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重茂・船越半島の緑、山田湾の青

2024-04-08 00:30:50 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 津軽石駅を発車した列車は、緑の中を進みます。


 車窓右手に見える山は、標高611mの大笹山かもしれません。

 

 

 右は北上山地、左は本州最東端の重茂(おもえ)半島の緑に包まれて、列車は進みます。


 ウィキペディアによれば、重茂半島は「半島のほとんどを、緑に覆われた山地や断崖が占め、三陸海岸でも指折りの秘境の様相を呈する」だそうです。

 

 

 列車は払川(はらいがわ)駅に停車しました。


 払川駅は2019年3月23日の三陸鉄道リアス線開通に合わせて新設された駅で、東日本大震災後、多くの住宅が駅周辺に新築されたことに対応したそうです。


 三陸鉄道の駅は正式な駅名の他に愛称がつきますが、払川駅の愛称は「新たな希望」です。

 


  新駅の次は豊間根(とよまね)駅です。


 豊間根は気仙沼から三陸海岸を北上する浜街道の宿駅の一つで、旧道沿いに、昔の宿駅を思わせる古い建築物が並びます。
 
 豊間根駅の東に、重茂半島最高峰の十二神山(731m)があり、その東に広がる十二神自然観察林は、樹齢300年以上のケヤキをはじめとするミズナラやトチノキ、クリなどの巨木が葉を茂らせます。もし再度、三陸海岸を訪ねるチャンスがあるならば、一度は必ず重茂半島を訪ねたいと思います。


 豊間根駅の愛称は「まつたけの里」です。周囲の山々に松茸が豊富に育ち、旬になると、出荷できなかった松茸が、この地の人々の食卓に、食べ飽きるほど並ぶそうです。

 

 


 列車は陸中山田駅に停車しました。


 私は今まさに、第3ステージの旅の途上ですから、陸中山田をネット検索すると、新潮社のページ「陸中山田駅の惨状に涙が出た」がヒットしました。

 そしてこんな記事も、「津波に強い」過信あだ【岩手・山田湾】

 私は家族とともに、東京の一隅に暮らしますが、とても他人事とは思えません。

 


 列車が陸中山田駅を出ると、山田湾に沿って、高さ8~9mの白い防潮堤の壁が連なりました。

 


 陸中山田駅を出た列車は3分後に織笠駅に停車しました。


 織笠駅は、アニメ映画「すすめの戸締り」に登場し、映画の聖地巡礼スポットだそうです。

 

 

 織笠駅を出た列車は、1㎞程で織笠川を渡りました。


 織笠川の河口に、2023年に完成した織笠川水門が見えます。


 山田湾に牡蠣を養殖する沢山のいかだが浮かびますが、織笠川は、この牡蠣の育つ海に豊富な栄養を運び込みます。

 


 木立に遮られ、列車の窓からの写真は得られませんでした。


 代わりに、2010年夏に撮影した、山田湾に浮かぶ牡蠣いかだの風景をご覧下さい。

 

2010年8月11日撮影



 列車は山田湾に別れを告げ、船越半島の付け根部分の低地帯に進み、横切ります。


 窓から、鯨と海の科学館が見えました。


 この場所に何で「鯨と海」なのかと思いますが、山田町は商業捕鯨が禁止される昭和62年まで捕鯨を行っていた歴史があります。

 


 そして船越半島の付け根の、岩手船越駅に停車しました。


 岩手船越駅は本州最東端の駅だそうです。


 私は今、船越半島を初めて認識しました。

 

 岩手県公式観光サイト等を参照すると「三陸海岸から太平洋に突き出た船越半島の最高峰である霞露ヶ岳(かろがたけ;標高508.5m)の中腹から、絶壁が海まで続き、高さ300mの赤褐色の断崖、「赤平金剛」の豪快な景観が見られる」そうです。


 こんな話を聞くと、今も血が騒ぎます。持って生まれた性分なのでしょうか。


 霞露ヶ岳は東北百名山の一つで、登山道が整備されているそうです。



 

 

 

 

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釜石行きの列車はレトロな雰囲気

2024-04-07 00:02:40 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 釜石行きの列車は12時31分に宮古駅を発車します。


 宮古での乗り換え時間は17分しかありませんでした。

 


