これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

震災の記録 野島断層保存館へ

2024年01月28日 18時13分01秒 | エッセイ
 1995年1月17日5時46分に発生した阪神・淡路大震災。
 この地震は活断層である野島断層が動いたことにより起き、道路や畑のあぜ、生垣などに地面のずれが現れた。断層による地形の変化を残し、地震のエネルギーの大きさと自然の脅威を伝える役割を担う施設が、この野島断層保存館である。
「うわ」



 入ってすぐの場所に、国道43号倒壊再現模型が待ち構えており、転落したトラックや散乱した積み荷に度肝を抜かれた。震災による恐怖や混乱が凝縮されている図であった。
 この施設は地震や断層について科学的にわかりやすく説明されており、地震の多い我が国に果たす役割は大きい。おかげで、地学には素人の私にも、ある程度は理解できた。淡路島に行く機会があれば、ぜひお立ち寄りいただきたい。

阪神・淡路大震災の記録
 ○死者6434名
 ○倒壊した建物24万棟以上

 あらためて犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。

野島断層とは
 ○逆断層成分をともなう右横ずれ断層
 ○長さ10km
 ○最大で1.2mに及ぶ地面の段差と2m近い横ずれが生じた
 ○このうち地面のずれが最もよく現れた淡路市の長さ185mの断層が天然記念物に指定され一部を保存

「ふーむ」
 断層の種類については、3種の模型で学ぶことができた。



 係員の説明も要領よく簡潔にまとまっている。
「わずか10秒で用水路はつぶれました」



「地面に段差ができ、アスファルトの道路も破壊されました」





 このアングルは、リーフレットの写真と重なっている。



 あぜ道も、わずかな時間でこの通り。



 決して抗うことはできない、大きな大きな自然の力を目のあたりにした。





 断層のわずか1mの場所にあった家屋がメモリアルハウスとして展示されている。





 この家は通常の2倍以上のコンクリートを使用しており、地盤もよかった等の要因で、傾いてはいるがほとんど壊れず残っていたという。
 地震直後の台所が生々しい。





地震のメカニズム
 ○地球はプレートという堅い岩盤によって表層を覆われている。
 ○プレートは地球全体で十数枚に分かれている。
 ○プレートはマントルの対流により移動するため、プレート同士の衝突やすれ違いが起き、岩盤に力が加えられる。
 ○岩盤に長期間、大きな力がかかると歪みが蓄積する。
 ○歪みに耐えられなくなった岩盤が破壊し、ずれると地震が起きる。

「なるほど」
 出口に向かい、新たな知識が得られたことと、それを今後の防災に生かすことを考えていた。
 1995年は神戸を拠点とした、かつてのオリックス・ブルーウェーブが初優勝した年でもある。「がんばろうKOBE」をスローガンに躍進したチームに、どれだけ多くの方が元気をもらったことかと敬意を払う。
 また、PASONAグループが淡路島に本社を移転したことも、復興の大きな要因となっているようだ。こちらのグループ代表者も神戸出身と聞く。多方面から復興が支援されたことで、現在の淡路島や神戸があるのだとわかった。
 能登半島の震災にも、共通点は多いだろう。
 先日ようやく義援金を送ることができた。
 今後もやれることを探していきたい。

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13号車で行く淡路島

2024年01月21日 08時58分31秒 | エッセイ
 仕事で淡路島に行くことになった。
「どうやって行くんだろ。調べてみよう」
 東京からだと新幹線で新神戸に出て、そこから高速バスというルートが一番早いらしい。新幹線を予約し、品川に向かった。
 電車の遅延もなく、目当ての新幹線が到着するまで、あと30分もある。どこかでお茶しようとエキュートをふらつくと、サザコーヒーが目に入った。
 カステラショートケーキなるスイーツと、将軍コーヒーを注文する。金色のカップに元気をもらえる上、ケーキのルックスに見とれ、朝からリッチな気分になった。



「おっ、ザラメ糖」
 カステラというだけあって、スポンジの下には歯応え十分のザラメ糖がかくれんぼしていた。ジャリジャリした食感と甘みを楽しみ、お店を出た。エネルギーをチャージしたあとは、重い荷物も苦にならず、軽~い足取りで23番線のホームへ。
「えーと、何号車だっけ」
 切符を見ると、13号車の13番となっている。



 予約画面で「最も空いています」などと表示された車両で、トイレも近かったから何も考えずにポチッと押したのだが、キリスト教徒だったら絶対に選ばない座席だろうな……。
 仏教徒へのダメージはなく、ほどなくランチタイムを迎えた。いくつもある駅弁から、私が選んだのはあなご弁当である。



「イケる、イケる」
 幸せな飲み食いタイムのあとは読書と昼寝。退屈せずに新神戸に到着した。
 ここから高速バス「かけはし号」に乗り換え、明石海峡大橋を越えて淡路島に入る。



