これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

ひとつ覚え

2009年05月31日 16時31分19秒 | エッセイ
 月曜日と木曜日は、夫が夕食を作ることになった。
 彼は料理が苦手なので、どんなものが出来上がるか、内心ドキドキしていたのだが……。
 初日は、まずまずだった。メニューは、スズキの塩焼き、肉じゃが、もやしのお浸しで、合格点をあげられる味だった。肉じゃがに使った牛肉が、やけに美味だったところを見ると、きっと高価なものを買ったのだろう。

 まあいいや。ウチは酒もタバコもやらないから、食べ物くらい自由にさせておこう。

 次の当番では、真鯛の塩焼き、もやしと豚肉の炒め物、ホットサラダを作ってくれた。
 その次の当番では、甘塩鮭の網焼き、もやしと卵の炒め物、キャベツのお浸しだった。
 はたと気づいた。

 いつも、もやしが登場するじゃない……。

 娘にこっそり聞いてみた。
「ねえ、パパの作る食事って、必ずもやしがあると思わない?」
「うーん、そう言われてみればそうかなぁ……。まあ、美味しければいいんじゃない?」
 中一の娘は、さほど関心がないようで、ろくに相手をしてくれなかった。
 そりゃそうだけど……毎回、もやしばかりというのも芸がない。作ってもらって何だが、ここはひとつ、辛口意見も言っておきたい。
 私は気をつかいつつ、夫に話しかけた。
「もしかして、もやし料理にハマってるの?」
「うん。雑誌に出てたんだ」
「もやしが何回も続いてるって気づいてた?」
「……いや。そうだったかな?」
「たまには別の食材がいいよ。今度は他のにしなよ~!」
 軽いノリで言ったつもりだったが、返事がない。ああ、失敗だっ!
 夫も含めて、男性にあれこれ注文をつけるのは難しい。すぐにへそを曲げてしまい、いじけたりふて腐れたりする。何て面倒くさい生き物なのだろう。
 
 さて、その次の当番で、夫がどんな夕食を作ったのかというと……。
 調理中、キッチンから「ジャージャー」という、中華なべで何かを炒める景気のいい音が聞こえてきた。ちょっと、嫌な予感がした。
「できたよ~!」
 夫が自信たっぷりの声で、私と娘を呼んだ。
「今日は何を作ったの?」
 夫に話しかけながらテーブルを見ると、野菜炒めが盛り付けられていた。キャベツや人参、玉ねぎにニラに椎茸はさておき、真っ先に目に入ったものは、もやしだった。
 私は力が抜けたように、イスに腰掛けた。

 また、もやしかよ……。

 きっと、これからも、もやし料理が続くのだろうな。
 夫を変えるのは諦めて、私が発想を転換するしかないようだ。

 まあ、いいか……。食べ物くらいは自由にさせてあげないと。
 シャキシャキ、シャキシャキ。
 あー、おいし……。



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出せなかったファンレター ~栗本薫先生の死を悼む~

2009年05月28日 20時06分57秒 | エッセイ
 ついに、恐れていたことが起きた。
 敬愛する作家、栗本薫氏が亡くなったのだ。5月26日午後7時18分……。まだ、56歳という若さの死であった。
 ニュースを見た瞬間、背筋が凍りつき、打ちのめされるような衝撃を受けた。