 昼飯時でしたが、駅周辺に、短時間で昼食を得られそうな店は見当たりません。

 

 駅の売店で菓子パンを買って釜石行きの列車に乗り込みました。


 車内はレトロな雰囲気で、ボックス席にセンターテーブルが備わっていました。

 


 宮古駅を発車した列車はすぐに、閉伊川(へいがわ)を渡ります。

 


 閉伊川は、北上川水系との分水嶺を成す区界(くざかい)峠付近を源流とする二級河川です。


 川は宮古市街を抜けるとそのまま宮古湾に注ぎます。


 その宮古湾の湾口付近に、浄土ヶ浜という景勝地があります。


 白い岩礁に囲まれた入江はコバルトブルーの水を湛え、岸辺や白岩の上に松の緑をあしらう光景は一見の価値ありです。


 宮古駅から浄土浜行きのバスが1時間に1本程出ており、十数分で行けますので、列車を一本遅らせても訪ねる価値はあると思います。

 

 タクシーだと10分で行けるそうです。

 

2010年8月11日 撮影


 2010年と1015年の三陸海岸ドライブの時に訪ねましたが、何れの時も、海岸沿いの散策路から水中を覗くと、小魚が群れ泳ぎ、

 


 子供連れの家族が、波静かな入江で海水浴を楽しんでいました。


 定年後にキャンピングカーを走らせ、こんな入江で月を眺めたら素敵でしょうね。

 

2010年8月11日 撮影


 列車は閉伊川を渡ると1・2分で磯鶏(そけい)駅に停車しました。


 私は、この記事を書き進めながら、今初めて「そけい」と読むことを知りました。


 地名の由来は、高貴な人物が海で溺死したとき、磯で鶏が鳴いて知らせたという伝説に因るとの説がある一方、中世には「曾計比(そけひ)」の字が当てられ、削(そげ)には海蝕、河蝕地形の意味があるそうです。【宮古地名図鑑(動物編)

 


 列車は市街地を進み、八木沢・宮古短大駅を経た数分後、車窓左手に列車の高さ程の堤防が見えてきました。

 


 そして、津軽石(つがるいし)川防潮水門が夏の陽射しを浴びていました。


 この辺りは、宮古湾の最奥部に位置します。


 リアス海岸を津波が襲うと、津波が湾奥の岸に近づくにつれ海が浅くなり、行き場を失った水は競り上がり勢いを増します。


 この水門は2007年に完成しましたが、2011年3月の東日本大震災で、津波はこの水門を越えました。

 

 しかし津波は勢いを弱めたと考えられるそうです。

 


 列車は津軽石川に沿って走り、津軽石駅に到着しました。

 


 岩手県に津軽石の地名は不思議ですが、昔旅の僧侶が津軽石川に、津軽から携帯した小石を投げ入れると、夥しい数の鮭が遡上するようになったとの伝説があるそうです。

 

 また、青森県津軽地方には研磨するとピンク色に輝く「津軽石」があって、それと同等の鉱物がこの辺りから産出されたことに由来するとの説もあります。

 

 そして、津軽石川は昔から、多くの鮭が遡上する川として知られます。


 津軽石駅には、久慈海岸に津波で打ち上げられたケヤキの大木から彫り出した、鮭のモニュメントが置かれていました。

 

 

 

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鵜の巣断崖の幻想的な光景の記憶

2024-04-06 00:03:58 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 島越駅から岩泉小本駅間の9割程度がトンネルですが、トンネルで通過した場所の海岸に、北山崎同様、高さ200mの断崖が続く「鵜の巣断崖」の景勝地があります。

 

2015年8月10日撮影 (以下K画像まで)


 イギリス南部の白い石灰岩の海岸、セブンシスターズは世界的に有名ですが、

 

 2012年6月14日撮影


 鵜の巣断崖の青い海と緑の松の美しいコントラスト、高さ200mの断崖のスケール感はセブンシスターズを凌駕します。

 

A

 
 そして何より素晴らしいのが、段丘上に広がるアカマツ林の美しさです。


 潮風の香に満ちる海岸崖への道が、アカマツ林の中に伸び、

 

B


 明るい陽射しを受け、幹をすっくと伸ばす松林の中を散策路が巡ります。


 松葉が降り積もる散策路は松籟に包まれ、海岸崖の下に海霧が漂う幻想的な光景に魅了された、多くのカメラマンが撮影に訪れます。

 

