し 130㎝
 老谷  老谷の大つばき「氷見市老谷 1249」 目通し 353㎝
 久目  久目神社ツバキ 「氷見市久目 3229」 目通し 144㎝
 岩瀬  行願時ツバキ 「氷見市岩瀬 1796」 目通し 100㎝
 坪池  巻家墓地ツバキ 「氷見市坪池 881」 目通し 195㎝
 蒲田  田の大つばき 「氷見市蒲田 959」 目通し 220㎝
 蒲田  奥都城ツバキ 「氷見市蒲田 970」 根元 230㎝
 仏生寺脇之谷内 斉藤家ツバキ 「氷見市仏生寺 5287‐2」 根元 131㎝
 仏生寺脇之谷内 尾谷家ツバキ 「氷見市仏生寺 4986」  目通し 115㎝
 仏生寺細越 竹島摂翁頌徳碑ツバキ 「氷見市細越 4005」 根元 110㎝
 仏生寺細越 田村家ヤスケ三昧椿  「氷見市細越 4080」 根元 136㎝
 赤毛  中山家ツバキ 「氷見市赤毛 1068」 根元 130㎝
 赤毛  中嶋家ツバキ 「氷見市赤毛 1072」 根元 135㎝

 

 参考資料 氷見春秋 第60号 第61号 著者 丸山志郎

 

 

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氷見市赤毛地区のツバキ

2017-09-16 23:17:38 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 仏生寺細越から赤毛地区へ向かいました。

 

 赤毛地区では中山家と中嶋家のツバキを訪ねます。


 県道29号をはしり、赤毛トンネルを抜けた先で右折し、大きな左カーブの道を下ってゆくと、ナビが目的地到着を告げました。

 



 路肩に車を停め、大きな農家にお邪魔すると、土蔵の横に見事なツバキが紅色の花を咲かせていました。
 

 


 周囲の空が杉林で仕切られています。

 

 お年を召したご婦人が、雪が消え残る庇の下で作業をされていました。


 ツバキを拝見させて頂きたいと伝えたのですが、意味が分からないようでした。

 

 



 アオキが斜面に葉を広げています。

 地を這うような樹形は、日本海側多雪地帯型のヒメアオキの特徴です。

 


 
 目の前のヒメアオキはまだ蕾を閉じています。

 

 東京の小石川植物園に植えられたヒメアオキは、毎年4月に入ると浅緋とでも言うべき色の花を咲かせますので、この辺りでの開花は東京より10日程も遅いようです。

 

 

赤毛中山家のヒメアオキ      小石川植物園のヒメアオキ


 
 中山家のお隣が中嶋家です。


 こちらのお宅も、見事な枝ぶりのツバキが枝一面に花を咲かせていました。

 



 庭のような、畑のような敷地のあちこちで、さりげない様子のツバキが紅色に花を咲かせていました。

 

 


 
 地に落ちたツバキの花を観察すると、花弁は開きぎみで、花糸が黄色く、筒部が短い等、ユキバタツバキの特徴を示しています。

 


 ヒメアオキが生育するような場所ですから、ヤブツバキは育ちきれないのかもしれません。


 こちらのお宅も見事な作りの住居ですが、お声掛けしても返事はなく、玄関先で猫ちゃんがのんびりと寛いでいました。

 


 

 氷見市赤毛の中嶋家を訪問し、氷見市ツバキ古木の探訪は当初の予定を全て終わらせることができました。


 この後、能登半島へ足を延ばし、七尾、珠洲、輪島のツバキ古木めぐりを予定していたのですが、天気予報が明日から続く雨を告げていました。

 

 それにもまして、2日半に亘る氷見ツバキ巡りで些かの疲労を感じていたので、今回の旅は一旦ピリオドを打つことにしました。


 この後私は、ツバキの資料を提供してくれた丸山さんのご紹介で、ツバキコレクター日本一の高岡市の木倉さんを訪ね、そのコレクションに圧倒され、

 

 射水港で海王丸を見ながら腹ごしらえをした後、帰路を辿る道へと車を進めたのでした。

 


 

 

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仏生寺細越地区のツバキ

2017-09-16 19:35:08 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 仏生寺脇之谷内から仏生寺細越地区へ向かいました。

 

 県道29号から分かれ、丘陵地を縫う細道を辿りますと、目の前に寂びた山村が見えてきました。

 



 集落に人影はありません。

 

 目当ての「田村家ヤスケ三昧椿」と「竹島摂翁頌徳碑椿」の所在を伺うため、ハトムギ加工場の看板を掲げた建物に入り、中の方達にツバキの場所を尋ねました。

 



 「竹島摂翁頌徳碑の椿」はハトムギ加工場の目と鼻の先にありました。


 頌徳碑の解説板には「竹島摂翁は明治43年以来村議会議員、村助役を務めた功労者で、昭和32年に藍綬褒章を授かった。」と記されていました。


 翁が好んだツバキが頌徳碑脇に植えられたそうです。


 根元110㎝、可憐な桃色八重のツバキが花を咲かせていました。

 