 栗本氏の代表作、『グイン・サーガ』は私に、言葉で表現することの醍醐味を教えてくれた本である。
 今でこそ、私は、本を読むだけでは飽きたらず、日常生活のあれこれをエッセイ化するという趣味を持っているが、以前はそうではなかった。
 美しい絵の描かれた漫画ならともかく、活字ばかりの小説を面白いと思ったことはない。まさにエンタメ度ゼロで、つまらないものと決めつけていた。
 しかし、この本は違った。画像に頼らず、文章を読むだけで、登場人物がどんな容姿をしているかがわかる。うっとりするほど美しい男女やら、正視に堪えない不気味な生物やらが書き分けられていた。
 会話や行動から性格をあぶり出し、「本当にこんな人がいるかもしれない」と思わせる、リアルな人物に心を惹かれた。
 さらに、先が読めないストーリー展開に脱帽した。スケールの大きさはもちろんのこと、戦い場面の臨場感や迫力は、言葉でこれだけ表現できるものかと舌を巻いた。氏の圧倒的な筆力に惹きつけられ、それまで一切読書をしなかった私が、1日1冊、この文庫を読み切るようになったのだから、わからないものだ。11年前のその頃、『グイン・サーガ』は62巻まで刊行されていたので、「1日でも早く、全部の本を読みたい」という気持ちで、一心不乱に読破した。

 一度、活字の世界に慣れ親しむと、『グイン・サーガ』以外の本も面白いと感じるようになった。作家により、表現の仕方は全然違う。読み比べているうちに、いつしか私も「何か書いてみたい」という気になり、今の私があるわけだ。

「百聞は一見に如かず」というものの、一見を百聞で伝えることも必要である。
 単語をうまくつなぎあわせて、思いの丈を表現する作業は、なかなか難しい。
 そんなときは、『グイン』をはじめとする本に戻り、プロの文章を参考にする。読んだら、また自分の言葉で書いてみる。

 読むために書き、書くために読む。

 私が一番好きなことを教えてくれたのは栗本薫氏で、『グイン・サーガ』がなければ、私はエッセイを書いていなかった。126巻まで出版されている今、哀しいことに、続きを読み結末を知ることは、もはやかなわない……。
 実は、何度もファンレターを出そうとしたのだが、この気持ちを十分に描写することができず、実現しなかった。亡くなる前に、ぜひ一度、書けばよかったと大いに悔やんでいる。

 栗本薫先生、長い間、多くのファンを楽しませてくださり、ありがとうございました。
 ゆっくりとお休みになって下さい。



いつも応援ありがとうございます。
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ドクショ ノ ススメ

2009年05月25日 08時36分58秒 | エッセイ
 隠岐諸島のひとつ、海士町には、公立の大きな図書館がない。そこで、「本を読むことを通して、こどもたちの心や国語力をはぐくんでもらい、それをたしかな学力へつなげてもらいたい」ことを目標に、一昨年から『島まるごと図書館構想』をスタートさせたという。
 これは、学校の図書室を使いやすく改良したり、港の待合所などに図書コーナーを設置したり、公民館の蔵書数を増やすなどの工夫を凝らすことで、いろいろな本と出会う機会を増やすというものである。

 地元に住む私の友人は、この取り組みを紹介する冊子を編集している。
 島のこどもたちの詩や作文・俳句を集めたり、島外の知人に短編や書評、短歌を依頼したりして、原稿を調達したらしい。
 かくいう私も、エッセイの寄稿を頼まれたので、大喜びで一大イベントに参加させていただいた。
「砂希先生、図書館冊子が出来上がりましたので送ります」
 先日、彼女からこんな連絡を受け、念願の完成品を手にすることができた。
 題して『この島の、本棚から。』
 
 ページをめくると、小学生の作品がズラリと並んでいる。私は読書感想文のひとつに目を留めた。
『片耳の大シカを読んで』
 これは私も読んだことがある。児童動物文学のパイオニア、椋鳩十の作品は、小学生のときにほとんど読みつくしたものだ。
 かつて、猟師の鉄砲で片耳を失ったシカのリーダーが、再度猟師に追われる。猟師たちは大シカを捕らえることができないばかりか、激しい雨に見舞われ、ほうほうの体で洞穴に逃げ込む。しかし、そこには先ほど捕らえ損ねたシカの群れがいたのだった。シカは逃げたり襲ったりせず、静かに猟師たちを迎え入れた。彼らはずぶ濡れになって凍えた体を、シカたちの毛皮で温め、命拾いをしたという話である。