C  D

  
 そんな「鵜の巣断崖」は、もっと多くの人に知られて良いと思うのですが、交通の便が悪いのが唯一の難点かもしれません。


 島越駅から岩泉小本駅までトンネルの中を走ってきた列車は、岩泉小本駅を出るとまた摂待(せったい)トンネルに入りました。

 

 トンネルに入ると窓は湿気で曇り、トンネル出口付近の摂待駅の写真も撮れませんでした。


 摂待駅を過ぎると今度は、三陸鉄道で一番長い真崎トンネルに入って、窓ガラスが曇り、トンネルを抜けた先の新田老駅、田老(たろう)駅の写真はありません。


 しかし、それでは身も蓋もないので、2015年に車で三陸海岸を訪ねた時の写真で、田老をご紹介します。


 田老地区は旧田老町ですが、2005年に宮古市と合併し、現在は宮古市の海岸沿い北部地域に位置します。


 三陸海岸は宮古市を境に、北側が海岸段丘、南側がリアス海岸で、海岸段丘の最南端部が田老地区です。


 2015年の夏に、八戸から車で線陸海岸を南下し、海岸段丘を走り続け、景色に飽き始めるころ、田老辺りでナビ画面が、海に近いことを告げました。


 適当に国道から脇道へ入り、海岸に出ると、波静かな入江で子供達が水遊びに興じていました。

 

E


 更に進むと、エメラルドグリーンの海が岸辺に白波のレース模様を描いていました。


 足元を覗き、水を透かすと、小さな魚が群れ泳ぎます。

 

F


 岸辺にオオマツヨイグサやイヌゴマが花を咲かせ、

 

G  H



 ハマナスが、赤いプチプチの実を実らせていました。

 

I


 静かな入江から南へ進むと、駐車場を備えた山王園地の前に出ました。


 見下ろす海岸に円柱形の岩が聳えます。

 

J


 近寄って見ると、岩の下部は礫岩や角礫岩を含む堆積層で、その上に赤褐色の泥岩層が重なり、岩頂に松が緑葉を茂らせていました。


 高さ37mの岩は、波と風が1万年の歳月をかけて作った自然彫刻の最高傑作です。

 

K


 列車は、そんな田老地区を淡々と走り続け、佐羽根、一の渡、山口団地の各駅で停発車を繰り返しながら、12時14分、宮古駅に終着しました。

 

 

 

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旧島越駅舎はメルヘンだった

2024-04-05 00:13:39 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 白井海岸駅を過ぎた後、列車は海を離れ、トンネルを抜けて普代(ふだい)川を渡ると普代駅に到着しました。

 


 晋代駅に着く直前に海が見えましたが、海の手前に大きな水門が築かれていました。

 


 列車は普代駅を出ると再びトンネルに入ります。


 列車が田野畑駅に至るまで、普代トンネルや羅賀トンネルに潜る場所の海岸に、高さ200mの断崖が8㎞も続くダイナミックな景観の北山崎園地があります。

 


2010年8月11日撮影


 この地形は地盤が隆起し、海面が低下することで造られました。


 北山崎一帯は、荒れる波の浸食が強く、津波の影響もあって、段丘面の下部が削られ、幅広い窪みができて、その上の岩盤が崩落し、ほぼ垂直に切り立つ崖が造られたそうです。

 


 この北山崎の海岸沿いに、波打ち際から200mの断崖上部まで登る約20kmの自然遊歩道が整備されています。


 全コースの踏破は健脚向きだそうですが、新緑や紅葉の季節に、お弁当を詰めたリュックを背負って、潮風を頬に感じながらノンビリ歩いてみたいものです。

 


 列車は羅賀トンネルを抜けて田野畑駅に停車しました。


 駅は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に登場する人物の名から「カンパネルラ田野畑駅」の愛称を持ち、「畑野駅」の名で「あまちゃん」のロケ地に使われました。


 しかし、この日は列車がトンネルに入ると、窓の外側が水滴で曇り、トンネルを出ても水滴の曇りが取れません。

 

