これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

精神安定剤

2008年06月30日 19時57分54秒 | エッセイ
 気分が落ち込んだときの回復法は人それぞれだ。
 さくらももこ氏は「寝る」と答えていた。何でも、気が滅入ったときは体力が消耗するので、ぐっすり寝て充電しないと元気にならないのだとか。なるほど、理にかなっている。
 私の場合は文章を書く。落ち込んだ原因に関連したことでもいいし、全然関係ないことでもいい。紙に書いてでも、パソコンを使ってでも、携帯のメールでも、文章を組み立てることさえできれば凹んだ気持ちが膨らんできて、明るい気分になれるのだ。
 時間がないときは、風呂場に日記帳を持ち込んで、半身浴をしながら書く。文字を選んで文を作っていくと、何が自分を落ち込ませているのか、それに対して自分はどうしたいのかが見えてくる。頭の中で考えるだけでは行くべき道がわからないのに、文字に表すと、カーナビに誘導されるように出口が見つかり物事が解決する。これはすごい。
 もう一つ、イライラしたりモヤモヤする気分のときはピラティスが効く。私が行っているのは、福井千里氏のピラティスサーキットだ。これは、有酸素運動とピラティスを交互に行うことにより、トレーニングの効果を高めるものである。
 特に好きなのは、お腹をスッキリさせるエクササイズだ。このエクササイズの有酸素運動は、ジャンプしながら両手を左右に広げて着地するという動きを1分間繰り返す。どうやら、この動きが悩みに効くらしい。
 ジャンプを繰り返していると、体が温まり汗がにじんでくる。呼吸が荒くなるあたりで、「あの人の発言には腹が立ったけれども、こう考えていたからではないか」と理解できたり、「思い通りにならないことを嘆くのは愚かだ、それが世の常なのだから」と哲学めいた悟りを開くようになる。それはまるで、体の中にたまっているストレスという名の毒素が、汗や熱とともに発散されるようで、なかなか爽快だ。
 どちらも、長年、自分とつき合っているうちに見つけた精神安定剤で、私にとってはこの上ない処方箋である。ストレスフルな方、ぜひ一度お試しあれ!
 友人の知美は、おしゃべりをすることで日々のストレスを解消するタイプだ。私はときどき相手役をつとめ、愚痴を聞いたり相談に乗ったりする。
 先日、彼女が聞き捨てならぬことを言った。
「いいよね、砂希はなんにも悩みがなくて……」
 これにはムッとした。私だって、人並みに悩みや苦しみはある。ただ、それにどっぷりと浸かってしまう自分はイヤなのだ。不幸に酔うと、さらなる不幸を呼び寄せる気がする。気が滅入ったときは、さっさと自己解決を図り、気分を浄化するに限ると思うのだが……。
 まぁ、いっか~。



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集合は連鎖する

2008年06月28日 18時11分21秒 | エッセイ
 職場の友人に『佐藤ゆき子』という人がいる。
 私よりも8歳下だが、彼女と並ぶと「よく似ている」と言われることがある。彼女にしてみれば迷惑かもしれないけれども、自分でもときどきそう思う。
 私を構成している要素の集合をAとし、ゆきちゃんの要素の集合をBとすれば、顔の要素で円が重なる。たしか、これを和集合といい、AかつBと習ったおぼえがある。一方、顔以外での共通点はほとんどなく、自分第一で大雑把な私に対して、ゆきちゃんは控えめで堅実な慎重派である。
 さて、このゆきちゃんは年に何度かスキルアップの研修を受けている。
「10月は私が発表する順番になるんですけれど、内容で迷っているんです」
 他のメンバーの発表予定が載った資料を見せてもらい、相談に乗った。なるほど、いろいろな学校から見たことも聞いたこともない人たちが集まり、自分の持ち味を生かした授業をしているようだ。よいところは取り入れ、悪いところは指摘しあって、授業力向上に役立てていくらしい。
 資料の真ん中あたりで私の目がとまった。『佐藤行夫』という文字を見つけたからだ。
「なにこれ、佐藤ユキオだって!?」
 最初は誤植かと思ったが、まったくの別人のようだ。
「そうなんです。よく似た名前の方がいるんですよ」
 ゆきちゃんが困ったような顔をして答えた。たしかによくある名前かもしれないが、20名程度の研修に『佐藤ゆき子』と『佐藤行夫』がいるのは面白い。私はすっかりウケてしまった。
 佐藤行夫を構成している要素の集合をCとすれば、名前でゆきちゃんの集合Bと重なる部分があるから、BかつCとなる。
 そして、この行夫さんは、私の夫の弟、つまり義弟と偶然同じ職場である。義弟の集合をDとすると、ここでもCかつDが成立する。そして、義弟と私は、血のつながりこそないけれども親族だから、AかつDなのだ。
 う~ん、何という奇妙な関係であることか。
 俄然、佐藤行夫さんに興味がわいた。一体どんな人なのだろう。私との接点はあるのだろうか。義弟に行夫さんの人柄を聞いてみた。
「まだ若いのに、キチンとしていて真面目ないい人ですよ」
 なんだ、ほとんど私との共通点はないじゃないか。むしろ、ゆきちゃんとの接点がクローズアップされてくる。
 佐藤ゆき子と佐藤行夫のカップルが誕生したら、楽しいだろうなぁ~。
 大きなお世話と叱られてしまいそうだ。



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うちでの小づち(番外編)