「いい本を読んでくれた」と思い、私はうれしくなった。『島まるごと図書館構想』バンザイだ。
 娘のミキは、残念ながらこれを読んでいないが、題名だけは知っている。まだ、小学生のときのことだ。
「お母さん、『片耳の大シカ』っていう本、読んだことある?」
「あるある。いい話だよ」
「この前、隣の席の子が読んでいたんだけどさ、本の表紙に黒いシミがついていたの。ちょうど『大』の右上あたり」
「シミが?」
「だから、『片耳の犬シカ』だと思ってビックリした~!」
「はははっ、どういうシカだよ~!!」
 そりゃまた、うまい具合に汚れたものだ。さらに、ミキは続ける。
「もし、このシミが『大』の下にあったら、片耳の太シカだね!」

 今、ミキは中学生になってしまったけれども、1952年に文部大臣奨励賞を受賞したこの名作を、何としても読ませたくなった……。

 海士町は、後鳥羽院が流罪となった地でもある。

 私も流されたいわぁ……。
 海辺でのんびり本を読み、まったり暮らしてみたい。



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ボールドを買いに

2009年05月21日 20時00分00秒 | エッセイ
 毎週、日曜日はスーパーに行く。ついこの間の日曜日も、昼食の材料を買いに出かけた。チャーシューに、味付け玉子にメンマ、長ネギをカゴに入れ、店内をひと回りした。
 
 そうそう、液体洗剤も買わなくちゃ。

 わが家は、もっぱらボールドを愛用している。界面活性剤の割合が低いような気がして使っているのだが、実のところはよくわからない。しかし、一度ボトルを買うと、成り行きで詰め替え用を買ってしまうのが人情というものだろう。
 そんなわけで、ボールド詰め替え用もカゴに入れて会計をすませた。
 帰宅して袋を開け、食材を冷蔵庫にしまっているとき、何かが足りないのに気づいた。

 あ、ボールドだ!

 たしか、レジのお姉さんが、食品とは別の小さなレジ袋に入れてくれたはずだ。カウンターで食材を袋詰めしているとき、邪魔にならないよう、少し離れたところに置いたのだっけ。
 私は記憶をたどり、ボールドの行方を思い出そうとした。
 店を出たときは、食材の袋しか持っていなかった……。ということは、カウンターに置きっぱなしで帰ってきたらしい。

 さて、どうしたものか。

 近所とはいえ、もう一度スーパーに行くのはかったるい。でも、ボールドは残りわずかだったはず……。ボトルを見てみると、やはりあと2~3回分しか残っていない。

 えーん、やっぱり行かなきゃダメか……。

 足取りも重く、私はスーパーまで歩き始めた。
 実は、この手の失敗は何度も経験ずみなのだ。大抵は、カゴの手前にあるものを見落とし、入れ忘れることが多い。ガムや電池といった小さなものや、スモークサーモンやハムなどの薄いものが危険である。
 学生時代に、コンビニでアルバイトをしていた頃は、お客さんが買った商品を袋詰めして手渡し、いなくなってからカゴに残った飴を発見なんてこともあった。まったく、最悪の店員だったと思う。
 スーパーに着くと、まずは袋詰めしたカウンターを確認しに行った。

 ない……。

 次は、サービスカウンターに忘れ物として預けられていないかを聞こうと思った。
 ここにもなければ、もう1個買うしかない。たかが328円とはいえ、自分の間抜けさを認識する作業は気分が悪い。
 しかし、サービスカウンターのお姉さんは、温かい笑顔でこう答えた。
「ああ、ボールドですね。届いていますよ。こちらですか?」
 お姉さんが取り出したレジ袋は、ほんの20分前に私が買ったものに間違いなかった。

 やった!!