 車内は冷房が効いて涼しいので、湿度が高いトンネルに入ると、窓が曇るのです。


 田野畑駅に着いたとき、窓ガラスが曇ったままで、写真を撮ることはできませんでした。


 田野畑駅を出た列車は3分後に島越(しまのこし)駅に到着しました。

 


 2010年にこの辺りを訪ねた時、当時の島越駅の駅舎は八角形の塔屋にらせん階段を付けたモダンな建物でした。


 2010年のドライブ旅行で、普代から県道44号に入り、北山崎の段丘上を走り抜けて海岸線に降りると、目の前に突然おとぎ話に出てきそうな建物が現れたので、車をUターンしてシャッターを切った記憶があります。


 そしてこの駅舎は3.11の津波によって跡形もなく流失してしまいました。

 


 以前の駅舎があった場所には「島越ふれあい公園」が整備されていました。

 


 島越駅を出発した列車は再びトンネルに入りました。


 最初は浜考トンネル529m、次が切牛トンネル1,824m、そして小本トンネル5,174mで、島越駅から次の岩泉小本駅間8.5㎞の約90%弱がトンネルです。


 なので、次の写真は岩泉小本(いわいずみおもと)駅です。


 駅の近くを流れる小本川には、日本三大鍾乳洞の一つである龍泉洞から湧き出る水が流れ込んでいます。

 

 

 

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三陸海岸 津波さえなければ

2024-04-04 00:21:15 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 列車はアカマツ林の中を進みます。


 木々を透かして青い空が見えました。


 松林の先は絶壁の海崖です。

 


 そして列車は玉川漁港を眼下に見る野田玉川駅に停車しました。


 この辺りの玉川海岸は風光明媚な光景で知られ、平安末期の1186年に西行法師が、しばし草庵を結んだ場所としても知られます。


 みちのくの 野田の玉川見渡せば しほ風こして 氷る月影 (順徳院)


 漁港横の丘に設けられた玉川野営場は、清掃協力費200円でキャンプを楽しむことができます。
 
 また野田玉川駅近くに、日本有数のマンガン鉱床だった鉱山跡があり、現在は観光坑道として一般公開されています。

 


 列車は海岸崖の上を走り、幾つものトンネルを抜けました。


 トンネルを抜けると列車は海を見下ろす橋梁の上で停車しました。


 これが有名な安家川(あっかがわ)橋梁です。


 久慈駅からの多くの観光客が席を立ち、窓からの景色にシャッターを切り始めました。


 安家川橋梁は、曲線半径700m、勾配8‰(パーミル)という厳しい立地条件下で、昭和49(1974)年に高さ約33m、長さ約305mの橋が構築されました。

 


 眼下に国道45号線の下安家大橋が見えています。


 私はこの道路橋を東北大震災の前後で走り、今居る橋梁を見上げた記憶があります。

 

 

 安家川河口の横に地震被害から復興した下安家漁港が見えます。


 この漁港の周囲ではカレイやソイ、港内ではチカが釣れるそうです。


 安家川流域にはダムがなく、上流ではイワナ、アユ、中下流ではヤマメなどの、渓流釣りのメッカとしても知られます。

 


 そんな安家川河口付近を、3.11の津波が襲った映像があります。

 


 あの日を忘れない、東京直下型地震、南海トラフ地震への備えを忘れない為に、時間のある方は是非一度ご覧ください。

 


 安家川橋梁のすぐ横に、2021年に完成した三陸北縦貫道路の新安家大橋と、2012年に津波の被害から復旧したサケ・マス孵化場が見えていました。

 


 安家川橋梁を渡ると、列車はトンネルを抜けて堀内(ほりない)駅に停車しました。


 堀内駅はNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」で「袖が浜駅」としてロケに使われました。


 駅のホームには、ロケで使われた「袖が浜駅」の駅名票が今も置かれているそうです。

 


 列車はトンネルを幾つも潜り抜けて南下し、白井海岸駅に停車しました。


 駅名票に「ウニの香り」と記されています。


 この駅の近くに民家などは無いので、鉄道マニアは秘境駅と呼びます。

 


 私はネット地図を確認しながらこの記事を認めていますが、以下の風景の場所は「力持」に違いありません。


 「力持」という地名は、源義経北行伝説で、弁慶が大きな石を持ち上げたことに由来します。


 そしてこの辺りは、海岸から1.5㎞程の距離にある為、津波被害に遭わないなどの好条件が揃います。


 今から5500~4000年もの昔に、長期に亘り栄えた力持遺跡が発掘されています。
 

 

