思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

生きる上で一番大事なことは? 武田康弘

2004-11-30 | 私の信条


人間が生きる上で一番大事なことは、遊び・冗談・余裕・笑い・ふくらみの感覚です。

幅がない、固い、形式的、心の狭いマジメの精神は、自分も他人も不幸にします。

キリキリと目標一直線、余裕なし、色気なし、ツヤなし、単純―単色の学校秀才ではつまりませんね。

人間の価値とは、存在そのものの魅力=ero(ー)sです。硬直した厳禁の精神は、人生最大の敵なのです。

生の意味を知らない貧しい心と頭は、生きる価値のない灰色の世界しか生みません。
もうそろそろ日本人も人間になりたいものだな~、と思います。

繰り返します。人間にとって一番大切なことは、遊び・冗談・余裕・笑い・ふくらみの感覚です。


 ( 2004年11月30日 )





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情熱 

2004-11-28 | 私の信条

情熱、よいこと・美しいこと=善・美をもたらすのは、情熱の力による。
よく生きるとは、情熱をもって生きることである。
学問や芸術や競技や、を含む人間の生活世界のすべては、情熱によって支えられている。
本来、人間は一人ひとりが太陽だ。燃えているのは自分だ。私もあなたもよく燃えることができるように互いに協力し合うのが人間だ。

情熱が不完全燃焼を起こすと、さまざまな有害物が出てくる。情熱が粘着性をおび、ロマン主義になると、自分だけの正しさの世界から抜け出せなくなり、腐臭を放つようになる。自分を傷つけたり、他人を傷つけたり、自閉的になったり、暴力的になったりする。ロマン主義の一番恐ろしいのは、他者(親子・兄弟・夫婦など近しい関係にある人をも含む)を自分の思い通りにしようとすることだ。一人ひとりが太陽だ、ということを忘れ、他者を支配しようとする心が生じる。

情熱は、善・美を生み出す源泉だが、逆にまた、善・美を目がけているときにだけ、情熱は完全燃焼できる。その時々の気分や、目先の勝ち負けや損得を超えて大きく生きようとするとき、人間はよく命が燃える。私はどこまでも一人の私でありながら、しかも私という自我を超えた大きな存在になる。よき生=幸福とは、命=情熱の完全燃焼が生み出すものだ

情熱を失うと人間は終わってしまう。教育とは、長続きするよき情熱を育てるものだ。単なる技術的な知の伝達ではなく、ロマン主義に陥らない完全燃焼のよき美しい情熱を生むための人間的な努力である。教育者の最大の資質とは、情熱家であることだ。目の前にいる子どもにつき、口先の理屈ではなく、しなやかな柔らかさをもって生きる人、力には屈しない勇気と愛のある人が求められる。本来の教育者は、哲学者(恋知者)である。知恵を愛し、よきもの・美しいものに憧れる情熱家でなければ、人間の生の問題には関われないからだ。

武田康弘





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?皇族の人権と市民精神の涵養 武田康弘

2004-11-27 | 社会思想

日本の国のありようを考える3部作の最後です。

 靖国「神社」とはなんでしょう。
 国のため?「国」とはなんでしょう。 (記事の下に続いて出ます。) 


  皇族の人権と市民精神の涵養



 天皇制の問題については、ふつうの市民社会の常識にしたがい、本質的に考えれば、答えは実に簡明です。

まず、明治政府がつくった「近代天皇制」とは、現代のシチズンシップ(市民精神)ー>「エリート主義VS市民精神」を参照してくださいーに基づく「人権と民主制」という普遍的な思想の前では、過去の有害な遺物にすぎないことは、火を見るより明らかです。また、古代からの「神話的な天皇像」については今さら言うまでもなく、これに現代的な価値を置くことは、あまりにも馬鹿げた話でしかありません。

 もちろん、個人的に天皇を「崇拝」するのも、皇室を「命」と思うことも自由ですが、国=政府の理念や基本方針として、天皇に神秘的―宗教的な意味を付与し、それを国民統合の象徴とすることは、全世界の良識=市民社会の理念そのものへの挑戦にしかなりません。

 したがって、天皇=皇室というものは、過去の日本の歴史的な遺産として、一般に「旧家」がもつような役割を果たしていくものと位置づければよいのです。
現在の皇族の人々は、基本的な人権を、皇室外の日本人と同じく保障され、一人の人間としての自由と責任の下に生きることが求められ、また許されるべきです。北欧などの王室のように、市民社会に溶け込んだ自然な姿になることがよいことです。現代の市民社会の中に宗教性や神秘性を付与した国家シンボルをつくるなどは、極めて危険でおぞましいことですし、皇室の人々の人権を全く認めない越権行為にしかなりません。

 そのためには、憲法第一章(一条から八条)の天皇条項については、大幅に改めなくてはいけません。
第一条の「日本国民統合の象徴」というような論理的にも現実的にも曖昧でおかしな規定を削除して、「過去の日本の文化遺産を守り伝える歴史的な旧家」として天皇家を正当に位置づけることが求められます。天皇個人については、現憲法が定めている国事行為からは解放し、文化的な国際親善や王室間外交に徹してもらうことが必要です。再び政治的に利用されないために、また彼らが一人の人間として伸びやかな生を送るためにも、一条の改定は避けて通れません。

天皇家が行う結婚や出産や葬儀も、天皇家がその良識の下に判断し行うことであり、国家=政府が関与すべきではありません。
 それらは、家族がその信頼する助言者と共に決定することです。また、財産権を保証すると同時に、生活費も自己負担とすべきです。ただし、皇室としの最低限度の生活が危機に瀕したときには税金で補填すべき道も残しておく必要はあるでしょう。


結論を言います。
一条は、「主権は日本国の市民に存する」と簡明な記述に改定するのがよいでしょう。続けて、「首相は日本国の市民による直接選挙で選ぶ」こと。「天皇及びその家族は、歴史―文化的存在であり、国政に関する権能は持たず、国事行為も行わない」ことを明記すべきです。そうすることで、天皇家の人々に現代社会に見合った新しい活躍の道を開くと共に、その人権を全面的に保証することにもなります。


 次に元号問題です。一人の人間の死によって時代の名称―区分を変えるというのは、古代王政の空間・領土とともに、時間・時代も王が管理するという思想に基づくものですが、この制度が世界に唯一つ生き残ってしまったのがわが国の元号問題です。

 その死によって時代の名称や区分までも変えてしまう制度―誰も手の届かない超越的な人間が存在しているという感覚は、日本人の意識の奥深いところで、個人の自由意識と責任感を萎えさせてしまいます。「対等な個人がその自由と責任に基づいて公論を形成し社会を作り上げていく」という市民社会の原理がボヤケテしまうのです。新たな時代を開き歴史をつくる主体は、市民=公民=社会人としての自分であり、特権者はいないのだ、というシチズンシップ(市民精神)の育成を深層において阻害するのです。「エリート主義」という歪んだ考えを生み出してしまいます。

