思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

人間になる努力ではなく、日本人になる努力!?

2017-06-30 | 社会思想
 
いまの日本は、人間になる努力ではなく、日本人になる努力を求めているようだ。
 
普遍的な人間性の豊かさではなく、日本人云々だ。にっぽんちゃちゃちゃ。
 
それを増長するネトウヨや安倍官邸には呆れるが、それは、底知れぬ罪である。
 
この自国主義のイカレは、みなを不幸にする元凶だが、明治維新の思想=天皇を神とする国体思想=靖国思想への反省がなく、維新150年の祭りというのでは、いつまでも「国家カルト」から抜けられない。
 
ウォルフレンのいう「人間を幸福にしない日本というシステム」が続く。
 
「私」の精神の世界を深め豊かにすること以上に大切なことはない、この原理を明晰に自覚しよう。それがないと公共世界を拓けない。
 
 
武田康弘
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タコ部屋の中学部活。 人間性豊かな「個人の育成」への転回をしないと日本に未来はありません。

2017-06-29 | 学芸

わが日本人ほど個人性に乏しく、オリジナルな精神世界が貧弱で、集団同調で生きる人々が大勢の国は、他にあるのでしょうか?

中学の部活動は、そうとは意識していないかもしれませんが、恐ろしい力で個々人を集団人にし、集団人にならなければ、窓際族に追いやります。

自分の心の世界、頭の世界は、集団の中でしか位置付かず、固有の精神的広がりをもてません。既存の何かからチョイスする以外はなく、枠組みを超えて自分で開拓する世界に乏しのです。

だから、何をしても、すべては紋切型ですし、集団の上位者に従う権威主義にしかなりません。東大病(教)であり、NHK病(教)であり、天皇教であり、官僚病であり、です。

自分が灯、自分への帰依(自己の内なる善美につく)というブッダやソクラテスの考えとはまるで反対で、いつも外なる権威、外なる価値、外なる力に怯え、従う人生です。

そういう精神風土をつくるのに一番貢献しているのが、いまは、中学生の部活動です。みなタコ部屋の住人のようになり、そこから出られません。毎日、週6日間、朝も夕も練習練習で、ヘトヘトですが、こどもを自由にさせたらいけない、という思想ですから、早朝から夕方遅く(18時30分前後)まで縛るのです。辛いからやすむことは、心理的にできません。誰かさんがやすんだ、ズルイ、となり、他者の眼(集団同調の空気の力)が怖くて、心身が辛くても出ます。

日本人の死ぬまで働く(自殺を含め)という勤勉さ、自己よりも集団を先にする全体主義は、こうして身体化されますが、まれに身体化されない子(人)がいれば、窓際族となります。

ソフトな体裁で誰も文句がいえないようにつくられた究極の個人消去システムと言えます。タコ部屋に耐える艶消し人間をつくるのですが、これほど底意地の悪い思想ー制度はないでしょう。これが世界に冠たるザ・ニッポン!?  人間として生きるとはどういうことなのか?みなが考えないと、いつまでも「人間を幸福にしない日本システム」から抜けられないでしょう。

部活は、週3回までにしないといけません。長時間、毎日同じ訓練は、しらずにステレオタイプに貶めます。実に恐ろしいことなのです。早く気づけ!


武田康弘

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三内閣を倒さなければ、日本の民主政は死んでしまいます。国連からも多くの批判 都議選で反自民勝利へ。

2017-06-26 | 社会批評

安部自民党の非民主的な政治(国家の私物化)を、国連の特別報告者たちや欧米の法学者たちは繰り返し批判しています。

共謀罪やスパイ法、安保法制(明白な憲法違反)を次々と通す日本政府に対して、国連人権部会は、その都度繰り返し警鐘を鳴らし、国連ホームページにも各報告者の報告が掲載されています。