 


 
 「田村家ヤスケ三昧椿」のツバキも、ハトムギ加工場から徒歩5分程の場所に花を咲かせていました。

 



 ツバキの近くに「弥助三昧」に関する次のような解説が掲げられていました。


 語意は不明ですが、この地区を【弥助ザンマイ】と呼びます。


 細越に生まれた天才剣士 佛生寺弥助は16歳で江戸に出て、斎藤 弥九郎(前ブログ参照)の門下生となり、22歳で師範代、その後佛生寺流を名乗り諸国を道場破りに歩き一度も敗けなかったと記されていました。


 三昧とは、本来は精神を集中させる状態を意味しますが、平安時代以来、俗用で火葬場を三昧(さんまい)言い習わしています。

 

 三昧場(さんまいば)は墓地や死者の冥福を祈るためのお堂を指すことから、「弥助三昧」は、弥助の冥福を祈るお堂がある場所の意が転じて地区名になったのだろうと推測します。

 



 田村家ヤスケ三昧椿は今回の旅で見た、どのツバキよりも艶やかな表情を見せていました。

 

 


 最初にツバキの場所をお尋ねしたハトムギ加工場では、地域のご婦人達が、氷見細越特産のハトムギ茶の袋詰め作業をされていました。

 



 全てが手作業で、焙煎したハトムギをスプーンで10gずつティーバックの袋に詰めてゆきます。


 ツバキのことを伺うだけのつもりだったのですが、作業場に導かれ、ケーキを添えたハトムギ茶をご馳走になりました。

 



 細越では30年以上前の1985年からハトムギ栽培を始め、この加工場でティーバックやせんべいの加工をしているそうです。


 ハトムギ茶を初めて飲ませて頂きましたが、爽やかな味で、飲んだ後、喉と胃に何とも言えない清涼感が残ります。


 気に入ったのでその場で20包入りを買い求めました。

 



 即断で買い求めたのが嬉しかったのか、一人のご婦人が、であればと言って、12包入り(上写真左)を「オマケ」してくれました。

 

 するともうお一人の方が、では私も一パック、すると今度は別の方が、じゃあ私はこれ、と言って、はとむぎ煎餅をくださったのです。


 こんなとき、遠慮などすると失礼なので、勿論喜んで即断で頂戴致しました。

 



 仏生寺細越地区は21世帯ほどの小さな集落ですが、みなさん和気藹々と楽しそうにティーパックを作っておられました。


 高岡や氷見市街と10㎞以上離れた山里で、無農薬のハトムギを栽培しているそうです。


 お湯を沸かしたヤカンに1パック放り込むだけで簡単に美味しいはとむぎ茶が楽しめます。


 東京の有楽町交通会館のアンテナショップにも置いてあるそうなので、今度は銀座に出かけた時にでも、寄ってみたいと思います。

 


 細越地区から離れるとき、道路脇で、地域の方々のように穢れない素直な表情で土筆が背を伸ばしていました。

 

 ツバキの艶やと、伸びやかな土筆の表情が印象に残る細越地区でした。

 

 

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仏生寺脇之谷内のツバキ

2017-09-16 15:07:33 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 蒲田から仏生寺脇之谷内に向かいました。

 

 氷見と高岡の境をなす西山丘陵の尾根襞の中へ、仏生寺川の支流に沿って県道64号を進みました。

 

 たどり着いた仏生寺脇之谷内地区は、その昔、山伏の修験場だった天台宗の寺院があった三千坊山山麓の門前町だったそうです。

 

 最初に斉藤家のツバキを訪ねました。

 

 いつものように地域の人に道を尋ねながら訪れた場所は、土台だけが残る屋敷跡でした。

 


 

 丸山さんの資料に「幕末の剣豪 斎藤 弥九郎の生家」と記されていたので、このブログを書くにあたって調べますと、

 

 斎藤 弥九郎は江戸時代後期から幕末にかけての剣術家で、文化12年(1812年)満14歳のとき、親から1分銀(ほぼ1万円相当)を渡され江戸へ出立します。 

 

 旅の途中でアルバイトをしながら、野宿を重ねて江戸にたどり着き、旗本の家で住み込みの下働きを続けながら、20代で道場の師範代に昇進、その後、幕末江戸三大道場の一つである「練兵館」を創始します。

 

 この道場は、桂小五郎が熟頭を務め、高杉晋作や伊藤博文など、明治維新の原動力となる人物を数多く輩出したようです。


 時代は逆ですが、先にご紹介した浅野総一郎の話しを思い出させます。

 この地では、多くの人々が、古の時代から外の世界に目を向けていたのでしょうか。


 大伴家持などに代表される都との交流や北前船の運行などを通じて、外の世界に対する意識が醸成されていたのかもしれません。

 

 斉藤家のツバキは桃色 牡丹咲 中輪で根元131㎝と資料に記載されています。

 

 しかし、人の保護から外れて、自ら動けないツバキは、やがて笹や灌木の中に埋もれてしまう運命のようです。

 

 