 当然ながら海が見え、地図の画像と視界とが重なる。一致したことを伝える「ピピッ」という音が、頭の中に聞こえてきた。



 淡路島には淡路市、洲本(すもと)市、南あわじ市があり、中心となっているのは高速バスの終点となっている洲本市と聞いた。ここまで実に4時間半。近くはないが、すごく遠いわけでもない。所用を終えると、日没を迎える時間となった。
 夕日の鮮やかさに目を奪われる。



 夕食は日本料理。こちらは食料自給率が高く、玉ねぎをはじめとする野菜、刺身やわかめ等の海産物、酪農からの乳製品が島内で調達できるというから素晴らしい。



 しかも、どの食材も味が濃くて風味豊かだ。お料理に喜んでいたら、島の方がこんな話をしていた。
「いやあ、島の外で食事をすると、アレ、こんな味なんだってガッカリするんですよね」
「でしょうね、これだけ美味しいものに慣れていれば、舌も肥えますもの」
 外食の楽しみが減るのは気の毒かもしれない。
「ぜひ、淡路牛も食べてみてくださいね。神戸牛みたいなもんですから」
「へえぇ、それはぜひ。でも時間があるかしら」
 茶碗蒸し、煮物、ご飯なども運ばれてきたが、写真も撮らずに食べてしまい、ラストのデザートが登場する。



「うーん、最後まで美味しい」
 淡路島グルメはハイレベルであると十分理解した。
 初日に買ったりもらったりしたお土産はこちら。



 海苔は軽くて持ち運びに便利だし、味付け加減が絶妙なので、ぜひご賞味いただきたい。
 移動と飲食に疲れ、ホテルでぐっすり眠った。



 ホテルの朝食は和食だったが、どれも口当たりがよいので、朝はパンにこだわる私でも難なくいただけた。



「へっへ~、海苔をもらおうっと」
 パリパリ、モグモグと食も進む。食後は淡路市に向かい、西海岸を通って高速バスに乗ることになっている。途中、どこかの店でランチタイムを確保するのだが、ひそかに「洋食がいいな」と企んでいた。
 しゃれたLADY BIRD ROADに立ち寄り、買い物もする。



 ここには農家のお店が入っており、玉ねぎやトマトに加えて、スープやドレッシングも買えた。



 時間的にちょっと早いが、ここのレストランでお昼をいただく。店を選んでいたら、「淡路牛カツレツランチ」の看板を見つけ、感嘆の声を上げた。
「淡路牛だって! ここ、ここにしましょう!!」
「え、ええ、まあ、はあ、いいですよ」
 同行者を強引に納得させて、気の変わらぬうちに中に飛び込む。メニューを見たら、これまた電光石火で「淡路牛カツレツランチを」と注文し、念願がかなった。



 衣をつけるとカロリーは上がるが、ソースとなじんで肉の旨味もアップする。一切れ、二切れと順に頬張り、旅行のラストを締めくくる淡路の味を噛みしめた。肉質はやわらかでやや甘め。焼き加減もよく、気がついたら最後の一切れとなっていた。
「ごちそうさまでした~」
 満足したあとは再び高速バスで新神戸へ。新幹線はまたしても13号車であった……。



 次回は、阪神淡路大震災を語り継ぐ「野島断層保存館」での内容をお送りします。
 現地に行くことで、29年前の災害で、報道から見えないものも知ることができました。
 少しでも多くのことをお伝えできるよう頑張ります!

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雪の七回忌

2024年01月14日 21時02分08秒 | エッセイ
 母方の叔父の七回忌があった。
 東京といっても標高の高い高尾は寒く、昨日の雪が残っている。



 運よく晴れて、両親や姉妹、叔母、従姉妹とその家族に会えることはうれしい。
「では、お一人ずつ順にお焼香なさってください」
 僧侶の指示で、長子の母から墓前に進んでいく。次は母の伴侶である父が、母と入れ替わりに焼香台に向かう。父も半年後には86歳。老化が進み、話しかけてもすぐに返事がかえってこないが、帽子をとって手を合わせていた。
 焼香が終わると僧侶が話し始める。
「七回忌というのは休広忌(きゅうこうき)とも言われ、仏様の徳が広まっていく時期です」
 ところが、父は飽きてきたのか、下を向いて足元の雪を踏み固め、ザッザッと小さな音を立てていた。困ったものだ。集中力が続かず、多動な小学生に似ているかもしれない。
「では、これにて失礼いたします」
 僧侶が帰ったあと、父に近づき話しかける。
「お坊さんの話、ちゃんと聴いてたの」
 父はニヤニヤしながら「聴いてなかった」と答える。
「そんなことだと思った」
 まあ、正直でよろしいというところだろうか。「コラッ」と怒っても直らないし。
 姉も父に言いたいことがあったようで、話に加わってきた。
「ちょっと、お父さん。帽子かぶったままでお焼香したんじゃないでしょうね」
 ボンヤリしている父に代わって私が返事をする。
「一応、取ってたわよ」
「え~、そう」
「見てたの?」
「見てなかった」
 ……まあ、この2人が親子であることは間違いない。
 法事のあとは会食だ。