都議選で自民党を大敗させ、反自民のオリーブの木が勝つことは、日本に健全な社会を取り戻すきっかけになります。

公明党もそれを期に、ほんらいの「反国体主義」に戻り、日本を民主化するための政党に脱皮できれば、と思います。

すでに共産党は、独善的なマルクス絶対の教条主義を脱しつつありますので、二つのイデオロギー政党が、個々人の精神の自由を認めるように転回することを願います。

それがあたらしい精神の自由にもとづく豊かな国をつくることに繋がります。

国体思想=明治維新政府の天皇教(過激な国学や水戸学というイデオロギー)を大元から廃して、自立する市民による自由と平等と互助の日本をつくりたいものです。

 

武田康弘

 稲田大臣の呆れた発言は、安倍内閣による国家私物化の一象徴です。

 http://home.kingsoft.jp/news/video/tbs/95113.html

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暴力化する政治主導ーー加計学園問題の本質とは? 東京新聞

2017-06-22 | 社会批評

以下は、東京新聞6月22日夕刊です。正鵠を射る解説です。ぜひお読みください。





 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神社本庁のひどい嘘、日吉神社56代三輪 隆裕さんーー「個人よりも全体優先は民主主義の否定」

2017-06-22 | 社会思想

以下は、明治維新政府のイデオロギーでひどく歪められた神社本庁の嘘を暴き、神社のほんらいの姿を述べたものです。

わたしたちは、明治以降、政府神道=国家カルト教に騙されてきました。もう目を覚ましましょう。嘘で操作されるのは、愚かで危険です。

東京新聞6月19日朝刊一面

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

25日(日)名演間違いなし!ザンデルリンク・ドレスデンフィル(格安公演・残席あり)ブラームス1番&4番

2017-06-20 | 芸術

今度の日曜日、最高の演目=ブラームス1番&4番、指揮は、クラシックモダンの超カッコいいミヒャエル・ザンデルリンク。

伝統があり、且つ信じ難いほど若々しく、情熱的なドレスデンフィルが、おどろくことに国内オケと同一料金です。

まだ残席あり、は、信じ難い! 音響のよいアークホールでの公演です。

所沢ミューズ(西武新宿線・航空公園駅)、25日(日)午後3時開演、ぜひどうぞ。

 

 

ミヒャエル・ザンデルリンク[指揮]
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

日 時 2017年6月25日(日) 14:15 開場/15:00 開演
会 場 アークホール座席表ホール案内
出 演 ミヒャエル・ザンデルリンク[指揮]公式サイト
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団公式サイト
曲 目 ブラームス:交響曲第4番
ブラームス:交響曲第1番
チケット
料金

S席:8,000円 A席:7,000円 B席:6,500円 P席:6,000円

メンバーズ倶楽部会員 メンバーズ倶楽部とは?

S席:7,200円 A席:6,300円 B席:5,850円 P席:5,400円

チケット発売

12月18日(日)メンバーズ優先販売開始
12月25日(日)一般発売開始

04-2998-7777  チケットカウンター
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松橋桂子さんを偲び語る会の写真です。清瀬保二門下の中山さんが見事というほかないヴァイオリン独奏。

2017-06-18 | 芸術

 今日は、とても充実した会で、嬉しく思いました。

 清瀬春子さんの命を受け、駆けつけてくれた中山さんのヴァイオリン独奏には、ただ聞き惚れるのみ。
清瀬保二の語法を体得した彼女の「ヴァイリンとピアノのための二楽章」は、清瀬の和声の独創性が世界の中でいかに優れたものかを分からせてくれます。その語りの味わい深さと美音には感動でした。一部、動画があります。クリックで視聴できます。

 いま、親の介護で演奏がほとんどできないという中山さんですが、清瀬作品を弾く演奏家は、彼女に教えを乞うべきです。

 なお、こども時代、中山さんは、松橋桂子さんにヴァイオリン教室まで送ってもらっていたそうです。

 彫刻家の中津川さんには、みごとな蓮に乗る仏さまの彫刻作品をいただきました。参加者のみなさまのお心遣いに感謝します。

 清瀬春子さんには、書留でお心遣いと速達でお手紙を送っていただきました。

 南無阿弥陀仏

松橋桂子さん所持の楽譜。訂正が記されている貴重なもの。

 武田康弘

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「これほど異常な民主政国家は見たことがない」-三日間で6万人以上が訪問、ますます拡散を!