 また、この元号制度は、世界との通時制―共時性を薄め、日本にのみ固有の時代―時間があるという観念を生みます。例えば、天皇主権から国民主権へと国の基本のありようが変わっても同じく「昭和時代」などという時代区分で歴史が記述されます。これでは、ほとんど星占いと同じレベルで歴史の意味が語られる!というお粗末にしかなりません。「平成の世」などと言われると、何か分かったような気になってしまい、世界の中の日本という意識が育ちにくくなるのです。パブロ・ピカソー1881年~1973年、棟方志功-明治36年~昭和50年では困ります。

 したがって、年号は、出来るだけ通し番号の「西暦」(事実上の世界暦)で表すようにすべきでしょう。現在、役所は、自民党―中曽根内閣が強行採決で決めた「法律」により、元号を実際上強要されています。北朝鮮も驚く国粋主義!ですが、これは当然逆にすべきです。元号は使いたい人だけが使う、とすればいいのです。
 世界的にはイスラム暦も多く使われているので、ほんとうは、ギリシャのソクラテスの誕生年(紀元前469年)を起点とする暦を「世界暦」とするように国連が各国に提唱すればいいのですが、現在のところ、これは夢物語でしょう。(ギリシャ文化を受け継いだのがアラビア=イスラム文化ですし、仏教思想もギリシャ思想と出自―基本が同じですので、世界的な了解が得られるはずです。)


 次に住居の問題ですが、現在の皇居は、知将―太田道灌が15世紀・室町時代に建てたもので、徳川幕府の拠点―江戸城です。1868年(明治元年)西郷隆盛―勝海舟会談での江戸城無血開城を受けて、京都の天皇家が乗り込み移り住んだわけです。
 しかし、国民主権の新憲法制定後もずっとこの江戸城内に住み続けるというのは、おかしなことです。天皇家には本来の住まいである京都御所へ帰って頂き、自由に暮らしてもらうのがよいでしょう。歴史的にも天皇家は関東地方とは関係がないのです。皇居=江戸城内は、「江戸―市民公園」としてパブリックな場にするのが自然で、よいことです。余談ですが、そもそも天皇家を将門信仰の厚い関東の地に住まわせるのは気の毒というものです。(さらに余分な話をすれば、神田生まれの私の誕生日は、将門を主祭神とする「神田明神」ー『神田祭』の初日!です)


 最後に日の丸と君が代の問題ですが、日の丸は天皇家とは何の関係もありませんので、国旗として問題はありません。戦後すぐならば、戦争責任を明確にする意味で変えてもよかったでしょうが。

 「君が代」の曲は、もともと明治天皇へ捧げられた天皇賛歌ですので、これを国歌とするのは、明らかに間違っています。あくまで、「明治天皇の歌」として残すべきです。この権威的で荘重な曲調は歌いづらく、現代日本には合いませんし、古きよき日本の伝統とも大きく異なります。
中国とも朝鮮とも違う日本文化の特徴は、国学者・本居宣長がいう「もののあはれ」にあります。漢の国の「ますらおぶり」や朝鮮の「真っ直ぐで大らか」な文化に対する大和の魂とは、叙情的な「あはれ」を解するところにあります。優しく細やかな心を表す平易な歌が日本の国には適しているのです。
 私は、誰でも知っている歌―ふるさとへの想いを歌った「故郷」か、日本の国花―桜を歌った「桜」がよいと思います。歌いやすいですし、編曲も容易です。学校の入学式や卒業式などで、もし国歌斉唱が必要ならば、「君が代」の替わりに歌うとよいでしょう。まずは我孫子の小中学校から始めましょう。

 明治天皇賛歌の「君が代」を強制するという所業は、天皇家にとっても迷惑な話でしかないはずです。


 確認と結語です。

 啓蒙時代を経て教育が全成員に普及した現代社会では、「市民精神に基づく民主制」以外の政体は認められない というのが人類史の到達した思想―結論です。個人的領域に限れば、どのような想念も許されますが、社会思想としては、人権を、具体的に言えば国連の「世界人権宣言」を無視することは認められないのです。個人の信仰や信念は最大限に保障されますが、市民社会の原理に反する思想を持つ自由はありません。とりわけ政治権力者が行う一方的な方向付け(現代の日本においては、自民党のタカ派や石原東京都知事の言動)は極めて危険であり、容認することはできません。明治政府―伊藤や山県らが画策した「近代天皇制」の思想に基づく戦争と市民的自由抑圧の政策を是認する考えを現代の為政者がもつことは許されないのです。石原慎太郎のように自分の意向に沿った人間だけを「教育委員」に選定し、自国民絶対主義の教科書を用いて子どもたちの教育にあたることがどれほど恐ろしいことか! ヒトラーも正当な選挙で選ばれ、圧倒的な支持を受けて、ドイツ民族絶対主義による人権抑圧と戦争政策を進めたのです。日本でもドイツでも、「エリート主義」による方向付けがどのような結末を迎えたのか?よく思い起こすことが必要です。

 どこの国、地域で生きようとも、私たちは地球という生態系の中で人間として生きているのです。「人間としての普遍的なよさ」に関心をもつことのできる日本人として子どもたちを育てなければなりません。
 問答―対話による自由と責任の意識=市民精神の育成によって市民自治をつくりだしていくための実践教育が急務です。自治政治は、日本では500年前の戦国時代から全国各地で行われていたのです。戦国武将の統治は、惣村や自治都市や一向宗自治区など民衆の自治政治の上に成り立っていたにすぎません。人類的な普遍性をもっていたわが国の自治政治の伝統を現代に蘇らせるのは、何とも胸踊る作業ではありませんか。

 未来を担う子どもたちと一緒にこの古くて新しい課題に取り組みましょう。
 外的な価値のみを信奉する硬直した官僚組織に乗った国家主義者―国体思想をひきずるいやらしい体質の「おじさん政治家」―権威や権力を持って自己実現を図ろうとする最悪の人間には、早々と退場してもらいましょう。

 最も価値あるもの=至高のものとは、一人ひとりの内面世界です。外なる価値などには惑わされず、自分の良心を中心に生きること。ほんとうのこと・よいこと・美しいことを求め、柔らかでしなやかな強さをもつ不屈の魂を自己の中に育て、その種子を子どもたちの中にしっかりと植え、育てること。それが、人間の身に可能なかぎりの最大の幸福をかちうることなのです。 ( 2004.8.31 )