  次に、仏生寺脇之谷内の尾谷家を訪ねました。


 「三千坊山」で検索しヒットした「三千坊山の案内板」には次のような記述がありました。


 「・・・脇之谷内は三千坊の参道あとが今も残っている。昔は参道には尾谷の茶屋があって参詣者に湯茶の接待をした家があったという。」


 地区の方に道を尋ねながら訪ねた尾谷家は蔵を備え、格式を感じさせる家構を見せています。

 



 尾谷家の方にご挨拶をして、ツバキを見せて頂くことにしました。


 ご自宅の裏に、根元135㎝の見事なツバキが真紅の花を咲かせていました。

 

 


 
 尾谷家の方が、そのツバキの根元に見える細い道が、昔は三千坊へ登る参道だったと説明してくれました。


 そして、尾谷家は昔、この道を通って三千坊に上る人達にお食事を提供していたとお話されていました。

 

 

 

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蒲田のツバキ

2017-09-15 16:21:50 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 東京を出て、4日目の朝を高岡市の河川敷で迎えました。

 

 前日の最後に訪ねた氷見市坪池から氷見市街へ戻るより高岡市街の方が近かったのです。


 そして、3日間ご無沙汰しているお風呂に入ろうと思いました。


 高岡市街で銭湯を探して汗を流した後、スーパーで割引価格の焼肉弁当や缶酎ハイを買い込み、小矢部川の河川敷に車を停めて車内で夕食を済ませ、寝袋に潜り込みました。


 翌日の朝早々に車の中で目を覚ますと、コンビニで朝食を購い、再び氷見市街を目指して走り始めました。


 最初に訪ねたのが氷見市蒲田の大ツバキです。


 民家脇の林の中を上ってゆきます。

 

 


 
 坂道の先に設けられた階段を上がると、幾つかの墓石を守るかのように3幹のツバキが枝を広げていました。 

 


 この場所に枝を広げる蒲田の大ツバキは、平成18年に氷見市天然記念物に指定されています。

 



 「3本の幹で最も太いものの幹周は2.2m、樹高11m、枝張りは東西13m、南北13mで3月中旬頃から赤と薄桃色の花を咲かせる」と解説にあります。

 

 

 

 蒲田の大ツバキの周囲に数多くのツバキが枝をひろげ、地に落ちた枯葉の上に紅色の花が散り広がっていました。

 


 

 蒲田の大ツバキの場所から少し下り、踏み分け道の途中から左へ数十メートルほども進むと所別の墓地、田口家奥都城に出ます。

 

 


 
 この墓地も、ツバキの古木が墓を守り、墓の周囲は数多くのツバキが足の踏み場もない程に、紅色の落ち椿が地を覆っていました。

 

 

 緋毛氈が広がる林で、梢の先に咲きほころぶ深紅の花が、舞妓のような微笑を見せてくれます。

 


 

 白い雪の中で寒さに耐え抜いたヒメアオキが、ルビーのように輝く果実を枝に飾っていました。

 



 蒲田の大ツバキとは一味異なる風情を漂わせた奥都城椿も、私の記憶の中に天然記念物並みの記憶を残してくれたのです。

 

 

 

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悠久の時を刻み続けるツバキ

2017-09-15 13:31:37 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 老谷の大ツバキを見終えて、時間を確認すると17時を過ぎていました。

 

 急いで老谷川に沿った道を下り、岩瀬で県道76号に入り、久目の紹光寺を訪ねました。


 紹光寺には目通し140㎝の古木があるはずです。


 しかし、大黒さんにお話しを伺うと、ツバキは2年前の平成25年に枯死したそうです。

 



 次に、久目の前田家を探しました。


 前田家は明治期まで造り酒屋をしていた旧家だそうですが、久目の集落をいくら探しても見つかりません。


 尋ねるべき人にも出会えなかったので、場所が分かる久目神社へ向かうことにしました。


 久目神社は2010年3月の旅で一度訪ねています。

 



 静かな境内に人影はなく、8年前に訪ねた時と変わらぬ様子で、ツバキが紅色の花を枝に飾っていました。
 

 

 

 久目神社から再び県道76号を岩瀬に戻り、行願時を訪ねました。


 本堂裏の丘に林が広がり、林の中に幾本ものツバキが花を咲かせていました。


 夕暮れ時の寂しさに包まれた林で、枝々に花を灯すツバキの風情が心に残りました。
 

 


 時計の針は既に18時を回っていましたが、もう一ヶ所欲張ることにしました。


 岩瀬から県道29号を南下し、坪池の集落を訪ねました。


 坪池では宝住家墓地と巻家墓地が目当てでしたが、宝住家墓地を探し出すことはできませんでした。


 しかし坪池の集落から、更に山の奥へ農道を進んだ先の、巻家墓地のツバキが見事でした。

 



 車一台がやっと通れる程の細道の右手に、こんもり茂るツバキは23本が株立ち状になっています。


 ツバキの下に数多くの石塔が並び、青磁の花立てに菊の花が供えられていました。

 



 道路際に三本の檜が並び、法面を守っています。

 



