加賀藩の所領加賀、能登、越中の魅力、海越しに観る山々、風光明媚なシーサイド・ラインの風景・出来事を写真で紹介する。
金澤・能登立山シーサイド・ライン



美術の小径

小道に行く前に前回の辰巳用水のせせらぎと書いたが水のない用水ではせせらぎではなかった。

 

辰巳用水は旧奥村家上屋敷跡土塀に沿って流れる兼六坂につきあったところで暗渠となり道路を横断する。思うに一筋の流れは真っすぐに兼六園にもう一筋は左へと流れる。左に流れた水は護国神社横・石川県立能楽堂を通り出羽町交差点で再び暗渠となり石川県立美術館横へと流れる。


兼六園内の小立野口裏にある池、ここに流れ込んでいる水が辰巳用水の一部だろう。下記の写真は護国神社横に流れる用水

 

 

美術館横に現れた用水はあろうことか美術館裏から滝となって崖下の本田町へと流れていく。流れ落ちた水は再び暗渠となり本多町通りを横断しているのだろう。

 

この滝の横に坂道・石段が美術の小径になっているこの道は途中で歴史の小径とつながり崖下の金沢市立中村美術館へとつながっている。

歴史の小径の下り口、ここにはゲートがあり通行可能時間は8:00時からとなっている。

これから先は後日の散策にて。



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金沢城公園・兼六園早朝開園

日中の厚さを避けるため早朝に兼六園及び金沢城公園に出かけてみました。


空気も澄んで精悍な時間が過ぎていくようです。


霞ヶ池に写る樹木


雁行橋付近では、カモの親子も早朝の静かな時間に気持ちよさそうに泳いでいます。


さつきが園内に彩りを添えています。
今が見ごろでしょうか。また、カキツバタが少しずつ咲いてきました。
水に写るカキツバタ


入園した時間は5時20分ごろですが、この写真は6時10分ごろです。日も高くなり日差しの強くなってきました。
広い園内ゆっくり回っているとすぐに時間がたってしまいます。次回はもっと早くに訪ねてみたいと思います。

金沢城公園・兼六園では、早朝開園(無料)

  • 4月1日~8月31日 4:00~(6:45)
  • 兼六園は有料開園時間の15分前までに退園
  • 兼六園の入園口は蓮池門口・随身坂口のみ


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木曽坂・宝円寺裏門坂・みどり坂(金沢市東兼六町17先)

 木曽の山中のような幽すいな所なのでこの名がついた。その一部は宝円寺の裏門の坂なので裏門坂ともいわれていた。

 前回の投稿でみどり坂、裏門坂と区別して記載したが、古い地図を見ると木曽坂と書いた道はみどり坂を通り裏門坂を抜けている。みどり坂から先の源太郎川沿いの道は新たにつけられた道のようだ。

 昭和初期の地図には記載されていることから大正後期もしくは昭和初期に新設されたものだろう。

 みどり坂、裏門坂はもともとは木曽坂だった。つまり「一坂二名」なのかもしれない。



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小尻谷坂(金沢市東兼六町1-11先)

藩政期の中ごろ尻谷坂(汁谷坂・尻垂坂等)より小さいところから、この名がついたといわれている。(標柱より)

 
旧小尻谷坂


明治期に設けられた小尻谷坂

 俗に言う男坂・女坂で言うと真っすぐ階段で登るほうが男坂、なだらかな坂道で登るほうが女坂とでもいおうか?

 何方の坂を登っても兼六坂に出る。坂道の標柱はなだらかな坂の中間あたりに雑草に埋もれひっそりと立っていた。

  

観光名所兼六園のすぐ横にあるが、坂道を通る人もほとんどいない。

 

 階段の小尻谷坂を登り兼六坂を横断すると兼六坂に並行する「上坂」に登る階段がある。その先には兼六園の上坂口に登る階段と続く。

【兼六坂】その昔は「尻垂坂」と呼ばれていた時期があるそうだ。どうして尻垂なのか?あまり良いネーミングではないようにも思うが。1924年4月出版の金澤市外電車略図にも公園下の次の停留所に「尻垂坂」の名前が記されている。その後の1956年(昭和31年)金沢市街地図も尻垂の名が残っているがその後の地図には兼六に代わっている。正確には昭和33年に「兼六坂」と改名されたとのことだ(サカジローより)