「やだな、牡蠣が入ってる。姉さん、食べてよ」
「ふっふっふ。もらうわ」
 妹の隣に座ったら、鍋の牡蠣をゲットした。ラッキー!
「じゃあ、皆さん、献杯の準備をお願いします」
 長子の母が仕切り、食事会が始まった。何年かに一度しか顔を合わせないので、それなりに話が弾む。ひたちなか市の従姉妹は弟夫婦と同居していて、食事作りが大変だとこぼしていた。大田区に住む従姉妹は、一番年少だけど、それでも43歳になったという。
「大晦日から、石川県に行ってたんだよね」
 ひとつ年上の従姉妹からは、思わぬ話があった。
「七尾市に泊まった翌日に地震が起きて、もう死ぬかと思った。高速を走っていたときに、震度7だからね」
「怖い!」
「金沢まで出て帰ってきたけど、4時間かかったよ」
「大変だったね」
「生きててよかった」
 従姉妹とその一家が何とか無事に戻ってこられたことには感謝しかない。
 報道を通して、災害に遭ったときは、助かるときも助からないときも紙一重の差しかないと感じる。あらためて、お亡くなりになったかたのご冥福をお祈りしたい。
「実はね、法事で集まるのは今回で最後にしようと思って」
 食事会の終わりに母が静かに切り出した。
「もうあたしも高齢だし、体が自由に動かないから、この先は無理なのよ」
「そうだね」
「仕方ないよ」
 同席した者はみんな頷いた。
 法要という形式はとらなくても、故人を偲ぶことはできる。
 これから先は、自分のペースで行かれるときに墓参りをしなくては。
 いつかまた、親戚たちで集まれるといいな。

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ラ・フランスの仇

2024年01月07日 21時21分42秒 | エッセイ
 明けましておめでとうございます。
 今年もご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。

 さて、年始早々、小さなトラブルに見舞われた。
 箱根駅伝が悪いわけではないが、これを見始めるとやめられなくなることがある。
「いけいけ、頑張れ~!」
 今年は娘がテレビの前から動かず、昼食もそこそこに応援を続けていた。その日のランチは何だったか忘れたが、デザートにラ・フランスを剥いたことは間違いない。娘が果物だけ後回しにして駅伝に夢中になっていたのに、夫は気づかず、お皿に載っていたラ・フランス全部を平らげてしまった。娘が食卓に戻ってきたとき、何も残っていないことに驚いたようだ。
「……お父さん、ミキのラ・フランスも食べちゃったの?」
「え? ミキのだったの」
「そうだよ! まだ食べてないのに、ひどぉ~。好物だって知ってるでしょ」
「ごめん」
 小さな子どもではないので、泣き叫ぶことはしないけれど、年始とあって近所のスーパーは営業していない。代わりに柿を焼いて食べさせた。
「もう、お父さんはイヤ。勘弁してほしい」
 娘の不満はタラタラ続く。よし、スーパーが開いたらラ・フランスを買いに行こう。



「わあい、食べごろだぁ~」
 翌日、まずは皮を剥いてガブリ。
 今日は、おやつにラ・フランスのタルトも作ろうと思って準備をした。
「生地にバターが50gって多すぎじゃない? 40gにしちゃおう」
 勝手にレシピを改ざんする。
「砂糖は30gか。あっ切らしてる!」
 私は平日フルタイムで働いているので、調味料の管理は専業主夫の夫に任せているが、砂糖のストックはなかった。ないからやめよう、となるはずもなく、砂糖を求めて急遽コンビニに走る。
「もう、お父さんはイヤ。勘弁してほしいいいい~!」
 今度は私が叫ぶ番だった。
 無事、上白糖をゲットしタルトの続きに戻る。



「バターを減らしたから生地が硬いな。えいえい」
 力技で材料を滑らかに整え、バター減量でも何とかなった。



 これに、アーモンドクリームを加えて、ラ・フランスを載せる。



 あとは、190度のオーブンで35分焼けばできあがりだ。



「できた!」
「すごくいい匂い」
 3等分に切り分けたつもりが、ひとつだけ大きなピースになっていた。
「えっへっへ、これはミキの」



 娘がちゃっかり手を伸ばし、重そうな皿を取っていく。これでリベンジは果たせたようだ。
 次に大きなピースを夫に渡す。私はLDLコレステロール値が高めなので、減らしたとはいえバターが怖いのだ。
「いただきまーす」
 焼く前は硬かった生地も、火を通すとサクサクのサブレーのようになる。砂糖も少なめにして正解。ちょっと焦げたアーモンドクリームと、軟らかくてとろけるようなラ・フランスがサブレーに載って、それはそれは贅沢な組み合わせとなった。
「美味しいっ」
 夫に腹を立てていた自分も、父に不満顔の娘も、食べ終わるころにはリセットされて平和が戻る。
 美味しいものは一家団欒に欠かせない。
 ウチの場合は特に……。

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