これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

バレンタインにいかが?

2013年01月31日 20時41分56秒 | エッセイ
 ユニークな商品には、めっぽう弱い。
 たとえば、これ。
 


 外包みはのし紙となっており、「何だろう」と興味をそそられる。包装紙を破くと、見るからにレトロな箱がお目見えする。



 フタをパカッ。



 ジャジャーン!
 きちんと整列した小判に、目がくらみそうだ。
 フタの内側には、「慶長小判の大きさ、重さ、紋様をそのまま再現したチョコレートです」という説明書きがある。



 一枚取り出してみた。



 銀紙ならぬ、キンキラキンの金紙を剥き、中身を見ると



 慶長小判って、こんな感じだったんだ……。
 素晴らしいアイデアに感動する。
 まあ、味は普通だった。
 チャンチャン。

 面白いものを見つけると、職場に持っていく。席の近い教員におすそ分けして、反応を楽しむのだ。
「何ですかこれ。ウケる~!」
「こんなものが売られているんですね」
 予想通り、女性にも男性にも好評だった。
 席はかなり離れているが、私はどうしても日本史の先生の反応が見たかった。30代の彼は、決してイケメンではないけれど、かなりの歴史フリークだ。チョコをポケットにしのばせ、寒い廊下を小走りで通り抜けた。
 いたいた。
 彼は机に向かい、仕事している風を装っていた。私はさり気なく近づき、話しかける。
「サキハマ先生、ちょっとこれ見てくださいよ~」
 右手でチョコを差し出すと、案の定、食いついてきた。
「ああっ、これはこれは」
「慶長小判のチョコレートですって。よかったらどうぞ」
「えー、いいんですか!? すごいなぁ」
 彼は小判を手に取り、しげしげと眺め始めた。さきほどとは目の色が変わり、やけに熱心である。まもなく、解説が始まった。
「ひとくちに小判といっても、時代によって大きさも材質も違うんですよ」
「慶長って江戸時代ですよね」
 和暦に疎い私は、一応確認を取る。
「はい、江戸の初期です。慶長小判は質がいいです」
「そうなんですか。大きさ・重さ・紋様が本物と同じだと書いてありましたよ」
「重さも?」
 サキハマ先生は、愛しそうに小判をなでると、真剣な顔をこちらに向けた。
「これは、ぜひ授業で使わせてもらいますっ!」
 あらら。
 思いのほか、お役に立てたみたい。
 しかし、あまりにもナデナデが続くので、授業で使う前に溶けてなくなりそうだ……。
 念のため、もう一度言っておこう。
「あのう、チョコレートですからね、先生」


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夕食作りたくない病

2013年01月27日 20時39分14秒 | エッセイ
 巷では、ノロやインフルエンザが流行している模様である。
 私も、最近、変な病気にかかってしまった。
 土日は、私が夕食当番なのだが、どうも気が進まない。夫が飲み会とわかった途端、娘を連れてレストランに走る。理由はわからないけれど、夕方、キッチンに立つのがイヤなのだ。耐え難い苦痛を感じる。
 イタリアンが好きな娘は大喜びだ。
「美味しかったね」
「うん」
「何て名前の店だっけ。えーと、『まほうの…』」
 答えは「竜」なのだが、娘はなかなか思い出せない。
「わかった、『まほうの瓶』だ!」
「……」
 タイガーや象印じゃないんだからさぁ……。

 今日は日曜日だが、都立高では推薦入試が行われたので、全員出勤した。体育祭や入試、卒業式などの大きなイベントがあると、職員全員でお弁当を注文する。
 今日のお弁当は、これだ。



 なかなか美味しかった。特に、カニクリームコロッケがいい。もっと食べたいな~と思ったとき、いいアイデアが浮かんだ。

 そうだ、今日の夕飯はカニクリームコロッケにしよう!!

