思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

思想(主観性の知)なき人間は、昆虫の属性を示す存在でしかありません

2006-07-30 | 恋知(哲学)

わたしたち日本人の多くは、いわゆる「読み・書き・ソロバン」の技術を緻密化すること=客観学(事実学)だけが勉強―学問であり、全体的に見、総合判断を可能にする力=「思想」を育むことは、主観的な世界ゆえに価値が低い、という想念に囚われているようです。感想、意見から始まる自分で「生み出すもの」は主観的であり、したがって客観学(事実学)の下に位置すると思っているのでしょう。
もちろん客観学(事実学)は、知の基盤として重要ですが、しかし、それは主観性の知(広義の思想)を豊かなものにするために重要なのであり、それ自体が目的ではありません。 ☆主観学と客観学についてはクリック。

わが日本人は「型」にはまることが偉い!とでも思っているのでしょうか? 精巧にコピーをとる能力の持ち主が優秀とされ、オリジナルを生み出す営みがどれほどのものかについての認識がひどく乏しいのは、上記の主観性の知を価値の低いものと見る想念=様式主義とでも呼ぶべきイデオロギーによります。

共通一次のような客観学(事実学)テストが神聖なテストだと思い込んでいて、その勝者を単純に褒め称える=頭がいい!?というのは、ひどく歪んだ見方でしかありません。著しくは、芸術分野までも、署名入りの「作品」として提示されたものが他者の猿真似だったりします(笑)。一人ひとりの主観性(広義の思想)を豊かに育むことが教育の本来の目的であり、客観学(事実学)の習得はそのための基盤に過ぎないのだ、という認識を皆がしっかりと持ちたいものです。主観性の知を追求する者をコピー者の下に置くような見方は、人間を人間にしません。思想(主観性の知)なき人間とは、昆虫の属性を示す存在に過ぎないのだ、ということを肝に銘じるべきだと思います。

『東大病』という名の精神疾患は、手段としての客観学(事実学)を目的化させる愚がもたらす病です。型の文化―様式が意識を支配する社会では、固定化された「権威」という虚妄が人々の心を縛ります。その病の根は深く、回復は容易ではありません。一般に、日本人には「感情」と「技術」だけがあり、肝心要の自分から始まる「思想」がないのは、封建制の武家政治の後にできた明治政府が、市民主権の思想を育むどころか、弾圧(自由民権運動の息の根を止めるという山県有朋らの策謀)し、『近代天皇制』による国民教化(主観性消去)を徹底させたことによります。 
☆「主観性消去の詐術」―クリック


常識の根を洗い、白紙・大元に戻して腑に落ちるように知り・考えるという恋知(哲学)の営みによって徐々につくられていく「思想の世界」なしに、人間が人間としての意味と価値(善美)をもって生きることはできません。しかし、この認識が弱いために、わが国には思想(主観性)を深め大きくし、普遍化していくことを学ぶ制度・場所がありません。きちんと順を踏みながら意識的に努力することなしには、思想(主観性)の魅力化=普遍化は果たせないのですが、残念なことにそのことを了解している人はとても少ないのです。

知の手段(客観学)だけがあり、目的(主観性の知)がないー手段を目的化させているために、自分の頭で考えるという主観性の深化・拡大が果たせず、せいぜい客観学(事実学)を緻密化・複雑化させることで「思想もどき」を生み出すのが精一杯ということになりますが、この「もどき」の方に価値があると思い込むまでにその倒錯は進んでいるようです。カタログ知のマニュアル人間の方が偉い!?真の思想は排除せよ!?です(笑)。

何よりも楽しく得をする営みー自分の思想を豊かに育てていく営みを、生活の中で始めませんか? 『白樺教育館』は、一人ひとりのチャレンジをしっかりサポートする「友人たちの学校」です。友人同士のような話ことばでの授業、フレンドリーであることと宗教的な匂いが全くないことは、プラトンの学園―アカデメイアと同じです。

武田康弘




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恋知の営みー思想なき人間とは?/二世議員が大手を振るうー安部の政権構想

2006-07-25 | 恋知(哲学)

恋知としての哲学のない二世議員のお坊ちゃんが大手を振るうわが日本に、未来はあるのでしょうか?
思想のない小泉純一郎に続き、安倍晋三が、どうやら次期首相のようです。
保守主義というよりほとんどウヨクのような精神構造しか持たない人物を自民党の若手!?という名の愚かな議員たちが担いでいる図は、馬鹿らしく醜く、見られたものではありませんね。ほんとに(笑)。