2008年06月27日 22時35分16秒 | エッセイ
 願いが叶う、欲しいものが手に入るといった幸運な偶然を、私はずっとエッセイにしたいと思っていた。もちろん、望みが叶わなかったときのほうが多いから、成功したときの喜びはひとしおで、うれしかったからだろう。
 ただし、フットレストもピアノもエアロバイクも、中古品を通り越して廃棄間近のオンボロばかりだ。新品はないのか、新品は!
 意味ある偶然は必然だ、と聞いたことがある。自分の心が成功を引き寄せるとも。
 しかし最近では、それだけではないと思い始めている。
 昨日、職場で、ミスを指摘された同僚がどんな反応をするか当てっこした。ある人は「とぼける」と予想し、またある人は「逃げる」だったが、私は「逆ギレする」と答えた。そして、くだんのミスを追求したら、本当にその同僚は居直り口汚く反論したのだった……。
「人を見る目があるね~!」と絶賛されたが、これは勘だ。瞬間的に答えが脳裏に閃くときは、当たることが多い。一種の予知能力なのだろうか。逆に、一生懸命考えて、迷いながら答えを出したときはハズレてばかりいる。私のコンピュータは精度が悪いが、カンピュータはなかなかのものだ。
 つまり、これまでの『うちでの小づち現象』は、動物的な直感を駆使して結果を先取りしたことにより起きたのではないだろうか。あらかじめ未来がわかっていれば、それに見合った行動が取れる。ピアノを弾いたときも、不思議なくらい楽観的だった。何の根拠もない安心感を感じるときは、幸運な結果を予知しているせいなのかもしれない。
 残念なことに、不幸な結果となる場合もある。こういうときは、イヤな予感がしたり、気分が悪くなったりするものだ。そして、不幸はさらなる不幸を呼ぶことが多く、ツイていないときはとことんツイていない。
 でも、そこでジタバタしてはいけない。恐ろしいくらいにツキから見放されたら、それもまたエッセイのネタになると思えばよいのだ。
 どんなときでも主体的でいられること、それが私の理想。
 人の一番の望みは、なりたい自分になることなのかもしれない。



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うちでの小づち(3)

2008年06月25日 21時52分34秒 | エッセイ
 私は鍛え系である。アシックスのシェイプアップシューズ、サルティス9度を履き、毎日1時間は歩く。急いでいるときは走る。腹筋・背筋・腕立て伏せはもちろんのこと、SHINOの腰回し運動、ピラティスにも手を広げ、出勤前や入浴前に汗を流すのが日課だ。就寝前にはストレッチで仕上げをする。
 もともと冷え性に悩んでいたので、筋肉をつけて代謝をよくすることが目的だった。冷えやすい体質だと、顔色は悪いし生理痛はひどいしで、いいことは何もない。どうにかして冷えを治したかった。
 筋力がついてくると、それまでの運動が物足りなくなり、よりハードに体を動かしたくなる。ビリーという手もあるが、DVDを見ながら運動するのは面倒だ。お手軽なマシンが欲しいと思った。
 足踏み式のエアロビクスステッパー、自転車漕ぎのエアロバイク、乗馬効果のロデオボーイⅡなど、通販のカタログには何種類ものマシンが掲載されていて目移りする。以前に家庭用トランポリンを購入したことがあるが、床に響いてやかましいから物置行きとなった。今度は無駄な出費にならないように注意しなくては。
 問題は、我が家の住宅事情だ。典型的なウサギ小屋だから、大きなマシンを買ったら部屋が余計に狭くなってしまう。夫や娘に気兼ねして、「どれか欲しいけど我慢」という状態が続いていた。
 そんなとき、ヤマハの電動自転車、パスが不調になった。この自転車はかれこれ7年間、往復11kmの道のりを通勤で使っていたものだ。もっと長持ちするかと思っていたのに、それだけ酷使すると壊れてしまうらしい。購入当時は10万円もしたのに、ちょっと悔しい。
「モーターが寿命のようですよ」
 修理に出したら、自転車屋の主人に新品を買ったほうがいいと言われた。しかし、自転車がないと通勤に不便なので、ひとまず壊れたパスで出勤することにした。
 しかし、漕ぎ始めてすぐに後悔した。電動アシストがないうえ自転車そのものが重いから、ペダルの負荷が半端ではない。5分も漕いだら太モモが痛くなり、冬だというのに汗が吹き出してきた。これで20分はキツイ……。はたして、私は職場に辿り着けるのか!?
 そこで、はたと気づいた。
 これって、エアロバイク?
 私が欲しいと思ったものが、こんなかたちで手に入ることになるとは思わなかった。現金なもので、トレーニングだと思えば俄然やる気になる。20分体を鍛えたら職場に着いているなんて、最高ではないか! 
 電動自転車は二度おいしい。部屋は狭くならずにすむし、時間も有効利用できる。10万出した甲斐があった。
 さらに、エアロバイクで鍛えた1カ月後、冷え性が劇的に改善されていた。体脂肪も減り、いいことづくめである。これまた、うちでの小づちのおかげだろうか。
 でも、何か違うような気が……。



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うちでの小づち(2)