 彼女にお礼を言って袋を受け取り、私はスキップしそうなくらい軽~い足取りで家に向かった。どこの誰かは知らないけれど、人様の親切は、この上なくありがたいものだ。

 やっぱり、日頃の行いがいい人は違うのねぇ♪

 そんなことを考えながら、顔を上げ、胸を張って歩いていると、どこからか戒めの声が聞こえてきた。

 すぐ調子に乗るから、忘れ物するんだよ……。



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創作活動の妨げ

2009年05月18日 05時22分38秒 | エッセイ
※ PCトラブルにつき、更新が遅れましたことをお詫びいたします。

 恥ずかしながら、私は片づけが苦手だ。テーブルには郵便物や筆記用具、薬などが散乱し、出窓には本、カタログ類が積み重ねてある。リビングの隅には、洗濯ずみの衣類が山になっているという有様だ。
 しかし、来客があれば、見栄を張って部屋をきれいにする。本やカタログをしまい、衣類を収納して、人並みの部屋を演出するのだ。だから、お客さんが来なければ、ずっと片付かないままとなる。

 そんな私を勇気づけてくれるのが、さかもと未明さんである。
 雑誌で、彼女の仕事部屋を見たことがあるが、ウチなど足元にも及ばないくらいの散らかりようだった。床には、本や雑貨類が何重にも積み重なって散らばり、「どうやって机までたどり着くのだろう」と疑問を感じたほどだ。棚にも本や資料が無造作に詰め込まれ、机の上は文房具などで埋め尽くされていた。
 しかし、その部屋を背景に、さかもとさんは妖艶に微笑んでいる。そして、自信たっぷりにこう断言するのだ。
「私はアーティストだから、創作活動の妨げとならないよう、片づけはしません」
 部屋の美化に気を奪われると、よい作品を生み出せなくなるという意味らしい。
 
 なんと素晴らしい……!!

 私は、その潔さに感心した。
 一応、こちらもクリエイターの端くれである。出窓を片付ける時間があれば、エッセイのひとつでも書きたいと思う。決して汚い場所が好きなわけではないが、優先順位が違うのだ。
 料理は好きだけど、後片付けは嫌いという例えが、一番近いかもしれない。

 そして、片付けの優先順位が低い理由はもうひとつある。
 職場の机もごちゃごちゃしているのだが、仕事をする上で大きな支障があるわけではない。私と同じく片付けの苦手な同胞の言葉を借りれば、「デスクは片付いていないけど、どこに何があるかはわかっている」からだ。
 つまり、物理的には無秩序に見えても、頭の中ではスッキリと整理整頓されているのである。
 特に、私のようにエッセイを書く者には、記憶のファイリング作業が大切だ。ひとつのテーマに沿って、関連したエピソードを探し出し、適切な言葉でつなぎ合わせてオチをつけるには、記憶が整理されていなければならない。
 記憶容量が大きいわけではないから、どうでもいいことはさっさと忘れて、面白かったことや役に立ちそうなことだけを保存しておく。取捨選択した情報は、日記という記憶媒体に残すことがほとんどだ。事件が起こらず、ネタに困ったときなどは、日記を読み返して記憶の発掘作業をすれば、何かしらの話が書ける。
 
 遊びに来たお客さんに、頭のフタをパカッと開けて、こう言ってみたいものだ。
「ほら見て。部屋の中は片付いてないけど、頭の中は完璧なのよ。バッチリ整頓されてるでしょ」
 が、残念なことに、頭の中は見せることができない。
 ならば、こちらでもいい。
「私はクリエイターだから、片付けしている時間がもったいないの。その分、新しいエッセイを書きたいからね」
 ……しかし、よほどの傑作を書かなければ、大言壮語で終わってしまうだろう。

 結局、どちらもできず、来客のたび、私は片付けに追われることになる。
 さかもと未明にゃなれないな~。



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怖いもの見たさ

2009年05月14日 22時26分08秒 | エッセイ
 那須の両親の家には、子供のときのアルバムがある。昭和40年代のモノクロ写真で始まるこのアルバム、実は恐ろしい写真の宝庫なのだ。
 
