INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

牛は吠えるがキャラバンは進む

2008年12月29日 | 日記など
ブログをはじめて4回目の年末を迎える。

更新の頻度にむらがありながらも、なんとかここまで続けることができた。

好き勝手なことを書いているだけにもかかわらず、時を経るにつれ、記事に対していただくコメントも多くなってきた感じである。
多くの論客の皆さんから、貴重な情報や鋭い指摘をいただき、拙い記事に厚みをもたせていただいて、本当にありがたい限りである。

それと今年は、年末に思いつきで「カウンタ」を付けてみた。
このカウンタでは、「検索ワード」とか、アクセスしていただいた方の「リモートホスト」などがわかるのだが、これまで、そういうことをあまり意識してこなかったのでけっこう新鮮である。

「検索ワード」では地元マスコミ関係のキーワードでたどり着く方も多いようだが、最近、その方面の話題に全く疎くなってしまっているため、申し訳ない限りである。

あと、今までは「誰に読んでもらっているか」をあまり考えてこなかったのだが、「リモートホスト」を見てみると、実にいろんな方に見ていただいているようで、これまでバス関係のことをいろいろと好き勝手に書いてきたことを少し恥ずかしく思うと同時に、身が引き締まる思いがしている(といって、来年から書くスタンスが変わるということはないと思われますが…)。
もし、いろいろと意見をお持ちで、立場上おもてだってコメントしにくいという方がいらっしゃったら、メールでも結構なのでぜひお寄せください(アドレスは、ソラマメ_1973アットマークメール.グー.エヌイー.ジェイピー)。

来年は、また更新が滞る時期もでてくると思われますが、気長にお付き合いいただければ幸いです。
皆様もよいお年をお迎えください。
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続・オモワク(2)

2008年12月25日 |    ┣ 思惑と提案
(つづき)
12月24日より、西鉄と福岡市交通局が共同で、バスと地下鉄の乗り継ぎをより便利・快適にするための取り組みを実施するとのこと。

ニュースリリースのPDFファイルを見てみると、「共同で実施します」の「共同」のみ赤い字で書かれている。
「共同」でやることがどれだけ画期的で今まで難しかったのかを伝えたいのかもしれないが、利用者にとってはどうでもいい話である。

「お客様の利便性・快適性を向上させることで、自動車から公共交通への転換が進み公共交通利用者が増えると、都心部の渋滞緩和、CO2の削減等による環境負荷の低減、来街者が移動しやすい環境づくりにもつながります」ということは、私にもわかる当然のことであり、このブログでもこれまで何度も書いてきた。

ただ、具体的に何をやるのかを見てみると…

・バス側
 バス路線図等への駅の表示(駅名とバス停名が一致していないバス停で、バス停の路線図、車内路線図、西鉄HP上の路線図に「○○駅前」を表示)
 バス車内で乗換アナウンスの実施

・地下鉄側
 バス時刻表、バス路線図を駅構内に掲示
 バスナビ情報の掲示(ポスター、QRコード等)
 乗換バス停の案内サインの強化

だそうである…。

この程度のことを、地下鉄開業から27年(七隈線開業からは約4年)たってようやく実施して、それを大々的に公表するという感覚はいかがなものだろうか。
利用者と事業者の間の意識の大きなズレを感じずにはいられない。
双方のいろいろな思惑がぶつかって難しかったのかもしれないが、これも、利用者にとってはどうでもいい話である。
(つづくかも)
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チラシのオモテ(36)

2008年12月23日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
平成5年10月1日当時の「博多駅交通センター5番乗り場(当時)」の時刻表の一部である。
「交通センター」は現在の建物にリニューアルされる前であり、当時、5番乗り場からは明治通方面及び百道浜方面へのバスが停車していた(ただし明治通りに向かう「56番」「57番」は、「44番」「45番」「68番」とともに6番乗り場だったもよう)。
当時の行先と平日の運行本数は以下の通りである。
--------------------------------------
(当時)
「1番」
・西新経由姪浜行き 1本
・西新、姪浜、橋本経由野方行き 17本(うち深夜バス1本)
・西新、姪浜、拾六町団地経由野方行き 14本
・西新、姪浜、生松台団地経由野方行き 7本
・西新、博物館南口経由能古渡船場行き 24本