 また、この道を市電が走っていたという。この坂を登り石引まで市電が走る、もし可能ならそんな風景を見てみたいものだ。

 富山市内を走る市電・ポートラムのように。



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八坂(金沢市東兼六町2-37先)

昔、付近に木こりが通う八つの坂があったのでこの名がついた。のち、一つが残り、宝憧寺坂、伊予殿坂とも呼ばれた。(標柱より)

前回の木曽坂より安藤坂を上ったところに旧百々女木町の旧町名標柱があり、ここから道を右に進むと小立野通りへと出る。

小立野通りに突き当たったところで再び道を右に真っすぐ進むと歩道右に辰巳用水が暗渠からオープンになり現れてくる。

 

 辰巳用水のせせらぎ(この時は水がほとんどなくせせらぎとはいきませんでした)を聞きながら進むと旧奥村家(宗家)上屋敷土塀が連なる。奥村家については別の機会に、ここは現在、国立病院機構 金沢医療センターが建つ。

 道は兼六園にと突き当り右が兼六坂、左は石川県立能楽堂、石川県立美術館、最近移転(2020年10月)した国立工芸館、石川県歴史博物館等々が建つ、芸術・歴史・文化のエリアだ。

 今回は道を右手に進み兼六坂を下る。兼六坂はすぐに左に直角に曲がる。右に曲がらず真っすぐ進むとそこが八坂だ、この道は車両進入禁止となっていて徒歩、もしくは自転車しか手段はない。でも自転車で降りるには少し抵抗がある。やはり徒歩で石段を下りるのが一番安全だ。ちなみにこの坂道は斜度13度、約22%くらいの勾配(数字で言われてもピンとこないが)らしい。

 

 八坂を下りたところに曹洞宗松山(しょうさん)寺があり寺院の参道と八坂が並びとても広い坂道となっている。


松山寺境内

 ここまで降りると兼六坂の車の騒音も届かず、また訪れる人も少なく静かだ。

 八坂からそれてしまった、兼六坂から入ると道はくの字に曲がっていて曲がったあたりから眺望が開け正面には卯辰山を見ることができる。また、坂の途中にはベンチもあり一休みしながら浅野川沿いの街並み、卯辰山を眺めるのも……。

 



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木曽坂・宝円寺裏門坂・みどり坂(金沢市東兼六町17先)

木曽の山中のような幽すいな所なのでこの名がついた。その一部は宝円寺の裏門の坂なので裏門坂ともいわれていた。

源太郎川を谷とした通称木曽谷は上流に向かって左側には宝円寺の高台、右には飛梅町の石引台地、その両方に登る坂道が沢山ありとあるサイトを参考にまとめてみた。

現在、木曽坂と呼ばれているのは源太郎川から宝円寺裏門があったとされる高台に登るみどり坂。そして、そこから東兼六町に下る宝円寺裏門坂。この両者を木曽坂と呼んでいる。現に緑坂の登り口に木曽坂の標柱もたっている。

しかし、源太郎川をの両側が切り立った山、その川沿いの道が木曽路に通じる(似ていた)ところがあり木曽谷とよばれたこの坂道が木曽坂と呼ばれたのかと想像(考える)する。現在あh両側に言えも建ち木曽の面影はない。

左:みどり坂登り口に建つ標柱 右:みどり坂

左:みどり坂を登ると右に曲がるあたりから上部を見る。右:みどり坂を登りきったところから道幅が狭くなり下り坂となる宝円寺裏門坂階段とスロープとの併用坂、勾配はきつい。

みどり坂をのぼりきったところ左は行き止まりとなっていて車で登ってくると方向転換が大変だ。右のほうは民家の軒先を抜けるように進むと階段があり宝円寺の墓地へと登っていく、墓地を抜けて宝円寺へと回ることができる。

その昔には宝円寺表門がこちら側にあったとのことだから参道だったのだろう。

左:裏門坂を下方向jから見る。右:宝円寺裏門坂より宝円寺墓地に入る坂道。

 

