これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

19回目の結婚記念日

2011年03月31日 19時47分53秒 | エッセイ
 結婚してから、丸19年を迎えた。
 年の差婚とはいえ、新婚当時は熱々カップルだった私たちも、今では水道水並みの冷たい関係である。日々の会話は1分未満の事務連絡だし、休日も一緒に出かけることなどなく、別々の部屋で好き勝手なことをしている。一緒に出かける機会があっても、夫が一人で先に行ってしまい、おしゃべりしながら歩くことなどない。ときどき、意見が食い違って口論になり、離婚話にまで発展したこともある。よく19年も持ったと感心する。
 友人も似たようなものだ。夫の悪口で妻たちは盛り上がり、親睦を深めていく。
 だが、中には結婚して20年経っても30年経っても、「夫が一番好き」と言い切る女性がいる。彼女はいつも楽しそうで、満たされている様子だ。ちょっぴり、いや、かなり羨ましい。
 どうせ、一緒に暮らさなくてはならないのなら、せめて浴槽の残り湯程度のぬるい関係にまで修復できないものか。いまさら、ホットになれないことはわかっているけれど、結婚記念日をきっかけにして、多少は努力してみたい。

 心が温まるのに必要なものは、愛の言葉という気がする。新婚の頃は、毎日のように「好きだよ」「愛しているよ」と言い合っていたが、慣れてくると言わなくなる。言わなくても伝わるはずだと思ったら大間違いで、言わなければ、あっという間に冷え切ってしまうようだ。
 もし夫に、「たまには愛しているよ、くらい言ってよ」とせがんだらどうなるだろう。気が狂ったと思われるのがおちだ。逆に、私が唐突に「好きよ」などとささやいた日には、何かの陰謀かと警戒するに違いない。
 まずは、今まで夫を邪険に扱ったことを反省し、自分が変わる必要がある。きつい言い方をやめて、なるべく肯定的な会話を心掛けねば。加えて、夫が自分の意思で「愛しているよ」と言いたくなるように仕掛けたい。

 日曜日、夫を誘って駅前まで出かけることにした。「たまには散歩に行こう」と声をかけると、意外と素直にうなずく。コートを羽織り外に出て、駅までの細い道を、私たちは並んで歩きはじめた。
「あの梅、散っちゃったね」と話しかけると、「そうだね」というつまらない答えが返ってくる。
「まず、100円ショップに行って、それから薬屋さん、スーパーの順に回ろう」と提案すると、「いいよ」と短い返事をする。日頃、会話のない二人が話しても、なかなか盛り上がらない。
 会話が途切れたころ、夫の右手に触れてみた。温かいかと思ったら、予想に反して冷たい。私は、指先をさらに伸ばし、無言で夫の手のひらに滑り込ませる。
 その瞬間、夫が全身をこわばらせた。どうやら、相当驚いたらしい。なにしろ、手をつなぐのは、15年ぶりくらいなのだから。
 でも、夫はつないだ手をふりほどこうとはしなかった。横顔からは、動揺だけでなく、かすかな笑みが見え隠れする。そのまま、200メートルほど歩いただろうか。私の温度で、夫の手が温まってきた頃、いきなり手を離された。
「目に虫が入ったぁ~!」
 夫は両手で目をふさぎ、涙を流して痛がった。気の毒ではあるが、舌打ちしたい場面である……。
 
 結婚記念日のお祝いをする。本来なら、どこかで外食したいところだが、今年は地味に仕出し弁当ですませた。



 ケーキは、立派なあまおうがゴロゴロ入っているデコレーションにした。小さいけれど、義母も含めて、4人でピッタリのサイズである。

 