 墓の後ろへ回ると、大きな斜度を伴って、下の耕作地へ落ち込んでいました。

 



 花を見ると花糸が低い位置で分れますので、ユキツバキの血が混じっているのでしょうか。

 



 既に18時半に近く、周囲は薄暗くなり始めていました。


 どこか遠くの谷底から、人の息吹を感じさせる車の走行音がかすかに聞こえてきました。


 人里を離れ、風のそよぎのない丘の上に夜が忍び寄ります。


 悠久の時を刻み続けてきたツバキが今、闇の中の眠りに付こうとしていました。

 

 

 

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老谷の大つばきは傾斜地に育つ

2017-09-14 17:25:38 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 堀田家のツバキを見終えると、ここまで案内してくれた方が、「氷見に来たら、是非、老谷のツバキを見て行って欲しい、近道があるのでご案内しましょう」と言って、車をはしらせ始めました。

 

 考えていた順路とは異なりますが、ご親切を無下にするのも何なので、車の後を付いて行くと、暫くして脇道の入口に止まり、車の中から脇道を指で突く素振りを見せています。

 

 私は車の中で一礼し、案内された山道を、老谷目指してはしり始めました。

 

 予定を変更したので、日没までに目的地を回りきれるか不安でしたが、先を急ぐ旅でもないので、杉林が続く林道のドライブを楽しみながら老谷の大ツバキに到着しました。

 



 このツバキも2010年3月に訪ねていますが、これだけの巨木はめったにないので、今回も丁寧に見せて頂くことにしました。

 

 

 

 老谷の大つばきは昭和40年指定の富山県天然記念物です。


 掲示板に次のような解説が記されていました。


 「樹齢推定500年の日本屈指の巨樹で、3月中旬から4月中旬にかけて真紅の花を咲かせる。

 

 幹回り3.47m、樹高6.6m、枝は東西8m、南北11mの広がりがあり、その面積は15坪に相当する。

 

 地上80㎝で三本の幹に分かれ、その形状から「刺股(さしまた)の椿」の別名がある。


 その昔、飢饉に苦しむ民のために城主に直訴した家老が怒りを買い、一族の男子が刺股処刑された。

 

 この椿の所有者である伊原家から娘が嫁いでいたが、夫の死で悲しみのうちに亡くなり、墓標の代わりにこの椿が植えられた。


 昨年の日付が記された氷見市ホームページには「樹高7.5m、幹周り3.89m、4月頃から花を咲かせる。」と記されていますので、今でも僅かずつ成長しているようです。


 元は、幹が三本に分かれていたようですが、今は一本が枯れて、二股になっています。


 雪に耐える為でしょうか、数多くの支柱が枝を支えていました。

 


 

 ここで、老谷の大つばきに添えられた支柱を見ての感想を記しておきたいと思います。

 

 ヤブツバキ、ユキツバキの分布状況から想像できるように、ヤブツバキにとって雪の影響は無視し得ないものと思えます。

 

 私が通い続けている小石川植物園では、東京に20数㎝の雪が積もった2014年2月、日本ツバキ・サザンカ名鑑に霊鑑寺白藪椿と記されるシロヤブツバキが枝を折られ無残な姿を見せていました。

 

 


 東京は数十年ぶりの積雪量でしたから、このことだけでの推測は少々乱暴ですが、ツバキの材が堅いことが、雪に対する耐性を欠く原因となっている可能性を考えます。


 そしてもう一つ、今まで私は、大船渡の三面椿群馬県秋畑の大椿、氷見の大椿群、与謝野町の滝の千年椿、宮崎県西都市の樅木尾有楽椿など、多数のツバキ古木を見てきましたが、そのどれもが、老谷の大つばき同様の傾斜地に育ちます。

 

 京都の寺社など、幾つかの例外はあるものの、民家や神社など、あまり人の手を掛けずに育つツバキでは、根の周囲に水が滞留しないことが、主要な長寿条件の一つに思えるのです。

 

 今回の旅でも、殆どのツバキ古木が傾斜地の中か、片面が傾斜地となる場所、あるいは小塚のような場所に育っていました。

 

 全国のツバキ群生地であっても、青森県夏泊半島伊豆大島伊豆下田公園足摺岬天草の西平椿公園長崎権現山展望公園など、それら全てが斜度のある地形です。

 

 例外的に千葉県大原町の椿の里などは平たん地ですが、砂地で水はけの良い場所です。

 

 多分、横浜こどもの国伊豆小室山つばき園京都舞鶴自然文化園など、そのようなツバキ園を設計した人は、上記内容を意識していた可能性があります。


 さて、もう一つ余談です。

 

 「刺股(さしまた)の椿」の刺股がどのようなものか分からなかったので、ネットで検索してみました。

 

 リンクフリーのページを見つけましたのでご紹介します。


 なるほど、です。

 

 

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氷見市郊外のツバキ

2017-09-14 13:53:05 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 氷見市街を中心に郊外を左廻りに移動しています。

 