2008年06月23日 20時45分16秒 | エッセイ
 申し遅れたが、私は高校で教員をしている。
 前任校で3年生の担任をしていたときのことだ。12月あたりから、卒業式前の予餞会で担任団から歌の出し物をしようという話になった。
「誰かピアノ弾ける?」
 学年主任が問いかけに、思わず考え込んだ。ピアノは弾けないこともないが、バイエルの下巻を終える前にやめてしまい、人様に聞かせるレベルではない。しかし、ピアノを弾けば歌わなくてすむというメリットがある。
 はっきり言って、音痴とまではいかないけれども私は歌が下手だ。全校生徒の前で歌うなどもってのほか。どちらに転んでも恥をかくのは間違いないが、より小さな恥ですむのはどちらだろう。究極の選択である。
「笹木さんはどう?」
 できないと即答しなかったせいか、学年主任の鋭い眼がこちらに向いていた。私はちょっとためらいつつ答えた。
「少しならできますけど……」
「少しか。他にできる人いないかなぁ?」
 しかし、誰も返事がない。いやな予感がした。
「じゃあ、笹木さん、頼んだよ。まだ3カ月もあるんだから、しっかり練習しといてね」
 学年主任はあっさり言い、呆然としている私に気付きもしない。
 なんてこったい……。
 歌は決まっていた。森山直太郎の『さくら』だ。楽譜を渡されて仰天した。
 音符が、5本線の上にも下にもはみ出している!!
 こんな広い音域は、当然バイエルには出てこないので、まずは楽譜を読むことから始めた。♭って何だっけ? この音符はなんでこんなにつながっているんだ?
 まるで『ダ・ヴィンチコード』に出てくるような暗号に四苦八苦しながら、1カ月後にはどうにか楽譜が解読できた。難しかった。
 しかし、我が家にはピアノがない。さいたま市の実家にエレクトーンがあるので、子供を連れて遊びがてら、練習しようと思った。が、
 だめだ、鍵盤が足りない!
 やはりピアノでなくては練習できなかった。予餞会まであと2か月。果たして『さくら』は弾けるようになるのだろうか。教師の見栄と意地とプライドにかけて、絶対成功させなくてはならない!
 それから間もなくのこと。帰宅し玄関先にあるものを見て、私は驚きの声をあげた。
「あっ、ピアノ!! どうしてここに?」
 そのときの私が一番必要としていたものが、何の前触れもなく現れたことに、ただ、ただビックリするだけだった。
「それはね、彩花ちゃんがもう使わないからって、ミキちゃんに送ってきたのよ」
 彩花ちゃんというのは夫の弟の娘、つまり私の姪である。たまたま引っ越すことになり、いらなくなった電子ピアノを私の娘にくれたらしい。信じられないくらい、タイムリーではないか。
「何とかして恥を最小限に」と念じた気持ちが、うちでの小づち登場となったのだろう。やはり、願いは叶うのだ。
 早速、その日からピアノの練習を始めた。彩花ちゃんには悪いが、ミキではなく私ばかりが占領することになった。
「お母さん、ずるいよ! ミキにも弾かせてよ!!」
 娘はブーブー文句を言ったが、こちらはもう必死である。
 仕事を終え、家事をすませてから毎日2~3時間は練習しただろうか。連日数時間の睡眠でひたすら努力した結果、ある程度まで弾けるようになった。だが、どうしても終盤でつっかえる。
「歌があるから、右手だけでも大丈夫よ。音を止めないようにして」
 他の先生に励まされ、学校でも音楽室を借りて練習した。本番まであと一週間という時期だった。自宅での練習にも、以前にも増して力が入る。しかし、がんばっても、できないものはできない。せっかくのクライマックスだというのに、リズムの速さに指が追い付かず、私の両手は鍵盤の上で迷子になり、むなしく彷徨うばかりだった。
 そして迎えた本番。出番までの短い間に何度か練習してみたけれど、やはり最後までつっかからずに弾くことはできなかった。
 前奏は問題ない。歌が始まればピアノの音は目立たない。間奏も大丈夫。歌が終わったときに、ピアノが途切れてしまうだけだ。
 私は自分にそう言い聞かせて、体育館のステージに上がった。全校生徒は550人くらいだろうか。ピンスポットが眩しくて、意外に客席は気にならない。おかげで、思ったよりも落ち着いて演奏を始めることができた。
 不思議なことに、そのときばかりは、一本一本の指先に鍵盤が吸いつくような感じがした。ただ音を出すだけでなく、「卒業おめでとう」という気持ちが曲に乗っていくような、今まで感じたことのない気分の高揚感があった。
 いける!
 弾いていて、とても気持ちよかった。間奏もこれまでで最高の出来だ。これはひょっとして、最後まで弾きとおすことができるのではないか?
 クライマックスの関所にかかった。気持ちの上では成功する気充分だったのに、やはり技術がついてこない。ひとつ鍵盤を踏み忘れると、たちまち連鎖反応が起きる。それまで上手に弾けていたというのに、あっという間にガタガタに崩れてしまった。
 もはや、これまで……。
 右手だけのたどたどしい演奏をしているうちに、歌が終わってしまった。
 万事休す!
 聞こえるはずのピアノが途切れ、見栄と意地とプライドが木っ端微塵になる瞬間がやってきた。
 刹那、やってきたのは静寂ではなく、割れんばかりの拍手と大歓声だった。誰が何を言っているのかわからないが、3年生が感動のあまり大声を張り上げ、感謝の言葉を叫んでいる。たくさんの生徒が頭の上に手を伸ばし、惜しみなく大きな拍手をしている。
 私はいかにも「みんなが聞いてないから弾くのをやめたわ」という顔をして、鍵盤から手を離した。心の中では、こちらのほうが拍手をしたいくらいだった。
 助かった!!
 これで、途中までしかピアノが弾けなかった事態がバレずにすんだ。なんという幸運! いや、悪運? まさかまさかの神がかり的なツキに、自分でも驚いて頬をつねりたいくらいだった。これもうちでの小づちのおかげである。

「先生、さっきのピアノ、ステキでした」
 あとから、同僚の女性がうっとりした表情で、私の演奏を褒めてくれた。
 これぞ、インスタント・ピアニスト。
 私は背中のあたりがかゆくなり、どうにも居心地が悪くて仕方なかった。



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うちでの小づち(1)