 売場のお姉さんが、お祝いのプレートを作ってくれた。
 漢字が多くて難しそうなのに、上手いものだ。



 夫も「すごく美味しい」と喜び、上機嫌であった。

 翌日、娘の吹奏楽部で演奏会があった。
 夫が先に席を取っておいてくれたので、私はあとから家を出た。パワフルな演奏を楽しんだあとは、夕方、一緒に家へと向かう。道々、手をつなぐタイミングを計っていたが、クラブの保護者が多くて気が引ける。やがて、交通量の多い道に出たため、夫の後ろについた。
 隣に私がいないと、夫は足が速くなる。徐々にスピードを上げ、振り返りもしない。私はついていけなくなり、じわじわと差が開いた。それでも夫は気づかず、ズンズン歩いていく。
 遠ざかっていく夫の背中を見て、私は叫びたくなった。

 リセットするなよ~~ッ!!

 日曜日の努力は何だったのか。考えるだけ虚しい。かくして、私は一人淋しく家路についたのだった。
 ぬるい関係を目指しても、ハードルが高いようだ。
 水道水でも、夏場はぬるくなるからいいか……。



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指圧入門

2011年03月27日 19時47分47秒 | エッセイ
 妊娠しやすくなるツボを、紹介した本があるらしい。刺激によって血行を促進し、ホルモン分泌を促すことで、体質改善ができるという話だ。私は手先が器用なほうなので、指圧に向いていると思う。
 ネットで評判を調べ、ためしに購入した。60ものツボと刺激方法、加えて食生活や運動についても書かれており、役に立ちそうな感じである。「よし、やってみよう」と意気込んで始めたら、早くも壁にぶち当たった。解説図が簡単すぎて、肝心のツボの位置がわかりづらいのだ。適当に押しても効果は期待できまい。私は、参考書を求めてジュンク堂に行った。
 東洋医学の棚を見てみると、ツボについて網羅した本が何冊かある。とりわけ、わかりやすいと思って購入したのが医歯薬出版株式会社の『経穴マップ』である。



 写真を使った本はリアルすぎて引くが、この本はイラストだし、骨や筋肉との位置関係もわかり、大変使いやすい。



 それにしても、人体には何と多くのツボがあることか。その数361というからすごい。「よく見つけたな」と感心するばかりである。
 私が知りたかったツボの位置も、実にわかりやすく描かれている。ネットで買った本と、『経穴マップ』の2冊を広げて、ツボ押しを開始した。
 痛いけれども、気持ちいいようなところがツボらしい。さほど力は必要ないので、「ここかな?」と思うような場所を刺激していった。
 中には、「イタッ」と顔をしかめる場所もある。
 私の場合、「行間(こうかん)」という、足の親指と人さし指の間の付け根のツボが痛かった。ここは、頭痛、めまい、目赤、尿路通、婦人病などに効くらしい。効果が期待できそうだ。
「環跳(かんちょう)」という、お尻の外側にあるツボも強い刺激を感じた。効果は、「坐骨神経痛、殿痛、下肢の知覚・運動障害」などだ。
「血海(けっかい)」も「効くぅ」という場所だった。ここは膝の皿の上、内股よりの位置で、「婦人科の諸症状、貧血、生殖器系の障害」に効果がある。
 何しろ、片足60個のツボだから、両足だと120個を超える。気がついたら1時間半経っていた。ツボの刺激は、続けなければ意味がないのだが、こんなに時間がかかっては無理だ。 何とか、スピードアップできないものかと考えてみた。

 足に、ツボの位置を書いたらどうだろう?

