これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

2009年最後のヨーグルト

2009年12月31日 22時01分44秒 | エッセイ
 わが家では、夕食後のデザートにヨーグルトを食べる習慣がある。
 生協の「こんせんプレーンヨーグルト」がクリーミーでいい。



 これにストロベリーやブルーベリー、白桃、キウイ、ミックスなどのフルーツソースをかけていただくのだ。



 残念ながら、マンゴー&パッションソースは、「不味い」と不評だった。やはり、一番人気はストロベリー、二番手がブルーベリーといったところだろうか。

 今日は、夫がお茶屋さんに、お年賀の海苔を買いに行った。
「お茶屋のおばちゃんが、黒豆を煮たからどうぞって。おすそ分けもらった」
 夫が持ち帰った黒豆は、ジャムの小瓶に入っていた。



「ねえ、これ、ブルーベリーソースに似てない?」
 私は率直な感想を述べた。
「ああ、似てる似てる。気をつけないとな」
 夫は、自分に言い聞かせるように答えた。私の帰りが遅いときなど、夫がヨーグルトの支度をするのだが、何度間違えてジャムを使われたことか……。らっきょうや、にんにくたまり漬けではないだけ、まだマシだったが。
 煮豆が嫌いな娘は、不安な顔で「絶対間違えないでよ」と念を押した。

 年越し蕎麦のあと、今年最後のヨーグルトの出番となった。
「ブルーベリーにしよう」と私が言うと、娘がやけにしつこく確認する。
「その瓶は、本当にブルーベリーなんでしょうね? 黒豆じゃないよね?」
 必死な表情に、ついからかいたくなった。
「うーん、多分大丈夫」
「本当?」
「ブルーベリーがいつもより大きかったりして~!」
「豆じゃないか!」
 娘をかまうことに神経を集中していたせいか、手元がおろそかになっていたようだ。
 突然、娘が笑い出した。
「お、お母さん、スプーンが1個だけ……」
 娘はテーブルを指さし、体をくの字に曲げて笑い続けた。
 指の先を見ると、用意したはずのスプーンは、1本だけフォークだった……。



 2009年も、最後の最後まで、私らしく終わろうとしている。

 本年も、ご愛読ありがとうございました。
 来年もまた、皆さま方のお越しをお待ち申し上げております。
 よいお年を……。



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ドタバタ終業式

2009年12月27日 21時25分05秒 | エッセイ
 新型インフルエンザ感染防止のため、私の勤務校では、去る12月25日の終業式を放送でおこなった。
 校長の話から始まって、冬休みの過ごし方や表彰、その他連絡事項という順番に進み、ほんの20分程度の予定である。私も連絡事項があり、しゃべることになったので、「校長先生の話が始まったら放送室に来てください」と指示された。
 実のところ、私の学校では、放送室の稼働率が極端に低い。校内放送は内線電話からできるし、昼休みに音楽を流すという活動もない。入試のさい、ヒアリングテストで使うくらいだろうか。だから、機器の取り扱いに詳しい教員がいなかった。

「生徒のみなさん、今日で2学期が終わります」
 定刻になり、スピーカーからは校長の話が流れ出した。私はそろそろ、寒い廊下を通って放送室へ行かねばならない。
 放送室に入るのは初めてだ。開けっ放しのドアから中をのぞくと、エレベーター並みの小さな部屋だとわかった。
 そのとき、若手の教員がバタバタと駆けつけ、ドアの外の副校長に話しかけた。
「副校長、外に全部聞こえてます!」
「えっ、聞こえてる?」
 校内放送がグランドに流れると、近隣住民の迷惑となる。校外に騒音をまき散らさないでほしいと、苦情の電話がたびたびかかってくるのだ。校舎内のみに放送するはずだったのだが、どうしたのだろう。
 放送室は2階にある。副校長は、走って階段を下り、放送の確認をするため校舎外に飛び出した。
 
