INSIDE SORAMAME

私の頭の中のキオクを綴っていくつもりです・・

春のあしあと(8)

2022年03月28日 | バス━ 未分類

(つづき)

2年ぶりの「春のあしあと」

 

このブログを始める1年前、2004年(平成16年)春ダイヤ改正の告知文をそのまま掲載します。

 

“御幸町~天神間の運行本数は現行の256往復から300往復に増えます”

などという、凄いフレーズも出てきます…。

 

----- ----- -----

 

福岡市内の路線バスダイヤ改正を実施します

西日本鉄道()では、41日に福岡市内の路線バス29路線のダイヤ改正を実施いたします。

今回のダイヤ改正では、福岡市内の各方面~都心部間を福岡都市高速道路経由でより速く、ダイレクトに結ぶバス路線の新設および増便をはじめ、一般道経由の路線新設、運行ルートの見直しなどを行います。

また、ダイヤ改正にあわせて3ヶ所のバス停を新設するほか、2ヶ所のバス停については名称をより分かりやすいものに変更いたします。

ダイヤ改正を行う路線のバス停には告知文の掲出を行うほか、325日からは西鉄グループホームページでも改正内容をお知らせいたしております。

詳細につきましては、下記の通りです。

 

   記

 

◆福岡市内路線バスダイヤ改正の概要

実施日 平成1641日(木)

対象路線 福岡市内の路線バス29路線  

路線新設 3路線 運行本数増便 3路線 運行時刻の見直し15路線 運行ルートの見直し 4路線

運行休止(一部区間休止を含む) 4路線

備考 ダイヤ改正を行う路線のバス停には告知文の掲出を行うほか、325日からは西鉄グループホームページでも改正内容をお知らせしております。

お問い合わせ 西鉄テレホンセンター福岡 電話:092-733-

 

41日実施 福岡市内路線バスダイヤ改正 主な改正内容

 

◎路線の新設

 

行先番号312 シーサイドももち線

福岡市西部のマリナタウン地区・シーサイドももち地区~博多駅間を、福岡都市高速道路経由により最短・最速ルートで結ぶ新路線を開設いたします。

運行ルート 能古渡船場~マリナタウン~福岡タワー南口~医師会館前・SRP前~(百道ランプ)~(呉服町ランプ)~博多駅

運行本数 平日31往復 土曜日24往復 日祝日21往復

所要時間 30分 (マリナタウン第2~博多駅)

運賃 420円 (マリナタウン第2~博多駅)

 

行先番号65 長住~博多駅線

福岡市南部の桧原地区・長住地区から日赤通り・住吉通り経由で博多駅までを結ぶ新路線を開設いたします。

運行ルート 桧原営業所~長住三丁目~野間四角~那の川~渡辺通一丁目~住吉~博多駅

運行本数 平日31往復 土曜日・日祝日28往復

所要時間40分 (桧原営業所~博多駅)

運賃 390円 (桧原営業所~博多駅)

 

行先番号44快速 香椎浜~タワー線

福岡市東部の香椎浜営業所から国道3号線・昭和通り経由で天神、福岡タワーまでを結ぶ新路線を開設するとともに、平日の朝は快速にて運行いたします。

運行ルート 香椎浜営業所~御幸町~(国道3号線)~(昭和通り)~天神~国立医療センター~福岡タワー南口

運行本数 平日44往復、土曜日・日祝日27往復 うち平日8便は快速(朝の天神方面のみ)

所要時間 快速29分 (御幸町~天神) ※現行の各停バスから3分短縮

運賃 360円 (御幸町~天神)

※当路線新設により、御幸町~天神間の運行本数は現行の256往復から300往復に増えます。

※これまで土井営業所から国道3号線・昭和通り経由で天神、福岡タワーまでを結んでいた行先番号24番のバスは、全て天神発着となります。

 

 

◎運行本数の増便

 

行先番号503 室住室見(都市高速)線

室住・室見地区~天神、博多駅間を福岡都市高速道路経由で結ぶ路線につきまして、朝夕のラッシュ時間帯の運行本数を増便し、1015分間隔の運行といたします。

増便時間帯 朝ラッシュ時間帯(上り) 現行9本⇒改正後12本 夕ラッシュ時間帯(下り) 現行6本⇒改正後8

運行本数 平日・・・現行42往復⇒改正後47往復 土曜日・日祝日・・・現行36往復⇒改正後42往復

所要時間 23分 (室住団地~天神)

運賃 300円 (室住団地~天神)

 

行先番号24C 新八田線

土井営業所~天神間を福岡都市高速道路経由で結ぶ路線の増便を行います。(平日のみ)

増便本数 平日・・・現行36往復⇒改正後50往復

所要時間 33分 (土井営業所~天神)

運賃 500円 (土井営業所~天神)

 

 

◎路線の延長

 

行先番号18 茶山(城南)博多駅線

片江営業所と博多駅を城南線経由で結ぶ路線につきまして、平日のみ県庁・九大病院方面まで延長することで、茶山方面から県庁方面へお越しのお客さまの利便性向上を図ります。

運行ルート 片江営業所~福大病院~茶山~六本松~薬院駅~住吉~博多駅~県庁・九大病院前(平日のみ延長)

運行本数 平日61往復

所要時間 52分 (片江営業所~県庁・九大病院前)

運賃 470円 (片江営業所~県庁・九大病院前)

 

 

◎バス停の新設

 

新設バス停名称 所在地〔既存バス停との位置関係〕 停車するバスの行先番号

 

堤二丁目 福岡市城南区堤二丁目〔東油山~堤間〕 121354616494113

東光寺北口 福岡市博多区東光寺一丁目〔山王一丁目~東光寺本町間〕 404445

那の川(九電工前) 福岡市南区那の川一丁目〔百年橋~那の川〕 69

※那の川(九電工前)は下りのみ設置

 

 

◎バス停名称の変更

お客さまにより分かりやすいバス停名称に変更いたします。

 

現行名称 新名称 所在地

 

平和台 平和台・鴻臚館(こうろかん)前 福岡市中央区大手門一丁目

米山町 箱崎駅西口 福岡市東区箱崎三丁目

 

 

◎運行休止路線

ご利用の少ない路線につきまして、41日より運行を休止いたします。

 

行先番号 路線名 運行ルート

 

- 能古渡船場~福岡空港線 能古渡船場~福岡空港国内線ターミナル

240 土井(都市高速)博多駅線 土井営業所~博多駅

 

 

◎運行休止区間

ご利用の少ない区間につきまして、41日より運行を休止いたします。

 

運行休止区間 関係するバスの行先番号

 

西入部~広橋病院(福岡市早良区) 3

乙石~農協前(福岡市西区) 2

----- ----- -----

 

この1年後、2005年春の改正も多くの論点を含むものでしたが、2004年改正もなかなかのもの。

 

18番」の吉塚営業所延長は、地下鉄七隈線開業1年後に控えた狂想曲。

 

全体的に本数を増やす傾向にある中でも廃止されてしまう「240」って、どれだけ利用が少なかったのでしょうか…。

 

4」「65番」「312」は同級生だったんですね。

 

西入部乙石米山町はもっと前になくなった印象だったのですが、結構最近まで存続していたんですね、というのは個人の感想…、というか、これだけじゃなく全てが個人の感想なのですが。

(つづく)

コメント (2)
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春のあしあと(7)

2019年03月16日 | バス━ 未分類

(つづき)
ダイヤ改正の日に紛らわしいことこの上ないですが、23年前に引き続き、13年前の春の時刻表。

天神18B乗り場発の3号線経由と、


都市高速経由。

そういえば、今回の改正でも、香椎パークポートとアイランドシティは(バス路線的に)つながりませんでした。


これは6年前の早すぎた天才。
アイランドシティ営業所の開設福岡空港線の拡充という2つのインパクトを体現できるとても良い路線だったのですが。

直行29N」の一部を福岡空港国際線まで延長…みたいなことは起きそうな気も。
(つづく)

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春のあしあと(6)

2019年03月09日 | バス━ 未分類

(つづき)
1年ぶりの「春のあしあと」。

「23番」を軸とするイエローエリアの比較的大規模な改正が迫っておりますが、23年前にも大改正が。











詳しくは、

チラシのオモテ(3)

チラシのオモテ(19)

チラシのオモテ(24)

チラシのオモテ(39)

チラシのオモテ(44)

チラシのオモテ(57)

LED REAL(77)

…等の記事をご参照ください。



この改正時の天神からの時刻表。

イエローエリアが光り輝いていたまさに黄金時代。
(つづく)

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see the light of day(19)

2019年02月04日 | バス━ 未分類

(つづき)

明治




大正




昭和




平成


…ときて、その次の時代への転換期を乗り越えられなさそうなものたちが居ます。

これとかこれとかこれとかこれとか。

(つづく)

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春のあしあと(5)

2018年03月03日 | バス━ 未分類
(つづき)

減便ばかりで寂しいので、景気づけ(?)に、真逆だった19年前春の改正を再掲。



----------

1999.3.1(月)改正



【福岡地区】



1.油山 (13)

76便を増便し、朝夕の混雑緩和を図り、昼間帯の運行間隔を縮める。



2.油山(急行)博多駅 (113)

朝夕に片江発着の急行系統を新設。急行系統を19便から30便に増便し昼間帯の運行間隔をパターン化。急行・普通で合計54便の増便。



3.小笹・小笹団地 (56・57)

96便を増便し、朝夕の混雑緩和を図り、昼間帯を等間隔ダイヤ化。



4.小笹~天神 (54・59)

片江発着の54番を18便から56便に増便し、天神方面へ30分間隔で運行。昼間帯のみ運行している59番を34便増便し終日運行。



5.桧原(城南)博多駅 (58)

58便を増便し、終日20分間隔で運行。朝に快速系統(2便)を新設。



6.桧原(小笹)博多駅 (69)

運行時刻の変更。



7.茶山 (14・114)

66便を増便。114番 片江営/早良営/西油山ハイツ~福大病院~茶山~国体道路~博多駅(山王一丁目)系統を新設。(普通・106便、急行・16便)



8.片江(鳥飼)西新 (94)

油山観光道路経由を田島経由に変更。



9.香椎浜~天神 (22・22N・22-1・23・23-1)

22N 都市高速系統を59便増便。



10.下原~天神 (23・23B)

23B 下原~香椎浜ランプ~都市高速~天神・西公園系統を新設。(77便)



11.香椎浜~博多駅 (29・29N)

29N 都市高速系統を8便増便。香椎浜営止めの系統を西鉄香椎まで延長。



12.みどりケ丘 (27・27B)

27B 都市高速系統を57便増便。



13.青葉台 (28B)

28B 都市高速系統を22便増便。



14.新八田 (24・24C)

24C 都市高速系統を5便増便。



15.竹下 (46)

昼間帯を30分間隔で運行。



16.諸岡 (44・45)

夜間を中心に、博多駅~南本町間を12便増便。

----------



今回は仕方ないとして、今後も夢だけは持ち続けていこうと思います。

全体的に便数が減る中で、今回「福岡空港~大橋駅」が減らないのはなんか申し訳ない感じも(笑)。

(つづく)
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see the light of day(18)

2017年11月02日 | バス━ 未分類

(つづき)
11月です。

「2番」と「22番」「22N」が直通するようになって、3年が経ちました。




2014年11月1日ダイヤ改正(1)

2014年11月1日ダイヤ改正(2)

2014年11月1日ダイヤ改正(3)

2014年11月1日ダイヤ改正(4)

2014年11月1日ダイヤ改正(5)

2014年11月1日ダイヤ改正(6)

2014年11月1日ダイヤ改正(7)


1年前の「W」登場の際、このような路線再編を予測していて、その後も、“郊外部の拠点での乗り継ぎを前提とした幹線バス的なものの導入を毎年11月に行っていくのか?”と思っていたのだが、その後、2015年、2016年、そして今年の11月も、特に大きな動きはなし。


(つづく)

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see the light of day(17)

2017年11月01日 | バス━ 未分類

(つづき)
11月です。

「W」の登場から、4年が経とうとしています。



2013年11月2日ダイヤ改正(1)

2013年11月2日ダイヤ改正(2)

2013年11月2日ダイヤ改正(3)

2013年11月2日ダイヤ改正(4)

2013年11月2日ダイヤ改正(5)

2013年11月2日ダイヤ改正(6)

2013年11月2日ダイヤ改正(7)

2013年11月2日ダイヤ改正(8)

2013年11月2日ダイヤ改正(9)

2013年11月2日ダイヤ改正(10)

2013年11月2日ダイヤ改正(11)

2013年11月2日ダイヤ改正(12)


(つづく)

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see the light of day(16)