「3番」
・西新経由飯倉行き 5本
・西新、飯倉経由四箇田団地行き 4本
・西新、飯倉経由西油山ハイツ行き 5本
・西新、飯倉経由早良営業所行き 37本
・西新、飯倉経由さわら台団地行き 19本
・西新、飯倉経由西入部行き 5本
・西新、飯倉経由脇山小学校行き 14本(うち快速1本)
・西新、飯倉経由早良高校行き 11本
・西新、飯倉経由椎原行き 11本
・西新、飯倉経由陽光台行き 22本(うち快速2本)
・西新、飯倉、陽光台、西神の原経由脇山小学校行き 3本
・西新、飯倉経由早良国民宿舎行き 2本
・西新、飯倉経由曲渕行き 10本

「3-3N番」
・都市高速呉服町ランプ、西公園ランプ、脇山口、飯倉経由早良営業所行き 1本
・都市高速呉服町ランプ、西公園ランプ、脇山口、飯倉経由脇山小学校行き 1本
・都市高速呉服町ランプ、西公園ランプ、脇山口、飯倉経由陽光台行き 1本

「3-3M番」
・都市高速呉服町ランプ、百道ランプ、脇山口、飯倉経由早良営業所行き 1本

「6番」
・西新、鳥飼経由六本松方面行き 56本

「12番」
・赤坂門、警固町、六本松、梅光園口、福大経由片江営業所行き 15本
・赤坂門、警固町、六本松、別府団地、福大経由片江営業所行き 5本(うち快速2本)
・赤坂門、美術館東口、六本松、梅光園口、福大経由片江営業所行き 2本
・赤坂門、警固町、六本松、梅光園口、福大経由早良妙見東口行き 1本
・赤坂門、警固町、六本松、梅光園口、福大経由西油山ハイツ行き 1本

「13番」
・赤坂門、美術館東口、六本松、観光道路経由片江営業所行き 19本
・赤坂門、美術館東口、六本松、観光道路経由桧原営業所行き 19本

「300番」
・国体道路、天神、都市高速、名柄団地経由能古渡船場行き 32本(うち深夜バス1本)
・国体道路、天神、都市高速、マリナタウン経由能古渡船場行き 9本

「305番」
・国体道路、天神、都市高速、福岡ドーム経由福岡タワー行き 36本
--------------------------------------
1番」は、まだ姪浜駅で分断される以前であり、姪浜駅をこえて野方方面まで運行されていた。
今から振り返ってみると、かなり大回りな路線であるが、当時はそれでも特に違和感はなかった(あくまで個人的な感想)。
また、「1番」の能古渡船場行きは、今年3月に廃止となった「5番」の前身である。

「3番」には、この時点で13の行先があったが、現在は、星の原団地、福大前、早良営業所(普通&深夜)、さわら台団地、早良高校(普通&特快)、陽光台(普通&特快)の各行先に集約されている(星の原団地行きは、天神までのものが博多駅まで延長。福大前行きは一度休止になったものが復活している)。
西入部、早良国民宿舎などは、バス路線自体が廃止となっている。
椎原、曲渕などの末端部への直通便はなくなり、早良営業所にて乗り換えが必要となっている。

都市高速経由の「3-3N番」は、当時既に3本だけだが、現在もしぶとく生き延びている。
また当時は、百道ランプ経由の「3-3M番」も、昼間に下りが1本だけ存在した。
何度か利用したことがあるが、当時としてはかなり長い区間都市高速道路を走行する路線だったため、なかなか心地よかった。
「3-3M番」は、「302番」「312番」など、将来の百道ランプ経由の路線開設に備えた予備的路線という位置づけだったのかもしれない。
ちなみに百道ランプ経由がM、西公園ランプ経由がNであることから、「3-3N」の「N」とは「西公園」のイニシャルと推測される。