既成秩序・既成道徳に抵抗しない者は、悪魔に魂を売った者だ、とは、詩人(文学者)にして枢密顧問官であったゲーテ(写真)の言葉です。たしかに、権力や金力に寄り添い、古い社会への郷愁しか持てない保守主義の政治家やウヨク「思想」家を支持するテイタラクでは未来は開けません。

明治がつくった「天皇教」という擬似的な一神教に戻ることを主張する「靖国神社」に絡みとられる政治家とは、ただの能天気にすぎませんね。

安部が政権構想を発表していましたー靖国神社の肯定と集団的自衛権の行使―憲法改定を目がけるというものです。天皇教=靖国思想を心の拠り所に、アメリカ、ブッシュのネオコン思想を真似し、それに追随するという、まさに思想なき二世議員にふさわしいお粗末。

豊かな思想を育むという人間のよき生にとって何よりも重要な営みを忌み嫌い、政府―官僚が作成した既定路線にしたがって生きることがあたかも善であるかのような想念に縛られ、意味論抜きの事実学による平面教育を受けてきた「優等生」が生み出すものは、大なり小なりこの程度の代物にすぎません。(「心幹・頭幹・体幹の弱い日本人」)。

思想なき人間は、昆虫に過ぎないのです。
恋知(哲学)することで、自分の価値意識を明晰化し、自他にとってほんとうによいこと(善美)は何か?を追求する思想構築のない人間では哀れです。

下のブログにも書きましたが、愛国心の強要や伝統主義という保守主義のイデオロギーによる洗脳のような教育をよしとするなら、この国はほんとうにお仕舞いです。

伝統とは何かを問わない伝統主義とは、為にする思想統制でしかないのです。一般に伝統と呼ばれるものに対して、それを受け入れる人・こよなく愛する人・違和を感じる人・否定する人・破壊し再創造しようとする人、様々な人が現れ、思い思いに発言・行動することで始めてよきもの=善美は誕生するのです。一方的な型はめは、人間の創造の力をその深部から消してしまいます。

伝統の破壊者こそが、伝統の真の継承者である、という逆説を理解しない平板は頭では、何事も成し得ません。明治政府が行った伝統の破壊を、もう一度破壊し、再構築しようというスケールで考えなければ、何ひとつ前には進めません。深く恋知(哲学)する営みによって強靭な市民主権思想―個々人から立ち昇る豊かなエロースの世界をつくり出したいものです。

そのためには、立体的に見、思考する実践を、私たち市民が、それぞれの生活の現場で創意工夫して行うことが何より大切だと思います。よく吟味し、深く納得できる考えを生み、それに従いつつ生きたいですね。情報を鵜呑みにしないこと、外に超越を求めないこと、これはよく生きるための原理です。一人ひとりの実存の奥深い内面の力に勝るものはないのですから。

具体的経験に照らし合わせて立体的に見る知=民知については、次の画面から更にクリックして見れられます。ぜひご覧下さい

武田康弘



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国を愛する?伝統を重んじる?って何でしょう。

2006-07-24 | 社会思想

愛国心、国を愛する心といいますが、国って何を指すのでしょう?
それをはっきりさせなければ、何を言っているのだか訳が分かりませんよね。しばしば国を愛するが、天皇を敬愛するという意味とダブらされたりしますが、それなら、北朝鮮と同じ思想統制にしかなりませんしね~。
(私は、国とは何かについて以前書きましたので、ご参照ください。)

伝統についても同じです。明治政府がそれまでの神道の伝統を覆してつくった「靖国思想」が伝統? もっと遥かに遡って縄文時代? それとは大きく異なる弥生時代? それとも聖徳太子に始まる天皇制律令政治の伝統? それとも天皇と貴族の権力に真正面から対峙した親鸞思想(浄土真宗は日本最大の宗派)の伝統?

何をよしとし、何を受け継ぐのか? それを政府・文部科学省が決める!? そんなことができるはず、していいはずはありません。戦前のように思想を統制する国家に戻るというのなら、それでよい、ということになりますが・・・。

上記のことは、誰もが分かる簡単・明瞭な話だと思います。
(平明な言葉で、ふつうに考え語り、納得を生み出すこと、それ以上の価値はないと私は確信しています。)

武田康弘

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天皇ヒロヒトの発言報道で思うこと

2006-07-22 | 社会思想

私は、生身の生きた人間を神聖視するー特別な存在と見なすような考え・想念・思想を認めませんーあまりに当然のことですが。
したがって、元号は使用しませんし、皇族に対して特別な敬語は使いません。
原理的に考えれば、それ以外の答えが出ようはずがないのです。人間の平等、個々人の存在=実存価値は等しいという思想は、普遍的なものであり、それに反する思想は間違っているのです。生まれながらの特別視―特別待遇をしていいはずがありません。