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?国のため?「国」とはなんでしょう? 武田康弘

2004-11-27 | 社会思想
神話上の話としてではありますが、「天照大神(あまてらすおおみかみ)は天皇の先祖である」という逆転した話を信じている人が、学者を含めて大勢いるのには驚いてしまいます。

 天照大神とは、太古の人々の自然崇拝の中心にいた太陽神のことです。8世紀の初頭に、他の豪族を退けて政治権力を握った天皇は、自らの権力支配を正当化するための必要から、人々の自然崇拝の中心であった太陽神=天照大神(もともとは土着の豊饒女神と言われる)を「自分たち天皇家の祖先だ」と言ったのです。
 古事記の後半や日本書紀には、日本の八百万(やおよろず)の神々が天皇の先祖として描かれていますが、これは、どこの国でも政治権力を握った者がする「神話と歴史」の創作です。
 そのお話に単純に乗っかって日本人の心やその歴史について語るとしたら、ピント外れの無駄話にしかなりません。言うまでもないことですが、日本人の自然への憧憬と崇拝の心は、天皇支配のはるか以前からのものです。天皇家は、天照大神を自分たちの祖先だ、と宣言することで、人々の神を天皇家の専属にしたのです。

 冒頭の逆転した話を信じている人は、なんと1300年も昔の天皇制律令国家の戦略に今なお呪縛(じゅばく)されていることになります。
 そういえば、小泉首相の後ろ盾、森・前首相は、日本は「天皇を中心とした神の国だ」と言っていました。「能天気が首相を務める官僚主義の国」から早いところ抜け出したいものです。
 
 周知の通り、明治政府は、この古代の天皇制を持ち出して日本の近代化を進めたわけです。『盗まれた神話』(古田武彦著)その他多数の研究書で明らかにされているように「人の褌(ふんどし)で神輿(みこし)を担ぐ」式の記紀神話を、そのまま歴史的―現実的な史実として「近代天皇制」を作り上げた明治政府の所業を反省してみることは、現代なお喫緊の課題でしょう。明治という日本の近代を解剖することなしには、未来への希望も、よき伝統の再生もあり得ないのです。

 近代社会の只中に天皇という現人神をつくり、それを憲法で、主権者=最高権力者と規定し、天皇のために死ぬことは立派なことだ、という洗脳教育をしたわが国の近代―ヒステリックなイデオロギーで現実政治を進めた愚かしさは、どんなに反省しても反省しすぎということはありません。

 戦後、日本社会はその問題と正面から向き合う努力を怠ってきたために、現在、大きな壁にぶつかっているのです。「国体」イデオロギー(注)を引きずってしまい、曖昧模糊(あいまいもこ)とした天皇制とセットになっている官僚主義政治の変革ができないのです。精神的に自立する市民が育たず、市民社会が成熟しません。会社人ではあっても「公民」=社会人になれない未成熟なままの只の「私」としての大人が増えていくという現状に対して、何も見えていない為政者たちは、なんと再び、日本主義―国家主義を持ちだそうとしています。

 表層的な「事実学」だけで、物事の意味や本質についてはほとんど何も知らない日本の「エリート」たちの知的退廃には呆れ返るほかありませんが、その「一般的思想の驚くべき貧困と結びついたシニカルな現実主義」の言動によって、日本の社会はますます混迷の度を深めています。

 シチズンシップのある「市民」を育てない学校教育、時間的余裕を持って社会活動に取り組める制度を作らない経済万能の冷酷な政策、考え・意味をつかむ頭と対話能力を潰(つぶ)すパターン化した受験教育と、そのステレオタイプの知に支えられた愚鈍な官僚主義による社会運営、それこそが、日本人を自由と責任をもった市民にしない一番おおもとの原因です。それを生み出す暗黙のイデオロギーが「国体」ですが、その「国体」については、(注)に記します。

 人間を幸福にしないこの思想とシステムの問題には目をつむり、おかしなイデオロギーを持ち出して、目くらましで人々を欺(あざむ)こうとする為政者(本当は、為政者自身が馬鹿げた観念の虜になっているだけのことですが)には、お互い騙(だま)されぬように充分用心したいものです。私たち市民を守り、勇気づけてくれるもの、それは創造的で変革的な思考力―自分を取り巻く現実について深く、強く、考えてみる実践です。

 そこで、よき日本のこれからの姿について、創造的=現実的に考えてみたいと思います。
 
 言うまでもなく自由と平等は、人類が長い間かけて獲得した普遍的な理念です。人権思想は、個々人の自由と平等を前提としています。生まれによる差別、あるいは特権を認めることは、前提を壊(こわ)すことになります。タブーを持つ社会は、必ず腐敗し、その社会の成員の心を不健康で、歪んだものにしていきます。これは人類史の教訓です。
 明治政府のつくった「天皇制」は、敗戦前までは、天皇と呼ぶ個人に、他の国民と差別した絶大な権利=肥大化した異常な人権?神権?を与え、敗戦後は、 他の国民には保障されている基本的な人権さえ天皇には与えていません。
 冷静に考えれば誰にでも分かることですが、これは、近代以降の社会としては、極めて異常な事態です。これからの「よき日本の国の姿」を考えるためには、まずこの問題を解決することが必要です。
 時間(元号)、空間(住居)、人間性(人権)、の3点を中心に見ていきましょう。

 

(注)「国」とは何か 「国体」とは何か

? 政府(state)―という意味での「国」を作っているのは、私たち一人一人の個人の意思です。衆議院も参議院もその議員=自分の考えを代行する人間を直接選び、また不適格者と考える議員を辞めさせるのは、国民である私たち以外にはいません。「国」(state)が先にあって、私たち個人がいるのではなく、個人が「国」を選び、作っているのは、簡明な事実です。これには議論の余地がありません。
? しかし、文化―生活の仕方や言語を共通にするという意味での「国」は、個々人の決定の前に、習慣―前提としてあるものです。もちろん、文化も個々人の意向によって変化していきますが、惰性性が強いため動きは緩慢で、比較的安定しています。
? さらに気候・風土という国土しての「国」(country)という言葉は、生まれ育った故郷という意味で使われますが、これは、文化・個々人の人生、双方の基盤となっているものです。

 流行や風俗という意味ではない、もっと基本的な生活の仕方-言語-気候風土として意識される「国」(?と?)は、本来、政府―政治思想とは無関係です。当然のことですが、保守主義や右翼―国家主義者、日本万歳の愛国主義者※とは、何の関係もありません。