「6番」は当時「市内循環線」であったが、現在では博多駅~天神~西新間が廃止されている。

「12番」は、現在は上りは梅光園口経由、下りは別府団地経由であるが、もともとはすべて「別府団地経由」であった。
油山観光道路の全線開通に合わせ、すべて「梅光園口経由」となったが、その後、下りのみ再び「別府団地経由」に戻っている。
また、以前は下りの一部が「美術館東口経由」であるなど、基幹路線であるにもかかわらず、経由地がフラフラしている感がある。
なお当時は「60番 桧原循環線」も健在なので、「12番」に桧原営業所行きはない。
一方で、西油山ハイツ行き、早良妙見東口行きなど、懐かしい行先も見て取れる。

「300番」「305番」は、「85番 福博循環線」の廃止前までは住吉通りではなく国体道路経由であり、交通センターから発車していた。
当時は、名柄団地経由もマリナタウン経由も「300番」であったが、現在は「300番」と「301番」に分割されている。
「305番」は、当時は百道浜1丁目(現在の西南中高前)までよかトピア通りを走り、そこから北上して終点の「福岡タワー」に向かっていた
現在は「39番」「306番」「302番」「312番」「直行」などの速達便や、マリノアシティに向かう「303番」など、百道浜及びその周辺地区の発展に合わせて、バス路線もかなり拡充されている。
(つづく)
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お役所前の風景(69)

2008年12月20日 |   ┣ お役所前の風景
(つづき)
熊本市まで行ってきた。
「市役所前」のバス停の英字表記は「CITY HALL」となっており、「交通局前」とは方針が異なり、「読み」よりも「意味」重視であった。

手前のカラフルなバス停は、熊本城周遊バス「しろめぐりん」の停留所である。
バス停にもバスの車体にも熊本城が描かれていて、コンセプトがわかりやすくなっている。

利用者が低迷しているらしい「福岡シティループバス『ぐりーん』」も、スタイリッシュさを追求するよりも、観光客へのわかりやすさを追求して、ある意味「コテコテ」なものにしてみるのもよいのではないだろうか。
車体に大きく金印をデザインするとか(志賀島行きと間違われる?)、バス停を屋台風にしてみるとか(どうやって?)、沿道から水をかけられるとか(寒いです)…、すみません…。
(つづく)
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チラシのオモテ(35)

2008年12月19日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
昭和59年4月27日当時の「103番」「202番」「203番」「204番」の時刻表の一部である。
「警固神社前」(現在の「天神警固神社三越前」)バス停から郊外方面の、当時と現在の行先と平日の運行本数を比較してみると…
--------------------------------------
(当時)
「204番」
・六本松、壱岐農協、橋本経由野方行き 31本
・六本松、壱岐農協、橋本、野方経由藤ケ丘団地行き 14本
・六本松、壱岐農協、橋本、野方経由野方台行き 17本
・六本松、壱岐農協、橋本、野方経由西陵高校行き 19本
・六本松、壱岐農協経由宮の前団地団地行き 21本
・六本松、壱岐農協経由拾六町団地団地行き 8本
・六本松、壱岐農協、拾六町団地団地経由野方行き 10本
・六本松、壱岐農協経由下山門行き 9本

「202番」
・六本松、原、むろみ団地経由原北中学校行き 32本

「203番」
・六本松、原経由室住団地行き 15本
・六本松、原、室住団地経由野方行き 17本

「急行103番」
・六本松、原、室住団地経由野方行き 31本
--------------------------------------
(現在)
「204番」
・六本松、壱岐農協、橋本経由野方行き 64本
・六本松、壱岐農協、橋本、生松台経由野方行き 8本
・六本松、壱岐農協、橋本、野方経由三陽高校行き 8本

「205番」
・六本松、壱岐農協、宮の前団地経由西陵高校行き 21本
 (ただしこのうち4本は「205番」ではなく「エコルライナー」)
・六本松、壱岐農協、拾六町団地経由野方行き 15本

「202番」
・六本松、原、むろみ団地経由原北中学校行き 15本

「203番」
・六本松、原、室住団地経由野方行き 57本(うち深夜バス1本)
--------------------------------------
となっている。