2017-06-18 | 社会批評

 共謀罪の中身が分からないまま(法務大臣も分からないで右往左往)委員会採決を飛ばしての本会議採決がおこなわれたのを受けて、1年以上前に出したニューヨークタイムス東京支局長の談話これほど異常な民主政国家は見たことがないへのアクセスが急増しました。どんどん拡散し、みなが読み、わが国の現状を冷静に知ることが必要と思います。いまの日本の政治は異常事態であることの認識を持たないと、戦前思想に逆戻りで、ますます「人間を幸福にしないシステム」が強固になります。

 

6月15日のアクセス数

  • 閲覧数 20,543
  • 訪問者数 14,720

       順位:5位 / 2,726,791ブログ中

ーーーーーーーーーーーーー

6月16日のアクセス数

  • 閲覧数 41,109
  • 訪問者数 30,623

        順位:3位 / 2,727,181ブログ中 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

6月17日のアクセス数

  • 閲覧数 24,387
  • 訪問者数 17,791

    順位:4位 / 2,727,597ブログ中
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

個人の自由は、瞬間で消されます。それが国家の公権力なので、立憲主義が不可欠なのです。

2017-06-16 | 社会思想

 だれもが歴史で習い知っている通り、国家権力の横暴はすさまじもので、政府に都合の悪い者は、捕らえられ、獄中でひどい扱いをされ、警察官による拷問で殺されることもありました。思想犯として「治安維持法」で捕まり殺された人は、1600人(粗末な扱いで病気になり死んだ者を含め)といわれます。

 政府を批判する者は、天皇陛下に背く非国民とされ、警察官や憲兵らに殺されてもみなは、見て見ぬふりでしたし、朝日新聞(大阪朝日)も、幸徳秋水が、実質一日だけの裁判で即刻死刑となり処刑されたのを、社会のうじ虫は死刑で当然、という社説を載せました。無罪なのに、社会主義者は殺されて当然とされたのです。

 こういう国家でいいですか?
安倍首相は、その戦前社会の支配的政治家で、東条英機と共に対米戦争の決定者である岸信介を一番敬愛しますので、一度も「戦前思想」への批判をしたことはなく、逆に戦後レジーム(体制)を終わらせると宣言してきました。

 これほどの悪=公共悪はありませんが、こういう思想が、国連からも批判されていた共謀罪を強行に通した背後にあるのです。日本は今までも国連やアムネスティーから繰り返し、人権改善を勧告されてきましたが、政府はまったく聞く耳をもちまぜん。戦前社会を支えた個人を軽視する国体思想(天皇制国家主義)への批判が弱いのは、首相や副首相をはじめ、多くの保守政治家は、戦前社会を支配していた政治家の孫たちだからです。

 無条件敗戦の責任をとらず、退位さえせずに死去した昭和天皇の裕仁に象徴されるように、太平洋戦争の責任をとらず(東条英機一人に全責任を負わせ)、また、それを追及しもしない国民は、世界の歴史に例のない「全面的な敗戦国の支配者が再び政治権力を握る」という異常・異様な事態を招いたわけです。A級戦犯の岸信介が戦後に首相となり、その意思を受け継ぐ孫の安倍晋三は、いま、大活躍です。

 個人という言葉=概念を嫌い、日本には人権思想はなじまないとする「反人権宣言」(ちくま新書)の著者で安倍首相の親友=八木秀次麗澤大学教授は、首相の命を受け、教育(政府が統制するという改革)や皇室問題での政府の審議委員を務めています。安倍首相の本音がよく分かります。戦前思想の国、個人消去の国へ、なのです。

2014年2月13日の一面
 
 憲法理念で為政者を縛る、権力の保持者は一人ひとりの国民であり、国民の一般意思に基づく公共権力を代行するのが政治家である、というデモクラシーの原理がボヤケたら、たちまち個人は消去されてしまいます。安倍首相のように、立憲主義を認めないという発言をした首相は、世界のどこにもいません。

