これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

広島平和記念資料館より

2018年04月22日 20時29分34秒 | エッセイ
 宿泊先や飛行機の予約をとってから、平和記念資料館のホームページを見たのだが、順序が逆だった。
「うっそ……。本館はリニューアル工事中だって……」
 なんと、平成31年の春まで、資料館は東館のみしか見られないようだ。先に知っていれば、時期をずらしたのに。失敗した。
「しょうがないね。東館だけで我慢するか」
 本館が閉館していることで、東館に人が集中し、かなりの混雑になる。午前10時までか、午後4時以降の入館をお勧めしますとの案内に従い、9時半頃に到着した。



 それでも、すでに相当混んでいた。たくさんの方が見に来るのはいいことだが、展示はあくまでも一部である。機会があれば、来春以降また足を運んでいただきたいと切に願う。
 地下1階にはオバマ前大統領の折り鶴が展示されていた。



 きちんと折り目をつけてキレイにできている。きっと、何枚も練習したのだろう。
 手書きのメッセージにも心を打たれる。



 和訳にも折り鶴が載っていた。
「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」



 うんうん、その通りだ。
 この言葉を見た瞬間、本館に入れなかった不満が消えていった。シリア情勢など、平和からほど遠い出来事も起きているけれど、諦めたらいけないのである。
 資料館を出て、原爆ドームに向かった。
 元は、広島県物産陳列館という名のハイカラな建物だったという。



 ところが、爆心地に近かったため、こんな姿になってしまった。



 近くには相生(あいおい)橋がある。



 T字型の珍しい橋である。



 直進だけでなく、原爆ドームに向かって右手にも延びているところが、上空からも目立った。アメリカ軍は、この橋を原爆投下の目標としたらしい。
 投下後の爆風や熱線で、多くの建物が倒壊し、広島市内の建物の9割が壊滅的な被害を受けたという。また、爆心地付近の地表温度は4000度に達し、約14万人の方が亡くなっている。地獄絵図と化したヒロシマを、あらゆる国のあらゆる人々に知っていただき、戦争の愚かさを肌で感じてほしい。
「もー、お母さん、どこにいるのよ」
 娘からラインが来た。1945年の広島に思いを馳せているうちに、家族とはぐれてしまったことに気づいた。
 原爆投下時にも、家族と会えぬまま死んでいった人はたくさんいた。
 平和な時代に感謝するとともに、この状態を守り続ける努力をしなければならない。
 娘にラインを返す。
「ゴメン、今、原爆ドームの近くにいる。待ってるから来て」


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コメント (7)
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