 こういうイデオロギーを振り回す人間は、自分の人生の疎外感・不全感・ルサンチマンを、国家を信奉する宗教によって克服しようとしているにすぎません。いつも外なる価値を追いかけ回す脅迫神経症者=受験主義の勉強を強要された「エリート」(もちろん偽エリート)やその裏返しでしかない「劣等生」は基本的にみなそうですが、自分の内なる声=内なる欲望を順番を踏んでよきものに高めていくことに失敗しているために、「超越」的な価値を信奉して生きるほかありません。オカルト信仰、大学名の序列信仰、有名信仰、皇室信仰、国家信仰・・・・これらはみな「外的人間」のヒステリー症状です。親の鬱々としたエゴが、子供の心の柔らかな調和=内的充実を育てず、外なる価値を追いかける競走馬にしてしまうために起こる悲劇―惨劇です。いつも知・歴・財の所有の量ばかり気にする神経症=歪んだ心の投影です。一生、自分が自分の人生の真の主人にはなれず、内的な喜びのない人生を歩むことになります。


 長いこと儀礼的―文化的存在であった天皇を現実社会に持ち出し、「天皇を頂く国家主義」を東大法学部出身の官僚によって運営する(政冶家は猿回しのサルにする)という山県有朋の作った明治政府の政治システムは、敗戦後もずっと官僚と癒着した自民党政権により維持されてきました。

 明治から今日まで、この官僚的権威主義というイデオロギーを永続させることを至上の価値と考えている人々は、政府(state)としての「国」(?)に、本来は何の関係もない基本的な生活の仕方-言語-気候風土として意識される「国」の概念(?と?)を重ね合わせる詐術によって、「国体」という日本独自の概念を作り、これを政治思想の基盤としているのです。日本政府が、敗戦後も明治政府の作った「近代天皇制」の存続に躍起となったのは、「国」を一つの実体とする=「家父長制による家族」としての国家を維持するためには、長たる権威者―世襲による天皇を必要としたからです。

 「国体」という意味での「国」という言葉を何気なく日常的に流布させることで、政府(state)としての「国」(?)の基本政策や思想を批判することは、日本という国の総体(?と?)を批判することだ、よって非国民!というレッテル貼りが可能になったのです。
 マスコミも政治家も、いつも、国側敗訴とか国は対策を怠った、と言いますが、これは、行政側とか政府と言わなくてはいけません。聞かされる人は、知らないうちに「政府や官僚制度」が「国」だと思い込まされてしまいます。私たちは、官僚主義の政府を批判するのであり、国を批判するのではありません。

 日本と日本人のよき伝統を生かし、未来を切り開くために、真摯な批判と新たな建設のために努力する真の愛国者を「非国民」として排除し、贔屓(ひいき)の引き倒しのヒステリックな日本主義者―国家主義者をよしとするようなイデオロギーは、百害あって一利なしです。「日本主義者」こそが私たちの国-日本をダメにしてしまう最たる者なのです。

 理解し思考する能力、問題を発見し解決する能力、総合的判断力、吟味し応答する能力、創造力、想像力、企画立案能力、記憶力、人間の関係性を深め広げる能力、直観=体験能力、臨機応変、当意即妙の能力・・・・・・。人間のさまざまな知的能力のうち、記憶力と事務-情報処理能力だけに特化した同じタイプの人間=ステレオタイプの受験勉強を勤勉にこなす頭脳の持ち主だけを官僚政府の「エリート」とする基本政策によって、この「国体」という主義は支えられてきました。 なぜ?なんのために?なにを目がけて? という最も重要な問いを封印し、既存の知をパターン化して記憶するだけの馬鹿を「エリート」とする政策は、現代の日本を暗く重く、生きる価値の薄い、つまらない社会にしています。

 「国体」とは、為政者があらかじめ決めておいた「国」のカタチ―制度に個人をはめ込む、という「人間を幸福にしないシステム」のことです。一人一人の様々な想いー発想を出発点にして、個人の考えを育て、公論を形成し、合意と約束によって国=国家をつくるという近代以降の社会原理とは全く相容れない主義なのです。「人間力」を生かさないこの有害な思想は、内的世界=個人の生きる意味を元から消去してしまいます。外なる価値を追いかけ回す神経症患者だらけのこの国を変えていくのは、他の誰でもない、あなたと私です。



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トランジスタアンプと真空管アンプ(わたしの音楽・オーディオ半生)趣味?

2004-11-26 | 趣味
音楽を聴くとは、作曲者や演奏家の想念、心や息づかいを聴くことでしょう。ところがトランジスタのアンプ(国産、輸入オーディオを問わず)を使って再生すると、無機質な均一性の世界がつくられてしまい、音楽を聴く愉しさや悦びが減じてしまう。人間の情感ではなく、機械の論理に支配されるという感じになる。(余談―まるで日本の官僚政治のよう!)

 実は、このことは何十年も昔に感じていたのですが、今改めて書くには理由があります。

 私はよい音で音楽を聴きたいという強い欲求に駆られて、中学三年生の終わりころから秋葉原の「テレビ音響」や「ダイナミックオーディオ」などに毎日のように通い、世界のオーディオを聴き、いくつものスピーカーを自作し、さまざまな工夫と工作に明け暮れてきました。いわゆる音楽好きの「オーディオ少年」だったわけです。ブラスバンドでトロンボーンを吹きつつ、上野の文化会館にも主にオーケストラを聴きに通い続けました。じつに今年で音楽歴は40年、オーディオ歴は37年になります。私にとっての神は、昔も今もずっと音楽でした。

 オーディオ装置は、最初はふつうのトランジスタアンプを使っていましたが、高校三年の時(1969年)に真空管アンプに替えて長いこと愛用してきました。しかしサンスイ、ラックスのアンプとも耐用年数が過ぎた1982年にアキュフェーズのトランジスタアンプ(MOS-FET)に替えました。当時はもう一般には真空管の優れたアンプを入手することは困難になっていたからです。

 その後、最近では、高品位と評価の高いデンマーク製ボウ・テクノロジーズ(トランジスタアンプ)や物量投入型のデノン(トランジスタアンプ)も使いました。2001年秋にスピーカーを長年愛用してきたJBLのLE8T+パイオニアのリボントゥイター(堅固な大型ボックス入り)から、高解像度、高スピードで位相のズレも少ない現代ハイエンドを代表するティールに替えたこともあって、これを鳴らすアンプは、力の強い最新のトランジスタしかないのでは?と考えていたからです。真空管アンプも中国のハイテク企業から安価な良品が出て入手しやすい状況になっていましたが、たとえ音色に魅力があったとしても、現代オーディオにはさすがに苦しいだろうな?所詮は「趣味」の世界にすぎないだろうと思って敬遠していたのです。