どうして、皆の税金で生活する人たちが、特別な時空間で特別な生活をし、また同時にその代償として、様々な人権を制限されるのか?
まともに答えられる人は誰もいません。(私の書いた「皇族の人権と市民精神の涵養」を見てください・クリック

天皇という存在は、歴史的なものであり、古い日本の文化を象徴するものです。その限りにおいてその存在を認めればよいのであり、現代の政治に関与させること=国事行為を担わせることは、間違いです。その意味でも憲法第一章の改正は必須ですね。

こんなことは、言わずもがなの「あたりまえの話」ですが、今もなお、わが国では、おかしな想念にとり付かれている人が多く、それは、天皇家に生まれた人にとってもひどく迷惑なことでしかないはずです。

21世紀の市民主権社会―ひとりひとりの自由と平等に基づく「人間性の悦び」を開花させていくことが求められる時代に、いつまでも明治政府がつくった「近代天皇制」の思想ー宗教に呪縛されたままというのでは、しなやかで自由な人間の育成=ダイナミックな明るい未来をつくることはできません。

A級戦犯が合祀されているから靖国が問題なのでありません(クリック)。明治政府がつくった「国家神道」の思想に基づいて、全戦没者を祀る(戦死者を有無を言わせず天皇制国家の集合神とする)ことが問題なのです。もし、この思想をいまもなお認めるとしたら、間違いなく日本は世界の孤児になる他ないのです。

武田康弘


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国家主義―天皇主義の復活!懲りない愚かな保守主義者たち

2006-07-20 | 社会思想

民主制=一人ひとりの精神的自立ではなく、国家=政府が決めた善悪の基準に個人を従わせる思想=保守主義が恥ずかしげもなく、大手をふるっています。自分の頭で深く考える力を根こそぎ奪うパターン学習=受験主義の教育は、「高得点をとる愚か者」しか生みませんが、真の判断力に乏しい頭は、愛国心だの伝統主義という分かりやすい嘘=詐術に簡単に引っかかってしまいます。

豊かな思想を育む、という自立した人間として生きるために何よりも必要な営みがなければ、特定のイデオロギー(国家主義等)に絡みとられて、集団同調で生きる他はない哀れな存在にしかなれません。

いよいよ日本各地で、戦前への回帰=日本主義の強要が始まりました。愚かな保守主義者たちが先導する「愛国教育」が息を吹き返しましたが、この保守主義の台頭は、マルクス主義を中心とした客観主義の哲学(それは生身の個々人の心を抑圧し、理論に人間の生を従属させてしまう)による反対運動の無力さをも証明しています。

右の型の文化と左の客観主義は、どちらも予(あらかじ)めの「真理」を措定することで、ありのままの主観からの出発を阻害してしまいます。深い地点で心の自立を消去してしまう非人間的な思想です。一人ひとりの生身の人間の具体的経験に基づく実存論的な思想を基盤にしなければ、国家主義のおぞましさから真に逃れることはできないのです。 (民知は響存としての実存を生む)クリック

ちょうど話題が重なりますので、京都の平野さんから送られてきた「公共哲学ML」を以下に貼り付けます。(武田康弘)。

★★★こんなん学校でやってええんやろかー
「ジュニア日本文化検定」の中止を求める緊急集会
★★★

日時:7月26日 午後6時30分~
場所:洛陽教会地下ホール (上京区寺町丸太町上
がる)
会場カンパ:500円
呼びかけ人;駒込武(京都大学教員) 田中真人
(同志社大学教員) 仲尾宏 水野直樹(京都大学
教員) 林功三 
★「ジュニア日本文化検定」の概要と問題点
★現場の教員から 呼びかけ人のメッセージ
★さあ、これからどうする?
みんなで討論し、秋の検定に向けてネットワークを
立ち上げます。

主催/こんなん学校でやっていいんやろかー「ジュ
ニア日本文化検定」の中止を求める会(仮称)
連絡先/090-6667-0483


「ジュニア日本文化検定」のこと知ってますか?

 京都市の公立小学校で4年生以上の子どもたちに
配布された「ジュニア日本文化検定」という本が配
られ、秋には学校で5、6年生全員に「検定試験」
が行われるというのですが●●●●
是非、手にとって読んでみて下さい!


