思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

福嶋浩彦ーー鳥取・島根から。参議院選挙へのインタビュー 自民党支持者もぜひ応援を!!

2016-04-27 | 社会批評
 
2016/04/25 岩上安身による参院選・野党統一候補(島根・鳥取選挙区)福島浩彦氏インタビュー(動画)

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/299332

正確には、市民が中心の市民統一候補です。そのわけは、動画をごらんください。

民主政治の命である地方自治の息の根を止めようとする安倍恐怖政治の意味を国民みなが知らないと取り返しのつかない事態になります。ほんとうに後になってはお終いなのです。
自民党支持者も安倍政権の底知れぬ恐ろしさを知って、ぜひ理性ある言動をお願いします。自民党内からも良識の声を!!日本を救うために。


武田康弘

 
今年の年明け~~
拙宅で。
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また安倍首相は熊本地震を政治利用ーーわずかの物資を運んだだけ!オスプレイのデモンストレーション

2016-04-20 | 社会批評

 


   「
オスプレイが行った陸上自衛隊高遊原分屯地から南阿蘇村の白水運動公園への空輸はもちろん、CH-47でも十分可能だった。というか、オスプレイが行った任務は、CH-47すらも必要なかった。


 18日、2機のオスプレイが輸送したのは、ペットボトル1200本、食料、テント80張り、簡易トイレ160個など。共同通信によれば、段ボールの数は「200個以上」という程度だったという。


 しかも、運んだ先の南阿蘇村・白水運動公園は比較的、離着陸のしやすい場所だった。自衛隊ヘリはもっと難しい場所でも離着陸していたが、オスプレイにはわざわざ安全な場所が選ばれ、そこから、自衛隊が車両で各避難所に運んだのだ。」(リテラ)


記事全文は、クリック。



  拉致やテロを最高の利用価値とする首相の安倍晋三の言動は、西側中心に世界各国のメディアから批判されてきましたが、今度は震災の政治利用です。福島原発事故の時も「原発は絶対安全」と言い続けた自分の罪を民主党の菅総理(当時)になすりつけたのですから、この男の鉄面皮には評する言葉さえありません。どうしたらこれほど恥知らずで嘘つきの人間になれるのか?不思議です。

武田康弘

 

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NHKニュース 「日本は報道の独立性の担保を」 国連人権理事会

2016-04-20 | 社会批評

NHKニュースをシェアします。

「日本は報道の独立性の担保を」国連人権理事会担当者

 日本での表現の自由の状況を調査した国連人権理事会の特別報告者が19日、都内で記者会見を行い「ジャーナリストからは、日に日に圧力を感じているという声も挙がっていて、日本は報道の独立性を担保するために何らかの対応を取るべきだ」と述べました。

 

 会見を行ったのは、国連人権理事会で表現の自由を担当する特別報告者で、カリフォルニア大学教授のデービッド・ケイ氏です。

 調査は19日が最終日だということで、ケイ氏は 「実際に調査を行って、報道の自由に関する懸念は強くなった。報道機関と政府の間に緊張感があることは健全ではあるが、ジャーナリストからは日に日に圧力を感じているという声も挙がっている。日本は報道の独立性を担保するために何らかの対応を取るべきだ」 と指摘しました。

 また、特定秘密保護法については 「国民にとって関心の高いニュースが法律で機密として開示されないおそれがある。 『秘密』という定義の幅が広く、政府は透明性が高い形で明確に定義する必要がある」と述べました。

 ケイ氏は、来年、今回の調査内容や改善点を報告書にまとめて国連人権理事会に提出することにしています。


(※太字、色字は、武田による)

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音楽ーー日本人の演奏家や学校が知らない音楽フィロソフィの基礎

2016-04-19 | 学芸




音楽

技術はとても大切、その研さんは欠かせない。
しかし、断じて目的ではない。
技術の目的化は、音楽を殺す。

知識、音楽理論は必要不可欠。
だが、理論を先立てる意識は、音楽の息の根を止める。

音楽はよろこびだ、よろこびは目的であり、手段ではない。
音楽は深い想いだ、想いは目的であり、手段ではない。
音楽は躍動だ、躍動は目的であり、手段ではない。
音楽はイデーだ、イデーは目的であり、手段ではない。

音楽は、自由な精神と同意味なので、音楽が型ハマリになり、音楽が権威になれば、音楽はその固有の価値ー魅力を失う。ただの音響と化す。こけおどしと化す。「宗教」や「主義」のしもべと化す。
音楽は、音楽以外のなにものかに仕えたら、音楽から善美は消える。
「全体を一つにする」という目的で音楽が使われたら、音楽は人間性を奪う悪となり、グロテスクで危険な化け物となる。

音楽は、客観知ではないのに、学知のように遇されたら、「学校知」にまで堕ち、その命を終える。音楽における知は、主観性の知であり、学校知(=正解が決まってる客観知)という低い次元の知ではない。それ自体が目的となる主観性の知である。
日本人は音楽に限らずだが、知の手段にすぎない客観知と、知の目的である主観性の知の区別ができず、曖昧なために、音楽表現の意味が分からず、音楽イデーを表現することがヒドク苦手だ。
だから、音楽のエロースを表出できず、客観学の延長としてのコンクール主義に走らざるを得なくなる。自己の内側から内発的に生み出す音楽イデーを持てないために、「審査員の主観性」に合う表現を目がけるという逆立ちした発想と行為に陥るほかはない。

日本では、音楽は、音楽固有の得難い意味と価値、音楽固有のエロースを持たず、固い殻被りの「音楽もどき」以上にはなれないのだ、恐ろしく上手い音楽もどき、とは、極限的なブラックジョークである。

音楽が仕えるのは、ただ一つ。自由な人間が求める善美のイデアのみだ。



武田康弘

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 『ブッダと親鸞』は、とてもお勧めです。 仏教は、平和の天敵である安倍自民党を批判しています。

2016-04-17 | 学芸


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 14日に鎌ヶ谷とわの会の安部さん工藤さんが見え、いろいろと多岐にわたりお話しましたが、その時に、2016年度に使う本が決まりました。

 『ブッダと親鸞』
Amazonで見たら、在庫が1冊しかなかったので、東本願寺の出版部に電話したらすぐ届きました。
 「浄土真宗」云々ではなく、ブッダと仏教について分かりやすく、かつ核心点を明瞭にした本として、とてもお勧めです。

 「神」という概念を持たない革命的な宗教(一宗教ではなくフィロソフィ=「天上天下唯我独尊」の徹底した民主倫理)である仏教を知りたい方には必読書と思います。仏教はいまだ未来的です。
 ゆえに安倍首相らの家系=長州閥は、廃仏毀釈で、仏教を潰そうとしたのでした。

 浄土真宗など仏教は、平和と平等と自由の【天敵】!!の安倍自民党を批判しています。

ーーーーーーーーーーーーー

鎌ヶ谷市とその周辺の方は、ぜひ御参加ください。楽しく有意義です、間違いなく(たぶん)。
今年度の会長さんは、安部節子さんです。047-445-0802
第1回は、4月22日(金)ですー
毎月第4金曜日。

 

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王子製紙ともあろうものが、銀座王子ホールが泣きますよ。人間としての矜持を持たないといけません。

2016-04-15 | 社会批評


王子本社ビルの彫刻
 撮影・武田

NHKクローズアップ現代で取り上げていましたが、王子製紙は業績好調にも関わらず、リストラ!!

人材派遣会社が、狭量な見方により、業績良好なうちにこそリストラでさらなる企業成長を指南し、それを受け入れてのリストラとのこと。

なんのために企業経営をしているのでしょうか?
人間と社会に貢献する理念がなく、ただ、数字が上がれば=儲かればよいというテイタラクでは、人間の生きる基本にかけ、すべては砂上の楼閣にしかなりませんよ。

わたしは、かつて、人間のため、社員を大切なかけがえのない一人の人間として見て「個人」を輝かせてこそ会社も伸びるという基本理念をうたい、会社発足の前から『日本オラクル』の初代社長となる佐野力(わたしの哲学研究会=恋知の会の熱心なメンバー)に強く話し、その方針を貫いた結果、よちよち歩きのオラクルは、奇跡のような大成功を収めたのですが、昨日のBlogにもあるような人間愛を基盤とした深い意味での合理性(人間性を伸ばすこと)こそ、企業発展の根本なのです。

簡明で大事な原理です。

銀座4丁目のすばらしい小ホールで、世界から注目される音楽事業を展開しておいて、一方ではリストラをする、情けないし、悲しいし、何より愚かです。経営陣も人間でしょう。人間としてのプライドをもち、深い意味での合理性=人間と人間性を第一にすることを望みます。

ブリヂストンの創業者の石橋さんや、ドイツの世界最高の光学メーカー、ツァイス財団の創始者ーエルンスト・アッベからぜひ学んでください。アッベのように従業者からも国民からも「神」のように尊敬されるまでにはいかなくとも。

 

武田康弘

 

以下は、王子ホールディング(株)からのメールです。
2016年4月18日 16時8分

武田 康弘様


このたびは当社ホームページへお問い合わせくださり、ありがとうございました。
当社はNHKの報道についてコメントする立場にありませんが、 従業員の自由な意思決定を妨げたり、健康上の理由による退職勧奨は 行っておりません。 
今後ともどうぞよろしくお願い申しあげます。 
 
王子ホールディングス株式会社 広報室 
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報告・連絡・相談の禁止---社員「個人」の自由と責任ーー会社成功の秘訣

2016-04-14 | 社会批評

楽園企業の「ホウレンソウ禁止」がヤバすぎる 「社長室の隣に勝手にトイレを作る」って

東洋経済オンライン / 2016413日 80

 

「ホウレンソウが一切ない」のは「人を育てる」ための経営戦略のひとつだった(撮影:和田 英士)


 

「社員が日本一幸せ」ともいわれる未来工業(岐阜県にある電気・設備資材メーカー)。同社は、1日7時間15分就業で残業禁止が原則。年間休日数が140日&有休最長40日で、休みの多さが「日本一」という声もある。しかも驚くほどの高年収で、海外への豪華社員旅行などもあって「楽園企業」と呼ばれる。

同社創業者の山田昭男氏は一昨年他界したが、遺作『山田昭男の仕事も人生も面白くなる働き方バイブル』は、いまも注目を集めている。

今回のテーマは、山田氏が導入した「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)の禁止」について。未来工業では「ホウレンソウが一切ない」が、じつはそれが「会社が儲かる」ための経営戦略のひとつらしい。

ホウレンソウ禁止が、会社の利益とどう結びつくのか。長年、同社を取材してきたルポライターが、その「秘密」を明らかにする。

■製品開発は上司に相談しないからうまくいく

「ウチにはホウレンソウはない。もちろん野菜の『ほうれん草』じゃなく、上司への『報告・連絡・相談』の略称の『ホウレンソウ』や。ウチでは製品開発ひとつとっても、担当者が勝手に決めて、完成品まで自分ひとりで仕上げるんや」

未来工業の創業者、山田昭男氏は生前そう話していた。だから未来工業では「ホウレンソウ禁止」だ、と。

未来工業では、もちろん多少の事後報告や相談はあるものの、基本は開発担当者が「一国一城の主(あるじ)」。製品アイテム数が多いこともあるが、個別製品にくわしくない上司が、下手に口出しするのを防ぐためでもある。

「近頃の管理主義は、社員を信用せずに、上司が事細かに口出しして“子ども扱い”をしとる」と山田氏は言うが、上司の気まぐれな口出しに、右往左往させられているビジネスマンから見れば、それだけでも「楽園」に見えるかもしれない。

とはいえ、「すべて任される」ということは、製品の売れ行きが最終的には「担当者の責任」になるので、いい加減な仕事はできない。

では、もし製品が売れなければ、担当者はどんな「責任」をとらされるのか?

結論から書けば、たとえ担当した製品が売れなくても、担当者は「責任」をとらされることはない。

「元に戻して考えればええだけや。『改善を続けるかぎり、失敗にはならない』というのがウチの考え方。その試行錯誤が個人の財産にもなる」というのが山田氏の考えだからだ。

■総務課が決めたトヨタより高い会社見学料金

ホウレンソウがない未来工業では、社長の知らないうちに地方に営業所ができていたり、総務部長の発案で1時間の昼休みが45分に短縮されたこともある。ほかにもまだある、「そんなことまで勝手に決めていいの?」という「ホウレンソウ禁止」の驚きの実例を紹介しよう。

(実例1)総務課が相談せずに決めた、1人2000円の会社見学料金

総務課の社員たちが勝手に決めたのが、1人2000円の会社見学料金。東京の美術館でも1500円程度だし、トヨタ自動車も会社見学は無料だからメチャクチャ高い。「料金を高くすれば誰も来なくて、ヒマになる」と考えたかどうかは不明だ。

しかし結果は、国内外から見学者が増え、以前より忙しくなって「年商なんと2000万円」の日本一稼ぐ(!?)総務課が誕生した。

(実例2)嘘の報告OKでも、1回499円の社食を誰もごまかさない

同社の本社社員食堂は、定食・麺類・どんぶりのどれでも一食499円。そのうち200円を会社が補助しているが、「何回社食を食べたか」を記す伝票やカードはなく、あくまでも自己申告制。だから10回食べても「20回食べた」と、嘘の報告をしてもバレることはない。

しかし、社員たちの自己申告額と食堂の精算は、毎月ぴったり一致する。ホウレンソウがなくても、誰もごまかさないわけだ。

(実例3)社長への相談なしに誕生した「社長室直結のトイレ」

ホウレンソウ禁止を逆手にとり、社員らが内緒で設計したのが山田氏の社長室(当時)直結のトイレ。

1985年の新社屋建設時、夏は節電のために山田氏は社内ではランニングシャツとパンツ一丁が定番だったが、お客さんも出入りするため、「下着姿の社長」を見られるのを社員たちが嫌がったか。そこで「社長室直結のトイレ」を勝手に社員たちがつくったのだ。

「社長専用はムダだろ?」と怒る山田氏を、社員らはこうなだめたという。

「いいえ、私たちもしっかりと使わせていただきます。それよりも、『社長室直結のトイレは日本初じゃないか』と建設会社の方が言っていましたよ」

日頃から他社との差別化を説く山田氏を、「日本初(!?)のトイレ」を口実に黙らせたわけだ。しかも、この新社屋と工場建設は社員たちに丸投げで、山田社長はノータッチ。

「社員たちが一番働きやすい本社を建てればエエんや」というのが山田氏の考え方だったが、こうしたホウレンソウ禁止を逆手にとった「常識破り」の数々。

なぜそこまで未来工業は「ホウレンソウ禁止」にこだわるのか?

「ホウレンソウ禁止」の本当の狙いはどこにあったのか。山田氏が筆者に語った印象的な言葉から探りたい。

■ホウレンソウ禁止だから社員は自分で考える

(山田語録1)「『ダメな上司』ほど、部下を管理したがるもんや」

そもそも、「『ダメな上司』ほど部下を管理したがる」と山田氏は言う。「上司に話すだけで、部下は萎縮する。だからホウレンソウは『管理の始まり』なんや。どれほど奇抜なアイデアも、上司に『バカなことを言ってる場合か!』と叱られたくないから。部下は本音の5分の1も話さなくなる」

一方、中小企業は他社には考えつかない、突拍子もないアイデアこそが生命線。ホウレンソウで社員を萎縮させては本末転倒だから禁止、というわけだ。

(山田語録2)「『嘘をついてもエエぞ』と言われると、人はなぜか真面目になるもんや」

「『嘘をついてもエエぞ』と言われると、逆に、日本人は真面目になる。ホウレンソウなしだと、『(会社は)自分を信頼してくれている』と考えるからや」

一方、「嘘をついたらヒドイ目にあうぞ」と脅かす大企業の管理主義は、子供がいくつになっても口うるさい母親の行動パターンを、社会人相手に続けているのと同じ。だから、山田氏はそれを「子ども扱い」とバカにしていた。

(山田語録3)「管理しないほうが人は自分の頭で考えて、よく働くんや」

ホウレンソウを義務づけられると、社員はその分だけ、「課長や部長もOKしたじゃないですか」と、責任転嫁する余地も広がる、と山田氏は指摘する。

「それだと、社員一人ひとりの問題解決力や判断力は、いつまでたっても育たない。ホウレンソウがないからこそ、自分たちの頭で考え、行動し、その結果を自分なりに分析できる『プロ社員』に近づけるわけや」

「指示待ち社員」が1万人いる会社より、自分で考えて動く「プロ社員」が1000人いる会社のほうが儲かる。ホウレンソウ禁止は、そういう「人を育てる」ための大きな戦略のひとつだったのだ。

「管理したがる上司」と「任せきることのできる上司」、そして「指示待ち社員」と「自分で考えて動くプロ社員」――。あなたの会社と、あなた自身はいったいどちらだろうか。

 

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安倍首相を駆り立てている原動力の正体----昭恵夫人が語る

2016-04-13 | 社会批評

 さらに、不気味に感じたのは、安倍首相を駆り立てている原動力の正体が昭恵夫人の口から語られたことだ。

 それは、"主人は家庭では真面目でおとなしくてやさしい"と言う昭恵夫人に、聞き手である青木が「国会論戦などで見せる攻撃的な顔。このギャップがどうしても埋まりません。内と外で見せる姿の乖離というか二面性というか」と突っ込んだ際のことだ。

 昭恵夫人は、その二面性を認めた上でこんな話をしている。

「主人は、政治家にならなければ、映画監督になりたかったという人なんです。映像のなかの主人公をイメージして、自分だったらこうするっていうのを、いつも考えているんです。だから私は、主人は安倍晋三という日本国の総理大臣をある意味演じているところがあるなと思います」

 これが事実なら、安倍首相は国民の生命や生活がかかっている日本の現実をまるで映画のようにとらえ、「勇ましい主人公」を演じるために政治を行っているということではないか。そして、安保法制を強行し、今、憲法改正にひた走っているのも、ヒロイックな自己陶酔によるものということだろう。

 妻だからこそ知っている安倍晋三の本質。日本の総理大臣はもしかしたら、我々が考えているよりも何倍も危険な人物なのかもしれない。
(伊勢崎馨)

 

記事全文は、クリック。

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日本は、西側諸国とは基本的な価値観を共有しません。「個人」否定の国家です。

2016-04-11 | 社会思想

 


 わが国が、

個人の精神的自立を前提にして、主権者を国民とし、社会契約の考えで国家をつくるという西側国家の基本思想を受け入れていないのは、
安倍自民党の「憲法改正案」を見れば一目で分かります。

 「個人」という現日本国憲法の基本概念=言葉をすべて消去し、マスにすぎぬ「人」という言葉に変えていますが、これは、社会契約=主権在民思想を、根本のところで否定するものです。西側諸国の思想ー価値観とは原理が異なり、近代市民社会の民主政思想とはまるで違います。
 安倍自民党の思想は、戦前日本の思想で、国体思想=靖国思想(日本的国家主義)といいます。政府による皇室の絶対化に依拠する【国家宗教】ですが、これは、天皇個人の思いや考えとは無縁で、家系の継続性のみを「神」とする日本主義の宗教です。
  
 現天皇の明仁さんと皇后の美智子さんが嫌い、否定しているのが「国家神道=靖国思想」です。

 
 西側諸国とは、根本的に異なる日本の教育は、世界のどこにもない『部活』=集団同調を自我形成期の子どもの心身に埋め込むシステムが象徴しています。
以下のBlogをご覧ください。


 武田康弘

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『部活』という世界に例をみない思想&手法。 自由化のためのキャンペーンを!

2016-04-09 | 教育

 わたしは、こどもたちと40年間、ともに悩み、考え、行動してきましたが、中学校(高校も)の『部活』(他国の言語に翻訳不可能)は、書ききれないほどの問題を抱えていますので、一つひとつではなく、根本的な問題について一言します。

 『部活』は、思春期の自我形成期に、周りに合わせる生き方を刷り込ませる力を持ち、本人の自覚なしに、集団同調イズムに染めさせます。一人の精神的に自立した人間=「個人」ではなく、集団主義のニッポン人をつくります。自立性の強い人を「変わった人」と見るのは、実に恐ろしいことですが、右へならえを当然と思う「非自立人」が多数を占めれば、人は「個人」としては生きられなくなります。根源的な人権抑圧ですし、不健全な社会をつくってしまいます。

 わたしは、『部活』と『受験主義』の学習と、意味のない『校則』は、三者一体で中学生を馴致するアイテムであり、豊かな人間性を底から奪うものと見ていますが、中でも心身全体を縛る『部活』は、世界に例をみない染脳ー占脳の方法で、極めて特殊日本的な現象です。酷く困った問題ですが、ニッポン主義ー集団主義に従わせるには、実によく考えられ練られた手法です。

 教師は、自からが既成価値に従うだけの奴隷的存在に過ぎなければ、人間として失格です。「ドレイがドレイの仲間を増やすだけ」という悲喜劇にしかなりません。変えていきましょう~~。わたしたちみなの幸福を生むために! 自由は、人間の基本的な権利です。

  また、長時間、毎日、同じことを同じ人としていると、自分の頭で考えるという基本が弱くなります。私という個人の自由と責任意識が育たなくなり、学習でも余裕がないため、思考実験をしない頭になり、パターン知に陥ります。単線的な紋切型の頭脳になってしまうのです。受験知秀才以上にはなれません。

 

 みなさま、ぜひ、「部活自由化」のキャンペーンに賛同され、シェアしてください。

※入らない人を有形無形に差別する、空気で圧力をかける、ということだけは、絶対に許されないことです。入る、入らないは、自由でなければいけません。

 

 

武田康弘

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石川 裕一 こんばんは

協調性の為なのかはわかりませんが、海外は真逆な感じもします。

田舎の村八分、モラハラの根源な感じもします。

 

武田 康弘 ニッポンの常識は、世界の非常識、では困りますよね。

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福留 敬 上下関係もありますよね。まえに部活の上下関係の話を大人として「黒いものでも先輩が白と言ったら白」というような理不尽に従えるようになれる為に部活は必要。という考えの大人が多くてびっくりしました。大人社会がそうだからそれを学ぶ場という意識なんですね。

大学進学率以上に部活の実績に魅力を感じて我が子を入れたがる親も多いですよ。部活至上主義の原動力です。

あと真面目なひとで、授業をサボるよりも部活を休むことが本人へのマイナスと感じている親も多いですね。なんというか「部活で完全燃焼したという青春を我が子の人生に残してやりたい」という感じです。そのウラにはあとの人生にイイことなんてないからという感じがありますね(笑)

結局、親ですね。親が幸せな大人になっていなくて部活に打ち込んでた中学時代が幸せだったなあと思ってる親が多いんですね。

ちゃんと子どもの幸せを見れていないと思います。
親を親としてちゃんと育ててあげないと子どもは育てられません。

 

武田 康弘 親も子であったわけですから悪循環を断たねば。

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長谷川 裕彦 シェアさせていただきました。思い起こしてみれば,小学校での運動会や卒業式を始めとする多くの行事も中学の部活に繋がっていると思います。本当に「良く考えられた手法」だと思います。なんとかしなければ!

武田 康弘 ニッポン人にはなると、人間やめなけれななりません(笑)。精神の自立を疎ましく思うという国では、人間が人間として生きるという基本がありません。

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石橋 司 武田さま、よく仰っていただきました。
部活に加入しない子を「帰宅部」と呼ぶなど、根深い同調圧力があります。
中学校の部活から企業まで、富国強兵路線が真っ直ぐつながっていると思います。

武田 康弘 帰宅部、まったくブラックジョークです。
わたしの息子は、幼いころから運動好き、一度もスポーツ訓練はしませんでしたが、運動会ではいつも1番でした。中学に入学し、サッカー部に入ろうとしましたが、見学して「こんな練習はマチガッテいるよ」と言い、【帰宅部】を選択。唯ひとりでした。我孫子市の管理教育の中学校でよく貫いたと思います。いま、35歳で二人の子どもにいつも遊んであげるパパになりました。毎日、心身全体で遊んであげると運動神経がよくなり、訓練などしなくても大丈夫の見本を身をもって証明したのは、わたしです(自慢・笑)。一番大切なのは、心身全体で十分に遊ぶことですね。

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北浦 俊太郎 本来、児童生徒の自主的な活動のはずなのに、中国地方五県では三割くらいの中学校で部活動の強制加入になっています。もちろん、児童生徒の負担も大きいですが、先生方も、半ばボランティアでやっているところもあり、学校のブラック化の要因の一つになっています。若い先生方は自分が部活動をやった経験のない人も多く、部活動をもたされるとパニックになることもあります。
私は、部活動をやるなら、地域の社会体育に移行して、児童生徒が自由に地域で行う活動にすればよいと思います。
部活動が加熱するのは政治経済的なものもあります。

石橋 司 北浦さま、青森県八戸市の石橋と申します。
私は2000-2004年に小学校PTA会長を経験しました。当時の校長から「小学校部活動を廃止し、愛好会としたい」と申し入れがあり、私も賛同したので、がんばって改革しました。主旨は、教員が本務である授業に専念できる時間を確保することです。
強烈な反発がありました。保護者からは「放課後、どこに子どもを預ければいいんだ」と、部活が学童保育になっている実態が浮かび上がりました。
また校長は市教育委員会から、こってりと絞られたそうです。「生徒指導上の手落ちとなる」という叱責だったそうです。
それでも強行しました。校長と私は信念を抱いたからです。
幸いその小学校は、事故もなく愛好会が続けています。地域の指導者が学校に来てくれているからです。

北浦 俊太郎 自主的活動について教育委員会から叱られるというのはおかしなことですね。小学生の時は、もっとゆったりして、家庭や地域で過ごす時間も大事だと思います。保護者のことは保育園の問題と同じ問題がありますね。

武田 康弘 『部活動』という言葉=概念そのものが非人間性=ニッポン人性をうむのです。部活動という思想を破棄する以外はありません。

武田 康弘  石橋さんと校長の努力、実にすばらしいです。感動しました。

ーーーーーーーーーーーーー

富岡 達彦 学校という日本式序列社会が、学級の平成版陸軍内務班化を推進しています。。子どもたちに、優劣序列意識を植え付け、全体主義と集団的迎合同調へ誘います。個の多様性とはドンドンかけ離れ、規格・画一的人間を量産します。。教育を『狂育』・『狭育』にしてしまわないような、議論が必要ですね。

武田 康弘 日本社会は、二つの言葉ですべて収まります。「型と序列」
政治的な左右と関係なくです、(却ってリベラル派に多いのが学歴による序列主義)。
仏教の国なのに、なんというテイタラク。

ーーーーーーーーーーーーー


稲田 由美子 まことにおっしゃる通りです。


部活の強制、校則で服装や髪型を規制すること、受験体制の矛盾、排除したいものばかりです。

武田 康弘 わたしたち日本人も人間になろう~~~~という運動をしましょう(笑)


ーーーーーーーーーーーーー


澁谷 浩之 賛成します

 

 

きくち かおり 私は自分の学生時代、教師時代も部活動は楽しく、やりがいのあるものでした。(主に吹奏楽部)授業とは違って、生徒主導の部分も多い。
東北では中・高の吹奏楽部、合唱部の経験から音楽活動を大人になってもずっと続ける方も多いです。高いレベルの音楽的活動してる部も相当数あります。

ただし今の授業と平行して全て学校の教師が面倒見るのはあまりにも負担。休日なしで長期休暇中もずっとやる というのは辞めた方いいとは思います。
 
武田 康弘 わたしも吹奏楽部、トロンボーンでした。吹奏楽、楽しいです。
でも、それが、「部活」になると、おかしくなります。「愛好会」「同好会」としてみなで楽しむという考えでないと、違った方向に行きますが、その独特の縛りや先輩後輩という人間関係がやがて「心地よく」なり、それが命のようになります。まるで麻薬のよう。学校は部活のためにある!?(笑・困)

ーーーーーーーーーーー
 
 
林 美春 私の学校嫌いは正に先生御指摘の点でした。
 
齊藤 麻由美 長男は、そのシステムに合わせようと頑張りすぎて、疲れてしまい、約半年、学校に行かれませんでした。
 
Masumi Wagner こうした動きがついに出てきたことはすごい進歩だと思います。
 
 
武田 康弘 こどもは、けなげに合わせようと努力する、大人は合わせるは当然で、合わせられない子は異常だとする、なにも見えず、分からず、鈍感な大人は、自分を反省せず、子どもを悪とする。わたしは、こどもの代弁者として闘い続けて40年。傲慢で愚かな大人が威張り散らす愚劣な国を変えなきゃ、底まで腐る。

ーーーーーーーーーーーーーー
 
 
村上新 あらゆることに優先する中高生の部活。今見直しが必要ですね。
 
 
武田 康弘 まさに、「あらゆることに優先する」ですね。
個人の都合は認められず、家庭の都合も認められず、部活が優先。
その異様、異常さに気付くことが出来ず、いつの間にか、それで「よい」になる。
そういう人が増えれば、「個人」という言葉をすべて消した自民党憲法のおぞましさ・危険性に気付かず、その「異常さ」を当然とする世界の孤児になる。オランダのウォルフレンの言う「人間を幸福にしない日本というシステム」の完成。
自由と責任をもつ「個人」ではなく、
集団に埋没する「組織人」=ニッポン人が出来る。
精神的に自立する個人が歓迎されるどころか、疎まれる国は、こうして誕生するーそういうシナリオは最悪。必ず食い止め、個人が個人として尊重され、それぞれの個人が輝く社会をつくる!!
それは、結果的に、組織を活性化し、組織の力を強める。わたしは、日本オラクル(株)においてずっと以前に証明済み。

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染谷 裕太
染谷 裕太 僕はまさに野球部で「部活動」を身をもって体験しましたが、3年間続けたということを「偉い」と大人に言われた時には「この人は何にも分かってない」と思いました。あれは辞めるのが正常であって、続けるのがおかしい。しかし、おかしなことに従順に従うと、それを大人は褒める。

いま旅行をして色々な国の人を見ていますが、地域、国によって自覚の程度は違っても「自分を出す」のが根本的な生きる姿勢であることは共通していると感じます。日本の場合は逆で「自分を出さない」ように教育される。部活動はその象徴と思います。
 
武田 康弘
武田 康弘
ゆうた君、アフリカの地からありがとう~~~!!

「おかしなことに従順に従うと、それを大人は褒める。」-----日本人は従い、耐え、自分を殺す、それが「正しい」という文化、【生かさぬように殺さぬように】ーこれがニッポンの伝統(あんまりヒドイ思想なので怒りを通り越して笑うしかない)。

[「自分を出す」のが根本的な生きる姿勢であることは共通。しかし、「日本の場合は逆で「自分を出さない」ように教育される。部活動はその象徴」]
----深い意味で、人権侵害、人権はく奪、それを、「教育」と呼び、「あなたのため」と言う。ずいぶん変ですね。

世界のどこにも通用しない(北朝鮮では通用するかな?)思想・誘導・強制が「正しい」!!??
 
Toshirou Maruyama
Toshirou Maruyama ノールウェイからの留学生が、日本の高校のブラスバンド部に入り、その異常な練習ぶりに「Japanese are clazy!」と叫んでいたのを思い出しました。
 
武田 康弘

武田 康弘 以前に、我孫子市の白山中学校にホームステイきた女の子が、「監獄みたいな学校」と言い、帰ってしまったことがありました。

日本は全然西側諸国と価値観を同じくしていませんね、安倍晋三君、ウソは休み休みにしてちょうだいね。まあ、言っていることいつもウソばかりなので、わがニッポン人はウソがすきなのでしょうね。
われわれは、ウソとゴマカシとタテマエで生きる「美しい国」の国民です(笑困呆)。

ーーーーーーーーーーーーーーー

※部活に入らない人を有形無形に差別する、空気で圧力をかける、ということだけは、絶対に許されないことです。入る、入らない、は自由でなければいけません。ほんらいは当然のこと。

 

 

 

 

 

 

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演奏評ー4月6日 イブラギモヴァ率いる「キアロスクーロ・カルテット」(王子ホール) 「死と乙女」他

2016-04-08 | 芸術




 

月6日は、イブラギモヴァ率いる新世代のキアロスクーロ・カルテット(in王子ホール)を聴いた。
モーツァルト ディベルティメント137   ベートーヴェン4番。シューベルト死と乙女。アンコールにモーツァルト デイベルティメント138

モーッアルトの凜とした美、ベートーヴェンの激しい情熱、ともに甘いロマンとは無縁の21世紀の抒情性を現す。現代を呼吸する現代の音楽。
時代楽器ではないが、ピリオド奏法というべきで、ノンビブラート。


「死と乙女」は、すべて過去の名演を忘れさせる新しいシューベルト。
物語性・文学性はなし、宗教性もなし、
ただ、音楽のイデアだけが燦然と輝く。

内容からすれば「イブラギモヴァ四重奏団」というのが正しいが、彼女が示す理念は、理性の普遍性を求めるクラシックの桎梏を越え、【人間感情の普遍性】の世界を拓く。
イギリス最良のフィロソファー・ヒュームが看破したように、原理上、感情は理性を支える基盤であり先行的である、をクラシック音楽の演奏仕方において見事に具現化しているのがアリーナ・イブラギモヴァであり、彼女の同伴者たちだ。

彼女はあるゆる面で圧倒的であり、従来のクラシックの批評を超える存在だ。
わたしは、3月25日には、ここ王子ホールで、モーツァルトヴァイオリンソナタ(ピアノは相棒のディベルギアン)全曲演奏の最終回を聴き、
3月30日には、所沢ミューズで無伴奏。バッハ、イザーイ、バルトークを聴き、
4月6日は、再び王子ホールで、弦楽四重奏を聴いた。

まず第一の彼女の特徴は、精神の自由。「唯我独り尊い」(=何者にも比べる必要のない自分の価値)という精神だ。
演奏は、自由闊達であり、濃やかで無限の色模様をもち、かつ、大胆不敵だ。
ネコ科の動物のような目と姿勢は実に魅力的。
21世紀は主観性の時代だ、とわたしは確信しているが、彼女とその同伴者たちは、時代の先頭にいる。

ただし、今日の演奏は、まだまだ「完成形」ではない。新たな世界を目がけていて、その目がけるものには脱帽だが、イブラギモヴァと他の奏者との力量の差は歴然で、彼女一人(無伴奏時の演奏)の恐るべき高みとは、明らかに次元が異なる。

わたしは、アリーナ・イブラギモヴァの示す理念と実践に共鳴する演奏者が増えることを願い、発展途上の「キアロスクーロ・カルテット」にも最大級の賛辞を呈したい。いいぞ!



武田康弘



   妻が、所沢での無伴奏の演奏会はすばらしかった、と話すと、手を合わせて「ありがとうございます」と日本語で。

2016年3月30日 アリーナ・イブラギモヴァ公演(所沢ミューズ)その到達点は、あまりの高みで、言葉を失う。

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4月2日、写真で見るサントリーホール30周年ーオープンハウス

2016-04-04 | 芸術

 

4月2日 サントリーホール30周年  オープンハウス

 
 

今日は、サントリーホール30周年オープンハウスに3才のななちゃんと8才のけいや君を連れて行きました。年齢制限なし、写真も演奏中以外は自由。席も全席自由席で、無料。

とても楽しい催しで、3才のななちゃんも、帰ってから「楽しかったよ、おんがく」とお父さんにニコニコ顔で報告。

午後2時過ぎからの大ホールでの催しに参加。

第九の4楽章、合唱は、その場で歌いたいと名乗りを上げた人たちのリハなし、これが信じられないほどのレベルで、感動。人数が凄いので(右後ろと後と左後の全部が合唱団)、通常の第九を上回る迫力に圧倒されました。それにしても後ろの客席からの合唱、その音響のよさにビックリでした。

その後は、オルガン、バッハのトッカータとフーガニ短調など。

最後は、楽しい曲目のミニコンサート。アンコールは、ウィーンフィルのニューイヤーと同じくラデツキー行進曲。

幼児の泣き声も混ざり、ステージ台の下までちょろちょろする子もいて、通常のコンサートではありえない状況。しかし、それが気楽で心地よい。よい催しーアットホームな雰囲気でリラックスできました。

今日のような催し、増えるといいですね。音響が素晴らしいだけでなく、見た目も美しいサントリーホールは、幼児や児童の情操教育にプラスします。

いつもの神経質なサントリーホールより、ずっと魅力的でした。

 

武田康弘

 


 

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フッサール現象学のはじめの1分講座。現象学という言葉の意味。

2016-04-04 | 恋知(哲学)
 
数年前、ある東大教授(社会学)に「現象学」について質問されたのですが、

彼は、「現象学というのは、現象についての学だから、本質の探求ではないですよね。」

と言いました。

これは、言葉の意味の捉え違いで、
 
そうではなく、
 
現象とは、意識現象のことで、【人間意識の学】という意味です。
 
人間の意識活動(=意識現象)の本質を探求する学ですので、本質の探求そのものです。フッサールの言葉では、本質観取。

表層的という意味での現象の探求ではないので、要注意です。言葉の意味を捉え違いしていると、ひどい曲解となります。

まず、入り口(言葉の意味)を明晰にしてからでないと、中身に入れませんので、それをお話しました。



武田康弘

 

 

 

 

 

 

 
 
 
 
 
 
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「これほど異常な民主政国家は見たことがない。」ーーニューヨーク・タイムズ東京支局長

2016-04-01 | 社会批評
 

「報じない大メディアが悪いのです」――。NYタイムズ東京支局長指摘 「大新聞は国民を見下している」   http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/158019 日刊ゲンダイ 2015/3/16

 
 
イメージ 1
 
来日して12年になるマーティン・ファクラー氏(C)日刊ゲンダイ
 
国の根幹が変わるのに、新聞が反論を載せない異常

 
相変わらず安倍政権の支持率は高いが、不思議なことだ。
 
庶民にアベノミクスの恩恵はまったくないし、
イスラム国の人質事件は最悪の結末に終わった。
 
政治とカネの醜聞が噴出し、大臣がまた辞任した。
 
そんな中で、安倍政権は平和憲法をかなぐり捨てる法整備を進めているのに、
世論は怒るわけでもない。
 
その理由を尋ねると、来日して12年になるニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏からは明快な答えが返ってきた。
 
 「報じない大メディアが悪いのです」――。
  (※以下、青字がマーティン・ファクラー氏
 
――この調子でいくと、今月中にも自衛隊が世界中に出ていって、
戦争協力する法案が提出されることになります。
国の形が完全に変わってしまうのに、日本人は関心も示さない。どう思いますか?
  
 
こうなっているのは2つの大きな要因がありますね。
ひとつは自民党一強、野党不在の政治状況。
もうひとつはメディアが安倍政権を怖がって批判を控えていることです。
 
 
――やっぱり、怖がっているように見えますか?
  
 
見えますよ。
 
日本はいま、これまでとは全く異なる国家をつくろうとしている。
憲法に基づいた平和主義を守るのではなく、米国や英国の仲間になろうとしている。
 
果たして、それでいいのか。
大きな岐路、重要な局面に立っているのに、そうした議論が何もないじゃないですか。
 
これは本当に不思議なことです。
 
恐らく多くの国民は、
戦後以来の大きな変化が起こっていることすら
知らないんじゃないですか。
 
私は何も新聞に反安倍のキャンペーンをやれと言っているわけではないんです。
安倍政権はこういうことをやろうとしているけれども、そこにはこういう問題点や危険性がある。
こういう別の意見もある。
せめてさまざまな立場の見方を紹介して、幅広い議論を喚起することが必要なんじゃないですか。
 
 
――しかし、それすら大新聞はめったにやらない。
何か安全保障の問題はタブー視されているような印象すらありますね。
 
 
なぜ、タブー視されるのでしょうか。
9・11の直後、米国では国を守るためには団結しなければダメだという危機感が
メディアの批判精神を鈍らせました。
 
これは大きな失敗でした。
あの時こそ、メディアは冷静になって、きちんとブッシュ政権に問うべきだったんです。
 
本当にイラクに大量破壊兵器はあるのか。
本当に、この戦争をしなければいけないのか。
 
しかし、それをやらなかった。
 
それと同じ失敗を日本のメディアは犯そうとしていますね
 
いま、日本の国家はどういう危機に直面しているのでしょうか? 
台頭する中国への不安や懸念ですか? 
イスラム国の脅威ですか? 
そんな小さなことでジャーナリズムが批判精神を失うのでしょうか。
 
 
――イスラム国の人質事件ではニューヨーク・タイムズ紙に掲載された風刺画が
非常に印象に残っています。
「イスラム国は平和主義から逸脱する日本を後押しするか」というタイトルで、車夫(=日本人)の鼻先にイスラム国の旗をぶら下げ、「憲法改正」の車を走らせる安倍首相が描かれていた。キャプションには「安倍晋三“大統領”は復讐を呼びかけた」とあった。
  
イメージ 2
 
ニューヨークタイムズの風刺画 世界はわかっている。わかってないのは日本だけ? gataro
 
 
 
 
ニューヨーク・タイムズの論評を扱う部署には複数の風刺画家がいます。
そのうちのひとりがアイデアを提示した。
私が関わったわけじゃありません。
 
 
権力を見ない新聞を国民が信じますか?

――ということは、米国人は一般的に安倍首相のことを、
そういう目で見ているということですね?
  
そうだと思いますね。
ひとりがアイデアを出して、みんながそうだね、と賛同したわけでしょうからね。
 
 
――それなのに、日本の大メディアは風刺画どころか、
安倍政権が人質救出に何をしたのか、しなかったのか。
イスラム国と戦う国への2億ドル支援演説の是非もほとんど論じていませんね。
  

私は中東で調査をしたわけではありませんが、
東京から見ている限り、安倍政権はあらゆるルートを駆使したわけではないでしょう。
最初からあきらめていたように見えます。
身代金の支払いにしても早い段階から拒否しているし、この事件を政治的に利用し、
テロに屈しないと宣言して米英の一員であることを国内外にアピールするのが狙いだったように感じました。

 
――人質救出に全力を挙げると言っていましたけどね。
  
 
政治っていうのは、みんなそんなもんですよ。
オバマ政権も一緒です。
 
ただ違うのはメディアが政府の言い分をうのみにするかどうかです。
 
私は列強の仲間入りをしたいという安倍首相が悪いとは言いません。
彼は素直に自分のやりたいことをやっている。
それは就任前の言動から容易に推測できたことです。
 
問題はそれに疑問も挟まず、従って何の質問もせず、説明も求めないメディアの方です。


だから、安倍首相が積極的平和主義を唱えれば、
多くの国民が何の疑問も持たずに“そんなもんか”と思ってしまう。
ここが危険なところです。
 
 
 
――積極的平和主義で、米国と一緒になって戦う。それが日本を守ることになる。
こういう主張の政治家、官僚、学者、評論家たちは、米国がやっていることが正義であるという大前提に立っていますね。
ただし、そういう人々の多くは、アーミテージ元国務副長官に代表されるジャパンハンドラーと呼ばれる人としか付き合っていない。
 
このほど、ファクラーさんが出された孫崎享さん(元外務省国際情報局長)との対談本、「崖っぷち国家 日本の決断」(日本文芸社)の中には、こういうことが書いてあって、本当に驚きました。

ハンドラーという言葉は「犬を扱う」ようなイメージだというし、そのジャパンハンドラーの人々が米国を動かしているわけでもない。これは非常におかしなことだと思います。
 
  
 
ジャパンハンドラーの人々は非常に保守的で、オバマ政権にも入っていないし、
決して米国の意見を代表しているわけではありません。
それなのに、自民党の政治家や外務省の官僚はジャパンハンドラ―に頼ってしまう。
 
 
 
――対談本でファクラーさんは、
「ジャパンハンドラーは『既得権益集団』で、
コンサルティンググループなどをつくり、強欲な商売をしている」とおっしゃっていた。
  
 
鳩山政権の時に脱官僚を唱えた瞬間、日米関係がぶっ壊れたでしょ? 
あんなにすぐ壊れるものかと驚きました。
このことは日米のパイプがいかに細いかの裏返しです。

一部の自民党の政治家や官僚とジャパンハンドラーとの付き合いしかないのです。
 
日米関係に関わっている人は非常に少数で、そういう人が同盟関係を管理している。
だから、普天間基地の移転問題にしても辺野古しかないという結論になってしまう。
 
もっと幅広い人脈と付き合っていれば、さまざまな意見、選択肢が出てくるはずです。
 
 
 
――集団的自衛権についても、それが日米同盟では当たり前ということになってしまう。
  
 
確かに戦後70年間、米国と一緒にやってきて、ある意味、安全だった過去の実績はあります。でも、今後もそれでいいのか。
平和憲法を捨てず、平和主義を貫く選択肢もあるし、
鳩山政権や小沢一郎氏が唱えたようなアジア重視の道もある。
どちらがいいかは国民が考えた上で決めるべきです。
 
 
――ところが、日本人には、それを判断する情報すら与えられていないんですよ。
新聞が選択肢すら報じないものだから。
  
 
日本のエリートの上の方で、物事が決まっている。
大きな新聞はそちらの方を見て記事を書いている。そんな印象ですね。
 
新聞社は読者の側に立って、権力を見ていない。
権力者の側に立って、国民を見下ろしている。

そんなふうに感じます。
こんな新聞を国民は信じますか? 
 
 
 
――このまま米国追随路線をエスカレートさせたら、この国はどうなっていくと思われますか?
  
 
イスラム国のような事件がまた起こりますよ。
米英豪仏などと同じ一員になれば、彼らの敵が日本の敵にもなる。
 
日本人はそこまでの覚悟をしているのでしょうか。
 
いずれにしても、民主主義国家でこれほど異常な一党支配の国は
私の知る限り、見たことがない。
戦前と似ていると言う人がいますが、野党不在で政権と違う意見を許さないという雰囲気においては、似ているかもしれません。

健全な民主主義に不可欠なのは議論なのに、それを忘れているとしか思えません。
 
 
▽マーティン・ファクラー 1966年生まれ。ダートマス大卒業後、イリノイ大、カリフォルニア大バークレー校で修士。ブルームバーグ東京支局、AP通信東京支局、ウォールストリート・ジャーナル東京支局などを経て、ニューヨーク・タイムズ東京支局長。近著に「崖っぷち国家 日本の決断」(日本文芸社)。
 

個人の自由は、瞬間で消されます。それが国家の公権力なので、立憲主義が不可欠なのです。クリックしてください。

 

民主主義国で、日本ほど「生徒抑圧の校則」をもつ国は、どこにもありません。ブラック校則。

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ランドセル、こどもが可哀想ーさすが京都の小学校!「ランリュック」を全国へ広めたい!!

2016-04-01 | 教育

以下の記事は、2万2千件の「いいね!」をいもらいましたが、

4月1日、今日から、2016年度の始まりです。

ぜひ、さらに広めて変えて行きたいと思います。

各学校は、ランドセルでなくてもOK、とはっきり言ってほしいと思います(選択の自由)。

ランドセル、こどもが可哀想ーさすが京都の小学校!「ランリュック」を全国へ広めたい!!
クリックしてください。

 

 


武田康弘

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