2017年04月03日 | バス━ 未分類

(つづき)
大島にバスが走り始め原町団地線の系譜を受け継いできた古賀「4番」が廃止された2017年度の始まり、西鉄香椎の桜は満開にはまだ至らず。

冒頭の画像は、「長丘~高宮循環バス」の車窓からの今年の

今年も、4月1日の記事にお付き合いいただきありがとうございます。

2010年からの分を振り返ってみます。


2010年4月1日
天神から光陽台六丁目へは、昨年から行けるようになっています。



2011年4月1日
購買店前」は現在も健在です。



2012年4月1日
“複乗ブーム”はここにきて一歩後退中。



2013年4月1日
月見町」付近、新駅の構想もあり、いずれ大化けする可能性を孕んでいます。



2014年4月1日
小笹南口」は、この春も改称を免れました。



2015年4月1日
運行体制の話は別として、需要はあると思うのですが。



2016年4月1日
こんな小手先の手段ではなく、「旅人」は4月からさらなる増便が行われています。



西鉄高宮駅の循環バス乗り場は、相変わらずカレーの良い香り
反対側の東口にまず乗り入れるのは、「66番」の国立福岡病院系統なのかもしれません。
(つづく)

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春のあしあと(4)

2017年03月05日 | バス━ 未分類
(つづき)
春改正の振り返り、今回は2010年春です。


1.「20番」新設と「1番」の縮小

現行の「20番」とはまた異なり、「福岡タワー南口(現在の福岡タワー)~地行~大濠公園~赤坂門~天神~呉服町~警察本部前~吉塚駅前~~巴町~箱崎駅東口~月見町」というルートの「20番」が運行開始。

現在「月見町」にやって来るのは「71番」であり、この「20番」は短命に終わっている。

それまで月見町行きは、今はなき姪浜(折返場)からの「1番」で、「九大前経由」と「巴町経由」の2系統が存在したが、この時に「九大前経由」が消滅し、「九大前」は再び「狭義の終点」となり現在に至る。

折返場からではなく駅南口から出ていた「1番」の「姪浜駅南口~天神~博多駅」も、都心部が天神までの運行に打ち切りとなった。
現在運行されている「姪浜駅南口~藤崎」の系統は、この生き残りである。


2.「4番」経路変更・「4-3番」運行開始・香椎ローカル「3番」縮小

「4番」の名島~千早駅前間が、3号線経由から名島駅前の新道経由に変更され、「西鉄名島駅前」「千早四丁目」「東消防署前」の3つのバス停が新設された(郊外行きは名島に非停車)。

「4番」はこの後も、明治通り経由になったり、また昭和通り経由に戻ったりと、流浪の旅を続けます。

かつては「70番」として天神まで運行されていた香椎ローカルの「3番」は、千早駅前~西鉄香椎間が廃止となり、さらに「4番」と統合のうえ、一日数本に大減便。
 千早駅~火の見下~流通センター~土井営業所~「4番」~天神
 天神~「4番」~千早駅~火の見下~流通センター~土井営業所
という2つの系統が、現在まで生き延びている。

都心からの「4番」のうち、「3番」と連続運行されるものに、新たに「4-3番」という番号が付いた。


3.「24番」廃止・「24N」新設・「24C」「22N」ルート変更

「24N」のルートは「大濠公園~天神~都市高速~香椎浜海岸通~香椎参道~舞松原~八田団地~土井営業所」で、3号線経由の「24番」は廃止となった。

その後「24N」は、わずか1年4ヶ月で廃止となり、都市高速に乗る少し手前までのローカル線「2番」に移行したが、現在でも「24N」と同じルートを運行するものが、「22N」の土井営業所行きとして数本だけ残っている。

「24C」と「22N」は、大部分が天神北ランプ経由の循環系統に変更となった。
現在は、「24C」は全て天神北ランプ経由の循環だが、「22N」は循環の本数が減り、かつ「22T」という番号で運行されている。


4.「54-1番」新設・「59-1番」は「54番」に

「54-1番」は、「九大前~県庁~呉服町~天神~渡辺通一丁目~薬院大通~平尾~山荘通り~小笹~笹丘一丁目~梅光園口~六本松二丁目~西新パレス前~地行~福岡タワー南口」のなかなかの大回り路線。
九大前行きは縮小したが、現在も運行中。

「54-1番」は全便「快速」として運行を開始した。
当時の記事では、

“快速区間は平尾~天神のみという、長い運行区間のうちのごく一部であるため、快速区間から離れたエリアにおいては、バスの行き先表示やバス停の時刻表の表示を工夫しないと混乱(乗り控え)が起きるのではないだろうか”

という懸念を示していたが、その後、快速運行区間は変わらないまま「快速」表示をやめたり、快速区間を変更のうえ「快速」表示が復活したりして、今後もどうなるか予断を許さない感じ。

また、片江営業所行きの「59-1番」が「54番」に変更となっている。


5.博多駅~箱崎ふ頭地区の「快速」新設

博多駅から箱崎ふ頭地区への通勤用に「博多駅~吉塚駅前~箱崎駅西口~箱崎ふ頭~リサイクルプラザ~名島~城浜団地~香椎浜南公園前~香椎浜営業所」というルートで運行開始。

天神からの「22-1番」「23-1番」も通勤時に増便され、その後、ふ頭四丁目地区に乗り入れるなど、都心から箱崎ふ頭へのアクセスが向上したが、「快速」は結局廃止となり、「22-1番」「23-1番」も再び減便されている。


6.「46番」郊外部の延長

回送ルートが営業化され、一部の便が、井尻六ツ角から旧「50番」のルートを通って、JR南福岡駅~雑餉隈営業所まで延長された(途中、桜ヶ丘公民館前と精華女子短大前バス停が新設)。

その6年後に新設された「46-1番」にも、雑餉隈行きが設定されている。


7.「48番」の再編

従来の「48番」のうち、現在も一日数本走っている「駅南三丁目経由」の便が「48-2番」に変更となり、また、レークヒルズ野多目ではなく、老司団地を起終点とするものが新設され「48-1番」が付いた。

「48-1番」が竹下駅西口経由になったのは、この時ではなくここから2年4ヶ月後


8.「73番」の再編

従来の「73番」の2系統が「73-1番」に変更のうえ減便され、新たに、流通センターを通らず、八田小学校から八田~土井団地~みどりが丘団地入口に向かうものが「73番」として新設。

現在は、流通センターを通らない便はなくなり、全て「73番」として運行されている。


9.「3番」脇山支線の新設

「曲渕~陽光台(複乗)~西神の原~脇山小(複乗)~椎原」という、早良営業所にさえ顔を出さない、乗り継ぎ前提の完全ローカル路線がこの時に登場。


10.「29N」が駅東ランプ経由に変更

これも一種の「黒歴史」かも。
駅東ランプ経由の循環運行(→駅東ランプ→博多駅→呉服町ランプ)となり、「合同庁舎」の博多駅方面行きの乗り場は、それまでの一日1本から10本となり、便数が10倍に増えたが、わずか半年後に呉服町ランプ経由の双方向運行に逆戻り

当時の記事では、

“JRとの「競合」という観点で捉えれば博多駅までの所要時間が短くなる一方、JRとの「住み分け」という観点で捉えれば博多駅周辺地区(呉服町~駅前一丁目)への所要時間が長くなる訳で、「住み分け」よりも「競合」を選んだという見方もできる。果たしてこの選択の結果はどう出るだろうか?”

という評価をしていた。


11.進む枝番化

「2番」の室住団地、野方行きが「2-3番」になり(番号が変わったのは郊外向けのみで、都心方面は従来通り「2番」のままとされたのは、室住から都心への「203番」との混同を防ぐ目的があったもよう。だったら昭和通り西行きで「23番」と間違うのでは?とも思ったのだが、現時点では、特に問題なく受け入れられている感じ)、「62番」の那珂川ハイツ系統が「62-1番」になった。

その後、「52-1番」「57-1番」「46-1番」など、枝番が増加傾向にあり。

また、この時「23番」の新宮緑ケ浜行きが「26番」に変更(都心向けは「23番」のまま)となったのも、背景は枝番化と同じ思想。


12.「福岡都心ライナー」登場

JR博多シティ開業を見据え、天神にも人を呼び込むことのできる路線をいろいろ模索していたことがうかがえる路線。

「博多駅→呉服町→天神福ビル→天神新天町入口→赤坂門→大手門→城内美術館東口→警固町→天神警固神社三越前→キャナルシティ博多前→博多駅」(この停留所のみ停車)というルートで、3ヶ月間の期間限定運行だった。


13.大橋・那珂川ローカルの縮小

大橋ローカル「4番」が大橋駅~老司団地のみの運行となり、那珂川、博多南駅へ行かなくなり(現在は那珂川営業所まで再延長)、「62番」の市の瀬系統は大幅減便、市の瀬と博多南駅との間を結ぶ「8番」も廃止に。
なお、那珂川町ではこの半年前にコミュニティバス「かわせみ」が運行を開始した。


14.改称ブームの始まり?

 西公園 → 大濠公園
 ピアジェ久山 → ヘルスC&Cセンター前
 土井三ツ角 → 土井四丁目
 千代文化スポーツセンターパピオ前 → 千代一丁目
 九州女子高校前 → 福大若葉高校前
 横手三丁目 → 横手四丁目
 長野町 → 西片江一丁目
 倉瀬戸 → 西片江二丁目

行先表示が方向幕の時代なら、西公園から大濠公園への改称はかなりのコストがかかったのではないだろうか。


15.その他

どちらかといえばプラスの話題としては、
「27B」「72番」に「古賀橋トリアス行き」新設(その後、このエリアの運行パターンは再編)、
「17番」に脇山小学校前経由早良高校行き新設で、脇山小学校前に「17番」が復活、
「41番」に大野城サティ(現在のイオン大野城)発着便が新設、
「特別快速2番」に都心方面行き新設(現在は「特別快速2番」は廃止に)、
「15番」(ゆめタウンではなく城南線のほう)に博多ふ頭行き新設、

一方でマイナスの話題としては、
「10番」の土日祝日の九大病院行きの運行取りやめ、
「140番」の博多駅行き廃止、
「29-1番」が一日一本に減便、
「17番」扇町行き(沖学園前、東光寺を循環するもの)が一日三本のみに大幅減便(この1年後に廃止)、
「66番」が通勤時間帯のみの運行に大幅減便、
「1番」の金武~野方方面の本数が半分以下に減便、
「2番」の羽根戸経由も半減、
室住団地~原~藤崎方面が2割以上の減便、
「8番」(室住~むろみ~西新)も約3割の減便、
「63番」や「59番」も減便、
…と、本数にメリハリをつける傾向が顕著になってきた。

この他、バス停の時刻表の「フォント」が変わったり、また、時刻表での行先番号が「都市高310」「都市高27B」などと表示されるようになったり、あと、福岡地区からはやや離れますが、「東郷駅日の里口」を起点とする路線が再編・減便され、「大回り」に集約され「小回り」が実質的に廃止となったり、「24番」上西山線の二日市行きがなくなり西鉄筑紫駅系統オンリーとなったり、二日市の「3番」が東町系統廃止のうえ逆回りが新設されたり、西鉄ではないですが、地元「マリンクス」の「相らんど線」が双方向の循環運行になったうえで「JR新宮中央駅」や「杜の宮」に乗り入れたり…、というのも2010年春の出来事でした。
(つづく)
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春のあしあと(3)

2017年03月03日 | バス━ 未分類
(つづき)
今年の春のダイヤ改正の話題も出始め、春の足音が聞こえてきましたが、こちらは、「あしおと」ではなく「あしあと」。
過去の西鉄バス福岡地区の春の改正の足跡を振り返っています。

今回は2009年春です。


1.「天神→博多駅」「天神→県庁方面」などの行先番号統一

この1年前に行われた「天神・博多駅→中央ふ頭・博多ふ頭」の行先番号統一に続き、以下の番号統一が行われた。

 天神→県庁方面(吉塚営業所、九大病院、九大前、月見町) 「1番」
 天神→明治通り→博多駅 「3番」
 天神→昭和通り→博多駅 「2番」
 天神→住吉通り→博多駅 「5番」
 (博多駅→)天神→西公園ランプ→タワー方面 「305番」

市内各地からいろんな番号でやってきても、都心部に入る少し手前で上記の番号に変えることにより、都心部でバスを待つ人が、番号で行先を識別しやすくなった。

当時の記事では、

“西鉄はもともとバスの番号のことを「系統番号」ではなく「行先番号」と呼んでいるし、「わかりやすさ」という観点からは方向性は間違っていないと思う”

“今回の「行先番号の統一」は、行先表示のLED化がもたらした、西鉄バスの歴史上でもかなり大きな出来事だと思う。
たとえ利用者に不評だったとしても、また元に戻すようなことになるとさらなる大混乱を招きかねない。
ある意味「戻れない一歩」を踏み出したと言えそうだ”