 これなら作る気になる。大食いの夫は今日もいないから、少ない量ですむし。きっと、ヘンテコな病も治るに違いない。
 しかし、勤務の終わり頃には疲れてしまい、やる気が失せてきた。

 揚げるの面倒くさい……。買っちゃおうかな。

 最寄り駅のトンカツ屋さんに行くと、美味しそうなカニクリームコロッケが売っていた。「ほほほっ♪」と手を叩きたくなる。しかし、その隣には、エビグラタンコロッケなるものも並んでいるではないか。これも捨てがたい。
 結局、ひとつずつ注文すると、店員さんがタイムリーな質問をしてきた。
「ご一緒に、キャベツの千切りはいかがですか? おひとつ、105円です」
 105円! ミスドに寄り道することを考えれば、お安い買い物だ。
「じゃあ、それもお願いします」
 




 これを組み合わせ、きれいに盛り付ければ、立派なおかずになる。



 うーん、結局、今日も作らなかったな……。

 不思議なことに、自己嫌悪は感じない。むしろ、解放感を味わい、すがすがしい気持ちだ。
 こういうときは、無理せぬほうがよい。
 来週も気が重ければ、「まほうの瓶?」に行ってしまえ~!


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ネタバレ少々「レ・ミゼラブル」

2013年01月24日 20時59分32秒 | エッセイ
 映画「レ・ミゼラブル」を観た。



 実家には、児童文学書の『ああ無情』があったので、あらすじは知っていたが、それでも感動した。

 たった一つのパンを盗んだ罪で、19年間投獄されたジャン・バルジャンは、ようやく仮釈放となり出所する。しかし、前科者に世間は冷たい。食べ物も家もなく、困り果てた末、教会にひと晩泊めてもらう。ところが、この男、こともあろうに教会の銀器をズタ袋に詰め込み、夜明け前に立ち去るのだ。
 そして、逃亡中、見回りの警官に見つかり、御用となる。バルジャンを連行し、教会に入った警官たちは、ズタ袋から銀器を取り出して、司教にあらためさせた。
 しかし、司教からは、耳を疑うような言葉が飛び出した。
「これは盗まれたのではなく、彼にあげたのです」
 しかも「燭台を忘れていますよ」と付け加え、さらに高価なものを持たせる。警官もバルジャンも、思いがけない展開に目を白黒させた。以来、バルジャンは自分を恥じ、まっとうな人間に変わっていく。

 私は、この映画のテーマが「許し」であると感じた。中盤でも終盤でも、許されることによって、誰かの人生が変わっていく。他者を踏みつけ、自分の幸せを追求しがちな現代人には、とりわけ観てもらいたい。私もときどき、人を非難したり、陰口を叩いたりすることがあるので反省する。大空のような、広い心を持ちたいものだ。
 作品賞をはじめとして、アカデミー賞に8部門でノミネートされたというから、吉報が待ち遠しい。
 実は、私はマダム・テナルディエ役で出演した、ヘレナ・ボナム=カーターが好きなのだ。オスカーへのノミネートはないが、スクリーンに登場すると、目を奪われる存在感がある。
 最初に彼女を見たのは、メル・ギブソン主演の「ハムレット」だ。清楚なオフィーリア役で登場し、ガラス細工のようなはかない姫君を好演していた。



 ところが、しばらくぶりに「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」でお目にかかったときには、オフィーリアとは真逆の悪役、ベラトリックス・レストレンジ役で出演しているではないか。ベラトリックスは殺戮を好み、けたたましい哄笑を轟かせ、狂犬のごとく攻撃的な魔女である。繊細さのかけらもなく、本当はこういう人なのかもしれないと思わせるほどのイカれぶり。



 しびれた……。
 今回は、イカサマ宿屋の、手癖の悪いおかみである。



 ベラトリックスの残虐さはどこへやら、コメディタッチのせこい稼ぎで笑いをとる役だ。何にでもなり切る女優なのだと、つくづく感心する。
 映画は楽しい。
 3月まで有効の割引券を何枚かもらったので、次は「リンカーン」でも観に行きたい。


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意地張るバアさん

2013年01月20日 13時16分10秒 | エッセイ
 もうすぐ母の誕生日だ。今年で71歳になる。
 毎年、バースデーカードを送っているので、今年も買いにいった。
 メッセージを書くのは娘の仕事だ。おそらく、母はカードを捨てていないだろう。可愛い孫のぎこちない文字に喜び、大事に大事に取ってあるはずだ。しかし、私はどんなカードを買ったかおぼえていない。もしかして、何年か前と同じカードを選んでしまうかもしれない。
 では、見覚えのないカードを選ぼう。





 今年はポップな印象の、飛び出すカードにした。メッセージ欄が小さいと、「楽でいいや」と娘は歓迎だし、にぎやかで楽しそうな雰囲気だ。
 だが、クッキーやケーキのイラストを見て、はたと手が止まる。

 そうだ、今年は食べ物も送ろうと思っていたんだ!