2008年06月21日 20時52分24秒 | エッセイ
 まだ娘が幼かったとき、通勤や保育園への送迎に自転車を使っていた。
 ある日、職場から帰ろうとして、自転車の後部座席に違和感をおぼえた。何かが足りないような気がする……。
 あっ、左のフットレストがない!
 娘を乗せる座席のフットレストが、左だけきれいさっぱりなくなっていた。朝はついていたから、走っているうちに落としたのだろう。そういえば、フットレストなしで子供を乗せている人をよく見かけるけれど、あれはこんな風に、いつの間にか脱落してなくなったというわけか。
 困ったなと思った。ミキはトロい子なので、ぼんやりしてスポークに足を巻き込まれてしまいそうだ。早く元通りにしないと危ない。
 最初に私がしたことは通勤路のチェックだ。朝来た道をゆっくり戻り、路肩に落ちているものを確認したけれども、それらしいものはない。保育園の駐輪場にもない。ということは見つかりそうもない。
 週末になったら新しいのを買うか……。
 翌朝、ミキには足に注意するよう言い聞かせ、保育園まで乗せた。それから職場に着き、自転車置き場に向かった。自転車を止めて周りを見ると、まるで発信器が点滅しているかのように、私が必死で探しているものが視界に飛び込んできた!
 あった、あった!! こんなところに!
 同僚である尾崎さんの自転車の前かごに、私がなくしたフットレストが無造作に突っ込まれていた。きっと駐輪場に落ちていたのを、誰かが拾って彼女のかごに入れたのだろう。あきらめないで探せば、意外に見つかるものなのだと感動した。
 しかし、それを手に取り目を近づけてみると、私のものだという確信がなくなった。キズが目立ち、結構古いもののようだ。直接聞いて確認してみなくては。
「ええ、あれは私のです。荷物が振動で飛び出さないように、使わなくなったフットレストを重しがわりに使っているの。ひったくり防止にもなるでしょ」
 尾崎さんは、不用品の再利用をしていたのだった。やっぱり私のフットレストは行方不明のまま……。脱力した私を気づかうように、彼女は続けた。
「でも、使うのなら差し上げますよ」
 かくして、私はフットレストを譲り受けたのだった。
 なくした翌日に、他の人が同じものを持ってくるとは、単なる偶然とは思えない。しかも、同じ左足用ではないか。単に重しとして使うだけなら、形の違う右足用でも事が足りたはずなのに。
 意味ある偶然のことを『シンクロニシティ』というようだが、この言葉は舌を噛みそうでいま一つ馴染めない。
 むしろ、一寸法師が鬼退治をして手に入れたとされる『うちでの小づち』のほうがピッタリくる。この小づちを振れば、欲しいものがすべてゲットでき、望みが何でも叶うのだ。今回欲しかったものは使い古しのフットレストだから、ちょっとショボいけれども、念ずれば通じるという現象に意義がある。すべてが思い通りになるわけではないが、願いが実現できるように努力し、それが実現したときの達成感・満足感は、生きていく上で酸素や水くらい大切なものだ。
 誰でも、うちでの小づちは持っている。ただし、使いこなせない。今回はたまたま運がよかったが、この先、振れることがあるのだろうか。
 尾崎さんに、お礼としてハロウィンのお菓子をあげた。ちょうど、そういう時期だった。たしか彼女には女の子が2人いるはずだから、とびきり可愛らしいものを選んでみた。きっと喜んでくれるだろう。
「あら、もらっちゃっていいんですか」
 まったく予期していなかったのか、尾崎さんに包みを渡すと遠慮がちな言葉が返ってきた。
「私はいらないものをあげただけなのに、こんなにステキなものが返ってくるなんて。こういうのを『ガラクタ長者』っていうのかしら」
 まあ、貴女も昔話派だったのですか、尾崎さん。



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たまごっちを探せ!

2008年06月18日 22時06分15秒 | エッセイ
「あれ? たまごっちがない」
 日曜日の朝だった。小学生の娘が、必死でたまごっちを探し回っている。散らかった机やテーブルの上、手提げの中などを何度も確認したようだが、どこにも見当たらない。1階の祖母の部屋まで捜索したのに、とうとう見つけることができなかった。
「いつ、なくなったの?」
 そう聞くと、娘は眉間にシワを寄せて考え込み、それからイヤな顔をして答えた。
「昨日はあったんだよ。……もしかして、ジョナサンに置いてきたのかも」
 たしかに、その前日、夫と娘はジョナサンへお昼を食べに出かけている。お店に問い合わせてみると、それらしい忘れ物があるというので取りに行くことにした。
「でも……もう死んじゃってるよね……」
 娘が暗い声でつぶやいた。たまごっちは、空腹や病気になってから12時間以上放置されると死んでしまうのだ。昨日の昼になくしたのであれば、遅くとも夕方には空腹となり、朝には液晶画面がお墓に変わっているはずだ。
 時計を見ると、すでに11時を回っている。これはもう、諦めるしかないと思った。
「見つかっただけでもよしとしなくちゃね。また1代目から育てなよ」
 私はがっかりしている娘をなぐさめて、ジョナサンに送り出した。
 
「ただいまぁ♪」
 しばらくすると、娘が夫に連れられて、やけに明るい声で帰ってきた。
「たまごっち、生きてたんだよ」
 得意そうに液晶画面をこちらに近づけ、笑顔で話を続ける。
 おお、元気に動いているではないか! 奇跡だ!!
 おそらく、アルバイトの若い女の子あたりが、ご飯やおやつを食べさせたりウンチを流したりと、世話を焼いてくれたのだろう。そうでなければ、生きているはずがない。
 さすがは外食産業、見事である。