住宅地が西へ西へ広がり、それにあわせてバス路線も開設されていく。
それを示すかのように、昭和59年当時、「204番」はかなり複雑化してしまっているが、その後、福重交差点(バス停でいうと壱岐農協前)を左折するものを「204番」、直進するものを「205番」に分割して、現在はいくぶんすっきりしている。

また当時は、「野方台」や「宮の前団地」から先にバスは通っておらず、これらのバス停は「狭義の終点」であったが、その後の生松台やウエストヒルズ(西の丘)などの住宅地開発により、路線が延びている。

また、当時「204番」には「下山門行き」「藤ケ丘団地行き」があった。
昭和57年に西区が3つ(西区、早良区、城南区)に分割された際、新西区役所(内浜)への足として「97番」が、
 西山・四箇田団地~羽根戸~藤ケ丘団地~中村~下山門~都橋~内浜~姪浜
というルートで運行を開始したが、それ以前は「下山門」「藤ケ丘団地」ともに「狭義の終点」であった(「2番」の終点「羽根戸」も)。
下山門から南にしか出られないというのも今では考えられないが、それだけ当時は、十郎川の対岸を走っていた昭和バス城の原線にも存在感があったということだろう。

当時は「103番」以外にも「100番」「101番」「105番」「113番」などの城南区・早良区・西区方面に向かう「市内急行」が走っていたが、これらはいずれも廃止されるか大幅に縮小されている。
一方で、その後にできた「151番」「152番」「161番」といった南区方面への急行は健在である。
ちなみに「105番」は、地下鉄開通に合わせ、地下鉄に対抗して姪浜と博多駅を202号バイパス(現在はバイパスではなく本線となっている)、城南線経由で結んだ福岡都市圏初(ということは西鉄初?)の「市内急行」である。
この「105番」は、現在でも、「快速」に種別をかえ平日朝上り2本のみになりながら、しぶとく生き延びている。
「市内急行発祥の証」を絶やしたくないという意地のようなものを感じずにはいられず、さながら「走る近い遺産」と言えそうだ。

当時と現在の合計の本数を比較すると、224本から188本に、約16%減っている。
その分、天神から都市高速道路を経由して西区方面に向かう「500番台」が充実しているので、利便性の低下は限定的と思われる。
ただ、現在の188本の中には、「500番台」として天神にやってきた路線の実質折り返し便が午前中を中心に多く含まれていることから、それを考慮すれば、日中の時間帯、六本松あたりから西区方面に向かう際の利便性は低下していると言えるかもしれない。
(つづく)
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シューテングスター(22)

2008年12月18日 |    ┣ シューテングスター
(つづき)
「32番」「33番」「34番」の終点となっている糟屋郡宇美町の「極楽寺」バス停。
エンギモノ」度もかなり高い。

ここから南西方向に下る「極楽寺入口」バス停に向かう道路では、現在は営業運転は行われておらず、この「極楽寺」が「狭義の終点」となっている。

かつては、極楽寺~障子岳間で上りと下りのルートが現在とは逆であり、
・上障子岳~障子岳~極楽寺~極楽寺入口~柳原方面
・障子岳~飛岳団地~極楽寺入口~柳原方面
という、主にふたつのパターンで運行されていたが、例外もかなりあり、複雑なものとなっていた

そして、1996年12月1日のダイヤ大改正の際に、起終点を極楽寺に揃えることにより、ルートがかなりすっきりしたものとなった。
大改正時のチラシの極楽寺地区バージョンのものには"「どこに行くのかわからない」ということはありません"と書いてあり、それまで乗り間違いや苦情が多かったことをうかがわせる。

大改正当時、「極楽寺」を発着する路線は「32番」と「34番」のみであったが、その後、「33番」も運行を開始している。
ただし、当時の「32番」「34番」合計の本数は50本(平日)であるの対し、現在は3路線合わせても36本であり、約3割減少している。