 校長の話がまとめに入ったあたりで、2番目に話す戸塚先生がやってきた。
「ああよかった、間に合った。いや~、来る途中で、廊下にいた生徒が貧血起こして倒れちゃってさぁ。放っておけないし、でも俺も行かなきゃならないから、ホントに焦ったよ」
 彼は私にタイミングの悪さを嘆きつつ、校長と入れ違いに放送室に入っていった。

 そこへ、副校長と若手教員が戻ってきた。
「本当だ、聞こえるね。早く直さないと!!」
 2人とも、いつになく取り乱した表情で、放送室に続いていった。
「年末年始、みなさんに守ってもらいたいことがあります」
 冬休みの注意を呼びかける戸塚先生のすぐ脇に、放送機器のボタンが並んでいる。副校長と若手教員は、この中のどれを押せば近隣への音漏れがなくなるのか、狭い室内で考えていた。
「これかな?」
 副校長は、それらしいボタンを押してみた。すると、出力の設定が変わったようで、スピーカーからの戸塚先生の声が少し小さくなった。
「飲酒や喫煙の誘惑に負けず、高校生らしい生活をしてほしいと……」
 再び副校長は1階に下りて校外に出る。すぐさま、「まだ聞こえる」とつぶやきながら、放送室に戻ってきた。戸塚先生は、横目でチラと副校長を見るが、話を中断するわけにもいかず、用意してきた内容を続けた。
「また、髪を染めたら、なかなか元に戻りません。軽い気持ちで染めると、あとで必ず……」
 その隣では、また副校長たちが「これか?」「いや、こっちかも」と相談しながら、別のボタンを押していた。今度は、放送の声が大きくなった。
「始業式で、また頭髪検査をしますから、ひっかかることのないように……」
 試行錯誤しながらボタンを押すたびに、放送の音量やトーンが変わっていく。教室で放送を聞いている生徒たちは、さぞかし奇妙に感じたことだろう。悪戦苦闘の末、放送機器の設定を変更できたのは、戸塚先生の話が終わった直後だった。
「聞こえません、大丈夫ですっ!」
「ああ、よかった!」
 安堵する副校長と若手教員とは対照的に、むっつりとした表情で放送室を出る戸塚先生を、私は見てしまった……。彼はその日、実にタイミングが悪かったのだ。
 
 考えようによっては、非常にインパクトのある話になったのではないか。
 生活指導上の注意など、生徒にとっては馬耳東風、聞き流すに限るだろう。
 しかし、音量が大きくなったり小さくなったりして、いつもと違う雰囲気を感じ取れば、「なんだなんだ」とつい耳を傾けてしまったかもしれない。
 そうだ、そういうことにしておこう。



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満員冷蔵庫

2009年12月24日 22時46分51秒 | エッセイ
 毎年、天皇誕生日にクリスマス会を行っている。
 今年も、両親や姉夫婦、妹一家を呼んで、にぎやかに過ごすことにした。
 しかし、料理が得意でない私にとって、10人もの食事の準備は一苦労だ。お寿司を取るとはいえ、それだけではすまされない。さて、何にしよう?

 そうだ、知床鶏の網焼きを作ろう!

 クリスマスらしく、チキンは外せない。
 プラス、生協のカタログから、冷凍のカニグラタン、カニ爪フライを大量に注文しておいた。あとは、温野菜と汁物を作ればいいだろう。
 いざ、冷凍食品が到着すると、私も夫も仰天した。思いのほか嵩張り、かなり場所を取るのだ。すでにある食品をギュウギュウに詰め、やっとの思いで収納した。小さなものは下のほうに埋まってしまい、「ちょっくらベーコンを」と思っても、グラタン・フライを全部取り出し、根気強く掘り出さないと、到底たどり着けない。
 また、ベーコンを使ったあとは、元通りにしないと扉が閉まらない。なかなか面倒だ。
 しかも、30秒以上扉を開けておくと、冷蔵庫が「ピーピー」と怒り出す。ベーコンを出すときにも「ピーピー」、しまうときにも「ピーピー」と叱られ、いい加減ウンザリしてしまった。
 そんなこんなで、当日を迎えたときの喜びはひとしおだ。
「やっと、邪魔っけなグラタンとフライを片付けられるわっ!」と、朝からウキウキした。