 幸い、妊娠しやすくなるツボは足に集中しており、顔や手にはない。スカートを履いたら見えてしまうけれど、ズボンならば隠すことができる。ツボの流れごとに色を変え、油性マジックで書き込んではどうか。12色入りのマッキーで、腎経は赤、脾経は黒、肝経は青、胆経は緑、膀胱経は紫というように、色分けしてツボを書けば、作業能率が向上することは間違いない。
 そのかわり、ひとたびズボンを脱いだら、赤青緑黒紫の色とりどりのボツボツが登場する……。
 日常生活で、人前に足をさらすことはないが、温泉に行きたくなったら困るだろうな。
 うーん、悩むところだ。



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別れの言葉

2011年03月24日 20時09分11秒 | エッセイ
 明日、3月25日は修了式である。
 私の学校では、この日、職場を異動する教員の離任式も、同時に行うことになっている。体育館の壇上で、生徒に向けて数分間お別れの挨拶をするのだ。これまでに3回経験したが、いつも何を話すか悩む。

 一番鮮明におぼえているのが、教員になって2年目、職場結婚のため異動したときの言葉である。当時、新規採用者は、8年まで同じ学校にいていいことになっていた。でも、私はたったの2年だったから、担任を持つこともなく、責任のある仕事を任されることもなく、学校を去るわけだ。話すことなど何も思いつかなかった。
 だからといって、あまりに短いのも手抜きのようで気が引ける。「何か中身のあることを言わなきゃ」と前日まで考えた。
 やがて、離任式が始まり、私は他の先生と一緒に壇に上っていった。全部で10人ほどだろうか。長い人だと、20年以上も同じ学校にいられた時代だから、誰もが淋しそうな顔をしている。
 特に、担任半ばで異動する破目になった、数学の男性の先生は苦しそうだ。彼のクラスの女子生徒も、声を上げて大泣きしている。それでも、数学の先生は涙をこらえ、ふりしぼるような声で別れの言葉を口にした。
 そして、いよいよ順番が回ってきたのだが……。
 校長が私の名前と、在職期間、異動先の紹介をしたとたん、生徒の反応が変わった。先ほどまで、泣きべそをかいていた子も、「誰この人」といった表情でキョトンとしている。2年しかいなかったし、生徒に係わる仕事が少なかったこともあり、私は顔が売れていないらしい。教えていた生徒はともかく、それ以外の生徒にとっては、初めて見る人だったようで、「へー、こんな先生いたんだ、さようなら」という奇妙な表情を浮かべている。
 どうにも拍子抜けする展開となったが、準備してきた話をするしかない。「振り返ってみると、誰でも、自分が少しずつ成長していることに気づくと思います」から始まり、入学当時は中学4年生という印象の生徒が、学校生活を通して、徐々に高校生らしくなってきたことがうれしい、さらに自分を伸ばしてほしいと話した。24歳の当時としては、背伸びせず、等身大で語ることができた気がする。
 式が終わって職員室に戻ると、教頭から、「さっきの話は、なかなかよかったよ」と褒められた。予期せぬ言葉に、私は照れ笑いをした。

 教員は、一般的に話が長いと言われるが、その通りである。定年退職するおじいちゃん先生など、止める人がいないものだから、10分も15分も話し続けてしまうことがある。
 逆に、話すことがないとか、考えるのが面倒くさいという先生は、本当にひとこと、「みなさん、お元気で」で終わってしまう。足して2で割ることができないのが残念だ。
 それでも、来るだけまだマシかもしれない。
 今年の同僚からは、「壇上で挨拶するのがイヤだから、私は休暇を取ります」という信じがたい言葉を聞いた。
 中には、感極まって涙を流す先生もいるので、きっとそのタイプなのだろうと無理やり思うことにした。



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洗う? 洗わない?

2011年03月20日 20時02分59秒 | エッセイ
 レトルト食品などの袋を捨てるとき、義母はきちんと水洗いをする。
「だって、ゴミが臭うじゃない? 洗うのがエチケットだと思うわ」
 これに対して、洗うべきではないという意見もある。洗った水で川や海がいっそう汚れ、環境に悪いのだそうだ。それも一理ある。ならば、気温の高い時期は洗い、気温の低い時期は洗わず捨てるのがよいのかもしれない。
 東日本巨大地震のため断水している地域では、食器の上にラップやホイルを敷いて使うという。使用後、ラップ・ホイルを捨てれば洗う必要がない。生活の知恵だと感心した。