 まずは、生後間もない姉の写真があった。
「砂希ちゃんのお姉さんって、デビュー当時の松田聖子に似てるね」
 私は友人から、よくそう言われたものだ。しかし、赤ちゃんのときの姉は、松田聖子とは似ても似つかなかった。でっぷりと肥え、両頬の肉が垂れ下がりそうなくらい丸々としている。目つきも悪く、まるで小林まことの漫画『What’s Micheal?』に登場するニャジラのよう……。
「やだぁ~、朝潮みたいじゃない!!」
 かつて大ちゃんと呼ばれた人気力士、朝潮太郎4代目がふてぶてしくなったような写真を見て、姉は苦笑するしかなかった。

 やがて、私の赤ちゃん時代の写真が現れた。こちらもブクブクと太っている。腕や足には皮膚がはち切れそうなくらい肉が詰まっていて、まるでソーセージだ。目・鼻・口のパーツも、余分な肉に埋もれているではないか。「これが私!?」と、卒倒しそうになった。
 姉は元気を取り戻し、満足そうに言った。
「アンタは朝青龍みたいね~」
 うん、たしかに朝潮と朝青龍で、ちゃんと姉妹に見えるから不思議だ。ちなみに、私を抱いて写っていた母は、セリーナ・ウィリアムズに似ていた。

 幼稚園に上がる頃には、私も姉も、女の子の顔になっていた。
 よく私は、この頃から全然変わっていないと言われる。学生のとき、子供のときの写真を持ち寄り、誰なのかを当てるゲームをしたことがある。男子は容貌の変化が大きく、なかなか当てられないが、私の写真は答えるより先に笑いが起きた。
「ひ~っひっひっひ、これはわかるでしょ!!」
「はっはっは、ラッキーカードだね!!」
 口々にそう言われ、ちょっとショックだった。

 ……そんなに、笑えるかしら?


 不思議なことに、どの写真もカメラのほうを見ていた。運動会でソーラン節を踊っている最中でも、前を向かずに後ろを向き、カメラ目線になっているのだ。
 5歳の私にとって、大事なのは全体での出来栄えではなく、写真にきちんと写ることだったのだろう。


 なんという厚かましさ……。

 妹が赤ちゃんのときは朝潮でも朝青龍でもなく、お人形のように可愛かったが、枚数がやたらと少ない。3人目ともなると、親も雑になるようだ。頭の中もいい加減になるようで、姉と私の幼い頃のことはおぼえているが、妹のことは「さあねぇ、どうだったかしら」を連発する。

 末っ子って可哀想……。

 このアルバムのもっともマズい写真は、4歳の姉と2歳の私が、両親と4人で写っているものだ。妹はまだ生まれていない。朝潮と朝青龍が真ん中で、見ようによってはホイットニー・ヒューストンの母が左、偉人・手塚治虫を凡人にしたような父が右に写っていた。
 この写真のタイトルが、なんと『笹木一家』……!!

「何よこれ! 面白くな~い!!」
 私と姉はウケたが、妹は笑えない。まったく、シャレにならないタイトルだった。

 それにしても、心霊写真のようなアルバムだ……。
 キャーキャー騒ぎながらも、つい見てしまうのはなぜだろう?



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カーネーション祭り

2009年05月10日 20時35分20秒 | エッセイ
 まだ独身の頃、母の日には姉や妹と一緒に、母へのプレゼントを贈ったものだ。
 ブラウス、ニット、カットソーなど衣料品が多かったが、母はなかなか袖を通さない。
「もったいなくて着られないよ~」
 貧乏性の母は、大事に大事に、タンスにしまっておくのだった……。
 結婚してからは、母と義母に毎年カーネーションを贈る。加入している生協では、母の日のフラワーギフトを取り扱っており、それを利用している。母とは一緒に住んでいないが、義母とは二世帯住宅の1階と2階で毎日顔を合わすのに、カーネーションは宅配便で届けられる。
 
 ちょっと、事務的かしら?