正面、木曽坂(自称)右に進むと安楽寺、雲龍寺を経て八坂へと出る。

木曽坂より木曽坂横の坂と安藤坂の三叉路付近を望む。左方向には宝円寺横の坂、右には中学校にと続く坂道がある。

左:宝円寺横の坂。右:中学校にと続く坂道

木曽坂(自称)は安藤坂となり金沢大学付属病院まで続く。突き当りには旧町名の標柱が立つ。なんとも難しい町名だ。

 

百々女木町 どどめきまち 石引1丁目 昭和39年4月1日 いいね金沢より引用

藩政時代、木曽谷に注ぎ込む川の流れが急で、高い音をたてていたところから、ここに架けられた橋をどどめき橋と呼び、この名が町名になったという。明治4年、百々女木町、馬坂新町、集福寺門前、宝円寺門前の一部の合計77軒で成立した

源太郎川 いいね金沢より引用

  • 更新日:2022年03月15日

右側に民家が建ち並び、手前に傾斜のある坂道と、左の木々が鬱蒼と茂っている丘の間を流れる用水路の写真

  • 延長:約2.0キロメートル
  • 完成年:不明
  • 成り立ち

名前の由来は不詳。ただ、辰巳用水が造られた時、その分水が流れ込んでいたため水量は豊富で、小立野台地から下の木曽谷へ落ちる水の音はとても激しかったという。辺りに轟くような大きさだったことから、その地の橋や町の名前が「とどめき橋」「百々女木町」と名づけられた。

  • 現在

金沢大学医学部の北西部辺りから自然発生した水は、それから急な木曽坂沿いを駆け下っていく。この流れの存在により、木曽谷と呼ばれている宝円寺周辺(宝町)は、まるで渓谷のような風情がある。やがて寺院群を縫うようにして山裾を流れ、途中、東外惣構堀と合流し、最後は浅野川へ注いでいる。

 



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馬坂(石川県金沢市扇町5)

昔、田井村の農民が小立野へ草刈りに行くため、馬をひいて登ったのでこの名がついた。六曲り坂ともいわれていた。

小立野台地の浅野川の扇町から小立野台の宝町へと登る坂道、坂への登り口は住宅の間で気を付けいないと見落としそうになる小さな案内板に宝円寺340m→とある。

坂の途中には馬坂不動尊を祭る垂直に立ち上がる岩壁苔むした壁から流れる一筋の滝、お堂の中は日中でも薄暗い。

今回訪ねて時にはお堂には額が掲げてはなかった。

また、坂道も整備されたのかきれいに、明るくなている。坂道の途中の木が伐採されたようだ。

またの名を6曲がり坂と言われるだけあって曲がっていて先が見えない、木々の伐採等で明るくなてはいるが曲っても曲ってもたどり着かない錯覚にさえする。



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卯辰山花木園のつつじ シャクナゲ(通りかかった人がシャクナゲですよと教えてくれました)

撮影;2022_05_08 8:00前後

先日5月3日に訪ねてから5日もっとゝ咲いているかと思っていましたがそれほどでもなく、まだまだ楽しめそうです。

気になるのは天候ですね。

多くの中に一本違った花を見つけ撮ってみました。ツツジかなと思っていましたが通りがかった人ににシャクナゲだと教えていただきました。

ちなみに今朝は鳴和台から上がってみました。鳴和台市民体育会館・プールの駐車場に車を置いて自転車にておおよそ10分ていどかな、少し登りは辛いですが帰りは数分で降りてこれました。



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兼六園・金沢城がのライトアップが行われている。遠くから狙ってみた。

桜の時期のほうもっと華やかだったかもしれない。



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玉兎ヶ丘ツツジ 卯辰山公園

ここは卯辰山の他の場所とは違った種類のツツジが咲いている品種までは表示がないためわかりませんが、小粒で可愛い花をつけています。

   

   

   

   

   

写真は卯辰山のほかの場所にはあまり見かけないものを撮影してみました同じ物もありますが種類は豊富です。

できれば花の名前が分かる表示を頂ければと思います。

また、下記の写真は徳田秋聲文学碑横のツツジです。公園内いたるところでツツジが楽しめます

また玉兎ヶ丘横からは金沢城・兼六園を見渡せます。(朝早だと、もっとすっきり観えることでしょう。)



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