という評価をしていた。

当時は、月見町行きも「1番」であり(その後「20番」を経て現在は「71番」)、また、「1番」の「博多駅→明治通り→姪浜駅」という、統一の理念にはやや合わない路線も運行されていた。

国体道路経由の「8番」への統一はこの時ではなく、ここからさらに2年後のこと。
また、現在は「W」の登場で、「305番」を天神で目にする機会がなくなっているし、「2番」も博多駅に行かなくなったので、現存する昭和通り経由博多駅行きの「3-1番」「3-2番」は、統一番号「2番」を使わなくなっている。


2.「410番」「420番」新設

少し前に「黒歴史」として取り上げた「410番」と「420番」。
このわずか9ヶ月後に「410番」は廃止となり、「420番」も大幅減便となっている。

ただ、「420番」は、現在も平日の通勤時間帯に3往復残っており、「黒歴史」と言ってしまうのは失礼だったかもしれない。


3.「45-1番」新設

「井尻駅~福岡徳州会病院~福岡女学院~昇町~南福岡駅~雑餉隈営業所」というルートで、現在も健在。

春日市のコミュニティバスだけが乗り入れていた福岡徳洲会病院に、西鉄バスが福岡市から乗り入れるという構図。
西鉄バスには、コミュニティバスではまかなえない部分で、まだまだ出番があると信じております。


4.「2-9番」ルート短縮と延長

四箇田団地に行かず「賀茂駅」までの運行に変更となり、一方で、上りは一部の便が藤崎から「国立医療センター」(現在の「九州医療センター」)まで延長に。

四箇田団地行きが走っていた「次郎丸六丁目」「歯科大総合病院前」は、土曜日早朝一本だけの免許維持路線が走るようになって、その後廃止となったが、昨年、別のルートで「歯科大病院」の構内にやってくる路線が新設されている。


5.「18番」廃止、「114番」金山団地経由新設

「片江営業所~福大病院~茶山~六本松~薬院駅~博多駅~呉服町~県庁~吉塚営業所」を結んでいた「18番」が廃止。

地下鉄七隈線のルートと一番重複していた路線であり、ある意味仕方なかったのかも。
博多駅から先、吉塚営業所までの間は、地下鉄に対抗して七隈線開業時に延長されたものでした。

「18番」廃止により、「114番」に金山団地経由の便が新設された。


6.「61番」片江営業所行き、福大病院行き廃止

「60番 桧原循環線」を引き継いだ片江営業所行きと福大病院行きが廃止に。
この2年前に「6番」(大橋駅~野間四角~屋形原~片江~福大病院)が新設されており、廃止は既定路線だったのかも。


7.「32番」のうち「イオンモール福岡ルクル」行きが「30番」に

「イオンモール福岡ルクル」は、現在の「イオンモール福岡」。
「30番」はいいとして、そこからさらに郊外まで行く「32番」「33番」「34番」は、行先と番号の対応が2017年現在も依然わかりにくいです。


8.「73番」経路変更

浜田~松田間のルートが、それまでの「浜田~松田」から、「浜田~松島一丁目~原田一丁目(新設)~松田」に変更となり、「松島一丁目」の拠点性がにわかに高まった。

この1年後に、従来の「73番」の2系統(八田小学校経由の「本線」と、1日1本だけの八田団地経由)が「73-1番」に変更となり、流通センターを通らずにみどりが丘団地入口まで向かうものが「73番」として新設されたが、現在は全て流通センター経由に戻り、番号もみどりが丘も含め全て「73番」となっている。


9.香椎ローカル「2番」(古賀駅~青柳四角~西鉄香椎)廃止

冒頭の画像は「2番」が停車していた「太閤水」。
地元以外の西鉄バスで最初に興味を持った路線であった「22番 こもの線」の血統を受け継ぐ路線だったが、この時に廃止に。


10.その他

68番」国立医療センター行き廃止、
「無番」桜ケ丘第四~志免役場線の廃止、
370番」「390番」のルート一部変更(蔵本と都市高速千代ランプの間に新たに「呉服町」と「蓮池」にも停車)、
神学校前と友丘(かつての友泉第二)の間に「友丘三丁目」が新設、
「前川町」が「箱崎駅東口」に改称
「羽根戸道」が「田村七丁目」に改称、
210番」が土日祝日も運行開始、
「39番快速」吉塚営業所系統の廃止、
「急行303番急行」増便とマリノアシティ→天神・博多駅の「直行」新設、
西南中高前経由能古渡船場行きの「エコルライナー」新設、
「80番」博多駅~キャナル~天神~中央埠頭線が平日も運行(現在は再び平日運行なしに逆戻り)、
「22番」の免許維持路線(東郵便局経由のルート)廃止
…なども行われています。

あと、福岡地区からはやや外れますが、飯塚を通らない福岡~田川の「直行」が新設されたり、水巻町内を走る西鉄バス「63番」「64番」が廃止されたり、新たに開業するJRししぶ駅にバスが乗り入れるようになったり、宮地岳線部分廃止に伴う代替路線のひとつ「1-3番」(西福間三丁目~JR福間駅~光陽台六丁目)が廃止になったのも、2009年春のことでした。


11.(春ではないですが)免許維持路線の大量廃止

日曜祝日昼間に一本だけの「無番 土井営業所→上脇田」
・土曜日一本だけの「無番 四箇田団地→福大病院」
「41番」のうち、平日2往復だけの吉塚営業所系統
・土曜日一本だけの「無番 中央ふ頭→千鳥橋」
日曜祝日早朝に一本だけの「63番 博多ふ頭→扇町」

…の各路線が、2009年6月に一斉に廃止となり、上記各路線のみが停車していた「野芥二丁目」「隣保館前」「吉塚新川」「深井」「工場団地入口」「谷蟹」のバス停は廃止、「田隈小学校前」「妙見」「築港口」「市民会館前」「沖学園前」の免許維持路線のみが停車していた乗り場が廃止となった。

なお、その後「野芥二丁目」は別の場所に復活「沖学園前」は全て廃止、「市民会館前」はバス停復活はないものの「連節バス」のルートとしては復活しています。

1日1本だけの「38番」、「300番」の駅東ランプ経由「73番」の八田団地経由、「無番 四箇田団地→四箇田団地入口→金武営業所」などは、2017年現在も健在です。
(つづく)
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春のあしあと(2)

2017年03月01日 | バス━ 未分類
(つづき)
今年の春のダイヤ改正の具体的な内容も、ちらほらと出てきていますが。

前回の2007年春に引き続き、今回はその1年後、2008年春のダイヤ改正の要点をまとめてみます。


1.「6-1番」新設

冒頭の画像は、誕生直前の「鳥飼三丁目」バス停。

「福岡タワー南口(当時。現在は福岡タワーに改称)~地行~鳥飼~福大大濠中高前~国体道路~キャナルシティ~博多駅」というルートで運行を開始。

なお、当時のニュースリリースでは、
“博多駅・天神などの鉄道駅とキャナルシティ博多・大濠公園・ヤフードーム・福岡タワーといった観光地を結ぶ路線です”
と案内されている。

ちなみに、TVQNHKTNCRKBと、多くの放送局を結ぶ路線でもあったりする。


「6-1番」新設により、福岡都心部に存在した比較的大きめのバス空白地域が3分割された、という話は、少し前の記事でも書きました。


2.「502番」新設

「四箇田団地~田隈新町~原団地~室見五丁目~愛宕ランプ~都市高速~天神北ランプ~天神~国体道路方面」というルートで、「503番」の二匹目のドジョウを狙った感じで新設。

当時のニュースリリースでは、
“有田・原地区と天神を都市高速道で結び、時間短縮を図ります”
とある。

運行当初は、平日15往復、土日祝日13往復だったが、9年経った現在は、それよりも少ない水準で落ち着いており、「503番」のようにはうまく育たなかった。

ちなみに、「502番」の末尾の「2」と、四箇田・金武地区のメイン路線「2番」の「2」の関係性については、こちらの記事などを参照。


3.「5番」(能古渡船場~博物館南口~西新~博多駅)の廃止

先日の記事で触れた「脇山口交差点を北上する1番」から番号が変わって「5番」として運行されていたが、この時に廃止。

同時に、「9番」の能古渡船場行きをマリナタウン経由に変更して増便することで、愛宕浜から西新方面については救済が図られた。
また、この3年後に「6番」が博物館南口経由で福岡タワー南口まで行くようになっており、「5番」の面影が復活している。

なお、「5番」という行先番号は、この1年後に別のルートで復活しています。


4.天神・博多駅→中央ふ頭・博多ふ頭行きバスの行先番号変更

それまで、いろんな行先番号で市内各地から天神にやってきた路線は、「天神→中央埠頭間」のみ「80番」で統一されていたが、この方式に以下の3パターンが加わった。

 天神→博多埠頭間       …  「90番」
 薬院駅→博多駅→中央埠頭間  …  「88番」
 博多駅→博多埠頭間      …  「99番」

このことは、少し前にまとめた記事でも触れています。

バスの行先表示の方向幕からLEDへの変更がほぼ完了し、運行中に行先番号を変えることへのハードルが大きく下がったことで、この後も、番号の統一はさらに進んでいきます。


5.東部地区からの新たな「直行」の新設

2007年春に、香椎浜地区から都市高速天神北ランプを経由して都心に入る「直行」が増強されたが、同様のパータンで以下の3ルートが加わった。

 新宮緑ケ浜→雁の巣→アイランドシティ→留学生会館→都市高速→天神北ランプ→天神→呉服町ランプ→「21A」で女子大方面
 土井団地→多々良→松島5丁目→都市高速→天神北ランプ→天神→呉服町ランプ→「72C」で流通センター方面
 土井団地→香椎参道→留学生会館→都市高速→天神北ランプ→天神→呉服町ランプ→「28B」で香椎参道方面

2017年現在残っているのは、一番上の新宮緑ケ浜発のみ。
一方で、その後、「24C」「新宮急行」などでは、このパターンが採用されている。


6.「無番」(四箇田団地~福大病院)実質廃止

「12番」の四箇田団地行きの廃止に伴い運行を開始したこの「無番」だったが、土曜の夜に一本だけ免許維持路線を残して実質廃止に。
地下鉄七隈線の影響もあったのでしょう。

その免許維持路線もその後廃止となり、野芥交差点から田隈小学校前までの間にはバスが走らなくなった。


7.「3番」脇山地区のルート再編

「早良営業所~内野~西神の原~脇山小学校~椎原」というルートが新設。
その後の、脇山支線「曲渕~陽光台~西神の原~脇山小学校~椎原」誕生への布石といったところでしょうか。


8.「4番」と「29番」の分割

1年前に土井営業所行きができた「4番」だったが、もともとのルートだった香椎浜営業所行き及びアイランドシティ行きが「4-1番」となり、「29番」の高美台一丁目行きが「29-1番」となった。

「枝番化」も、その後多く行われるようになる方式だが、ただ、「4-1番」「29-1番」については、ともにその後廃止となっている。


9.天神郵便局前、天神日銀前の乗り場変更

現在は、「天神中央郵便局前」が正式名称となっているが、当時は「天神郵便局前」が一応正式だった。

天神橋口交差点に一番近い郵便局前18C乗り場に停車していた「2番」が、日銀前19Bに変更となり、18C乗り場には、これまで18B乗り場に停車していた「22-1番」「23-1番」「23-2番」が停車するようになった。
なお、当時「2番」は博多駅まで行っていました。


10.「1番」藤ヶ丘団地~橋本付近の経路変更

「1番」の藤ヶ丘地区のルートが変更となり、壱岐ヶ丘中学校~橋本間は、以下の3パターンとなった。

 壱岐ヶ丘中学校~藤ヶ丘団地~壱岐南小学校入口~道隈~柿ノ内~野方~大河原~橋本
 壱岐ヶ丘中学校~藤ヶ丘団地~戸切三丁目~戸切~橋本駅~橋本二丁目~橋本
 壱岐ヶ丘中学校~藤ヶ丘団地~戸切三丁目~戸切~橋本駅~戸切~戸切三丁目~藤ヶ丘団地~壱岐南小学校入口~道隈~柿ノ内~野方~大河原~橋本

戸切、戸切三丁目には、現在バスは走っていないが、「橋本駅を通らない」「橋本駅を複乗」「橋本駅を通ってそのまま橋本へ」という3パターンは、現在も踏襲されている。


11.那珂川ローカルの一部廃止

「9番」の那珂川営業所~佐賀橋、「無番」の佐賀橋~板屋、「7番」の大橋駅~今光橋~博多南駅が廃止に。

「かわせみ」の登場までには、タイムラグがありました。
(つづく)
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春のあしあと(1)