「33番」は、障子岳からJR宇美駅、役場、地下鉄福岡空港駅方面への足として開設されたローカル線の「1番」の大幅縮小に伴う代替の機能に、既存の「32番」を組み合わせてできたような路線である。
「32番」と「33番」の極楽寺行きの違いは、「宇美公園前経由(32番)」か「上宇美経由(33番)」かの違いということになるのだが、上宇美止めの便は「33番」ではなく「32番」を名乗っており、このあたりの線引きがとても難解である。

一部区間のみ経由地が違うというだけで違う番号を与えたのなら、まったく違う行先の原田橋行きが「32番」というのはバランスを欠くような気がする。
そうなると「34番」のほうも、極楽寺行きと原田橋行きで番号を分けないといけなくなる…。
「どこまでを同一の番号とするのか」という定義がない以上、こういうことを考え始めるとキリがない。
なので当面は、今のままそっとしておいたほうがかえってよいのかもしれない…。
(つづく)
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チラシのオモテ(34)

2008年12月17日 |    ┣ チラシとキロク
(つづき)
昭和58年11月1日当時の「60番」「61番」「66番」の時刻表の一部である。
「屋形原」バス停から都心方面の、当時と現在の行先と平日の運行本数を比較してみると…
--------------------------------------
(当時)
「60番」
・野間四角、日赤通、天神、六本松経由桧原営業所行き 25本(うち快速1本)
・野間四角、日赤通、天神、六本松経由片江営業所行き 25本
 …「60番」合計 50本

「61番」
・野間四角、日赤通経由天神行き 7本(うち快速1本)
・野間四角、日赤通、天神経由那の津四丁目行き 45本(うち快速3本)
・野間四角、日赤通、天神経由西公園下行き 39本
・野間四角、日赤通、天神経由九大前行き 59本
・野間四角、南区役所経由西鉄大橋駅行き 8本
 …「61番」合計 158本

「66番」
・野間四角、百年橋、博多駅経由駅前一丁目行き 37本
--------------------------------------
(現在)
「61番」
・野間四角、日赤通、天神経由那の津四丁目行き 19本
・野間四角、日赤通、天神経由福浜行き 26本
・野間四角、日赤通、天神経由九大前行き 34本
・野間四角、日赤通、天神経由呉服町方面行き 19本
 …「61番」合計 98本

「急行161番」
・野間四角、日赤通、天神経由那の津四丁目行き 4本
・野間四角、日赤通、天神経由九大前行き 19本
・野間四角、日赤通、天神経由博多ふ頭行き 14本
 …「161番」合計 37本

「6番」
・野間四角、南区役所経由西鉄大橋駅行き 13本

「66番」
・野間四角、百年橋経由博多駅行き 42本
--------------------------------------
となっている(なお、「呉服町方面行き」とは、天神で「610番」となり都市高速千代ランプ経由で戻ってくるものである)。

60番 桧原循環線」は廃止され、「61番」と「12番」に引き継がれている。
当時は快速が通勤時間帯に数本しかなかったが、現在は「急行161番」が新設され、終日運行している。
また、那の津通りの西への延伸(西公園下交差点~当仁小前交差点間)により、西公園下折り返しが廃止され、福浜まで延びている。
当時「61番」の一部であった大橋駅系統は、その後「区役所61番」「区3番」「6番」と番号を変え、郊外は福大病院まで延びている。
「66番」の終点は博多駅ではなく、そのひとつ先の駅前一丁目であった(「17番」などの城南線系統も同様)。

25年前、天神方面へは208本、博多駅方面へは37本、大橋駅方面へは8本が運行されていた。
現在はそれぞれ、135本、42本、13本となっており、天神方面への足の減少が著しい。
当時が多すぎたのか、現在が足りないのか、普段この路線を利用している訳ではないのでわからないのだが、実態はどうなのだろうか。
まあ、屋形原のひとつ東の「やよい坂」からは都市高速経由の「610番」も利用できるので、マイナスばかりではないのだけど。

ちなみに、当時の路線図では「61番」「66番」那珂川営業所行きの「現人橋経由」「今立経由」ともに「丸の口」を通っている。
かつてはやよい坂から那珂川町に向かう道路は、現人橋に向かうほうがメイン道路であった(現在も「県道後野福岡線」はこのルート)。
このあたりの道路も当時は整備途上で、現在の下原交差点~井河交差点間が未開通であったためである。
開通後も、丸の口を経由する「今立経由」が免許維持的にしばらく残っていたと思う。
(つづく)
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愛をください(7)