 他にも、洗うかどうか迷うものがある。
 ときどき写経をしているが、使用後の筆は洗うものだと思っていた。きちんと墨を落とし、ティッシュなどで水分をふき取ってから乾燥させていたら、新しく買った筆には逆のことが書いてある。
「ご使用後は水洗いしないでください」
 たしか、小中学校の書道の先生も、洗う派と洗わない派に分かれていたが、どちらが正しいのだろう。洗わないほうが長持ちしそうな気もする。ためしに、新しい筆は墨がついたままの状態で毛先をそろえ、キャップに戻してみた。
 ところが、翌日使おうとしたら、毛先が2つに割れている。墨をたくさんつけて、まとめようとしても、言うことをきかない。割れた毛先で字を書くと、やたらと太くてギザギザになり、大変お恥ずかしい字になってしまった。
 どうやら、筆は洗ったほうがよさそうだ。
 
 今朝、夫がキャベツの味噌汁を作っていた。ラップからキャベツを取り出し、2枚はがしてまな板に載せる。まもなく、ザクザクという包丁の音が始まったのだが、いつ洗ったのだろう。
「ねえ、キャベツ洗った?」
「いや、洗わないよ」
「何で洗わないの?」
「汚れてないと思ったから」
 私はビックリした。青虫がいる場合もあるし、卵を産み付けられていることも考えなければいけないと思うのだが。
「普通、洗うでしょ。洗ってよ」とやり直してもらった。
 探りを入れると、白菜も洗ったことがないらしい。もはや手遅れだが、私も娘も、何の疑いもなく食べてしまった……。
 しかし、特に健康を害した記憶はない。
 洗って当然と思い込んでいたキャベツだが、洗わなくてもいいのだろうか?
 うーん、謎だ……。




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病み上がりのサイクリング

2011年03月17日 19時57分35秒 | エッセイ
 術後一週間の診察日がやってきた。
 問題は、病院までたどり着けるかどうかだ。私の家から病院までは約14kmの距離で、2つの路線を乗り継いで行く。計画停電による鉄道各線の混乱は解消されつつあると報道されているが、果たしてそうなのだろうか。
 11時半の予約だが、余裕を見て8時半に家を出る。駅までは歩いて10分ほどかかる。半分まで来たところで、謎の行列に出くわした。
 サラリーマンに学生風の男女、大きなスーツケースを転がす奥様などが、無言で一列に並んでいる。今までこんな光景を見たことはない。
「この人たちは何だろう」と不思議に思ったが、すぐ答えに思い当たる。私は、暇そうにしている若い女性に話しかけてみた。
「あのう、もしかして、電車に乗るために並んでいるのですか?」
「はい、そうです」
 女性は、口元に苦笑を浮かべて答えた。やはり、そうだったのか!
 行列は、角を曲がって線路のほうまで続いていた。1km近くはありそうだ。私は意外と気が短いので、最後尾について順番を待つなどできないと判断した。

 よし、自転車で行こう!

 実は、こんなこともあろうかと思い、道は調べてある。家に引き返してママチャリにまたがり、14km先の病院を目指す。1時間半から2時間あれば着くはずだ。病み上がりだが、だいぶ体力は回復したから何とかなるだろう。
 幹線道路沿いの歩道は、風が強くていけない。白く濁った向かい風に行く手を阻まれ、重いペダルを必死にこいだ。何回も赤信号に足止めをくらう。だが、先が長いので、無理をせずのんびり走ることにした。
 1時間ほど経つと、足ではなくお尻が痛くなってきた。長時間に渡るサドルとの摩擦で、皮膚を傷めたらしい。これは盲点だった。
 しかし、途中でやめるわけにはいかない。上り坂をギアチェンジで乗り切り、「がんばれ、がんばれ」と自分を励まし、やっとの思いで目的地にたどり着いた。
 時計を見ると、10時40分である。余裕で間に合った。元気を取り戻して産婦人科に行くと、少々様子がおかしい。診察の順番の掲示に、主治医の名前がないのだ。「あれっ」と感じたとき、看護師が私を呼んだ。
「今日、○○先生は交通機関のトラブルで、まだお見えになっていないのですが、いらっしゃるまでお待ちになりますか。それとも、他の先生の診察をご希望ですか」

 ガーン!!