★ 学校で使う教科書と内容が違う! 京都版「つ
くる会」教科書

 このテキストは、「歴史」に最も多くのページ
をさいていますが、その内容は、現在、京都市の
小・中学校で使われている社会・歴史教科書と比べ
ても相違する点が多く、京都市では市民の反対の声
で採択されなかった『新しい歴史教科書』(扶桑
社)との共通点がたくさんあります。
 たとえば、各時代にわたって京都と天皇の結びつ
きが特に強調されていて「伝統・文化」について
も、ほとんどが天皇・貴族・武士等のきらびやかな
ものばかり。
 また、近代の記述はほとんどなく、第2次世界大
戦など戦争にはいっさい触れていません。人権や平
和に関する記述や史跡紹介もなく、これで検定され
たら一般教科書との矛盾で子どもたちは混乱してし
まいます。


★ 愛国心が育つ?

 門川教育長は、5月30日の衆議院教育基本法特別
委員会に教育基本法改正の立場の参考人として出席
し、「『ジュニア日本文化検定』は、郷土を愛し、
日本を愛する子どもたちの育成につながっていく」
と明言しました。また、「日本人であることの誇り
を取り戻すことが検定の目的」(「ジュニア京都検
定通信」)というような記述もあります。これが、
ジュニア検定のほんとうの目的!?
 さらに教育長は、「京都の教育改革の取組は、今
回提案されております改正案の内容と軌を一にする
ものであります」とも述べています。
教育基本法「改正」案は、幼い頃から迫ヘで格差を
つけたり、行政が教育を支配したり、「お国」のた
めに尽くす人間をつくる恐い法案です。

京都で「教育改革』が行われれば行われるほど、学
校間不平等と格差が広がっていることに気づきませ
んか?
「改正案」と軌を一にするならそれは現行教育基本
法違反です。教育長がこんなこと言うのは駄目で
しょう!
 事業の実施主体である「推進プロジェクト」の委
員長には、「新しい歴史教科書をつくる会」理事
(当時)の市田ひろみ氏が就任しています。ジェン
ダーフリーバッシンの先頭に立つ市田ひろみ委員長
の「ジュニア検定本」に、女性は全くと言ってよい
ほど登場しません。
京都市内の学校には外国籍やダブルの子どもたちも
たくさん在籍しています。その存在すら、すっかり
忘れてしまったのでしょうか?

★ 中書島、淀は、京都市じゃない?
 折り込まれた市内地図は、南は中書島で切れてし
まっており、向島や淀は入っていません。また、東
も山科の東半分は入っておらず、左京区や右京区の
北部地域も除外されています。このようなテキスト
を学校で配布して、除外された地域の子どもたちが
どう思うかも考えなかったのでしょうか?真ん中だ
けが「京都」ですか●●●

★ 学校で企業広告や宣伝やっても良いの? 教育
長が企業に広告依頼

 一見して目を引くのは、「産業」の章の「世界に
羽ばたく京都企業」というページです。京セラ、島
津製作所、立石電気、任天堂、堀場製作所、村田製
作所、ローム、村田機械、ワコールなどの10社ほど
の会社を実名であげ、ほめ讃えているのです。ま
た、京都賞に関する「稲盛和夫さん」の記述内容な
ど、企業人の個人礼賛にページを費やしています。
 さらに、本文中や末尾、裏表紙には、多くの企業
の広告も掲載されています。広告入り教材が教室で
堂々と使われることなど、これまでなかったことで
す。
 情報公開により、こうした本文中にあげる企業名
について、なんと、市教委が事前に執筆者に指示し
たことも判明しました。また、門川教育長は、多く
の企業・団体に、テキストへの「協賛広告のお願
い」というような文書も出しているのです。テキス
トの末尾には、寄付などの「支援をいただいた企
業」として、7社の社名が、ひときわ大きな
活字で掲載されています。

 この事業にも、わたしたちの大切な税金が使われ
てます。お金の流れもあやしいことばかり。こんな
「教科書」で、子どもたちが検定試験を強制される
のに「ちょっと待て!」と声をあげましょう。

(以上転送歓迎)


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哲学者とは、哲学することで馬鹿になった人間のことだ!?

2006-07-19 | 恋知(哲学)

以下は、「人間はどう生き、社会はどうあったらよいのか?のヒント」に対するコメントと、コメント返しです。
長くなってコメント欄に入りきれないので、記事にします。


[ やなぎはら ] [2006/07/18 01:07]

一人ひとりが、懸命に生きている日々の生活の中の言葉で、背伸びをせず、媚もせず、素直に思いを語る…これに勝るものはないんですねえ!