 柿谷から南西方向へ進み、氷見市中村の西田家のツバキを訪ねました。

 

 見事な剪定です。


 おうちの方に話を伺うと、太すぎて根は掘れないので、邪魔な枝だけ切り払ったそうです。

 



 続いて、小窪で岡田家のツバキを拝見させて頂きました。


 2本の古木が花を咲かせていました。


 何れの木も、幹が白く染まり、幽玄な雰囲気を漂わせています。


 しかし、もしかするとこれは何かの病気かもしれないと、ちょっと心配になります。

 

 


 
 県道64を南へ向かい、小久米から県道300へと右折し、氷見日名田京田家墓地のツバキを訪ねました。

 


 車を停めた道路脇で何かの作業をされていた方に、主旨を説明し、京田家墓地のツバキを探しているのですが、とお聞きすると、「そうなの、案内してあげるよ」と手招きされました。


 私の車のナンバープレート「練馬」を見て、「東京から来たの? わざわざ!」と聞かれましたので「ええ」と答えると「いやいや、ご苦労様です」と嬉しそうな表情をされました。

 

 京田家の墓地で、お年を召したご婦人が作業をされていましたが、この方が京田家の方で、案内してくれた人は、京田家の方ではではなさそうです。

 



 京田家墓地のツバキも、威厳ある風格を備えた、見事な樹形を見せていました。

 

 

 

 樹齢を重ねた杉の木を従え、紅色の花弁に黄金色の粉をこぼす様に、この場所に安らぐ人々の笑顔を見るような思いが致しました。

 

 


 
 車に戻ると、墓地を案内してくれた方から、「次は何処へ行くんですか?」と聞かれたので、

 

 「三尾の堀田家です」と答えると、

 

 「私もそちらへ行くから案内しましょう、車の後を付いてきて」と路肩に停めてあったセダンで誘導しながら、県道をはしり始めました。


 三尾に付くと、この男性は道で出合った人に、「東京から氷見のツバキを見に来たんだって、堀田さんとこに古いツバキがあったかな」と話し掛けています。


 話し掛けられた人も堀田さんのお家の方ではなさそうですが、「堀田さん留守だけど大丈夫だよ、ツバキを見てきたら」と促してくれましたので、お言葉に甘えさせて頂くことにしました。

 

 


 
 道案内をしてくれた方は議会関連の仕事をされているようで、この地区では相当に顔が利く人のようです。


 堀田家のツバキは、良く手入れされた庭石の上に花を落とし、傾き始めた陽の光の中で、寛ぎの表情を見せていました。

 


 見上げた蔵の庇下の蔵飾りは、鷹が「四つ花形丁子」の家紋旗を銜えているように見えます。


 そうであれば清和源氏の流れになりますが、道はこの先で加賀に通じています。


 どんな物語があったのでしょうか。

 

 

 

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神秘の諏訪の森

2017-09-13 21:21:46 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 氷見市柿谷の諏訪の森は、「堂々たるツバキの古木群がタブの巨木らと混在。神聖な雰囲気が漂う貴重な生態研究エリア」と丸山さんの資料に記されています。

 

 しかし、丸山さんから頂いた所在地、「氷見市柿谷1」をネット地図で検索してもそれらしい施設が見当たりません。

 

 更には、「氷見 諏訪の森」とネット検索しても、それらしいものが出てこないのです。

 

 「諏訪の森」という名称から、自然公園か教育研修施設のようなイメージが浮かびます。

 

 それなりの規模を有するはずですから、ネット検索で該当施設が出ないのが不思議です。


 そんな訳で「諏訪の森」の探索訪問は、当初からある程度の困難を予想していました。


 そして案の定、ナビが「目的地に到着しました」と告げたのは、田が広がる中に、数件の住宅が建つだけの、森とは全く無縁の場所だったのです。


 しかしそれは想定通りだったので、すぐに、北方に見える小高い丘を目指しましたが、そこには何もありませんでした。


 次に県道70号に沿って、丘陵地の北西部を探しましたが、手がかりさえ掴めません。


 もしかすると学校の付属施設のようなものかもしれないと考え、ナビの地図に現れた小学校の周囲なども探しましたが、結局これも徒労に終わりました。


 柿谷で一番大きな道路に、もしかすると標識などが見つかるかもしれないと考え、県道303を数回往復しましたが全くの無駄でした。


 これはもう駄目かもしれないと、半分諦めつつ、最後に町の住民に尋ねることにしました。


 町中に人影は殆ど見えませんが、たまたま、一軒のお宅で洗濯物を取り込んでいたご婦人を見かけ「諏訪の森」を探しているのですが・・・と聞いてみると、「それなら主人が詳しいので、どうぞ玄関の方へお回り下さい」と玄関に導かれ、そこへ住宅地図を片手に現れたご主人から、詳しい道順と地図のコピーを頂くことができたのです。