 民主政治の原理中の原理を知らず、その言葉を聞いたこともなく、その内容を知ると、それは大昔の話!!??というデタラメを公言するそんな首相は、世界でただ一人です。主権者の根本意思=「憲法」に従って政治を行わなければ、国家はリバイアサン(怪獣)となり、国民は怪獣のおもちゃにされてしまいます。

 市民国家=公共社会をつくらなければいけません。主権はわたしにあり、あなたにあるのです。

 

武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員=「日本国憲法の哲学的土台」を講義)

 「これほど異常な民主政国家は見たことがない。」ーーニューヨーク・タイムズ東京支局長

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異常事態ー国連人権部会の批判も反故、委員会採決もせずに、議決。首相に私物化され死にかけている政治――東京新聞。

2017-06-15 | 社会批評

異常というほかなく、自由民主党の名前が泣きます。あまりに酷い。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日の「恋知の会」 白紙からのデモクラシーの話となりました。

2017-06-14 | 恋知(哲学)

今日の「恋知の会」は、時間延長で6時過ぎまで。
大阪より初参加の上田さんの質問から、民主制ー民主政とは何かの話となり、白紙に戻しての説明をしました。

民主性ー民主制ー民主政を根源的にお話しすると、人間とはなにか、どのような生が人間に求められるのか、人間と他の哺乳類との違いはなにか等の考察となり、人間の生き方・存在仕方を問うことと重なります。

古代アテネでペリクレスがデモクラシーを宣言したことは、ソクラテスの恋知(フィロソフィー)を可能としましたが、またデモクラシーはフィロソフィの営みに支えられないと形骸化してしまいます。それを証明するようなお話となりました。

一つ、きわめて重要な原理の確認をしました。上田さんも理解していませんでしたが、デモクラシーとは、どのような考えも自由なのではなく、【互いの自由と対等性を認め合う】ことを原理とする思想であり、それに反する思想は認めません。

デモクラシーとはなにか、という本質論は、大学でも教えていません(わたしは白樺教育館での他にいくつかの大学で教えてきました)。日本の後進性、知的退廃はほんとうに困ったものです。東大法学部にも講座がありません。

参加者は10名でしたが、話が切れず、集合写真は撮れませんでした。以下の2枚は、対話式授業の後、残って話していた上田さん、古林さん、麻生さん、稲田さんのスナップです。

武田康弘

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上皇!? 天皇を辞したら、明仁さんです。同じ一人の人間として遇するのがよいことです。

2017-06-13 | 社会思想

天皇の後は、上皇と言われます。

皇帝に天がつき天皇で、その上というわけです。大昔に戻ったような感じがします。

大袈裟な名称が好きなのが、わが日本人なのでしょうか。自民党も代表者は、党首でも代表でもなく、総裁ですから。

控えめとか、おくゆかしいとか言われる文化は、建前に過ぎないようですね。本音は全然違うのでしょう。

天皇という役目を降りたら、個人の名前で呼んであげたいもの。明仁さんです。

上皇ではなく、明仁さん。

わたしと同じ一人の人間で、一人の男性です。 いまさら言うのも愚かですが、人間はみな平等で、対等な存在です。

それに、明仁さんら天皇家の生活費(年6億円)と宮内庁への180億円を出しているのは、わたしですし、あなたです。

明仁さんを一人の人間として遇するのがよいこと、わたしは心底、そう思います。みな同じ人間です。明仁さんもそれを望んでいるはずです。

 

武田康弘

 元号:明治維新がつくった「空間だけでなく時間も支配する古代王政」の残滓。 世界でただ一つの国。 拡散希望

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元号:明治維新がつくった「空間だけでなく時間も支配する古代王政」の残滓。 世界でただ一つの国。 拡散希望

2017-06-12 | 社会思想

 一人の人間の死により「時代名」が変えられ、全員がそれに従わさせられるのは、目まいがするほどのこと。

 天皇の死のみにより、時代名を変えるのは、明治政府のつくった「天皇現人神」(皇族は神の家系であり天皇は生きている神である)の思想に基づいています。明治維新の前は、祭りごと=政の変化に応じて時代名を変えました。