============================

[ タケセン ] [2006/07/19 11:21]

戦前、日本最高の哲学者と言われた西田幾多郎や田辺元らは、皇道は世界的とならねばならないとか、天皇制は宇宙の原理だとか、狂気の沙汰でしかない言説を吐露していました。

日々の生活経験に根付いた腑に落ちる知を失えば、人間はどこまでも狂えるのですね。どのようなものであれ、特定の観念や権威を先立てれば、おしまいです。

世界最高の哲学者!?といわれたハイデガーも進んでナチ党に入党し、ヒトラーも驚くほどの過激な進言をしています。

これでは、まさに、「哲学者とは、哲学することで馬鹿になった人間のことだ」です。

民知に基づく恋知の営みを共にしましょう!王様は裸だ、というまっとうな目を曇らせてしまわぬように。権威主義や言語に呪縛される心とは無縁の地平で。

そのための基盤は、内在としての知覚と情感からの出発=生命のエロースをまるごと受容する豊かな愛の心だと思います。自分の心身の全体で深く感じ知り、自分の頭で思考したいですね。

厳禁の精神―父権的思想―硬直した規則主義―国家主義―権威主義―序列意識・・・・・・こういう一人ひとりの心と頭から自由を奪い、心身の全体を硬直させる思想―想念は、根源悪です。どのような理屈がついていようとも、人間のしなやかさ・柔らかさ・生き生きとした自由を奪う思想―想念を、断じて認めてはなりません。

人間の、そしておそらくは全ての生命の生きる原理は、エロースの追求と味わいにあるのですから。

特定のイデオロギーや権威によって人の心を縛る以上の悪はないのです。生身の人間の悦びを禁圧し、特定の傾向に閉じ込める詐術を見抜き、そのサギ思想に騙されない英知=民知を=恋知を共に養いましょう!

武田康弘。


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MINI―究極のスポーツ仕様車発売!(世界で2000台―うち日本は160台)

2006-07-18 | 趣味

小さくて可愛くエレガント(ただし存在感は強烈)なはず!のBMWミニクーパーのスポーツ仕様車が限定発売になりました。その走りーエンジンは、ちょっと狂気じみた性能を持ちます。
1600ccのエンジンは、基本は変わりませんが、チューンアップして、218馬力250Nm、0-100kmは6.5秒、最高速240kmです。2700ccのポルシェ・ボクスターに迫る動力性能には唖然!です。
普通のスポーツカーは、軒並みブッちぎってしまいますね~。フぉー!
実用性に富み小型で可愛いのにモンスター!?という車が欲しいと思っている人には、世界にこれしかないという究極の一台です。いますぐ予約を!日本には160台しか割り当てがないので、一瞬で!売り切れてしまいそうですが。価格は400万円―そのパフォーマンスからすれば恐ろしく安いですよ(クリック)

私は、エレガントに徹したミニが好きなので買いません。ご安心を!?(笑)
カジュアルなのに高品位―なんともなクルマ、それがミニなのです。
私のMINIレポートは、クリックででます。
(写真は、ふつうのMINIクーパーです)

武田康弘



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人間はどう生き、社会はどうあったらよいのか?のヒント

2006-07-17 | 恋知(哲学)

指揮者、オットー・クレンペラーのつくる音楽について、喜多尾道彦さんは、次のように書いていますが、これは、人間がどう生き、社会はどうあったらいいか?についての答えにもなっています。

「クレンペらーは「全部の音を平等に聴こえるように出してくる。で、それぞれの音に主張させます。それが他の指揮者にないやり方。でも、そうして音を全部出して、平等に聴かせると「対比」が生じますよね。クレンペらーはフレージングで流して聞かせるのではなく、その「対比された音」を特徴とする。一音一音、ここにはこの音があるんだぞと。だからテンポが揺るぎなく、構成がしっかりしていないと、もう音楽にならない。彼の構成力や展開の雄大さは、音を全部正しく鳴らすための「手立て」で、「音そのものの素材」で聴かせる。だから媚びないんですよね。」

次に、同じく喜多尾さんが、クレンペラー指揮ウィーンフィルのベートーベン交響曲5番(運命)の演奏(1968年のライブCD)を評した文章を載せます。

「悠然としたスケールの大きな演奏だ。高弦と低弦、管楽器と弦楽器が対等に拮抗し、譲り合わない。ある音が別の音に従属したり、フレーズのひとつの歯車に絡められたりすることがなく、どの楽器の音もそれによって自己の存在を堅固に主張する場を得ている。最近の指揮者は、なめらかなコーティングをほどこし、聴き手の耳に心地よく響かせようと腐心するが、クレンペラーはまず音に深い呼吸を求める。ひとつひとつの音に潜む息が肺の隅々にまで行き渡り、肺がいっぱいに膨らむ・・」(共に「レコード芸術」誌・昨年05年4月号より)

