思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

死ぬまで静かに明るくベッドの上でーーが、わたしの父でした。

2024-04-18 | 芸術
 
死ぬまで静かに明るくベッドの上で~が、わたしの父でした。一生懸命呼吸していました。悲惨も哀しみもなく、ただ死の時まで、何事もなく、最後まで不機嫌とは無縁でした。いつも静かで明るく機嫌よく~~~
 
 
死ぬ間際にあの世とこの世の間におられる方がいっ時だけ元気を取り戻して居られるのを拝見することがあります。ここで引導(亡くなったあとのことを伺う、または死ぬ覚悟を持てるように誘う)ことがあります。静かに穏やかに時を過ごされるということは並大抵のお覚悟ではありませんでしたね。御冥福をお祈りします。来世はきっとお幸せだと信じます
 
水域、木の画像のようです
武田 康弘
ありがとうございます。
ただ、覚悟という感じともちがい、いつも生をふつうに楽しでいたのです。野心もないですし、卑下もないです。ブッダの言葉通り、だれもみな等しく尊いのですし、上も下も中間もありません。だからいつも静かでしたが明るいのでした。天皇制のように偉い人がいるという観念とは無縁で(親鸞の浄土真宗大谷派でしたから)、みな平等です。いつも機嫌よく、まあ、習慣です(笑)死もふつうの続きでした。
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「他者承認の哲学」ではなく「自己承認の哲学」へ上りましょう。

2024-04-10 | 恋知(哲学)
    一般的に受け入れられるかどうかと考えて、他者の視点により語るという人が多いですが、そのような「他者承認の哲学」は、哲学ですらなく、処世術にすぎません。
 
 他者に受け入れるか否かではなく、自分の赤裸々な経験を正直に見て話します。そこからありのままの心を自覚し、開示するのです。
 他者から何をどう言われようと、心の真実を曲げずに貫くことが必要です。もし齟齬が生じたら、個人間の問題ならば、対面して堂々と話すのです。逃げ隠れしたら、元から終わりです。

 それは「自己承認の哲学」で、深い納得を目がけます。そのためには、自己を絶対化せず、相手との直接対話を辞さない精神と実践が求められます。自己の主張が正当性をもつためには、ナマの話し言葉でのやりとりが必要なので、文字(ソクラテスのいう死んだ言葉)を投げつけるのでは、話になりません。そのような言動は、害ばかりで益なしです。卑怯でダメな人間の見本です。

 他者から承認されるのは、もちろんよいことですが、そこに留まるのではなく、また、それを目がけるのでもありません。最も大切なのは、善美への憧れと真実の探求です。今ある自分の肯定ではないのです。他者からの賞賛でもなく、孤塁を守ることでもありません。心身の全体ー内部から湧き出る【自然な確信】で、「おれは最高だ」とか「お前よりおれが上だ」というような稚拙な想念とは元から無縁です。静かで深く、かつパワフルで美しい輝きです。攻撃による他者排除ではなく、愛の心から真実を求めるのです。斜に構えるのではなく、真正面から真剣に、でなければいけません。

 自己承認に至るには、自己の経験を土台にしつつ、しかし、それを絶対化する愚を犯さず、近代的自我の確立というイデオロギーに囚われず、「自我の武装解除」が必要です。自由で伸びやかな心身と頭は、自己防衛とか他者攻撃という発想からは生まれません。
 
 自己承認の哲学を生きたいものです。

武田康弘
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関口徹
最近よくわからなくなってきてしまいました。自己承認が良しで他者承認、承認欲求が悪というこですか?
 
武田 康弘
他者からの承認が得られて悪いはずはないです。
しかし、
他者承認を気にして生きるのは哀しいです。
悪とか善という話しではなく、承認欲求を超えないと、自分のよき生が始まりません。
関口徹
つまり承認欲求…スゴいね、さすがだね、みたいなものを求めず生きるってことですよね。自己承認はできてるはずなのですが…仕事が年々つまらなくなっていくのです
 
武田 康弘
仕事が面白い人はとても少数ですよね。どうしたらよいでしょうか。
関口徹
仕事辞めることですかね(笑)
でも、やりがいはあるんですよ。給料も安いですが求めてません。自分ではパーフェクト‼️な仕事をできてると思ったり、自画自賛というか、特に後輩たちにはこうやるんだよ。見て覚えてねみたいに実践で示してるつもりなんだけど
他者承認を気にするのは哀しい
わかります。
他者承認を求めるあまり自分を追いつめ、孤独に、そして自分の健康まで害してしまいました。
死にたいほどツライです。
でも、旅をして、自然に抱かれ同化して、美味しいものを食べる。仕事以外はメチャクチャ充実しているのです。
仕事おそるべし
 