 三陸海岸は津波さえなければ、暮らしやすい土地なのだろうと思います。

 

 

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第三セクター 三陸鉄道の旅が始まる

2024-04-03 00:02:34 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 JR久慈駅の隣に

 


 第三セクター三陸鉄道のきっぷ売り場と改札口があります。

 


 待合室にリアス亭が店を構えていました。


 メニューを見るとソバとウドンが300~500円、うに弁当が1850円です。


 うに弁当の写真を見ると、弁当箱にうにがぎっしりと盛り込まれ、いくらが添えられています。

 

 この値段でこの内容なんて、他の場所では考えられません。

 


 自動券売機で大船渡の盛駅までのきっぷを購入しました。


 盛駅までの運賃は3780円でした。


 自販機は現金しか利用できず、窓口に人影はなく、カードできっぷを購入できるか否かは分かりません。

 


 改札口に「列車は発車時刻の約10分前に入線します。改札はありません」と表示されていました。

 

 
 三陸鉄道のホームに続く跨線橋から窓を覗くと、

 


 右手の車庫らしき建物から一両の気動車が動き始めました。

 

 

 この列車が宮古行きに間違いありません。

 

 


 車両が跨線橋の下を潜った後を追って、ホームに降りると、楽しい図柄がペイントされた軌道車がホームに停まっていました。

 


 帽子を被ったキャラクターの横に「Let‘Go イシツブテ」と記されています。

 


 明るい室内にワインレッドのボックス席が並び、

 


 網棚の上に、数多くのキャラクターが描かれています。


 キャラクターに見覚えがあるので、これはポケモンです。

 


 室内を見て回ると「いわて応援ポケモン イシツブテ」の下に「イシツブテは岩に手が付いた姿が岩手を象徴していることから、イシツブテが岩手応援ポケモンに選ばれた」と記されていました。


 小学2年生の孫もポケモンゲームに夢中で、親から時間制限されますが、ポケモンゲームでカタカナと漢字を覚えたので、無暗にゲームを禁じる必要はなさそうです。

 


 宮古行き列車は10時39分に久慈駅を発車しました。

 

 

 

 久慈駅を出るとすぐに、長内川を渡ります。


 長内川上流の長内渓流は、高さ80mの白い岩の断崖が3㎞も続き、新緑や紅葉の時期に見ごろを迎えるそうです。

 


 川を渡ると列車は市街地を進みますが、街に新築の家が並んでいました。

 


 列車が陸中宇部駅に停まると、同一規格同一デザインの住宅が軒を連ねていました。東日本大震災で被災された方々の住宅かもしれません。

 


 列車が次の陸中野田駅に着くと、高く聳える白い防潮堤が見えてきました。

 

 

 防潮堤に近づくと、高さ14mの防潮堤に圧倒されます。


 一般的な建築物の1階は約3mなので、5階建てより少し低い程の高さです。


 この辺りの野田村では、東日本大震災で発生した18mの津波で死者37人、村内1/3の建築物515棟が破壊という甚大な被害をこうむりました。


 防潮堤は、18mという津波の高さより低いのですが、この列車が走る三陸鉄道の線路や並走する国道45号線などが第二堤防、それより内側の三陸北縦貫道が第三堤防の役を担う設計だそうです。

 


 列車は陸中野田駅を出て4分後に十府ヶ浦海岸に停車しました。


 駅の周囲に十府ヶ浦公園が整備され、津波で破壊された、米田川を渡る歩道橋の一部が震災遺構とし展示されているそうです。

 

 

 

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大谷さん、岩手県民の資質そのもの

2024-04-02 00:15:22 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 露天が並ぶ道を進むと「道の駅くじ」が目に入ってきました。

 


 
 中に入ると、ヒラガニ、ホタテ、ヤツシロ貝、ほや、などが並んでいました。


 ヒラガニは初めて見ます。

 

 ヒラガニは東北地方のヒラツメガニの呼称で、この辺りでは8月が旬で、夏の風物詩となっているようです。

 

 甲羅が柔らかく生きたままの流通が難しいので産地でしか口にできないそうです。

 

 ミソの香が強く、身から出る出汁で作るパスタは絶品で、カニ3杯で526円でした。

 

 今が旬の、刺身用のホタテは5枚で616円です!