 このお宅のご主人は、以前教育委員会関連か何かのお仕事をされていたそうです。

 
 地域の自然や環境関連知識の造詣が深く、このお宅でお尋ねしたことが本当に幸運でした。


 「諏訪の森」とは、氷見市柿谷が谷屋や上余川と境を接する丘陵にある森の通称のようです。


 「諏訪の森」へは、県道303を西にはしり、町外れの白山社の手前を右へ、その先の農道を道なりに上っていった先の、道が途切れる辺りで車を降りて、徒歩で20分程度森の中を進んで行った一帯だそうです。


 説明を聞いても、正確なイメージは描けませんでしたが、数十年以上も山登りや沢登りで鍛えた地理感を頼りに、山里の森の奥へと入って行きました。


 車を下りて、耕作放棄された畑の中を進み、枯れたススキの原を進んでゆくと、やがて目の前にそれらしき木立が見えてきました。

 



 杉林の手前に、常緑樹と落葉樹が混交する小さな森が見えています。

 



 森の手前の沼を迂回し、笹原を森へと近づいてゆきました。

 



 森に入ってまず目についたのが、圧倒的な存在感を示すタブノキの巨木でした。


 後のネット調査によって、幹周4.75m、樹高21mと判明しました。

 

 


 
 タブノキの周囲に幾本ものヤブツバキが育ち、林床に紅の椿花が散りばめられていました。

 



 花糸が白く、花糸の合着が長いので、ユキツバキの血はほとんど混じっていないと思えます。

 



 タブノキの南面は2~3mほどの崖で、その崖下はヨシ等が倒れ重なる湿地となっていました。


 その湿地に向けて、幹周1m以上の、2幹のヤブツバキが倒れ込むように枝を伸ばしています。

 



 この斜面では、至る所にヤブツバキの古木が幹を伸ばしていました。

 


 南面に高木が育たず、光を遮るもののない、ヤブツバキに恵まれた環境にあって、人里離れた丘陵地で、開発の難から逃れ続けた幸運が、このような稀有なツバキ森を育んでくれたのでしょう。

 

 

 
 それにしても本当に驚くべき、神秘の森に巡り合うことができました。

 

 

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氷見 熊無のツバキなど

2017-09-13 16:02:42 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 丸山さんのご自宅にも「源蔵の大つばき」と呼ばれる、根回り132㎝の見事なツバキの巨木があります。


 枝が高くて花を確認し難かったのですが、かろうじて見つけた花は、端正な紅色のフォルムを見せていました。


 

 
 丸山さん宅のお庭には、多数のツバキ品種が育てられていましたが、ツバキ以外にも豊後梅や河津桜などが花を咲かせ、自然溢れる里で、花を愛でる心豊かな暮らしを過ごされているご様子です。

 

 


 
 熊無の集落では、長四朗のツバキが桃色八重の可憐な花を咲かせ、

 

 


 池渕家には、白八重咲きの富樫白と、

 

 


 
 薄紅色で八重咲き中輪のツバキが目を楽しませてくれました。

 

 


  熊無の集落を後にして、次の目的地である論田へ向かう車窓に、枝に溢れる花を掲げた白梅を望みました。


 野を春の草花が彩り、木々の梢は花に溢れます。


 心地よい季節の点景の中で、開け放つ窓から伝わる春風の感触を存分に楽しみながらの旅を続けました。

 



 資料には、熊無に隣接する論田地区の願正寺に、根元300㎝の椿の真骨頂に触れる見事な株立椿があると記されていました。


 願正寺を訪ねましたが、境内にそれらしいツバキの姿は見当たりません。


 諦めきれずに、お寺の住居の呼び鈴を押しても反応はなく、誰か訪ねて来ないかと、暫くの間待っていたのですが、真骨頂のツバキに出会うことは叶いませんでした。


 論田集落の松田家には根元120㎝の富樫白がありますが、こちらのツバキにはお目通りを頂くことができました。



 

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氷見 くまなし千本椿

2017-09-13 13:07:29 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 国道415号を西へ進み、石川県との県境に位置する熊無地区にやってきました。


 道路脇の斜面を彩る早咲き桜の優しさが心に染みます。


 「くまなし千本椿」の看板を目にして、車をおりてツバキを探す足元に、ショウジョウバカマが剽軽な表情を見せていました。


 熊無は、氷見市街よりも春の歩みが緩やかな様子です。

 

 

 

 「くまなし千本椿」の看板が立つ細い道を進んでゆくと、民家の庭へと入ってゆきます。

 

 どうやら、この道ではなさそうです。 


 千本椿は清水谷西面にあると資料に記されているので、丘陵へ登る道を探しましたが、人影の無い集落で、民家の敷地に迷い込めば、あらぬ疑いを掛けられかねません。


 道を尋ねようと、数軒のお宅の呼び鈴を押しましたが、全ての家がお留守でした。


 舗装された道へ戻り、道筋のお宅のチャイムを押すと、うら若い女性が出て来られたので、わけを話し、「くまなし千本椿」への道をお尋ねました。


 すると、「母が知ってるはずですから」と隣へ案内され、再びお母様に同じことをお尋ねしました。


 お母様は、ツバキはお父さんが詳しいから聞いてあげる、とおっしゃて、お父様に携帯電話を掛け、繋がった電話を私に手渡されたのです。


 携帯を受け取った私は、東京から来て、氷見に椿を訪ね歩いているので「くまなし千本椿」へのルートを教えて頂きたい旨を伝えました。


 しかし、どうも話がちぐはぐなのです。


 私は一瞬頭を混乱させましたが、むむむ! もしかしてお父様は丸山さんご本人でしょうか! 