 さて、当日は、朝から飲み物を冷やさなければならない。
 シャンパンやワインなどのアルコールは、姉が持ってくることになっている。私は子供用のシャンメリー、ジュース、ウーロン茶、麦茶のほかに、アップルタイザーとグレープタイザーを用意した。
 去年はグレープタイザーが人気で、ドライバーの義弟やアルコールに弱い両親が競うように飲み、あっという間に6本全部がなくなった。 



 今年はグレープタイザーに加えて、アップルタイザーも6本準備し、野菜庫を占拠して冷やしていた。



「こんにちは~!」
 昼過ぎ、時間通りにやってきた妹は、持ち寄りのケーキ以外にも袋を持っている。
「これ、冷蔵庫に入るかな?」
 それは、義弟のノンアルコールビール6缶だった。
「ゲッ」と思ったが、いったん野菜を取り出し、上下を入れ替えれば入らないこともない。ビールを下にして、上には玉ねぎを重ねて押し込めた。
 やがて、姉もやってきた。
「赤はいいけど、白とシャンパンは冷やしておかないとね」
 ワインを2本渡され困惑したが、こちらのほうはポケットに何とかスペースが確保できた。今や、ものがひしめき合い、大混雑の冷蔵庫となっている。
 しかし、苦労の甲斐あって、料理の評判はまずまずだ。



 ワインを1~2杯飲んだあと、両親はソフトドリンクに切り替える。そろそろタイザーの出番かと思い、腰を上げたときだった。
「ミキは、飲みかけのコーラにする」
 娘が、気の抜け始めたペットボトルを持ってきた。この子はコーラが好きなのだ。
「じゃあ、バアちゃんもコーラにしようかな」
 母も、空のグラスにコーラを催促し始めた。連鎖反応か、父まで飲みたがり、タイザーにはまったくリクエストがない。義弟はノンアルコールビール2缶目を開けている。

 ちょっと、ちょっと、減らないじゃない!!

 これはまったくの想定外だ。ワインはなくなったが、グレープタイザー6本とアップルタイザー6本は、いつまでたっても手付かずのままだった。
 時間だけが過ぎていき、クライマックスのデザートへと突入した。こうなると、ますます清涼飲料水の出番はない。



「コーヒーがいい」
「私は紅茶」
 ああ、残念……。今年は、タイザーが売れ残ってしまったか。

「ごちそうさま。今度はお正月だね」
 夕方、親族は帰っていった。さて、後片付けをしなくては。
 あふれんばかりの野菜庫を開けると、グレープタイザーとアップルタイザーが、待ちくたびれたように顔を出した。これを別の場所に移さなければ……。
 玉ねぎをどかしたとき、私はギョッと驚いた。

 ノンアルコールビール、忘れていったよ~!!

 飲んでくれないばかりか、逆に増やされてしまった……。



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貧しい朝

2009年12月20日 20時13分55秒 | エッセイ
 日曜日だけは、娘の部活が休みなので、ゆっくり寝ていられる。
 今日は起きたら8時を回っていた。夫はすでに出かけたあとで、娘はまだフガフガ眠っている。
 私は布団から抜け出して、朝食の準備に取り掛かった。
「玉子サンドにしようかな」と思ったが、小さなクリームパンしかない。
「明太子のおにぎりを作ろうかな」と冷凍庫を開けたけれども、ご飯も残っていない。
 運悪く、コーンフレークも切らしている。

 さてさて、何にしよう??