 私は、お尻を負傷してまですっ飛んできたのに、肝心の医師がいないとは……。
 しかし、主治医が悪いわけではない。気を取り直して、「じゃあ、他の先生でお願いします」と答えた。
 運よく、このあとすぐに、主治医が駆け込んできた。白衣のボタンも留めず、髪を振り乱して、診察室に吸い込まれていく。かくして、私は主治医の診察を受けることができた。
 結果は異常なしとのことで、ひと安心である。
 ヨタヨタと自転車をこいで家に帰ったが、お尻が痛くて、座っているのもままならない。
 鏡に映った顔を見ると、強風で飛んできた砂が、目頭にたまっている。

 病み上がりなのに~!!



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震度5強

2011年03月13日 19時18分42秒 | エッセイ
 3月11日の大地震が起きたとき、私は東京の自宅にいた。
 退院した翌日だったため、布団の中で休んでいたところだった。
 最初の、グラグラという小さな揺れで目が覚めた。「すぐにおさまるだろう」と高をくくっていたら、予想に反して長い。しかも、どんどん大きくなってくる。
 部屋の扉が揺れに合わせて、開いたり閉じたりを繰り返す。築15年の自宅も、ギシギシと苦しそうな悲鳴を上げている。物が落下する音も耳に入り、「人生、これでおしまいか!?」と覚悟を決めた。
 数分後、ようやく静かになり、おそるおそる布団を出た。
 居間では、夫がテレビの前に立っていた。「このテレビも倒れそうになったから、必死で押さえていたんだよ」と訴える。やはり、命の次に大事なテレビを守らねばと思ったようだ。
 床の上には、『類語辞典』や『家庭の医学』などの本類が散乱している。娘の机の本棚からも、ファイルや映画のパンフレットなどが滑り落ちていた。神社で買った絵馬が、転がっていたのも哀しかった。
「ママ、ちょっと手伝って」
 夫が台所で手招きしている。何と、食器棚のグラス類がバタバタと倒れて、下の段に落ちそうになっているではないか。

 私のワイングラスが!!

 お気に入りのグラスが、無様にひっくり返っており、血の気が引いた。幸い、割れてはいなかったが、こんなことは初めてだ。同僚の家では、皿が粉々になったり、植木鉢が割れたりしたらしい。震度5強の威力を思い知らされ、軽く身震いした。
 しかし、震源に近い場所や、津波の被害を受けた地域の惨状は、こんなものでは済まされない。炎を上げるコンビナートや、めちゃくちゃになった建物、水びたしの街……。災害の恐ろしさに唖然とするばかりで、胸が苦しくなった。

 東京で起きた大きな問題は、交通機関のマヒである。首都高は通行止め、一般道は大渋滞し、鉄道各線は運転見合わせとなった。あとから聞いたことだが、私の勤務先でも約20名の同僚が帰宅手段を失い、職場に泊まり込んだそうだ。寝具もなく、洗面や入浴に事欠き、長い夜を過ごしたことと気の毒になる。
 姉も、従業員と一緒に、事務所に泊まり込む覚悟を決めていたようだが、地下鉄が復旧したのでどうにか帰れたという。こちらは運がよかった。