武田康弘




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やりたい放題ー法に違す為政者ー「公共哲学ML」公開

2006-07-15 | メール・往復書簡

以下は、この下のブログに対するコメントです。


武田さま

このイラク派兵は、憲法はおろか、自衛隊法にもイラク特措法
にも、違反しているのは明らかです。陸自の「復興支援」とい
う大義名分は、はじめからカモフラージュで、空自の拡大とと
もに、アメリカの侵略の愚かで、醜悪な同伴者になっていくこ
とでしょう。
 問題なのは、こうした小泉らのクーデターに対し、一人とし
て自衛隊員から契約違反であると告訴する者も出ず、この異常
な対米追随に怒る右翼もおらず、新聞は、「法」の蹂躙を告発
することもなく、イラク派兵が、現地の人に喜ばれたなどとセ
ンチメンタルなことを書きたて、司法は逃げ惑い、多数決原理
まで持ち出し、立憲主義を崩壊させ、衆生は、知ったことかと
無関心を決め込み、これで9条が、改正されれば、末人の集大
成です。このシステムが、延々と続いていくはずはないはない
、と無知なぼくには、どうしても思われるのですが・・・。
武田さんの一文に刺激されての感想です。

久松

===============================
久松様。
武田です。

法に則って仕事をする責務がある公務員が、法を恣意的に解釈し、明らかに法に違す行為を白昼堂々と行う「法治国家」とは、何なのか?
それに対する人民のレジスタンスー「一人ひとりの抵抗力」がこれほど弱い国は、他に例をみないでしょう。
私が考える「主観消去の詐術」を真に理解し了解する人があまりに少なく、反対勢力までも権威主義に行きつくしかない「客観主義」の想念に頭の芯が呪縛されています。
ここからの脱出は容易ではありません。ふつうの多くの人が「民知」による深い精神の自立を獲得することが必須だと私は確信しています。
久松さん、共感と励ましのメールをどうもありがとうございます。感謝です。

================================

そうなんです。まったく武田さん、久松さんに共感するのですが、新聞
にもテレビにもそのような論調はなく、北朝鮮脅威の一点張り。この国
にはまともな政治家やジャーナリストがいないのか、どうしてこの小泉
クーデターに右翼も市民も怒らないんだ、と不思議でなりません(森住
卓さんの東京新聞の記事はよかったです)。一市民としてできることは
やり続けよう、とは思いつつも、私のブログに殺到している「北朝鮮が
そんなに好きなら家族揃って移住したら」(私が北朝鮮の軍事演習にな
んでそんなに騒ぐのか、と書いたことに対して)論には辟易しています。
ブログ http://kikuchiyumi.blogspot.com

きくちゆみ

---------------------------------------

久松さんやきくちさんのまっとうな判断に対して、
今朝の東京新聞での
「拓殖大学」森本 敏(65歳)の自衛隊を海外に送る恒久法の整備を!という主張は、本質的に愚かで危険です。私は、「公共的怒り」を覚えます。

武田康弘

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明らかな自衛隊法違反―超法規の小泉政治

2006-07-14 | 社会思想

イラク派兵が決定された時点から、私が主張し続けていたことと同一の意見が、今朝の東京新聞に載っています。

元・防衛庁教育訓練課長で、現在、新潟県・加茂市長の小池清彦さん(69才)の意見です。

「海外派兵は憲法違反であり、自衛隊法にも書いていない。隊員に対しては契約違反である。」と、
まったくその通りであり、小泉首相の言動は、明らかに法律に反するもの。その罪は極めて重たいと言わざるをえません(自衛隊法については、クリックで出ます)。


続けて小池清彦加茂市長は、次のように述べています。

「航空自衛隊は引き続き、バクダッドなどにも活動範囲を拡大し、物資輸送などに当たる。補給、兵たんは戦争の最も重要な部分。危険が大きく早くおやめになる方がいい。・・・
一度出せばエスカレートすると危ぶんだが、案の定だった。今やイラクに派兵したことで、政府は憲法改正の動きを加速させている。非常に危険な動きだ。
私は極力、独自で日本を防衛できる防衛力をしっかり持つべきだという考え。その上で平和国家に徹する。
小泉首相は、祖国の防衛力は思い切って減らし、海外派兵は大いに行おうといている。・・・
戦場に自衛隊を派兵することは避けるべきだが、そうしなかった。実にけしからんことだと思う。」

憲法も法律も恣意的に解釈し、平然と法に反する行為を続ける人間が、いまの内閣総理大臣です。その後をつごうとしているのが安部官房長官なのです。

武田康弘。


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「北朝鮮市民への人道援助」と「北朝鮮政府への制裁」をセットで行うこと