 戸棚を探してみたら、稲庭うどんの乾麺が大量に見つかった。これを食べるしかなさそうだ。
 だが、よく見たら、めんつゆがない……。
 スパゲッティとパスタソースはあるが、昨日の夕食はカルボナーラだった。さすがに連続はイヤだ。
 八方ふさがりである。
 時間はかかるけれども、急いでご飯を炊くか、それとも寒さを堪えて、コンビニまでパンを買いに走るか。選択肢はそれくらいだろう。
 悩んでいると、娘のミキが起きてきた。
「おはよう、お腹すいた。朝ごはん何?」
 ミキの胃袋は、ご飯が炊き上がるまで待てそうもない……。仕方ない、コンビニだと思ったときだ。私は食べたかったものを思い出した。
「あっ、そうだ。肉まん食べたくない?」
「肉まん? うん、食べたい、食べたい」
 このところ、やたらと寒い日が続いており、私は何年も食べていない肉まんが恋しかった。
「じゃあさ、着替えたら買ってきてよ」
「……ミキが買ってくるの?」
「えー、だってお母さんは、これから準備があるから、出かけてたら遅くなっちゃうでしょっ」
 うまいことを言って娘に500円玉を押し付け、「肉まんとピザまんね」と言いつけた。
「じゃあ、ミキは肉まんとあんまんにする」
 娘が買いに行っている間、私は申し訳程度の野菜スープを作って待つ。
 10分後には、ホカホカの肉まんとピザまんが食卓にやってきた。
「いただきまーす!」
 セブンイレブンでは、中村屋の中華まんを販売しているらしい。
 私は、横浜中華街で売られているような、肉たっぷりの豚まんは苦手だ。肉はちょっとでいいから、胃にもたれないものがいい。
「美味しい♪」
 ミキも喜んで食べていた。ピザまんを食べたことがないと言っていたので、ミキのあんまんと、私のピザまんを半分こにして交換した。ピザまんは昔と変わらない味だったが、あんまんは胡麻の風味が香ばしく、進化したような気がする。
 食べものがない貧しい朝から、一転して、幸せな朝食が楽しめた。

 インターネットを見ると、ファミリーマートの肉まんが、なかなか魅力的に映る。



 中華まんの食べ比べも悪くないけれど、問題は誰が買いに行くかである。
 自分が出かけるのは面倒だ。
 それなら、稲庭うどんに醤油をかけて食べるほうを選ぶだろうな。



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君の名は(平成版)

2009年12月17日 21時36分02秒 | エッセイ
 教員という職業柄か、私は人の顔をおぼえるのが得意である。
 目で読み込んだ画像は脳に送られ、自動的に名前を検索しはじめる。20代の頃は、フルネームが漢字でヒットし、600人ほどの生徒をおぼえる記憶容量があった。
「どうやったら、そんなにおぼえられるの?」と驚く先生もいたが、特別な努力は必要ない。ただ見るだけで記憶できたから、できない人のほうが不思議だった。

 30代になると、検索に時間がかかるようになった。顔を見て、パッと名前に結びつくことがあれば、なかなか思い出せないこともある。
 たとえば、池袋のデパートで見かけた女性がそうだった。ピンクのスーツがよく似合う、丸顔のふっくらしたその女性を、たしかにどこかで見たことがある。しかし、名前が出てこない。

 誰だっけ? 誰だっけ?

 必死で頭の引き出しを探しても、ヒットする名前はなく、むなしく「結果なし」と表示されてしまう……。
 これは、結構、心の負担だ。わかりそうでわからないものは、大変もどかしくてじれったい。何日もの間、ときおり思い出しては「誰だっけ」を繰り返していた。
 だから、解決したときの喜びはひとしおである。

 あっ、○○眼科の先生だ!!

 ある日、答えが唐突にひらめいた。3回ほど通った眼科の女医さんだったのだ。
 自慢の記憶力に、陰りを感じた一幕だった。

 40代になると、脳の減価償却がさらに進む。若い頃は、卒業生が遊びに来ても、「○年卒の誰々」と答えられた。しかし、最近では、卒業生のファイルは新入生のファイルに置き換えられ、上書き保存されるようだ。卒業年度はおろか、名前もまず思い出せない。
 昔の同僚も、卒業生の女の子と駅でバッタリ会ったとき、名前がわからず困ったと言っていた。
「先生、お久しぶりです!」
「あ、ああ、久しぶりだね。元気だった?」
 ひとまず無難に答えたものの、彼の頭の中では「誰? 誰?」と疑問がこだましていた。だが、記憶の引き出しを、片っ端からひっくり返して探しても、答えは得られない。まさか、「お前誰だっけ?」などと聞くわけにもいかないから、彼は焦った。
 そこで、彼は手がかりになる質問を思いついた。
「担任の先生、誰だったっけ?」
 担任がわかればクラスが特定できる。そこから生徒名が浮かぶだろうと考えたのだが、返ってきたのは卒業生の悲鳴じみた声だった。
「ひどいよ!! 先生のクラスだったんじゃない!!」
 
