老後のことより、今はこれで精一杯です。
老後のことより、今はこれで精一杯です。
何かにつけ、老後老後と言っているが、老後っていったいいつから始まるのだろう?
文字通りに捉えると、「老いた後」ということになる。ということは、自分が老いていると思わない限り、自分の中では老後はないことになる。
「それは屁理屈だ」と言うのなら、老後という言葉を使わずに、わかりやすく「○十才以降」という言い方に変えてもらいたい。
2,
「ぼくは60代です」というと、「残りの人生をどうして過ごしますか?」「何かやりたいこととかありますか?」と聞いてくる人がいる。しかし、ぼくは来世を確信しており、現世で出来ないことはそちらに持ち越すつもりでいる。それゆえに残りの人生のことなど考えたことはない。
何せぼくは、そんなことよりも、いつもブログのネタ探しの方が大切だと思っている変わり者なのでありますから。
3,
「いつか来る運命の中に向かって
夢を忘れ、恋をわすれ、ただ日々の暮らしに
いくつとなく転がっている生き様を見つけ
ただそれが夢につながればいいと思う」
25歳の時に書いた『これからの生き方』という詩の一部だが、ぼくはずっとこの詩のとおりに生きている。とにかく、ぼくは昔から今に精一杯なのだ。
近所の友だちと近くの広場で
「運動会ごっこ」をやっていた。
「ごっこ」とはいうものの
リレーや騎馬戦はかなり真剣で
必死になってやっていた。
とはいえ「ごっこ」は「ごっこ」。
運動会に忠実にということで
体操をやろうということになり
ラジオ体操第2の
屈伸運動ばかりやっていた。
校長先生の挨拶まであった。
ただ女子の参加がなかったために
フォークダンスはやらなかった。
それが心残りかというと
そうではない。
フォークダンスは誰も
好きではなかったからだ。
1,
昨日は休みだった。することもないので、プライムビデオを覗いていたら、そこに『寺内貫太郎一家』があった。
しばらくそれを見ていたのだが、そこに出ている、貫太郎(小林亜星)、きん(樹木希林)、里子(加藤治子)さん、周平(西城秀樹)、岩(伴淳三郎)さん、タメ(左とん平)ちゃん、花熊(由利徹)さん、など主だった出演者は既 に亡くなっている。生きているのは、靜江(梶芽衣子)とミヨ(浅田美代子)ちゃんと上条(藤竜也)さんくらいだ。
オリジナルメンバーでのその後を見たかったのだが、もうダメか。来世を楽しみにするしかない。
2,
寺内貫太郎は1974年のドラマだが、その年はテレビばかり見ていた記憶がある。
火曜日は『プロポーズ大作戦』、水曜日は『寺内貫太郎一家』、金曜日は『太陽にほえろ!(松田優作のシリーズ)』『うわさのチャンネル』、土曜日は『8時だョ!全員集合(荒井注時代)』『傷だらけの天使』『助け人走る』、日曜日は『TVジョッキー』『』ヤングおーおー』『われら青春!』。等々。
これらを見ていたのは、ついこの間のような気がするが、もう半世紀経っているのか。
湿気ったダンヒルを口にすると
君がぼくの手から火を奪う。
そして指でワッカを作っては
ふうと彼方へ吹きつける。
だけど一度だけでは消えなくて
二度三度と続けるうちに
君のかわいい指がアチッと言って
思わずぼくの耳たぶをつかむ。
とがめようのない君の行為が
いつのまにかの暮らしになって
ぼくと君の愛を彩る。
ぼくはダンヒルをくわえたまま
ほんのひとときの糧を味わっては
ふたつめの火を点けようとする。
だけど君はもう知らん顔で・・・・
笑顔で指揮棒を振っている
さりげなく笑顔で近づいて
彼らに『愛』をうたわせる
さりげなく風を吹かせては
彼らに『平和』を語らせる
さりげなく雨を降らせては
彼らを『正義』に走らせる
さりげなく青空を垣間見せ
彼らに『銃』をかつがせる
教室の中のきみしか知らない
どんな家庭で育ってきたのか
どういう幼少時代だったのか
どういう家に住んでいるのか
どういう食べ物が好きなのか
教室の中のきみしか知らない
どういう服を好んで着るのか
どんな友達と遊んでいるのか
どういう会話をしているのか
どういう時に笑っているのか
教室の中のきみしか知らない
どんな趣味を持っているのか
どんな本に感銘を受けるのか
どんな音楽を聴いているのか
どんな映画に涙しているのか
教室の中のきみしか知らない
どういう夢を持っているのか
どういう人に憧れを持つのか
どんな人生が理想であるのか
どんな未来が待っているのか
教室の中のきみしか知らない
教室の中のきみしか知らない