 一人の人間の死により、その国の時代名を変えるのは、古代王政の話であり、王が空間と時間の双方を支配する象徴でした。まさに王が神だったのです。それを復活させ、最大級の名称(皇帝の上に天がつく)の王=「生きてる神」が全国民を統一するというのが、伊藤博文らの思想でした。

 宗教=政府神道のである明治天皇は、主権者であり、陸軍、海軍の統帥権をもつのが、明治憲法(大日本帝国憲法)ですが、それにより神話と歴史と政治を直結させ、全国民を国家=政府に拝跪させることに成功したのです(伊藤は、「日本では将来にわたり主権が国民に変わることはない」と教説)。その思想=国体主義=靖国主義の復活のためにいま活発に活動しているのが、神社本庁と日本会議と安倍自民なのです。天皇を元首に、と言います。

 天皇の死のみが時代名の変更をもたらすという明治維新の思想(天皇絶対のカルト宗教)の復活の流れに抵抗しているのが、現天皇の明仁さんです。象徴としての務めを皇太子が代わりにやるのではなく、生前に退位することで元号の意味付け=重さを変える、伊藤らの明治維新政府による思想を認めないという意思が、生前退位を選ばせた隠れた真実といえます。

 ふりかえってみましょう。
中国侵略、満州事変にはじまり、14年間の戦争を続けたのは、現人神であり主権者であり軍隊の統帥権をもった「明治憲法」下の天皇裕仁(ヒロヒト)でしたが、その思想を支えにして戦い「ポツダム宣言」受諾で無条件降伏したことで、国の主権を天皇から国民へと180度転回しましたが(GHQの天皇主権は認めないとの断固とした意思で変えさせられたわけですが、それは、支配階級以外の大多数の日本人にはよろこびでした)その後もなお、同じ「昭和時代」と言われます。
 
 これほどの無茶苦茶は、世界の歴史上どこにもないのですが、それは誇るべきこと!? あまりのデタラメに理性は麻痺してしまいます。

 21世紀の現代、生年の表記にはじまる年号を世界歴にすべきなのは、理の当然です。オリンピックは2020年なのであり、平成でもなければ、新元号でもありません。1945年の敗戦までは昭和時代で、それ以降も昭和時代。昭和3年生まれの人も、昭和40年生まれの人も、同じ昭和の時代を生きた!?なんのこっちゃ(笑)です。これではカルトもいいところ。

 元号ではなく、世界歴を使いましょう。日本の中に世界があるのではなく、世界の中に日本があるのですし、日本人が人類に先立つのではなく、人類の一員としての日本人です。天動説から地動説への転回が必要のようです。元号は、名残だけにしてほしいもの。わたしは1952年生まれです。あなたは何年生まれですか。


明治天皇が所持していた伊藤博文の写真。
一般に流布されている写真とは全く異な
り、策士のような顔。

16歳の時に京都御所から江戸城に連れ
て来られ、明治天皇に仕立てられた少年
の目に映った伊藤はこのような存在だっ
たのでしょう。

宮内庁が公開

 
2017年 6月 12日  武田康弘

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武満徹が最も尊敬した孤高の天才ー清瀬保二をいまこそ聴こう! 日本の美と豊かな普遍性をもつ実感にもとづく音楽。

2017-06-10 | 芸術

 清瀬保二は実に見事な音楽をつくった日本を代表する作曲家で、武満徹の唯一の師であり、彼が最も尊敬し愛した人です。ドイツ音楽的ではなく、フランスのエスプリに近く、日本の風土に根ざした美しさです。

 音楽を言葉で説明するのはむなしいので、ぜひ、作品を聴いてほしいのですが、まず、最初の1枚は「清瀬保二作品集」(fontec)です。これは、1992年上野の東京文化会館小ホールでのライブです。
藍川由美さんの歌4曲のあと、
弦楽三重奏曲、
第2ピアノ三重奏曲ーーー日本的にして普遍的。平明でかつ深く、何度聴いても鳥肌が立ちます。

木管とハーブのための五重奏曲です。
録音もたいへん美しく、まず、何も考えずに聞き流してみてください。武満徹がこれ以上はない最大級のことばで清瀬作品を称揚する意味がすぐにわかると思います。リアルで土着的ですらありますが高貴です。