 

 

 

 ヤツシロ貝も初めて目にしましたが「太平洋側の砂浜で比較的普通に見られる大型の巻貝。流通範囲は狭い。酢味噌にしてネギとたたくと美味」だそうです。1個100円でした。


 そして「むきほや」298円。


 こんなほやに青シソを添えたあてで、きりっとした吟醸酒を傾けたら最高でしょうね。

 

 


 そして「夕顔」


 皮をむいて、種とワタを取り、少女子と炒め煮に、みそ汁の具にも、と記されています。


 鮮度の良い、淡い緑が瑞々しくて食欲をそそります。

 


 二階に何かありそうなので、階段を上ってゆくと「昭和の想い出博物館 レトロ館」がありました。


 入口に見知らぬ自動車が展示されていました。


 画像検索で調べると、スズキCV1という原付ミニカーです。


 ススキが1981年に原付バイクをベースに開発販売したミニカーです。


 発売当初は原付免許で運転できたそうですが、国はすぐに普通免許所持者に運転を限定しました。

 

 その制度変更を受けて、スズキは1985年に生産を終了しています。


 4年間での生産台数はたった100台だそうです。それって超レア品ってことですよね!


 「何でも鑑定団」に出したら、どんな値が付くのでしょうか。

 


 スズキCV1の周囲に、松田聖子が演じた「野菊の墓」のポスターやビクターの犬の置物などが展示されていました。


 しかし、中に入ってゆっくりと展示品を眺める時間はありません。

 

 

 レトロ館へ続く廊下に2011年の東日本大震災の被災状況とその後の普及状況を対比する写真が掲示されていました。


 しかし私が見る限り、現在の久慈市街に津波被害の痕跡はありません。

 

 


 そして、岩手県民の誇りはこの人に尽きます。


 2022年8月11日の岩手日報号外が最も目に付く場所に張られていました。


 弛まぬ努力を重ね、決して奢らず、他者への気遣いを忘れない人柄は岩手県民の資質そのものと私も思います。


 私の学窓の岩手出身の友人もそんな人達です。

 


 あれから13年の月日が経ち、2021年に三陸沿岸道路が全通しました。

 

 


 日本という国に暮らす限り、地震から逃れられる場所はありません。


 そうであっても、他者を思いやり、絆を深め、不断の努力が「生きてきて良かった」と思える日々を必ず招きます。


 そうそう、こんなことを綴ると、岩手県の詩人の


 「雨にも負けず、風にも負けず、いつも静かに笑っている」


 の言葉を思い出しました。


 私は再び一階に戻り、「ちだい」の刺身を買って、その場で三陸の海の恵みを堪能しました。

 


 そして私は、ゆっくりとした足取りで久慈駅へ戻りました。

 

 

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久慈の街を散策する

2024-04-01 00:42:58 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 過去に二度、久慈の街を車で通過したことがありますが、街を歩くのは今回が初めてです。


 久慈(くじ)は、久しく慈しむの意の優雅な地名ですが、南北朝時代からの郡名とされ、海食で陸地クジ(えぐられ)てクズ(崩)れた所の意とする説、アイヌ語の「クシュないしクジ(湾曲した砂丘)」を語源とする説などがあるそうです。


 久慈駅を出ると、駅前ロータリーに古びた4階建てのビルが朝日を浴びていました。


 ビルの壁に駅前デパートと表示されますが、中に商品が陳列されている様子はありません。


 駅前デパートで検索すると、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」のロケ地となり、今もロケ地巡りに訪れるファンが絶えないそうです。

 


 掲げられていた久慈市街案内図で、500m程先に道の駅があることを知り、駅前の道を西へ向かって歩き始めました。

 


 
 駅の近くで、看板に津軽煮干中華蕎麦と記したラーメン店を目にしました。


 店の佇まいが気になりましたが、70歳を過ぎた私の小さな胃は、朝からラーメンを受け付けるキャパがないのです。

 

 

 最近つくづく思いますが、人は食欲、性欲、名誉欲などの全てにおいて、何かが欲しい、何かがしたいと思う季節が花なのです。


 周囲を慮って自制するなんて勿体ない。(但し、結果は全て自己責任です)


 人は古希を過ぎると、欲しいものが減ってきます。


 だからでしょうか、孔子が「70にして、心の欲するところに従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」と語りましたが、それは即ち「70を過ぎると、人は程々で満ち足りる」ことの裏返しかもしれません。


 そうそう、こんな辛気臭い話はここだけの内緒話。


 ラーメン屋を見るたびに、こんな話をしたら、女房子供に疎まれるだけです。


 ほんと、人生とは悩み尽きないものです。
 
 今、朝の9時半ごろですが、既に陽射しが強くなり始めました。

 

 

 少しでも陽射しを避けたくて、道路を反対側に渡りました。


 正面から陽を受ける建物とビル陰のコントラストが、陽射しの強さを物語ります。

 


 道路を渡り、次の角を適当に左へ曲がると、露天に魚や野菜、ニンニクなどが並んでいました。どれも鮮度が良くて安い!

 

 これって朝市なのか?と思いググってみると、「いわての旅」に  


『久慈の市日(毎月3と8のつく日) 毎月、三と八のつく日に開かれ、六斎市と呼ばれ、歴史は古く、交通・文化の要路で栄えた久慈市の歴史を今に伝えます。日本最古の歴史を誇るといわれる市日です。』


 と記されていました。

 

 

 

 今日は8月23日です。こんな日に久慈市街を散策できたのは幸運でした。

 

 

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青春18きっぷが有効なのはJR久慈駅まで

2024-03-31 00:27:20 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

 列車は有家港を過ぎた辺りで標高を上げて、海へ落ち込む急峻な斜面の縁を走り始めました。

 

 斜面にマツが育ち、斜面の下の岩礁に砕け散る白い波が見えました。


 有家港を境として地形が大きく変化したようです。

 


 程なく列車は陸中中野駅に停車しました。


 植え込みにアジサイが青い花を咲かせていました。


 アジサイは通常5~7月に花を咲かせますが、今は8月下旬です。


 実はこの辺りでは、6~8月にヤマセと称する、オホーツク高気圧から流れ込む、北東からの冷たく湿った風が吹き込み、ヤマセが続くと、イネの生育に被害が出て、大飢饉や不作を招く歴史を重ねてきました。


 季節に遅れて青く咲いたアジサイはそんなことを思い出させます。

 


 陸中中野を発車した列車は右方向に進路を変えて、海岸から離れ始めました。


 濃い緑の森に包まれた、猫の額ほどの畑を横目に列車は進みます。

 


 車両先頭の窓から景色を見ると、この先に線路が続くことを疑いたくなります。

 


 そんな景色の中を走り続け、列車は侍浜(さむらいはま)駅に停車しました。


 侍浜とは興味深い地名ですが、1614年に南部藩主・南部利直が津波の被災地を巡視した際、休憩した花崗岩の岩が「侍石」と呼ばれ、それが地名の由来になったとする説、あるいは、侍が開拓した地との説もあるそうです。

 


 列車が侍浜駅を離れると直ぐに、線路の下に落ち着いた雰囲気の家並が見えました。


 人里離れた濃い緑の森を走り続けてきたので、この光景はちょっと意外でした。


 この辺りをグーグルマップで見ると、緑の丘陵地を縫う谷に沿って、畑や民家が並びます。


 室町時代に侍浜八幡宮が建立された頃から、更にはもっと昔から、この地に受け継がれてきた人々の暮らしを垣間見るような気がしました。

 


 侍浜駅を出た列車は緑の中を進み、丘陵地を下り、少し開けた場所に設けられた陸中夏井駅に停車しました。


 貨物車掌車を改造した駅舎が朝日を浴びていました。


 以前訪ねた宗谷本線の駅の風景を想い出します。



 陸中夏井駅を発車した列車は大きく進路を西に変え、数分後に久慈川を渡り、

 


 八戸駅を7時17分に発車した八戸線の普通列車は1時間47分の運行を終えて、9時04分、久慈駅に到着しました。

 


 さて、今回の旅は青春18きっぷで、東京と日本最東端の街根室を往復する旅ですが、青春18きっぷが有効なのはJR久慈駅までです。


 久慈から先の三陸鉄道はJRとは別の第三セクター鉄道ですから、改めてきっぷを買い求める必要があります。


 筆者は2019年に、青春18きっぷで東京・稚内間を往復しました。

 