 もし、私が卒業生の名前を失念してしまったら……。
「大事な思い出は、鍵をかけてしまってあるから、今すぐには出てこないわ、ゴメンね」
 とでも言っておくか。
 記憶が衰えた分、言い訳ばかりが上達する。



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今年の「しん」

2009年12月13日 21時00分33秒 | エッセイ
 今年の漢字は「新」。
「ピンと来ない」と言う友人もいたが、私にとっても、新しい環境で仕事をしたり、新しい人間関係を築いた一年だったから共感をおぼえた。

 しかし、この新しい仕事が曲者で、大変苦労した年でもある。
 なにしろ、4年間担当した前任者が、やり残した仕事をいくつも置いていったのだ。最初の仕事が尻ぬぐいだったわけだが、処理に必要なデータはことごとく見当たらず、記録すら残っていないという有様である。何をどうすれば問題が解決するのか、頭を悩ませる毎日だった。
 ゼロからのスタートどころか、マイナスからのスタートだから、貧乏くじもいいところである。本当に大変だった。
 4月からしばらくは、混乱と驚きの連続で、何をするにも後手後手に回り、「○○はどうなっているのか」と催促されることもしばしば……。能力以上のものを求められ、強いストレスを感じつつ、ささくれ立つ心をなだめすかして、どうにかこうにか進んできた。
 だから、「しん」は「しん」でも、私にとっての漢字は「進」である。
 ぬかるんだ泥地に足を取られながら、何キロも歩くような毎日は辛かったけれども、ときには手を差しのべてくれる人もいた。
「一昨年の記録なら見つけたよ」と会議録を探してくれたり、「前の学校で使っていた資料なんだけど、よかったら」と申し出があったりと、他人の厚意に助けられた。

 プライベートでは、いつもB'zのポジティブな曲に励まされる。
 古いところでは『MOVE』。
 ♪時の流れさえついてくる 自分で進みゃついてくる MOVE ON, MOVE ON……♪
 新しいところでは『Freedom Train』。
 ♪引き返せない 急に止まれない We’re on the Freedom Tain 心決めたら♪
 疲れているときでも、元気が出るいい曲だと思う。

 前進することだけを考えて、がむしゃらに突っ走ってきた一年だが、果たして方向を間違えていないだろうか。
 私は、かなりの方向音痴である。
 4年前に担任をしていたとき、遠足で長瀞に行った。ロープウェイに乗ったり、動物園を見たりしたあと、集合場所まで生徒を引率していたときだ。
「こっちこっち」と自信満々で歩かせていたら……。
 何と、道を間違えていた!!
「ごめ~ん、違ってた」と言うなり、「何だよ~!!」という手厳しい反応が返ってきたことは忘れられない。
 これでいいのかと疑問を感じつつ、それでも前に進まなければならない。

 B'zの『Time Flies』も好きだ。
 ♪ボクのせいじゃないと 口に出してしまったら そこから先には 道はない 自分のせいだと思えばいい そして自分を変えればいい♪

 うん、そうだ。
 間違っていたら、軌道修正しながら、来年も前に進んでいこう。



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好きな言葉は何ですか?