 翌12日には、JR各線、私鉄各線も運転を再開し、交通機関が復旧したかに見えた。
 ちょうど、前の晩から気になる症状があり、病院に行こうかどうか迷っていたところである。「復旧したのなら出かけよう」と甘く考え、駅に向かった。
 私鉄はほぼ通常通りの運行で、難なく池袋に到着した。しかし、JRに乗り換えるところでつまずいた。大宮方面は、少ない本数に乗客が殺到し、大混雑してホームに入れない。ならば、埼京線を諦め、山手線から田端に出て京浜東北線でと思ったのだが、大差はなかった。
 15分に1本ほどの電車をひたすら待ち、いざ乗ろうとしてもすでに満員だ。せいぜい4人ほどしか入れない。病院の外来受付は、11時半に終了する。何本も何本も見送り、結局間に合わなかった。
 私は泣く泣く診察を諦め、家に戻った。「夫に車を出してもらえばよかった」と後悔しても遅いのだ。
 姉も、復旧が遅れたJRに腹を立てていた。ちょうど、姉の夫はJR東日本の社員である。「根性ねえな、JR!」などと苛めたらしい。
 でもまあ、被災地の方の惨状を思えば、何のこれしき……。



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セカンド・オピニオン

2011年03月10日 20時24分48秒 | エッセイ
 初の体外受精を試みたあと、妊娠検査で陽性となり、2月末には胎児の心拍まで確認できたのだが……。
「来週、また来て下さい。そこで何もなければ、おそらく大丈夫でしょう」
 主治医の指示に従って、翌週また診察を受けると、意外な結果が待っていた。
「笹木さん、赤ちゃんの心拍が消えています。流産かもしれません」
 痛みや出血などの自覚症状はない。だが、胎内で赤ちゃんが死んでしまうという「稽留(けいりゅう)流産」らしい。つわりはあるし、体温だって高い。納得いかないという気持ちであった。
「明後日、また来て下さい。そこでも心拍が確認できなかったら、取り出す手術をしなければなりません。できれば、その場で入院してください。まあ、来週でもいいけれど」
「……わかりました」
 理屈ではわかっていても、気持ちが全然ついていかない。おそらく、どの妊婦も同じだろう。医師を信頼していても、先生の診断が間違っていて、この子はまだ生きているのではないか、と疑うはずだ。
 さて困った。
 もし明後日になっても心拍がなかったら、一体どうすればいいのだろう。手術せずに放置すると、間もなく出血してきて、体が胎児を排出しはじめる。かなり痛いだろうし、感染のおそれもあって危険だ。
 でも、その場で入院というのも性急すぎる。来週まで待ってもらうのも手だが、仕事の都合を考えると早いほうがいい。

 そこで思いついたのが、セカンド・オピニオンである。つまり、他の産婦人科医に診察してもらい、この子が生きているのかどうかを判断してもらうのだ。
 翌日、私は藁にもすがる思いで、かつての主治医を訪ねた。
「こんにちは。どうなさいました?」
「ご無沙汰しております。実は……」
 この医師は、華奢な外見とは裏腹に、女傑タイプである。診察中にセールスの電話などがかかってきたら、大変な剣幕で撃退する。
「今、診察中で忙しいんです。あなたの相手をしている時間なんてないんです。二度とかけてこないでください。フンッ」ガッチャーン、という具合だ。
 だが、患者には優しくて、緊急時には時間外でも診てくれるし、精神的なケアも忘れない。分娩と不妊治療はしないので、今は他院に通っているが、この先生ならば間違いないという確信があった。
 思った通り、最後まで説明しないうちに、「わかりました、もう一度診てほしいんですね。診察室へどうぞ」と言ってくれた。
 医師が超音波の機械を操作し、胎児を診察している。
「じゃあ、一緒にご覧になってください」
 彼女は画面を私に向け、画像の説明を始めた。
「ここに赤ちゃんが映っています。拡大してみましょう」
 胎児の部分を長方形で囲むと、その部分だけが大きくなる。
「でも、心臓の動きが見られませんね。残念ながら、流産です」
 心臓の動きは点滅することで確認できる。しかし、私の赤ちゃんに点滅している部分は見られなかった。これでようやく納得である。
「体外受精1回目で着床したんですから、いい卵のときはちゃんと育ちますよ。次ですよ、次!」
 さすがに女傑は言うことが違う。主治医は患者と二人三脚をするから、かなり落胆している様子だったが、第三者だとまた視点が変わるようだ。ニカッと笑って、力強い檄を続々と飛ばしてくる。
「メゲない、メゲない!! みんな何回も失敗して、うまくいくまで頑張るんです。1回でガッカリしちゃダメ! まだまだ、これからです」
「ハイッ」
 泣いているのか笑っているのか、自分でもわからなかったが、女傑の言葉が妙に心に響く。こんな励まされ方は初めてだ。癒し系ではなく、一喝系が有効な場合もあるらしい。おかげで、診察室を出たときには心の靄がすっきり晴れていた。
 