 直接手渡しするほうがいいとは思うが、花屋で長い時間待たされることを考えると、こちらのほうが効率的なのだ。手抜きの嫁ということで、許してもらおう。
 ちなみに、今年の花はこちらである。

 数年前から、プリザーブドフラワーを選ぶようにしており、今回はスイーツ風のアレンジを頼んだ。ちょっと場所を取るけれども、プリザーブドフラワーは水をやらなくていい上、長持ちするから便利だ。
「砂希さん、いつもありがとう」
 川村学園卒の、元祖お嬢様の義母から品よくお礼を言われると、こちらもすっかり気分がよくなる。
「いえいえ、こちらこそ、いつもお世話になりありがとうございます」
「去年いただいたお花も、まだ元気なのよ。ほら見て」
 
 おおっ、さすがはプリザーブドフラワー。何しろ、保存状態がよければ、10数年間楽しめるという話だから、去年の花が変わらず美しいのは当然だろう。
「2年前と3年前のも、そこに飾ってあるのよ」

 ああっ! そんなに大事にしてもらえるなんて、感動~!
 
 ……ということは、毎年違ったアレンジを選ばなければいけないというわけか。
 3年前と去年の花は、やや似たデザインだった。来年は注意して注文しよう。

 ところで、私へのカーネーションはあるのだろうか??
 ホワイトデーのギフトを忘れるくらい、恐ろしく気の利かない夫のことだから、あまり期待しないほうがいい。と、思っていたのだが……。
「ママ、母の日、ありがとう」
 夕方、買い物から帰ると、夫がいそいそと紙袋を持ってあらわれた。
「わあ、ありがとう♪」
 早速中身を出すと、あらあら可愛い、ピンクのカーネーションである。赤い実と白いカスミソウ、緑のツタがいいあんばいに散らばっていて、なんとも絵になる。


「2週間はもつってさ」
 生花は儚いが、存在感や生命力が感じられてよい。

 しかし、そのやり取りを見ていた娘のミキが、とんでもないことを言い始めた。
「え? 母の日って今日だっけ?」
 再生中のDVDを一時停止にしたような、奇妙な静寂が訪れた。
「……やば~、全然知らなかった……」
 ミキはニンテンドーDSの操作を中断し、顔を青白くしてブツブツひとり言を言った。
 中一の娘は、毎年、私の誕生日や母の日にメッセージを書いて渡してくれる。だんだん欲が出てきた私は、明るく励ましの言葉をかけた。
「大丈夫。今から書けば、夜には間に合うから」
「書くよ! 書くけどさ、それは催促するものじゃないでしょっ!!」

 ピンクのカーネーションの花言葉は、何種類も紹介されているが、「熱愛する」「感謝」「美しいしぐさ」「気品」といったところらしい。
 カスミソウの花言葉は、「愛らしい」「清い心」「切なる願い」「無邪気」……。

 早くメッセージ、ちょうだいよ~!!



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ホーンテッド・ペンション

2009年05月07日 17時59分14秒 | エッセイ
 3月下旬ともなると、GWの宿泊予約をしようとしても、どこもいっぱいで断られてしまう。
 女友達と旅行するときには、たいてい私が予約係だったので、ちょっと焦った。
 かれこれ20年ほど前の話だから、インターネットで予約することもできず、情報誌を片手に、私は電話をかけ続けた。
「6名様ですか? ハイ、ご用意できます」
 写真も載っていない清里のペンションで、ようやく予約ができた。しかし、この時期に空きがあるのは、きっと不評のペンションだろう。料金が5000円台という安さも、それを裏付けているかのようだった。

 期待していなかったが、宿泊当日、私たちは予想以上のひどさに声を失った。
「うわ……きったなーい」
「この部屋の狭さは何よ」
「ベッドのカバーリングも、趣味が悪すぎる」
 照明も暗くて、今にもお化けが出そうな雰囲気だった。が、あらわれたのは幽霊ではなかった。
「……ねえ、部屋の隅にいるのは、蛾じゃない?」
「やだー、こっちには大きな蜘蛛がいるよ!」
「キャーッ!!」
 という具合に、廃業間近のため設備投資していません、というペンションだったのだ。
 当然、夕食が美味しいはずもない。
 私たちは不機嫌のまま、ほとんどおしゃべりもせずに料理をつついた。食べられないほどまずくはなかったのは、不幸中の幸いだった。