石谷 真
仕事に自分なりの目標と、満足を得られるようにしたらどうでしょうか?
それは生き様すべてにおいて、自分なりの方法を貫くというコトです。
他人は、結果しか見ないので、こちらの途中の行動にアレコレ言ってきます。
承認欲求ばかり、求めると自分なりの方法を貫くコトができなくなります。他人には結果まで待ってもらうコトが重要だと思います。いや、結果ばかり求める今の風潮は、途中の考えや、途中の失敗も重要だというコトを、分からなくしてしまって、良くないと思います。
自分なりにやれる寛容なトコロに身を置くコトも大切です。特に仕事としては。
石谷 真
ボクは昔、他人の言葉に乗っかって、仕事を辞めたコトがあります。
後悔しました。他人はあくまで他人です。
他者承認を求めて行くと、さすがだね、すごいねって言われないと、もうダメだ。オレは出来損ないだ、になるコトがあります。
他人が、「つまらないなら、辞めたら良いよ」と言って辞めたとして、その他人は何の責任も取ってくれない。他者承認を求めていくと、承認されるコトしかできなくなる。そこが問題です。承認欲求は持っても良いけど、信頼を誰に置くか?誰のタメにその仕事をするか?何のタメにそもそも仕事をしてるのか?お金が少なくて良いのか?その仕事は、重要なのか?考えるべきコトは、たくさんあります。仕事が面白くないのは、どこに問題があるのか?
死にたいほどツライけど、ホントに死ぬほどなのか?今、死んで無いからツライの表現に、死にたいを使うコトの意味は?死にたいでは無く、逃げたいかも知れない。
ツライコトと、しんどいコトは、同じですか?頭がツライですか?身体がツライですか?旅をして充実する人生に、仕事は必要ですか?必要なら、後輩の承認、もしくは同僚の承認では、ダメなんですか?上司からの承認じゃなきゃダメなんですか?
承認欲求を満たしてくれる他者とは、誰か考えませんか?ボクとか、武田さん達ではダメなんですか?関口様、ボクはあなたを承認しますよ。やりがいのある仕事を辞めるコトくらい愚かなコトは無いと思います。
関口徹
石谷 真さん。
みずしらすの私に熱いメッセージありがとうございました。まさにおっしゃるとおりです。
承認欲求求めすぎてさすがすごいと言われないと満足できない。ドツボにハマるとわかりました。
今日職場の歓送迎会で普段口を聞いてくれないトップともう一人の管理職の方に私なりの体調の現状を伝えました。
自分のことに感心なんか持ってないこともよくよくわかりました。そんな上の人に認めてもらうために働くのがバカらしくなりました。
他者承認を求めるのがいかに愚かでくだらないかよくわかりました。武田さん、石谷さんありがとうございます。
自分の好きな仕事を自分のために続けていきます。

石谷 真
敢えて管理職ばかりに気を取られると、足元の仲間たちのコトが疎かになるとボクは考えます。
この国のヒトたちは、上ばかり見て、自分を見ていない。それは承認欲求というカッコいい言葉を使うけど、自分自身の能力に自信が無いコトの裏返しだと思います。自分のコトをきちんと見ましょう。
体調が悪くて、チカラを出し切れていないかも。もっと自分自身を大切にしてください。われわれは武田さんのような超人では無いのだから。
 
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明治政府が創作した「天皇教に基づく天皇制度」に呪縛され続けて抜けられない日本人の不幸は底知れず。

2024-04-05 | 恋知(哲学)

日本人は、会社員も公務員も主婦も政治家も学者・・・もみな明治政府が創作した「天皇教に基づく天皇制度」に心が呪縛され、そこから抜け出せません。それがどれほどの不幸を生み出しいるかを自覚できません。

「天皇教と東大病と官僚主義の三者一体」による支配は、人々の無意識領域まで管理して、みな腑抜けの状態にさせられますが、
保守主義=国体思想の政治家には、これほど有難いことはなく、政治支配はどこの国よりも楽です。

哲学までも、ヘーゲルの最初の著作「精神現象学」に依拠して、「他者承認の哲学」こそ哲学の最高到達点だという竹田青嗣と彼のグループが人間を羊化させることに努力するありさまです。
深く「自己承認」できるためには、どう考えどう生きるか、こそ哲学の使命であり意味であることを忘れ、日本的集団同調主義(天皇教・東大病・官僚主義) をソフィスティケートするのですから呆れます。


天皇教の序列絶対主義は、エリート職業の人の精神的拠り所となるために、「天皇教と東大病と官僚主義の三者一体」による支配は、永続化してしまいます、個々人の人間としてのパワー・良心・魅力は元から消し去られ、型が優先し、儀礼が優先し、社会的価値に縛られ、個人は死ぬのです。この序列主義を元から断たない限り、永遠に日本は不幸です。実存の生=個々人からの出発は、はじまりようがありません。

駐留米軍のトップであったマッカーサーの発案で、天皇をシンボルとして天皇制を存続させることで、日本を永遠に支配する=個々人の精神的自立をさせないで、日本人を「天皇教という集団同調主義」で一つにさせ、アメリカの属国のようにすること。天皇家に特権を保障することでアメリカに好意を持たせ、日米同盟の永続化を果たす、という大戦略は見事なまでに成功し、人間家畜化の日本国ができあがりました。


人々を騙す底から嘘の大学教授(直接体験のない書物だけ人間)の書く本に踊らされるのを止めない限り、思想や哲学が民衆の力になり現実の花が咲くことはないのです。公共哲学などという東大哲学は、支配のためのごまかしで、トップに韓国人を据えるなど用意周到ですが、関係者自身も騙されているのは、滑稽でさえあります。


武田康弘



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