2006-07-13 | 社会思想

日本のNGOが北朝鮮の各地方に入り、直接、食料と衣料と医療の援助を行うー日本政府は出来るだけの支援をNGOに対して行い、あらゆる便宜を図る。
ただし、北朝鮮の政府に対しての援助=物質供給はストップする。
もし、北朝鮮政府が、この直接援助を断ったならば、「日本の市民は、人道主義に基づく最も有効な援助をしようとしているにも関わらず、北朝鮮政府がそれを妨害している」ことを、あらゆるメディアを通して繰り返し訴える。

援助とは、一人ひとりの困窮する人々に対して行うものであり、政府や権力機構に対して行うものではない、という「市民主権・中心思想」を全世界に向けてア・ピールする。と同時にその直接援助の方法を具体化するアイデアを考え、試していく。

北朝鮮に限らず、きめ細かな、ほんとうに現地の人々の役にたつ援助のありようを考え生み出すことは、世界の人々を救うと共に、日本という国の存在価値を高めることにもなります。

感情的に他者を排撃するのではなく、政府レベルと市民レベルの次元の相違を踏まえて、国家対国家という思想を乗り越える政策を大胆に打ち出すことがもし出来れば、そのときわが国は、世界から畏敬の眼差しをもって遇されるでしょうーそれ以上の国益はないはずです。国家主義という集団エゴイズムを乗り超える思想=言動が、世界をリードする日本を生むのです。口先ではなく、実行。試行錯誤しながら、世界の市民との直接交流のパイプを太くし、まったく新しい市民関係を誕生させるための課題に日本政府が本気で取り組み汗を流すー国家主義の恐怖を超えるためには、自ら率先して国家主義を放棄することが必要です。世界のふつうの多くの人々に歓迎され敬愛される国を敵視することは、誰であれできないのですから。これ以上の安全保障はありません。

上記は確かに理想論に見えるでしょう。しかし、原理的に思考すれば、このように考えるしかないはずです。現実を変えうる理想論は、もはや理想論ではありません。

武田康弘


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NTTのブログの不具合ー困ったものですね。

2006-07-12 | その他

このNTTのブログは、どうして、こんなにサービスの質が悪いのでしょうか?

これほど頻繁に「サービス停止期間」があるとはなんともヒドイ話です。3日間ものサービス停止期間が、一月ほどおいて連続してあり、その後もたびたび繋がらないのです。

しかもソフトの大元の仕組み=思想を変えてしまったために、過去のURLが使えないー一瞬にしてリンクがすべてダメになってしまいました。

こんなデタラメなことが「先進国」で他にあるのでしょうか?まるで、発展途上国並。
それとも、利用者ではなくNTTの都合が優先する、ということなのでしょうか?

その場しのぎのようなやり方には、ただ呆れるだけです。使命感―責任感をもって恥ずかしくない仕事をしてもらいたいと思います。一人ひとりの情報や思想の発信という重要なツールの維持管理にあたる仕事は、社会的にも極めて大きな意味と価値があるはずです。公共性を担っているのだという自覚が大切ですね。NTT内でOKならば、それでいい!?-では済まないはずですよね。

NTTへメールもしたのですが、何の返事もないので、ブログ記事にしました。みなさんの正直な気持ちをお聞きかせ願いたいと思います。

武田康弘


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「友人たちの学校」での対話的思考ーキムさんとの対話

2006-07-11 | その他

6月3日(土)の5時間にわたる金泰昌(キムテチャン)さんとの対話ーー
当日の模様と、参加者の感想文を「白樺教育館ホームページ」にアップしました。
ぜひ、ご覧下さい。

「友人たちの学校」</b>での対話的思考です。クリックして下さい。

賛同する点、違和を持つ点について、各人がそれぞれ自分の言葉で明瞭に書いています。素晴らしい!ことだと思います。

武田康弘

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アタマ、大丈夫?小泉政権ー愚かな閣僚の先制攻撃論

2006-07-10 | 社会思想

北朝鮮の「ロシア近海に向けたミサイル実験」に対して、わが日本政府は、なんと、北朝鮮への先制攻撃の可能性について検討する、と言い出しました。ついに彼ら好戦主義者(愛国論者)たちが「本音」を出しましたね。明治以来、無条件降伏で敗戦するまで、ず~と戦争をし続けてきたわが日本は、60年以上も戦争をしていないと、フラストレーションが溜まる?ようです。「ミサイル発射実験」を口実にいよいよ本格的な誇り高い!?―ただし米国の下での「戦争をする国家」への始動開始と行きたいのが、保守主義者―タカ派の思惑のようです。