2017年02月23日 | バス━ 未分類
今年も、春にダイヤ改正が行われると思われる。

だんだんと暖かくなる気候や春の気配と、過去のダイヤ改正の記憶と、その当時の出来事が、私の中では密接に結びついているのだが(笑)、このブログも、5月で12周年を迎える予定で、過去に書いてきたことがそれなりに史料となってきた感もあるので(←個人の感想です)、過去の春の大改正を、10年前から振り返っていきたいと思う。
思いつきで始めた企画なので、予告もなく途中で終わるかもしれません。

1回目は、10年前、2007年春の福岡地区ダイヤ改正を振り返ってみる。
要点と、その後の出来事とのつながりなどを、できるだけ簡潔に記すことにします。


1.「特別快速3番」の“後退”

それまで、早良街道(早良営業所~脇山口間)でも終日速達運行を行っていた(早良営業所、早良妙見西口、野芥三丁目、干隈、飯倉二丁目、荒江四角、脇山口のみ停車)ものが、朝の上り数便を除き、各停となった。

21世紀初頭に登場し、この2007年の改正で“後退”してしまった「特別快速3番」だったが、現在に至るまで、この時の枠組みがほぼ維持されている。


2.「4番」千早駅に乗り入れ

当時、「香椎浜営業所~御幸町~3号線~昭和通り~天神~地行~福岡タワー南口」を結んでいた「4番」に、新たに「土井営業所~八田団地~千早駅~3号線~昭和通り~天神~地行~福岡タワー南口」という系統が新設。
それまで「3番」のみが乗り入れていた千早駅に、新たな路線が乗り入れた。

当時はまだ、3号線から直接千早駅に入るルートであり、東消防署前の道路経由になったのはそれから3年後のこと。

その後、香椎浜からの「4番」は「4-1番」に改番された後、結局廃止となり、現在は、土井営業所からの「4番」が残っている状態。

土井営業所から3号線に出て都心に向かう元祖の路線は、水谷、香椎参道経由の「24番」だが、千早駅経由の「4番」の登場で減便。
その後「24番」は、香椎浜ランプから都市高速に乗る「24N」へとシフトした後、現在は、都市高速に乗る少し前、香椎浜営業所までの「2番」として細々と運行を継続中。
「24番」のルートは、現在の千早駅周辺一帯は、かつてはバスが入れない場所だったということをよく表していた。


3.「63番」が大橋駅に


それまで、「扇町」を起終点としていた「63番」が西鉄大橋駅発着に変更になり、また、博多駅・キャナルシティ経由だったものが、住吉・渡辺通一丁目経由に変更となった。
その後、こちらも現在に至るまで大きな変化はなし。

なお、扇町行きは日曜の早朝に1本だけ残り、この便は、那の津通り上の「市民会館前」経由だったので、「博多埠頭入口~那の津口」間と「美野島南公園前~沖学園前」間という、2つの免許維持区間を走る重要な任務を負う路線となったが、その後、2009年6月に廃止となった。


4.「3番」の福大病院行き運行休止

地下鉄七隈線開通時に新設された「椎原・曲渕~早良営業所~干隈一丁目~福大病院」線の、早良営業所以北が運行休止となった。

干隈交差点~七隈四角交差点間は、一日数本のみの状態に逆戻りし、現在もそのまま


5.大橋ローカル「6番」の新設

「大橋駅~野間四角~若久~屋形原~桧原営業所~柏原営業所」の「区3番」(くのさんばん)が廃止となり、福大病院を起終点とする「6番」が新設された。

「60番」桧原循環線を引き継いだ「61番」の福大病院行きは減便となり、この2年後に廃止となっている。

大橋駅と福大病院を結ぶ路線としては、その後、「700番」(現在の「外環1番」)も登場している。


6.香椎浜地区からの「直行」が隆盛

それまで平日朝のみ運行されていた香椎浜地区から天神北ランプ経由で天神に向かう便が、昼間も運行されるようになった。
東部地区から呉服町ランプではなく天神北ランプを利用して都心に入る路線は、その後、「24C」「新宮急行」「310番」などにも拡大している。

香椎浜地区から天神北ランプ経由で天神に入る路線は、現在は「22T」を名乗っているが、当時は「直行」として運行されていた。


7.その他

博多駅から医師会館前までノンストップの「直行」の新設、
新たな「快速39番」の登場(博多駅から吉塚営業所まで延長され、博多駅~千代町間は呉服町にのみ停車。現在も運行されている大井町、二又瀬通過の従来の「快速」とは別)、
「特別快速40番」(那珂~筑紫口間ノンストップ)の新設
…など、速達系統の種別(というか愛称)が、よりいっそうわかりにくくなっていった時期でもありました。
(つづく)
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see the light of day(15)

2017年02月13日 | バス━ 未分類

(つづき)
今回は、ほんのわずかな期間で廃止となったり、元の状態に逆戻りしたような、いわゆる「黒歴史」的なものについて、過去の記事からピックアップ。

 「410番」と「420番」
 「4番」の明治通り経由への変更
 「12番」の福大正門前経由への変更
の3つについて取り上げてみる(「西鉄香椎~マリノアシティ」とか、「22番」「29番」の東郵便局前の道路経由とか、他にもまだいろいろとありますが)。

まとめが続いていますが、ブログを春で終わらせるつもり…というわけではありません、とりあえず今のところ(笑)。
なお、基本的に記事をそのまま転載しているため、情報は当時のままです。


1.「410番」と「420番」

(1)華々しい登場2009年3月17日の記事

「420番」「410番」のチラシである。

それぞれのルートは以下の通り。

「420番」
【雑餉隈営業所~麦野~麦野三丁目(新設)~麦野一丁目~板付七丁目~板付団地第一~板付~西月隈三丁目~(月隈ランプ~都市高速~千代ランプ)~蓮池~(都心向けは昭和通り、郊外向けは明治通り)~天神】

「410番」
【雑餉隈営業所~麦野~新屋~板付~半道橋~(榎田ランプ~都市高速~千代ランプ)~蓮池~(都心向けは昭和通り、郊外向けは明治通り)~天神】

平日の運行本数は、「420番」の雑餉隈→天神が27本、板付7丁目→天神が28本、天神→雑餉隈が28本となっている。
一方「410番」は、雑餉隈→天神が4本、天神→雑餉隈が3本、天神→新屋が1本となっており、都心向けは夕方のみ、郊外向けは朝のみの運行である。

「410番」は、夕方の都心向け、朝の郊外向けなど、乗客が少ない時間帯に「420番」のルートを「だらだらと」走るともったいないことから、その「節約」のための路線という位置づけのようだ。
また、下りの「新屋行き」というレアな系統は、終点到着後、そのまま板付7丁目から「420番 天神行き」となるということではないだろうか。
「420番」都心向けの、「27本」と「28本」の差がこれに相当するもようである。

「420番」「410番」ともに、都心向けは昭和通り経由、郊外向けは明治通り経由という、かなり珍しい運行形態である。
都心向けが天神郵便局前到着後、天神橋口交差点を左折、さらに天神交差点を左折して、天神大和証券前から郊外向けとなるようである。

「500番台」や「600番台」などの都市高速路線は、一般道路経由路線(「201番」「204番」や「49番」「61番」「62番」など)との組み合わせで都心部内ループを行っている。
「40番」「41番」「43番」など、板付方面から一般道路経由で都心に向かう路線は、以前は天神までやってきていた(「40番」は西公園、「41番」「43番」は大名二丁目や動物園などまで)が、現在はすべて博多駅止め(「40番」のタワー行きを除く)となっており、天神まで再延長しない限り都市高速路線とのループができないことから、「420番」「410番」は都市高速経由同士でループを行うことになったようだ(ただ、郵便局前→大和証券前と乗ることはできないだろうから、厳密には「ループ」ではないのかもしれないけど)。

かつての志免・宇美方面からの都市高速線や、現在の東部地区からの「直行」のように、都心向けは天神北ランプで降りるという選択肢もあったのではないかと思うのだが、どっちが集客力があっただろうか。

「410番」は、一般道路経由の「41番」の末尾に「0」を付けて「410」である。
一方の「420番」は、既存の「42番」は、大橋駅~井尻~昇町方面というまったく違うところを通っており、「42番」がベースではない。
板付団地を通る「40番」をベースとすれば「400番」が適当なのだろうが、杷木~甘木~二日市を走る「40番」をベースにした「400番」が既に福岡都心部を走っていて使えないという理由からか、「630番」のときと同様、「410」との「並び」を意識して「420」となったようだ。
これを機に、既存の「42番」のほうは、大橋ローカル(もしくは春日ローカル)の番号に変えてもよかったのではないだろうか?


(2)「410番」廃止と「420番」大減便2009年12月2日の記事


「410番」廃止、そして「420番」も大幅減便(平日上り朝4便、下り夕方4便のみに。上りは「昭和通り経由天神郵便局前行き」から「明治通り経由天神コア前行き」に変更)とのことである。

今年3月23日のダイヤ改正で、試乗会まで開催してかなり派手に登場した同路線であったが、年越しを待たずにこのような事態を迎えることとなってしまった。

一般道路経由の天神行きがあったところに新たに都市高速経由ができた「500番台」「600番台」とは異なり、一般道路経由の天神行きが既に廃止された麦野、板付団地地区だったので、そこに新たに天神行きを作っても、採算がとれるだけの利用者獲得は難しかったのかもしれない。

テコ入れのために「大野城サティ」まで延長してみては?と書いたこともあったが、叶わぬ夢となった。
「ミニミニ100円循環バス」登場の可能性もほぼ消えた(笑)。
「420番」の登場で「狭義の終点」から「広義の終点」となった「板付七丁目」だが、再び「狭義の終点」に逆戻りする日も近そうな気配である。


2.明治通り経由になったと思ったら昭和通り経由に戻った「4番」

(1)昭和通り経由→明治通り経由に2012年3月6日2012年3月17日の記事)


土井営業所と福岡タワー南口を、八田遊園地、若宮田、千早駅、西鉄名島駅、千鳥橋、石堂大橋、昭和通り、天神、大濠公園、地行経由で結んでいる現在の「4番」だが、千鳥橋~大濠公園間の経路が「石堂大橋、昭和通り経由」から「築港口、明治通り経由」に変更となる。

現在
【千鳥橋~石堂大橋~蔵本~天神(昭和通り)~法務局前~大濠公園】
変更後
【千鳥橋~築港口~蔵本~土居町~天神(明治通り)~赤坂門~大濠公園】

明治通りからタワー方面へは、昨年春から「70番台」が運行されており、今回さらに「4番」も明治通りに移すことでフリークエンシーを高めようという意図があるのかもしれない(ただ、それだったら「310番」のタワー延長はいまいち整合性がとれないのですが)。

一方、明治通り(大手門以東)から貝塚、名島方面というバスは現在なく、「4番」が一時間に3~4本以上運行されるような頻発路線であれば話は別だが、現状の本数で明治通り東行きを走らせたとしても、貝塚、名島方面の客はなかなか拾えないのではないだろうか。

これらを合わせて考えると、「4番」は、今回の改正のように全て明治通り経由にするのではなく、
西行き(タワー方面)は明治通り経由で、
東行き(千早駅、土井方面)は貝塚、名島方面へのバスが多く走る昭和通り経由
というイレギュラーなカタチでも十分に成り立つのではないだろうか(東行きが、荒戸交差点の右折に時間をとられることもなくなるし)。

「東蜷田」の記事で、
“行きたいところの近くまで連れていってくれれば、想定していた場所と多少ずれたとしても、それはさほど大きな問題ではない(「数分後に同じバス停で乗り継ぎをする」とか「迎えに来ている人が居る」などの事情がない限り)。これは、「どこで降ろされるのか」というのが、既にバスに乗っている人にとっての問題だからである。一方で、「どこで乗れるのか」というのは、未だバスに乗っていない人にとっての問題であり、最悪の場合、“バスに乗れない”という可能性もあるため、この意味で、「どこで降ろされるのか」と比較して「どこで乗れるのか」は常に大きな問題だといえる。…と、なんだかもっともらしいことを書いたのだが、実はごく当たり前のことではある。ただ、この当たり前のことが、新路線やルート変更などを考えるうえで結構重要な要素となるし、また、論理学というか哲学的な側面もあって(ないですかね?)面白いと思う”
と書いた。
今回のケースは、まさにその典型例と言えるのではないだろうか。

起点が香椎浜から土井になったり、千早経由が西鉄名島駅前経由になったり、そして今回の変更が行われたりと、「4番」の試行錯誤は続く。
天神から名島、香椎方面へのバスの行先番号は「20番台」が基本なのだが、「4番」については「20番台」ではないのをいいことに(?)、固定概念に束縛されることなく自由に泳いでいる感がある。
もし、「4番」ではなく「24番」などの番号が付いていたとしたら、「明治通り経由に変えよう」という発想は出てこなかったかもしれない。