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メンデル様に質問

2008年06月16日 22時22分28秒 | エッセイ
 子供の頃は、鏡を見て、それから通知表を見て、親から受け継いだ遺伝子の悪さに腹を立てたものだ。
 だから、私は自分の欠点を補うことのできる相手を選び、生まれてくる子供に肩身の狭い思いをさせないようにしたかった。
 最優先事項はスポーツマンであることだ。足が速く、球技・水泳・武道など、なんでもござれという人がいい。それから視力がよいこと。さらに、背が高く、二重まぶたで端正な顔立ちをしていれば、将来子供から恨まれるという心配はないだろう。
 意外とスムーズに、そんな男性が現れた。彼は私が求める条件をすべてクリアしただけでなく、経済的にも恵まれていたし、賭け事はしない、酒は飲まない、タバコは吸わない、暴力はふるわないというオマケつきだった。
 マイナス面としては、かなり年上で、日本人なのにときどき日本語が不自由になること、絵心が皆無で芸術性に欠けること、太りやすい体質であることが挙げられる。『気おつけて』と書かれたメールにはげんなりするが、それらの点を差し引いても、買いの物件だと感じたから夫となった。
 数年後、夫によく似た娘が生まれた。二重まぶたでまつげが長く、誰もが可愛いと言ってくれる。計画通りだ、と私はニンマリした。
 だが、保育園に入り他の子供と比較してみると、そうでもないことがわかってくる。
 運動会のかけっこではビリだし、鬼ごっこをすれば誰一人としてつかまえられない。小学校に入学すれば、視力検査で「D」となり、メガネをかけて生活している。
 おかしいな、予想と全然違うんだけれど……。
 私が狼狽しているにもかかわらず、新事実が続々と明らかになっていく。
 算数のテストでは「32本の鉛筆を8人に分けたら、一人何本になるでしょう」という問題に、娘は掛け算をして「256本」答え、×をくらっていた。「32本しかないんだろーが!」と私は腹を立てる。どうやら問題の意味を理解していないらしい。
 精一杯努力して描いた絵が、3歳児の落書きレベルなのも気になる。私は平均点以上の絵が描けたのだけれども……。
 さらに、8歳くらいから徐々に太ってきた。
「お母さん、こつばんってなあに?」
 娘からこんな質問をされたことがある。
「ほら、腰にある骨よ。この辺だから、触ってごらん」
 私は両手を腰に当て骨の位置を教えたのだが、娘はなかなか見つけられない。
「お母さん、ミキのこつばん、ないよ!」
 なんと、骨盤は肉に埋もれて隠れていた……。
 まずった、遺伝子には、親の性質が現れやすい優性と、現れにくい劣性とがあることをすっかり忘れていた。私と夫のよいところはことごとく劣性遺伝子となり、二人の欠点ばかりがこぞって優性遺伝子となってしまったのだ。
 偉大なるメンデル様、何故このような、神のいたずらとしか思えない現象が起きるのでしょうか。私は娘のために、一生懸命優秀なDNAを揃えたのですが、なんの意味もなかったですね。
 これはもう、本人の自己責任なんじゃないですか。
 ねえ、そうでしょう?



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吉か凶か

2008年06月14日 23時22分09秒 | エッセイ
 彼からプロポーズされたのは23歳のときだ。
 あいにく、その日は台風が関東をかすめて通り過ぎたため、交通網は大混乱、幹線道路は軒並み渋滞していた。まだ夕方前だったが、彼に車で送ってもらうのにも時間がかかり、普段ならば1時間で着く距離が4時間もかかったほどだ。
 話題が途切れた頃だったろうか。信号待ちをしていたら、彼がこちらを向いて口を開いた。
「結婚してくれないかな」
 私が返事をするまでの時間はそれほどかからなかったと思うけれども、頭の中では猛スピードで電卓を叩き、めまぐるしく損得計算をして答えをはじき出していた。
 彼が好きだったから、結婚できればとてもうれしい。伴侶としての人物的・物質的条件も揃っているし、いつも私を笑わせてくれるから楽しいに違いない。年を重ねても、腕を組んだり手をつないだりして、ハリウッド映画に出てくるようなラブラブの夫婦になれたらうれしい。もっとも、「I love you」は言ってくれないだろうけど。
 問題は、彼が21歳も年上だということだ。かねてから親族や友人は辛口だった。
「子供が成人する前に、定年を迎える人なんてやめなさい」
「年齢差は、一緒に生活してこそ実感するものなんだよ」
「まるでボランティアみだいだね」
 こぞって反対されると、こちらも不安になる。私は間違っているのではないかと。
 しかし、無難なことは退屈と斬り捨て、あえて冒険をしたがる私の気質が彼を選んだ。
「うん、いいよ。結婚しよう」
 信号が変わって車が走り出し、新大宮バイパスに合流するため大きく左にカーブした。
 雨はすっかり上がって西日が射している。明るくなったと思ったそのとき、東の空に見えるものがあった。
「あっ、虹だ! すごい!」
 建物の上にまたがるように、二重の大きな虹が、くっきりと青い空に浮かび上がっていた。七色が鮮やかで、うっとりするほど美しかった。私は彼にも見てほしくて、言葉を弾ませながら人差し指で方角を指し示した。
 なんてドラマチック。
 昔読んだ本に、虹はよいことがある前兆で吉と書いてあった。プロポーズの瞬間に現れるとは縁起がいい。私の選択を祝福しているかのようではないか。
 そして、彼は夫になった。
 あれから17年たった今では、あのときの判断がいかに甘かったかを思い知らされる。
 子供が生まれたときから夫婦の会話が減り、単なる業務連絡ばかりになった。
「明日は雨だって」「ふ~ん」
「ミキが咳しているから、明日小児科に連れて行って」「わかった」
 昨年11月、読売新聞に「夫婦の会話が30分以下の家庭は4割にも達する」という記事が載っていたが、我が家に関して言えば毎日1分以下である。私が憧れた、腕を組んで歩くアツアツな恋人夫婦とは雲泥の差ではないか。
 こんなはずじゃなかったんだけど……。
 虹を見たらいいことがある、と書いていた本は何だったろう。もう一度確かめてみたくなり、図書館で調べることにした。
 気象に関する本を探して開いてみると、思いがけない一文が載っていた。
『中米のスム人や古代中国では、虹は不吉なものとされ、決して指を指してはいけないとされていた』
 いまさらそんなこと言われても、もう手遅れなんですけど……。