2008年12月15日 |    ┣ 愛をください
(つづき)
キリン」「」「」「」「」「鹿」に引き続き、福岡県糟屋郡久山町に居る「鳥」。
商業施設「トリアス久山」内を巡回する無料シャトルバスのバス停である(ややこじつけ…)。

土日祝日のみ20分間隔で、西鉄バス宗像が運行を担当している。
トリアスがオープンした頃は平日も走っていたような…。

この施設への最寄バス停は、西鉄バスの「古賀橋トリアス前」とJR九州バスの「トリアス久山(西・東)」である。
西鉄のほうは「72番」「27B番」などがやってくるが、都心からトリアスに行く人ためだけの路線として運行されている訳ではないため、都心からはかなり時間がかかる。
JR九州バスのほうも、トリアスまでやってくるのは日曜日に2本だけであり使い勝手が良くない。

都心から最短でトリアスに乗り入れるとすれば、粕屋ランプで都市高速を降りてトリアスを目指すのがいちばん早いと思われるが、西鉄とJRの営業エリアの問題や、そもそも自家用車で訪れる人がメインであり採算がとれるだけの利用は期待薄と思われ、実現は難しそうだ。
ただ、無番の「土井→上脇田線」を免許維持路線として長らく放置しているのは、このあたりの 選択肢の余地を残しておくためのような感じもする(この路線は、トリアス久山の中央部を縦貫する県道筑紫野古賀線を通っている)。

あとは、以前にも書いたが、新宮町コミュニティバス・マリンクスの「山らいず線」を、現在の終点「佐屋」から、この「トリアス久山」まで延ばしてくれば、この付近が公共交通の(隠れた)結節点となって、利用の幅が広がりそうなんだけどな…。
(つづく)
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LED REAL(6)

2008年12月11日 |    ┣ LEDに位置図
(つづき)
3番 特別快速」の側面表示。

横向きの矢印を完全に無視した表示であり、「LED REAL」というよりは、むしろ「LEDであそぼう REAL」もしくは「LED REALであそぼう」といったほうがよさそうな感じである。

ただ、この表示により、「ほかのバスとはなんか違うぞ!?」ということだけは伝わりそうであり、停車停留所が少ないことに対する「注意喚起」という意味では、これも「アリ」なのかもしれない。
(つづく)
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ぐりーんぐりーん(8)

2008年12月10日 |    ┣ colors&ぐりーん
(つづき)
福岡シティループバス『ぐりーん』」……かと思ったら違って、一般路線のラッピングバスだった。

またまた「偽ぐりーん」である…。

なお、本物の「ぐりーん」のほうは、4台のうち1台に、車内にクリスマスイルミネーションを施して運行するそうだ。
(つづく)
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イミカヨミカ(9)

2008年12月09日 |   ┣ イミカヨミカ
(つづき)
福岡市博多区の「県庁九大病院前」のバス停。

近頃リニューアルが行われ、新型バスシェルターとなったのだが、英字表記は「KENCHO & KYUDAI BYOIN-MAE」となっている。
「読み」を重視…と思いきや、「&」が入ることで「意味」にも片足を突っ込んでいる感じとなっている。

新型バスシェルターでは、意味よりも読みを重視する方針に統一するのかと思っていたのだが、この一文字のおかげでその方針が崩壊の危機にある。

「蛇足」というのは、まさにこういうことを言うのだろう。
(つづく)
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続・オモワク(1)