なお、今回の経路変更により、福岡市博多区の「呉服町」交差点は、4つ全ての方向から「直進、右折、左折」するバスが存在するという、福岡ではかなり珍しい交差点になる(ただ、新「4番」用に新たな乗り場は設置されないため、「4番」は、「呉服町」交差点は通るものの「呉服町」バス停には停車しないようですが)。
まあ、このことに対して価値を見出だす人がどれたけ居るのかという問題はありますが(笑)。

昨年4月の「70番台」の乗り場変更(昭和通り→明治通り)は、“土井方面のバスが都市高速経由と一般道路経由で乗り場が異なることになる”という分散のデメリットよりも、“県庁、箱崎方面の路線を集中させる”ことによるメリットのほうが大きいという判断がそこそこ正しかったようであり、それなりに受け入れられていると思うのだが、今回の「4番」については、“貝塚、名島方面のバスが昭和通りと明治通りで乗り場が異なることになる”という分散でしかない気がしている(一応「4番」の終点は土井営業所ではありますが)。

一方、反対方向については、”明治通りと昭和通りに分かれているシーサイドももち地区への路線を集中させて、利用を高めたいたい”という意向があったと思われる(ただ、この場合、「4番」西行きの土居町から先は「77番」にすべきだと思いますが)。
今回の変更は、こちらの「集中」のほうがまず先にあって、名島方面の乗り場分散はその副産物と見ることができるのかもしれない。

ということは、前にも書いたように、いずれ「東行きのみ昭和通り経由に戻す」ことが行われる可能性もあると思うのだが…いかがでしょう。 

なお、「昭和通り経由が明治通り経由に変わる」と簡単に言っても、実際は、従来の「4番」も、荒戸交差点~地行交差点間で「明治通り」を通っている。
「国体道路」の問題もそうだが、このへんを言いだすとキリがなくなるというか、「通り名」を経由地として採用することの根幹が揺らいでしまうことになるので、あまり深く追求せずに、表面的に見て間違っていなさそうであればそれでいいのかもしれない。


(2)明治通り経由の起死回生策2012年10月27日の記事


「4番」が「昭和通り、石堂大橋経由」から「明治通り、石城町経由」に変更になったのは今年の3月。
それから半年以上経ってこんなチラシが作成されるということは、あまり利用状況が芳しくないのだろうか。

「石城町」がこんなにフィーチャーされることも珍しい。
ターゲットとしては、石城町バス停~築港口バス停あたりの専門学校に通う学生ということだろうか。

地下鉄「千代県庁口」駅から専門学校街(?)まで徒歩、というパターンも多いようなので、そのへんを切り崩す余地がまだあるということなのかもしれない。
「180円」を強調しているのは、天神~呉服町・千代県庁口間の地下鉄運賃「200円」よりも安い…という意味もありそう。
「ほぼ」が付いているのは、“180円あれば、石城町から、西は天神、東はゆめタウン博多まで、だいたいのところには行けますが、だからといってどこでも180円で行けるわけじゃないですよ!”ということだろうか。

「石城町地区から天神地区」の本数、及びアクセス方法が増えたという点(従来の、「25番」天神北、渡辺通り経由、「21番」昭和通り経由に加え、「4番」の明治通り経由)では、利便性は高まったのかもしれない。
一方、「天神地区から石城町地区」で考えると、全体としての本数は増えたものの、乗り場がそれまで以上に分散し、かつ、各路線が待たずに乗れるほどたくさん来る訳でもないため、「石城町地区から天神地区」ほどの利便性向上を実感できないというのが現実なのではないだろうか(それを補完するために、チラシにも「天神周辺乗り場MAP」が付いているのだと思います)。

なお、先に述べた“石城町バス停~築港口バス停あたり”を含むエリアのことを「築港地区」と呼ぶ場合もあり、専門学校は「築港口」付近にも多く立地しているのだが、このチラシで「築港」や「築港口」ではなく「石城町」の文言が用いられている背景についての考察はこちらの記事の末尾を参照。

また、「4番」と「310番」の関係については、こちらの記事の末尾を参照。


(3)昭和通り経由に「逆戻り」2013年3月5日の記事


2012年3月に「石堂大橋、昭和通り経由」から「石城町、明治通り経由」に変更となった「4番」だったが、このたび「石城町、昭和通り経由」に変更となる。

「4番」の明治通り経由への変更については、「分散によるデメリット」が「多様性の提供によるメリット」を上回る感があったので、東行きについては昭和通り経由に戻したほうが合理的なのでは?という主旨のことを以前の記事でも何度か書いたのだが、今回、東行きだけでなく、西行きも含めて昭和通り経由に戻るとのこと。
なお、依然「石城町経由」であることは変わらないため、2012年3月以前の状態に逆戻り…というわけではない。

また、朝に運行されている都心行きの「快速」のみ、引き続き明治通り経由で運行されるとのこと。
これは将来、「呉服町」交差点を石城町→土居町方向にバスが右折することを認めない指導が県警から出されることを回避するための、既得権の公示というか、「免許維持」的な意味があるのかな?などと考えるのだがいかがでしょう。

ちなみに、2012年3月以降、「呉服町」の交差点は、全ての方向からやってくるバスに「直進、右折、左折」のパターンがある(4方向×3=12パターン)という珍しい交差点になっていたのだが、今回の改正で、「土居町→石城町方向」がなくなり、全11パターンとなる。

もともとは旧「24番」が福岡タワーまで行かなくなるのを機に、「香椎浜営業所~御幸町~名島~貝塚~石堂大橋~昭和通り~天神~唐人町~地行~福岡タワー南口」というルートでスタートした「4番」だったが、ルート変更を繰り返し、方向性が定まらないまま存在価値が薄れていく感があるのは非常に残念だ。


3.福大前のバス乗り場にやってこなくなった「12番」

(1)大々的なルート変更とバス停改称2011年3月19日2011年4月4日の記事)


現在の「東七隈~福大前~西片江一丁目(旧長野町)」という経路から、「東七隈~七隈四角~七隈七丁目~福大薬学部前~福大正門前(旧福大病院東口)~西片江一丁目」に変更。
同時に「12番」が通らなくなる現在の「福大前」は「福大東口」に改称。
「3番」福大系統には変更なく、「福大前行き」が「福大東口行き」に変更されるのみ。
以前の記事で、“下手に「福大正門前」と「福大前」が併存する状況を作りだすよりも、「福大病院東口」のままそっとしておいたほうがよかった気もするのだが、いかがだろうか”と書いたのだが、“そっとして”おかなかったのは今回のルート変更フラグだったようだ。
東七隈交差点~七隈四角間が、にわかに活況を呈することになる。

「12番」とは異なり、「16番」の経路に変更はなく、福大東口(現在の福大前)経由のまま。
「無番」の早良高校行きは、福大正門前経由に変更となる。
「140番」で夜間都心向けに一本だけ運行されている福大前~東七隈経由の便も福大正門前経由に変更となり、「福大東口」に停車するのは「16番」と「3番」のみということになる。

今回の変更が、福大の学生さんのニーズに合っているのであれば、それ以上特に言うことはないのだが、実際どうなのだろうか。

天神から福大への「エコルライナー」は、従来の「12番」の経路から城南学園通り経由に変更となり、「エコルライナー」専用の「中村大学前」バス停(下りのみ)が設置されている。
かつて「エコルライナー」が城内経由から赤坂二丁目経由に変更になったのは、筑女の学生の利用を取り込もうとしたためと考えられるが、今回はさらに中村の学生も…ということで、もはや「福大の学生のみをターゲットにしていたのでは成り立たない」ということを示しているといえそうだ。

ただ、そういう対策をすればするほど、地下鉄と同じようなルートになってしまうというのが皮肉な感じもする。

今後、学生の数は減っていくので、エコルカードの利用者数を増やすのは難しいのかもしれないけど、保有率を高めることを考えるとすれば、例えば、「赤間急行」の朝の数便を「エコルライナー」のルートで福大まで延長するとか(天神北ランプ経由にして、天神北で降車扱いしたあと、天神協和ビル前に向かいそこからはエコルと同一経路)、もっとダイナミックな工夫が求められるのではないだろうか。
目先の収益性や運用の効率を考えればなかなか厳しいのかもしれないけど、エコルカードが「使える」カードであることをアピールして保有率を高めて、将来にわたっての西鉄の顧客の囲い込みを行うということは必要と思われる。


「福大の学生のみをターゲットにしていたのでは成り立たない」というのは、「12番」のルート変更にもつながる話といえるかもしれない。
今回の改正で、これまでの「福大病院行き」はなくなり、「片江営業所行き」の一部が福大病院に立ち寄るようになっている。

「片江営業所行き」でみると、「福大正門前」に停車する前に病院敷地内に入って「福大病院」バス停に停車することから、「福大正門前」を利用したい人にとってはなんとももどかしいルートだが、「福大病院」に立ち寄る系統をある程度走らせることで、「保険」をかけているようにもみえる。


(2)わずか3ヶ月で逆戻り2011年7月5日の記事


「12番」の福大地区のルートが今年3月までの状態に戻される。
そして、「福大前」から「福大東口」に変更された停留所名も再び「福大前」に戻される。

具体的には、
「~東七隈~七隈四角~七隈七丁目~福大薬学部前~(~一部、福大病院構内~)~福大正門前~西片江一丁目~」というルートが、
「~東七隈~福大前~西片江一丁目~」に変更となる。

改正の「お知らせ」には、
「※1 停車バス停の変更は西片江一丁目~東七隈間のみです」
「※2 桧原営業所系統、福大病院乗り入れ系統については、福大正門前経由のままで、経路変更はございません」
とあり、「元の状態に戻します」とは一言も書かれておらず、「たいした変更じゃないんですよ」とでも言いたげ(笑)。

でも、ルートを元に戻すだけでなく、バス停名までも「福大前」に戻して、あたかも今年春の改正を「なかったこと」のようにするというのはなかなか大がかりであり、大学やその関係者側などからの何らかの要請もあったのかもしれない。
4月1日の記事は、少し皮肉の思いを込めて書いたつもりだったのだが、現実がその上を行ってしまった感じだ(笑)。

まあ、鉄道とは違い、あれこれとルートを変えられるのがバスの利点といえぱ利点なのかもしれない。
春の改正で、どこかに一言「試行」とか「社会実験」とでも書いておけばよかったのに、と余計なことを思う。

なお、一応残る「※2」の、福大正門前を通るほうは「12-1番」に変更されるとのこと。

「12番」とともにルートが変更になった「エコルライナー」のほうは、福大行きは現行のままで、福大発のほうが「福大前」発になるようである。
これは、以前書いた「どこで降ろされるのか」と「どこで乗れるのか」の問題の好例といえよう。




(3)そしてフェードアウト2013年3月5日の記事

2011年の4月に、「福大前」が「福大東口」に改称され、「12番」が「福大前経由」から「福大正門前経由」になったのだが、そのわずか3ヶ月後の2011年の7月に、「福大東口」が「福大前」に戻され、「12番」が「福大正門前経由」から「福大前経由」に戻った。

その際、「福大正門前経由」もわずかに残り、それが「12-1番」として運行されていたのだが、その路線も今回廃止となり、2011年4月まであった「福大前経由福大病院行き」が復活し、2011年4月以前の状態にほぼ逆戻りとなる。
「負け惜しみ」感が強かった「12-1番」だったが、今回の改正を機に“フェードアウト”である。
なお、当時の「福大病院行き」は倉瀬戸(現在の西片江二丁目)経由であるのに対し、新系統は福大正門前(当時は深夜バス用の「福大病院東口」→「福大正門前」)経由なので、全く同じという訳ではない。
(つづく)

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see the light of day(14)

2017年02月11日 | バス━ 未分類
(つづき)
今回は思い付きで、西鉄バス福岡地区の40番台について書いた過去記事からピックアップ。

まとめが続いていますが、ブログを春で終わらせるつもり…というわけではありません、とりあえず今のところ(笑)。
なお、基本的に記事をそのまま転載しているため、情報は当時のままです(ずっと変わらないと書いている「46番」は、昨年春に久々に変わっています)。


1.甘木の「40番」と板付団地の「40番」2008年3月7日の記事

「5番」(能古渡船場~西新~博多駅線)の廃止、これは結構意外だった。
この「5番」は、もともと「1番」の能古渡船場行きが「愛宕下経由」から「博物館南口経由」に変更になってしばらくして、「1番」から分離されてできたものである。

愛宕下経由の頃は「1番」でもよかったのだろうが、さすがに脇山口交差点を曲がって北上するようになっても「1番」というのはかなりわかりにくかったらしく(このバスは藤崎方面には行きませんというアナウンスも流れていた)、「1番」から独立して「5番」となり「能古渡船場~博物館南口~西新~天神」の路線となった(のちに博多駅まで再延長)。