2009年12月10日 21時24分59秒 | エッセイ
「先生、これに一言書いてください」
 2年前、まだ担任を持っているときに、広報委員の生徒から一枚の紙を受け取った。
 それは、3月に発行する生徒会誌の原稿だった。この高校では、1年から3年までの全クラスを紹介するページがある。
 私のクラスでは、担当の広報委員が「好きな言葉」というテーマで、一人ひとりの生徒から、寄せ書きをしてもらうことに決めたらしい。

 好きな言葉か……さて、何にしよう。
「現金」「預金」「有価証券」は、思っていても書くわけにいかない。
「服」「バッグ」「靴」「宝石」なんていうのも却下だ。
「外食」「睡眠」「温泉」なども、そぐわない。
 うーん……。
 ひとまず、他の生徒から先に回してもらうことにして、ゆっくり考えることにした。

 たった一言とはいえ、寄せ書きには性格が表れる。
 過去の生徒会誌には、こんな「好きな言葉」が載っていた。
「努力」「協力」「目標」→ 真面目で粘り強い性質を感じる。
「ありがとう」     → 素直で好感が持てる。
「友情」「友達」「仲間」→ 青春しているんだなぁ。
「仁」「道標」     → 深い……。
「一期一会」「無限大」 → 美しいけれど、ありがち。
「いっかくせんきん」  → 漢字で書けよ!

 数日後、私は委員の生徒に探りを入れた。
「どう? みんな書いてくれた?」
 彼女は机の中から、シワのついた原稿を取り出し、寄せ書きの数を数え始めた。
「にー、しー、ろー……まだ半分くらいです」
「見せて」
 私は彼女から原稿を受け取り、どんな言葉が書かれているかをチェックした。
「休日」    → 納得。
「進級」    → ウケる!
「自由」「奇跡」→ センスよし。
「黒ゴマ」   → 意味不明……。
 中には、こんなものもあった。
「働いたら負けだ」
 
 そのとき、不意に、探し求めていた言葉がひらめいた。
 単語の池から、ドンピシャリのものを見つけ出し、釣り上げる作業は、モノ書きにとっての大きな喜びである。

 私は、原稿に大きな文字で、「合格」と書いた。



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京都お願いツアー

2009年12月06日 21時57分58秒 | エッセイ
 今日は新幹線に乗って、娘と一緒に、京都までひとっ走りしてきた。
 2泊できればベストだったが、仕事があるのでそうもいかず、日帰り強行軍である。せめて車内ではのんびりしようと考え、ぜいたくにグリーン車を取った。



 最大限までシートを倒しても、後ろの人に気兼ねしない座席の間隔がありがたい。

 東京から京都まで、のぞみで約2時間20分かかる。7:10発の列車に乗っても、京都到着は9:28、そこからタクシーを飛ばして、目的地の華厳寺(鈴虫寺)に着いたのは10時だった。
 これでも頑張ったのだが、入口にはすでに長蛇の列ができている。
「紅葉が終わっても、鈴虫寺は人気だねぇ」
 運ちゃんも、半ば呆れたようにつぶやいた。
 このお寺には、願い事をひとつだけ叶えてくれる「幸福地蔵」様がいる。
 ちょうど15年前、私は女友達と、この鈴虫寺で願い事をしたことがある。結婚して3年になるのに子宝に恵まれなかったので、「子供がほしい」とお願いをした。しばらくしてから、期待通りに妊娠したのだった。
「で、そのとき生まれたのがミキなんだよね」
 娘はうれしそうな顔で列に並んで待っている。以前に来たときは、まさか娘を連れて参拝する日がくるとは予想だにしていなかった。不思議な巡り会わせを感じる。
 私もミキもお守りを握りしめ、お地蔵様にお願いをした。

 帰りの新幹線は14:32発を取ってある。時間があったので、清水寺と三十三間堂を回ることができた。
 清水寺は、修学旅行生やツアー客などでごった返しており、鈴虫寺の10倍くらいの人出で賑わっていた。まだ紅葉が残っており、素晴らしい景色が楽しめ満足だ。



「おみくじ引きたい」
 ミキのリクエストに答え、おみくじに並ぶ。ミキの番号は三番だった。
「……お母さん、大変だよ……」



 ミキのおみくじは「凶」だった。
 私は十九番で「末小吉」だったので、ホッと胸をなでおろした。



 しかし、読んでみると、引っ掛かる文字が書かれている。
「よろこび事叶いがたし」

 そんなこと言わないでよ~!!