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大きなつづら

2008年06月11日 21時45分52秒 | エッセイ
 昨年、地学団体研究会に所属している化石の先生と知り合いになり、何度か化石採集に連れて行ってもらった。
 場所は主に多摩川。ここで取れる化石は二枚貝や巻貝・ウニなどだが、広大な河原のどこに埋まっているかはわからない。一生懸命掘っても空振りが多く、根気と忍耐が必要だ。宝探しのように、ここぞと思う場所を選んでタガネを差し込み、ハンマーで叩いて、ひたすら地面を掘っくり返す。
「お母さん、これ化石かなぁ?」
 小学生の娘のほうがのめり込んでいる。過去にはシラトリガイ、クルミガイなどを次々と発掘したことがあるから、鑑定眼もなかなかのものだ。小さいものや欠けているものには関心がなく、学術的にも価値の高い、完全な形をした大きな化石を求めている。
「ダメだね、これは小さいからいらないや」
 シジミのような貝には目もくれず、あっさりと河原に戻す。彼女が狙っているのは、自宅にある鶏卵大のシラトリガイより大型の化石だ。ほとんど損傷もなく、優美な姿をしたシラトリガイは娘の宝物だが、今回はこれ以上のものを狙っている。
 熱心に河原を掘る娘を見て、『したきり雀』のおばあさんを連想した。「大きなつづら、大きなつづら」と唱えながら、ハンマーを叩いているような印象を受ける。
 得てして昔話では、無欲で心の清らかな者が富を手に入れ幸せになるが、強欲で浅ましい者は戒めに遭い改心させられる。欲がなくて人のよいおじいさんは小さなつづらを持ち帰り、金銀財宝をゲットしたのに、欲深なおばあさんは大きなつづらを選んだ結果、宝どころかお化けに懲らしめられた。
 しかし、これは昔話での教訓であるから、現代のような地球的規模での競争社会では通用しない気がする。
 おじいさんは目的意識が低く、目的達成のための具体的手法もない。その一方、おばあさんは明確な目的意識を持ち、それを叶えるための行動力も旺盛だ。もちろん、手段については改善しなければならないとしても、現代社会で勝ち組に入るのは間違いなくおばあさんの方であろう。成功哲学で高名なナポレオン・ヒル博士も「信念なくして成功はない」と言っているではないか。
 信じる力が足りなかったのか、娘はなかなか成功しない。
「ここは、小さな化石しかない場所なんじゃないの~?」
 娘があきらめモードになったとき、化石の先生が声を弾ませて駆け寄ってきた。
「アカガイが出ました! かなり大きいですよ。ちょっと見てください」
 娘はハンマーを放り投げ、まさかという表情で走っていった。すでに、アカガイの周りには人だかりができている。隙間から覗くと、長さ10cmほどの立派な化石が見えた。
「すごい……。こんなに大きな化石があるんだ……」
 私も娘も、突如として現れたアカガイに驚き、すっかり心を奪われてしまった。

 刺激を受けて、娘も採掘に熱が入る。負けてなるものかと、再び「大きなつづら、大きなつづら」のリズムで手を動かしていたが、成果が上がらないまま終了となってしまった。
「ミキもアカガイが欲しかったよう」
 彼女はしおれた花のように下を向き、悔しさと戦っていた。
ナポレオン・ヒルはこうも言っている。
「負けると思えばあなたは負ける。負けてなるものかと思えばあなたは負けない。負けるのじゃないかなと思ったら、あなたはもう負けている」
 大きな化石を手に入れるためには、ネガティブな思考に惑わされず、成功することだけを信じなくてはならないようだ。
 がっかりしている娘を元気づけようと、化石の先生が言った。
「じゃあ、次は大きな化石がたくさんあるところに行きましょうか」
 とたんに、娘が顔を上げて力強く言った。
「行きたい!!」
 次こそは、お宝化石が手に入るかもしれない。



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知らぬが仏

2008年06月08日 21時13分40秒 | エッセイ
 私の母は蕎麦が嫌いだった。食卓に上ることは一度たりともなく、蕎麦屋に連れて行かれたこともない。それが災いしたことがある。
 まだ20代前半だった頃、お弁当を作らずに出勤し、職場で店屋物を取った。注文したのは親子丼。たまたま仕事の区切りがよかったので、出前が来たよと呼ばれてすぐに取りに行った。
 職場の近くには蕎麦屋があり、毎日複数の職員が出前を取っていたが、私が頼むのはこの日が初めてだ。数ある容器の中から丼を見つけて中を確認し、隣の汁物と一緒に自分の机に持ち帰った。
 まずは、お吸い物からいこう。
 早速お椀のふたを取ると、予想以上に汁の色が濃く、ネギや人参などがゴロゴロと入っていた。あまり美味しそうではないが、店屋物だから仕方がない。一口味わって、あまりの不味さに吹き出しそうになった。
 なにこれ、しょっぱ~い!
 嫌な予感がした。丼にはお吸い物がつくという思い込みがあったのだが、どうやら間違いらしい。人目を避けるようにして、一番仲のよかった先輩にお椀の中身を聞いてみた。
「……それはね、鴨せいろのつゆよ。温かいつゆでいただくお蕎麦なの」
 先輩は、声をひそめてニコリともせずに答えた。まさか、そんな蕎麦があったとは!
「どうしましょう……。ひと口飲んじゃいました……」
「しょうがないわよ。こっそり返してくるしかないでしょう」
 心臓の音が、ひときわ大きくなった気がした。私は目立たないように気をつけながら、お椀を持ってコソコソと出前の場所に戻った。つゆがない、と騒ぎになっていたらおしまいだが、幸いなことに誰もいなかった。よかった、間に合ったのだ!
 蕎麦の近くにお椀を戻すと、心の底からほっとした。
 誰が注文したのかな、本当に悪いことをしちゃった。ま、知らないほうが美味しく食べられるよね。
 自分の軽率な行動と、ものを知らない愚かさを振り返り、私は猛省した。
 夕方、先ほどの先輩が、あまり質のよくない笑いを浮かべながら話しかけてきた。
「今日の鴨せいろ、誰が注文したのか知ってる?」
「いえ、知りませんけど」
「アサカワさんとマルヤマさんよ!」
 聞いたとたん、めまいがした。アサカワさんは中年の脂ぎったセクハラ男、マルヤマさんはいけ好かないゴマすりの若造で、どちらも職場の嫌われ者なのだから。
 私はどちらかのつゆを飲んでしまったというわけだ。
 ああ、ショック……。私も知りたくなかった。