ちなみに、「1番」の時代は、博多駅から先、板付7丁目まで運行されていた。
学生時代、山王公園前バス停そばの南近代ビルで、ベネッセの「進研模試」の採点のバイトをしていたのだが、西新や天神から一つ前の瑞穂まで220円で行けるためこの路線をよく利用していた。

「5番」ができた際、この板付七丁目線については「40番」として独立し、「板付七丁目~博多駅~天神~西公園」という路線となった(現在は天神や西公園までは運行されていない)。

現在「二日市~甘木~杷木」を走っている「40番」は、かつて博多駅や天神まで運行されており、この「40番」というのは福岡市内線の連番の名残なのだが、板付七丁目線が新たに「40番」となることでその面影が薄れ、ひとつの時代が終わったなぁ…と思ったものだった(ただしその後、甘木から都市高速経由で博多駅に向かう路線が「40」の末尾に「0」を付けた「400番」として新設されており、「40番の本家は私だ」と主張しているようにも見える)。

しかし考えてみれば、現在の「5番」も「40番」も以前はすべて「1番」だったわけで、さらに姪浜駅以南が分割される前のことを考えれば、「1番」がどれだけ複雑な路線であったかがわかる。


2.「41番」と「43番」について~飛ばされた「42番」とその野望~2010年5月28日の記事


「43番」はもともと、「雑餉隈営業所~中~金隈~板付~東光町~堅粕~博多駅~明治通~天神~赤坂門~薬院大通~動物園」というルートで運行されていたが、郊外部&都心部の両端がそれぞれ切れて、真ん中だけが残っているという点では「68番」にも共通するものがある。
なお、「43番」自体は、「雑餉隈営業所~中~金隈~宝満尾~福岡空港」という新たな系統ができ、現在はそちらがメインとなっている(緑橋経由の「33番」廃止後、無番の「金隈~福岡空港」を経て、登場したという記憶がある)。

「金隈~博多駅」の「43番」と、「雑餉隈~福岡空港」の「43番」は、「金隈~月隈間」のほんのわずかな区間しか重複しないのに、どちらも同じ「43番」という状態になっている(「タワー~博多駅」と「博多駅~ゆめタウン博多」の「15番」よりはましだろうか??)。

もともとの「43番」は、「41番」と兄弟関係にあり、ともに雑餉隈と福岡都心部を結んでいて、「麦野経由」(41番)か「金隈経由」(43番)か、という違いだったのだが、今では「兄弟」の面影は薄くなってしまった。
現在、「東光町」と「博多駅」の間は、「43番」がここ「堅粕」に停車するのに対して、「41番」は東光橋を渡るためどこにも停車しないのだが、以前はどちらも堅粕経由だったと思う(←もともとは東光橋自体がなかったんでしょうけど)。

なお、「兄弟」であるにも関わらず、「44番」と「45番」、「47番」と「48番」、「51番」と「52番」、「56番」と「57番」…のように、番号が続いていないのは、当初「42」という番号を忌み嫌ったためではないかと推測される。
同じく忌み嫌われそうな「44番」も、もともとは「45番」の一部だったものが、のちに分割されたと思う。
そして、「42」についても、その後、番号が足りなくなって、縁起を担ぎ続ける訳にもいかなくなり、「春日~大橋線」の番号として使われるようになり、現在に至っている。

ただ、この「42番」は、福岡市内線というよりは春日ローカル線といったほうがよさそうなルートであり(方向幕の行先番号も丸数字)、敢えて「42」を付ける必要があったのか?という気もする。
しかしもっと深読みすれば、“はじめは大橋駅までの運行でスタートさせるが、いずれは天神や博多駅など、福岡都心部に乗り入れてみせるぞ!”という密かな「野望」があったのかもしれない。


3.相対的に新しい「44番」と筑紫通り前史2011年7月28日2016年10月14日の記事)


福岡市博多区の「麦野四丁目」バス停。

「雑餉隈営業所~南本町~麦野四丁目~諸岡四角~青果市場前~山王一丁目~博多駅~住吉~天神~都市高速~福岡タワー南口」を結ぶ「44番」のルートになっている。

このバス停は通称「筑紫通り」上にあるのだが、「麦野」の下にコトバが付かない単に「麦野」という名称のバス停は、「41番」が通る県道福岡日田線(旧国道3号)上にある。

県道福岡日田線上には、「板付」というバス停もある。
そして、「板付」の下にコトバが付く「板付新橋」は「麦野四丁目」と同じく「筑紫通り」上に、そして「板付四丁目」「板付七丁目」などは県道福岡日田線と「筑紫通り」の間のまた別の筋にある。
「板付」「麦野」ともに、それぞれの町域の中央部に位置するという訳ではないにもかかわらず、下にコトバが付かない名称のバス停を県道福岡日田線が独占している。
もし、全く白紙の状態から一斉にバス停に名前を付けたとすると、こういうことは起こらないと考えられ、路線網の成り立ちというか、形成の過程を窺い知ることができて面白い。

このような例は、清水(町)、梅光園、警弥郷、橋本…などでも同様といえるかも(全く同じという訳ではありませんが)。

ちなみに、このバス停が立っている住所は、郊外向けは「麦野四丁目」だが、写真の都心向けは「三筑二丁目」である。
「三筑」は、バス停の名称にはなっていない地名であり、城南区「松山」と同じく私にとっては近くて遠い場所である(笑)。


「那珂小学校」交差点で、筑紫通りから北西に分岐するこの道路は、かつてのバス通りだが、ここをバスで通った記憶がないのが悔やまれる。
まっすぐ行くと「東光寺」。


青が旧バス通り。
道路のつながり方をみると、これと並行する赤の部分に新しい道路を造りたかったのでは?という意図が感じられる。


ただし、現在の都市計画図にはそのような計画線はなし(赤い線は用途地域の境界、紫やピンクの色は用途地域であり、都市計画道路とは関係なし)。
間に古墳や工場があって難しそうだったから早々に諦めたのでは?などとも考えるのだが、その計画の有無を含め、全て想像です。


4.遠回り(←褒め言葉)の「45番」2012年10月14日2010年5月9日の記事)


博多バスターミナルにて「45番」の側面表示。

例えば、バス路線の「線」が引かれていない地図と照らし合わせながらこの行先表示を見ても、“どの道を通って終点の雑餉隈営業所まで行くのか?”というのはまずわからないと思われる。
ただ、「36番」「46番」「74番」…など、同様の路線には、経路がわかりやすい路線以上に魅力を感じてしまうのも事実。


福岡市では、「千代町」「警固町」などの旧町名の後に「丁目」を付ける場合、「千代一丁目」「警固二丁目」のように「町」が取れるケースが多いと思うのだが、春日市では「宝一丁目」「光三丁目」「春日原北四丁目」などとはならず、「宝町一丁目」「光町三丁目」「春日原北町四丁目」など、「町」が取れなかったケースが多い(←一つ一つ検証した訳ではなく、イメージで書いているので、事実誤認の可能性もあります)。
このあたりは、自治体の考え方次第なのだろうか。

また、春日市には「住居表示」というものがなく、「地番」が「住居表示」のように機能しているという珍しい市でもある。
そういう意味でも「お宝」かも。

ここ「宝町」を通る路線は「45番」と「45-1番」だが、行先番号の種類の割に系統数は多い。
天神や福岡タワーまで行かなくなり、都心部では影が薄くなってしまった感がある「45番」だが、郊外部では、福岡女学院がある限り賑わいが続きそうだ。
ただ、都市計画道路長浜太宰府線の、三宅本町から寺田池までの間が開通すれば、人の流れが井尻から大橋にシフトする可能性はある。

私が子供のころは、昇町方面から来た「45番」は宝町交差点を左折して、県道福岡筑紫野線を北上、岡本交差点を右折して雑餉隈営業所に向かっていたが、後に、宝町交差点を直進する「大和町一丁目経由」ができ、両者が併存していたが、その後、現在の「大和町一丁目経由」だけが残った。
それより昔は、「45番」は「唐梨経由」だったという記述をどこかで見たこともあるのだが、その頃のことは知らない。


5.我が道を行く「46番」2010年9月26日の記事


「博多ふ頭~博多ふ頭入口~対馬小路~市民会館前~天神北~天神大丸前~天神一丁目~キャナルシティ博多前~駅前三丁目~博多駅~駅前四丁目~東領団地~アサヒビール前~竹下~井尻一丁目~井尻駅入口~井尻六ツ角~精華女子短大前~寿町二丁目~JR南福岡駅~雑餉隈営業所」を走る「46番」の天神地区における側面表示。

博多駅から雑餉隈営業所に向かうルートは複数あり、かつ、「46番」が雑餉隈営業所まで行くようになったのはつい最近(今年3月23日)で、博多駅から雑餉隈へのメインルートでもないことから(雑餉隈まで延長される前は井尻六ツ角が終点)、「博多駅→雑餉隈営業所」という表示ではやや不親切に見える(前面の行先表示も、行先部分の上に大文字で博多駅、下に雑餉隈営となっている)。
“博多駅から先の利用者は常連客なので「46」という番号で判断できるだろうから、天神地区においては、博多駅までの利用者に対してわかりやすい表示にすることを主眼に置こう”という考えもわからないではないのだが、せめて「竹下」と、できれば「井尻」はどうにかして入れてほしい気はする。

なお「46番」の郊外部は、「井尻六ツ角」までの運行となるさらに前は、「~放送所前~昇町~上白水~現人橋~道善~那珂川営業所」まで運行されており(一時期は「天神山行き」もあり)、そしてさらにその前は、もっと郊外の「大山」まで運行されていたそうだ。

都心部についても、「博多ふ頭」が始発となる前は「天神」や「那の津四丁目」を基点としていた(なお、当初は国体道路経由ではなく昭和通り経由で、天神郵便局前から出ていたようだ)。
郊外部と都心部での変化はあるものの、「駅前四丁目~竹下~井尻」間については、私がバスに興味を持ってから既に30年以上が経つが、その間ずっと固定されており、この区間に「46番」以外のバスが通ったこともないと思われ、都市部にありながら、距離的にも期間的にも、路線がずっと固定されている。

このことを以前書いた際、ひろしさんから「担当営業所はちょこちょこ変わりましたけどね。」というコメントをいただいた。
たしかに、現在は「雑餉隈営業所」が担当しているが(←私が担当営業所とか車両のことについてほとんど興味がないため、違っていたらごめんなさい)、福岡の「1番」や大野城の「12番」などとともにKassyさんから提供していただいた平成9年の「46番」の時刻表では担当は「高速営業所」となっているし、「那珂川営業所」が担当していたこともあったと思う。

「46番」が長年あまり変わらないのは、「46番」には「営業所への帰属意識」というものがあまり強くなく、各営業所とも、「46番」という路線を「持っている」というよりは「預かっている」くらいの心もちなので、あまり大きく変えることには気持ちが向かわないのかもしれない。
そう考えると、井尻六ツ角から雑餉隈営業所までの延長というのは、かなり画期的なことといえるのかもしれない。

今後さらに、以前提案したルート変更竹下駅への「46番」以外の路線の乗り入れなどが行われることはあるだろうか…。


6.仲の良い「47番」と「48番」2009年9月11日2008年9月27日の記事)


福岡市博多区の「塩原橋」バス停。

福岡地区の兄弟路線「47番」と「48番」の違いは、郊外側の終点が「那珂川営業所(47)」か「レークヒルズ野多目(48)」かと、パナソニック前~清水四丁目間が「清水一丁目・清水二丁目経由(47)」か「美野島南公園前・塩原橋経由(48)」か(=那珂川の西岸経由か東岸経由か=どちらが早く那珂川を渡るか)という2点である。

2点めの違いについては、現在「47番」が通っている道路が開通する前は、全て「美野島南公園前・塩原橋経由」だったようだ(ただし、かつては「美野島南公園前」ではなく「福岡製紙前」)。
個人的には、「清水一丁目・清水二丁目経由」よりも「美野島南公園前・塩原橋経由」のほうが好きであり、「47番」と「48番」なら、つい「48番」を選んで乗ってしまう傾向にある。

ただ、最近は橋の架け替えに伴うルート変更により、那珂川東岸での滞在時間は以前より短くなっている(現在は「これより右折」して橋を渡るが、以前は「もう少し直進」だった)。
那珂川とJRの博多運転区により隔てられている南区の清水・塩原地区と博多区の美野島・竹下地区だが、橋の架け替えや新設を含むこのあたりの再開発により、心理的な距離は、以前に比べて縮まってきているような気がする。

