思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

国家主義者に犯されてきた日本社会に『未来』への希望の光。

2012-11-30 | 社会批評

エゴイストの強権主義者と、
札束が命の拝金主義者と、
惰性態の官僚主義者が三者一体となっているのが日本の現状ですが、
その改革への希望を、内面=良心=人間性に乏しい男権主義・父権主義の男たちに託すというのでは、ブラックユーモアにしかなりません。

「真実」はどこにもなく「政治主義」(効果だけを追求する外面主義=ウソの正当化=ご都合主義)が跋扈するわが日本の現実は、嘆かわしいというのを通り越して、すでに終わっている、とすら思えます。

人間愛と民主的倫理に基づく生を貫く人は、どこにいるのでしょうか。
主権者としての自覚と誇りを育て、人権思想と民主主義と平和主義を生む「ほんものの教育」は、どこにあるのでしょうか。

男も女も、
米兵に犯される沖縄の女性のように、日本の強権主義者・父権主義者に犯され、権力遊戯に翻弄され、惰性態の官僚主義者に税金をいいように使われています(沖縄の人は被害者であることを明晰に自覚している点で異なりますが)。

【上位者】(地位・金・肩書き・学歴・・・)に従うにすぎない老若男女。
犯されることに慣れてしまい、【私】の尊厳を持てず、外なる価値に支配され、内からの輝き・よろこびのない人は、醜いエゴイスト=国家主義者の扇動に乗せられて堕ちていきます。人の心・良心を持たない検察官を番人とする官僚組織とマスコミ権力に騙され、操られてしまいます。

善美に憧れるソクラテスの態度や、王権を否定し、一人ひとりの「私」の存在を何よりも大切にするという釈迦の教え=「ダルマ帰依・自帰依」とは正反対の生き方をしていては、内的な豊饒・充実は何一つ得られないはずです。外なる価値を追いかけ回す強迫神経症では生きている価値がありません。

政治の世界では、国家主義者が幅を利かせ、ふつうの市民は投票行動だけを求められるという哀れな存在に貶められています。それは、近現代史を教えず、上位者に従うだけの道徳を植え付け、対等・自由な討論能力を育てず、という非民主的教育によりつくられた偽りの政治です。直接民主的言動は、40年近くもの間抑えられてきましたが、原発問題でようやく息を吹き返し始めました。

こうした状況の中で、嘉田由紀子滋賀県知事による『未来の党』には、希望の光を感じます。近江聖人と呼ばれた中江藤樹(私塾を開いた陽明学者)の地から未来が拓かれる思いです。民主主義の原理を貫いてきた大物政治家の小沢一郎さんや、外務省(背後にはアメリカ)による謀略に負けない新党大地の鈴木宗男さん、社民党や共産党内の民主派、志を失わない民主党員、主権在民の原理を守る自民党内や公明党内の良識派とも連携して【オリーブの木】が豊かに育つように祈ります。わたしも出来ることをしたいと思っています。

また、東京都知事選挙では、人権思想と民主主義の実践者で人格者の宇都宮健児さん(日弁連会長)を応援したいと思います。今は都民ではないので選挙権はありませんが。


武田康弘

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小沢問題=検察庁とマスコミによる犯罪が政治の大混乱を招きました。責任の重さは計りしれません。

2012-11-20 | 社会批評

わが国の無責任ぶりは、世界中に知れ渡っています。

21世紀最初のピューリッツァー賞(米国最大の賞)を受賞したのは、『天皇ヒロヒト』(日本題は『昭和天皇』)ですが、この分厚い二分冊は、【無責任の象徴】としての昭和天皇ヒロヒトの人間形成と彼の言動について記した書で、ゆえにネットウヨクや国家主義の政治家たちが忌み嫌っています。アメリカにすり寄る人たちがアメリカ最大の賞を受賞した本を忌避するのですから、ご都合主義もいいところですが。なお、本書のあとがきには、敗戦でも責任を取らない元首という人類史初の国がその後どのようになっていくかの研究でもある、と記されています。

戦争犯罪=責任を頬かむりして生きた昭和天皇に象徴されるように、わが日本国では最高権力者や権威者が一切責任をとりません。下位者=現場で現実に苦労して働く人に責任が被せるというのが日本文化の伝統のようです。よいこと・優れたことは上位者の手柄。悪いこと・罪なことは下位者のせい。苦労させられ、不利な働きをさせられるのは、いつも位の下の者。