 そうこうしているうちに、食堂には、またまた別の生き物が登場した。むさ苦しいという表現がピッタリの、学生風男子8人組だった。
 こちらは20代前半独身OL6人組である。正確にいうと私はOLではないが、見た目は十分OLだ。
 この男連中が、こちらを意識して、やたらと目配せしてくるではないか……。私たちは思わず顔を見合わせ、小声で作戦会議を開いた。
「ちょっと~、またこっち見てるよ。全然タイプじゃないんだけど」
「勘弁してほしいよね」
「大体において、男8人って何よ。モテない集団でしょ」
「さっさと食べて部屋に帰ろう」
「いい? 相手にしちゃダメよ。目も合わせないように気をつけて」
 そーっと席を立った瞬間、男連中の一人が素早く近づいてきた。
 私たちはギョッとして、先を争うように出口に殺到した。遠くから、彼の声が追いかけてくる。
「あの~、よかったら、僕たちの部屋で、ぐらぐらゲームしませんかぁ……」
 つい小走りになってしまったので、最後の方は聞こえなかった。
 部屋に逃げ込むなり、私たちは乱れた息で、悪口雑言を繰り広げた。
「やだ~、信じられないっ!」
「誰が行くっていうのよ」
「もう、顔合わせたくないね」
「なにが、ぐらぐらゲームよ!」
「8人でやってるんじゃない?」
「あははは、暗ーい!!」
 そのとき、私は頭の中で別のことを考えていた。

 ぐらぐらゲームって何??

 どんなゲームなのかがわかったのは、それから10年以上過ぎ、娘が保育園児になってからだ。
 たまたま、おもちゃ屋さんに行ったら、「ぐらぐらゲーム」と書かれた箱が陳列されていた。


 こ、これは! まさに、あのときの、ぐらぐらゲーム!!

 私は好奇心から買ってみた。
 家に帰り開けてみると、逆さまになった傘が円柱に4個ついており、非常に不安定な状態になっている。どうやら、ピサの斜塔をモデルにしたようだ。参加者は持ちゴマをこの傘に順番に載せていく。バランスを失って落としたコマは、持ちゴマに加えなければならず、コマがなくなれば勝ちというゲームだった。
 それではと娘を誘ってやってみると、斜塔はうまい具合に倒れそうで倒れない。円柱が弧を描いて大きく回り、いとも簡単に載っているコマがばらまかれる。
 まずまずの盛り上がりだ。大勢でやったら、もっと楽しいかもしれない。

 ぐらぐらゲーム、やりませんか~?

 十何年も経ってから、声の亡霊につかまってしまったようだ……。



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オオカミが来た?

2009年05月03日 20時04分42秒 | エッセイ
 先日、わが家のノートパソコンのメモリを増やした。
 娘が学習教材で使うには、メモリが不足しているのだそうだ。パソコンに詳しい友人たちに聞くと、「簡単だよ」と口を揃えて言う。それを聞いて安心し、パソコンに詳しくない私も、「じゃあ、やってみよう」という気になった。
 取扱説明書を見ると、ウチのパソコンには、本体の256Mバイトのメモリと、256Mバイトの増設RAMボードがついているらしい。この増設RAMボードを1Gバイトに交換すれば、余裕で学習ソフトを使うことができる。
 ちょうど新宿に出る用事があったので、ヨドバシカメラでRAMボードを買った。
 小さな箱を受け取ると、ちょっと意外な気がした。
 
 ふうん、案外、軽くて小さいんだな……。

 ダウンサイジングを実感したひとコマだった。
 帰宅して、夕食、入浴を終えてから、メモリの増設作業に取りかかった。私以上にメカに弱い夫には、とても頼めない。ノートパソコンを裏返し、まずはバッテリパックを取り外した。次に、プラスのドライバーでネジを緩め、メモリスロットのカバーを取った。
 中に見えるのは、256Mバイトの増設RAMボードである。



 両端のコネクタを広げ、RAMボードを斜めに起こして引き抜いたところへ、1Gバイトのボードを取り付ける。約30度の角度で斜めに差し込み、奥まで入ったら水平に倒す。カチッという音がして、コネクタにロックされれば出来上がりだ。
あとは、メモリスロットのカバーに、バッテリパックを戻すだけ。
 実に簡単だった。

 へへっ、どんなもんだいっ!