バス停の行先案内の部分には、「48 福商・野多目」と表示されているが、2007年3月以降は、「63番」もここを通るようになっている。
「福商」とは「福商高校前」のことであり、福商高校とは福岡商業高校のことだが、現在は校名、バス停名ともに「福翔高校」に改称されている。
「福商高校前」は、かつては「48番」の「狭義の終点」であったが、現在は「福翔高校」を複乗して、「レークヒルズ野多目」まで延長されている。
「福商・野多目」という表現は、「校名変更よりもレークヒルズ延長のほうが時系列的に先」ということを物語っているといえそうだ。


「47番」「48番」の昭和58年8月1日当時の時刻表。

松下電器前(現在の「パナソニック前」)からは、以下の行先が運行されていた(本数は平日のもの)。

・都心向け
「47番」「48番」
 駅前四丁目経由博多駅行き…61本
「47番」
 駅前四丁目、博多駅経由祗園町行き…22本
「48番」
 駅南三丁目経由博多駅行き…6本

・郊外向け
「47番」
 清水二丁目経由、大橋駅経由那珂川営業所行き…31本
「47番」
 清水二丁目経由大橋駅行き…8本
「47番」
 清水二丁目、大橋駅経由三宅本町行き…18本
「47番」
 清水二丁目、大橋駅経由福商高校行き…2本
「48番」
 福岡製紙前、大橋駅経由福商高校行き…29本

当時の都心向けは合計で89本であったが、現在は132本となっており、約1.5倍に増えている。

都心向けに関しては、現在は博多駅から博多埠頭まで終点が延びている(ただし、博多駅→博多埠頭間は「99番」として運行)。
また、当時は「祗園町行き」が存在した(「博多駅」の下に小さく「(渕上前・祗園町)」と書かれた方向幕があったことを記憶している)。
「駅南三丁目経由」は、この時点で6本しかないが、現在でもしぶとく生き延びている。

郊外向けの「福商高校」とは、今の「福翔高校」のことであり、現在はそこから「レークヒルズ野多目」まで終点が延びている。
当時は、通学用に「大橋駅~福商高校」の区間便も存在した。
「福岡製紙前」は、その後「本州製紙前」→「美野島南公園前」と名称を変えており、工業地域から住宅地域へと変わっていく様子を反映している。
また、当時は「47番」に「三宅本町行き」が存在したが、西高下、三軒屋、小笹団地東門などと同様、途中の折り返し場は減少傾向にある。

松下電器前~清水二丁目~塩原方面の道路は比較的新しく、もともとはすべて「福岡製紙前」を通っていたが、その後、「47番」が清水二丁目経由、「48番」が福岡製紙経由と区分されるようなった。
また、美野島交差点~博多駅前四丁目交差点に関しても、昔は、現在の経路(旧鹿児島本線の線路跡の道路)ではなく、そのひとつ西側の道路(通称「小柳通り」)を通っていた。
ただし、この二つについてはリアルタイムでの記憶がないため、過去の地図やその後見聞きした情報などを総合したうえでの推定であり、誤りがあるかもしれません。


7.飯倉にも来ていた「49番」2008年6月6日の記事


昭和59年4月27日時点の「49番」の時刻表の一部。

「49番」は当初、弥永団地~天神間で運行をスタートした。
それまで弥永団地には「45番」のみが乗り入れており、昇町経由で井尻駅、博多駅方面、及び南福岡駅、雑餉隈営業所方面への路線が運行されていたが、香蘭短大前交差点から那珂川町方面に抜ける通称「新幹線通り」の整備により、この道路を通って大橋駅、天神方面に向かう「49番」が新設され、福岡都心部への利便性が向上した(現在、弥永団地に「45番」は乗り入れていない)。

昭和58年3月の福岡市営地下鉄1号線(現在の空港線)の姪浜までの開通のときの大改正により、「49番」は「西と南の副都心(西新と大橋)を結ぶ」という使命を担って、天神から先、貫線(現在の明治通り)、西新を経由して飯倉まで延長された。

なお、このときの改正で「西と東の副都心(西新と香椎)を結ぶ」ということで、「2番」が城浜団地、香椎花園まで延長された。
ただ、「2番」の城浜団地行きは香椎を通らないし、また「49番」についても、本当に西新と大橋を結ぼうという気があればもっと速いルートもある訳で、「副都心を結ぶ」というコンセプトも「後付け」の感が強い。
実際のところは、「とりあえずいろんなところを直通で結んで乗り換えの必要性を減らして、地下鉄に対抗しよう」という、現在も脈々と受け継がれる思想がバックにあったような気がする。

なお、飯倉行きは短期間で縮小され、西新止めが多くなり、最終的には天神から西へ向かうルートは廃止された。
また、弥永団地より南の郊外部分については、JR博多南駅の開業や、春日市南部や那珂川町の住宅団地開発(白水ケ丘や観晴が丘など)等に合わせて路線延長が行われている。

当時、弥永団地からの上りの本数(平日)は、
 西鉄大橋駅止め 24本
 天神止め    1本
 飯倉営業所行き 28本
の計53本であったが、現在では、
 西鉄大橋駅止め 44本
 天神方面行き  41本(天神行き、那の津4丁目行き、「630番」と連続運行する呉服町方面行きの合計)
の計85本となっており、約1.6倍に増えている。

ちなみに、「49番」のオリジナルルート上には福岡市南区の曰佐(おさ)地区(「お」の字は「曰」であり「日」ではない)があるが、読みにくいという判断からか、「49番」が走り始めた頃の方向幕には「曰佐」に「ふりがな」が振ってあった。
(つづく)
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see the light of day(13)

2017年02月06日 | バス━ 未分類
(つづき)
前回、福岡の「97番」について触れたので、過去に90番台について書いた記事からピックアップ。
なお、基本的に記事をそのまま転載しているため、情報は当時のままです(六本松二丁目には、今は「54-1番」も停まります)。


1.「93番」について(1)2009年8月30日の記事


昭和59年4月27日時点の「93番 荒江線」の時刻表である。

私が物心ついたときの「93番」は、「早良妙見口~荒江四角~六本松~国体道路~天神~福岡競艇場/~昭和通~博多駅」というルートを走っていた。
それより前は「西高下」(現在の講倫館高校前)を発着するものもあったらしく、「91番」「92番」「93番」はかなり仲の良い兄弟路線だったようだ。

子供の頃、野芥三丁目から奥の堂に行く際、いつも「3番」では面白くないので、「12番」や、この「93番」を好んで利用していた。

この時刻表の当時の「93番」は、
「早良営業所~早良妙見口~飯倉営業所~荒江四角~六本松~国体道路~天神~石城町~港湾局前~千鳥橋~妙見~吉塚駅前」と、
「早良営業所~早良妙見口~飯倉営業所~荒江四角~脇山口~藤崎~室見団地~原北中学校前」
という、全く性質の異なる2系統が運行されていた。
こうなった経緯については以前書いたことがあるのでそちらを参照していただきたい。

吉塚駅前系統は、私が生まれた1973年に廃止された市内電車吉塚線の代替路線(と思われる)「80番」(渡辺通一丁目~天神~石城町~港湾局前~千鳥橋~妙見~吉塚駅前)を併合してできたものであった。
そして、「93番」吉塚駅系統の廃止後、再び「80番」として復活し、その後「85番」の派生系統として「福博循環線」に組み込まれ、その後また廃止となっている。

「80番」は後に、市内各地から天神を経由して中央ふ頭(博多港国際ターミナル)に向かう路線が「天神→中央ふ頭間」で番号を統一する際の数字として使われるようになり(その後、2008年、2009年と、「統一」はさらに進んでいる)、さらにその後、「博多駅~キャナルシティ~天神~中央ふ頭」を走る路線の番号としても使われるようになっている。
こう考えると「80番」は、途中、幾度かの廃止や復活を経てはいるものの、天神~築港地区を結ぶ路線としてかなりの歴史を有するといえる(ただ、今年6月の「中央ふ頭→築港口→千鳥橋」の廃止により、吉塚駅方面へのルートの面影はなくなってしまったが…)。

室見団地系統のほうは、現在のように「93番」が藤崎止まりになって以降は、城南線から来た「10番」が原北中学校まで乗り入れるようになり、その後、現在の「8番」登場に至っている。
「原北中学校前」は、「月見町」「板付団地」「八幡東ニュータウン」などと同様、「反対側の起点との組み合わせによって振り回される場所」の典型例であったが、「8番」になってからは原北中学校前から室住団地まで路線が延びたため、その位置付けにも変化がみられる。

吉塚駅前系統の廃止、藤崎~原北中学校間の廃止により、「93番」は「早良営業所~藤崎」のみの運行となった。
その後、四箇田団地から早良街道に抜ける新道の開通により、末端部分が早良営業所ではなくなり、少し手前で分岐して、早寿園前~四箇田団地に向かうようになり、ややオリジナリティが付加されたカタチとなって現在に至っている。
四箇田団地(野芥二丁目経由)、西入部、早良国民宿舎など、郊外で国道263号から分岐するルートは衰退傾向にあるが、「93番」は大丈夫だろうか…。


2.「93番」について(2)2009年2月21日の記事


来る2月28日より、早良営業所とマリノアシティ福岡を結ぶ路線が、土日祝日のみ、8月30日までの期間限定で運行を開始する。

【早良営業所~飯倉~脇山口~藤崎~愛宕下~豊浜団地~マリノアシティ福岡】
という、「3番」の早良営業所~西新間と「9番」の西新~マリノアシティ間を足し合わせたようなルートである。

香椎~マリノアシティ線の失敗という先例を踏まえているからなのか、できるだけリスクを回避したようなルート設定であり、裏を返せば、「面白み」にはいまいち欠ける気がする。
例えば、荒江の先から左折して、昭代、室見三丁目、愛宕一丁目経由とかだったら、ちょっと乗ってみようかな?という気にもなれたかも(失敗のリスクはかなり高まりそうだけど…)。

新路線の番号は「93番」であり、藤崎→早良営業所間のみは「3番」として運行されるようである。

「90番台」の成り立ち、及び、「93番」のもともとのルートについては、以前書いたことがあるのでそちらを参照していただきたい。

現在の「93番」は、
 【四箇田団地~早寿園前~飯倉~脇山口~藤崎】
というルートで運行されている(新路線開設後も継続して運行される)。
運行は平日のみであり、終点の藤崎にある早良区役所が開いていない土日祝日は、
 【四箇田団地~早寿園前~飯倉~脇山口~西新パレス前】
というルートで「3番」として運行されている。

このことから判断して、現在の「93番」という番号は、「藤崎に行く」もしくは「藤崎から出る」という事象に独自性が見出されて付けられている、換言すれば、「93番」が「93番」たる所以は(四箇田団地~早寿園前~重留新町を通るからではなく)藤崎を通るからだということができる。
そうであるならば、今回新設されるマリノアシティ線が、藤崎→早良営業所間を「3番」として運行するというのは本来適切ではなく、脇山口→早良営業所間を「3番」として運行すべきであろうと思われる。
まあ、こういう矛盾は他にもた~くさんあるので、あまり熱く語ってもしょうがないのだけど…。

ちなみに、このマリノアシティ線、期間限定でありながら、「ご利用状況に応じて、期間の延長もあります」とも書いてあった。
こんなこと別に書かなくてもいいのにね…とも思ったが、運行開始後は、どういう「ご利用状況」になるだろうか…。


3.「95番」について2011年2月25日の記事


福岡市城南区の「東七隈」バス停。

行先案内の部分には、「140 茶山、明治通(経由)天神」「3 干隈、荒江四角(経由)西新、天神」と書いてあって、たくさんバスが来そうな感じもするが、実際は、各系統それぞれ一日一本ずつで、計3本しかない。
「福大前~東七隈~小松ヶ丘方面」に運行する「12番」や「16番」などが停車するほうの「東七隈」は、かなりの本数がやってくるが、「福大通り」の東七隈交差点と七隈四角交差点の間にあるこののりばは、長らくこんな感じである。

ずいぶん前の記事で、“多くのバスが通る2つの道路に挟まれた地域は、相対的に本数が減る傾向にある。多くのバスが通る道路まで歩けばよいのだから、そのバス停単独でみると利便性の低下は限定的なのかもしれない。ただ、本来は、タテとヨコの軸が連携して「ネットワーク」が生まれるのであり、タテばかり充実してヨコがスカスカとなってしまっては、「本数の割りに使い勝手が悪い」という状況が進んでしまい、効率は良くないと言える”と書いたことがあった(「700番」の登場で、ヨコの軸も一応カタチが整ったので、「700番」がもし本格運行されれば、既存の他のヨコ軸ルートがさらに縮小されてしまう可能性はあると思う)。