 両親は、長年さいたま市に住んでいたが、定年退職を機に、那須塩原市に引っ越した。広い土地を買い、畑を耕して暮らすことを選んだのだ。観光地から南下すると、民家もまばらな林が広がっている。ここを開拓して、家を建てたという。コンビニはないし、スーパーは車で20分走れば、ようやく一軒見つかるくらい不便なところである。郵便配達は来るが、ゴミ収集車は来てくれない。
「寿司屋もケーキ屋もなくてねぇ。もの足りないよ」
 新潟出身の父は、米さえ美味しければ食事に文句はつけない。だが、女友達とお茶やランチを楽しんでいた母には、少々荷が重いようで、何度か愚痴を聞いたことがある。たまに上京したときの、食い意地といったらない。
「あーあ、もう腹いっぱいだ。これ以上食えない」
 昨年4月に法事があり、親族が集まって会食をした。父はすっかり食が細くなり、ホカホカの茶わん蒸しを前に弱音を吐いた。すると、横にいた母が、ひょいと右手を伸ばし、茶わん蒸しを奪いとった。
「じゃあ、アタシが食べちゃうよ!」
 母もかなりの量を平らげたはずだが……。唖然とする私を無視して、彼女は悠々と、2個目の茶わん蒸しを胃袋に収めた。
 あっぱれ。
 9月には、甥と姪の誕生会があり、さいたま市のお蕎麦屋さんでコース料理を頼んだ。
「最後は、お蕎麦かうどんになりますが、どちらがよろしいでしょうか」
 女将さんが注文を取りに来た。
「温かい麺でも、冷たい麺でも、どちらでもご用意できます。量は、ちょっと少なめなんですけどね」
 すでに、天ぷらや焼き物、刺身などでお腹が膨れているので、それを聞いて安心した。
「アタシ、冷たい蕎麦」
「僕も」
 順番に注文していたら、母のところで突っかかった。
「温かいうどんがいいんだけど、普通の量にできないの?」
「はい、できますよ」
「じゃあ、アタシのは増やして」
「…………」
 とても70歳とは思えぬ食べっぷりに、誰もが無言になる。
 そのあとホールケーキが待っていたが、みんな満腹なので、「小さく切って」との訴えが相次ぐ。最後は、たくさん残ってしまった。母に「全部食べられる?」と聞くと、元気に「うん!」と返ってくる。フォークで順繰りに運ばれ、ケーキはブラックホールの彼方に吸い込まれていった。
 お見事……。

 
 バースデーカードを買ったあと、エレベーターで地下に下り、洋菓子を探す。母の好きそうな、クッキーとチョコレートの詰め合わせを選び、リボンをかけてもらった。



 今回は、焼き菓子で我慢してもらおう。
 
 母の食いっぷりに、自分の姿を重ねてみる。私は、母以上に食べ歩きが好きだから、もっと、たちが悪いかもしれない。老後は富士吉田市に引っ越し、富士山を眺めて暮らしたいと思っていたが、果たして食欲を満足させられるのだろうか。
「あたしゃ、チョコファッションが食べたいんだよ! 買ってきておくれよ」と駄々をこね、「いつ、イタリアンレストランに連れてってくれるんだい?」などと無茶を言う老婆になりそうな気がする……。
 老後計画を、見直さなければ。
 富士山はあきらめ、ミスタードーナツの至近距離に住んだほうがいいかも。