2008年12月07日 |    ┣ 思惑と提案
各種報道によると、来年1月から、千早駅と人工島(アイランドシティ)を結ぶシャトルバスが試験運行されるとのこと。

各サイトの記事をそのまま貼り付けるのも問題かもしれないので、要点を箇条書きしてみる。

・ルートは千早駅~アイランドシティ地区
・来年1月下旬から、平日と土曜、6時台22時台までの14往復運行
・運行主体は博多港開発(株)、積水ハウス(株)、新栄住宅(株)、医療法人杏林会等でつくる「アイランドシティ地域巡回バス導入研究会」
・この研究会が年間2,400万円のバス運行費を負担し、運行は西鉄が行う
・運賃は180~230円
人工島内には既存の「アイランドシティ」のほか、「照葉小学校」と「中央公園」(いずれも仮称)を新設
試行期間は1年間で、その後については未定
・こども病院の人工島移転について、患者家族などからアクセスの悪さを指摘する声があり、市は駅と結ぶシャトルバス導入の考えを示していた

と、以上のような内容である。

千早駅へのバス乗り入れの少なさ、香椎浜方面への不便さについては、このブログで過去一度二度と言わずかなりの回数書いてきた。
千早駅からアイランドシティ方面への路線の提案などをしてみたこともあったが、まさかこのようなカタチで実現することになるとは思わなかった。
と同時に、千早駅からアイランドシティ方面への西鉄のバス路線が、この時期に至るまで開設されなかったことにも、何らかのメッセージが込められていたということかもしれない。

「バス停は島内3ヶ所を含む5ヶ所」との記事もあるのだが、島内3ヶ所と千早駅と、もう一ヶ所はどこなのだろうか。
もう一ヶ所がどこになろうと、香椎浜地区にあまり停車しないということであれば、そこまでの利用は見込めないのではないだろうか。
香椎浜地区で客を拾えず客足が伸びない→市の補助金を入れることを正式決定(→西鉄が喜ぶ)、というシナリオが既にできていたりするのだろうか…。
記事には表れてこない、関係各所のさまざまな思惑が渦巻いている感じがして、今後の動向に要注目である。

なお、吉田市長は「アイランドシティは、香椎あたりからの公共交通機関のアクセスが不便だったが、千早まで出てバスに乗れば10分~15分で行けるようになる。こども病院を含めアイランドシティに行くアクセスとして必要だ。本格運行につなげたい」と話しているらしいが、どこかピントがずれてるような…。
(つづくかも)
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LEDであそぼう(14)

2008年12月05日 |    ┣ LEDに位置図
(つづき)
1番目。
ある意味、北部九州特有の路線といえるかもしれない。
終点が久山町なのか古賀市なのか気になるところ。

2番目。
前回に引き続き、一応、実在する路線です…。
(つづく)
コメント (5)
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お役所前の風景(68)

2008年12月04日 |   ┣ お役所前の風景
(つづき)
佐賀市に行ってきた。

佐賀の法務局の真ん前には「佐賀城跡」のバス停がある。
まあ、城もある意味「お役所」なのだけど…。
(つづく)
コメント (2)
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SWEET NAIL(11)

2008年12月03日 |   ┣ 工夫とSWEET NAIL
(つづき)
前回取り上げた「脇山口」の都心向けのバス停は、交通渋滞緩和のため、平日と土曜の朝7時半から9時までは「3番」の天神方面行きなどが停車せず、代わりに明治通りに入ってすぐの「西新商店街前」に停車する。
バス停にはその旨が5つも掲示してあり、かなりくどい
ただ、よく見てみると、「3-3N都市高速経由博多駅行きのみ停車、93番藤崎行きは修猷館前、3番・3-2番は西新商店街前よりご乗車願います」と書いてあったり、「3番福岡タワー行、3-3N博多駅行、93番藤崎行のバスは上記時間帯でも当バス停に停車します」と書いてあったりで、何が真実なのかよくわからない。
まあ、「3番」の天神方面行きが止まらないことさえわかれば、大かたは事足りるのだろうけど…。

朝の時間帯の脇山口非停車の措置は、私が学生時代「3番」を利用していた頃から行われており、私も時間帯によって「脇山口」か「西新商店街前」のいずれかで降りていた。
当時も早良街道の渋滞は酷く、車が全く動かないようなときには、荒江や祖原付近の、バス停ではないところでも乗客を降ろして、あとは西新までゾロゾロと歩くということがよくあったが、いまはどうなのだろうか…。
(つづく)
コメント (2)
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