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横取りセンセイ

2008年06月07日 17時59分11秒 | エッセイ
 娘の通う小学校では、明日から一週間、学校公開をする。クラスメイトの様子や授業風景、学校全体の雰囲気などがわかって興味深いし、娘が喜ぶので、毎年必ず参加することにしている。
 昨年は、図工の授業を見に行った。図工室では児童たちが針金を素材に、丸めたり叩いたりして星や花、犬などを形づくっているところだった。
「毒キノコを作っているんだよ」
 娘も針金を椎茸のようにカーブさせ、金槌で叩いて固定させていた。どの子も真剣な表情で、それぞれの作品づくりに夢中になっている。
「もっとたくさん針金を使ってね。隙間があると、淋しくなるから」
 図工の加賀先生は年配の華奢な女性で、一人ひとりの作品を見て回っては熱心にアドバイスを与えていた。
「そうそう、これくらい賑やかになると見栄えがするのよ」
 褒められた子は、白い歯を覗かせてニッコリと笑い、また作業に戻る。客観的に見ても、どの子が何を作ろうとしているのかがわかる。ただの針金が、曲げたり絡み合わせたりすることで、犬やひまわりらしくなっていくから、子供たちも楽しいのだろう。
 あっという間に、3時間目の終了を告げるチャイムが鳴り始めた。4時間目は道徳の授業だ。片付けて教室に帰りなさいという指示があるはずなのに、先生はいつまでたっても何も言わずに、針金細工に没頭している。
 とうとう、4時間目開始のチャイムが鳴った。しっかり者とおぼしき女子が、たまりかねたように先生に話しかけた。
「先生、4時間目は道徳です」
「え? 図工じゃないの? いつも2時間続きじゃない」
「今日は特別時程だから、3時間目だけです」
 その瞬間、消音ボタンを押したように、教室からすべての音がなくなった。児童も保護者も口を閉じ、次に先生が何を言うのかを待っている。
「ああ、そうだったの……」
 加賀先生は、ようやく間違いに気づいたようだったが、少し考えてから、明るい声で想定外の指示を出した。
「でも、担任の先生は迎えに来ないから、図工をやっていいってことじゃない? いいわよ、みんな、続けて続けて!」
 子供たちはドッと笑い、うれしそうに作業を再開した。保護者の反応は、戸惑ったり吹き出したりと様々だったが、おおむね好意的で、たちまち図工室の音量は最大となった。
 それから10分ほどたった頃だろうか。入口の扉がスルスルと開き、担任の山本先生が登場した。ひきつったような微笑を浮かべながら、ゆっくりと図工室に入ってくる。
 またもや、教室の音量が一気に下がった。児童も保護者も、これからバトルが始まることを期待して、ドキドキしていた。
 この先生は怖い・強い・厳しいの3拍子が揃っていて、肉厚で重量感のある女性だ。小柄でか細い加賀先生に、勝ち目はないように見えた。
 しかし、先制攻撃を仕掛けたのは、加賀先生だった。
「ああ、山本先生! ごめんなさい! 区切りがつかなくなっちゃってぇ~」
 加賀先生は山本先生のほうに駆け寄り、さぞ申し訳なさそうに謝りはじめた。さきほどの「やっちゃえやっちゃえ」とは別人のような態度である。年齢は加賀先生のほうが上に見えるから、先に平謝りされては引き下がるしかないだろう。なかなかの役者だ。
「いいえ、いいんですよ……。もうこんな時間ですし、どうぞ続けてください……」
 こちらも煮えくり返っているであろう腹のうちを隠し、笑顔で答えた。笑っているのに、背筋がゾクゾクするような緊張感がある。口論やつかみ合いに発展しなくても、何ともスリリングでたまらなかった。
 後日、通院のため娘が早退するので、学校まで迎えに行った。5時間目は理科で終了のチャイムが鳴ったのに、教室には山本先生だけしかいなかった。
「まだ理科室から戻ってこないんですよ。そろそろ来ると思います」
 先生と、娘の様子や行事の話などをしていたら、6時間目開始のチャイムが鳴ってしまった。6時間目は教室で算数の授業をするはずだ。先生の顔色が変わった。
「冗談じゃないわ、またかしら?! みなさん、熱心に授業をされるんですけれど、時間を忘れちゃうんですよね。今、連れてきますからっ!」
 山本先生は、バタバタと廊下を走っていった。が、5分後に戻ってきたとき、連れてきたのは娘だけ……。
 果たして、授業を奪い返すことはできたのか?!
 今年も娘の担任は山本先生だ。明日も何か面白いことがあるとよいのだが。