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振り返れば『戦メリ』

2013年01月17日 21時14分07秒 | エッセイ
 2013年1月15日、映画監督の大島渚氏が亡くなった。
 氏の代表作のひとつである『戦場のメリークリスマス(以下戦メリ)』が好きだったので、お気に入りのワイングラスを割ってしまったような喪失感がある。
『戦メリ』は、ポップスターのデヴィット・ボウイ、ミュージシャンの坂本龍一、お笑いスターのビートたけしという豪華キャストが出演し、1983年に公開された映画である。第二次世界大戦中のジャワ・日本軍俘虜収容所を舞台に、東の文化と西の文化が衝突し、人間ドラマが編み出される。
 暴力的な場面はさておき、俘虜を恥と考える日本と、生き延びることは恥ではないとするイギリスとの対比は興味深かったし、いつしか独特な世界に引き込まれ、スクリーンから目が離せなくなる魅力があった。加えて、主題歌の美しい旋律が相乗効果を生んでいた。
 しかし、ストーリーがよくわからない。特にビートたけしの、どアップで終わるラストが理解できない。ちょっと悔しくて、解読のヒントを探しに本屋へ行ってみた。
 シネマファイル『戦場のメリークリスマス』 講談社



 昨日、大島監督の訃報を知り、あのとき買った本を久しぶりに出してみた。
 映画のクランクインが、1982年の8月だったそうだ。今から、実に31年前のことである。
 30歳の坂本龍一は、髪を剃り青年将校に扮した。目元には妖しい色気が漂っている。軍服が似合うところが、制服フェチには見逃せない。



 ビートたけしは、北野武ではなく、タケちゃんマンだった。レギュラー番組を何本もかかえ、超過密スケジュールをやりくりしての出演だったという。スーパースターのデヴィット・ボウイを差し置いて、タケちゃんの都合に合わせて撮影したらしい。

 

 今は、タケちゃんも映画監督として名をはせている。時代の移り変わりを感じるばかりだ。
 そして、大島監督も若い。



 撮影中の監督は、ビートたけしから見ても「ほとんど狂気」と映ったようだ。思い通りに動かないトカゲに、「バカヤロー、どこの事務所だ!」と叫んだり、「トカゲに3秒止まれって言っとけ」などの無茶な要求をしたりと、いくつもの伝説があるらしい。映画への熱い想いが、人間性を変えてしまうのかもしれない。
 監督の裏話として、最初はボウイではなく、ロバート・レッドフォードに打診したというくだりがある。残念ながら、「この映画はアメリカ人には理解されない」という理由で断られたが、私はそのほうがよかったと思う。レッドフォードではジェントルマン過ぎて、倒錯的な色合いが出せないからだ。
 なにしろ、この映画では、坂本龍一とデヴィット・ボウイのキスシーンがある。



 当時、高校生の私には、これはかなりの衝撃だった……!
 大島監督と聞けば、坂本龍一とデヴィット・ボウイのキスシーンが浮かんでくるのも無理はない。
 結局のところ、本を読んでもストーリーはわからないままだ。大島監督の「日本の神と異国の神のドラマです」という解説に、ますます混乱した。
 だが、坂本龍一が心強い発言をしてくれた。
「むずかしい。ぼく、だって、自分でやっててわかんないんだもん」
 ビートたけしも、援護射撃をしてくれる。
「あれがわからないヤツは頭が悪いというと、いまのヤツはバカだから、わかったような顔して泣いたりなんかするんでさ、作戦にうまく引っかかっちゃうんだ」
 ……そうか、わからなくていいのか。
 でも、やっぱり、もう一度観てみたい。
 大島監督のご冥福をお祈りします。
 合掌。