こういう文化の中で生きていては、「私」から立ち昇るパワー・よろこび=幸せがくることはありえません。みながスタティックで、固い・重い表情と態度で生きています。

話しは変りますが、この数年の間、官僚主義(惰性態としての組織が絶対の力をもつ非人間的政治)を変えようとした最大の政治家である小沢一郎を葬り去るための検察庁の陰謀。彼らと徒党を組んだマスコミ権力は、土地購入代金を翌年に繰り越して記載したことを犯罪だとして書きたて、狂気としか評しようのない報道を連日のように流しました。それにより国民は小沢=悪と思いこまされ、官僚主義の改革はできなくなりました。経済も大きな打撃を受けました。
現在の政治的混乱を生みだした最大の責任は、検察庁(特捜部)とマスコミにあることは火を見るより明らかですが、無罪が確定した今なお、検察庁もマスコミも一切責任を取ろうとはしませんし、それどころか謝罪さえしません。この【無責任】な生き方・体制こそがわが日本の象徴なのでしょう。おぞましく嘆かわしい事態です。

ひとりの人間としての自由と責任をもち、自分自身へのプライドをもって生きる人になりたいものです。


武田康弘


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偏向報道を正すのは、ジャーナリストであるという自覚と誇りです。

2012-11-17 | 社会批評

昨日のブログの続きです。

昨日の朝のニュースで、小沢氏をリーダーとする『国民の生活が第一』を放映しなかったNHKは、当然のことですが夜以降のニュースでは紹介していました。

しかし、NHKに限らず、永久に続くかのように思われていた自民党政権(まるで独裁政権のよう)な日本の政治を、「政権交代可能」な政治に変えた最大の功労者である小沢氏に対する扱いの低さには驚くほかありません。裏で操作がある、あるいは、強く根源的な実践に対する無自覚な忌避があるのでしょう。

 自由な報道を目ざして記者クラブ制度を変えようとする小沢氏を嫌がるマスコミ人の利害と、官僚主義への最も手強い批判者である小沢氏を葬ろうとする霞ヶ関官僚(その番人が検察特捜部)の利害が一致していることが、偏向報道の理由だと思いますが、マスコミ人は、自分への誇り(=民主主義を支える公正で優れた情報の発信者としての誇り)を持ち、背骨のある生き方をしてほしいと切に願います。


武田康弘

コメント (3)
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ケンペの「5番(運命)と6番(田園)」を通して聴くことで分かるベートーベンの精神

2012-11-09 | 趣味

EUからの輸入盤では、ケンペのベートーベンの交響曲は5番(運命)と6番(田園)が一枚のCDになっています。
LP時代はもちろんのこと(田園は40分かかるのでLP片面には入らない)、CD時代になってからもこの二曲を一枚のCDにすることはなく(全くゼロかどうかは分からない)、従って、二曲を続けて聴く機会はありませんでした。

以前にお勧めしたケンペのボックスセットでも、一枚ものとして出ているCD(共にEUからの輸入盤)も、この二曲がセットですが、ケンペの演奏ほど内声部が細やかに聴き取れ、内から自然に湧き上がる演奏は他にありません(クレンペラーの演奏もそうですが、彼の演奏は巨人族のものでケンペは等身大)。実に清く音楽的にふくよかですので、5番の後に6番をそのまま聴いてしまいます。こういう体験は今までありません(できません)でした。

そうして幾度も聴いて(流して)いて、あっ、と気づきました。ベート―ベンは、『ハイリゲンシュタットの遺書
(・・・・人との社交の愉しみを受け入れる感受性を持ち、物事に熱しやすく、感激しやすい性質をもって生まれついているにもかかわらず私は若いうちから人々を避け、自分ひとりで孤独のうちに生活を送らざるをえなくなったのだ。耳が聞こえない悲しみを2倍にも味わわされながら自分が入っていきたい世界から押し戻されることがどんなに辛いものであったろうか。しかも私には人々に向かって「どうかもっと大きな声で話して下さい。私は耳が聞こえないのですから叫ぶようにしゃべってください」と頼むことはどうしてもできなかったのだ。音楽家の私にとっては他の人々よりもより一層完全でなければならない感覚であり、かっては私がこのうえない完全さをもっていた感覚、私の専門の音楽畑の人々でも極く僅かの人しか持っていないような完璧さで私が所有していたあの感覚を喪いつつある、ということを告白することがどうして私にとってできたであろう・・・・)
を書いた後で、この正反対と思われる二曲を同時に作曲し発表したのですが、その意味が分かりました。知識として知っていただけで分かっていなかった意味が突如浮かび上がりました。

「運命」との闘いに勝利した後の「田園」による癒しと解放――新たな世界への旅立ち。

ケンペのまったくどこにも無理のない音楽的に豊かな演奏で聴くと、少し低く見られることもある「田園」が眩い輝きをもっていることが分かります。この「田園」は単独でも同曲中最高の名演ですが、「運命」と同時に聴くことでベートーベンの精神を追体験できます。得難い時間のプレゼント。みなさんもぜひ。

武田康弘

 

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2012年の白樺教育館・コラボ写真(A‐4)

2012-11-08 | 教育

2012年の白樺教育館ーコラボ写真(A‐4)

白樺教育館ホームページhttp://www.shirakaba.gr.jp/


2012白樺教育館

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