思考力に乏しい反射的な反応は、アタマの悪い証拠です。豊かな思想を育めず、近視眼的に見、刺激に反応するだけというのでは、悲しいですね。生活世界の経験に基づくほんとうの勉強―学習がなく、技術知=受験勉強(パターン学習)しかないわが国では、「エリート」ほど本質的には愚かです。 新聞、テレビもみな現状追認ー脆弱な「日本主義」に絡みとられています。マスコミ人もまた自分の心身で感じ知り・自分の頭で考え・豊かな思想を育む力のない「烏合の衆」でしかないようです。

その場の「自己感情」と「技術知」のふたつで動くヒステリー人間たちには、恋知(哲学)の営みに支えられた思想の世界がありません。底の浅いカタログ知、なんでも○×の世界。その場の感情で動き、政治技術だけに長けた小泉首相は、そのシンボルです。小泉チルドレンというあだ花を見ると、その軽薄さがよく分かります。彼らに限らず、「技術知」だけのお子様ランチのようなタカ派人間たちの言動にはほんとうにウンザリです。

「戦争を仕掛けられたらやり返す」、北朝鮮はそう繰り返し述べています。何もされないのにミサイル攻撃をするのが自殺行為であることは、誰でもが知っています。窮鼠(きゅうそ)猫を噛む、というところに追い込まない外交政策が、安全のためには何より必要です。そもそも、今回のミサイル実験も、日本に対するメッセージではなく、その相手はアメリカなのです。政治のみならず軍事的にもアメリカとの一体化に突っ走ってきた外交、中国・韓国を蔑視する外交が、わが国自身をヒステリー化させています。自分で自分の首を絞めている愚に気づかないと、馬鹿を見るのは私たち自身です。

武田康弘


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大はしゃぎーロシア近海ー「北朝鮮のミサイル発射実験」への対応

2006-07-07 | 社会思想

軍事評論家は嬉々としてしゃべりまくり、安倍官房長官は鬼の首でも取ったかのように高揚し、テレビ局は、バラエティ番組のようなハシャギよう。

北朝鮮のミサイル発射実験は、確かに非難されるべき愚行です。

しかし、ただロシア近くの海上に落下させた北朝鮮のミサイル実験を、日本にミサイルが打ち込まれたかのごとくに騒ぎ、あるいは、打ち込まれるかもしれないというムードを演出し、日本全土のミサイル防衛構想や米国との軍事共同作戦=自衛隊と米軍の一体化路線を推し進める口実に使うとは、これまた愚かな行為です。

そのような言動は、危険―危機を増大させることがあっても、減少させることにはならないーこれは少し理性を働かせれば誰でもが分かることです。

わが日本人にありがちなヒステリー=自己感情の絶対化は、米国の世界戦略=軍事支配の思惑と符号して、再び軍事大国への道を開きかねません。
豊かな思想のない感情の絶対化は、国を暴走させ、大厄災に投げ込みます。慌てず騒がず、という落ち着きが必要です。煽られては損です。

思い起こしてみれば、アメリカほど巨大なウソをつく国はありません。この間のイラクへの先制攻撃―やってはならないという「国際ルール」を破り戦争を仕掛けた理由は、フセイン大統領が生物兵器と共に核兵器を開発し所有している確かな証拠があるーその脅威を取り除くためというものでしたが、実際には何もなかったことが見事に!証明されました。

このアメリカの国際ルール破りの戦争を全面的に支持したのが、小泉首相ですが、ウソ情報を真実だと言い続けた責任、戦争=イラクへの無差別ミサイル攻撃=劣化ウラン弾による大量殺戮を支持した責任をまったく感じない鉄面皮には、ただ驚き呆れるだけです。

挙げればきりがないほどの「無責任性と自己感情の絶対化(本人が純粋に思い込んでいるから恐ろしい)」ですが、これは残念ながらわが日本人によく見られる性癖です。「思想」を育む環境にないと、「感情」を「思想」の替わりに用いるしかなくなります。純粋培養された為政者(二世議員などには特に多いようです)は、広い思想―恋知(哲学)の営みがなく、すべてを現実対応という名の「政策論」の次元で論じてしまいます。

この「一般的思想の驚くべき貧困と結びついたシニカルな現実主義」がどういう結果を招くか?は、歴史が証明済みです。中国への侵略戦争から始まりアメリカへの攻撃―無条件降伏という最悪の事態を招来したのは、「日本主義」=国体イズムでした。広い思想のない狭い主義(イズム)は、皆を不幸にします。

武田康弘


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