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冬の幽霊

2009年12月03日 22時40分25秒 | エッセイ
「お母さん、ちょっと聞いてもらいたい話があるんだけど……」
 先日、中一の娘ミキが、お風呂上がりに神妙な顔で話しかけてきた。
 私はパソコンのキーボードから手を放し、「いいよ」と答えた。
 だが、ろくでもない話だった。
「昔、タナカさんていう人がいて、戦争で殺されちゃったんだって」
 延々とタナカさんの怪談が続く。詳細は割愛するが、吹奏楽部の先輩から聞いたという胸の悪くなる話である。ようやく終わったと思ったら、実はここからが本題だった。
「それでね、タナカさんは、この話を聞いた人のところに、血まみれの姿で来るんだよ。朝の4時44分に電話がかかってくるから、それを取らないとダメなの」
「ああ、よくあるパターンだね。でも結局、何もなかったりするんだよ」
 しかし、ミキは真剣な表情で反論してくる。
「違うよ! ユキ先輩もカヨ先輩も、かかってきたって言ったもん!! 家族は死んだように眠って起きないし、受話器を取るまで鳴り続けるから、根負けするんだって」
 ちなみに、わが家の着信メロディは「森のくまさん」である。幽霊からの電話とは、とても結びつかない。
 さらにミキは続ける。
「それで、タナカさんの言う通りにしないと、帰ってくれないんだよ。先輩たちは、熱湯に指を入れたり、包丁を首に当てろとか言われたらしいよ」
「うわ、嘘くさーい」
「本当だよ! 先輩はやったんだから。ミキは昨日聞いたから、電話がかかってくると思ったんだけど、来なかった。でも、3時40分になぜか目が覚めたんだよ」
「4時44分じゃないじゃん」
「だけど、そのあと1時間眠れなかったから怖かった……」
 まったく、筋の通らない話である。
「でね、今日はお母さんが話を聞いちゃったから、タナカさんから電話がかかってくるよ」
「……」
「他の人に話せば、タナカさんは来なくなるから、ミキはもう大丈夫」

 スッキリした顔で「おやすみ」と挨拶し、ミキは寝室に消えた。一人取り残された私は、「そんなの嘘だ」と思いつつ、部屋の明かりが消せなかった。
 幽霊の話は嫌いではないが、私は怖がりである。
 昨年、昔の同僚が亡くなったとき、通夜の様子を友人にメールしようとした。時間は午前1時になる頃だったろうか。かすかにエアコンの回転音が聞こえる部屋で、いきなり「ピシッ」という、小さく甲高い音がした。
 ドキッとしたが、そのままキーボードを叩き続けていると、「ミシッ」「ギシッ」「パシッ」と連続で雑音が響いてくる。

 ラップ音!?

 その瞬間、背筋がヒヤリとして、腕にも足にも鳥肌が立った。私は急いでパソコンを閉じ、ドキドキしながら夫と娘のいる寝室に逃げ込んだのだった。
 そんなことを思い出したら、急に弱気になり、「今日は早く寝よう」と決心する。
 たとえ、ほら話であっても、血まみれのタナカさんを想像するだけで気味が悪い。
 日々睡眠不足のためか、私は大変寝付きがよい。枕に頭を載せたところまでは覚えているが、どんどん意識が遠のいていく。またたく間に、深い眠りに落ちた。
 しかし、夜中に物音がして、いきなり目が覚めた。
「ついに来たか!!」と布団の中で身構えた。が、よく見ると時計は12時47分を指している。電話の音はせず、夫がトイレに起きただけとわかった。
 再び深く眠ったあとは、目覚ましの音で朝を迎えた。時刻は5時10分、タナカさんは来なかったらしい。
「ああよかった」と安心したのが悪かったのだろう。不覚にも、私は二度寝をしてしまったらしい。目が覚めたときは、5時30分を回っていた。

 キャー、寝坊した~!!

 ダッシュで支度をし、どうにか勤務時間に間に合わせた。まったく、怖い話は聞くものではない……。
「昨日、タナカさんは来なかったよ」
 私は恨めしい声で、ミキに報告した。ミキはすまして答えた。
「あ、そういえば、冬は来ないんだって先輩が言ってた」

 幽霊って、寒がりなのかな?



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