 稽留流産は、主に胎児側に問題があるとされている。生きる力が弱くて、自然淘汰されてしまうという考え方だ。20代で娘を生んだときと違って、40代では2回も稽留流産に見舞われている。私の卵子は、かなり劣化しているのだろう。
 もっと早く頑張ればよかったと、泣き言をいっても仕方ない。今は、何とか質のよい卵子を作ることが大切だ。あと何回流産するかわからないが、それを恐れて何もせず、リミットといわれている45歳を迎えることだけは避けたい。

 翌日、パジャマなどの入院セットを持ち、私は診察に臨んだ。
「笹木さん、やっぱり心拍がありません。手術はいつにしますか?」
「はい、今日でいいです。荷物も持ってきましたし、朝食も食べていませんから」
「ああ、そう……」
 主治医は、2日前とは違う私に驚きつつも、すぐに手続きをしてくれた。
 お腹の中がからっぽになってしまい、非常に淋しいけれども、「次です、次!」なのだ。しっかり眠り、体を温め、ポリフェノールたっぷりの食品をとって、元気な卵を育てよう。
 セカンド・オピニオンを受けて、本当によかった。



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花粉症対策

2011年03月06日 20時35分49秒 | エッセイ
 今年も、花粉症の季節がやってきた。
 幸い、私は何ともないが、夫は重症だ。戸外ではもちろんのこと、家の中でもくしゃみを連発し、「目がかゆ~い」と言っては泣いている。大の男が鼻を垂らし、メソメソしている姿は滑稽とはいえ、毎日やかましくて困る。どうにか黙らせる方法はないものかと思案していた。
 3日ほど前、帰宅した私に、夫が目を輝かせて報告した。
「今日、テレビで、花粉症対策の番組を見たんだ」
「へー」
「洗濯するとき、柔軟剤を入れるといいらしい。服につく花粉の量が、1/4に減ると言ってたよ」
「ほー」
 うちでは、基本的に柔軟剤を使わない。毛布やフリースなど、静電気の起きるものを洗うときだけ使う程度だ。それなのに、パリッとした仕上がりが好きなので、無謀にも外で干している。これは試す価値がありそうだ。
 しかし、我が家の柔軟剤は、相当古くなっている。使用頻度が低いから、なかなか減らないのだ。今では、かたまりと液体に分離してしまい、本来の役目を果たすかどうか疑問である。
「じゃあパパ、明日、柔軟剤を買っておいて」
「うん、わかった」

 だが、このやりとりをすっかり忘れていた私は、その翌日、いつも通り、柔軟剤を入れずに洗濯してしまった。まったく、習慣というのは恐ろしい。
 洗濯物を干しているとき、「しまった!」と気づき、おそるおそる柔軟剤を探しに行った。