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二代目生徒

2013年01月13日 21時12分28秒 | エッセイ
 11月から1月にかけて、私の勤務校では4回、学校説明会を実施する。
 今年は人手不足で、すべて参加する破目になったが、思いがけない出会いもあった。
 2回目のときだ。説明会のあとで、背の高いお母さんが近づいてきた。
「あのう、もしかして、i高校に勤めていませんでしたか」
 i高校とは、私の2校目の勤務先である。だいぶ前に統廃合され、今はもう残っていない。
「はい、もう20年ほど前になりますが」
「私、卒業生なんです。ニシオカといいます」
「えっ、ユカ!?」
 ニシオカユカのことはよくおぼえている。バスケットボール部だったが、白ではなくピンクのワイシャツを着て登校したり、校内で喫煙して自宅謹慎になったりと、校則違反の常習犯だった。それが今や、中学生のママとなり、子供に付き添って私の学校に来ている。変われば変わるものだ。
「おぼえていてくれたんですね」
 ユカもうれしそうに笑った。こんな再会も悪くはない。
 そして先日、4回目の説明会を終えた。この日は個別相談会もあり、何組かの親子の入試相談を担当した。
「先生、推薦入試のときに、この身だしなみでは問題がありますか」
 挨拶を交わしたあと、母親からいきなり、娘の服装へのアドバイスを求められた。
「前髪が長いので切ったほうがいいです。スカート丈はいいですね。眉毛を描くのはダメですよ。剃らずに伸ばしてください」
 よくしゃべる母親に、無口な娘という組み合わせのようだ。親子仲はいいようだが、母親は日ごろから娘の身だしなみに不満を持っており、私に同意を求めているように見えた。
「成績が悪いのに、勉強している姿もほとんど見ていません。入試まであとちょっとなのに、何をさせればいいんでしょう」
「内申は決まっているので、やはり面接対策ですね」
「そうですよね」
 母親は娘のほうを向き、そちらにも話しかける。
「お母さんが面接官の役やるから、今日から面接の練習もしよう。テレビは我慢しなくちゃ」
 中学生も親も不安なのだ。どうやったら合格できるのか、何をすればいいのかを知りたがっている。決して「大丈夫です」とは言えないが、何か力になりたいとは思う。10分ほどそんなやり取りを続け、ひと段落したあと、「ちょっと変なことをお聞きしますが」と別の話題を切り出された。
「先生は、U高校にいらっしゃいませんでしたか?」
 U高校は、教員になって最初の学校である。予期せぬ問いに、私は言葉を失った。
「私、平成4年に卒業したムトウといいますが、見覚えのある名前だと思いまして……」
「平成4年なら、私もいましたよ。きっとお会いしていますね」
 残念ながらムトウさんの記憶はなかったが、家でアルバムを開いてみた。
 いたいた。そこには、あのお母さんが若返ったような、可愛らしい女子高生が写っていた。しかし、染めたような髪を束ねておらず、唇もやけに赤い。きっと、教員に何度も指導を受けたに違いない。自分のことはさておき、娘の服装を注意するあたりが面白い。
 ニシオカさんとムトウさんが合格すれば、4月からは親子二代で生徒になる。
 私もそういう歳になった。
 ちなみに来年は、一年の担任に入る予定なのだが……。


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倍速ラジオ体操

2013年01月10日 21時36分27秒 | エッセイ
 今や、ラジオ体操がブームらしい。
 私は20代のころから、毎朝出勤前にラジオ体操をするのが常だった。すでに20年くらいは続けている。軽く体を動かすことで、血の巡りもよくなり、肩こりや首の張りが改善される気がする。この習慣は欠かせない。
 ところが、このところ、正月ボケをしているようだ。12月と同じ時間に起きても、お弁当作りや身支度に手間取り、ラジオ体操をする時間が足りない。省略すると、肩や首に重石をつけたような不快感があるので、間に合わせようと2倍速で動いてみた。
 頭の中で再生されるラジオ体操第一が、高音の早送りバージョンに変換される。深呼吸ならぬ浅呼吸から始まり、素早く両手をクロスさせたり広げたり。まるでダンスだ。
 途中まではうまくいったが、「体を大きく回しましょう」のところでトラブった。
 右上に上げた両手を時計回りに動かし、足元から左上に向かって回転させたときだ。右の腰が、「グキッ」とかすかな悲鳴を上げた。とたんに、音の出所から鈍い痛みが広がってくる。

 しまった、腰を痛めたか!

 残りの体操ができないほどではないが、伸ばすとチクチクする痛みがある。腰には力を入れられず、不安定な体勢でヒョコヒョコと歩いた。
 今のところ、日常生活に問題がないとはいえ、悪化したら大変だ。今月は、入試や3年の卒業考査があるから、休めそうもない。なるべく安静にして、早く治さねばと焦った。
「ゲール」というあだ名の、中学時代の同級生を思い出す。彼はサッカー部員だったが、特に運動神経がいいわけではなかった。当時、流行していた「リカちゃん体操」を真似していたところ、足がもつれて転倒した。たまたま打ちどころが悪かったようで、鎖骨を骨折する不幸に見舞われ、しばらくギプスをつけて登校していた。
 もちろん、周りからは「リカちゃん体操のゲール」と噂され、バカ男の烙印を押されたことには違いない……。

 てことは、アタシは、2倍速ラジオ体操のマヌケ女?