 ところが、ある日ティールのスピーカーを鳴らしていて突然ひらめきました。この色づけの少ない素直で高精度なスピーカーには、常識とは逆に現代の良質の真空管アンプが合うはずだ!
 そこで、早速私の好きだった真空管KT88のパラレルプッシュプル、トランスも高純度6N銅の「オーディオスペース」(中国)のプリメインアンプ、ついでにSACDプレーヤーも真空管出力のものを今年で37年目になる長~いお付き合いの宮越さん(ダイナミックオーディオ新宿店)から購入。

 これがなんとも素晴らしい音、声や楽器の生の音?が聴こえます。ティールでバランスを取るにはトランジスタアンプではあまり必要のなかったスーパーウーハーを50Hertz以下に追加するなどの工夫は必要ですが、全く次元の違う音楽の世界が出現しました。昔のよい音がレヴェルを上げて甦った! そんな感じです。

 今、この部屋(大成パルコンの14畳)では、クレンペラーのマーラーが、グルダのベートーヴェンが、ありありとした現実感をもって鳴っています。
 無機的ではなく生きた音、機械的ではなく自然な音、表層的ではなく実在感のある音、です。
 オーディオ的な言い方をすれば、聴感上のSN比、ダイナミックレンジが桁違いに高く、音が透明だ、ということです。その結果、奏者の息づかいや、音を出す気配が明瞭に、等身大のレヴェルで聴き取れるのです。最新録音のSACD盤はさらにしなやかで艶やか、フワッとした音場が広がります。

 これをお読みの皆さん、小型のものでいいですからぜひ真空管のアンプで音楽を聴いてみて下さい。今は中国製の良品が廉価でもとめられます。きっとあなたの心の世界が変わります。

 数字上優秀なトランジスタアンプの無機質で機械的に均質な音を聞いていると、いろいろなことが連想されます。
 男も女も、情緒音痴のすまし顔には魅力がありません。これが石(トランジスタ)の音。豊かな感情をもった生き生きとした顔はチャーミングで誰もが引きつけられ癒されます。これが球(真空管)の音です。
 人形の美でしかないような人間では、つまらないし、悲しいです。私たち日本人もそろそろ人間になりたいものだな~!?と思います。おっと、脱線してしまいました。失礼。 (2004、3、18)


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?靖国「神社」とはなんでしょう? 武田康弘

2004-11-25 | 社会思想
千代田区の皇居の近くにある靖国神社を知っていますか?

 実は靖国神社は、神社とはいっても、私たちの街に古くからある神社とは本質的に異なるものです。1869年に明治政府が作った「東京招魂社」という施設で、設立の10年後に名称を変え、「靖国神社」と神社を名乗るようになりました。
 明治政府がこの施設を設立した目的は、明治維新で官の側についた戦死者を祭ることでした。したがって戊辰(ぼしん)戦争や西南戦争などで反政府の側に立った人は祭られていません。
 もともとわが国伝統の神道(神社)は、御霊(みたま)信仰といって、敵味方の区別なく死んだ人の魂を祭るものでしたが、「靖国神社」は政府側の人間だけを祭る、しかも死者を神とする、という伝統とは異なる考えに立っています。


 『靖国神社の本殿はあくまで、当時の官軍、つまり政府側のために命を落とした人たちをおまつりするお社である、という考えで出発したのでして、それは非常に意味のあることだと思うのです。 そこには「忠義」という徳が国家経営の大本として捉えられているという日本特有の事情があるのです。 「私」というものを「公」のために捧げて、ついには命までも捧げて「公」を守るという精神、これが「忠」の意味です。
 この「忠」という精神こそが、・・日本を立派に近代国家たらしめた精神的エネルギー、その原動力に当たるものだろうと思います。ですから・・命までも捧げて「公」を守る、この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。その意味で、靖国神社の御祭神は、国家的な立場から考えますと、やはり天皇のために忠義を尽くして斃(たお)れた人々の霊であるということでよいと思います。』(日本人にとって「靖国神社」とは何かー小堀圭一郎(東京大学名誉教授)著・平成11年8月、靖国神社で販売している小冊子「靖国神社を考える」より抜粋)


 明治政府が日本人を「国民」として組織―統合するために作った宗教、それが「国家神道」=天皇教ですが、その中心施設となったのが靖国神社です。
政府は、封建制の日本社会を短時間で富国強兵の近代国家へと変貌させるために、儀礼的―神話的な存在であった天皇をその神話性を保持させつつ現実政治の場に担ぎ出しました。生身の生きた人間を宗教上の神聖な存在とし、その神格化した人間を現実政治の最高権力者としたのです。
 古代絶対王制の発想をそのまま近代社会の中に持ち込んだ結果、日本社会は近代化のスピードを著しく速めましたが、同時に伝統と近代の双方を共にひどく歪めてしまうことになりました。今日に至るまで一人ひとりの市民的-精神的自立を阻んでいることと、伝統的な民衆文化を潰し、自然・風土を台無しにしてしまったこととは、軸を一にしているのです。(朝鮮、中国などアジアの国々を同化政策によって植民地化したこと、恐ろしいほどの民を殺害したことの問題は、また別に主題化します。)

 社会―国家(state)は、個々人の約束や合意に基づいてつくられるものという発想ではなく、国家を頂点とする組織優先の思想は、「国家神道」という支配階級の作った擬似的な一神教(いっしんきょう)によって絶対化されました。この国家宗教にもとづく家族主義の社会体制を「国体」と呼びます。自立する輝かしい個性は疎まれ、個人は集団と一体化させられます。大葬の礼などに見られる仰々しい儀式は、人々を黙らせ、洗脳するための手段です。秘密めいているほどアリガタイ! 

 「日本の歴史は、神武天皇から始まる天皇による治世だ」というデタラメな記述をした教科書は、明治天皇本人の意向で1881年に作られた「小学校教育綱領」によるもので、忠君愛国の道徳と天皇史による徹底した国民教化―洗脳教育が行なわれたことは周知の事実です。極めて強い政治的意図の下に編まれた天皇制イデオロギーは、古代からの素朴な神話的天皇像を利用する巧妙な詐術によって巨大な力をもち、日本の隅々にまで深く浸透していきました。そのため私たち日本人の多くは、敗戦後の今日に至るまでその呪縛から真に解放されてはいません。今なお天皇制を論じること、否、考えること自体がタブー視されている始末です。今年から東京都では、「天皇の時代は永遠につづく」という「君が代」の歌を歌わない教員の処分が始まりました。1891年に天皇の御真影(絵画の複製写真)への拝礼が足りないという理由で内村鑑三は、教員を辞めざるを得なくなりましたが、再び似たような事態になってきました。くわばら、くわばら。それにしてもわが日本人は、いつまで明治政府の作った「天皇教的国家主義」に引きずり回されたら気が済むのでしょうか? 懲りない人々にはウンザリですね。もうそろそろ幕引きにしましょう。