 携帯電話をお母様にお返ししながら、もしかして、丸山様のお宅なのでしょうか? と聞きつつ、表札を確認すると「丸山志郎」の文字が目に飛び込んできました。


 ああ~あ! 何たることでしょう、迂闊にも私は、丸山さんの御嬢様のお宅の呼び鈴を押していたのです。


 結局私は、丸山さんの奥様とお嬢様に「くまなし千本椿」へご案内を頂くことになりました。


 最初に確認した、民家の庭に入っていくように見えた先へ進み、片側急斜面の尾根を登ってゆきます。




 奥様もお嬢様も、今まで登って来たことはないと仰っていました。

 



 私は山登りをしますので、この程度の道はどうということもないのですが、確かに女性が気軽に登って来る場所ではないかもしれません。


 10分弱も登った辺りに、くまなし千本椿の解説が掲げられていました。


 「標高150m前後、通称「清水谷(しょうだん)」の西側斜面にヤブツバキが2000本以上群生し、自然のままのヤブツバキ林では県内最大級。


 推定樹齢250年以上の木も数本確認されている。


 熊無では昭和30年代まで炭焼きが行われ、良質な木炭の材料として伐採され、戦前はツバキ油を得るのに利用されてきた。


 この貴重な自然遺産を「日本一のヤブツバキの里氷見」を代表とする拠点として保護し、訪れる人々を楽しませてくれることを念願する。」


 と記されていました。

 



 この掲示板が設置されたのは、平成17年(2005年)頃のことだったようです。


 丸山さんをはじめとする氷見ツバキ愛好会の方達は、清水谷の急斜面で、ツバキ古木の幹回りなどを計測し、ツバキ2000本の植生調査を行ったのだと思います。


 郷土愛に裏打ちされた熱意に頭が下がる思いが致しました。



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日本原産ヤブツバキ古木の希少性

2017-09-13 10:12:11 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 一旦市街地に戻り、加納の宝光寺を振出に、昨日の続きのルートを辿ることにしました。




 宝光寺は氷見市街地の境に位置する禅寺で、東側は民家に接していますが、西側には田圃が広がっていました。


 根回135cmのツバキがあるそうですが、お寺には誰もいなかったので、勝手に庭に入るのが躊躇われ、寺の周囲に巡らされたツバキの生垣を確認するだけに止めました。

 



 味川の山本家のツバキは目通し105㎝ですからそれほど大きな木ではありませんが、年内から花を咲かせる銘木とのことです。


 味川の流れに沿って民家が点在する味川地区で、ゆったりした敷地の中でツバキが花を咲かせていました。

 



 味川に沿って県道70号を進み、阿努神社を訪ねました。



 

 山里の神社は境内が定かではありませんが、社殿周囲の至る所に見事なツバキの古木が育っていました。


 メジャーを持たなかったので、手にしたA4ファイルを幹に当ててみました。


 ファイルの長辺は30㎝を越えますので、このツバキの目通しは1m近いことになります。


 幹回りの2倍が凡その樹齢と説明されますので、このツバキの樹齢は200年程を推定します。


 そんな木が阿努神社の周囲に何本も育っていました。

 

 


 
 味川から懸札へと車を進め、中尾家ツバキを訪ねました。


 中尾家のツバキは根元100㎝で、桃色がかった花を咲かせるそうですが、それほど大事に扱われている様には見えず、ちょっと残念な印象は免れません。

 

 


 山市(やないち)家のツバキは、かなりの傾斜の崖の途中に育ち、元気な樹勢を見せていましたが、山市家の方のお話では、この数年花付きが悪く、ちょっと心配だとお話されていました。


 山市家の方は、氷見ツバキ愛好会の方達が調査に訪れたことを記憶していて、ツバキを大事にしようという意識を強く感じました。


 


 どこのお宅でも、先祖代々育ててきたツバキであれば、あるのが当たり前なので、ヤブツバキの古木は世界で日本にしかないという希少性に気付けないのは当然のことです。


 しかし、そのような日本にしか存在しないヤブツバキ古木の分布を丁寧に調査し、記録にとどめる作業をされた、氷見ツバキ愛好会の方々の努力は、間違いなく氷見市民の意識に大きな影響を与え続けているようです。


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大友家持ゆかりの地

2017-09-12 18:10:53 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 氷見市街の朝日丘に鎮座する八幡神社(はちまんじんじゃ)を訪ねました。


 石鳥居の先の石段を上ってゆくと、小丘の頂部に社殿が据えられていました。


 


