これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

雪の七回忌

2024年01月14日 21時02分08秒 | エッセイ
 母方の叔父の七回忌があった。
 東京といっても標高の高い高尾は寒く、昨日の雪が残っている。



 運よく晴れて、両親や姉妹、叔母、従姉妹とその家族に会えることはうれしい。
「では、お一人ずつ順にお焼香なさってください」
 僧侶の指示で、長子の母から墓前に進んでいく。次は母の伴侶である父が、母と入れ替わりに焼香台に向かう。父も半年後には86歳。老化が進み、話しかけてもすぐに返事がかえってこないが、帽子をとって手を合わせていた。
 焼香が終わると僧侶が話し始める。
「七回忌というのは休広忌(きゅうこうき)とも言われ、仏様の徳が広まっていく時期です」
 ところが、父は飽きてきたのか、下を向いて足元の雪を踏み固め、ザッザッと小さな音を立てていた。困ったものだ。集中力が続かず、多動な小学生に似ているかもしれない。
「では、これにて失礼いたします」
 僧侶が帰ったあと、父に近づき話しかける。
「お坊さんの話、ちゃんと聴いてたの」
 父はニヤニヤしながら「聴いてなかった」と答える。
「そんなことだと思った」
 まあ、正直でよろしいというところだろうか。「コラッ」と怒っても直らないし。
 姉も父に言いたいことがあったようで、話に加わってきた。
「ちょっと、お父さん。帽子かぶったままでお焼香したんじゃないでしょうね」
 ボンヤリしている父に代わって私が返事をする。
「一応、取ってたわよ」
「え~、そう」
「見てたの?」
「見てなかった」
 ……まあ、この2人が親子であることは間違いない。
 法事のあとは会食だ。



「やだな、牡蠣が入ってる。姉さん、食べてよ」
「ふっふっふ。もらうわ」
 妹の隣に座ったら、鍋の牡蠣をゲットした。ラッキー!
「じゃあ、皆さん、献杯の準備をお願いします」
 長子の母が仕切り、食事会が始まった。何年かに一度しか顔を合わせないので、それなりに話が弾む。ひたちなか市の従姉妹は弟夫婦と同居していて、食事作りが大変だとこぼしていた。大田区に住む従姉妹は、一番年少だけど、それでも43歳になったという。
「大晦日から、石川県に行ってたんだよね」
 ひとつ年上の従姉妹からは、思わぬ話があった。
「七尾市に泊まった翌日に地震が起きて、もう死ぬかと思った。高速を走っていたときに、震度7だからね」
「怖い!」
「金沢まで出て帰ってきたけど、4時間かかったよ」
「大変だったね」
「生きててよかった」
 従姉妹とその一家が何とか無事に戻ってこられたことには感謝しかない。
 報道を通して、災害に遭ったときは、助かるときも助からないときも紙一重の差しかないと感じる。あらためて、お亡くなりになったかたのご冥福をお祈りしたい。
「実はね、法事で集まるのは今回で最後にしようと思って」
 食事会の終わりに母が静かに切り出した。
「もうあたしも高齢だし、体が自由に動かないから、この先は無理なのよ」
「そうだね」
「仕方ないよ」
 同席した者はみんな頷いた。
 法要という形式はとらなくても、故人を偲ぶことはできる。
 これから先は、自分のペースで行かれるときに墓参りをしなくては。
 いつかまた、親戚たちで集まれるといいな。

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コメント (4)
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