 『靖国神社の場合は、・・王政復古、「神武創業の昔に還る」という明治維新の精神に基づいて、お社を建立しようと考えた点に特徴があるといってよいかと思います。
 あの社は天皇陛下も御親拝になるきわめて尊いお社である。微々たる庶民的な存在にすぎない自分が命を捨てて国の為に戦ったということだけで天皇陛下までお参りに来て下さる。つまり、非常な励みになったわけです。
 国の為に一命を捧げるということが道徳的意味をもつのは万国共通です。言ってみれば、人間にとっての普遍的な道徳の一項目なのです。』(日本人にとって「靖国神社」とは何かー小堀圭一郎(東京大学名誉教授)著・平成11年8月、靖国神社で販売している小冊子「靖国神社を考える」より抜粋)


 繰り返します。
 靖国神社とは、明治維新のときに政府側の死者を祭るために作った施設であり、その思想は古来の伝統の神社とは根本的に異なるものでした。
 言うまでもなく神道とは多神教(八百万の神)ですが、政府の権力者と明治天皇自身が作った「国家神道」は、生身の人間を現人神(あらひとがみ)とする擬似的な一神教でした。思想的内容のいかがわしさ・空虚さを、厳(いかめ)しく尤(もっと)もらしい外観で覆った政府作成の明治の新宗教が、国家神道=天皇教だったのです。

 政府関係者の「靖国参拝」是非の議論は、こうした事実とそれが持つ意味をしっかり踏まえた上でやっていただきたいものです。小泉首相の基本的な事実さえ知らない「感情論」には、あまりの程度の低さに呆れかえるしかありません。

 前半を終了するにあたりエピソードをひとつ。
 靖国神社の遊就館の売店には、さまざまな戦争グッズと共に小泉首相や安部幹事長の本が平積みになって売られ、読売新聞の宣伝コーナーがつくられています。 靖国神社―天皇制―自民党―読売新聞、がひと続きです。



(注)「君が代」について

 20世紀の世界に負の遺産を作り出した最大の人物とも言われる山県有朋(やまがたありとも)は、今なお続く天皇制と官僚政治(東大法学部が支配する官僚独裁制)の仕組みをつくった明治政府の中軸です。
 その山県有朋は、天皇国家が主導する官僚政治体制を固めるためには、忠君愛国の臣民道徳によって国民を教化する必要があると考えていました。1890年(明治23年)、当時首相だった山県有朋は、「自由民権運動」の思想を元から絶つために、教育勅語と御真影と天皇讃歌「君が代」を用意し、小学校の教育改革に着手しました。
 「教育勅語」(勅語とは、天皇自身のお言葉という意味です)の奉読。 あの「若菜集」の作者、島崎藤村に韻やリズムなど文体の校正を依頼して仕上げた格調高い名文によって、忠君愛国道徳を示しました。
 明治天皇の絵画を複写した写真=「御真影」への敬礼。
 天皇讃歌「君が代」の斉唱。 音楽は人心操作には必須のものー君が代(天皇陛下の時代)は、千代に八千代に(永遠に)、というわけです。
 以上の三点がセットになっていたのです。しっかりした型を作ることは、洗脳の最も重要な仕事です。

 君が代の歌詞は「古今集」にある読み人知らずの古歌ですが、曲は1880年11月3日に天皇誕生日を祝い、宮中で初演されました。もともと天皇讃歌であり国歌ではありません。天皇讃歌なので天皇は歌わないのです。
 余談ながら、1881年に教科書に載った最初の「君が代」は、今とはまったく違う、軽やかで明るい曲でしたが、1893年の教科書からは、宮中で初演されたのと同じ今の曲に統一されました。

 こうした官僚主義国家―天皇を中心にする形式優先の紋切り型の考え方は、いうまでもなく、低次元の拙劣な思想でしかありません。「絶対」を置くような思想は、そもそも思想ではなく、主義にしか過ぎないのです。自由な発想・伸びやかな個性―豊かさや広がりのある思想に基づく「市民主権社会」のもつ明るさとは対極の「国家主義思想」を生み出す精神を、私は「冷たいヒステリー」と呼びます。エロース(愛)や優しさのない厭らしい厳禁の思想は、「人間を幸福にしない日本というシステム」(ウォルフレン)しか生みません。政治家に限らず、どうも日本の「エリート」層の精神は、ヒステリーでしかないように思えます。倍音の豊かな音、フワッとした三次元的な広がりの世界とは全く対極にある精神です。
 天皇讃歌だった「君が代」を、1999年に国会の議決で「国歌」としてしまい、今度は、歌わない教員は処分するというなんともヒステリックな為政者の言動が、反対運動側の人間の心もヒステリーにしてしまう、そんな感じです。
 ひとつに決め付けてくるような固く息苦しい「主義」の押し付けは、響きのないギーギーという下手なヴァイオリンの音を連想させます。そういえば、受験主義の勉強を子どもに強要する親などもヒステリーの最たるものですね。
 後半では、みなが納得できる対案―これからの「日本のかたち」を考えたいと思います。 

 ところで、「君が代斉唱、ご起立願います。」と言われたらどうしましょう。
 私の場合は、事を荒立てず、起立して、しかし、歌わない、としましょうか。あっ、そうすると天皇と同じ、ということになりますね~。 

(2004.5.14)


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?わたしの信条 武田 康弘

2004-11-24 | 私の信条
よろこびの多い気持ちのよい人生を送るために、また社会をよく変えていくために一番必要なことは、自分に勝つこと、自分が元気になれるような思考と生活をすることです。他人に勝つことではありません。
課題となるのは、他人ではありません。自分です。今の、今までの自分に負けないことです。刻々と今を未来に向けて歩む自分、新たな可能性に向けて日々を創造するこの私の実存こそがすべてです。
私が真に納得のできる生を生きた時、自分の周囲や社会は、自ずと変わるのです。自己の変革が、社会の変革を生むのです。
世の中がなかなか変わらないは、自分がなかなか変えられないからです。人のせいにしてはいけません。
逆に、自分を変えることができれば、世の中も変わります。変え続けること、脱皮し続けることが大切。それは、人生の最大のエロースです。ほんとうに私のためになることは、みんなの利益です。
私とは、状況に飲み込まれるものではなく、状況を飲み込むものなのです。
これがわたしの信条です。


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他人に勝つ? 武田 康弘

2004-11-24 | 私の信条

他人と比較するー他人に勝とうとするー他人を目標にするー他人を気にする。
そういう人は、はじめから負けているのです。死ぬまで、安らぎも充足も得られません。いつも他人の評価に怯える脅迫神経症者として生きるのです。

深い納得の世界、ほんとうの満足・よろこび・楽しさ、意味充実のエロースを得るためには、自分自身をよく見つめる練習が不可欠です。自分の心身の世界を広げ深めようとする営みは、他人の目を意識したら出来ません。これは原理です。