 「御由緒」によれば、


 「創建は大友家持と伝えられ、昔、悪亀が汐を吹き上げ田に害をなしたため、磐で圧し殺し鎮めた場所で、「シヅメの森」「鈿女(うづめ)森」「雀森」とも呼ばれた。


 これは海抜ゼロメートルの湖西湖の逆流によって田畑が被害を受けたため、付近一帯の岩磐浅瀬を利用して治水を行った祖先の姿を語るもの」だそうです。


 八幡神社の周囲は、幾本かのツバキの花で飾られていました。

 

 



 市街を少し離れ、下久津呂の八幡宮にやって来ました。

 

 


 
 境内に見える幾多のツバキが、淡緑色の苔に紅の花を落とし、社殿背後の崖の上にもツバキの古木が立ち並んでいました。


 崖の上に育つツバキは陽当りも良好で、環境保全さえ心がければ、将来はきっと、県内有数の巨樹群になるはずです。

 

 

 


 布勢の円山(ふせのまるやま)は氷見市街の南西4Kmほどの場所にある、周囲 約三百メートル、高さ約二十メートルの小丘陵で、水田に囲まれて島のように盛り上が っています。

 


 
 急な石階段を登った頂に、布勢神社と大伴家持を祀る御影社(みかげしゃ)があります。




 円山の眼下には田園風景が広がっていますが、今から約1300年前は、円山の周囲一帯は「布勢水海」と呼ばれる大きな水海でした。

 


 大伴家持は、746年から751年 までの5年間、越中国守として越中国府(高岡市伏木古国府)に住んでいました。


 家持は天平20年(748年)、奈良からの使者、田辺福麿を「明日はまず越中の名所布勢の水海へ案内しましょう」と誘い、福麿が、


 藤波の咲き行く見ればほととぎす  鳴くべき時に近づきにけり

                     (巻十八・四〇四二)


 と詠んだのに対し、家持が、


 明日の日の 布勢の浦みの藤波に  けだし来鳴かず 散らしてむかも

                       (巻十八・四〇四三)

 「明日眺めようという布勢の海辺に咲き匂う藤の花に、ほととぎすが来て鳴かないで、せっかくの花をむなしく散らしてしまうのではなかろうかと気がかりです」と答えました。


 山頂にはその歌碑が建立されていました。

 


 布勢の円山を下るとき、石段の脇に赤い花を咲かせるツバキの姿を認めました。

 


 

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氷見市内を散策

2017-09-12 16:14:47 | 氷見に椿古木を訪ねる

 

 4月5日、氷見海岸の道の駅で二日目の朝を迎えました。


 今日は氷見市街から古木ツバキを見て歩く予定なので、のんびりしたひと時を過ごしています。


 簡単な朝食を車中で済ませ、護岸の堤防に上ると、朝陽が穏やかに富山湾を照らしていました。


 何気ない光景が旅心を和ませてくれます。


海はなぎ 朝陽たおやぐ 旅におり

 



 道の駅で入手した氷見の観光案内を参考に、車をはしらせます。


 復興橋は大正7年に作られた「中の橋」を復元したものだそうです。


 昭和13年の氷見大火後の区画整理の道幅に合わせて新しい橋が架けられ「復興橋」と名付けられたそうです。

 



 朝日公園の上日寺のイチョウは大正15年国指定の天然記念物です。

 

 解説には、


 「上日寺は銀杏精舎(ぎんなんしょうじゃ)ともよばれている。白鳳十年(681年)当寺創建の際観音菩薩を安置し、その霊木としてこの木が植えられたと伝えられる。


 樹高36m、幹回り12m、日本屈指の大きさで、秋には1000リットルもの実を結ぶ」と記されていました。


 上日寺にも目通し130㎝のツバキがあるようですが、見落としてしまいました。

 



 朝日山公園は約170本のソメイヨシノが咲く桜の名所だそうです。


 展望台から、海越しの立山連邦や能登半島を一望できるそうです。


 公園の大きな落葉樹の枝に鷺が巣を掛けていました。


 空には飛行機雲が伸びて、今日も一日良いお天気に恵まれそうです。




 氷見市内を散策していて、面白いものを目にしました。


 マンホールの蓋に、ブリの絵が描かれています。


 さすが氷見だけのことはあるなと感心致しました。




 余談になりますが、氷見のもう一つの名物に氷見うどんがあります。


 氷見うどんは、讃岐うどん(香川県)、稲庭うどん(秋田県)と並ぶ、日本3大うどんの一つに数えられています。


 氷見うどんは、粉をねりあげた生地を、棒やロープのようなかたちに、何度も引き伸ばし、それを繰り返して細くなるまで伸ばし続ける、「手延べ」という製法で作られます。


 「手延べ」は引き延ばす際に、油を使うことが多いのですが、氷見うどんは油を使わずに伸ばし続けます。


 「手延べ」は「手打ち」の十数倍は手間がかかる製法のため生産量が少なく、氷見の手延べうどんは、長い間「幻のうどん」と呼ばれていました。


 勿論、今回の旅のお土産は、丸山さんお勤めのショッピングモールで購入した、氷見うどんにしました。

 

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