 治したいのは山々だが、決して整形外科のお世話にはなりたくない。「どうしましたか」なんて聞かれたら、説明するのが恥ずかしいではないか。幸い、お風呂で温めたら腰が軽くなった。このまま、医者にかからず、意地でも治してやると誓った。
 心強いグッズを発見した。夫が愛用している、ファイテンのチタンバンである。



 一枚盗んで、こっそり腰に貼ってみた。
 即効性は感じられなかったが、気がついたら腰の違和感がなくなっていた。キツネにつままれた感じだけれども、今では倍速ラジオ体操をする前と同じ状態まで回復している。
 
 よかった~、治った!

 ひとまず、腰の痛みも消え、元通りになったらしい。
 今後は、ノーマルか、スローなラジオ体操をしなければならないようだ。

「ゲール」と同レベルはイヤ!


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迷子の心得

2013年01月06日 06時36分22秒 | エッセイ
 ショッピングセンターに行ったら、小学校低学年の女の子が、涙で顔をクシャクシャにしながら、店内を駆け回っていた。「ママーッ」と叫んでいるところを見ると、迷子である。近くを歩いていた老女が、近づいて声をかけた。
「どうしたの? 迷子になっちゃったの?」
 ところがこの少女、かなり警戒心が強いらしい。しょぼくれた顔を一瞬にして復元し、厳しい視線で老女をにらみつける。
「いいの!」
 どうやら、口出し無用のようだ。少女は、せっかくの助け船を拒否したが、すぐまた口をへの字に崩し、泣き顔になる。同じ年頃の孫がいるのか、老女はますます放っておけなくなったようで、根気強く話しかけていた。
 幼いころ、私も迷子になったことがある。
 埼玉の実家から、一番近い都会・大宮でのことだった。昭和50年頃は、新幹線も通っていなかったけれど、東口には西武と高島屋がデンと店を構え、欲しいものが何でも手に入った。駅前のにぎわい、渋滞する色とりどりの車……。私は景気のいいこの街が大好きだった。
 その日は、バスに乗って、母と姉、妹と4人で買い物をしに来た。母と手をつなぐのは妹だ。私と姉は、おしゃべりをしながら、自由に歩くことができた。買い物をすませ、高島屋でお子様ランチを食べたところまではよかったが、デパートから移動する途中で、気づくと私は一人になっていた。
 何かに気を取られ、よそ見をしているうちに、3人は先に行ってしまったらしい。前、右、左、後……必死に頭を動かして家族を探したが、それらしい人物はいなかった。
 大声で泣き叫ぶほど幼くはない。よそ見をしていた自分が悪いのだし、迷子になるのは恥ずかしいことだ。ここは何とか、自力で解決せねばならない。
 すぐに名案が浮かんだ。帰りもバスに乗るのだから、バスターミナルで待っていれば、必ず3人はやってくる。何番乗り場なのかはわからない。見逃さないように、しっかり見張っていよう。
 ちょうど、始発バスの停まっている乗り場がある。私はバスに近づき、開いている後部ドアから中をのぞくと、すでに人が乗っていた。小太りの母親らしき女性と、女の子が2人、並んで座席にかけている。
「あら、砂希、遅かったじゃない」
 なんと、母と姉、妹の3人ではないか。
 それは、子供心にも唖然とする光景だった。母は非常に楽観的な人で、物事を都合よく解釈する傾向がある。一人、姿の見えない子供がいるけど、すぐに来るだろう、程度に考えていたようだ。迷子になり慌てているとは、露ほども考えていなかったらしい。
 私が姉の隣に座ると、すぐにバスが発車した。取り残されたことに不満はあったが、3人に会えた喜びのようが大きくて、私は何も言わなかった。

「お店の人に放送してもらおう。ね?」
 老女の説得に、少女は心を開いたようだ。険しい表情がなくなり、態度も落ち着き始めている。きっと、素直にいうことを聞いて、親元に戻れるに違いない。
 若かりし頃の長嶋茂雄氏は、一茂少年を連れて野球観戦に行ったものの、息子を忘れて自分だけ帰ってきたことがあるそうだ。
 どうも、他人事とは思えない。


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初夢、バツ夢

2013年01月03日 20時14分09秒 | エッセイ
 あけましておめでとうございます。
 のんびりしてしまい、ようやく今年最初の更新となりました。
 本年も、おつきあいのほど、よろしくお願い申し上げます。