 私はすっかり気をよくして、鼻歌混じりにパソコンの電源を入れた。が、「ワイヤレスネットワークが見つかりません」というメッセージが出るではないか。たしかに、インターネットエクスプローラーを起動しても、「このページは表示できません」となり、ネットにつながらない。
 それではと、ネットワークの修復を試みたが、一向につながらなかった。

 ええ~、何で?!

 取扱説明書には「増設RAMボードの取り付けや取り外しをおこなうと、インスタント機能が正常に動作しない場合があります。そのままの状態でインスタント機能を再セットアップしてください」と書いてある。
 しかし、再セットアップに必要なCD-ROMがない。
 もうお手上げだ。天狗の鼻はへし折られ、私はすっかりしょげてしまった。こうなると、夫に頼んで、わが家のトラブルシューター・清水さんに来てもらうしかない。
 清水さんというのは、フリーのPCトラブル請負人である。どこに住んでいるかは知らないが、メールを送れば格安で直しに来てくれる、とてもありがたい人だ。

「5月1日に来てくれることになったけど、朝、もう一度、インターネットに接続できないかどうかを確かめてメールくださいだって」
 実は、私たちには前科がある。ひと月ほど前にインターネットがつながらなくなり、清水さんに来てもらったのだが、彼が来たとたんに調子がよくなり、どこも直すことがなかったのだ。
 あとから知ったことだが、無線LANの場合、雨雲の垂れ込めている日などはつながりにくいらしい。清水さんが来たときは、天気が回復していたので、ネットの調子もよかったのだろう。
 そして、人のいい彼は、1円も受け取らずに帰っていった。
「そうね、あのときは本当に申し訳なかったもんね。でも、今回は本当につながらないから、来てもらわないとダメでしょ」

 清水さんが来た日、私は仕事でいなかったので、帰ってすぐに、夫に成り行きを聞いた。
「で、どうだった?」
「うん、あっという間に直ったよ」
「あっという間に?」
「これだってさ」
 夫はパソコンの右端についている、小さなボタンを指差した。
「これ、ワイヤレススイッチっていうんだって。これがONになってなかっただけだった……」



 ボタンを押すと青いランプが点灯した。これがONの状態だ。もう一度押すとランプが消え、OFFの状態になった。おそらく、私がノートをひっくり返したとき、うっかりボタンを押してしまったのだろう。
 全身の血の気が、ザーッと音を立てて引いていく感じだった。私は夫に、おそるおそる聞いた。
「……それって、すごく恥ずかしいね……」
 夫は、まずい料理を食べたあとのような顔で答えた。
「いやあ、ホントに申し訳なくて……穴があったら入りたかったよ」
 結局、清水さんは、今回も報酬を受け取らずに帰っていったのだった。

 これではまるで、イソップ寓話の『オオカミ少年』である。
 羊飼いの少年が、退屈しのぎに「オオカミが来た!」と何度も嘘をつく。騙された大人たちは、最初のうちは武器を持って駆けつけるが、やがて信用しなくなる。そして、本当にオオカミが現れたとき、誰も助けに行かなかったので、羊は全て食べられてしまう、という話だ。
「インターネットがつながらない」と2回も呼ばれ、その度に徒労に終わる場合はどうだろう。ふと、わが身に置き換えて考えてみた。

 もしかしたら、次は来てくれないかもしれない……。
 私はちょっと怖くなった。

 清水さ~ん、お願い!! 見捨てないでよー!!



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コメント (17)
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