ほんとうに「よい」ことは、自分自身との対話からしか始まらないのです。透明な心―自分で自分に聞いてみる静かな心―沈思がなければ、すべては砂上の楼閣です。

ピクピクと反射的に動く現代人には、幸福はありません。底の浅い一時的な快感をつないでいくだけの惨めな人生から抜け出すには、他人との比較をやめ、自分の心身の声を聴くことが必要です。



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哲学? 民芸-あそび心 武田 康弘

2004-11-23 | 恋知(哲学)
無名の人が造る日用品の中にこそ真の美しさがある、という思想を提唱したのは柳宗悦です。その主張を表す「民芸」とは、柳が陶芸家の浜田庄司、河井寛次郎と共につくった言葉で、彼らは1925年から「民芸」運動を本格的に開始します。

「民芸」という考え方の中心は、「用の美」(実際に用いることの中に美はある)です。「用いる」ということを、意識化―自覚化することで、新しい世界を開いたのです。

自覚化することで、「用いる品々」は、通常の「芸術作品」を超える可能性を持ちました。個人の作家は、自我―個人性を表現する小さな世界から解放され、歴史の中で無意識のうちに積み重ねられてきた人間の生活に根ざす大きな普遍性の世界に通じる道を、この「民芸」という思想の中に見たのです。

『益子参考館』に見る浜田庄司の作品の大きさー深さは、自我を克服することの素晴らしさを教えます。自我の克服とは、自我の否定ではなく自我の解放です。解き放たれた心は、自然法爾=真の自由を得るのです。

「用いる」ということを、生活の中で追求していくとき、自ずと生じるのが、「遊び心」です。「用いる」ことを自覚したときに生じる「遊び心」は、生活の内側から湧き上がるほんものの「遊び心」です。人間の生を華やかせ、色づかせるものです。

 民芸という思想が生み出す「遊び心」は、通常の「遊び心」ではなく、根のある「遊び心」、パワーを生み出す「遊び心」です。それは、克服された自我-解き放たれた心がつくる自由の世界、伸びやかで自然、愉悦の世界です。

 「用いる」ことがそのまま「美のイデア」に結びつく至福=あそび。それが本来の「民芸」思想の真髄なのではないでしょうか。

 「神様に遊ばせてもらっている」棟方志功


 2004年11月8日


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受動性の思想は無価値です(トラックバック)哲学?

2004-11-23 | 恋知(哲学)
[関連したBlog]

「生きる意味ー存在問題への答え」へのワタヌキ氏のトラックバックに対する返信です。


その通りだと思います。

ニヒリズムという「価値」は、自分を腐らせてしまいますね。

詰るところ思想とは、受動性から能動性への態度変更を可能にする措置だといえます。

したがって、受動性の哲学は、思想としては存在価値がないのです。

受動性が求められるのは、思考の前提ー「学としての哲学=認識論」の分野のみでしょう。

(武田康弘)

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心身全体による愛 (教育?)

2004-11-22 | 教育

 子育てー教育の基本は、心身全体による愛です。 

 文字通りの触れ合い、だっこしたり、おんぶしたり、ほほ擦りしたり、ふざけ合ったりすること。また、心のこもった視線や感情の豊かな抑揚のあることばで接すること。一言で言えば、心身全体による愛です。

 理屈以前の身体的な触れ合いこそが核心です。断言します。それがなければ、まともな人間には決して育ちません。

 愛とは、心身全体によるもの。子どもが自分を心底「肯定」できるのは、全身で愛されているという実感のみです。

 子どもを「言葉」だけで教育できると思っている人は、全くの能天気です。子どもが著しい適応障害を起こすのは、「理性」の不足からではなく、「愛」の不足からなのです。

 自分を自分で肯定でき・受け入れ・愛することができなければ、他者を肯定し・受け入れ・愛することは、不可能です。他者を肯定できなければ、中身のある人間付き合い=真の人間関係は決して生じません。

 人間関係とは、言葉で教育できるものではありません。愛や思いやりや優しさは、具体的に態度で示すことができるだけです。教え込むことが不可能な領域です。

 大人である私たちが、形だけで他者と関わる外面人間であっては、よい子は育ちません。本気、本音で他者と関わる勇気が必要です。愛の心があれば、ぶつかり合いは生産的になります。しかし、勝ち負けの意識が支配する愛のない不幸な心は、すべてを壊してしまいます。

 「心身全体による愛」は、人間の様々な営みを「よい」ものにするための絶対の条件なのです。言葉―理屈ではなく、実践です。そのように生きること、態度で示すこと、それ以外の方法がありません。

 子育てー人間を育てる基盤は、「心身全体による愛」にあるのです。心身全体で愛し生きることのできる人間を育てなければ、私たちの社会は砂漠化して生きる意味が消えてしまいます。

武田康弘




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キャンプ・ダイビングーほんものの教育 武田康弘

2004-11-21 | 教育

キャンプ・ダイビングーほんものの教育  武田康弘


 教育今年も真夏の炎天下、式根島の大浦キャンプ場―斜面地の美しい自然の中のキャンプ地に行ってきました。数年前地震で渡航禁止になった年を除き28年間連続の海辺でのキャンプです。手付かずの自然―ほとんど誰もいない美しい岩礁地帯でのスノーケリングと磯遊びは、何よりも深く楽しい遊び=学びです。夜は、雲かと見まがう天の川、微光星で全天が埋め尽くされる太古の星空です。

 わたしは、そうとは意識せずに、こどものダイビング指導のパイオニアの役目を果たしてきました。1977年からのスノーケルダイビングの模様は、 1980年から10年間に渡って月刊「マリンダイビング」誌上で紹介され、それがもとで、各地のスイミングスクールでのダイビング指導が始まったのです。
 初体験の子どもも、すぐにスイスイとスノーケラーになってしまいますが、実はわたしはいつもほとんど「教えない」のです。黙ってやらせておいて勘所をひとこと言うだけです。「マニュアル」があると妄想する人たち(失礼!)には理解しがたいことでしょう。肝要なのは、目の前のこどもたち一人一人を見ることですが、どうも独りよがりな「観念」や意味のない「常識」に縛られて目の前の現実が見えない人が多いようです。

 ダイビングの楽しみと安全のために必要なのは、紋切り型の体育会系の人間とは正反対の思想・態度をもつことです。子供の心身から硬さが消える環境をつくることができれば、生き物として自然な注意力が自ずと働き始めます。自由でしなやかな心が何よりも安全を生むのです。