 その時、日本の北半分を普通列車のみで往復縦断できることを確認しましたので、今回は青春18きっぷに拘らず、日本で一番長い第三セクター三陸鉄道の旅を試みることにしました。


 三陸鉄道の宮古行き列車は10時39分に久慈駅を発車します。


 久慈で1時間35分の待ち時間を得ましたので、いつもの通り、気ままに街を散策することにしました。

 

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三陸海岸北部の穏やかな景色

2024-03-30 00:08:53 | 「青春18きっぷ」花の旅 北海道 Ⅱ

宿戸(しゅくのへ)駅を過ぎると、車窓に海が広がりました。

 


 列車が海岸線に沿って走り始めてから、来し方を振り返ると、緑に包まれた台地状の地形が見えました。


 青森県の大久喜駅付近を過ぎて、列車は少し標高の高い場所を走っていたようです。

 


 そして直ぐに、線路脇に屋根の高さを超える防潮堤が現れました

 


 しかし、列車が陸中八木(りくちゅうやぎ)駅に停車すると、駅から海が見えました。


 この場所に防潮堤が無いのは、駅前の八木港に堤防があるからだと思います。

 


 振り返ると、港外の海岸に、先ほど見てきた防潮堤が白い壁を連ねていました。

 


 陸中八木駅を出ると列車は海岸線に沿って走り始めました。


 リアス式三陸海岸のイメージとは異なる、平穏で緩やかな砂浜が曲線を描いていました。

 


 そして、あの東日本大震災の時、この穏やかな海が猛り狂った日の被害を記録したHPを見つけました。


 そのページを見ると、陸中八木駅の構内で、工事用車両が横転し、ひっくり返って車体の腹を見せています。


 しかしその一年後に八戸線は復旧し、今現在、鉄道ファンに素敵なシャッターチャンスを提供してくれています。

 

 陸中八木駅を出た列車は4分後に有家(うげ)駅に停車しました。


 有家は珍しい地名ですが、この地は古くからアイヌ語由来の「うげ」と呼ばれていたようです。


 一方この地方には、古今和歌集の選者として知られる藤原有家が、無実の罪で流罪となり、この地に流れ着き、彼の死後に有家神社を建立し、それが地名になった、との伝説が語り継がれるそうです。

 


 有家駅は海風をまともに浴びる場所にあります。


 しかし、潮風から線路を護る遮蔽物は見当たりません。


 津波さえ来なければ、東向の海岸は、冬の厳しい西風が吹きすさぶ日本海側より海が穏やかなのかもしれません。


 ちょっと不思議な気がして、グーグルマップの写真を眺めていると、おかしななことに気づきました。


 種市から有家辺りにかけて、海岸線に沿って海底が白っぽいのです。


 何故だろうと思って検索すると、洋野町ジオサイトというHPがヒットしました。

 そこには「洋野町種市の海岸部には、浅瀬に10数キロも続く岩盤地帯があります。」と記されていました。


 そして、その岩盤に深さ3mの溝を掘って、ウニやアワビの稚貝を放流し、育てているそうです。

 

 クリーンな自然環境の中で良質なウニが育つそうです。


 なる程。浅瀬の海は、波を作る為の海水量が少ないので、高波が立ちにくい筈です。


 更には、この海岸は冬もサーフィンを楽しむ人の姿が見られるスポットだそうです。

 

 海底に均一な深さの岩盤があれば、均一な程好い高さの波に恵まれるのでしょうか。


 何だか洋野町、よさげな町です!

 


 走り行く列車の窓から、穏やかな海の景色を眺め続けました。


 嫋やかな曲線を描く海岸に白い波が寄せ、マツ林が波打ち際のすぐ横で、濃い緑の葉を揺らしていました。

 


 線路の下に有家漁港が見えてきました。


 その漁港に接したプールのような施設が見えます。


 さけ・ます孵化場だそうです。


 漁港の横を流れる有家川(画面右手斜面の下)を遡上してきたサケは、ふ化場内の水路に誘導されるそうです。

 

 三陸海岸は豊かな海の恵みに溢れているようです。

 

 

 

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