1.ただし、このCDはアマゾンなどでは買えませんので、「音楽の世界社」から直接購入してください。電話は、03-3926-4374。Faxは、03-3926-4389です。

2.清瀬氏は魅力あふれる人間で、とても興味深い著作がありますので、そちらもぜひお読みください。

3.また、現代日本の作曲家3清瀬保二 (クリティーク80編著)は、清瀬氏を知るには必読本です。

この本の清瀬保二さんの自筆原稿

「日本の作曲界の夜明けを歩み、誠実に自らの語法を探求し続けられた先生の一生は、作曲界の歴史であるとともに、その足跡は燦然たる光を放っている。1981年のノーベル賞授与式に、「日本祭礼舞曲」が演奏されたのは正にその証の輝かしい一石である。」(『清瀬保二著作集』編集委員会)

 

 「清瀬先生の音楽の音は、一音とて動かし難いものに思われる。それでいてその響きの軽やかさは、他の(わが国の)作曲家に類例を見ないほどである。時に暗い想念に蔽われた作品においてさえ、音は、その深い苦渋を跳ね返すほどの軽やかさと自由な飛翔を聴くものに感じさせる。このユーモアと諧謔の精神は独自のものである。それは外面的な技巧を超えたものであり、氏の思想に培われて、音は、音そのものとしての現実性を獲得しているのだ。」(武満 徹)




武田康弘

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松橋桂子さん追悼     武田康弘さま  小宮多美江   

2017-06-09 | 学芸

以下は、音楽の世界社のホームページに載っている松橋桂子さんの追悼文で、わたしに宛てて書かれたものです。
なお、追悼文を書かれた小宮多美江さん(1931年生まれ)は、すぐれた音楽批評家として知られる方で、多くの著作のある作曲家です。

2017年5月16日 (火)
松橋桂子さん 追悼

武田康弘さま


 先月の末、東京を離れる前に人づてに松橋桂子さんの訃報を聞きました。ここ北杜市甲斐大泉の山の家におりますと、いろいろ思い出されることがありまして、いきなりですが、お便りを差し上げる次第です。

 彼女とは昨年の11月、清瀬保二の「ヴァイオリンとピアノの二楽章」が演奏されるコンサートで出会ったのがさいごでした。そのときは貴方様も聞きにおいでになられたのではないでしょうか。開場まえの列のなかで、彼女が人待ち顔にしていたことも思い出されます。

 今回ネット上に、白樺文学館関係の情報として載せてくださったものを拝見し、あらためて彼女についていろいろ考えております。

 私が彼女と知り合ったのは1960年代のはじめ、当時の社会情勢のなかから生まれた日本音楽舞踊会議という団体ができたときでした。彼女がそれより前に劇団に所属しておられたことなどは知りませんでしたが、ただ、渋谷修という作曲家の看病をしていたなかで結核にかかったということなどは聞いておりました。その渋谷氏が演劇と関係があったのかもしれませんね。

 私自身は、1980年から音楽評論家三人で日本の作曲家の仕事を世に出そうという動き(クリティーク80)をはじめました。それは彼女がすでに手をつけておられた清瀬保二研究と併行する形になりました。同じように友人関係を通して私も柳兼子さんを知りましたが、松橋さんの柳兼子研究はほんとに立派なものと思っています。

 彼女はこの山荘に良くおいでになり、しばらくは一人で過ごしたこともあった気がします。秋には、サルナシという蔓生の植物の実(良いお酒ができます)の収穫に夢中になったものですが、北海道ではそれをコクワといって、山へ入ったときはよくつまんで食べたものだときかされました。この山荘は八ヶ岳の南麓、標高1200メートルのところにあります。ちょうど釧路あたりの山とそっくりだったのでしょう。

 そんなわけで、ここで彼女が過ごしたときの気持ちをしきりに思い出しております。とりとめもない文章ですが、妹さんもまったく存じ上げていないものですから、哀悼の気持ちを共有していただけたらと願ってここに送らせていただきます。

 小宮多美江

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする