思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

女性の活用=アベノミクス戦略?「活用」!?「もの」ではありませんよー愚か者の官府のみなさん。

2014-06-28 | 社会批評

政府は、労働力不足を補うために、女性の活用を! 成長戦略の柱の一つに!と宣言しています。

「活用」ですか、超上から目線ですね。否、イヤらしい目線です。

 企業や官僚政府が、女性を活用しよう! 活用すべし!

 ずいぶん調子のいい話ですね。

人は、ものでも、システムでもありませんよ。

 一人ひとりが「生きてあること」=それ自身が究極の価値です。

 主体者とは、一人ひとりの女であり男です。なにがしかの組織が主体者なのではありません。当たり前すぎる話です。

「私」が生きるのです。
「私」が善美に憧れ、真実を求めるのです。
「私」が勉強をするのです。
「私」が仕事をするのです。
「私」が活躍するのです。

「私」こそは、あらゆる価値を生みだす源泉です。

人は、ものやシステムとは違います。誰かに、何かに、「活用」されるために生きているのではありません。

威張り腐った政府関係者や官僚(税金から収入を得ている者たち→みなのサービスマンであるべき者たち)が、「女性を活用すべし」!!という、戯け者ども、ふざけるなよ!!

こういう「愚か者」で溢れているのがいまの日本です。パターン知と暗記バカの集まり=「東大病」の日本をチェンジしないと! 「考える」知的教育がいま何より求められます。

 「みなのサービスマンであるべき「政府」が取り組むべきは、一人ひとりが、女性が、活躍できる条件を整備する努力です。」

答えを書いてしまいましたが、官僚や政府のみなさん(税金で暮しているみなさん)、そのように思想と言葉を訂正しないといけません。


武田康弘

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「タカ派議員こそ平和ボケ」ーー安倍首相の叔父・西村正雄さん、死の直前に厳しく警告。

2014-06-28 | 社会批評

 2006年の8月1日に急死したした西村正雄さん(安倍晋三の叔父・みづほホールディングス会長など銀行トップを歴任)は、死の4日前に東京新聞のインタビューを受け、戦争を肯定する「靖国神社」を厳しく批判しました。

 「タカ派的なことを言って喜んでいる若い政治家は、戦争の悲惨を知らないから、平和でボケている。

 「ドイツの元大統領ワイツゼッカー氏の『過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる』ということばを大切にしなければならない。」

 「満州事変(1931年)以降は明らかに侵略戦争。この歴史的事実を踏まえてケジメをつけなければ絶対にいけない。」などと話し、

 3日後7月31日に、言い忘れたことを文章にしましょう、と、東京新聞にファクスを送り、その翌日に急死したとのことです。死の前日の遺言となりました。


 今日、安倍首相は、まったく聞く耳を持たず、強引極まりない手法で、自身の想念を実行に移しています。


       2006年8月19日の東京新聞(コピーして取っておいたものです)

 

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家族主義への拘りをもつ安倍首相の思想と重なる「ヤジ」問題ーー『美しい国へ』(安倍晋三著)から抜粋

2014-06-25 | 社会批評

 

 以下は、『美しい国へ』安倍晋三著(文芸新書)からの抜粋です。

「近年ジェンダーフリーという概念が登場した。生物学的差異や文化的背景もすべて否定するするラディカルな考えをも包摂する和製英語だ」(213ページ最後)

 社会学者にでも聞けばすぐ分かることですが、ジェンダーフリーとは、「生物学的差異や文化的背景もすべて否定するするラディカルな考え」では全くありません。
古典的ないしは封建的な男らしさ・女らしさの概念に囚われす、男女共に自由な発想で、より人間としての可能性を広げるというのが、ジェンダーフリーという思想の意味です。
「生物学的差異や文化的背景もすべて否定する」という過激な思想は、ジェンダーレスと呼ばれますが、そのような主張とは全く異なる概念=言葉です。

 また、gender-free とは、英語・米語であり、和製英語ではありません。ただし、意味内容は、使う人や場合に応じて異なりますが。

 

 安倍氏らの思想活動で、いまは、日本では「ジェンダー」という言葉を使うことまでしにくい状況が生まれてしまいましたが、それは、以下を読むとよく分かります。

 「東京都教育委員会のように、この用語(ジェンダーフリー)を使うことを禁じる自治体も出てきた。その結果、行政ではジェンダーフリーということばは使われなくなってきたが、ジェンダーフリー的考え方は、教育現場に広く普及している。
 家庭科の教科書などでは、「典型的な家族のモデル」を示さず「家庭には多様なかたちがあっていい」と説明する。生まれついた性によってワクをはめてはならないという考えからだ。
以前わたしは、自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」の座長をつとめていたが、そこの事務局長の山谷えり子さん(参議院議員)が国会で何度もこのことを指摘した。・・・ 同棲、離婚家庭、再婚家庭、シングルマザー、同性愛のカップル、そして犬と暮らす人・・・どれも家族だ、と教科書は教える。・・・・ごくふつうの家庭は、いろいろあるパターンのひとつにすぎないのだ。
 
たしかに家族にはさまざまなかたちがあるのが現実だし、あっていい。しかし、子どもたちにしっかりとした家族のモデルを示すのは、教育の使命ではないだろうか。」(216~217ページ)

 ここに出てくる安倍氏の同志、山谷えり子参議院議員は、ジェンダーフリーや「男女共同参画」の思想と実践を執拗に批判する議員として名高いですが、彼女は、その情緒論的な文をかの統一教会の機関紙『世界日報』に載せています。安倍氏と同じく「理想的な家庭の在り方について教えるべきだ」と書いています。
 安倍氏も
統一教会と関係をもっていると伝えられますが、純潔を主張し、教祖が信者の結婚相手もすべて決めるという驚くべき宗教団体なのはどなたもご存知の通りです。個人の自由な恋愛、Make loveを固く禁じています。

 新保守主義と呼ばれる国粋的な思想をもつ人々や、教祖に従い恋愛を禁止する宗教団体と関係する自民党右派ー安倍政権は、近代市民社会が求める新しいモラル=人間性を肯定する民主的倫理に基づく男女関係を忌嫌うのでしょう。安部首相の言う「女性の活躍を!!」とは、労働力不足を補うための駒としてのみの話。女性の登用も長谷川三千子氏(埼玉大学名誉教授)のように、未だに「天皇現人神」の思想を堅持する保守主義者に限られています。

 家族主義・性差への拘り、男らしさ・女らしさへの固執=「早く結婚したら!」「産めないのか!」というヤジは、政府のホンネだと言わざるをえません。情けない。


武田康弘

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公人(税金から収入を得ている人)は、「人権と民主制」という思想に反する思想の自由はありません。

2014-06-25 | 社会思想

いろいろな意見があるのがいい、
異論、反論は歓迎すべきもの、
多様性こそ命、

というのがわたしの思い・考えであり、また日々の実践です。
ただし、これは、個人・「私」としてのレベルの話です。

特別な権力・権限を持つ人、議員などいわゆる公人であれば、その発言ー思想に対して、厳しく批判されるのは当然です。とりわけ、現代の民主制社会(民主制社会とは人権という思想を前提としてそれと一体です)の原理・原則を逸脱するような思想と行動は、許されていません。もし、そのような思想(=人権と民主制の否定)をもつならば、公人となることはできないのです。これは、わたしたちの民主制社会の『根源ルール』(通常のルールが成立するための大元のルール)です。

この土台の上で、はじめて思想の自由、多様な意見の尊重はあることを明晰に自覚しないと、大変危険です。

憲法19条にある個人レベルでの「思想及び良心の自由」は、最大限の尊重が必要ですが、
公人(税金から収入を得ている人=天皇など皇室一家、議員、公務員全般としては、人権と民主制の原理の承認が大前提であり、そこから逸脱した思想は決して認められないのです。これは原理中の原理です。


 

武田康弘

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安倍政権を支える自民党右派の「国体思想」とは、人権と民主制を壊す「戦前思想」です。

2014-06-24 | 社会思想

 

 国体思想とは、明治政府がつくった「近代天皇制」のイデオロギーのことですが、それは、従来の神道の教義を政府の力で変えた「政府神道=靖国思想」を基盤とします。皇室は神の系譜であり、天皇は現人神とする新宗教を全国民に徹底させ、その上で、「立憲的政治」を行うというものでした。

 靖国思想による政府作成の宗教と政治を一つにした「政教一致」ですが、この宗教は、仏教やキリスト教などの個人救済というレベルの宗教(創唱宗教)ではなく、政府権力を用いて全国民に強制するという宗教(国家宗教)で、それを基盤として近代社会の現実政治を行うというとても奇妙な思想でした。

 この思想と実践は、壊滅的敗北=無条件降伏という無残な結果を招いて歴史的に終焉しましたが、自由民権運動を弾圧することで明治の半ばに固まった天皇制保守主義は、個々人の対等性に基づく自由精神=シチズンシップの育成を阻害してきた為に、現代に至るも市民を主権者とする民主制が極めて不十分です。

 天皇現人神という「禁じ手」を用いて世界に例を見ない急速な近代化を成した日本は、その後遺症≒副作用で、主権在民(主権者の一般意思)に基づく健全な政治がつくれずに、未だに国家主義的発想で政治を行っています。

 戦前思想の根本的な反省=捉え返しの努力が足りないために、自民党を中心とした右派(国権派で戦前の支配階級の子孫)による戦前思想の復活(紀元節による建国記念日の制定、元号の法制化、国旗、国歌法の制定、社会契約論に基づく現行憲法の廃棄=天皇を元首とする新憲法案等に象徴される)が着々と進み、いまは、民主制とセットの人権思想までもが攻撃の対象となっています。 「欧米が生んだ人権思想は『個人』を中心とする闘争の論理であり、家族と共同体を破壊する悪である。日本人は人権という言葉に怯えずに、日本の常識に 戻るべきだ。」と主張する思想家(八木秀次 麗澤大学教授)が政府の教育改革の中心者となっています。国体思想は少し意匠を変えただけで何時の間にか復活してしまいました。

 個人の尊重ー個人の思想及び良心の自由に基づく民主政治をつくり、民主的倫理による人生を歩もうとする市民は、明治の保守主義者=国権派の政治家がつくった国体主義(個人である前に日本人であることを自覚して皇室を敬愛しなければならない)というとっくに歴史の審判が下った思想を葬らなければなりません。民主制と国体思想とは二律背反です。

 

武田康弘

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「セクハラやじ」は、安倍首相ら自民党の体質から出たものー「美しい国へ」(安倍晋三)でも主張

2014-06-23 | 社会批評

いま、「セクハラやじ」というテレビ番組を見ています。鈴木章浩都議会議員の謝罪会見ですが、

女性の人権への攻撃(ジェンダーフリーへの批判)は、安倍首相の本『美しい国へ』や、安倍首相の友人で政府の教育再生実行委員である八木秀次(麗澤大学教授)の『反「人権」宣言』で明白に主張されています。

 安倍首相は、本の中で、
いろいろな家族があっていい、という現行の家庭科の教科書は大きな問題であり、あるべき家族の像(「大草原の小さな家」がモデル)を示す必要があり、教科書を変えなくてはいけない、行き過ぎた女性の人権運動(ジェンダーフリーという言葉と概念を根本から否定)は日本をダメにする、と主張していますし(213~214ページ)、

 八木秀次麗澤大学教授は、欧米、とりわけ女性や子どもの人権が進んだスウェーデンは、ヘロインのとりこになる若者が増え、少年犯罪と非行の国であると断じています。
「男女参画社会」は、人間をカタツムリのような雌雄同体の生物にする思想であるとしています。戦後の日本をダメにした元凶は、欧米の人権思想にあり、とりわけ、女性と子どもの人権という思想が家族の解体と母性の否定を生みだした、と書きます。あとがきには、本文を補強するように執拗にこのことが繰り返されています。

彼ら自民党右派の国体思想は、近代民主制や民主的倫理という思想とは根本的に相容れないのです。

彼らはみな同じ穴のむじなであると断言できます。反論できる方がいますか?

 (注)「ジェンダーフリー」とは、従来の固定観念を縛られず、男女共に多様な生き方を可能にしようという主張です。性差をなくす、とか、性差はない、という思想ではありません。安倍首相は、「美しい国へ」でこれを強く否定しています。(クリック) 言葉そのものを禁止すべきだという意味不明の主張で、安倍首相の異様性がよく表れています。215~216ページ。

 

武田康弘

 

追記:Facebookでこのblogをシェアした方の友人に向けて以下を書きましたので、貼り付けます。

思想を読み取り、その問題性を指摘することはとても大切です。

「美しい国へ」は、安部氏の宣伝用の本ですから、表現はオブラートに包んでありますが、彼の本と彼のブレーンの本を併せて読むと、その言わんとする内容=イデオロギーが明確になります。

とりわけ長年にわたり親交をもつ友人で、安倍氏の持論である教育改革(教育基本法を公明党の抵抗を押しのけて改定した情熱は凄まじいものでした)を進めれる政府の教育再生実行委員に抜擢した八木秀次(高崎経済大学教授→麗澤大学教授)の本「明治憲法」「反人権宣言」との併読は深い理解に欠かせません。

なお、「美しい国へ」では、愛国心や日本人としての誇りをもつ教育=自虐史観(ウヨク用語)の排除を謳い(202ページ~)ゆとり教育の批判と大胆な義務教育の改革を主張(206ページ~)自身が自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」の座長を務めていたと書き、家庭科の教科書が「典型的な家族のモデルを示さず」に「家族には多様なかたちがあっていい」としていることを批判、事務局長の山谷えり子が国会で何度もこのことを指摘したと書き、ジェンダーフリーを排除する姿勢を明確にしています(215ぺージ以降)
こういう彼の本の叙述と、以前からの持論=教科書の改訂(政府関与)の主張とを併せて紹介したのがわたしのblogです。

さらに、彼の意図を明白にするのが八木秀次の本で、そこには、露骨なまでの「個人」という概念の否定と「家族」こそ単位であることが力説され、女性や子供の人権という思想が日本をダメにしたと書かれています。また、安倍氏に抜擢されてNHKの経営委員になった長谷川三千子(埼玉大学名誉教授)の驚くべきウヨク思想や性差の強調も併せて読まれると、より安倍氏の意図が明白になります。

 

 ppppp

 

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春の祭典、100周年記念BOX10枚組 素晴らしい企画、即買いです。

2014-06-23 | 学芸

昨日のbiogの続きです。

うかつにも見過ごしていましたが、春の祭典の初演100年記念で、昨年、素晴らしい企画の10枚組が出ていました。3枚ダブりますが、そんなの関係ない安さ(2500円)と貴重さですので、即買いました。歴史的検証が出来ます。

 

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ストラヴィンスキー「春の祭典」を初演時の楽器で! 新鮮、シャープ、快感 フランスのロトによる名演

2014-06-22 | 学芸

 

 20世紀の管弦楽曲のベスト1は、と問われれば、多くの音楽愛好者は、ストラヴィンスキーの「春の祭典」と答えるでしょう。もちろん、わたしも。

 春の祭典は、元々は、天才的な芸術企画者であったニジンスキーの依頼でロシアバレエ団のために作曲されたバレエ音楽ですが、通常は管弦楽曲として演奏されます。
原始的なエネルギーに溢れた抉(えぐ)るようなリズム、メロディーとも思えぬメロディー、現代的な不協和音と複雑な変拍子、しかし、全体は見事なまでに一つに統一されています。

 1913年、パリのシャンゼリゼ劇場で初演されたとき、聴衆は、かつて聞いたことのない音型ー深層心理を音楽化したようなこの曲に恐れ・不安・苛立ちを覚えて大混乱となりました。これは、広く知られている音楽史上の有名な事件です。

 初演者は、品格豊かな指揮者として名高いピエール・モントゥーでしたが、昨日、先行予約で届いたCDは、この初演時の楽譜(ストラヴィンスキーは改訂魔で、改訂版多数)により、楽器も当時のフランスで用いられていたものを使い演奏されています。フランスの比較的若い指揮者、ロト(フランソワ=クザヴィエ・ロト=1971年生まれ)が手兵の室内オーケストラ「レ・シエクル」と共につくった時代楽器による演奏です。

 新鮮、シャープ、快感を呼ぶ演奏で、一日で三回も聴いてしまいました。春の祭典を連続で何度もというのは、始めての経験です。春の祭典には、いろいろなアプローチにより優れた演奏が多数あります。それぞれに独自のよさがあり、どれか一つと言いうわけにはいきませんが、この初心に戻ったロトの演奏は、実に刺激的で面白く、とてもお勧めです。二曲目の「ペトルーシュカ」も初演時の1911年版によりますが、明るく透明な音で、冴えたリズムと、楽しさに溢れる素晴らしい演奏です。ストラヴィンスキーは改定などする必要はなかったのです。初版が一番刺激的で面白い!

 なお、ロトのつくる生き生きとした新鮮な音楽を聴いていて、イギリスのガーディナー指揮による時代楽器を用いたベートーヴェン(交響曲全集と合唱幻想曲)の快演を思いましたが、解説を読むと、彼は、ガーディナーのアシスタントを務めていたとのこと! 似ているわけですが、ガーディナーは、革新的ですが、やはりイギリス人、コモンセンスを感じさせます。ロトは、より明晰性が強い、evidence!


 武田康弘

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またか。自民党の議員とは、好戦的で下品な愚か者の集団?=都議会のヤジ=女性の人権蹂躙をする最低男たち

2014-06-20 | 学芸

 自民党の議員がしばしが暴力団員との交際をもち、右翼団体と結びついてきたことは、今までも繰り返し報道されてきました。

 明治維新以来の「戦争好きの日本人」(天皇陛下の軍隊と言い、呆れるほど戦争をしてきたのがわが国の近代です)をつくりあげてきたのが、自民党の前身である戦前の国家主義の政治家たちですので、彼らの暴力肯定の好戦的な思想は、どうやら体質のようです。

 安倍首相はじめ今の政治の実力者といわれる人たちは、ほとんどが、戦争を進めた戦前の支配階級の子孫であるのは、どなたもご存知の通りです。昭和天皇の裕仁と共に対米戦争を進めたのが東条内閣ですが、その重要閣僚が岸信介(安倍晋三の祖父)でした。「天皇現人神」という思想をもった彼ら戦争犯罪人が戦後に総理大臣になれる日本という国は、残念ながら、主権在民の民主制とは程遠い存在です。いま、安倍首相が進めているのは、この戦前への思想的反省なき「戦後体制の廃棄」なのですから、もう呆れ返るほかありません。わたしたち良識ある市民は、日本を民主制の国にする努力を一からやり直さなければなりません。

 「東京新聞」一面下段

 

 今朝の東京新聞にも東京都議会の自民党男性たちの「人権感覚ゼロ」「イカガワシイ思想の象徴」のトンデモナイヤジが報じられています。国連の人権部会から何度勧告を受けても改まらない(安倍内閣は、閣議で国連の勧告に従わないことを正式決定)恥かしく愚かな国家=日本を象徴する出来事がまたまた起きました。
 自民党(その右派ですが)の下品&暴力的な体質、および、そういうイカレタ人間に投票する主権者には根源的反省が必要です。

 まあ、いくら言っても、彼らのような性悪な人々が回心することはないでしょうが、危険で愚かな男たち(国体という戦前思想への反省なき者)を政治の舞台から退場させることは、我々市民の良識で可能です。

武田康弘

 

 

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人間性の無条件降伏をもたらす「ネオコンと国体思想」の合体  

2014-06-17 | 社会思想

 

 安倍首相の保守主義とは、ネオコン=新自由主義と結びついた国体思想ですが、思想音痴のわが日本人は、それが何を意味し、何をもたらすのかを知りません。

 戦前の「国体思想」(皇室を拡大解釈して利用し、国民を「政府の民」として集団化させた明治の保守主義)を「新自由主義」(経済的覇者が全体の支配者となる)の下で復活させることは、「上位者に従わなければ人間でなし」という想念をつくり出し、国民全体を金縛りにするイデオロギーです。

 点数や年収や肩書などの単純な物差しではかった「勝者」だけを評価し、その勝者だけを優遇する最強のイデオロギー=最低の思想、それが、国体思想と新自由主義の合体がつくりだすお化けです。人間性の肯定・愛の精神・個の発露と自由を根こそぎ奪う、支配者のための国づくりと言えます。さまざまな分野でのテクノロジー(人間管理の技術を底板としてもつ)を発達させた現代に、王権が蘇る? 経済的支配者と同一化した政治的支配者が、全国民を支配するわけです。ふつうの人々を主権者とする近代民主制は、終焉します。

 これほど異様・異常な思想が、凄まじい国家権力で現実をつくっています。

 個人と社会の双方の「価値意識」のありようを検討し吟味するほんらいの意味での哲学=恋知を排除した上に成立するシニカルな現実主義は、権力に盲従するだけの愚かな人間をつくり出して終わりを迎えます。太平洋戦争の無条件降伏を、人間性の次元で再現し、人が生きるに値しない国家をつくり出すのです。一人ひとりの個人ではなく、支配者が要請する日本人で溢れます。普遍的思想がない最低国家への道を突き進んでいるのがわが日本の現実です。

  安倍首相を筆頭とするウヨクの政治家と普遍的思想なき官僚の集団意識(組織エゴイズム)が底知れぬ公共悪を日々生産しています。マスメディアが共犯者として、工場で製品をつくるように、人々の「合意」をつくる=ねつ造するのです。

 「私」が、自分の五感をよく用いて、自分の生活体験を基に種々の情報を洗い、自分の頭で考える「恋知」(ソクラテス出自の考える営み)が何より必要です。心身全体で感じ知り、自ら思考することのできる人間にならねば。 腑に落ちる が原理です。


武田康弘

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あじさい、アジサイ、紫陽花 

2014-06-16 | 趣味

昨日、佐倉の川村記念美術館の庭で。

Facebookに、9枚アップしましたので、ご覧ください。

https://www.facebook.com/yasuhiro.takeda.359/posts/649834681777571?comment_id=650083705086002&offset=0&total_comments=5

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マレイ・ペライアの深い普遍性の秘密。過去の巨匠も現代の技巧派もかなわない訳。

2014-06-13 | 学芸

 

 美音で豊かなペライアのピアノには、ほぼすべての人が満点を付けますが、過去の巨匠にも、現代の若手の機械のように正確な演奏にもない彼のよさは、和声(ハーモニー)という音楽の一番大切な要素に着目し、和声を基盤にしてピアノを弾いているからだと思います。心から心へ、という彼の思想が、素晴らしいハーモニー=調和をもたらすのです。

 音楽が人間が弾き人間が聴くものである限り、ハーモニーが基盤となるのは理の当然ですが、多くのピアニストは、メロディーラインの響かせ方とリズムのありように重心を置き、ハーモニーの大切さをおろそかにしているように思います。

 聞き手も、すぐ目立つメロディーラインと、感じ取りやすいリズムに注意が行き、ハーモニーの調和と豊かさへは関心があまり向かないようです。

 なぜ、ペライアの奏でる音楽が何度でも繰り返し聞きたくなり、飽きることがないのか。その深い理由は、和声への着目と洞察にあると思います。一音一音が美しい音なのは聞けばすぐ分かりますが、その表層的なレベルの美質を越えて、音と音の重なり、響き合いの豊穣さにペライアの深い美とやすらぎの秘密はあります。

 強靭な打鍵も、ハーモニーの豊かさがあるとキツくはならず、交響的な大きさとなります。 

 類まれな「ハーモニーという音楽原理への徹底」がもたらす豊かな音楽、これは、過去の巨匠を越え、現代の技巧派を越えて、ぺライアに誰よりも深く大きな普遍性を与えています。内から、内発的に、まさに恋知の音楽。 《響存》

 昨年(独奏)に引き続きの来日公演(弾き振り・11月13日・サントリーホール)が楽しみです。ワクワク。彼と同時代に生きる幸せを感じます。


武田康弘

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アメリカを利用して日本主義を復活させるーードス黒い安倍政権の根本戦略=最終目的

2014-06-12 | 社会批評


戦後日本の国是となっている平和主義(軍隊を出さない)を壊して、アメリカ軍との共同戦争への道を拓き、中国との対決路線を可能とするのが安倍首相の戦略です。

もちろん、アメリカは中国と戦争する考えはありませんが、日本が、戦前の日本主義=国体思想を復活させることで「威厳」を持とうとする国権派である安倍首相らは、集団的自衛権で米軍との「軍事的一体化」を進め、アメリカ軍の存在を利用して日本を強く見せることで、中国との「政治的対決」が可能であることを国民と世界に向けてア・ピールするのです。

中国との協調を続けることに生理的不快感をもつウヨク体質の人=甚大な戦争被害を与えた国との協調は「国威発情(変換ミスではありません)の障害となるという心理に囚われている人は、この「非現実的な後戻り戦略」をごり押しします。

中国との政治的対立は、『靖国思想』(=明治政府が作成した天皇教)による日本を守る!?ためには、不可避の条件なのです。第二次世界大戦でシナに負けたことはありえない悪であり、認めるわけにはいきません。アメリカに負けたのは致し方ないが、格下のはずのシナには敗戦していない!?そうしないと、明治維新に絶対の価値を置けなくなる。

もちろんこれは「病気」でしかありませんが、このような異常な心理=想念に囚われていなければ、根本的な国是を閣議だけで変えてしまうという暴挙は不可能です。安倍首相(石破や石原慎太郎なども同じ)は、論理以前の「国威の感情」に憑りつかれているために、《アメリカを利用(悪用)して日本主義(国体思想)を復活させるという「悪だくみ」》を進めているわけです。

彼らの最終目的は、彼ら自身が明言しているように、社会契約(民主制の原理)に基づく日本国憲法を根本的に変え、日本主義を復活させることにあります。
(注)2005年の証言をご覧下さい。

アメリカさんも騙されてはタイヘンですよ。

 

追記

 軍事と結びついている政治経済的側面についてアメリカは、日本を利用することをプラスに考えるでしょうが、安倍首相ら国権派による「靖国思想」の復活は、アメリカがリードしてきた戦後の世界秩序を元から混乱させるために、極めて用心しているはずです。「一般的思想(哲学)なき政治₍シニカルな現実主義だけがある)」が当たり前の国は日本だけですが、この国に住んでいると、誰しもがその異常さに気付かないのです。すべてを即物的な利害関係と感情論理でしか見ないのは、学問のあるなしに関わらず、未だ多くの日本人の宿悪です。いつまで続く~~。恋知(哲学)のない国の民では哀しいですよね。

 

武田康弘

 

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民芸の美に魅せられるーー「澤乃井 櫛(くし)・かんざし美術館」

2014-06-09 | 学芸

 

 女性が日々用いる櫛(くし)を中心に集めた美術館が、奥多摩の沢井にあります。
銘酒で名高い澤乃井の小澤酒造が運営する「澤乃井 櫛(くし)・かんざし美術館」です。

 館内に入ると、
女性の日常使いの品々に見る美に目を奪われます。
生活と美が結び付いた工芸=「民芸」の美しさ、女たちを彩る品々にかける職人の意気込み、美を求める人のこころに直接触れるかのような櫛(くし)と簪(かんざし)の数々に息を飲みます。とりわけ実用品である櫛の平面の多彩な装飾美は、創意に溢れていて感心します。女心を映す鏡のよう。

 小物の工芸品のレベルの高さは、日本の民芸の誇りでしょう。

 美術館は、青梅線(奥多摩行き)の沢井駅下車、徒歩20分ほどのところにあります。
4000点にも上る収蔵品の多くは、京都の芸子であった岡崎智子さんが収集したもので、年に4回展示替えをするとのこと。

森に中に見えるのが美術館 6月1日撮影

 

美術館からの眺望 6月1日撮影

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「人権は国境を越えて」 伊藤和子著 岩波ジュニア新書

2014-06-06 | 書評



 今日でも、対外的には「人権後進国」の側面が強いアメリカ、
下のBlogのエレノア・ルーズベルトさんも闘ったアメリカの現実は、
現代では、アフガンをはじめ多くの国で展開するアメリ軍の非人道性=反人権行為が明らかにし ていますが、
われわれ日本人は、アメリカ国防省の発表する彼らに都合のよい情報のウズに囲まれて、真実と は大違いの認識を持たされてしまいます。

「軍事」という領域では、批判的・多角的な情報、公平で理性ある情報はありませんので、本書の著者のように、実際に現地に入り、現地の人々の体験談と本音を聴き知ることが何より大切だと思います。

 実際 に知った「現実」を中心にして思考した本書は、貴重な生きた情報を与えてくれます。テレビのようなスポンサーの意向に縛られずに、著者が自由に「ホントウ」に見聞きしたことを紹介しています。衝撃です。
 想像を超えた桁違いの人権侵害を日常化するのが戦争で あり、「戦争放棄」の先進性を捨て去ることは愚かの極みであることが実感されます。

  紹介の順序が逆になりましたが、本書は、志をもった若手女性弁護士が、学生時代からの「思い」に突き動かされ、世界の想像を絶する人権侵害の現実を知り、それに挑戦する行動の一環して書かれたもので、感動的なまでに主体的です。女性と子ども、世界と日本(とくに福島)の現実を真正面から見据えて。

  小学生高学年から大人まで、ぜひ。


武田康弘

 

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