同じ「福大通り」上の、七隈四角交差点から先の干隈三叉路までの区間は、まさにそんな場所で、かつては「14番」の「飯倉営業所行き」や「3番」の「椎原・曲渕~福大病院」なども走っていたが、現在は「3番」の「福大前~東七隈~七隈四角~干隈~荒江四角~西新~天神」が2.5往復走るだけである。
一方の、ここ「東七隈交差点~七隈四角交差点間」については、かつてはたくさんバスが走っていたものが衰退した…というよりは、ずっとひっそりとしている感じである。

とはいえ、私が子供の頃は、「3番」の「片江営業所~福大前~東七隈~七隈四角~干隈~荒江四角~西新」という系統が日中も一時間に一本程度運行されていたと思う。
そしてその後、既存の「3番」の日中の便を全て振り替えるというカタチで、「95番」(片江営業所~福大病院~七隈四角~茶山~別府四丁目~荒江四角~脇山口~藤崎。現在は藤崎ではなく、福岡タワー南口まで運行)が登場して以降、「3番」の福大系統は一日数本という状態が続いている。
なお、「3番」の福大系統は、数年前(このブログを始めるよりも前だとは思いますが、具体的なことは覚えておりません…)に一旦廃止となったことがあり、その後再び復活して現在に至っていることから、一定の需要はあるのかもしれず、計り知れない生命力のようなものも感じる。

「95番」が登場したのは、昭和58年の国鉄筑肥線の姪浜~博多間廃止により「11番」から番号を変えた「96番」、昭和57年の西区の分割により誕生した「97番」よりも前だった…ような気がするのだがどうでしょうか(西区の分割前、現在の城南区のエリアから西区役所がある藤崎に行く路線として開設された…と考えれば、合っている気もする)。
「94番」(片江営業所~油山団地~堤~北片江~田島~城南区役所前~鳥飼~西新パレス前。現在は福岡タワー南口まで)の登場は、「95番」「96番」「97番」よりも遅かった…ような気がするのだがこれもどうでしょうか(これも、「4」という数字を飛ばして付ける傾向からすると合っている気もする)。

このバス停は「福大通り」上に立って(建って)いるが、「福大通り」とは、城南区の片江一丁目交差点(バス停でいうと「北片江」の近く)から干隈三叉路交差点までの区間に付けられた福岡市の「道路愛称」である(ちなみに、私が子供の頃は、「福大通り」のうち、現在「16番」のルートとなっている片江一丁目交差点~小松ヶ丘交差点間の道路はまだ開通していなかった)。
片江一丁目交差点から東の南区清水四ツ角交差点までは「大池通り」、その先、博多区の国際線北口交差点までは「きよみ通り」という愛称が付いている。

愛称が付いた時期は、「大池通り」(昭和54年)が先で、その後「福大通り」(平成元年)、「きよみ通り」(平成6年)と名前が付いていった。
「きよみ通り」~「大池通り」~「福大通り」は一続きの道路なので、全区間「大池通り」ではダメだったのだろうか?ということをたまに考える(今から変えたほうがいいと言っている訳ではありません)。
市内の道路が長い区間一本でつながっているということがイメージできれば、一般の人が道路を「軸」として認識しやすいのではないだろうか。
同様に、城南区の別府六丁目交差点から東区の千早駅裏までの区間についても、全区間「百年橋通り」としては?というのはやや乱暴だろうか。
「別府橋通りと今宿新道」、「パピヨン通りと吉塚通り」なども同様で、「一本でつながっている」という道路の“連続性”というものにもう少し価値を見出だしてもよいのでは?という気がしている。
まあ、「一本でつながっている」とはいっても地域の表情は移り変わっていく訳なので、「連続性」よりも「地域性」を重視したほうがよいのだという考えもわかるのだけど。

ちなみに、この「東七隈」バス停の向かい側は「松山」という町名である。
「松山」は、城南区の中で唯一バス停名として使われていない(「堤団地」など、団地名が町名となっているものを除く)町名であることから、私にとっては近そうで遠い場所である(笑)。


4.「96番」について2009年6月2日の記事


福岡市中央区の「六本松二丁目」を取り上げてみる。

このバス停には「96番」のバスが「藤崎~西新四丁目~六本松二丁目~笹丘~島廻橋~長住三丁目~自動車免許試験場~柏原~桧原営業所」というルートで運行されている。
この「96番」はもともとは「11番」を名乗っていたが、国鉄筑肥線廃止時に新設された三つの代替路線のうちのひとつ(昭代三丁目~六本松~城南線~博多駅。その後、藤崎と中央ふ頭まで延長)に番号を譲って、「96番」となった。

この「96番」のルートは、友泉団地交差点~六本松西交差点間の道路が開通して油山観光道路が全通したのに伴い「13番」「16番」などとともに樋井川沿いの県道経由から油山観光道路経由に変わった以外、長年ほとんど変わっていない(考えてみれば、観光道路全通前までは、樋井川沿いの県道のうち別府団地~友泉第二〔現在の友丘〕間には「11番」「12番」「13番」が連番で走っていたということになる)。
「94番」の終点が西新パレス前から福岡タワー南口に延びたり、「95番」の終点が藤崎から福岡タワー南口に変更になったりと、「96番」の仲間的な路線が地味ながらも時代についていこうとしているのとは対照的である。
ただし「96番」も、この六本松二丁目経由ではなく城南区役所経由の「区役所96番」という路線がほんの一時期走っていたことがあったが(たしか一日一本)、これもすぐになくなってしまった。

南区の「井尻」が「井尻六ツ角」に改称される際、地名の下に何も付かないバス停と、下にコトバが付くバス停との「格」の違いみたいなことを書いたが、ここ「六本松」は、早良区の「原」とともにその好例である。

「96番」は、この付近を走るバスの中では例外的に、国道202号と城南線とが交差する「六本松」の交差点(バス路線と市内電車が交差していた交差点)を通らないことから、「六本松」のバス停と位置的に近いにもかかわらず「六本松」とはせずに「六本松二丁目」という名前にしているということなのかもしれない。
「渡辺通一丁目」などとは異なり、「六本松」のバス停は、交差点の西側のみにしかなく、バス停としての「六本松」の「重心」は、六本松の交差「点」よりもかなり西側に移っていると思われる(地下鉄七隈線六本松駅の開業で、重心移動がさらに強くなった感あり)ことから、この「六本松二丁目」についても単に「六本松」としてしまっても特に問題ないような気がする。
ただ、方向幕の時代から「96番」の経由地は、「六本松二丁目」と表記している場合もあれば単に「六本松」と表記している場合もあり(現在のLEDでは「六本松二丁目」と表記されている)、「別にどっちだっていい」という感じなのも確かであり、何十年も使われている名称を今さら変えても無用の混乱を引き起こすだけなのかもしれない。

かつて、「90番台」の成り立ちについて、「旧西区の区役所連絡バス」だと書いたことがあるが、早良区の区域で「96番」でなければ藤崎(早良区役所)に行けないという場所はないことから、この「96番」は、現時点ではそのような役割は担っていない。


5.90番台の先駆者たち2007年5月17日2007年5月18日2007年5月19日の記事)

「91番」は、現在の「7番 昭代線」のルーツである。

【野方/西高下/藤崎~弥生2~昭代~六本松~国体道路~天神~中央営業所】

というルートを走っていた。

その後「1番」と統合されて「7番 鳥飼循環線」となり(「1番」はそのまま残った)、さらにその後、循環運行休止に伴い、もとの「91番」の部分が引き続き「7番」として残ったものである。

「7番」はその後、「四箇田団地行き」「原行き」などができたりしたが、現在は「姪浜駅南口行き」でほぼ落ち着いている(一時期は「姪浜(発着所)行きもあり」)。
また、都心部分は東に延びて、「吉塚営業所」まで運行され、「14番」衰退のあと、今泉地区~川端・呉服町方面を結ぶ貴重な足にもなっている。

「92番」は、

【野方/西高下~原~六本松~警固町~昭和通り~天神】

というルートを走っていた。

「90番台」はもともと、「1番」「2番」「3番」などの西部地区のメイン路線を補完する路線として位置付けられていたようだ。
それが、旧西区の分割により新たな区役所連絡路線の開設が必要となってきたこと、「200番台」の国体道路経由の路線が充実したことなどの理由から、「旧西区(西区、早良区、城南区)の区役所連絡バス」へと役割が変化し、現在に至っている。

「90番台」の位置づけの変更に伴い、この「92番」も、晩年は野方発着の路線が「204A番」、西高下発着の路線が「201A番」に改められ、その後廃止となった。

欠番ではないが、「93番」も、もともとは、

【早良妙見口~荒江四角~六本松~国体道路~天神~石城町~妙見~吉塚駅】

というルートを走っていたが(さらにその前は、福岡競艇場行き、昭和通り経由博多駅行きなどもあった)、西区の分割に伴い、上記ルートに加えて、早良方面と藤崎(早良区役所)を結ぶ路線が加わった(一時期は「原北中学校前」まで運行)。
「93番」は、上りでみた場合、荒江四角を右折するルートと直進するルートという、まったく違う路線が混在するといういびつな状況を経て、区役所連絡路線のみが残り現在に至っている。

なお、「92番」が通っていた区間のうち、赤坂門~法務局前(かつての検察庁前)間は、当時「50番」「51番」「52番」「54番」なども走っていたが、現在では「2-1番」「3-1番」が朝の上りのみ通る区間となってしまった。


6.90番台と区役所連絡2011年12月17日の記事


西鉄大橋駅と福大病院を結ぶ路線として何かと脚光を浴びているのは「700番」のほうだが、同区間を結ぶ路線の「元祖」はこちらの「6番」である。

ルートは、「西鉄大橋駅~南区役所~清水町~野間四角~若久~中尾二丁目~屋形原~桧原営業所~鬼ノ木団地~堤~片江営業所~西片江二丁目~福大病院」。

もともと、「西鉄大橋駅~6番と同経路~桧原営業所~花畑園芸公園~柏原営業所」というルートで運行されていた「区3番」(くのさんばん)をベースとしつつ、「61番」の福大病院方面の減便を補う役割も担って、2007年春のダイヤ改正で登場した。

「区3番」とベースは同じでありながら、「区」という「漢字」が取れて数字だけになったのは、南区を超えて城南区まで行くことから、南区役所連絡バスのカテゴリーから外れるためと考えられる(ここから演繹的に考えると、「93~98番」の「9」という数字には、旧西区[西、早良、城南]の区役所の「ク」の意味があるという解釈もできる)。
また、「漢字」が取れて単なる「3番」ではなく「6番」という番号になったのは、当時(厳密には「6番」登場の前日まで)、福大病院には別の「3番」(福大病院~菊池ヶ丘~干隈~野芥~早良営業所~早良平尾~椎原・曲渕)が乗り入れていたこと、及び、大橋駅には別の「4番」「5番」が乗り入れていたことがその理由だと思われ、「6番」という番号は意味がなさそう(?)でいて一応意味がある。


7.90番台の位置づけの変化、拡大(1~3の補完→区役所連絡→博多ふ頭)2008年3月8日2012年4月17日の記事)

天神→中央埠頭間のバスは「80番」に統一されているが、この方式に以下の3パターンが加わる。

 天神→博多埠頭間       …  「90番」
 薬院駅→博多駅→中央埠頭間 …  「88番」
 博多駅→博多埠頭間      …  「99番」

となり、今までのように郊外部からやってきたバスに天神から乗る際に、バスの番号で行先を見分けるのが困難な状況がいくぶん改善される。
かつて、博多駅&天神~博多埠頭間については、表示の統一を図るべきでは?とか、LEDの利点を活かして、「80番」の例に倣い、番号と行先を完全対応させることが可能なのでは?などと好き勝手に書いてきたが、そういう方向に進んでいくのは嬉しいことである。

ただ、「90」「88」「99」という数字は、どうも直観的に紛らわしいのではないだろうか…。
本来なら、天神→博多埠頭は「90番」、博多駅→中央埠頭が「85番」、博多駅→博多埠頭が「95番」などのほうがうまく頭の整理ができそうだと思われるが、既に「95番」があるから難しかったのかな…。

天神→中央ふ頭間を「80番」に統一したことが、ここ数年進んできた都心部における行先番号統一の第一号であり、

天神→博多ふ頭の「90番」、博多駅→中央ふ頭の「88番」、博多駅→博多ふ頭の「99番」は、それに続く第二陣として行われた。
「80」「90」と「88」「99」という、一見法則性がありそうで、突き詰めるとなんだか変な番号が採用された背景については以前にも書いたことがあるが、「法則性」よりも「視認性」「シンプルさ」「覚え易さ」が優先されること自体は間違っていないと思う。

博多駅から中央ふ頭へのバスは、この時刻表の頃は「一日何本」というレベルだった訳だが、その後、現在までにずいぶんと増えた。
(つづく)
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