 さて、みなさん、初夢は何日の夜に見る夢なのか、ご存じだろうか。
 私は2日の夜に見る夢だと教わった。だが、元日の夜という説もあり、定かではない。理屈からすると、元日の夜に軍配を上げたい気分である。
 元日は忙しかった。大晦日には夜更かししたのに、1日は7時に起きて雑煮を作り、食事のあとは新年会の準備をした。リンゴ、オレンジ、イチゴなどのフルーツを切って並べ、ひき肉と玉ねぎを炒めてカボチャコロッケを作る。スイーツの買い出し、お年玉の袋づめなどをして、1時に妹の家で集合だ。
 親族とはしゃぎながら酒盛りし、夕食が入らないほどたくさん食べる。飽食の罪か、その夜見た夢は悪夢だった。

「砂希さん、砂希さん!」
 義母が私を呼んでいる。何と、自宅に火の手が上がっているではないか。
「火事よ、早く逃げないと~!!」
 義母は1階なので、すぐ脱出できるが、私は持ち出すものが決められず、グズグズしていた。
 不思議なことに、貴重品ではなく、パソコンや買ったばかりの加湿器などをかかえている。加湿器は、水を入れたばかりで重い。やがて、真っ黒い煙が迫ってきて、万事休す! というところで目が覚めた。

「はー、はー、はー……」
 心臓が大きく波打っている。火も煙もないが、恐怖心が残っていた。「あんなものを持ち出そうとするなんて、バカすぎじゃね?」と情けなくなり、しばらく寝つけなかった。
 夢見が悪かったので、初夢元日説は却下!!
 2日の夜は、夫の親族との新年会である。時間にゆとりがあるし、場所は義母の家だから、移動なしで楽だ。
 手ぶらで行くのも何なので、ゼラチンを使ったお手軽スイーツを作ってみる。
 まずは、ジュースを買う。近所のスーパーでは、ピンクグレープフルーツジュースなるものが売られていた。
 ジュースに合わせて、ルビーのグレープフルーツを剥く。



 ボウルにジュースを入れ、熱湯で溶かしたゼラチン、グレープフルーツの果肉を加えてよく混ぜる。
 これを器に注いで冷蔵庫で冷やせば、グレープフルーツゼリーのでき上がりだ。
 固まる前に、新年会がスタートした。
 毎年、義母がお寿司を頼んでくれる。



 いつもの店は、店主急病のため、臨時休業となり焦った。だが、都内は商売敵が多い。この店もまずまずで安心した。
 夫の弟や義妹、甥、姪と挨拶を交わし、近況報告をする。姪がケーキを買ってきてくれた。



 おいしそ~♪
 食事が終わる頃には、ゼリーも固まっている。飾り用に残したグレープフルーツを載せ、親族にふるまった。



「どうぞどうぞ、食べてくださーい」
 甥と義弟たちは甘いものが苦手だったかもしれないが、にこやかに押し売りをして完売である。
 姪のケーキを食べ、お開きとなった。
 元日の夜は、途中で目が覚めたこともあり、やたらと眠かった。一生懸命、ゼリーを作った緊張感もあったのだろう。暖かい布団にもぐりこみ、あっという間に眠りに落ちる。今夜こそ、いい初夢が見られるかもしれない。

 夢の中で、私は電卓技能の検定試験を受けていた。場所は、勤務先の高校だ。顔見知りの生徒に混じり、一緒に受験している。
 なぜか、手が思うように動かない。電卓をたたく手が重く、シャープペンも言うことをきかない。半分も解いていないのに、「やめ」の合図が無情に響く。
 結果は、不合格だった……。
 無邪気に、「先生、アタシ受かったよ!」と女子生徒が話しかけてきた。言葉が胸に突き刺さり、ショックを受けたところで目が覚めた。

 また、変な夢見ちゃった~!!

 これが初夢とは思いたくない。初夢どころか、×(バツ)夢だ。
 ちなみに、高1の娘は、ディズニーランドが水没し、人類が滅亡する夢を見たそうだ……。
 今から、初夢は3日の夜に見る夢、なんて新説をでっち上げるしかない!


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 「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
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