 ない……。

 幸か不幸か、柔軟剤はどこにも見当たらない。そこへ、寝坊した夫が起きてきた。
「ねえ、昨日、柔軟剤を買わなかったの?」
「あっ、忘れちゃった」
「やあね。入れられなかったじゃない」
「うん。今日買ってくる」
 夫は下を向き、元気のない声で答えた。
 実のところ、買っておいても、うっかりミスをしていたのだが。それを言うわけにはいかない。
 私は、心の中で「へへっ」と舌を出した。

 そして、今日、今度こそ柔軟剤を入れて洗濯をした。夕方、乾いた洗濯物を取り込み、これまでと比較してもらう。
「うん、全然違う」
 夫は相変わらず泣いていたが、多少はマシになったらしい。
 さて、もっと静かになる方法はないかな……。



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救急の日ではなく、耳の日ですが

2011年03月03日 20時37分43秒 | エッセイ
 仕事から帰ると、居間で娘がテレビを見ていた。
 女性救急隊員の仕事ぶりに密着した、ドキュメンタリーのようだった。どんな仕事をするのだろうと興味を持ち、私もテレビの前に座って見る。
 まずは、コンビニ店員から、「血だらけのお客様がいる」という通報を受けて出動する場面からのスタートだ。
 お客様というのは、ホームレス風のおじいさんである。左のこめかみから頬にかけて、真っ赤な血が滴っている。私は思わず悲鳴を上げた。
「うわっ、イヤだ! 血だらけじゃん!!」
「ミキも、近寄りたくない」
 娘も眉間にしわを寄せ、渋い顔で画面を睨んでいる。
 しかし、この救急隊員は、おじいさんにやさしい言葉をかけて、傷の手当てを始めたのだ。会話の様子から、認知症の気配も感じられる。とても、私にはできないと感心した。
 次に、午前3時にひき逃げ事件が起き、現場に駆けつける映像が流れる。
「午前3時!? 寝てるし」
 娘は寝起きが悪い。おそらく、どんなに体を揺さぶられても、起きて救助に向かうことはできないだろう。
 結局、被害者は亡くなったそうだ。路上の血痕などから、かなり凄惨な事故現場だったことが予測できる。私を含めて、神経の細い者ならば、大怪我を負った人を救助するよりも、血の海となった光景を直視できずに、尻尾を巻いて逃げ出すか、卒倒してしまうかもしれない。
 さらに、事故の衝撃で脱げた靴や、落ちた財布、預金通帳などが映し出された。暗闇の中で、ゴロリと転がったままになっている。
「あっ、お財布だ」
「通帳もあるって」
 私と娘は顔を見合わせた。
「ダメだね、お母さんだったら、助けようとしないで、財布だけ取って帰っちゃうんじゃない?」
「何よ、ミキだって、通帳狙っているくせに」
「あはは、お母さんもミキも、絶対救急隊員にはなれないね」
 タチの悪い冗談だ……。

 テレビを見ていて思い出したことがある。
 娘がまだ1歳だったとき、救急車のお世話になった。熱性けいれんだと思っていたら、深夜になって、急に意識がなくなったのだ。呼びかけても返事がなく、首をダラリと垂らしている。急いで病院に電話をすると、救急車を呼んだほうがいいと言われた。
 ところが、救急車に運び込んだとたん、意識が戻ってきた。自分が救急車に乗っていると理解した娘は、「ピーポ!」などと指をさしてはしゃぎ始めた。
 あのときの気まずさといったら……。
 急患で診察してもらったあとも、困った事態が待っていた。時間は午前2時。行きは救急車だったから、帰りの足がない。タクシープールも空っぽで、私と夫は、フガフガと寝始めた娘を抱え、途方に暮れた。
「どうやって帰る??」
「どうしよう……」
「あっ、見て! タクシーが入ってきたよ!」
「よかった、これで帰れる!!」

 最近では、安易に救急車を呼ぶケースが増えており、救急隊員の負担になっているという。
 よほどのことがないかぎり、私は救急隊員に頼らないつもりだ。
 特に深夜は……。




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コメント (16)
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