 わたしは今年で52歳です。24歳のときに始めた「子どもたちのキャンプ&ダイビング」は、初めの頃、「武田先生、こんなこといつまで続けるの?」と言われたものです。
 今まで、先天性の心臓病の子も、ひどい喘息持ちの子も、学校で一番の問題児といわれた子も参加しました。しかし28年間一人として発病した子、大きな問題を起こした子は出ていません。ガラスのかけらを踏んで足をけがした子、転んで足をすりむいた子はいましたが、大事に至った子はひとりもいません。

 でも確かに、このキャンプ中の100時間、とくに美しい岩礁の海で自由に泳がせている時間=何よりも素晴らしい体験を子どもたちがしている時間、私の全感覚神経は最高レベルにあるようです。笑いながら、ふざけながら、でも心身は120パーセント燃焼し続けています。帰ってから数日は、意識は「真っ白」です。
 断言します。子どもの教育―人間を育てることは、全身全霊でなければできません。どんな生き物もそうです。子育ては命がけなのです。そういう緊張感を失ったとき、人間はおわってしまいます。政治も、芸術も、学問も、実業も、子育て・人間の教育という営みに比べれば、はるかに下に位置するものです。魂を育てること、心身と頭脳の全体を全身を使って育てること、それ以上に価値のあることはありません。これは人間の生の原理です。

 タケセンのパワーはすごい!とか、いつまでも変わらないですね、とよく言われますが、実は、私は幼いころから内臓が弱く20歳まで闘病生活をしていました。幼稚園児の時には肝臓病で40日間寝たきりになり、小学生の5年生~6年生の時には胃潰瘍で2年間苦しみ、中学2年生から20歳までは十二指腸潰瘍を患いました。自律神経失調症で、勉強も20分間くらい集中したら休みを入れないとすぐ胃が悪くなってしまうのです(虎ノ門病院の小児科→胃腸専門科に通い続けました)。結局、20歳の時、家の近くの『鴎外図書館』で見つけた「導引術」の本を読み、自分流に心身の改造を始めたことで、ようやく長い間の闘病生活から解放されました。医者や薬に頼る心・考え・態度を変えないと心身はよくならないことを悟りました。小中学生の時は、とても50歳までは生きられないだろうと思っていましたが、ありがたいことに50を過ぎても元気です。
 生まれつき病気がちであったとしても、他人が言うつまらない価値観(外なる価値)に惑わされず、よい考え、優れた考えを自分の中に育てていけば、人生は充実し、豊かなエロースはやってくるものだと思います。心身の健康は、内側からの生がつくるのです。

 権威ぶったり、財力で人の上に立とうとしたり、肩書きで威張ったり、人を見下したりするいかがわしく、下劣で、生きる価値のない人間はまだまだ多いですが、これからの子どもたちには、人間味にあふれ、善美に憧れる人間になってもらいたいと、私はいつも念じていす。
 財力や権力や学歴や肩書きや・・には頭を下げることなく、自分の内に善美を育て、それに従うことのできる価値ある人生を生き抜く力を育てたいと思っています。自由でエロース溢れる人間。よく思索し付和雷同しない人間。優しくて芯の強い人間。美しく愛らしく真っ直ぐな人間。そんな素敵な人間を私は育てたいのです。

 自然にとけこむ100時間、島での自炊―キャンプと自然のままの美しい海でのダイビングと降るような星空の下での宇宙の実感。とってもハードで、自由で、楽しいー言葉にはできない体験。【システム・マニュアル・情報】という世界とは対極にある全細胞で生きる時間。みんなを変えてくれるこのすばらしい底知れない自然には、ほんとうに深く感謝です。

(2004年8月8日)

武田康弘

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『よい』(最大のイデア)とは? (哲学?)

2004-11-19 | 恋知(哲学)

『よい』とは、「かたまじめな善」のことではありません。


 生き生きとしていること、輝いていること、しなやかなこと、みずみずしいこと、溌剌(は

つらつ)としていること、高揚感(こうようかん)のあること、自由なこと、愉快なこと、・・・

を指します。


 こうした『よい』は、「エロース」にもと基(もと)づくものであり、「アガペー」からは出てき

ません。

 
 神への愛という飛躍(ひやく)=「反自然」ではなく、具体的経験=生活世界の只中

(ただなか)に「真善美」を見ようとする繊細にして強靭(きょうじん)な心=健康で人間

性豊かな心がつくりだすものです。


武田康弘






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生きる意味ー存在問題への答え(A君への手紙) 哲学?

2004-11-19 | 恋知(哲学)

人間が存在していることの理由を問うことはできません。

「私は何のために存在しているのか?」と問うことは、背理なのです。何のために?誰のために?などと言う目的はありません。私は、ただ人間として存在している=実存しているだけです。

 わたしを取り巻く一切の世界を意味づけ、価値づけ、秩序づけ、目的を与えているのは、人間の意識=私です。私の意識こそが出発点であり、究極の動因なのであり、それが何のため?と問うことは、悪しき形而上学(けいじじょうがく)=宗教にしかなりません。

 この世のすべてに意味を与えているのは、私の幻想価値=イデアであり、人間は、自分を肯定できるような理念やロマンを能産し続ける存在=実存なのです。能産(のうさん)し続けることが出来なくなったとき、人間は、人間としては死ぬのです。

 結論を言いましょう。人間は、自分の幻想価値(理念的―ロマン的世界)を他者という現実に晒(さら)し、試すことで、己の幻想価値をくりかえし吟味(ぎんみ)し、豊饒化(ほうじょうか)させてゆく存在であり、その営みが<人間の生きる意味>になるのです。


武田康弘 


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憧れ・想う世界(Bさんへの手紙) (哲学?)

2004-11-19 | 恋知(哲学)

〈ロマンや理念〉は、〈具体的な目標〉とは異なり、憧れ・想う世界です。決して手の届かない夢の世界ですが、しかしその「幻想価値」なくしては、私たちは人間としての意味をもった生を営むことが出来ません。

 よいことや美しいことを希求し続ける心が失われれば、人間は実存するのではなく、ただ生存しているだけの存在に陥(おちい)ってしまいます。

 手に取ることも目に見ることも出来ないロマンや理念の世界 - よいこと・美しいことそのものの世界 - 憧れ・想う世界、この「幻想価値」の世界が唯一、人間の人間としての生を支えるのです。

 即物的 - 現実主義的な想念の中では、人間は人間として生きることができません。人間にとって真に実在するものとは、価値と意味の世界=「幻想世界」であって、只の事実や只の物質や只のシステムや只の規律や・・・というものは、存在しないからです。

 ロマンや理念、憧れ・想う世界を失えば、人間は、輝き、張りや艶(つや)、悦(よろこ)びや愉(たの)しみを失って、灰色の固まりへと転落してしまいます。
心は消えてしまうのです。

武田康弘

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