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現地主義

2008年06月04日 20時34分29秒 | エッセイ
 朝は時間との戦いだ。弁当を作り、朝食の支度をし、洗濯にゴミ出しに筋トレまで終えて出勤するのだから、化粧に割く時間はまずない。
 大抵は、日焼けしない程度にファンデーションを塗るだけで、すぐに家を出る。出勤時刻ギリギリに職場に駆け込み、カードを通して一安心してからトイレで続きに取り掛かる。アイラインを引き口紅を塗ったら、仕上げにコンタクトレンズを入れて完成だ。
 一重まぶただからアイシャドーは映えないし、チークは面倒くさい。1時間化粧すれば浜崎あゆみのようになるというなら頑張るが、たとえ3時間かけてもそれは無理だろう。せいぜい5分で充分だ。
 さらに時間のない日は、歯磨きまで職場ですることもある。一見、自宅と職場の境目がないようだが、これでもマシになった方だ。
 もっとも堕落していたのは、前の職場にいたときだ。自転車通勤だったので、日焼け止めだけ塗って家を出ていた。職場に着いたら、まず顔を洗って汗を流し、ファンデーションから順番に塗り重ねていく。
 面白いことに、自転車通勤の主婦は同じ発想をするようで、毎朝鏡の前には私を含めて三人が、一心不乱に化粧をしていた。まったく、怖いものなしである。
 数年前に職場を異動し、電車で通勤するようになってからも、しばらくは「一から職場で」化粧に励んでいた。もう、習慣になっていたからやめられない。さすがに鏡の前に並ぶ仲間はいないが、電車で知人に会うこともないし、家で化粧をしてくる理由は何もなかった。
 ところがある朝、職場でバッグの中を見て呆然とした。
 化粧品、忘れた~!
 これは一大事だ。もはや、日焼け止めだけで人前に出る勇気はない。誰かに頼んで化粧品を借りるしかないではないか。必死で職員の顔を思い浮かべ、頼みを聞いてくれそうな人を探した。
「どうぞ、どうぞ、使ってください」
 人当たりのよい佐藤さんが、予想通り快く貸してくれた。でも、口紅まで借りるのは悪いと思い、ファンデーションだけで我慢した。
「今日は顔色が悪いね」
 口紅をつけないと病人のように見える。他の職員からいらぬ心配をされ、いたたまれない気持ちになった。この失敗を教訓に、「最低でもファンデーションは家から塗ろう。できれば口紅までつけてこよう」と決めたわけだ。
 家できちんと化粧を終え、すがすがしい気分で出勤できる日はまだ少ない。
 たまたまそんな日に、職場に着いてすぐ上司の男性に会った。トイレを素通りしたところで、後ろから声をかけられた。
「あれ、今日はお色直しをしなくていいんですか」
 ……結構、見られているものだ。



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遺失物

2008年06月01日 17時33分59秒 | エッセイ
 悲劇が起きたのは、平成2年の元旦だった。
 当時私は大学4年生。大学は休みで彼氏は帰省中。暇つぶしにバイトに出かけたのが間違いのもとだ。
 自宅から徒歩3分の幹線道路沿いに、バイト先の宅配ピザ屋がある。私はここでピザを作る、メイキングの仕事をしていた。
 昼食時と夕食時のピークはピザを焼くだけで精一杯だが、客の少ない時間帯は材料の仕込みをする。生地(ポーション)を練ったり、イカを茹でたり、トマトを切ったりと、従業員同士でおしゃべりをしながら体を動かすのが常だった。
 その日はピーマンの仕込みをした。水洗いしたあと、ヘタを取ろうとして上部を切り落としていたときだ。包丁の切れ味が悪かったせいか、私のやる気が足りなかったせいか、予想外の方向に刃が動いてしまった。
「イタッ」
 左手の人差し指に、焼けるような痛みが走った。見ると、爪の右側の肉が小豆大にそげている。まるで、アイスクリームをスプーンですくいとったあとのように、きれいに肉がなくなっていた。
 切り口は白い。肉は赤いとばかり思っていたので意外だった。やがて、針の先ほどの小さな赤い斑点がポツリポツリと浮き上がってきた。毛細血管が切れたのだろう。斑点は急激に大きく成長し始め、隣同士とくっついて膨れ上がり、見る見るうちに傷口からあふれて流れ出した。
「うわぁ~!!」
 叫んだのは私ではない。ドライバーの石川クンだ。大柄で体格のよい彼が両手で顔を覆い、頭を左右に振りながら、狂ったように事務所に駆け込んでいった。あいにく店長は留守だった。
 すぐに彼は戻ってきた。肩が上下するくらい激しく呼吸をし、手に持っているものを私に差し出す。居合わせた者全員の目が釘付けになった。
「こ、これ、使って!」
 彼が持ってきたのはバンドエイド……。しまりの悪い蛇口のような出血が続いているのに、いったい何の役に立つのかと、誰もが訝しげな表情をした。
「オレ、こういうのダメなんだよぅ~!」
 要するに、彼は血を見るのがイヤだったのだ。床に滴り落ちた血痕や、真っ赤に染まったティッシュペーパーなどが、ますます彼を混乱させた。
 見かねたバイト仲間が私に言った。
「もう帰ったほうがいいよ」
 たしかに、私がいると石川クンも仕事ができないので、そうさせてもらうことにした。
 でも、正月で医者は休み……。かといって急患で診てもらうほどの重傷ではない。しばらくすると出血がおさまったから、軟膏を塗って自宅で様子を見ることにした。
 左手とはいえ、人差し指が使えないと実に不便だ。顔を洗うときやシャンプーするときなど本当に困る。また、傷口からは黄色い液体が出てきて、ガーゼが貼りついてしまう。これを剥がすときが、また痛かった。
 それでも、医者が診療を開始するころにはだいぶよくなっていた。結局、病院には行かず、自然に治ってしまった。
 しかし、元に戻らなかったものがある。指紋だ。そぎ取られた部分だけきれいに、指紋がなくなっている。目立つわけではないが、細長く、更地のようになっている。あのとき、何としても指の切れ端を探し出せばよかった。重ねておけば、くっついたのではないだろうか。
 もしかして、私はピーマンに嫌われているのかもしれない。



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